帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第17話

英語は苦手だ。

この言葉を、決まった時期に決まって口にした。もはや様式美だった。旬の名物と言って良い。

幸いなことに同意してくれる人間は数多く居て、カズトやリュウは同士だった。

手を取り合い果敢に立ち向かった。大抵の場合乗り越えられて、稀に敗北することもある。補修は辛かった。

 

そんな俺たちを鼻で笑う奴もいる。七夏はその筆頭だ。

奴は英語が得意だ。英語に限らず勉強が得意だ。

恥を忍んで教えを請いたことも一度や二度じゃない。

罵倒の飛び交う勉強会はお世辞にも良い環境ではないが、結果が付いてくるのだから甘んじる他ない。

七夏さまさまである。

 

今、第二外国語の習得に勤しむ俺の隣に七夏はいない。

和人やリュウや霧絵すらいない。考えてみれば、霧絵がいないのはこの数年で初めての様な気がする。

何をするにしてもあいつはいつも隣にいた。家でも学校でも、外でも。どこでもかんでも隣にいた。

今はいない。しかし不思議と寂しさはない。

居て当たり前の人間がいなくなったというのに、何も感じないのは頭のどこかに欠陥があるのではないか。

 

栓の無いことを考える。

霧絵の代わりに隣に座る教師は、出会って間もないというのに、早くも俺の雑念を敏感に察知していた。

ぴしゃりと指摘される。

 

「余計なこと考えすぎじゃないですか? アスカ様」

 

「……必要なことを考えてたんです。決して余計なことじゃないとだけ言っておきます」

 

大きく溜息を吐かれる。

 

「気づいてますか? その言い訳は三度目です」

 

「それは気づいてませんでした。次はもっと頭を使います」

 

「いま使ってください」

 

ラーヤは、やっぱり猫を被っていた。

不出来な生徒を持ってわずか三日。面の皮は驚くほど簡単に剥がれ落ちた。

気弱で小動物然とした彼女はもういない。目の前にいる彼女は仕事の出来るキャリアウーマンさながらきびきびしている。

 

「異世界の単語ってだけで何でこんなに難しいのだろう」

 

「覚える気がないからだと思います」

 

今まで一度も見たことがない文字。

馴染みがなさすぎて一から覚えなくてはいけない。

その点、英語は馴染みがあった。一日生活するだけでどこかしこで英単語を目撃する。

何なら自分の口から出たりする。文章はともかく、単語を覚えるのはそれほど難しくはなかった。

 

「言葉は通じてるのに、文が通じないのはどういう理屈なんでしょうね。誰かが手を抜いたとかでしょうか」

 

「そうやって無駄話している間は覚えられませんから」

 

ラーヤ先生は厳しい。

学校の先生はこれほど厳しくはなかった。無気力な場合が多かった。それはそれで辛い物がある。

 

「これが『朝ごはん』。これが『昼ごはん』。これで『夕飯』。単語全部違う。全部『ご飯』だろ。形容詞だけ替えろよ」

 

「手より口が動く理由をお尋ねしてよろしいでしょうか」

 

二日かけて文字を空で書けるようになった。

三日目の今日からは単語を覚え始めた。

我ながら頑張ったと思う。しかし寝るのと食べる以外はこの勉強ばっかりしているから、流石に飽きてしまった。集中力が続かない。

 

「疲れたからですかね」

 

「休憩しますか?」

 

「そうしましょう」

 

椅子の上で背伸びをする。

背もたれに身体を預け楽な姿勢を取った。

手慰みに未だ一文足りとて読めない本をめくる。

初印象は暗号文だった。今では外国語で書かれた本だと分かる。進歩である。

 

「これ何の本ですか?」

 

「童話です」

 

ラーヤは俺が書いた練習用紙を見ている。

ちょっと汚いだけで指摘されて直すよう言われるので、びくびくとその様子を見守った。

この三日、それで随分苦労した。何が綺麗で何が汚いのか。初心者の身の上では気づかないことも多い。

幸いなことに、検閲に引っ掛かるほど汚い文字は見つからなかったらしい。

 

「遠い昔に異世界からいらっしゃった二人の男女について書かれた本です」

 

「あー。……は?」

 

初耳だった。

前人未踏の異世界だと思っていたら、当の昔に足跡が残っていたと。

山に登るだけじゃ飽き足らないのか地球人は。

 

「もちろんおとぎ話です。そう言った記録は一切残っていません」

 

「でも火の無い所に煙は立たないって言いませんか?」

 

「おとぎ話など信じるのは愚か者だけでしょう。大抵は大人の説教が迂遠な形で描かれているだけです。本質は物語そのものではなく何が伝えたいのかだと思います」

 

小難しいことを考える。

俺ももう17年生きているが、物事の本質がどうこうなどと考えたこともない。

童話一つでここまで頭を巡らせる人もそうそういないだろう。

それが俺とそう変わらない女の子の口から出れば、あんぐり口も開くと言う物だ。

 

「メイドさんって頭良くないとなれないんですか?」

 

「……申し訳ありません。言い過ぎました。忘れてください」

 

どこか後悔したように俯くラーヤは、やっぱり素が出ている気がする。

猫被っていた時よりとっつきやすい。少なくとも好感はもっている。

今背中にくっついたらどう成るかと好奇心が湧いた。

昼までまだあるな。

 

「ちゃっちゃ、ちゃっちゃとやりますか」

 

「はい」

 

昼に向けて小さな楽しみが出来た。

取りあえず午前中はこれでしのげる。午後はまた考えなければいけないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜は寝るだけ。

夜更かししたいと言えば、ラーヤは付き合ってくれるかもしれないが、その怪力っぷりを目の当たりにしてしまった今、それを言うだけの度胸は俺にはない。

あの細身でリュウより強かった。かたなしだ。

 

窓の外では星々が瞬いている。一際大きい星は月だ。

地球と違って黄色くはない。緑色。

月光に照らされた街はうっすら明かりが灯っている。

この世界に電気などないから、多分ランプか蝋燭かで明かりを作っているのだろう。

 

ベッドに横たわり、窓から見える空を見上げていた。

眠れない夜はこうして夜空を見上げる。星が多い空はなんとも見慣れないが、藍色の空は変わりない。

こうしているとなんだかノスタルジーな気持ちにとらわれる。

実際、ここは地球ではないからこういう感情を抱くのに不思議はない。

 

ノスタルジーに浸りながら、一人で空を見ていると段々込み上げてくる物がある。

それは先行きに対する不安だったり恐怖だったりする。

突然別世界に放り込まれ、危機感を抱かずに済む人間は心臓に剛毛が生い茂っているに違いない。心から残念に思うが、俺の心臓には精々産毛程度しか生えていなかった。

 

異世界だと知らされた当初、一度は棚上げにした気持ちに、一人になった時に襲われる。

心の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような気分になる。吐き気すら込み上げてくる。

ここ数日、夜は度々こういう具合になる。我がことながら女々しいが、男らしくあろうと言う意に反して、あちらから勝手に来てしまうので耐える他ない。

いくらもがいても根本的な解決策など見つからない。しかし胸の内に広がる恐怖は如何ともしがたい。

 

一しきり満足行くまで恐怖に襲われて、ようやく睡魔がにじり寄ってきた。

うとうとする頭に、ガチャガチャと扉を開こうとする音が聞える。

 

のっそり起き上がり扉を見ると、ドアノブが揺れている。

誰かが弄っているらしい。この部屋の扉は外からしか鍵をかけられない。

中に入って鍵をかけられれば出る手段はない。だから色々苦労している。

しかし外からドアを弄るのなら、当然鍵はあると思うのだが。

 

不思議に思って扉を見つめる。

ガチャリと鍵の開く音が聞こえ、扉が開く。

真っ暗な廊下に融け込むように、黒づくめの人間が立っている。布で顔を隠していて、表情すら伺えない。

目を凝らすと、その後ろに更に数人同じ格好の人間がいるようだった。

 

「誰――――」

 

一言訊ねる前に、黒づくめたちは部屋に侵入してきた。

叫ぶ暇すら与えられず、手足が拘束され猿ぐつわを噛ませられた。

続いて上から袋を被せられて視界が真っ暗になる。

 

「むごぉ!」

 

ようやく叫んだところで言葉らしい言葉は出ない。

しかも俺が暴れた途端、腹に一撃食らわせてきた。

見事に鳩尾を突かれ、束の間息が出来ずに身悶えする。

 

「行くぞ」

 

低い声だった。

担がれてしまったらしく、全身にかすかな振動を感じる。

不幸中の幸いで、痛みに堪える間少しばかし考える時間ができた。

 

今の状況は誘拐されかかっている。これに尽きる。

 

リインの言葉を思い出す。

『身柄を要求してくるかも』

 

異世界の人間がどれだけ重要な物なのか、俺にはさっぱりわからないが、少なくともこうして誘拐されるぐらいには価値があるようだ。

こことどっちがマシかと打算が働きもしたが、こんな手荒な真似をしてくる奴らのところへ行って、安穏無事に済むとは思えない。

力の及ぶ限り抵抗するしかない。

 

「んんんーっ!!」

 

身体をくねらせ、精一杯声をあげる。

口に何か噛まされ、袋に閉じ込められてたせいで思ったより声は出なかったようだ。しかし建物の中なんだから誰かしら気づいてくれと願った。

 

一度立ち止まったのか振動が止んだ。かと思えばドゴッと殴られた。複数から殴られた。

流石に殴られながら暴れられるほど頑丈じゃない。動きを止める。

もう一発入念に殴られる。

 

……くそくらえ。

最後の力を振り絞りじたばた暴れる。

やっぱりもう一度殴られて、今度こそ精根尽き果てた。

ぐったりと成すがまま運ばれる。

 

その内空気の感じが変わる。

外に出たのだろうと思った。上下の振動が大きくなった。段差でも乗り越えたのか。

 

外に出たいとは思っていた。

しかしこんな形で出たいとは一言も言っていない。

この先のことを考えると、まだ部屋の中で勉強してた方がましだ。

 

外に出たとなると、助けが来る可能性はぐんと低くなったのか。

まずいな。霧絵たちがどうなっているのかと不安もあったが、しかしまずは我が身だ。

 

おちおち休んでも居られない。

三度暴れ出す。

しかしこいつらもいい加減慣れていた。対応は俊敏だった。

差して時間をかけず殴られる。

しかもさっきよりも痛い。殴られたところが熱を持っている気がした。

下手をすれば折れているかもしれない。

 

それでも勇猛果敢に暴れようとする。

何もしないよりましだ。

 

「いい加減にしろ」

 

その声が聞こえ、次の瞬間には硬いもので背中を強打される。

自然と身体が反れて涙がにじむ。これ絶対どこか折れた。痛いし。くっそ痛てえ。

歩くたびの僅かな振動ですらじくじくと蝕んでくる。何なら息するだけでも辛い。

暴れようにも痛みで力が入らない。

 

「うぅ……」

 

情けない声が漏れた。

丁度その時振動が治まる。

 

側で言い争う様な気配を感じた。

しかしすぐに声は止む。

ドサッと誰か倒れたような音を聞く。

 

歩くたび一定のリズムを刻んでいた揺れが、突然なりふり構わない物に変わった。

近くで聞こえる息遣いが一際荒い。直前まで息を切らす音なん聞えてはいなかった。

 

かと思えば、突然空に放り出される感覚。体は瞬間宙に舞い、重力に従い落下。地面に激突する。

肩から落ちた。変な音がした。指先の感覚がない。背中に続きこれである。もう本当に俺死ぬんじゃないだろうか。

 

目まぐるしく変わる一連の出来事から、何事か起きたらしいのは分かるのだが、袋の中で詳細なことは分からない。自然と視覚以外の感覚に神経を集中する。

 

そんなことをしても詳しい状況など分からないのだが、条件反射でやってしまうのは防衛本能の様なものなのだろう。

布の中で身動ぎしている最中、足音が聞えたので身を固くする。

 

気配はすぐ側まで近寄ってきた。何をされるかとびくびくする。

結び目が解れたらしく、袋の口が開いた。

流れ込んできた新鮮な空気を吸い込み、生きていることを実感する。

 

外に出されて周りを見ると、月光に照らされてリインが立っていた。

隣に俺の知らない女の人もいる。

 

「ご無事ですか?」

 

真面目腐った表情だった。

訊ねられた問いには答えられない。

俺の口には相変わらず猿ぐつわを噛ませられている。

 

声を出せないでいる俺を見て、女の人が動いた。

何をされたかは分からないが、次の瞬間には猿ぐつわがハラリと落ちる。

縄もほどけて手足も自由になった。見ると綺麗に切断されていた。

 

「どこか怪我はありますか?」

 

「……何回か殴られたよ」

 

重ねられる問いに、それだけを答える。

思い出すだけで身震いがした。

 

「ご心配なく。既に皆殺しました」

 

手で示された方には人が倒れている。

よくよく目を凝らしてみると、地面には赤い液体がばら撒かれていた。

生臭い匂いを嗅いだ気がして、思わず後ずさった。

 

「本当は生け捕りにしたかったのですが、あえなく殺してしまいました。甲斐ないですね」

 

「なんで責める。言っただろう。私に生け捕りは難しい」

 

女の人はリインを横目に睨んでいた。切れるような目を細め、不満げな表情を浮かべていた。

受けるリインは、そんなものどこ吹く風と受け流して嘯く。

 

「責めていませんよ。ただ最善は生け捕りだったなあと言っているだけなので」

 

「ん……責めてないのか?」

 

白々しい言葉にそうかと納得した様子を見せてしまう。

リインはどう考えても皮肉ってたが、追及はせずにその表情は平静に戻ってしまった。

 

「エクエスちゃん。一応一足先に戻ってもらえますか」

 

「なぜ?」

 

「他に不届きものがいるかもしれません」

 

「わかった」

 

エクエスと呼ばれた女の人はゆったり道を歩いて行く。闇の中に消えてもしばらくは足音が聞こえてきた。

ああいう言い方をされれば普通急ぐと思うのだが、マイペースなものだった。

 

「さて。アスカさん。念願の外ですね」

 

「……念願かなって泣きそうだ。この調子で日本に帰らせてもらっていいかな」

 

「余裕があるのは何よりです。ちょっと傷を見させてもらいます」

 

リインは膝立になり訊ねてくる。

 

「どの辺殴られました?」

 

肩や背中など、痛むところを教える。

ぺたぺたと触診され、偶にぐっと押されて痛みが走る。思わず悲鳴を上げた。

 

「ふうん……。まあ、大丈夫そうです」

 

「めっちゃ痛いんだけど」

 

「一日寝れば治まると思いますよ。肩動かしてみてください」

 

肩は放り投げられた時に強打した。鈍い音が響いていたが、いつの間にか痛みはなくなっていた。

神経麻痺したんじゃないだろうかと恐る恐る回してみる。特に違和感はない。

 

「肩も平気っと。やはり軽傷ですね」

 

あらかた確認を終えたリインは一人立ち上がる。

座り込む俺を見下ろすリインは、白い衣服と水色の髪が緑の月光に照らされて、神秘的な雰囲気を放っている。

それに見惚れてしまい、返事が遅れた。

 

「話をしませんか」

 

「……なにを」

 

「話したいことがいくつかありまして。アスカさんは聞きたいことが山ほどあるでしょう?」

 

「山ほどはないけど」

 

「でも、あるんでしょう?」

 

なら話をしましょうと手を差し伸べられ、それを握らずにはいられなかった。

いつかこんな時が来るのではないかと心のどこかで思っていた。

 

立ち上がった俺に、リインは悩む素振りを見せる。

 

「何から話しましょうか……。直近のことからですかね」

 

そうしようそれがいい。

リインは一人芝居のように頷く。

 

「まず、先ほどの誘拐犯のことですが。あれは他国の工作員とか、そう言う類の輩です」

 

「なんとなくそう思ってたよ。で、なんで俺? 霧絵たちは?」

 

「アスカさんが狙われた理由はいくつかあると思いますが、一番は異世界人で弱っちいからです。霧絵さんたちは大丈夫ですよ。警備が厳重なので」

 

それを聞いて一先ず安心した。

胸をなでおろした俺に、しかしリインは爆弾を放り投げてくる。

 

「逆にアスカさんの警備はゆるゆるでした。隅っこの人気のない場所で、特に見張りもつけずに軟禁しておいたので、狙われるのはアスカさん以外ありえない状況でした」

 

「……なんだろう。わざとそうしたって言ってるような気がする」

 

「わざとそうしました」

 

黙りこくる。頭は働いてくれない。

囮にされたと言われて、唐突すぎて頭をついていけてない。

何らかの感情を表に出さないといけないはずなのに、今は何も思わなかった。

 

「おかげで様で、中で悪さしてた人たちを一網打尽に出来まして。ホクホクなんですよー」

 

「……お役に立てたようで何よりだ」

 

「……」

 

リインは意外と言う様な顔で俺を見つめてくる。

 

「ぶん殴られるぐらいは覚悟してました」

 

「女の子を殴るのは道徳的に反してる」

 

「けれどラーヤちゃんは泣かしましたよね?」

 

「あれ嘘泣きだろう?」

 

「さて」

 

リインに先導されて街を歩く。

町には明かりは何一つ点いていなかった。

月明かりだけを頼りに先へ進む。窓から見たときのあれはなんだったのだろうと不思議に思う。

 

「女の子をどうこうと言うのは、高尚だとは思いますが、こんな時まで言うのはただの甘ちゃんではないでしょうか」

 

「殴れってか」

 

「もっと酷いことしてもいいんですよ」

 

ふふふと何事か企んでそうな笑い声。

その声を聞くだけで酷いことをする気にはならない。

もし故意にそうしているのなら策士顔負けの悪女だ。

 

「どうでもいいよ。それより、スパイあぶり出すのが目的だったのなら、目的は達成したんだろ。俺どうなんの」

 

「警備を厳重にして、違う場所に移ってもらいます。今度はもう囮にはしませんのでご安心を」

 

「必要とあらば?」

 

「今後一切絶対に致しません。この世の全ての物に誓い、私の全てをお賭けします」

 

「あっそ」

 

大仰な言葉を並べられたが、もはや俺たちの間に信頼関係などない。

ようやく現実に感情が追いついてきた。腹立だしさや悲しみが心の中で渦巻いた。

狙われているからあぶり出したいということなら、せめて一言欲しかった。それさえあれば囮でもなんでも理解は出来た。

こうやって断りもなく危険な目に遭わせられて、もうしませんと言われたところで誰が信じられるだろうか。

 

先を行くリインの表情は見えない。

実はこっそりほくそ笑んでいたとしても何ら不思議じゃない。

俺は溜息を吐いた。

 

「――――アスカさんは、こうして見るのは初めてでしたね」

 

「は?」

 

しばらく歩いた後、唐突にリインは指さす。

指した先。暗闇の中に輪郭だけ見えた。偶にぽつぽつと明かりが灯っている。

なんだろうか。目を凝らして分かった。そこには、城があった。

 

「……」

 

「あれが私たちが暮らすお城です」

 

「……なに? 俺あそこにいたの?」

 

「言っていませんでしたが、この国は王国なのです」

 

国王陛下のおわすお城こそがあそこなのですとリインは言った。その声はどことなく誇らしげだった。

顔が見えないから本当にそうだったのかはわからない。聞きようによっては、声の調子は沈んでいる様にも聞こえた。

 

西洋の城を生で見るのは初めてだった。あれを見て、心打たれたのは確かだったが、しかし驚くほどでもなかった。

束の間見惚れたとしてもすぐに我に返ってしまう。

 

「行きましょう」

 

先行くリインの後を追いながらもう一度城を見上げる。

初めて月を見たときの方が感激はずっと上だった。

何よりあそこに帰らなければいけないのかと思うと暗鬱とした気分になる。

 

二度目のため息を吐き、リインの案内に従って、粛々と帰路へとついた。

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