帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第23話

霧絵が突然やる気を出し始めた。

どことなく無気力な雰囲気を醸し出していた昨日までとは打って変わり、真面目に魔法を練習している。

リュウが硬化させた石を粉々にし、七夏が浮かせた石を重くして地に落とそうとしている。

 

和人はその様子を複雑な心境で見ていた。

何をどう考えても、霧絵をやる気にさせたのはアスカだったから。恋焦がれた女の子は別の男の子のために力を得ようとしていた。それを思うとどうしようもなく心が痛む。

それが嫉妬なのだとわからないはずもない。今まで数えきれないほど感じて来た。和人は霧絵が好きだから。ずっと前から、変わることなく。

 

 

 

 

 

藍乃霧絵と言う女の子と和人の出会いは保育園の頃だった。

第一印象は物静かな女の子で、実際に関わってみれば全然そんなことはない。一風変わっていた。話しかけてもろくに答えてくれず邪険に扱われた。今でこそ普通に受け答えしてくれるが、ここまで至るのにそれなりの努力を重ねたのだ。

 

そんな女の子の隣に最初からいたのだがアスカだった。霧絵とアスカは生まれて間もなく出会っている。両親が友人同士だったためだ。その縁があってアスカは霧絵の家に引き取られることになった。そうじゃなければ孤児院に送られていただろう。他に身寄りがいなかったから。

 

霧絵と言う女の子に対して、アスカはごく普通の子供だった。泣いて笑って駄々をこねて。和人と一緒に公園の遊具で遊んだことがある。喧嘩をしたことだってあった。極々普通の子供だったと和人は記憶している。

 

それが今のようになってしまったのはアスカの両親がいなくなってから。

子供を残していなくなったその親のことを、周囲の大人は様々に噂した。夜逃げだとか蒸発だとか、悪い噂ほど人の口に乗る。自然と子供の耳にも入って来る。だからアスカも変わってしまったのだろうと和人は考える。変わると言ってもその変わり方は一言で異様だったが。

 

小学生の頃、クラスで一番足が速かったのは和人で、二番目がアスカだった。

中学生になり、和人は相変わらず一番だったがアスカはビリになった。ビリと言うか、そもそも走り切れなかった。授業で走るのはたかだか100mだ。それを途中で脱落した。目を覆いたくなるほど、アスカの体力はなくなっていた。

 

体力がなくなっただけならまだよかったが、記憶力も低下していた。細かなことは全く覚えておらず、酷いものになると親しかった友人の顔を忘れていた。

人間、あまりに辛い記憶は忘れ去ってしまうものらしい。和人がそれを知ったのは随分後のことだが、多分それなのだろうと和人は自分を納得させた。それ以外に出来ることなんてなかったから。

 

和人が霧絵を意識し始めたのは中学生になってからだ。

切っ掛けはいじめ。一体どこの誰がどんな思いでそんなことをしているのか、和人自身は全く理解が出来なかったが、中学生になって早々、霧絵がいじめの標的になった。

 

いじめは一週間続いた。

一週間後、霧絵がいじめの主犯を殴り付けて終わらせた。グーで殴ったらしい。加担した人間も皆殴った。一回どころか二回も三回も殴ったと言う。その際骨折した子がいたらしいが、同情する声は少なかった。問題になったと言う話も聞かない。

 

和人はその件について詳しい事情は知らない。クラスが違ったし、サッカー部に入ったばかりで周囲を気にする余裕がなかったからだ。

実はアスカもいじめられていたと言う噂もあったが真偽は確かめていない。正確には確かめようとしたがアスカは覚えておらず、霧絵は何も語らなかった。

 

その一件で霧絵は一目置かれる存在になった。恐れられて遠巻きにされる存在に。

口数は少なく物静かだが、怒ると何をするかわからない存在。当然だが陰口くらいは叩かれる。

そんな霧絵のどこに惹かれたのかと訊ねられれば和人自身首を傾げたくなるが、多分そのギャップにやれられたのだろうと思う。あるいは一目ぼれだったのかもしれない。保育園の頃、初めて出会ったその瞬間から。

 

霧絵と言う女の子を語る際、必ずその一件が語られるが、それでも一部の物好きから密かな人気を集めていた。

もちろん、霧絵以上に人気のある女の子はいたし、中学二年生の頃にやって来た転校生はそれ以上の人気を博した。桜小路七夏と言う女の子だ。

 

私立のお嬢様学校に通っていたと言う七夏は、なぜか何の変哲もない公立中学校にやって来た。

転校当初は以前の学校の制服を着ていたこともあり、その佇まいや醸し出す雰囲気から、住む世界が違うと言う印象を与えた。

 

そうは言っても折角同じクラスになったのだから、多くのクラスメイトが七夏に話しかけ、一部男子も好奇心や下心から近づいて、ことごとく一蹴された。

嫌悪感をむき出しにされて「話しかけないで」と言われたらどんな人間でも話しかけたくなくなる。和人もその一人だった。

 

転校初日からそんな態度を貫いたものだから、七夏は孤立しいじめの標的になる。

一年生の頃に霧絵をいじめた人間はまだ同じ学校に通っていた。懲りずに似たようなことをしていて、七夏に魔の手が伸びた。それを助けたのがアスカらしい。

 

その辺りのことも和人は噂でしか知らない。

和人以下、ほとんどの同級生はいじめを静観していた。口でたまに注意して、積極的にどうこうしようとはしなかった。

一体何があったかはわからないが、一冬超えた後、七夏をいじめていた同級生らは皆口をつぐんで、別人のように大人しくなっていた。その内の何人かとは同じ高校に進んだが、未だに何も話してはくれない。

 

そうしてアスカと七夏は友達になり、違うクラスだったリュウとも親しくなり、七夏とリュウは付き合い出した。

 

二人が付き合っていると聞かされた時、和人は不思議な気持ちになった。なにせ七夏はアスカのことが好きだと思っていたから。

そうでなければあれほど気安げに蹴ったり叩いたりしないと思う。あまつさえアスカの家に遊びに行くなんて。霧絵もいるとは言え、中学生にもなって異性の家に気軽に遊びに行ったりはしないと思う。

 

しかし女心と言うのはよくわからない。事実七夏はリュウと付き合っているのだから、リュウのことが好きなのだろう。

 

和人と七夏はそれほど親しいわけではないが、アスカとの繋がりで七夏から漫画を貸し与えられることがある。それを読んで感想を言う。七夏は特に期待せずに感想を聞いて「そう」と答えるだけだ。いじめを静観していた罪の意識もあって、これ以上は仲良くなれないだろうなと和人は思う。

 

反対に、リュウとはすぐに友達になれた。当時中学二年生にしてすでに180を超える長身だったリュウだが、その長身に似つかわしくない物静かで優しい人物だった。肌の色や顔立ちから明らかに日本以外の血が混じっていて、それが原因でいじめにあっていたと本人から聞いている。

いじめばかりだなと和人はうんざりしながら聞いていた。別にもう気にしていないとリュウ本人は笑って言っていた。

 

思い返すにあっという間に過ぎた中学生時代。

和人がアスカたちと同じ高校に進んだのは偶然に過ぎない。七夏と言う教師の恩恵を受けることが出来たのはアスカが道連れを求めたからだ。

 

どういうわけか、七夏はアスカをよりレベルの高い学校に進ませることに執着していた。部活をしていなかったアスカと霧絵は、部活に参加していた生徒と比べてどうしても内申点が低くなる。だから猛勉強しかなかった。

 

毎日のように七夏はアスカの家に出向き勉強を教えた。

同じ家に住んでいた霧絵は巻き込まれ、リュウは自ら参加し、新しい贄を求めたアスカによって白羽の矢が立ったのが和人だった。

 

おかげで霧絵と同じ高校に進むことが出来た。そうでなければ今頃疎遠になっていただろう。登下校を一緒に出来るのもそのおかげだ。

 

霧絵のことが好きだ。重ね重ね、和人はそう思う。

霧絵のことを思うとどうしても鼓動が速くなる。もっと言うならその肌に触れたいし抱きしめたい。男の子だ。欲望はある。

 

思いを胸に潜めている内に高校二年生になっていた。

機会をうかがっていたと言えば聞こえはいいが、実際は半ば諦めていただけだ。

この数年、霧絵の側には常にアスカがいた。自然体でそこにいるのが当たり前。密かに夫婦と揶揄されている。重要なのは、離れようとしないのは霧絵の方だと言うこと。

 

霧絵がアスカに対してどういう気持ちを抱いているのかは分からない。恋心かもしれない。あるいはただの保護欲かもしれない。

保護欲だったらいいなと思う。もしそうだったら自分にもチャンスがある。

 

霧絵はそれなりに人気がある。

高校生になり、中学生の頃の暴行事件を知る人間は少なくなった。見た目だけなら可愛いのだ。黙っていれば美人で、関わらなければ本性を知ることもない。当然噂は流れているが、それを真に受ける人間は少なかった。

 

霧絵が何度か告白されたのを知っている。その全てを断ったのを知っている。理由は興味がないから。

暴力的なところも、素っ気ないところも、そしてたまに見せる女の子らしい一面も、和人はそのすべてに惹かれていた。

恋は盲目だろうか。それでもいい。好きなのだ。

 

もう我慢できない。

じきに大学生になる。きっと進路は別々だ。自然消滅なんてそんなのは嫌だった。忘れる前に決着をつけることを和人は選んだ。

 

和人は覚悟を決め、なのに恋敵のアスカは未だに踏ん切りがついていない。好きじゃないなんてそんなことがあるものか。あれほど仲がいいのに。羨ましいぐらい距離が近いのに。妬ましいほど一緒に居るくせに。

 

修学旅行で勝負をつけようと思っていた。

最終日までに告白しようとしていた。

それなのに、全ての予定が狂って、何の因果か今や異世界にいる。

 

意味が分からないし、現実味がなさすぎる。

それでも目の前には異世界が広がっていて、その現実を飲み込むのに一杯一杯で、誰も何も出来ないでいる内にアスカが隔離されてしまった。

霧絵とは離れ離れになっている。ここ数年ではじめてのことだろう。霧絵は焦っているように見えた。何としてもアスカを取り戻すつもりだ。そのために努力をしている。

 

和人は指先に魔力を集め、バチリと放電を起こした。マジックである。冗談でも何でもなく、魔法と言うものだ。

電気なのだから当然威力がある。どれぐらいかは分からないが。

最低でもスタンガンぐらいはあるだろうか。まさか人に試すわけにはいかず、和人だけが未だに自分の本気を把握できないでいた。

 

和人は一人座って他の三人を見つめる。

三人とも魔法の練習に精を出している。七夏と霧絵が石に魔法をかけて競いつつ、リュウはより強い硬化をかけようと必死だった。先ほど、本気で硬化した石が霧絵の手により、物の数秒で粉微塵にされたのがよほどショックだったらしい。

 

何となく三人のことを眺めていた和人は、遠くから聞こえてきた足音に振り向いた。アスカだろうかと心のどこかで期待して、残念ながらその姿を発見することは出来なかった。

 

「何をしているんですか?」

 

「リインちゃん」

 

やって来たのは水色の髪の女の子。リインと言う名前の少女だ。

自分たちよりいくらか年下のその女の子は、いつもの白い服装で、いつも通り気だるげに訊ねてくる。

和人は何と答えようとか少し迷ったが、隠すようなことは何もしていないと思い至って正直に答えた。

 

「別に。見ていただけだよ」

 

「物思いに耽っていたようでしたが」

 

「……そりゃあ考えるよ。僕も人間だからね」

 

図星を突かれて少々言い方がきつくなった。

リインは悪びれることも気にした様子もなく、淡々と「そうですね」と答える。

 

「魔法にはもう飽きましたか」

 

「そういうわけじゃないけど」

 

「なら考えるよりも練習している方が楽ですよ。考えても解決しませんから」

 

どの口が言っているのだろう。リインこそが自分たちをここに連れてきた元凶である。

和人は怒りを覚えたが、それは心の内に収める。それこそ怒った所で何も解決しない。

 

「僕の魔法は危ないから試し打ちも躊躇するんだ。間違って人を傷つけたら大変だから」

 

「なるほど。じゃあ何か用意しますかね」

 

すれ違い、三人の元に歩いて行くリイン。その背中に問いかける。

 

「アスカの様子はどう?」

 

「お元気ですよ。今も嫌々勉強に励んでいらっしゃるでしょう」

 

「それならよかった。もっと顔を見せろって伝えておいてくれる?」

 

「考えておきます」

 

素っ気ない言い方だった。今のところ、アスカを解放するつもりはないらしい。相変わらずその目的はわからない。

 

リインは考えても意味がないなどと言ったが、和人に考えることをやめるつもりはない。

 

リインは信用できない。それは四人の総意であり、もっと言えば、この国の人間は味方じゃないと考えていた。

誰一人として信用できる人のいないこの現状。何も考えず、言われるがまま、されるがままでは不安が残る。

 

この四人の中で一番頭が良いのは七夏だが、少しばかり直情的なきらいがある。異世界に来てからは情緒不安定でもあって、頼りにはなるが任せてはおけない。

リュウはあまり積極的ではないため、誰かを導くと言うことは出来そうもない。霧絵はアスカのことしか考えていないようだ。

だから自分が考えるしかない。頭が良いとはお世辞にも思っていないが、他に出来る人がいないのなら自分がやるしかない。みんなのためにと頭を働かせ、今後のことを考える。

 

――――みんなのために。

 

視線の先、リインに対してアスカの解放を訴える霧絵を見て、心に痛みを感じつつ、和人はその言葉を繰り返した。

本当にそうなのかと僅かな疑問を胸に抱きながら。

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