帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第7話

こんな夢を見た。

 

ひと気のない美術館に一人立っている。

天井に吊り下がっている照明が水色の光を放っていて、そのせいかやけに寒々しい。

照明の色からして辛気臭い雰囲気なのに、妙にキラキラしているなと思ったら床が鏡で出来ていた。

 

展示してあるのは動物の氷像ばかりだ。象やキリンやゴリラやカバや、知っている限りあらゆる種類の動物が鎮座されていた。

ただ、鹿はなかった。嫌と言うほど見たから、無意識で拒否したのだろう。

 

ライオンの像のたてがみをしげしげと眺める。

無駄に精巧に出来ている。毛の質感がありあり感じられた。

 

大したもんだなあと感心する。

ゴリラのドラミングやら象の水浴びやら、どれもこれもポーズに凝っていて、見ているだけでも面白い。

 

案内板に従って、何もない通路を歩いていると、遠くに人影が見えた。

女の子だ。中学生ぐらいだろうか。広間で何か見上げて立っている。悲しいまなざしで、、つまらないものを見るようにじっと見ている。

何を見ているんだろう。あんな目で。

 

何を見上げているのかは近づいてみて分かった。マンモスだ。女の子はマンモスの氷像を眺めている。

俺もその横に立ってマンモスを見上げる。

すげえ。とっくの昔に絶滅した奴だ。思っていたよりずっと大きい。

牙が太くて立派。今時こんなのいないだろう。霧絵の持ってるゲームに出て来そうなモンスター感。

牙の尖がり方なんて人の身体ぐらいなら貫いてしまいそうだ。こわいなあ。

 

俺がマンモスの巨体に圧倒され、その牙の鋭さに目を奪われていると、横から視線を感じた。

横目で見ると、女の子が目を見開いて俺を見ている。

 

「なに?」

 

「……」

 

口を半開きにして呆けている。

何を聞いても返ってこない。奇妙な空気が流れていた。

 

じいっと見つめられるだけで何とも居心地が悪い。

気を逸らすためにも広間を見渡した。今まで導いてくれた案内板はどこにもない。道はここでどんづまりになっている。

 

「なに?」

 

「あ、えっと……」

 

二度聞けばさすがに女の子は我に返った。

あたふたと目が泳いでいる。

そんな挙動不審な様子を見ながら、「髪が水色なのか」と思った。

照明の色でそう見えているわけではなかったらしい。

よくよく見れば、顔立ちは日本人離れしている。髪色と言い顔立ちと言い外国人かもしれない。

 

女の子はどもりながらマンモスを指さした。

 

「こ、これはなんなんでしょう? ちょっとよくわからなくて……」

 

「マンモスだろ」

 

「まん……もす?」

 

知らないのか。

結構有名だと思うが。これが国の違いだろうか。

 

「こんなのがいるんですねえ」

 

「とっくに絶滅してるよ」

 

「え」

 

視線を戻してしげしげ見つめ直している。

俺はいい加減マンモスにも飽きたので、来た道を戻り始めた。

 

「あ。どこへ?」

 

「どこかその辺」

 

とてとてと軽い足音が追いかけてくる。

なぜだか横に並んで歩いた。チラチラと視線を感じる。

 

「迷子か?」

 

「違います」

 

やけに強めに否定されたから図星だったのかと疑った。

自分の声の強さに恥じ入ったのか、女の子はか細い声になる。

 

「……いえ、迷子かもしれませんが」

 

「なら送ってやるよ」

 

「いいんです。どうにもできません。こんな夢を見るぐらいですし」

 

夢?

あ、夢か。

 

「夢の中で他人に教えられるのは初めてだ」

 

「なにがですか」

 

「だから、これ夢なんだろ?」

 

女の子は口をつぐんだ。

考えるように目を伏せる。

 

「夢……ですよね?」

 

「夢だよ。たぶん」

 

「夢……」

 

迷子が理由だったのか知らないが、陰っていたその目に光が差した。

子供らしく爛々と輝き始める。

 

「夢なら、なんでも好き放題出来ると思いませんか」

 

「まあなあ」

 

言われてみれば、普段法に縛られていることも夢の中なら出来るのか。

破壊でも人殺しでもやろうとすれば好き放題。いや、やろうなんて思わないけど。

 

「どんなことでも出来ると思います。不可能なことでも何でも」

 

こんなことを言うなんて、一体何がしたいんだろう。ちょっとだけ興味が湧いて女の子を見ていた。

女の子はやおら手を差し出してくる。

 

「手つないでもらっていいですか」

 

拍子抜けした。

 

「寂しいのか」

 

「寂しいです」

 

迷子の手を握る。

なぜだか暖かかった。夢なのに。

 

「良い夢です」

 

「そうかなあ」

 

「良い夢ですよ。兆しが見えます」

 

花が咲いたように笑う女の子は、最初の悲し気な表情はどこかに消えてしまったようだ。

笑顔ならそれでいいと思う。

 

「また会いましょう。いつかきっと」

 

迷子の女の子がそう言う。手をつないだまま見つめあう。

何か言い返そうとした。けれど言う前に夢は終わった。

 

「……」

 

ホテルのベッドで天井を見上げている。珍しいことに、起きてなお夢の内容は覚えていた。

水色の髪の女の子。珍しいことだ。起き上がる。

 

「……」

 

「……」

 

和人が寝ぼけ眼で俺を見ていた。

それがちょっとだけ怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和人の告白から一晩が経った。

あれから、まさかトランプをやろうなんて馬鹿げたことを言いだせるはずもなく、それぞれ暗黙のうちに就寝した。

一日寝れば結構心の整理も付くもので、こうして和人と対面しても何も変わったことなく目を見返せる。

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

リュウが昏々と眠りこけている横で、お互い寝ぼけた顔で挨拶をする。

寝癖で跳ねた髪。半開きの瞼。およそ人に見せられるものじゃない。

和人を慕う女子は幻滅するだろうか。これはこれで素敵と慕うだろうか。

寝起きの品の無さは俺も似たようなものだろう。違うのは物好きがいるかいないかと言うところ。

 

頭が覚醒するまでの間、品が無い同士しばし見つめあい、やがてどちらからともなく吹き出した。

 

「酷い顔してんな」

 

「アスカなんて涎ついてるよ」

 

無性におかしかった。胸の中に巣くっていた不安の種が消えたようだった。この一か月ずっと気にかけていた話を聞けたのだ。

和人なんてある種肩の荷が下りた様なものだろう。とは言っても、まだ何も前進していないが、気持ちは一区切りついたに違いない。

 

「昨日のこと覚えてる?」

 

「覚えてるよ。覚えてるってことは夢じゃないな」

 

嫌な判別方法もあった物だと自嘲する。

まあ今日に限っては少し違うか。

 

「そっか……うん、悪いけど、アスカが自覚するのを待つ気はないよ。勝負だから、即断即行だ」

 

「まあ待て」

 

自覚も何もないだろう。あれは友達だ。

そう言えば、「まだそんなこと言ってる」と呆れられた。

多分、昨日の俺の反応が悪かったんだろう。

いやいや、お前が思ってるリアクションじゃないんだよあれは。

 

「今日から仕掛ける。とことん妨害させてもらうよ」

 

「いや、人の話を聞いてほしい」

 

一人で盛り上がる和人に、早くもついていけなくなった。

当事者なのにそうじゃないこの微妙な立ち位置は何とも収まりが悪い。

そもそも勘違いされてここに引き摺り出されてしまった。何とか誤解を解かなければいけない。しかし普通に話したのでは理解されそうにない。どうやって解けばいいんだこれ。

 

「……朝から騒がしいな」

 

一人悩んでいるとリュウが起きた。

 

「やあ、リュウ。おはよう。良い朝だよ」

 

「ああ」

 

こいつは寝起きが悪い。話し声で起こしてしまったから余計に悪そうだ。

そんなもこと一々気にするような間柄じゃないけど。

 

「リュウ。相談に乗ってくれるか」

 

「後でな」

 

洗面所に向かう背中にそう言えば、ぶっきらぼうな声が返ってきた。

閉じた扉の向こうから微かに水音が聞こえる中、和人が神妙な顔で俺を見ている。

 

「……リュウはアスカにつくだろうね。まあそれは仕方ないことだけど」

 

「和人」

 

さすがにこれ以上和人の空回りを見過ごしてはいられない。見ていて哀れで滑稽だ。友達を笑いの種にする趣味はない。

なるべく真剣に聞いてほしいから、重苦しい声を出そうと努力した。

見本は身近にいる。あの重厚で安定感のある渋い声。今顔を洗っているあいつ。

 

努力が実ったのかは定かではないが、和人は黙って俺の言葉を待っている。

 

「お前が霧絵のことが好きなのはわかった。告白するもしないもお前の勝手だ。俺は別に止めない」

 

何を言うのだと和人は眉をひそめている。

何かを言おうとして口を開いた。それを遮って言葉を続ける。

 

「お前と勝負するつもりはないぞ。昨日言っただろ。霧絵とは友達。嘘偽りまったくない」

 

「うーん……」

 

納得できないと和人は頬を掻いている。

俺は腕を組んで胸を張った。何も誤魔化すことはない。そう示したつもりだった。

 

「後悔しない?」

 

「しないって」

 

「後々参戦されても困るんだけどなあ」

 

和人は本気で言っているようだった。

「なんかそう言う漫画あったよね?」と引き合いに出されたのは比較的有名な野球漫画だった。

俺も読んだことがある。そこまでドロドロするのは現実でも早々ないだろう。

しかしなぜ漫画が出てくるのか。思い当たる節は一つだけあった。

 

「お前七夏に毒されてない?」

 

「そう言う自覚はないけど」

 

七夏の普及活動が思いのほか根ざしている現実に仄かに危機感を覚える。

いや、本来喜ぶべきなのかもしれないが、なぜだか嫌な予感がする。

ひょっとして、ここ最近急に和人が恋に邁進し始めたのは、七夏がそう言う形で関わっちゃったからではないだろうか。

例えば、今流行りの少女漫画を読ませて、感銘を受けた和人がその感情のまま行動に移っているとか。

……いやいや、まさかそんなはずは……。

 

「……」

 

「え、なに?」

 

きょとんとした眼に悪意は欠片もない。

子供のころから何一つ変わらない澄んだ瞳。

 

無邪気で純粋な奴だ。無垢と言って違いない。

悲しい物語を見れば人目を憚らず泣くし、面白い冗談を聞けば屈託なく笑う。

他人事でも理不尽には怒りを露わにし、助力することになんの躊躇いもない。

良い奴だ。優しい奴だ。危うい奴だ。砂の上に築いているような人格だ。

 

この世界に理不尽なことなんて一杯ある。

不条理が皮を被ったのが社会だ。偶にある優しさに乾いた眼を潤ませる世界だ。

俺もリュウも七夏もそれを知っている。和人は知らない。霧絵はどうだろう。

 

いずれ現実を突きつけられる日がやってくるとして、その時こいつは崩れ落ちはしないだろうか。道を踏み外すことなく歩いて行けるだろうか。それだけが心配だ。

友達として幼馴染として見守ってやりたい。出来る限り見ていてやりたい。きっと力が必要になるときが来るだろう。

 

溜息を吐く。自分勝手な気持ちだとは知っている。何様だと言う反論もある。見下しているんじゃないかと何度も思った。

別れは来るだろう。いつまでも一緒にはいられない。今まさに分岐点に差し掛かっているような気もする。

 

改めようと思って改められたためしはない。別れるその瞬間まで、俺はこの気持ちを持ち続けるだろう。

しかし、少なくともまだその時じゃない。いずれ来るその日を待ち遠しいとすら思う。

 

そんなことを思いつつ、修学旅行の二日目は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清水寺と言うのは中々に荘厳な建物だ。

寄せ棟造りとか言う四方に傾斜した屋根は、建物の中に雨が入らないように工夫された物らしい。

それを雨仕舞いと言うんだとか。何だか語感が良い。繰り返し呟いてみたくなる。

 

今俺がいる本堂は断崖の上に建っていて、そこから張り出した舞台の上は同級生を始めとした観光客で賑わっている。

遠くから見たとき、舞台を支える柱はいささか頼りなく思えたが、実際はいくつもの柱が格子状に組まれ、互いに支え合っている。この造りのことを崖造りと言うらしい。

加えて、なんとこの柱には釘が一本も使われていない。本当にお互いが支え合って建っているのだ。

よく『人』と言う字は『一』と『一』が支え合ってと言う話を聞く。

そんな概念的なものよりも、実際に支え合うことで成り立つ建物を見た方がより実感が湧く。これが人では一分も持つまいと言うのが正直なところだ。

 

まあ、これを知った当初は釘使ってないとか危ないなと思いはしたが。1600年代に建てられて以降、地震すら乗り越えてきたと言うから、安心安全な技法なのだろう。そう思わないとやってられない。

 

今、同級生たちは七夏や和人も含めて、錫杖に夢中になっている。弁慶の錫杖と言うやつだ。

錫杖は二つある。大きいやつと小さいやつ。大きい方で重さは100キロ。小さい方で20キロ程度。

これを持ち上げることができれば、願いが叶うと言われているらしい。全部看板に書いてあった。

 

先ほどリュウが持ちあげて歓声が上がっていた。

その横で七夏が一生懸命20キロを持ち上げようとしていたが、最終的には無理だった。

今のところリュウの他に錫杖を持ち上げられた奴はいない。

周囲に居る観光客は先ほどリュウが持ちあげたこともあって、挑む生徒たちに注目している。

もしかしてまた誰かが持ちあげるのではと好奇心に目を光らせている。生徒たちもそれを知って、なおのこと気張って挑み始めた。錫杖の横に置いてある下駄には見向きもしていない。あれも一応弁慶の下駄だ。ご利益もあるのだが、如何せん魅力がない。

 

丁度、和人が手をこすり合わせて、錫杖に挑もうとしている。

俺は柵に寄りかかりながら、なぜか半円状にスクラムを組まれていた。

スクラムを組んでいるのは同学年のやつらだ。こんな所でスクラム組むなんて、邪魔だし迷惑だしで凄く目立っている。

 

スクラム越しに、和人の顔が赤くなるのが見えた。歯を食いしばって、傍目には万力と思える力が両腕に込められている。

遠くからでもプルプルと震えているのが分かる。

あれは上がらないなあと悲しい未来を想像し、ふと気になって聞いてみた。

 

「飽きないか」

 

「正直」

 

真正面の男は素直に答える。

同級生だ。和人と同じサッカー部だったはずである。

名前は忘れた。あだ名は何某。確かそう呼ばれていたはずだ。

 

「なあ、何某」

 

「それがし、何某ではなく名を藤原秀俊と申し上げ奉り候。覚えてくれたらこれ幸い」

 

「はあ?」

 

聞いていて、背中の辺りがむず痒くなった。

修学旅行でテンション上がっているのか。それにしても酷い。

他人の振りだけでは済まされない。次に言い出したら殴ってでも止める。そのぐらい酷い。

 

「なんだそれは」

 

「名乗り」

 

「恥ずかしくないのか」

 

「元はと言えば、お前が言ったんだぞ」

 

恨み節に、ジトっとした目。

はてなと首を傾げる。少し記憶を漁っていたら、奥深くから沸々と湧きだしてくる身に覚え。

痛快な記憶と、後から襲ってくる面倒くささ。……思いだした。

 

「あー、そんな罰を……下した覚えも……」

 

「そうだよ。てかお前やっぱり忘れてたのかよ」

 

中学生の頃だ。紆余曲折あった。今思えば大したことじゃない。喧嘩と言うかじゃれ合いと言うか。当時は本気で潰すつもりではあったか。

結果、俺はこいつらに罰を下す立場となって、処した。どうでもよかったのだろう。くだらない罰だ。

その後一週間で、そのことは完全に頭から消えていた。心の底から興味がなかったのだと分かる。

 

けれどそうじゃない奴もいたらしく、たまーに様子を見に来られてしまって、何某は止め時を見失った。不運なことに双方同じ高校に進学したので、以来律儀に継続しているのだ。

 

「気にせず止めればいいのに」

 

「いや、あれを気にしなかったら殺されるかもしれないし……。てか早乙女がちゃんと名前覚えてくれたら、とっくに終わってるんだぞ」

 

名前を覚えたら罰終了って言った気がする。過去の俺はどれだけ許す気がなかったのだろう。無期懲役が実質終身刑みたいなノリだ。

俺の記憶力の無さは定評がある。一回病院連れて行かれたぐらい酷い。

一見サラッと終わりそうな罰も、俺にかかれば三年目に突入だ。何某は高校デビューで何某の地位を獲得した。あだ名すら何某になった。こんなのが中学生の頃は一番モテていた。今では完全にネタキャラだ。

 

「ああ、なんか色々間違えたな。こんな息の長いネタになるとは」

 

「まったく困ったよ。お前のせいだけど」

 

「で、誰だっけ」

 

「藤原秀俊と申し上げ奉り候」

 

「……止めろよ。酷いよ本当に」

 

「同感だ」

 

俺も何某も溜息を吐いた。いくら出会いがあれで、最終的にこんな感じに落ち着いたと言っても、何も知らない周囲にすれば体の良いネタ枠だろう。学校でほとんど顔を合わせることがなかったのは幸いだった。度々でも合わせていたら、組み合わせて芸人みたいに扱われていたかもしれない。

後先考えてなさすぎる。互いに若かった。物知らずだったのだ。あの時は。

 

「このスクラムは、なんのために?」

 

「俺たちは和人親衛隊だ」

 

いや、部活仲間だろと言うツッコミはわきに置いておく。

 

「霧絵じゃなくてか」

 

「本音はそっち」

 

ぐるりと見回すと全員が揃って頷いていた。

なるほど。自分の気持ちを押し殺して和人を応援すると。殊勝な奴らだ。

 

「和人の恋路を肴にしてると思ってたよ」

 

「そう言う奴らも居る」

 

「そうか。リュウをけしかけるとしよう」

 

「一線は守る。信じてくれ」

 

いくら親衛隊でも、錫杖100キロを持ち上げる怪人は相手にしたくないようだ。

何人か、何を思い出したのかは皆目見当つかないが、顔が青ざめてる奴もいる。見覚えがあるような気もするな。

 

「若かったな」

 

「餓鬼だった」

 

「リュウのあの躊躇のなさは少し怖い」

 

「頼むから、何もしてないのにけしかけるのは止めてくれ」

 

頷く。

一線を越えない限りは何もしない。その一線を決めるのは俺だが。

 

「で、目的は?」

 

「お前を藍乃さんに近づけないことさ」

 

霧絵を探す。

和人の肩を慰めるように叩いていた。錫杖を持ち上げることは叶わなかった。

どんまいと言うところか。

 

「昨日、和人に告白されたよ」

 

「聞いた。俺たちは和人を応援する」

 

「頑張ってくれ。俺はお前たちを応援する」

 

「それはおかしな関係になるだろ」

 

四角関係……いや、霧絵から俺に矢印が出ていない。

全部が全部一方通行のただの棒になっている。

 

「俺は霧絵のことが好きじゃないんだ」

 

「なに」

 

「それは真か」

 

そう言ったのは何某じゃない。

何崎くんだったか。名前は覚えてないが、とにかく何崎くんが言った。

 

「ああ」

 

「真か」

 

「ああ」

 

「嘘ついたら殺す」

 

何崎くんは中々過激派のようだ。

凶暴化した時のリュウを彷彿とさせる。それだけで猛者だ。

 

「好きは好きだけど、恋心じゃない。期待を裏切って悪いね」

 

「スーパーで目撃情報がある。仲睦まじかったと」

 

「荷物持ちだ。女の子に重たい荷物を持たすわけにはいかないだろ」

 

「腕を組んで歩いてたのを見たことあるぞ」

 

「それは誤解」

 

他に抱き合っていたとか、キスしていたとか、手を繋いでいたとか、様々な情報が述べられた。

ほとんどが噂に尾ひれがついたものだったが、一部心当たりがないでもなかった。

人から見ると確かに好き合っているように見えるかもしれない。気を付けよう。

 

少しずつ盛り上がっていくスクラムに、内心「面倒くさいな」と思う。

他人の恋愛事情に盛り上がる奴ら。所詮他人だ。何を思われようと構わない。だが好き勝手噂されるのは困る。噂は既成事実に成り得る。俺は困らないが和人や霧絵は気にするだろう。

 

こういう時、流れる噂は方向をコントロールするに限る。

どうせ尾ひれがつく。三角関係の修羅場と思われるよりは数段マシだ。

 

「実は好きな人がいるんだ」

 

「なに!?」

 

スクラムの直径が一気に縮んだ。

餌に群がる様子は生け簀の魚を連想させる。口をパクパク開けている様子が幻視される。その口に放り投げるのは毒餌だ。

 

「誰だ!?」

 

「名前は!?」

 

「同じ学校!?」

 

「おんなのこ?」

 

「まさか桜小路さんじゃ……!」

 

好き勝手に口を開く同級たち。まず落ち着けと取りなした。

誰もか彼もが目をキラキラ輝かせている。人の恋路が気になるのは女子ばかりじゃない。男子も同じだ。

やれやれ子供だねとほくそ笑む俺が一番子供なのは、類は友を呼ぶと言うか、恋愛経験ない分俺が一番子供な気がする。

 

「実は、名前は知らない。一度しか会ったことがないんだ」

 

熱は少し冷めたようだ。

それでも繰り返される質問。もはや尋問。止めどないそれに止めを告げる。

 

「昔長期入院してる時に出会ってね。その後すぐ俺は退院したんだが……その子は悪そうだった。……もしかしたら――――」

 

理解したらしい。それまでの騒々しさは水を打ったように治まった。

居並ぶ決まり悪そうな顔に笑顔で言い放つ。

 

「一目ぼれだ。忘れられない。ずっと気になってる。まあ生きてるかもわからないけど」

 

「あ、そう……」

 

誰かが溢した呟きが断末魔になった。印象的なほど効果的だ。精々流してくれるだろう。

スクラムはとっくに崩れている。三三五五散っていく名も知らぬ同級たち。応援頑張ってくれと見送って、唯一この場に残ったのは何某だけだった。

何某の顔を見れば、何を言いたいのかは明白だった。バツの悪そうな顔だ。昔を知る身からすれば良い奴になった。いや、元々良い奴だったのかもしれない。ただ、周囲の環境が悪かっただけで。

 

「どう思う?」

 

「え?」

 

言葉を探して逡巡する何某に問いかける。

 

「今のハッタリは何点?」

 

「…………今のウソかよ!」

 

思わず大声で叫んだ何某。俺は笑う。

恥ずかしそうに頬を染めた何某を見て、余計に笑った。

 

「いや、本当」

 

「えぇ……?」

 

納得できないと言う顔。疑心暗鬼に取り付かれている。

繰り返し問いかけた。

 

「どう思う?」

 

「全部ウソ」

 

「霧絵が好きじゃないのも嘘だって?」

 

「ああ、みんなお前は藍乃さんが好きだと思ってる」

 

「家族みたいなもんだ」

 

霧絵がこっちに近づいてくるのが目に映った。隣には和人とリュウと、七夏も居る。

何某にそれを教えた。

 

「俺に家族はいないから、余計大切なんだ。普通の家族よりもずっと」

 

「だから、仲が良く見えるんだ」と告げて、もう行けと手で追い払う仕草をした。

何某は何も言えないままスゴスゴ人混みの中に消えていった。

それを格好悪く思いはすまい。ただでさえ気まずいのに、どんな顔を見せるのかと悩みもするだろう。

 

いつの間にか付近まで来ていた四人。テンション高く口を開いた。

 

「よう。リュウはおめでとう。和人は残念」

 

「まあ、当然だな」

 

「僕は情けないよ」

 

拳を握って、自信をみなぎらせるリュウ。反対に何だか自身が萎えてしまったような和人。

あれだけ意気込んで持ちあがらなかった。何なら霧絵に良いところ見せるよと調子に乗っていた。

予行練習ばっちりだっただけにショックなのだろう。

 

「あんたもやれば? 持ち上がるかもよ」

 

意地悪に七夏が言った。

霧絵は興味がないのか欠伸をかみ殺している。

俺は肩をすくめた。

 

「持ち上がるだろうけど、ほら、時間切れだ。残念だなあ」

 

向こうで先生が学校の名前を叫んで集合を掛けている。

時計を見ると、事前に出発を告げられていた時間ピッタリだ。

しかし七夏は構うこと無いと鼻を鳴らした。

 

「あら、大した自信。これは一回は絶対やってもらわないと」

 

「いやいや、時間が」

 

「100キロよね。棒状で100キロのもの用意すればいいのよね。なら結構簡単じゃない? 学校に戻っても出来そうよね」

 

墓穴を掘ったかもしれない。こいつはやると言ったらやる。直前に野次馬を蹴散らしていい気になっていたから、つい大言壮語が零れてしまった。

これでやらないと言えば、それをネタに半生弄られそうだ。逆にやっぱり駄目でしたなら半月弄られるだけで済むだろう。

どっちにしても地獄に変わりはない。

 

地獄をくぐらない道を模索する俺の両肩を手が叩く。

左肩には自信に満ちたリュウの手が、右肩には弱弱しく死んだ顔の和人の手が。

右肩の重みがずっしり心にきた。なぜだろう。高々手なのに。

 

「楽しみ増えちゃった」

 

上機嫌にスキップを踏む七夏が小憎たらしい。

あいつの言う楽しみが、俺の情けない姿だと分かっているから余計に。

 

助けを求めて霧絵を見て、やっぱりやめた。

あまり霧絵を頼ってもなと言うのは、先ほど聞かされた噂に反省してだった。

頼ったところで碌に解決しないだろうことも知っていた。

 

さてどうしよう。考えても諦めしか浮かばない。

いやいや、そんなはずは。

真剣に考えようとして、ルンルン小刻みに跳ねる七夏を見ると、「まあ情けない姿ぐらいなら」と思ってしまう。

そう思った時点であいつには勝てない。

 

諦めて天を仰ぐ。

今日も快晴。修学旅行にぴったりのいい天気だ。

 

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