帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第6話

――――いよいよこの日がやってきた。

 

朝早く、欠伸をかみ殺しながら重たい荷物を転がして空港へ向かい、具合が悪くなるほどの運動エネルギーを食らって、やけにテンションの高いクラスメイトたちの馬鹿騒ぎを聞き流しながらバスに乗った。

 

今日と言う日を心から楽しみにしていた同級生たち。

溜めに溜めたエネルギーを全て発散させてやると言わんばかりに、テンションはメーターを振り切れている。

 

そう、今日は――――修学旅行である。

 

斯く言う俺は、そんな空気とは不釣り合いなことにあまり楽しめていない。

準備をしている間は非日常を体験しているようでなかなか楽しかった。

しかしいざ当日になると、あくまで日常の延長であることを実感し、想像との差異にがっかりする。加えて飛行機がきつかった。

 

カラオケだーしりとりだー伝言ゲームだーと騒々しいバスの中。

俺の出来ることと言ったら、この空気を壊してしまわないよう和から離れることしかない。

いそいそと目を閉じて寝ることにした。

この行動の時点で空気読めてないと言われるだろうが、壊すよりはましだろう。

構わず寝た。自分でもビックリするぐらいぐっすりとストンと眠りに落ちて行った。

 

――――夢を見た気がする。揺すられて目を覚ました時には、その内容は忘れてしまっていた。

窓の外を見ると、バスは大きな駐車場に停車していた。

 

「ここはどこ……」

 

「奈良公園」

 

寝ぼけ混じりの独り言に霧絵が文庫本を振り上げながら答えてくれた。

「ほう」と周囲を見回していたら振り下ろされた。

 

小気味いい音が鳴る。

「あだっ」と半ば条件反射で声を上げた。

あんまり痛くはなかったが、それでも寝起きに殴られる覚えはない。

無言の抗議で霧絵を睨みつける。

俺の抗議はしれっと受け流され、じっと無表情に見つめ返された。

その無表情が睨まれるより辛かった。

 

「目は覚めた?」

 

「めっちゃ覚めた。ありがとう。あとごめん」

 

目を覚まさせる方法なら他にいくらでもあるだろうに、なぜとどめを刺す感じで本を振り上げたのか。謎だ。

 

目が怖いから謎は謎のまま置いとくとして、手荷物を持ってバスから降りる。

欠伸を漏らして涙に滲んだ目を擦る。

駐車場のど真ん中でそんなことをしていた。前方不注意にもほどがある。

気が付いたときには目の前に鹿がいた。

驚いて一歩二歩後ずさる俺を余所に、観光客の女の子たちがきゃーきゃー言って恐る恐る鹿に触っている。

 

バスから少し離れた所にクラスが集まっていて、「忘れ物はないかー」と先生が呼びかけていた。

一部から「ありまっせーん!」と上機嫌な返事がする。釣られて聞える笑い声。元気がいい。

 

集団の最後尾に並ぶ。

奈良公園では班行動と言うわけではなく、クラス全体で動くそうだが何となく班員の姿を探した。

リュウはすぐに見つかる。でかいから。

その隣に七夏も居た。

 

和人はどこか。

これもまた見つける方法があって、頭を見ればすぐわかる。

思った通り、サッカー部の友達と一緒に居た。

教室でもどこでもいつもガヤガヤうるさいそのグループにしては珍しいことに、ひそひそと小声で何事か話し合っている。修学旅行なのに。修学旅行だからこそもっと騒げばいいのに。

 

まああいつはいいやとリュウたちと合流する。

俺が何か言う前に、開口一番「おはよう」とリュウが言った。

もう午後だ。珍しく嫌味ったらしいのは「修学旅行なのに寝るとは何だお前は」と思っているのかもしれない。

 

「あんた本当に寝るの好きね」

 

同調して呆れた感じの七夏。

誰に言われてもいいが、こいつに言われるのだけは釈然としない。

 

「お前が甘いの好きなのと一緒だよ」

 

「私別に甘いもの好きじゃないもの」

 

それは嘘だって俺でも分かる。

あまりに明瞭だから喧嘩を売られている気がした。ならばと攻め方を変えてみる。

 

「お前が日曜日にプリキュア見るのと同じだよ」

 

「あら、初めて聞く名前のアニメね。面白いの?」

 

じゃあ俺ももう見なくていいんだろうか。

疑問に思って、聞こえた声に掻き消される。

 

「霧絵!」

 

和人が部活仲間から離れてこっちへ来た。

妙に緊張したカズトの表情と後ろでニヤニヤしている部員たち。和人はともかく、部員からは変な空気を感じる。この雰囲気は物見遊山のそれだ。

リュウも同じ空気を感じ取ったらしく、鋭い眼で和人とその背後の動向を観察している。森の賢者に睨まれた哀れな狩人たちは揃って視線を背けた。

 

「僕と一緒に行かないか?」

 

「は?」

 

突拍子がないわけではなかったが、いきなり言われた霧絵はぽかんとした。

 

「どこへ?」

 

問い返されれば「鹿にせんべい食べさせに、かな」と和人の返答は少し要領を得ない。

もう少し上手に言えないものだろうか。案の定、霧絵は眉を顰めたかと思うと

 

「鹿は嫌い」

 

それだけ言って和人から視線を外した。

 

「そ、そう……」

 

すごすご和人は一団に戻っていく。

和人が和に戻った瞬間、ぎゃははと笑い声が響いた。

 

労をねぎらうように和人の肩を叩き、あるいは面白がってか自分の両手を叩いて、大仰に騒ぎ始めた。

いつものことながらあの空気には馴染めそうにない。

 

和人には、トラックお話事件から一向に何も聞かされていなかった。

あれから一か月ぐらい、何のアクションもなかった。

さすがに痺れを切らした俺は、つい先日に教室のど真ん中で突撃し人目も憚らず強要した。

その結果、「絶対言うから! 今は止めてくれ!」と言質を頂戴することになったが、そのおかげかどうか、最近はああいう空気が和人の周りでうねりを巻いている。

 

いつ言うのか。それは分からないが、ひょっとしてこの修学旅行中に言うんじゃないかと思っている。

この一連の行動も、それに向けた行動ではないかと密かに思っていた。

 

ただ、しかし腑に落ちない。

 

「霧絵と一緒に居たいなら、普通に隣に居ればいいんじゃないのか?」

 

「……」

 

「……」

 

リュウも七夏も何も答えてくれなかった。

「そうじゃねえんだよ」と何となく刺々しい雰囲気を感じ取る。

俺が寝ている間に何かあったのかもしれない。さっき叩かれたこととかその辺に原因が?

その謎は追撃の危険と一緒にバスの中に置いてきたので、これ以上詮索するのは止める。

 

当事者の霧絵はと言うと太陽に手をかざして憎々し気に空を睨んでいる。

いくら太陽を睨んだところであいつは消えてはくれない。

しかし気持ちはわかる。こっちも暑いな。

 

「……かき氷、売ってないかな」

 

霧絵がぼそっと呟く。

へえ、かき氷。かき氷が好きだと言う印象はなかったが、珍しい。

それに反応したのは俺だけではなく、甘い物好きの七夏も当然のように反応した。

 

「なによ。かき氷食べたいの? いいわね」

 

「来る途中に見つけたから」

 

そんなのあったんだ。

聞くとリュウは分からないと肩をすくめた。

 

「奈良公園にかき氷売ってるかしら……」

 

うーんと唸りながらパンフレットを捲るのを、なにげに期待に胸を躍らせて待つ。

しかし残念なことに見つからなかったらしい。

 

「見つけたら買いましょう」

 

そう結論を下したところで、リュウが警鐘を鳴らした。

 

「……おい、急がないと」

 

「え?」

 

周りをみる。観光客がいっぱいだ。鹿もいっぱいだ。

しかし先ほどまであれほど騒いでいた同級生たちの姿は何処にもなかった。

何処に行ってしまったのだろう? 

 

人を隠すなら人の中とはよく言ったもので、すぐには見つからなかった。目を凝らす。凝らしに凝らす。遠くに同じ制服っぽい一団が見えた。

「あれか?」と指をさす。リュウは頷き七夏が叫んだ。

 

「なんでもっと早く言わないのよ!」

 

「……すまない」

 

慌てて走り出す俺たち。

しかし例に漏れず、すぐに俺の体力が底を尽く。

寝て一杯蓄えたはずなのにおかしいな。

 

「あんたって本当……本当……役立たず!」

 

それだけ言うのが精いっぱいだったらしい。

悔し気に地団駄を踏んでいる。

 

「先行ってもいいんだぞ」

 

「うるっさい方向音痴!」

 

俺がいつ方向音痴になったというか。よしんば音痴だとしてもこの一本道はさすがに迷わないだろ。

 

「はあ……。もういいわ。最悪携帯あるし。歩いて行きましょう」

 

「お、さすが近代的だな」

 

素直に感心して言ったのに「あんた本当にいい加減にしないとそこの漬物石で頭かち割ってぶっ殺すわよ」と殺意を向けられた。

 

発言も怖いが発想も普通じゃない。

殴殺の一歩先を行く殺し方に、七夏が内心どれだけ激怒していて、今までどれだけイメージトレーニングを重ねたのかわかる。将来が心配だ。

 

「ほら、歩くと言っても急ぐ。急ぎ足!」

 

競歩やってる感じでシュバシュバ歩く七夏。

さすがにこうやって足を使わせたら右に出る者はいない。いつも蹴られる俺が太鼓判を押すのだから間違いない。たぶんこいつ全国行ける。

 

七夏の歩き方は一見軍隊みたいに俊敏な物で、それに追随しようとしたら自然俺たちは小走りになった。

 

「……なんか足攣りそう」

 

「攣ったらとどめさすから」

 

怖いんだけど本当に。

幸いなことに足は攣らないまま、坂道でトロトロ歩いていた同級生たちに追いついた。

誰も俺たちのことなんて気にしていない。

みんな初めて見る景色や鹿に夢中になっている。俺は動物園みたいな匂いに閉口した。

 

「鹿せんべい売ってるぞー」

 

先頭の方から声がした。

首を伸ばすと150円でせんべいが売っている。

前情報によればそこら中で売っているらしく、何なら無人売り場まであるそうだが、今回は人の良さそうなおばちゃんが殺到した生徒たちに売りさばいでいた。

……150円かあ。

 

「鹿のために150円使うなら自分のためにお茶買いたいよな」

 

「そうよね」

 

この発言は怒られるかもと思ったが、七夏は同意し霧絵は実際150円でお茶を買っていた。

鹿せんべいなんかには見向きもしない。

 

「……お前らには情緒はないのか?」

 

唯一リュウだけが鹿せんべいを購入しながらぼやく。

その言い方は人の心がないと言ってるようで傷つく。

 

「旅情ってやつか?」

 

「そんな言葉があるのか知らないが……まあそうだ」

 

手近な所に差し出去れたせんべいは、鹿がにゅるんと絡めとりぼりぼりと平らげてしまった。

愛嬌のある顔でお代わりを求めて距離を詰めてくる。

 

「へえ……」

 

それを見ていた七夏が興味ありげに声を出し、物欲しげにリュウの持っているせんべいを見る。

 

「……いるか?」

 

「いいの?」

 

嬉しそうな顔で一枚受け取る。

リュウの周りに集まっていた鹿の一部がせんべいに釣られて七夏にターゲットを変えた。

よこせよこせと七夏にまとわりついている。

 

「ちょ、まっ」

 

あっという間に七夏のせんべいは奪い取られた。

せんべいをなくした七夏に興味などないと鹿たちは三々五々散っていく。

 

呆然とする七夏。

霧絵が「お茶飲む?」とペットボトルを差し出した。

 

「……ありがと」

 

ぶすっとした顔でふて飲みしている。

リュウが苦笑しながら、「ほら」ともう一枚手渡した。

一転その顔はパアッと輝く。

 

「ほら、こっち来なさい!」

 

せんべいに釣られた鹿を引き連れてご満悦な様子。

与えるふりをして引っ込めて、また与えるふりをする。

子供っぽい真似してるけど、それ鹿ぶちギレたりしないか?

 

「霧絵、お前もどうだ」

 

「いらない」

 

「いいのか?」

 

「鹿は嫌い」

 

それ本気だったのか。

うさぎのぬいぐるみ持ってるくせに鹿は嫌いと。

同じ動物であるのにその差は一体。

 

消去法なのか知らないが、リュウは一応と言う感じで俺にせんべいを差し出す。

よく見るとパンケーキみたいな色をしている。これを見ると少し腹が減ってきた。

 

「これ食えんの?」

 

「……」

 

答えることはなく、ぽいっといっぺんにせんべいをばらまいてしまった。

その辺にまき散らかったせんべい。

七夏に集っていた鹿たちは散らばった餌に目標を移してしまう。

 

「ちょっとリュウ!」

 

「……また遅れ気味になってる。行こう」

 

言われて見ればその通りだ。

「む」と七夏も気炎を下げた。

 

にゅるんとせんべいを絡めとられて、未練がましくぼりぼり食う鹿を見ている。

埃を払うように手を叩いて気を取り直したらしい。

 

「さ、行きましょ」

 

坂道を鹿に群がられながら歩く。

鬱蒼と生えている木々のせいで道の先は見えない。

 

これどこまで行くんだ?

日程表では奈良公園には二時間ぐらいいる予定だ。

まだ一時間も経っていない。まだまだ歩くぞこれ。

早くも疲れてしまった俺は、長い先行きを予感して深い溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。

バイキングで腹の虫を満たした後、消灯までの僅かな時間、明日筋肉痛になることは眼に見えていたので軽いマッサージをしていた。

明日、午前中は全体行動で清水寺に向かうが、午後からは自由行動になっている。

そこで主にスイーツ店を巡って、合間合間で近場の観光名所に行く予定だ。

 

「やはり目的が逆転している気が……」

 

未だにそんなことをぼやくのはリュウで、比較的切り替えの早い和人は地図を広げてルートの確認に余念がなかった。

一人椅子に座ってぶつぶつと呟いている。

 

「最寄りの駅がここで……。バスの時刻は……」

 

この期に及んで新規ルートの開拓に精を出しているのは少しやりすぎだと思うが。

なにせルートの確認はすでに済ませているのだ。例え和人が新しいルートを見つけて、それに何か一つ間違いがあったらその責任は全て和人が負うことになる。

別にそれで責める気はないが、責めかねない奴がいる。そうなったら楽しい修学旅行が台無しではないか。

 

「旅行は行き当たりばったりも醍醐味だって七夏が言ってたぞ」

 

ベッドの上で足を延ばしながら言うと、和人は邪魔をするなと顔を顰めた。

 

「七夏が言うなら説得力もあるけどね。修学旅行なんだから予定通り進めるのがセオリーなんじゃない?」

 

「そんなもん、狂ったところでどうだっていうんだ」

 

雨が降るかもしれないし、誰か迷子になるかもしれないし、怪我して歩けなくなるかもしれない。後半二つは主に俺だろう。

考えたらき切りがないが、人生予期せぬ出来事なんてざらにある。いざ予定が狂った時にどう行動するかが楽に生きるコツだと思う。

 

「肩っ苦しいプランなんて本気半分で、後はアドリブでお気楽に。その方が楽しい」

 

「……」

 

和人は少しだけ考える素振りを見せた後、肩をすくめてまた地図との睨めっこに戻る。

俺の言葉は届かなかったらしい。何が和人を気負わせているのかはわからない。

 

「リュウ、トランプでもやろう。持ってきてるから」

 

「二人で?」

 

前に霧絵と試したことがあるが、ババ抜きや大富豪を二人でやるのは地獄に近い。

しかしそれだけがトランプの全てではない。調べれば意外とあるものだ。

 

「案外なんでもできるぞ。七ならべでもスピードでも……インディアンポーカーなんてどうだ?」

 

「やったことがない」

 

と言うわけで、二人で額にトランプをかざして心理戦を繰り広げる。

懐柔したり恫喝したり、何とか口を割らせようと色々な言葉で揺さぶるのだが、俺もリュウも口が堅い。

 

長引く勝負。

緩急をつけるために日常の話題を振った折、七夏の名前が出た途端空気が張りつめた。

 

「長電話し過ぎて、あの怖いばあちゃんに大目玉食らって――――え、なんか怖い」

 

「最近、特に思うんだが」

 

額にトランプをかざしたまま、リュウはじっとり俺を見ている。

ホテルの照明が薄暗いこともあり、その表情には影が出来て不気味な雰囲気を醸し出している。

奇妙な緊張感。ごくりと唾を呑み込んだ音がやけに大きく聞こえた。

 

「アスカは、七夏と仲が良いな?」

 

別に良くなくね?

思ったけど、それを言ってどうにかなる空気ではなかった。

 

「まあ、一応友達だからな」

 

中学生の頃から、紆余曲折なんやかんやあって今に至る訳で。

よく蹴られるけど、それも大元をたどれば俺の発言が原因らしい。

だからお互い別に嫌ってるわけじゃないと思う。

 

「さっきの、電話の件は……俺は知らなかった」

 

「そうか」

 

七夏が誰に何をしゃべったとか一々気にしないから、それ以外に答えられなかったが、剣呑に俺を見るリュウはそこを一々気にするようだ。

女々しい奴だと思って、自分のことを棚に上げてるなと気付く。

他人にとやかく言えるほど男らしくないだろう。

 

「恋人だからって弱いところ見せたくないんだろ。弱っちい癖にな」

 

恋人だからこそ幻滅されたくないとか複雑な感情があると思う。

そこを俺に見せるのは別に全てを許してるとか言う訳じゃなく、単純にストレス解消に使ってるだけのような気がする。

 

リュウは溜息を吐いて首を振った。

 

「俺は七夏の全てが知りたい」

 

「なんか重い」

 

俺の言葉にリュウはぎょっとした顔になった。

 

「重い? どこが?」

 

「全てが知りたいとか重いだろ。誰だって知られたくないことはあるし。お前ないの?」

 

「……」

 

思い当たる所のあるリュウは苦々し気に言いよどんだ。

こいつのウィークポイントは両親のことで、中々面倒くさい家庭環境がある。

それをまだ七夏には言っていないらしく、家族の話題は露骨に避けたがる。

たまーに腹をくくって全部話そうとするが、今のところ全部失敗している。

まあ、あっちはとっくに知ってるとは思うけど。

 

「七夏の好きな漫画のキャラが言ってたぞ。信頼するってことは全てを詳らかにするんじゃなく、隠しごとも含めて全部受け入れて信用することだって」

 

「……」

 

考え込む様な沈黙。

厳つくてごついゴリラみたいなやつでも、嫉妬している姿は可愛らしい。

最近覚えた言葉を使うならギャップ萌えだ。

 

リュウが思い悩む中、気付けば和人でさえも興味深げに身を乗り出していた。

 

「でもやっぱり他に仲のいい男の子がいると邪推しちゃうんだよね。あの子が好きなんじゃないかなあ。僕に脈あるのかなあって」

 

「複雑な男心だなあ」

 

和人はリュウ寄りの思考らしく、その口から出たのは恋愛経験皆無の俺には縁のない話だった。

リュウは現在進行形で言わずもがな。和人も中学の頃から何人か付き合った奴がいるらしい。

今はいないようだが、人生充実していて羨ましい。

 

「ていうか、嫉妬してるんだったら七夏に直接言えよ。言えば、あいつなんか対応するでしょ」

 

「言い辛い」

 

これまた苦渋の表情で言うものだ。

嫉妬してるんだって告白するのに、男のプライドが邪魔をするって言うのは正直分かる。

でもだからってそんなこと俺は知らないし。俺に当たり散らされるのは迷惑だ。

 

「告白された時のことを思い出せ。あんな大勢の前でお前は告白されたんだ。今更他の男に目移りしないだろ」

 

「それは……そうかもしれないが……」

 

あれで目移りなんてしたら後が怖い。

絶対に、あのおばあちゃんが何か行動を起こす。

 

「なになに、どういうこと? 大勢の前って」

 

和人はその時その場に居なかったので、リュウと七夏の馴れ初めはほとんど知らない。

俺は最初から最後まで巻き込まれているから、何なら本人たちより事情に詳しかったりして。

でもリュウが何も言わないから俺も答えることはしない。そんなことよりトランプしたい。

 

「それでどうする? 降りる? 勝負?」

 

「ああ……。いや降りた」

 

リュウは額に当てていたトランプを降ろして絵柄を確認する。

 

「ジャックか……」

 

「11で降りるのはもったいなかったな」

 

「そうでもない」

 

負けたくせに勝ったような口調でニヒルに笑う。

怪訝に思って自分の絵柄を見ると13のキングだった。

 

「お前、これ普通即降りだろ。なに長々話してんだ」

 

「修学旅行だからな……。普段話せないようなことまで話したくなるものなんだろう?」

 

別に修学旅行じゃなくてもこんな話題いくらでも付き合ってやれるけど。

聞く方はともかく、言う方にしてみてはこの空気じゃないと言えないこともあるのかもしれない。

 

「よし。和人も含めて大富豪だ」

 

「あ、いや僕は――――」

 

地図に戻ろうとする和人の襟をリュウが掴んだ。

 

「俺の話を聞いたのだから、申し訳ないがお前にも色々話してもらう」

 

「申し訳なさが感じられないのと、勝手に話し出したよね?」

 

抗議は受け入れられず、ずるずる引きずられてベッドに放り投げられた。

俺はトランプが片手間になりそうな空気に一人残念がった。

 

「では……何を話してもらおうか」

 

「じゃあ女性遍歴かな。こいつ経験豊富だし」

 

修学旅行ではそういうことを話し合うものらしいと言うのは、七夏に見せられた漫画知識だ。

あいつの普及活動の成果がこんな所に現れるとは。

 

「では、まずは人数」

 

「次にどこまで行ったのか」

 

「名前や個人情報までは必要ないだろう」

 

トランプをシャッフルする俺と腰を据えて聞く姿勢のリュウ。

慌てて起き上がった和人は、胡坐に腕を組んで座るリュウを見てこれは逃げられないと悟ったようだ。

苦々しく悪あがきをした。

 

「……そんな楽しいものじゃないよ。多分リュウたちの方がずっと進んでる」

 

そんなことを言われると、まず確認のためにリュウがどこまで行っているのか聞かないといけなくなる。

俺はリュウを見た。目が合ったリュウは即座に口を開く。

 

「つまり……キスもしてないということだろうか」

 

疑わしかったが和人は頷いた。

 

「僕の方から告白した訳じゃないしね。好きじゃないのにがっつくのもあれかなあって」

 

はにかみながらそんな優しいことを言う。

 

「今まで何人と付き合ったんだっけ?」

 

「……三人ぐらいかなあ」

 

つまり今までの人生で少なくとも三人に告白されたことになる。

 

「モテるなあ、お前」

 

心の底から言った。

今まで告白なんてされたことのない身としては、僅かばかりの羨望が込められている。

 

そんな俺に和人は何か言おうと口を開き、思い直したように言葉を飲み込んだ。

「そうかな?」と濁した表情には複雑な感情が渦巻いているようだった。

 

「……別れたのは相手に振られたからだろう」

 

「そうだよ。よくわかったね」

 

反対に、腕を組んだまま難しい顔のリュウは予言者みたいにズバリ言い当てていた。

「だろうな」と溜息を吐いている。恋愛経験者には何か通じる物があるのだろうか。

 

「よし」

 

一転、意を決した面持でぱんっと膝を叩く。

 

「好きな女の子を教え合うと言うのはどうだろうか」

 

何を言うかと思ったらこれだ。

 

「それお前だけダメージないじゃん」

 

「俺が好きなのは七夏だからな」

 

公言してやまないを体現するリュウ。

早々言ってしまった。

 

「次はアスカ。頼む」

 

なんたることか。了承も取らない内から既に始まっていたらしい。

「えー」と抗議の声を上げながら、一応考えてみる。

 

「好きって言うのは恋愛的な意味でだよな?」

 

「当然だよね」

 

力強い同意にたじろぐ。

気付けば和人も胡坐をかいて、前傾姿勢で俺の方を見ていた。

すごく期待されている。

 

「明確に好きってのはいないな……」

 

「気になる女の子はどう?」

 

今日一番でがつがつと食いついてくる。

もはや提言者のリュウの方が大人しく聞いている。

 

「気になるねえ……」

 

考える。とは言っても根を詰めて考えるわけではなく、直感で思いつく女の子はいないか考えただけだ。

頭を過ったのは夢の場面。名前を知らなければ顔も分からないあの子のことだった。

女の子……だと思う。顔を思い出せないから確信はないが、声は若い女の子だったような気がする。

 

何年も何年もずっと見てきたあの女の子を、どうやら俺は気にかけているらしい。

 

「……」

 

しかし今これを言うのは余りに空気を読まなさすぎる。

和人もリュウも期待しているのは知り合いの誰か。最低限実在する女の子だろう。

夢で見たどこの誰かも分からない女の子のことなんて反応に困ってしまうに違いない。

 

他の誰かを探してじっと考え込む俺に、和人は業を煮やし特定の名前を出してきた。

 

「……霧絵のことはどう思ってる?」

 

真剣な表情真剣な声音。

自然とあの夜のことが思い出された。

 

「……」

 

霧絵の顔を思い出す。

もう何年も同じ屋根の下で暮らしてきたあの女の子のことを。

俺はあいつのことをどう思っているのだろうか。それはずっと昔に解答を教えられていたようにすんなり口からこぼれ出た。

 

「友達、かなあ」

 

その答えを聞いても和人はすぐには納得しなかった。

じいっと俺を見つめ続け、俺もその目を見つめ返し続けた。

やがて、どれだけの時間が流れたのか皆目分からなくなった頃、ふとその身体から力が抜ける。

 

「そっか……」

 

表情も和らいだ。

漂っていた緊迫感は波をひいた。

今まで黙っていたリュウが大きく息を吐き、額の汗を拭いながら、今度は和人に尋ねた。

 

「……和人は誰のことが好きなんだ?」

 

和人は問いに対し逡巡するように顔を伏せる。

その顔が上がった時、意を決し、そして挑む様な目つきで俺を見ていた。

それはまるであの夜の続きを目にしているようだった。

 

「僕はね――――霧絵が好きなんだ」

 

デジャヴを見ているようだった。声が聞えなかったあの時、まさしくこんな感じで和人は口を動かしていた。

断固とした決意と燃えるような闘志がその眼に映っている。

俺はその眼になんと答えようか迷って、結局何も答えられない。

 

頑張れと言って応援するのは少し違う気がした。

俺にとって霧絵は友達で、和人もまた友達だ。

和人は霧絵が好きだという。では霧絵はどうなのだろう。

そこがはっきりしない以上、二人の恋路に何の関係もない俺が言葉を添えるのは憚れた。

 

和人の恋を応援しないと言っているのではない。

ただ、俺は二人の間に順位を付けたくないのだ。どちらも大切で、どちらも大好きな友達だから。

ここで何も考えず和人を応援するのは、霧絵の気持ちを蔑ろにするのではないか。そんなことを思ってしまった。

 

それを踏まえて何を言えばいいのか。考えて考えて浮かばない。

難しく考えすぎたせいか、ほんの少し頭痛がした。

頭の奥に誰かの声が聞こえた気がする。

 

「……っ」

 

思わず頭を抑えた俺をリュウが気遣わしげに見ている。

 

「……そうか」

 

ようやく絞り出した言葉は陳腐な物だった。

何てことはない。考えるまでもなく浮かんでいた答え。

もっと気の利いた受け答えはなかったのだろうか。

 

「……」

 

頭痛のせいで思考が纏まらない。

頭が痛い。割れるように痛い。

 

ズキンズキンと痛む頭を抑えて和人を見る。

変わらず真剣な目で俺を見ていた。

 

「本気だから」

 

念を押すように繰り返された言葉に、誰かの姿を空目した。

纏まらない思考の中、うっすら幻覚すら見えだしている。

夢で見た女の子。口元が動いて何かを言っている。

 

その言葉を聞く前に俺は言った。

 

「報われると、いいな」

 

幻想は掻き消えた。

沈黙は刺すように痛かった。

嫌な気分が胸の中に沈み込んだ。

 

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