帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第9話

昼食は予定通りそばを食べた。古風な店で少し並んだが、その甲斐もあってか美味かった。

 

「美味かった」

 

安直な感想だったが、皆一様に頷いた。

 

そば湯まで堪能して、それですっかり機嫌の治った七夏だったが、目の前に広がる光景を見て、早くも再降下爆撃の準備に取り掛かっている。

和人の先導した道は山道だった。

少し涼しくなってきたとはいえ、まだまだ暑い季節。出来ることなら山道など歩きたくはない。機嫌も悪くなると言う物だ。

 

「本当にこの先にあるのか?」

 

「……あるはずだよ」

 

パンフレットを団扇がわりに使い涼を取りながら歩く。

書いてある文字を信じるならあるはずだ。和人は自信なさげに頷いた。

全員黙々と歩く。20分歩くと言っていた。山道を20分だ。普通に歩くよりも辛い。日差しが弱いのがせめてもの救いだった。

 

「水飲むか?」

 

「……ありがと」

 

リュウが七夏たちを気遣っている。霧絵は自前であるから断っていた。

俺の方に視線が向く。目線でいるかと聞いてきた。手を振っていらないと示した。

 

「……恋愛から健康から何でもござれの神様って何よ」

 

「さあ……」

 

「……それ本当に神様なの? 人が作った都合のいい偶像じゃなくて?」

 

「…………」

 

「あんた、恋愛成就の神社行かないからここねじ込んだんでしょ。そうなんでしょ? ねえ?」

 

七夏がしつこく和人に絡んでいる。誰が見たって八つ当たりでしかない。

触らぬ神に祟りなし。むしろ他人の振りまでしたいとすら思う。もしここが人通りの多い場所だったら間違いなくそうしていただろう。

 

和人にとって幸いなことに、七夏の攻勢は長くは続かなかった。先の分からない道を歩きながら口も動かすのは大変重労働だ。恨みがエネルギーになると言っても限界がある。

やがて、元気をなくして沈黙が空気を支配したころ、それを破って和人が口を開いた。

 

「あったここだ」

 

古びた階段。

半ば藪で閉ざされかけてるそこを和人は首尾よく見つけた。

パンフレットを見る。写真に写る階段は、藪がなければ確かに似ている。

 

「人気ないのね」

 

七夏が俺の手からパンフレットをもぎ取る。

目の前に掲げてひらひら振っている。

 

「これはこんなに立派なのに」

 

胡散臭そうな目で睨みつつ、ため息交じりに愚痴を吐いた。

素地は青色で写真はカラフル。文字のフォントもこだわっている。

だと言うのに目の前には藪がある。現物との落差はなけなしの努力の賜物だろうか。

 

「この分じゃ上もどうなってるか分かったもんじゃないわ。廃墟になってるかもね」

 

「……まあ、折角ここまで来たんだから見てみたらどうだ」

 

「何もせずに帰るのもなんだ」とリュウが諌めていた。

和人の顔は引き攣っている。来たことを早くも後悔している風だった。

そんな感想もお構いなしに一人でスタコラ登り始めた霧絵を追いかける。

 

「……」

 

「……」

 

相変わらず霧絵は何もしゃべらない。

無口なのはいつものことだ。家ではもっと喋るが、修学旅行に入ってからいつにも増して静かな気がする。

 

登っていく背中を見つめていると、知らず口を開いていた。

 

「なんか祈るのか?」

 

「ん?」

 

霧絵は振り返る。

 

「神様になんかお祈りでもするのか?」

 

「祈らない」

 

一言で切り捨てて顔を前に戻してしまった。

肩越しに声が聞こえる。

 

「でも」

 

「ん?」

 

「お守りは買う」

 

「なんの?」

 

「安全祈願か……身体健全?」

 

「ふーん」

 

無難なラインナップだった。

しかし仮にも高校生なら少し物足りない。

 

「恋愛成就は?」

 

「……」

 

和人のこともあって聞いてみた。

もし霧絵が和人のことが好きなら、応援しなければいけない。

他に好きな人がいるなら……複雑な展開になるな。その場合は口出ししない方が無難か。

 

「……」

 

霧絵は答えず階段を上っていく。

そうこうする内にてっぺんが見えてきた。

出過ぎたこと聞いたかなと頭を掻く。

言いたくないならもう聞くまい。七夏なら何か知ってるだろうか。

 

「アスカは?」

 

「ん?」

 

「好きな人いるの?」

 

「あー。いないけど」

 

少し考えて答えた。

何某に吹いた嘘などとうに忘れていた。

 

「そう」

 

会話の区切りで階段を上りきった。

まず灰色の鳥居が目の前に現れた。その先には黒茶色の本堂がひっそりとある。

周囲は木々で囲まれている。やはり人の気配はどこにもなかった。

 

「なんか……あれね」

 

じっくり神社を眺めていた七夏が口を開く。

 

「変に雰囲気あるわね」

 

お気に召したらしい。

風に吹かれて擦りあう葉鳴りが辺りに響く。それ以外は鳥のさえずりさえ聞こえてこない。

なんとなくその場から動かず神社を眺めていた。まっすぐ伸びる参道がいつでも来いと歓迎している様に思える。実際そのためにあるのだろう。

 

ふと影が出来た。空を見ると一際厚い雲が太陽を覆い隠したところだった。あれのせいで日差しが遮られている。

しかしすぐに雲は途切れて日が差し始めた。かと思うとまた遮る。日陰と日差しでまだら模様が出来ている。微妙な天気になってきた。

 

「お守りは、あるのかな」

 

和人の呟きに俺は答えられなかった。

 

「人はいないようだが……」

 

「無人売り場があるかもね。探しましょ」

 

参道を通って鳥居をくぐる。

受け売りの知識だが、鳥居の先は神の領域になると言う話を聞いたことがある。

本当なら参道も神の通る道だとか。そこまで気にはしない。俺の記憶なんて当てにならない。嘘かもしれない。

 

一纏めに移動する和人たちとは一旦分かれて本堂をぐるりと回った。

無人販売所を探す気はあまりなかった。あるなら誰かが見つけるだろう。

 

裏に道はなかった。建物どころか物一つない。販売所はともかく何かあるかなと思ったのだが、その考えは外れたようだ。

 

表から呼ぶ声がする。

 

「なにかあったかい?」

 

「なんにもなかった」

 

屋台の前で少し嬉しそうな顔の和人。

墨で達筆な文字が書かれている。『無人販売所』

 

「人がいないってのは危ないなあ」

 

「そうでもないんじゃない。そもそも人が来ないからね」

 

和人にしては珍しいことに、酷いことをはっきりと言った。担がれたと言う自覚はあるようだ。

屋台の中には箱に詰め込まれたお守りが置いてある。

パンフレット通り種類はある。値段は全て500円。一見すれば色違いにしか見えない。名札でしか区別できないのは問題じゃないだろうか。

 

「これは中身が違うのか?」

 

「たぶんそうじゃないかなあ」

 

嬉々として、和人はお守りを選んでいる。

七夏とリュウも同じように物色していた。

一足早く霧絵が金を払っていた。1000円札を一枚。お守りを二つ買ったらしい。

買ったその足でこっちに向かってきた。

 

「アスカは買わないの?」

 

「いや、いいかな……」

 

それほど信心深くなければ、神に頼るほど困ったこともない。

て言うか、神には嫌と言うほど祈って素っ気なくされた。今更何を信じることがあるだろう。

 

和人が「どの色が良いかな?」なんて聞いて、「女々しいわね」と両断されている。微笑ましい。

おもむろに、霧絵が俺の手を取って何かを握らせた。お守りだった。

 

「なにこれ?」

 

「ナムナム」

 

両手を合わせて拝んでいる。とりあえずその後頭部にチョップを入れた。

霧絵は頭を擦りながら答えた。

 

「お守り」

 

「なんの?」

 

「安全祈願」

 

「ふーん」

 

ピンク色のお守りを目の前に掲げてしずしず見る。

霧絵がポケットにしまったのも同じ色だった。……ペアルック?

 

「なによあんたも買ったの?」

 

不意に背中から浴びせられた声で肩が跳び上がった。隠すことではないが何故かそうなった。

七夏は驚いた俺を不思議そうに見ている。

 

「ああ、いや……安全祈願のお守りを」

 

「あんた突然事故に遭って死にそうだもんね。大切にしなさいよ」

 

中々失礼なことを言う七夏の手には水色のお守りがある。

 

「お前は?」

 

「これは心願成就。願い事が叶うんですって」

 

「へえ」

 

叶えたいことなんてあるんだ。

ちょっと意外に思って、しっかり顔に出ていたようだ。

 

「おばあさまのこととか千冬のこととか、知ってるでしょ?」

 

「祈るようなことか?」

 

「神頼みでもしないとやってらんないのよ」

 

やれやれと首を振った七夏は音もなく近づいてきていたリュウを振り返った。

突然振り返られて、リュウは驚いて後ずさる。七夏の強い眼光で射竦められ硬直した。

 

「リュウも同じよね? 心願成就」

 

「ああ……」

 

リュウの手には茶色いお守りが握られていた。

あれだけカラフルに種類があって茶色と言うのはなかなか味のある選択だ。渋い。

 

「何を叶えたいの?」

 

「いや……その……」

 

歯切れの悪いリュウを鋭く見つめて数瞬。

「うっ」と呻いて何も言えなくなったリュウ。七夏は溜息を吐いて視線を外した。

 

「言いたいことあるならいつでもいいなさいよ。ちゃんと聞くから」

 

「……すまん」

 

今までどれだけ言う言う詐欺をしてきたのかは数えきれないが、いい加減ちゃっちゃと言わないと愛想をつかされそうな雰囲気だった。

恐らくはったりだろうが、しびれを切らしているのは間違いない。今後の動向に注目だ。

 

「二人も色々あるんだね」

 

ひょこっと顔を見せた和人がそんな感想を言い放った。

俺にだけ聞こえる音量だったので七夏に睨まれずに済んだ。

 

「買ったのか?」

 

「うん。恋愛成就」

 

赤いお守りを見せられた。

何故か二つ。二つあると効力も倍になるのかもしれない。

 

疑問を覚える俺に和人はニヤッと笑って霧絵に声をかけた。

 

「霧絵。これを受け取ってほしい」

 

変に固い言い方で、赤いお守りを一つ差し出した。霧絵はじっとそれを見つめている。

 

「これは?」

 

「恋愛成就のお守りなんだ」

 

眉をひそめている。意味が分からないと表情が如実に語っている。

「どうして?」と聞く。「理由は聞かずに受け取ってほしい」と強い口調だった。

「いらない」と取り付く島なく言われても、「どうしても受け取ってほしい」と強気で押した。

二人は二言三言押し問答を繰り返し、和人の勢いに押されるようにして、霧絵はお守りを受け取った。

 

「ありがとう」

 

「…………」

 

返事もなく酷く面倒くさそうだった。

ため息すら吐いている。ゲームではないが好感度が下がったのが見て分かった。

それでいいのかと心配になる。

 

「……よし」

 

「え?」

 

いつの間にかリュウが俺の腕を掴んでいた。

半ば持ち上げられ、引き摺るように移動させられ、お守りの前に連れて来られる。

恋愛成就の札を指さしてリュウは言った。

 

「買え」

 

「は?」

 

「買え」

 

「いらねえ」

 

先ほど、和人と霧絵の押し問答はたった二~三言で終わった。

反して俺とリュウの押し問答は5分ほどかかった。俺が勝った。

 

霧絵と和人の関係は、和人が踏み出したことで着実に変わろうとしている。

修学旅行中に勝負を決めようと言う腹なのだろうか。それほど焦ることでもないだろうとは思うのだが。

正直現段階で和人に勝ち目があるとは思えない。霧絵の態度が素っ気なさ過ぎる。それなりに大切には思われているだろうが、今のまま恋人になる姿が想像できない。

俺の知らないところで二人が仲良くやっているのなら別だが、そんな気配は今までなかった。

まず関係を深めるのが重要ではないだろうか。そんなアドバイスを思いついて、しかし和人は受け取りそうにないなあと思う。

恋敵と勘違いされている。和人にとって敵に塩を送られるようなものだろう。屈辱だ。

 

だから俺は何もしない。出来ることは何もないと思ってる。もし和人の告白が成功すれば、それは和人がそれだけ頑張ったということだ。喜ばしい。

 

「さあ来なさい」

 

「いーやー」

 

俺とリュウが遊んでいる間に三人は拝殿に上っていた。祈らないと言っていた霧絵は七夏に引き摺られて連れて行かれた。嫌がる霧絵を見て七夏は良い笑顔だった。先ほどの意趣返しかもしれない。

 

何度か手を叩いて、何度か礼をした。三人とも祈っている間は全く動かない。

祈り終えて戻ってくる。表情は晴れ晴れしていた。

あいつらが何を祈ったのかはわからない。いや、考えれば分かりそうではあるけど、考えないようにする。分かったところで意味の無いことだった。

 

「帰るわよー」

 

「了解」

 

屋台から拝殿を眺めていた俺に七夏が声をかけた。

リュウと一緒に三人に合流する。参道の中ほどまで来て、先頭を歩いていた七夏が口を開いた。

 

「そう言えば、階段の途中にお地蔵あったわよね」

 

「あったね」

 

和人含め三人が頷いた。しかし俺にはそんなものを見た覚えはない。そんなのあったかと記憶を探る。

階段は木々に囲まれていた。そんな中地蔵があるのはどう見てもホラーだ。一目見たら忘れないどころか夢に見そうだが、会話に夢中で目に入らなかったか。

 

「ちょっと拝んでいきましょうか」

 

「お供え物持ってんの?」

 

「いらないでしょ」

 

七夏はそう言うが、個人的に手ぶらで参るのも気が引ける。

なんかないかと探していたら、「飴あったでしょ、飴」と七夏が言った。

 

4人が鳥居をくぐった。俺もくぐろうとする。すぐ目の前は階段だ。

「地蔵ってどこよ」聞こうとした俺の足首を誰かが掴んだ。そんな感触がした。

 

「え?」

 

縫い付けられたように動かなくなった足。考える暇もなく振り向いた。

視線を下に向ける。参道から、というか地面から手が伸びていた。俺の足を掴んでいる。

 

「は?」

 

白い手だった。小さくて子供のよう。

一目見てそんなことを思う。肝心なのは地面から手が出ていることなのだが、あえて意識するのは避けている。脳が理解することを拒んでいた。だってこれ……え、幽霊……?

 

「ちょ」

 

振りほどこうと足をばたつかせる。

しかし振りほどくことは出来ず、むしろ逆効果だった。抗うように力がこもり、足首に痛みを感じる。

手が地面に引っ込み始める。俺の足を掴んだまま。

 

「いや、ちょっ……まてよ」

 

踏ん張れば踏ん張るだけ、この手は力強くなる。

すぐに立っていられなくなった。仰向けに倒れて、先に行っていた4人が視界に写る。

みんな地面から生える手を見て呆然としていた。

 

「これ、どうしよう……?」

 

思わず尋ねていた。言っている間も引っ張られている。最初に現実を直視したのは霧絵だった。

霧絵は手に駆け寄ったかと思うと、渾身の力を込めて蹴りつけた。

バシッと肉を打った音がする。それでも手は足を掴んだままだ。

 

「踏んばれッ!!」

 

我に返ったリュウが俺の身体を抑えにかかった。

七夏もすぐに続いた。二人に引っ張られ、拮抗する形で両方向から引っ張られる。縄引きのような感じだ。

霧絵がげしげしと手を蹴り続けていた。和人も参戦する。サッカー部らしい蹴りは一際鈍い音を辺りに響かせた。

 

和人のフォームを見て学習した霧絵は、真似をして脚を高く振り上げた。

しかしバランスを崩して転んだ。うつ伏せに倒れた霧絵は真っ青な顔をしている。なぜか起き上がろうとしない。目が合った。何かを訴えている。まさかという思いで目を向けた。

 

「こんな時に何して……え……」

 

全員の視線がその足に釘つけになった。地面から手が生えていて、霧絵の足を掴んでいる。俺と同じように。

その手は霧絵を引き込もうと沈んだ。――――頭が真っ白になった。

 

「霧絵を助けろ!!!」

 

無意識に叫んでいた。止まっていた時間が動き出し、和人が駆け寄ろうとして、立ち止まる。

恐怖に歪んだ顔は自分の下半身に向けられていた。手がある。

 

「うっ!?」

 

「んぐ!?」

 

くぐもった声が背後から聞こえた。

振り向くと二人の口を手が塞いでいた。二人の後ろには誰もいない。でも手はある。その手は真っ白な子供の手だった。

 

振りほどこうと暴れる二人が、仰向けに地面に倒されるのを見ていた。

七夏が俺の背中を蹴る。逃げろと目が言っていた。俺の足は掴まれたままだ。逃げられるはずがない。

どうするべきか。一瞬考えて、咄嗟に七夏の口を塞いでいる手に掴みかかっていた。

 

「ふざけんなよ、なんなんだよ……」

 

無意識に呟いていた。理解し難い状況に遭遇して狂いかけていたのかもしれない。

七夏の諦めた眼が目の前にある。せめてこいつだけでも助けたかった。まだ手の届くこいつだけでも。

その一心で手を剥がそうとする。でも一向に剥がれない手と、この間も少しずつ引っ張られている状況に焦って、イラついて、ついに怒鳴った。

 

「放せよ……この手を放せ!!」

 

火事場の馬鹿力と言うわけではない。ただ、何故か手から力が抜ける。おかげで引き剥がすことができた。

 

「……ぷはっ!!」

 

「逃げろ、お前だけでも!!」

 

背中を押して、七夏は走り出した。階段のところで未練がましく振り向く。その顔が驚きと絶望に染まった。

 

「……なんだ、これ」

 

一周回って笑いたくなる。非現実的にもほどがある光景が広がっていた。

俺を囲むように、数十本の手が生えてきていた。全部同じ白い手だ。にょきにょきと雨後の筍のように生えてくる。

手の群れは天に向かって2メートルも長くなったかと思うと、俺を覆うように垂れてきた。

足を掴まれ自由に動けない状況でこれはもはや詰みだった。逃がすまいと強い意志を感じる。七夏を逃がしたからだろうか。栓ないことを考える。

 

無数の手に絡みつかれ、全身のあちこちを強く押さえつけられる。左目が覆われて視界が塞がれる。

残った半分の視野に、我を失っているリュウが見えた。

目の前のことが信じられず、恐怖でパニックになっているようだった。

口が塞がれているのも構わず大声で叫び、手を解こうと暴れている。

 

霧絵と和人の様子が見たいが、もうそっちを向くことすら難しい。

無数の手は俺を地面に沈めようと躍起だった。普通なら押し潰されるはずの固い地面は、なぜだか柔らかく沼のようになっている。気を抜くと奥深くまで沈められそうだ。今は何とか抵抗出来ていても、時間の問題でしかない。

 

七夏は無事助けを呼びに行けただろうか。せめて無事だけでも確認したい。

最早目も耳も塞がれた。見たくても見えない。聞きたくても聞けない。どうしようもない。

暴れるのを止め、眼を閉じた。運命に身を任せる。

 

身体が地面の中に潜り込んでいく。不思議な感触がした。身体全体が膜を通過したような感触だ。

沈む感覚に身を任せていると、突然音が聞こえ始めた。

 

「放せっ!? アスカを放しなさいっ!!」

 

目を開ける。真っ暗闇だ。

耳だけが七夏の声を拾っている。すぐそこにいる。

口を開いた。「逃げろ」と言ったはずだが、くぐもった声しか出ない。

 

「今、助けるから……!! 待ってて!!」

 

どういう状況だ。どうなってる。リュウは? 和人は? 霧絵は?

分からない。目が見えない。俺は沈んだんじゃないのか?

 

「七夏逃げろ!! もうだめだ!! 逃げろ!!」

 

「ダメじゃない!! ダメなんかじゃない……!! だって、まだ――――」

 

遠くで和人の声が聞こえる。それよりずっと近い七夏の声。二人の声は沈む感覚と一緒に少しずつ遠ざかっている。

 

やがてテレビの電源を切ったように音は聞こえなくなった。

水の中を沈んでいる気がする。呼吸ができない。意識が遠のく。瞼が重くて全てが億劫だ。

 

これ死ぬなあ……。

諦めたからだろうか。不思議なことに恐怖はない。

未練はある。あいつらのことだ。

あいつら無事かなあ。

 

最期にそう思って意識が飛んだ。

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