帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第5話

翌日、和人は普段より幾分元気がないように見えた。

登校時から昼休みまで、何か考えている様に無口だった。

悩んでいるように見える。普段騒がしい奴が急に静かになったら何故だか不安になる的な気持ち悪さを感じた。

 

そんな和人の様子を心配してか、はたまた苛立ったのか。七夏がずんずんと突撃して行った。

クラス中が二人の様子を見守っている間、俺は妙な居心地の悪さを感じて、二~三言何か話をした七夏はなぜかまっすぐ俺の方に向かってきた。

なんか怖いから来ないでと心の中で祈ったが、それが叶うことはなかった。

 

「あんた何したの?」

 

どんな会話をしたのか分からないが、名探偵みたいな迷いない眼差しと口調を向けられて酷く狼狽えてしまう。

特に思い当たる節もないと言うのに。

 

「なぜ俺だと……」

 

「私に分からないことはないわ」

 

こいつには隠し事も出来ないのだろうか。

白を切ろうと切るまいと、何か言うまでしつこく追及されるのは知っているから、素直に知ってること全部白状することにした。

 

「なんか昨日の夜言いたいことがあるって呼び出されたんだけど」

 

「だけど?」

 

「肝心なところが聞こえなかった」

 

「はあ?」

 

馬鹿を見る目で見てくる。

そんな目で見られても、俺は一切悪くない。

それを説明するだけの自己弁護は可能だった。

 

「それで?」

 

「そのまま、よくわからないまま家に帰った」

 

「そんなのもう一回聞けばいいだけじゃない」

 

「丁度いいタイミングで霧絵が来てさ。なんかやっぱりいいって和人が」

 

七夏は大きな溜息を吐いた。

頭を抱えて悩んでいるように見える。

「全員そろってタイミングが悪い」とか何とか言っている。

一番タイミングが悪かったのはトラックだが。

しかし考えて見れば和人も中々タイミングが悪かった。車来てるのは知ってたんだし、ちょこっとずらせばよかったものを。

 

「お前はなんか知ってんの?」

 

「は?」

 

訳知り顔の七夏に尋ねてみれば、馬鹿を見る目は人殺しのそれに変わった。

一つ聞いただけでこんな目で見られなければいけない理由とは一体。

 

「鈍感……朴念仁……難聴……。違うわね。何なのかしらこいつ」

 

「……」

 

ぶつぶつと呟く言葉は聞かなかったことにしよう。

そこを突っついても、当然のように「なんか間違ってるの?」とか返ってくるに決まってる。

そう言う自覚はないが、いざ面と向かって言われると結構傷つく。

聞かないのが心の安寧を保つのに一番のはずだ。

 

君子危うきに近寄らず。災害が過ぎ去るのを待つ小動物みたいに縮こまった。

七夏は悩みに悩んだ挙句、面倒くさいものすべてを吹っ切るように顔を上げた。

 

「私語彙ないから上手く言えないけど、あんたはとにかく馬鹿だわ」

 

「わー」

 

馬鹿ってこんなにはっきり言われると、直前の罵倒を聞かなかった意味はあまりなかったかもしれない。

七夏は視線を彷徨わせた後に真剣な表情になった。

直前の馬鹿を見る目とか殺意はなりを潜めた。視線が右のほうにずれているのは聞き辛いことを言う時の癖だ。

 

「あんた、霧絵のこと好きなの?」

 

「そりゃあ当然」

 

何を聞いてくるのか構えていた分、ほとんど即答で答えられた。

質問の意図が分からず、当たり前のことを聞くなと不思議に思ったぐらいだ。

 

「うっ、やけにはっきりと――――あ、いやもしかして……?」

 

七夏は一度狼狽えて言葉に詰まったが、次の瞬間にはどこか納得したような様子で質問を続けた。

 

「リュウは好き?」

 

「うん」

 

「和人は?」

 

「もちろん」

 

「……私は?」

 

「好きだよ」

 

七夏は顔を赤くする。

その顔を見て、そう言う意味にも聞こえないでもなかったなと気がついた。

 

「人として好ましく思ってるって意味だぞ」

 

「……捕捉しなくても分かってるっつーの」

 

手を内輪代わりにして顔を仰ぐ七夏。顔は依然赤いままだ。

好きって一言いうだけでそんなに動揺されると、リュウに喧嘩売られるんじゃないかとびくびくしてしまう。

横目でリュウの席を盗み見ると、案の定能面のような無表情がじっとこちらを見ていた。

今の話が聞こえていたら、俺は今日死ぬかもしれない。

 

「今の質問をそんな風に考えてる内は、あんた和人と同じ土俵には上がれないわ。原因とか教えても無駄でしょうね」

 

「じゃあ俺は力になれないな」

 

うーむ。残念だ。

言いながら腕を組んで残念がる俺を七夏は白々しそうに見ている。

少し棒読みだったのは否めない。

 

「そんな態度で居ると、ちょっと面倒なことになるわよ」

 

「どんな感じで?」

 

「……仲が悪くなるとか?」

 

「最終的に仲直りすれば問題ないわけだ」

 

七夏は眼を眇めた。

怒っているのかもしれない。

俺は肩をすくめる。

 

「結局相談に乗るも乗らないも和人次第だろ? 俺関係ないみたいだし」

 

「わざと言ってる? ねえ、わざとよねそれ?」

 

七夏はもう一度首を振ったあと、これ見よがしに溜息を吐いた。

 

「私、馬に蹴られて死にたくないの」

 

「俺もそうだよ」

 

「あんたは蹴る方よ」

 

俺がいつ馬になった。

 

「和人が悩んでるなら力になってやりたいけど、俺が無理ならお前かリュウが力になってやればいいじゃないか」

 

「なんで私が……て言うかあんたはそれでいいの?」

 

「なんかもう意味わからなくて面倒くさいんだよな」

 

救いようがないとでも言いたげに首を振って、七夏は自分の席に返っていく。

一人ぽつんと机の天板を見つめる俺の背中には依然変わらず強い視線を感じる。

リュウにも説明は必要だろう。説明しないと。怖い。

身の危険……いや、命の危険が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなわけなんで、ちょっとまずその顔を止めてくれ」

 

「……」

 

それからすぐ、無言で俺の側に立ち何かを訴えかけてくるリュウを連れ立ってトイレに向かう。

教室の近くのトイレはいつも混んでいるので、遠くにあるひと気のないトイレまでやってきた。

人に聞かれたくない話をする時に最適な場所なのだが、たまに個室に誰か入っている時があったりする。

学校で大きな方を足すのは恥ずかしいと言う風潮は小学生の頃からずっとある。

臭いものには蓋をしろと地で行くのは子供だから仕方がないのかもしれないが、高校生になってまでも続いているのは甚だ疑問だ。

 

とは言え、便意をコントロール出来たら人間止めてる。誰しも隠れてすることはしているのだ。

運のいいことに、今日は誰も使っていないようだった。

 

「……」

 

無言の無表情で着いてきたリュウは、俺の話を聞いてなお無言だった。

この沈黙が肌に刺すように痛いのは単なる気のせいだが、そう思うぐらいに居心地の悪い空気が漂っている。

ここがトイレだからと言うばかりではないだろう。

 

「……話はわかった。だが俺は協力しない」

 

長い沈黙の果てにようやく開かれた口からは拒否の意思表示が飛び出た。

 

「あ、そう」

 

「俺も馬に蹴られるのは嫌だ」

 

「俺は蹴らないぞ」

 

「お前は馬なのか?」

 

馬じゃないと思うが、七夏にしてみれば俺は馬のようだ。

俺のどこが馬なんだろう。……馬面ってことなのかな?

 

「まあ和人が自分から言ってこないことには話は進まないからな」

 

どんな悩みなのかもよく分からない。

内容の分からないことに頭を悩ませても仕方のないことだ。

昨日の様子だとすぐに言いに来るだろう。

 

その予想は、しかしリュウは否定する。

 

「真剣な悩み事であるほど、人に打ち明けるのは決心がいる。一度機会を逃したのなら、しばらくは言ってこないはずだ」

 

「……そんなのわかってるなら、お前もとっとと言ってやれよ」

 

誰しもが易々人に話せない秘密を持っているだろう。

そして、それを話さなければならないと義務感に駆られる人間も少なからずいるはずだ。

実のところリュウもその内の一人で、時々腹をくくって決意表明をしては、そのたびに機を逃している。

それにやきもきしつつ、自分が口を出すことではないと見守っているが、何度も同じことを繰り返されてしまうと、いい加減にしろとその真面目腐った顔に一発叩き込んでやりたくなる。

 

「ま、言わないなら言わないで別にいいさ」

 

「いいのか?」

 

「いいとも。そこまで詮索する資格はないよ」

 

「……ないだろうか」

 

「ないね。たぶん」

 

はっきりと言ったわりに文末につく不確定な単語。

中途半端だ。これで信じろと言う方が無理だろう。まあ、俺の気持ちがそれだけブレブレだということだ。

 

「ふう」とリュウは溜息を吐いた。珍しく疲れているようだ。

どうしたと聞こうとして、外からがやがやと話し声が聞えてくる。

学校でひと気のない場所を探すのは至難の業だ。こんな辺鄙な場所にまで生徒はやってくるのだ。

目的は定かじゃないが、まっすぐここに来られたら少し面倒かもしれない。

もしこれが知り合いなら、いらない詮索をされかねない。詮索されるのは嫌だ。

 

「戻るか」

 

「ああ。……いや先に戻っててくれ」

 

リュウは小便器に向かった。ついでに出すものを出すつもりの様子。

俺は別に催してないので、背中越しに手を振って一人でトイレを出た。

 

時計を見ると昼休みが終わるまでおよそ十分と言う所だ。

時間があるなら図書室に寄ろうかと思ったが、その余裕はなさそうだ。

 

出てすぐのところで先ほどの話し声の元と思われる集団とすれ違った。

チラと見た感じ見覚えがあった。自分と同じ二年生かと思われる。名前までは知らない。

 

次の授業はなんだったか。

考えても思い出せない。特別な物ではなかったと思うが。

何にしてももう午後だ。あともうひと踏ん張りで放課後になる。

その後は和人と一度話すのもありかもしれないなとぼんやり思った。

 

資格だとかなんだとか、色々言い訳を連ねてはみたが、それが聞かないという選択肢を封じることにはならない。

一度聞いてみて、それで待ってくれと言うならその時は仕方がない。

あっちが話すのを待つしかないし、結局待ちぼうけになるならそれはそれでいい。

どっちでもいい。俺にとっては些細なことだ。

 

ふと思う。

和人が話す権利を行使したように、結局俺は聞く権利を行使することにしたらしい。

面倒くさいから知らんぷりする事だって出来るのに、まるでそれ以外の選択肢はありえないのだと言わんばかりに。

 

理由を考える。なぜだかそれはとても重要な気がした。

考えても考えても答えは浮かばない。

 

廊下の先から騒がしい話し声が聞こえてくる。

廊下には人がひしめいているだろう。

頭の片隅に想像する。それが少しだけ憂鬱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もはや聞きなれた終礼の鐘が鳴る。

とたん授業中の清閑さはウソのように丸っと引っくり返って、教室内はいつもの喧騒を取り戻した。

 

黒板に集中していた意識を周囲に向けながら、ノートを閉じて教科書をしまう。

早くもばらばらと人が消えていく教室を見わたして、和人の姿を追った。

丁度扉の向こうに消える後ろ姿。部員らしき同級生と教室を出ていくところだった。出遅れた。

 

どうするか迷う。

追いかけて話があると告げ、「さあ昨日の話を今ここでしろ」と催促するのも簡単だ。

しかしそうすると何故だか嫌な予感がするのだ。具体的に言うと、サッカー部のお調子者集団がそんな面白そうなことを見逃してくれるだろうか。くれないだろう。たぶん。

和人自身、学校では話しにくいと言っていた。つまり、それだけ人に聞かれたくないのだろう。

だとすると、部活に行ってしまった以上二人だけの時間が果たして作れるかどうか……。

 

散々四の五の迷った末に、もう面倒くせえやと諦める。

よくよく考えてみれば和人のためにそこまでしてやる義理もない。

言ってこないなら知らねえよと半分不貞腐れて鞄を掴んだ。

 

この後の予定を考える。

今日はバイトはない。まっすぐ家に帰るか、それとも少し散歩でもしようか。部活は……どうしようか……。

 

考えながら足を進める。

特に決めたわけではないが、足は真っ直ぐ玄関口に向かっていた。

なるほど。身体は帰りたがっている。

 

そう言えば、リュウは部活があるとして、七夏と霧絵はどうするのだろうか。

二人とも部活に顔を出すつもりなのかな。教室では呼び止められなかったけど。

 

下駄箱で靴を履き替える。しっかり靴ひもを結びなおした。

履き慣れた靴は今日も俺の足にフィットして、小石やら何やらから守ってくれる。頼れるやつだ。

 

さて、帰る準備は出来た。あとは帰るか帰らないか。

逡巡は一瞬にも満たない。心はとっくに決まっている。帰ろう。ここまで来て帰らないもクソもない。

 

下校する生徒の群れに混ざろうと踵を返した。

背中に嫌な声が聞こえたのはそんな時だった。

 

「こーんにーちはー」

 

「……」

 

聞き覚えのある声で、なんなら少し懐かしさすら覚えるほどご無沙汰だった。

思い浮かぶのはちんちくりんにボサボサ眼鏡。だが最近はコンタクトに変えたらしい。

 

「こーんにーちはー」

 

無視するのは……できないな。

 

「……こんにちは」

 

「はい。こんにちはですね先輩」

 

部活の後輩部員は、手をメガホンのようにして玄関マットの上に立っている。

高低差があってなお俺の方が目線は高い。そこのところに小動物みたいな愛くるしさがある。

 

「何か用か後輩」

 

「サボりたがりの様子を見て来いと桜小路先輩に仰せつかりまして」

 

「七夏は……あいつは人のこと言えないだろ」

 

「だからこそ、先輩のサボりは許せないみたいですよ」

 

「同族嫌悪ですかねえ」と辺りをきょろきょろ見回した。

周りには下校する生徒しかいない。何を探しているんだとその視線を追う。

後輩ははてなと首を傾げて、

 

「誰かに用事があるって聞いてたんですけど、終わったんですか?」

 

「誰がそんなこと言った?」

 

「桜小路先輩」

 

どうやら、俺が和人に話を切り出そうとしているのを察していたらしい。

あいつは本当になんでもお見通しのようだ。雰囲気でそれを察しているのなら……怖い。

 

「それは後回しにした。だるいし」

 

「ダメ人間の発想ですね」

 

「俺に不利益ないから」

 

「クズの発想です」

 

まさしく。後輩の言葉に頷いて、「じゃあ」と踵を返す。

流れに乗ってこのまま帰れると思ったのだが、意外なことに後輩は上履きのまま追いかけてきて、袖を掴んできた。

 

「部活はどうしたんですか?」

 

「さぼり」

 

「今日は藍乃先輩までいるんですよ。恥ずかしくないんですか」

 

「クズなもんで」

 

「ド・クズ」

 

「棘がないな。痛くもかゆくもない」

 

「さすがに、上級生を蹴る訳にもいかんでしょう?」

 

「あれは反面教師にするのが一番だ。くれぐれも真似しないように」

 

「なるほど。じゃあ蹴りますね」

 

「スカートが捲れるぞ」

 

「不思議なことに桜小路先輩のパンツは見えませんよね。どうしてるんでしょうか」

 

「足に集中し過ぎてパンツなんて考えたこともないな」

 

「足フェチですか……。私の足でも満足できます?」

 

「あいつの脚線美が見事なことを否定しないし、比べればお粗末だってことも誤魔化しはしないけど、感じるのは性的欲求じゃなくて生存欲求だな」

 

「孕ませたいんですか?」

 

「生きたいんです」

 

ちょっと疲れる会話を終えて、後輩は袖を握ったまま校内に戻り始めた。

俺はされるがまま上履きに履き替える。厭らしい視線が突き刺さる。

 

「まあ、先輩が私の言うことに絶対服従だってことは知ってますが、そこまで素直だともっと色々したくなりますよね。足舐めます?」

 

「飴玉ぐらい持ってないのか。七夏は持ってるぞ。あいつだって女の子だから」

 

「人の女子力が低いみたいに……。そうだ、飴玉は持ってませんが、マメ玉は持ってますよ」

 

「なにそれ、弁当の残り?」

 

「弁当は完食しました。いや、売れ残りであることを否定はしませんが」

 

「お前の所の豆パンは数のわりに好評じゃなかったか。早々売れるけど、あれば欲しいって言う人結構いるぞ」

 

「先輩、そんなに褒められると照れます」

 

「お前のことじゃなくて豆パンは好評だろって話だが」

 

「一度も売れたことがないのに好評だなんて、それじゃあ私ふしだらじゃないですか」

 

「お前の潔白さは知らないけど、でも豆パンは好評だっただろ。美味いらしいぞ。俺は食ったことないけど」

 

「……先輩も食べたいですか?」

 

「機会があれば食べてみたい」

 

「そうですか。機会……いえ、あー……。少しマメから離れましょうかね」

 

「なんで?」

 

「恥ずかしくなってきましたし、私これでいいのかなって自己嫌悪が酷いんです」

 

「ああ……。まあ、赤点取っちゃったのはもういっそ仕方ないだろ。切り替えてけよ」

 

「どうして赤点のこと知ってるんですか?」

 

「店長がぼやいてた」

 

「なるほど。母に電話するので、ちょっとここで一時停止してもらって……あ、ちょっと先輩動かないで!」

 

「久しぶりの部活は楽しみだなあ」

 

「普段来ないくせに!」

 

言うことはもっともなのだが、しかし結構本気で楽しみなのだ。

わざわざ行きたくはないが、行く理由が出来た途端これだから、我ながら天邪鬼だと思う。

折角行くのだから、どうせなら楽しもうと言う気持ちかもしれない。

 

どっちにせよ、楽しみなことに変わりはない。

精々楽しもう。目いっぱい。自分の絵の下手さに自嘲しながら。

 

 

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