この世界で何度目かになる朝。やることは変わらず、ラーヤに勉強を教えてもらう。
朝食はラーヤと一緒に食べようと思っていたのだが、意固地と言うか考えの違いなのか、いつも通り俺が食べるのをラーヤが見ていると言う図になってしまった。
俺の要望を聞いてくれる気配はないので、リインに働きかけて何とかしてもらおうと思う。食べてるところをまじまじ見られるのはあまり好きではない。一緒に食べるのなら視線も和らぐだろう。
リインは朝からいなかった。
多分忙しいのだろう。それは分かるが、忙しさにかまけて霧絵たちと会うのを先延ばしにされるのは困る。果たして今日会えるのかどうか。リインが何を考えているのか分からないから、色々と考えておく必要がある。
集中力が途切れるたびに窓の外に目を向ける。そこに広がる青空は日本で見る景色と何も変わらない気がした。
厳密には空気がきれいとかあるかもしれないが、記憶との違いは見当たらない。
吹き込んでくる風は心地よかった。今、この世界は春か秋か。そもそも四季なんてあるのか。
知らない、分からないことが多い。一つ一つ知っていかなくてはならない。
そんなことを考えながら合間合間に外を見ていた。見る度にラーヤに注意を受けて勉強に舞い戻る。舞い戻った所で集中力はない。そろそろ昼だろうかと腹の空き具合から考えていた。
食事は基本的に同じものを食べている。主食はパン。たまに麺みたいなのがある。米はなさそうだ。醤油など望むべくもないだろう。
味付けに関して言うことはない。どんなものでも口に入れば一緒だ。好き嫌いは少ない方。
何時間も続く勉強に、いい加減集中力も途切れてラーヤとどうでもいい話をし始めた頃、扉がノックされて人が入って来る。リインだった。
「約束を果たしに来ましたよー」
昨晩とは打って変わって機嫌は良いらしい。
歩み寄って来るリインを尻目にラーヤに視線を向ける。ラーヤは首を傾げていた。
「リイン様。約束とは?」
「アスカさんとの約束です。これから皆さんのところにお連れします」
待ってましたと腰を上げる。
囮にされたり軟禁されたり印象としては最悪だが、一応俺の要望を聞くつもりはあるらしい。だからと言って、とっとと自由にしろと言ってもそれを聞くつもりはないのだろうけど。
「みんな元気にしてるか?」
「ええ。皆さんお元気ですよ。毎日とても楽しそうです」
俺はこんなにも退屈しているのに、あいつらは楽しんでるらしい。多分魔法の練習をしているのだろう。
「それではラーヤちゃんは元のお仕事に戻ってください。今日のところはアスカさんのお守りは私がしますので、明日からまたお願いします」
「お守りって言うな」
「じゃあデートで」
「それも違う」
深々と頭を下げるラーヤに見送られながら部屋を出る。
「で、どこ?」
「んー?」
逸る気持ちを抑えて訊ねる。リインは首を傾げていた。
「あいつらどこにいるの? 部屋?」
「どこだと思います?」
突然の謎かけ。
ニマニマと笑っているのでおちょくられているのかもしれない。もしそうならデコピンの一つも食らわせてやろうかと思ったが、話している間も足は止まっていない。会話を楽しもうと言う趣旨だろうか。それならばと付き合ってやることにした。
「楽しんでるって言ってたけど、あいつらは魔法の練習でもしてるのか?」
「そうですねー」
「じゃあ外」
くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「正解です。中庭にいますよ」
「中庭?」
「はい。さすがに敷地の外に出すわけにはいかないので」
昨日の今日ですしねと言うリインの言葉に頷く。
「そう言えば、あいつら自分たちが狙われていることは知ってるのか?」
「さあ。今のところアスカさんが攫われかけた以外に目立った動きはありません。薄っすら理解してるかもしれませんが、実感はないんじゃないでしょうか。……ああ、それと、アスカさんが攫われかけた件については伝えていません」
横にいるリインの顔を伺う。まっすぐ前を見つめていて、表情から笑みは消えていた。
「それは言うなってことか?」
「いいえ。お好きにどうぞと言う意味です」
まあ、言ったところでどうなると言う話ではあるのだが。
「他国に狙われてるってことは伝えないとダメだろ」
「それは確かに」
「それだけ伝えておいてくれ」
「わかりました」
階段を下りていく。
相変わらず下りやすくて上りやすい幅広の階段だ。赤いカーペットからは高貴な雰囲気が感じられる。
攫われるまで知らなかったがここは城の中らしい。城主と言うか陛下とやらがここにいるのは聞いている。
「なあ」
「はい?」
「王様ってどんな人?」
リインが立ち止まって俺の方を見てくる。
「……」
「……」
「……」
「……え、なに?」
「いえ……そうですね……。その内謁見しましょうか」
それまでのお楽しみですと嘯いたリインはまた歩き始める。
その背中を追いかけながら今の反応の意味を考えたが、情報が少なすぎて何も分からなかった。
そうこうする間に外に出る。
道には石が敷かれていた。視線を巡らせるとよく手入れされた芝と何本かの木が目に映る。近所にある小さな公園をちょっと広くした感じ。
「いましたねー」
リインの言う通り、四人はすぐそこにいた。
何か騒いでいる。耳を傾けて声を拾った。
「だぁからぁ! やり方が違うって言ってんでしょうがぁ!」
「いや、僕にはこのやり方の方が……」
「最初に変な癖付けると後で大変になるのよ! リュウも何か言ってやんなさい!」
「七夏の言うことを聞いたほうがいい。……あとが怖いぞ」
苦笑が零れる。
七夏が怒って和人に突っかかり、リュウが治めようとしている。よく見知った光景だった。
その三人から少し離れて霧絵がいた。いつも通りの無表情で三人を見ていた。手に何か握っているらしい。
「パエラちゃーん」
リインが呼びかけた先にはメイドさんがいた。
黒髪で大人びた顔立ち。どこかで見たことがある。すぐに思い出した。七夏がリインにセクハラ魔力検査を受けた時、部屋を整えていた人だ。
「お呼びでしょうか」
「はいー。アスカさんをお連れしましたー」
チラリとメイドさんが俺を見る。ぺこりと頭を下げられたので下げ返す。
感情の一片も感じられない澄まし顔だった。無表情ではあるが霧絵が不愛想なのに対してこの人は真面目腐っていると言う感じ。ビジネスウーマンかな。
「アスカ」
霧絵が駆け寄って来る。
何を持っているのだろうと思ったら石ころを握っていた。なんでそんなものをと思ったが、強く肩を掴まれて聞けなかった。
「……」
「あの、肩痛い」
「……」
「痛いって」
霧絵は何も言わないままひたすらに肩を握り締めてくる。何かの罰だろうか。思い当たる節はないが。
「何よ、あんたいたの」
「今いた」
「元気そうね」
霧絵を間に挟んで七夏と会話する。
その後ろで和人が「やあ」と手を上げて、リュウがほっとした顔をしていた。七夏の怒りが雲散したことに安堵しているのだろう。
「あんた魔力なかったんですって? 残念ね」
触れてほしくないところに触れられた。にやにや笑いながらだから性質が悪い。
「残念ながらなかったよ。お前らは?」
「あんた以外みんなあったわよ。今練習中。見てなさい」
掌を差し出される。そこには小石が置いてあった。
なんだろうと首を傾げるのも束の間、小石が宙に浮く。
「これが魔法よ」
胸を張る七夏はとても生き生きとしている。こういう非日常と出会えて一番嬉しがってるのは間違いなく七夏だ。
「凄いな」
「でしょ?」
「何の魔法?」
「風」
風ね。じゃああの小石は風を吹かせて浮かせているのか。言われてみれば風の音がしている。なるほど。
「お前は?」
和人の方を見ながら訊ねる。
おもむろに立てられた人差し指がバチリと光った。
「見ての通りだよ」
「何だ今の」
「静電気を操る魔法よ」
「いや、電気」
なるほどと頷きリュウを見る。
リュウは渋面を作っていた。
「俺は……固くする魔法だ」
「……下ネタか?」
「違う。物体を固くするんだ」
それだけ?
全然大したことなさそうに聞こえる。
説明を求めて七夏を見ると、どことなく得意げに説明を始めた。
「硬化よ。物体を固く出来るの。自分自身を含めてね。ただ固くするだけじゃないわよ。火に強いし電気も通さないわ。和人の静電気なんか全く効かないんだから」
「いやいや。手加減してたんだよ。本気を出せばリュウを痺れさせるぐらいわけないさ」
「静電気にそんな大それたこと出来るわけないでしょ」
「試してみようか?」
言い合いを始めた二人をリュウが治めようとする。
それを尻目に霧絵に目を向けた。
「お前は?」
「……私は」
相変わらず肩を掴んだままの霧絵はもう一方の手で小石を渡してきた。
触った感じは普通の小石。これがなんだと首を傾げていると、霧絵は指で小石に触れた瞬間、いきなり重くなる。
「おっも……何これ」
「……重力操作?」
「ふーん」
そうかと頷いて小石を返した。
原理はよくわからないが、それぞれ魔法と言うものを習得して練習していたらしい。
大体一週間ぐらいか。楽しく過ごしていたのだろう。
「アスカ」
「ん?」
「何もなかった?」
「特には何も」
霧絵の質問に答えてリインを見る。
リインは俺たちの様子を観察していたようだが、俺の視線を受けるとニコリと笑った。実に胡散臭い笑顔だ。
「あんた今まで何してたのよ。魔法使えないんでしょ? 寝てたの?」
「勉強してた」
「……勉強? なんの?」
「文字」
「……嘘でしょ?」
「何もすることがなくて退屈だったんだ。暇つぶしに本ぐらい読みたいだろ」
「嘘でしょ……」
全く信じてくれない七夏に理由を説明するが、それでも半信半疑らしい。
テスト前になるといつも七夏を先生と呼んで勉強を教えてもらっていた身だ。そりゃあ信じられないだろう。
「どの道文字は覚えておいて損はないだろ。覚える気があるなら教えてやるよ。ちゃんと俺のことを先生と呼ぶんだぞ」
「あんたに教えられると思うと鳥肌が立つわね……」
冗談に冗談を重ねる。少なくとも俺は冗談のつもりだ。七夏は本気かもしれないけど。
心温まる会話を終えて霧絵に向き直る。無表情と目が合った。
「いい加減放してくれない?」
「……」
「……霧絵さん、放してくれませんか?」
肩を握り締めたままじっと見つめてくるものだから、ついついさん付けで懇願してしまう。
それでも肩は握られたままで、視線が逸れることもなく、俺の方が逸らしてしまった。
「アスカ」
「なに?」
「何があったの?」
「特に何もなかったけど」
「何が、あったの?」
言葉に詰まる。
今のやり取りを聞いていた七夏も眉をひそめていた。
とりあえず肩を握り締めていた腕を引き剥がす。
力づくで無理やり引き剥がしたから、霧絵の顔が不快気に歪んでいた。ここが家だったら即座にサンドバックだ。殴られるのは慣れている。布団に包まっていれば痛くはない。抵抗したら余計酷い目に遭うからされるがままだ。
「別に何も――」
「アスカさん、そろそろお時間ですー」
誤魔化そうとしたところでリインが割って入って来た。
思わず安堵する。嘘を重ねる必要がなくなったのは嬉しい。
「それでは他の皆さんは魔法の練習を続けて下さい。アスカさんは連れて行きますね。まだまだ病み上がりですからねー。無理はさせられないんですよー」
手首を掴まれて連れて行かれそうになる。抵抗なんてするつもりもなかったが、もう片方の腕を掴まれれば自然と足は止まる。
「その手はなんでしょうかー、霧絵様?」
「もう隔離は十分。アスカは今日から私たちの部屋に移る」
その言葉に「え!?」と言う顔をしたのが七夏だ。多分二人は同室なのだろう。俺も女の子と同室で寝泊まりするつもりはない。移るなら和人たちの部屋だ。
「そうは言いますけども、まだ十分ではないのですよー。病気には潜伏期間と言うものがあってですねー。お分かりですか?」
「アスカはどこも悪くない。悪いのは頭だけ」
記憶力と言い換えてほしい。そこだけは認めるから。
「我々が大丈夫と判断するまでもう少し待っていただけませんか? ちゃんとお返ししますから」
「今返して」
「困りましたねー」
チラリとリインの視線が向けられる。
なんとかしろと言うアイコンタクトと受け取った。
「まあ、リインの言うことにも一理あるから……」
「アスカは黙ってて」
「いや、そうは言っても」
「黙れって言ってる」
はい。
霧絵の命令に従った俺をリインが「えー……」と言う顔で見ている。
俺と霧絵の上下関係はこんな感じだ。今更どうこう出来るものでもない。どうしようかなと空を見上げた。
「落ち着きなさいよ。話し合いましょ。こいつらにはこいつらの言い分があるわけだし」
「私にも言い分がある」
「そりゃあそうだろうけど」
珍しく七夏が援護をしてくれるが、霧絵に引き下がる気配はない。
どうすべきか。妙案は浮かばず、何となく和人を見た。和人は興味深そうな顔で俺たちのやり取りを見ていたが、俺の視線を受けると苦笑を浮かべて口を挟んできた。
「アスカはいいの? 僕たちと離れ離れだけど。一人で寂しくない?」
「別に寂しくはない」
は?と言う顔の霧絵。
七夏までもが怪訝そうにしている。
「本人がそう言うわけだから、とりあえずアスカは一人でいいんじゃない? 多分良い思いしてるんだよ。リインちゃんは可愛いから」
どういう意味だろう。
一日中部屋に閉じ込められて勉強が良い思い?
攫われかけてぶん殴られるのが良い思い?
断じてそんな思いはしていないと言いたくなったが、それを言うと余計拗れるので黙っておく。
断腸の思いで黙り込む俺に対し、七夏がゴミを見る目を向けてきた。
「ふーん……あんた、こんなのが好みなわけ? 年下好き? ふーん?」
これも否定したら拗れるだろうか。年下好きって言うかロリコンだと思われてそう。それだけは否定したい。今は出来ない。機を見て否定しよう。絶対しよう。
「そういうわけなので、アスカさんはお連れしますねー」
霧絵の力が弱まった隙を突き、リインに連れて行かれる。霧絵は何も言わなかった。
途中からリインと手を繋ぐ形になる。これ以上のロリコン扱いは心外なので振り解こうとしたが振り解けない。なんでこいつこんなに力強いんだろう。
「いやあ、中々。中々」
「何が中々なんだよ」
「収穫がありました。和人様はあれですかね。霧絵様のことが好きなんですかね?」
「知らない。なんで?」
「とっても意地悪そうな顔をしていましたよ」
そんな顔してただろうか。意地悪なことは言っていたけど。
「七夏様とリュウ様は恋人同士と言うお話でしたが、和人様は霧絵様と。収穫ですねー」
「俺たちの人間関係引っ掻き回すなよ」
「もちろんですよー。でも応援しちゃいますよー。頑張れー和人様ー」
どの世界でも女の子は恋バナに興奮するものらしい。
繋がった手から浮き浮きした心境が伝わって来る。
「一緒にお昼ご飯食べましょう」
スキップしそうなほど上機嫌なリイン。……まあ、可愛いは可愛いか。