帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第8話

段差に上って遠くを眺めた。

馴染みのない風景は、山から建物から全てが新鮮で、異国の景色を見ているようで胸が高鳴る。

吹く風に匂いがついていたのなら、きっと木の匂いがしただろう。

木造建築が居並ぶ風景はそんな感想を抱かせた。

 

旅情とか言うのに浸って遥か遠くを見渡していると、離れた所に大きな仏像が見えた。周囲の建物より大きい。いや、それは当たり前のことで、だからこそ見えているのだが。……あれはなんだろう。

事前に調べた限りでは、あんなところに大きな仏像があるのは知らなかった。

双眼鏡でもあれば、もっと細部を事細かにみることもできるだろうが、生憎とそんなものは持っていない。

ここから自分の目で眺めることしかできないが、それでも中々に大きい。もっと近くで見てみたいものだ。

 

「ここをこう来たんじゃない?」

 

「しかしそれだとこっちに居るはずでは?」

 

「うーん……じゃあこっちは?」

 

「ふむ。ありえる」

 

今、リュウと和人が地図を見て現在位置を調べている。

修学旅行の二日目は早くも午後に入っていた。

自由行動である。今日半日と明日丸一日。合計一日半は自由行動となる。

何処に行くのも自由だ。しかしながら、行く道々は責任を持って調べなければいけない。

 

かくいう俺たちも油断などせずきっちり調べたはずだったのだが、ご覧の有様で。

つまるところ、俺たちは自由行動に移って早々に道に迷ってしまった。

 

「住所はここか?」

 

「地図だとこの辺だね。……えっと、だとするとあっちかな?」

 

「ふうむ……」

 

あまり広くない道路で人通りは少ない。道を聞こうにもその人影すら見当たらない。

しかし淡々と話しこむ二人に悲壮感はなかった。むしろこの状況を楽しんでいるように思える。

昨日、俺が言った言葉の意味を実感してくれているようで嬉しい。

ただ、俺の隣に座り込んで呆れたように二人を凝視している七夏は、そんなことちっとも思っていないようだ。楽しいなんて微塵も思っていない顔つきで俺を睨む。なんですか?

 

「あんたも参加してきなさいよ」

 

「三人で地図眺めてもなあ」

 

「少しは役に立つでしょ?」

 

いつもなら雁首そろえてとか言うくせに、今は「普段役立たずなんだから、こういう時に役立ちなさい」と辛辣に毒を吐かれる。

予定では今頃スイーツを楽しんでるはずだった。お楽しみが先に延びて憤懣やるかたないと、七夏の機嫌は低空飛行で飛んでいる。だからと言って爆撃しなくてもいいだろうに。

 

「まあ、折角だし任せておこうぜ。なんか張り切ってんだから」

 

「……」

 

じとっと睨まれ続ける。

何か言いたいことがあるのかと言葉を待った。

唐突に、何を思いついたのか分からないがニコッと笑顔を浮かべる。背筋の冷たくなる空恐ろしい笑顔だった。

 

「あんたまさか地図も読めないって言わないわよね?」

 

「地図くらい読める」

 

「方向音痴の言うことは信用できないのよねえ」

 

ニヤニヤと意地の悪い笑顔になった。小悪党みたいな顔だ。これは俺で鬱憤を晴らそうと企んでいる。

色々言いたいが、まず俺がいつ方向音痴になったと言うのか。そこを聞かせてほしい。聞いても多分教えてくれないだろうが。

 

「そうねえ、じゃあ私の携帯で地図――――あひゅっ!」

 

死角からキンキンに冷えたドリンクを七夏の頬に当てた奴がいる。霧絵だ。

霧絵はペットボトルでペタペタ頬を突っつきながら、嫌がる七夏を責め立てる。

 

「ちょ、なに? なになになに? なに?」

 

「……」

 

黙して何も語らぬ霧絵。無表情に延々突っついてくるその様はある種恐怖すら抱かせる。

それから逃れようと七夏は腰を浮かせた。若干情けない及び腰。

一、二歩距離を取った所で霧絵は追いかけては行かなかった。しれっとした顔でキャップを開けて、のどを潤している。

 

「なによ……私なんかした?」

 

「……」

 

ペットボトルを傾ける霧絵はごくんと喉を鳴らして七夏を見つめている。

その目から感情を読み取ることは出来なかった。特に理由もなく七夏を苛めてみた的な雰囲気。修学旅行でハイになったのかもしれない。

しかし常日頃から俺が八つ当たりされるぐらいなんだから、それもオーケーだろうと二人を見比べて一人ほくそ笑む。

目敏いことにそれが見咎められた。

 

「なによ? なんで笑ってんの?」

 

「いや、別に」

 

「喧嘩売ってるんだったら買ってあげる」

 

七夏はかかってこいとボクシングポーズを取った。あまりに似合ってなくて滑稽だったから苦笑する。

 

「売ってはいない。ただ、ざまあみやがれって思ってる」

 

「おっけー」

 

間髪入れず、スカートのまま蹴りが放たれた。何のためのボクシングポーズだと突っ込む暇もない。

一生懸命身体を反らして躱す。それで躱せはしたが段差の上に居たのでバランスを崩して尻もちを打った。

いってえと苦悶に声を漏らして、顔を上げてみれば爛々と瞳を輝かせる七夏。

獲物を狙うキラーのような表情に慄かずにはいられない。

 

「……」

 

「……」

 

じりじりとにじり寄ってくる。

頬が引き攣る。これ以上は洒落になりそうにない。最近、半殺しぐらいは平気でやるようになった女だ。

謝れば許してくれるだろうか。ていうかなにを謝ればいいのだろう。

 

「えいや」

 

「うひぃっ!?」

 

助け舟はまたもや意外なところから流れてきた。霧絵だ。

霧絵は七夏の背中にペットボトルを突っ込んだ。

やる気なさそうな声とは裏腹に、その動きは滑らかで、抵抗虚しくペットボトルは瞬く間に服の中に入り込んだ。七夏は暴れた。

 

「やぁ。やっとわかったよっ、て……」

 

「何をしているんだ?」

 

ようやっと現在地に見当をつけた二人。一仕事終えた顔でこっちに戻ってきた。

背中に手を回そうとしたり、地団駄を踏んで必死にペットボトルを取ろうとする七夏に目を丸くする。

事情を知らなければ発狂したように見えるかもしれない。

 

「霧絵と七夏が仲良いなって」

 

「そうだっけ?」

 

和人は納得いかない表情で二人の様子を見ている。

ようやく霧絵の手によってペットボトルが取り出されたところだ。

七夏が若干涙目で霧絵に詰め寄り、霧絵は手に持っていたペットボトルを七夏に押し付けた。

「いらないからあげる」と怒気を受けてちっとも堪えていない。

 

二人のやり取りを見て、内心「いいぞいいぞー」なんて思っていた。それを口にすれば矛先が俺に向くのは歴然なので口に出すことはしない。

多少二人が不仲になったような気配を感じつつ、和人が恐る恐る声をかけた。

 

「二人とも、いいかい?」

 

「……なによ?」

 

睨まれて和人はすぐさま二歩下がった。

そこは七夏の蹴りが届かない絶妙な位置だった。

 

「待たせちゃってごめんね。やっと道が分かったから、行こうか」

 

「今度こそ平気でしょうね。もう待たされるのはごめんよ」

 

「ちゃんと確認したから大丈夫だよ」

 

ニコニコと人好きする笑顔の和人は、なんだか女の子の扱いに慣れてる気がする。

これが過去三人の女の子で培った経験だろうか。

この二人のやり取りは無難と言う文字を連想させて勉強になる。多分俺には出来ない。

 

二人の会話に割り込む形でリュウが七夏に近づく。一応彼氏だと言うのに、リュウへ向ける視線に一寸の手加減はない。あれはマーダーの目だ。

 

「私今お腹減ってるから機嫌悪いわよ」

 

「見てれば分かる」

 

言いながらポケットから取り出したのはキャンディだ。包装は黄色でたぶんレモン味。

手渡されたそれを七夏は無言で頬張る。口の中でコロコロと転がしている。時おりぷくっと頬が膨れる。かわいい。

 

これで束の間の平穏が訪れた。鬼が飴玉で耐え忍んでいる間に生贄を捧げなければいけない。

元はと言えば、場所の分かりにくい隠れた名店を指定した七夏が悪いのだと文句もあるが、今それを言っても始まらない。

 

場所を確認するとすぐ近くまで来ていた。もう5分もあれば着くだろう。

ガリッと何かを噛み砕く音が聞える。ぼりぼりと食している。

その音を聞きながら、不思議と早足で目的地へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん~っ!! 美味しい!!」

 

満面の笑みであんみつを食べる七夏。

スプーンを振り回し全身で喜びを表現している。

鬼は天使に化けた。先ほどまでの不機嫌は嘘のようだ。

雷さえ鳴っていた空から突然恵みの光が降り注ぐ。ぱあっとにこやかな光はリュウと言う大地に豊穣をもたらした。普段引き締まっている表情はだらしなく緩んでいる。仲睦まじくて何よりだ。

 

「来てよかったわ。ね」

 

「……」

 

その横でパフェを突っついていた霧絵は無言で頷いた。

スプーンを動かす手は止まらない。かちゃかちゃとスプーンが食器を引っ掻き回す傍らで、俺たちは飲み物を飲んでいる。

リュウと和人はアイスコーヒーだ。俺はオレンジジュース。

二人が優雅にコーヒーを飲むのを横目に見てふと思う。ひょっとしてコーヒーを飲むから恋人が出来るのだろうか。

馬鹿な考えだが、やけに様になっているのを見ると、馬鹿と一口に切り捨てるのも愚かな気がしてくる。

 

「あんたたちは頼まないの?」

 

七夏が白玉を頬張って、呂律が回らないまま尋ねてくる。

三人揃って首を振った。

 

「……なに。もしかしてお金が――――」

 

「そういうわけじゃないよ」

 

一転神妙な顔をする七夏を遮って、和人が頑と否定した。

不安げにチラッと俺を見てくる。オレンジジュースを啜ってからはっきり言ってやった。

 

「この後昼飯も食うのに、甘いもので腹膨らませたくない」

 

「甘いものは別腹でしょ?」

 

「それは女子だけだ」

 

それで納得したのか、また満面の表情で餡蜜に取り掛かる。

 

二人が食べ終わるのを待つ間、女子って体重のこと気にするのにどうして甘いものが好きなのだろうと男共に話題を振った。男共の顔色が青くなる。

目の前の女子が剣呑な目で睨んできたのですぐに話題を終わらせた。

二人がスイーツを食べ終わり、食休みの緩慢とした時間が過ぎる中、和人が一つ提案をした。

 

「この近くにね、神社があるんだって。行ってみない?」

 

4人で顔を見合わせた。前触れなく突然の話だ。

曲がりなりにこの後の予定は決まっている。

しかも現時点で時間が切迫している。予定通りの行動をするなら、すぐにでも出なければいけないほどだ。

 

「ほら、元々キツキツのスケジュールだったけど、道に迷ったせいで最後の方行けなくなったでしょ? だから正直崩しちゃってもいいかなって」

 

「そうね。誰かさんのせいで店一つ行けなくなったわね」

 

七夏の皮肉に和人の頬が引き攣る。

任せてくれと胸を叩いた和人が出始めにやらかしたので、一つでも多くの店に行くと言う七夏の望みは既に叶わぬものとなってしまった。

まあ潰えたわけではないので、今からでもやろうと思えば行けるのだ。その場合、旅行を楽しむと言う大前提が崩れてしまうが。

 

「どこ行きたいの?」

 

「ここだよ」

 

和人が変なパンフレットを取り出した。

いつ手に入れたのかは分からない。少なくとも俺たちに覚えはない。

宿に置いてあったのだろうか。

 

「ふーん……。神社……恋愛成就?」

 

「それもあるけど、他にも」

 

指さした箇所には合格祈願と書かれている。

あと身体健全に安産祈願、開運招福、八方除け?

数多く収まりきらないほど書かれている。もう全部まとめて心願成就とかにすればいいんじゃないか。とか思ってたら心願成就もあった。

 

「一つ行くだけでこれだけ色々願えるなら、行って損はないんじゃないかな」

 

「そうねえ……」

 

顎に手を当てて悩む様な素振りを見せる。「あんたたちはどう?」と水を向けてきた。

「どっちでも」そう答えたのは霧絵で、「場所にもよるが、あまり行きたくない」そう言ったのはリュウだった。

リュウが否定的なのは珍しい。極力他人の頼み事には頷く奴だと思ったが。

 

「あんたは?」

 

「いいんじゃないか」

 

「……そ」

 

本音は消極的賛成と言う所で霧絵と似たり寄ったりだった。まあでも、俺がここでそれを言ったら下手したら行きませんってことになりそうだから賛成にしておく。

少しばかし考え込んだ七夏はパンフレットの住所を指でなぞった。

 

「これ近いの?」

 

「うん」

 

「何分?」

 

「歩いて20分ぐらいかな」

 

「往復40分か……」

 

それだけあればどれだけスイーツ店行けるだろう。

そう考えているのが手に取るように分かる。悩む七夏。正直悩む必要はないと思うが。

 

「自由行動は明日丸一日あるし、修学旅行なのに七夏の行きたいところばっかり行くのもどうかと思うけど」

 

自由行動はほぼ七夏の行きたいところを回る。

なのに僕の行きたいところはダメなのかと責められて七夏は言葉に詰まった。

ぐぬぬと唸った末に「……わかったわ」と観念する。

 

「よかった。じゃあお昼ご飯食べたら行こう。道はちゃんと調べてあるから安心して」

 

「さっき迷ったくせによく言えたもんね」

 

誤魔化す様に和人は笑う。

俺なんかよく方向音痴扱いされるが、こいつこそがそうじゃないだろうか。少なくとも着実に実績は積んでいる訳だし。

 

「それちょうだい」

 

「どうぞ」

 

霧絵がオレンジジュースを欲しがったのであげた。

そういえば、方向音痴と言えばこいつもそうだった気がする。

昔よく迷っていた記憶が……。

 

「そうと決まれば善は急げだ。行こうか」

 

「お昼ご飯食べにね」

 

俄然張り切りだした和人。若干テンションの下がった七夏。

対照的な二人を見ながら店を出る。

 

視界の隅でのぼりが風に吹かれて揺れていた。入るときには気づかなかったそれは古ぼけた文字で甘味処と書かれている。

また風が吹いた。髪が目にかかり、鬱陶しく思って掻き上げる。にわかに涼しさを感じ、空を見ればぽつぽつ雲がかかっていた。太陽を朧雲が包み隠している。

これから歩くのだし、日差しが弱くなるのであれば好都合だ。けど雨が降り出したら困るな。

 

「……」

 

どこまで行っても白い雲。灰色の雨雲は見当たらない。

これならたぶん降らないだろう。特に根拠もなくそう思って、外れたら大変だなあと他人事のように思った。

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