「はぁ……今日も疲れた」
ため息をつきながら俺、笹島健一は自室の鍵を開けて部屋の中に入る。
キッチンにコンビニで買ってきた弁当を置いてリビングに入った俺は、スーツをその辺に脱ぎ捨てる。しわになるかもしれないが、明日は休みでクリーニングにでも出そうと思っていたので問題はない。
それに今日は予想外の残業でかなり疲れていたので、ハンガーにかけておくのも面倒だ。……残業を押し付けてきた上司の野郎、絶対に許さん。
「さっさとシャワーでも浴びるか」
洗濯物を洗濯機に放り込み、浴室に入った俺は頭から熱いお湯を浴びる。適当に髪と身体を洗ったところでようやく頭もスッキリしてきた。
髪を拭きながら浴室を出て、買ってきておいた弁当を電子レンジで温める。普段は健康を考えて自炊をしたりするのだが、今日はとてもじゃないがそんな気は起きなかった。
温め終わった弁当と缶ビールを持ってリビングへ。
「いただきます」
手を合わせてから弁当……からではなく缶ビールのプルタブを引き、ビールを勢いよく喉に流し込む。
「あぁあああ~」
明日が休みだと分かって飲むビールは最高だ。正直、このために生きているといっても過言ではない。某アニメの映画で父親が「このために生きてるな」と言ったのも納得だ。
一息で半分を飲み干した俺は弁当に箸をつける。新発売とシールが貼ってあったので買ってみたのだが、なかなかうまい。流石は商品開発に定評のある大手のコンビニだ。弁当を食べつつ、テレビをつける。
見たい番組があるわけでもないが、声がないと寂しいのでいつも適当に流し見していた。ちなみに今映っている番組は『志乃&早苗の本音ではしご酒』。
アイドルである二人が、お酒を飲みながらゲストの話を聞くというこの番組。志乃さんと早苗さんのキャラは全然違うのだが、そのミスマッチが逆に視聴者に受け大人気の番組になっている。
酒を飲めて、尚且つギャラも貰えるなんて滅茶苦茶羨ましい。そんなわけでしばらくテレビを見つつお弁当を食べていたのだが、
「さて、そろそろあれの中身を見てみますか」
弁当を食べ終え、いい感じに酔いも回ってきたので俺は本棚の中からとあるアイドルの写真集を取り出す。既にビールは三本目へと突入していた。
別に俺はアイドルオタクでも何でもないのだが、彼女だけは違う。初めて見た時にビビッときたのだ。
それ以来、彼女の出ているテレビ番組は可能な限りチェックしているし、写真集も買っている。
「待ちに待った瞬間だな」
発売日は今週の水曜日だったのだが、仕事が忙しく読む暇がなかったのだ。
写真集を開いて中身を見た俺は……ため息をついた。
「どうしてこの人はこんなに美人なんだろう」
俺が買った写真集の表紙には三船美優と大きく名前が書かれており、彼女が愁いを帯びた表情を浮かべている。
ただでさえ美人なのに、この表情はずるい。反則である。そのままペラペラとページをめくっていき……やっぱりため息しか出なかった。
(荒んでいた心が浄化されていく)
もう隠していてもしょうがないので説明しておくことにしよう。俺はアイドル三船美優の大ファンだった。
三船美優。26歳ということで落ち着いた雰囲気を身に纏い、優しくもありどこか儚げな印象を抱く。可愛いというよりは美人という言葉が最適で、妖艶といっても過言ではないだろう。
スタイルもよく、たまに見せる露出の多い格好で俺の度肝を抜くことも多い。トラがモチーフの格好をした写真を見た時は鼻血が出た。
茶色の髪を後ろで一つにまとめていることが多く、それが彼女の美人さと妖艶さをより引き立てている。
長々と説明してきたのだが、取り敢えず俺は彼女の大ファンなのである。最近になってテレビなどへ露出が多くなってきた彼女だが、俺はメディアに出てくる前からずっと気になっていた。
とある雑誌の小さな記事で見ただけだったのだが、その時の事はよく覚えている。身体に電撃が走るとは、まさにあの時の事を言うのだろう。
その後はネットで彼女の情報を調べ、ライブなどの映像を動画サイトで見たりもしたし、雑誌を買い出したりしたのもこの頃からだ。
「はぁ……最高だ」
今回の写真集はお色気系ではなく、どちらかというと普段の美優さんにスポットを当てているように感じる。素に近い表情の写真が多く、それがまた魅力的だ。
たっぷりと時間をかけて写真集を読み終えた俺は、「ふぅ」と息を吐いてから写真集を元の棚に戻す。
「……いやぁ、良かった」
残っていたビールを飲み干してから俺は小さく呟く。雑誌の取材とかもいいけど、やっぱり三船さんの魅力をあますことなく伝えられるのは写真集だけだな。
これは折り目とかがつかないよう、きちんと保存しておかないと。そんなわけで俺がいそいそと本棚に三船さんの写真集をしまい終えたところで、
ガチャ
「っ!?」
玄関の扉が開いた音が耳に入り、酔いが一気に醒める。俺は一人暮らしであり、同棲して合鍵を渡している彼女なんていない。
扉が空いたということは要するに……不審者が入ってきたということにほかならない。
(鍵はちゃんと閉め……てなかった!)
全身から冷や汗が噴き出す。かなり疲れて帰ってきたので鍵を閉め忘れていたのだ。一瞬、とんでもない自己嫌悪に襲われるも、すぐに冷静になる。
(落ち着け、落ち着くんだ俺。慌ててもしょうがないからな)
とにかく起こってしまったものは仕方がない。今は自分の身を守ることが重要だ。
取り敢えず近くに置いてあったヘルメットをかぶり、武器になりそうな分厚い本を右手に持つ。腹の中にはもちろんジャンプを忍ばせてある。左手にはいつでも警察に連絡できるように110番のダイヤルを既にセット済みだ。
もちろんこの対応は間違いではないと思うのだが、最適解はすぐに警察へ連絡を取ることだっただろう。不審者かもしれない人が入ってきているわけだったのだからな。
しかし、心の中ではやはり動揺が隠せず、更に自分の不注意で警察を呼ぶことにためらいを感じていたのかもしれない。
だからこそ、ある意味こんなバカみたいな行動に至ったのである。
まぁ、この時の対応が後々の人生を変えるなんて思いもしなかったんだけどな。
(これでいつ暴漢が突入して来ても大丈夫だ)
リビングの扉付近に意識を集中させる。入ってきた瞬間、分厚い本で頭に一撃入れる算段だ。
多少なり、犯人が動揺すればこっちにも勝機がある。というわけで待ち構えていたのだが、
「……おかしい」
待てども待てども暴漢が部屋に入ってこない。それどころか暴漢が動いている気配もない。
どこかの部屋に入ったら音が聞こえるはずなのだが、それもないので俺は首を傾げていた。
(ちょっとだけ扉を開けて確認してみるか)
俺はスマホだけ片手に持ち、警戒しつつリビングの扉を少しだけ開けて廊下の様子をうかがう。すると、
「う、うーん……」
一人の女性が廊下で倒れていた。
「…………」
またもフリーズする俺の思考。いや、だって暴漢かと思って廊下を覗いたら一人の女性が倒れてるんだよ? 固まらないほうがおかしいでしょ。
ただ、相手が倒れているということで少し安心した俺は、扉を開け廊下の電気をつけて女性の方へと近づいていく。
そして女性の顔が見えるところまで近づいたところで……絶句した。
「み、三船美優さん……だよな?」
間違えようがない。廊下で倒れていたのは俺の大ファンであり、先ほどまで写真集で散々眺めていた三船美優、その人だった。
「ひ、ひとまずリビングまで運ぼう。話はそれからだ。まだ慌てる様な状況じゃない」
まずはきちんと施錠し、倒れていた美優さんをリビングのソファまで運ぶ。
運んでいた時に感じたのは若干彼女がお酒臭かったことだ。つまり、彼女は酔っぱらっている?
もちろん、女性らしい香りや感触も健在で、意識が飛びかけたが舌を噛んで対処した。
ソファに彼女を横たわらせた後、俺は頭を抱えた。
「何でだ?」
率直な疑問である。というか、頭の中は何で? で埋め尽くされていた。
鍵を開けていたのはもちろん俺の責任だが、酔っぱらっていたとはいえ彼女がこの部屋に入ってくる意味が分からない。
彼女はアイドル、俺は一般人。よし、なにも落ち着かない。一つだけ仮説を立てるとすれば、
「……三船さんはもしかしてこのマンションに住んでいるのか?」
憧れのアイドルが同じマンションに住んでいるなんて夢のような話なのだが、そう考えるのが普通だろう。酔っぱらっているとはいえ、まさか自分の住んでいないマンションに入ってくるわけないからな。
ただ、同じマンションだからといってこの部屋に入ってくる理由にはならない。……部屋が隣でなければ。
「考えたくないけど、まさか三船さんはどこかでお酒を飲んだ後酔っぱらって帰ってきた。そして、間違えて俺の部屋に入ってきた?」
マンガやアニメでも早々ありそうにない展開なのだが、三船さんが眠ってしまっている以上、本当の事は分からない。
部屋に戻そうとも左右どちらの部屋か分からないし、何より鍵がどこにあるか分からないのだ。そもそも、部屋が隣である保証なんてどこにもないだろう。
更にうちのポストには名字なんて書かれていないし、仮に部屋が分かったとしても鍵がなければ意味がない。
鞄を漁ろうにも三船さんの事は俺が一方的に知っているだけである。そんな関係でプライベートの塊でもある鞄を漁るわけにもいかない。もちろん、今の時間不動産やはやってないし、やっていたところで個人情報を教えてくれたりはしないだろう。
つまり、どうすることもできない状況だ。
「……取り敢えず、事情についてはまた明日三船さんに聞くことにしよう」
俺は机どかすと、来客用の布団を取り出してリビングに敷く。そこに三船さんを横たわらせて布団をかける。よく眠っているので明日の朝まで起きることはないだろう。
服がしわになるかもしれないが、勝手に脱がせたりするとセクハラと捉えられかねないので仕方がない。三船さんが寝息をたてていることを改めて確認すると、俺は深いため息をついた。
「……明日はなんて説明しよう?」
懇切丁寧に説明するほかないのだが、三船さんは間違ってこの部屋に入ってくるほど酔っぱらっている。
つまり、朝起きると知らない部屋におり、知らない男が隣にいることになるのだ。記憶のない女性にとって、これほど恐怖を感じることはないだろう。
恐らく、酔っぱらっているところを無理やり連れ込まれたと思っても不思議じゃない。というか、きっとそう思うだろう。
「……もういいや、寝よ」
疲れていたこともあり、頭が回らなくなった俺は問題を放り投げて寝ることにした。対応については起きてから考えよう。明日は早起きになりそうだ(白目)。
☆ ★ ☆
「…………んんっ?」
目を覚ますと私、三船美優はいつもと変わらぬ天井を見つめていた。
「あれっ、私ってばいつの間に……って痛っ」
むくりと身体を起こすと、二日酔いの影響で頭がガンガンと痛んだ。頭を押さえつつ、周りの状況を確認する。
私はいつの間に眠って……あれっ? なんだか部屋の様子がいつもと違うような……。
もう一度注意深く周りを見渡す。すると私は衝撃的なことに気付いた。
(えっ? ここ、私の部屋じゃない!?)
頭の中が完全にパニック状態になる。私の家にこんなソファはないし、本棚もこの位置にはおかれていない。
(えっと、私はお酒を飲んでいたはずなんですけど)
昨日は確か楓さんたちと一緒に飲んでいて……家に帰ってきた記憶がない。途中まで楽しく飲んでいたのだが、昨日は仕事で少し失敗したこともあっていつもより多い量を飲んでいた。
マンションの前までついて来てもらって……その先がどうしても思い出せない。ただ、知らない場所にいるということを考えると、もしかしたら私が酔いつぶれていたところを連れ込まれたのかも。
(あっ、今の自分の格好は……良かった、服を脱がされたりはしないみたい)
仮に脱がされて、何やかんやされていたらもう少し服は乱れていると思うので、一応大丈夫だろう。
鞄も近くに置いてあったので中を確認してみると、特に何かをとられたりはしていなかった。
しかし、だからといって安心する理由にはならない。
(取り敢えず、もう少し色々見てないと……)
私がそう思って顔をあげたところで、
「っ!?」
「…………」
知らない男の人と目が合った。今までの思考がストップし、身体が恐怖で固まる。
声を出そうにも、全く声が出てくれない。
「…………」
そんな私を知ってか知らずか、男の人が無言でこちらに近づいてくる。
(怖い、怖い……)
私は身体を抱いてギュッと目を瞑る。この後酷い事をされて、もしかすると……。頭に最悪のシナリオがよぎる。しかし、私の心配は杞憂に終わった。
「申し訳ないです」
なぜならその男の人が私の前に正座し、頭を下げてきたからだ。しかも謝罪の言葉つき。
「えっ……えっ!?」
突然の事に私はますます混乱する。連れ去った人? が普通、人質に対して頭を下げたりはしない。状況が呑み込めないまま男の人が顔を上げるのを待つ。
一分ほど頭を下げていたのだが、おもむろに顔を上げると一枚の名刺を私の前に差し出してきた。
「三船美優さんですよね?」
「は、はい、そうですけど……」
「すいません、いきなりこんな状況でとても混乱されたと思います。ただ、私としてもこの状況は想定外だったことを理解してほしいんです」
「は、はぁ……」
丁寧な口調に、気を抜けた返事をする私。酷い事をされると思っていた分、逆に丁寧な対応をされ気が抜けてしまったのだ。まさか名刺まで出されるとは、予想外もいいところである。
「これからこのような状況に至った理由を説明したいんですけど、名乗りもせずに事情を説明しても信じてもらえないと思って。ひとまず、名刺を受け取ってください」
訳が分からないまま名刺を受け取る。名前は笹島健一。勤めている会社は社会の知名度もかなりある、有名なところだった。名刺を確認した私はしばらく沈黙する。
(連れ去った人は普通名刺なんて渡したりしませんよね? だって、身元がばれちゃうわけだから)
一瞬、偽造されたものかとも思ったのだが、OL時代の経験からこの名刺は本物だと何となくわかる。そもそも、こんな社会的に認められた会社に入っている人が早々連れ去りなんかを起こすとも思えない。
それじゃあどうして私はこの部屋に? 疑問符を浮かべたのが分かったのか、笹島さんが口を開く。
「えっと、今から色々と説明させてもらうので聞いてもらってもいいですか? もしかしたら信じられないかもしれないんですけど」
「わ、分かりました」
そして彼の口から語られたのは……何とも恥ずかしい私の醜態だった。
「……ここまでが昨日起きたことなんですけど、信じてもらえたでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください……」
あまりに恥ずかしくて、とても顔をあげられるような心境じゃなかった。これまでの態度を見る限り、笹島さんが嘘をついているとはとても思えない。つまり、今彼の口から語られたことは本当の事だろう。
どう考えても今回悪いのは私だ。酒に酔っただけではなく、部屋を間違えて、更にはその間違えた部屋の廊下ですやすやと眠る……。社会人、しかもアイドルがやっていい所業ではない。
(私ばっかり怖いと思っていましたが、これは笹島さんの方がよっぽど怖かったんじゃ……)
鍵を閉め忘れていたとはいえ、インターホンもなしに部屋の扉が開く恐怖は計り知れない。私だったら恐怖で動けなくなっていたところだっただろう。
「すいません。理解してもらえなかったら遠慮なく警察に突き出してもらっても構いません。今回の対応は冷静に考えてとても褒められたものではないので」
覚悟を決めたような様子の笹島さんに、私は慌てて首を振る。
「い、いえっ! こちらこそすいません。ちょっと自分への自己嫌悪で顔をあげられなかっただけですから。それに警察に連絡なんてとんでもないです。笹島さんの態度で本当の事を言っていると思えましたから」
これで演技のうまい人ならともかく、笹島さんはとてもそういうタイプには見えない。
むしろこういっては何だけど、とても不器用そうだ。同時に誠実な人だとも感じる。
「すいません、少しお聞きしたいんですけど笹島さんの部屋番号はいくつですか?」
「504号室です」
「やっぱり……実は私、お隣の505号室に住んでいるんです」
これでようやく私が笹島さんの部屋に入ってしまった理由が分かった。まぁ、分かったといっても理由は単純明快で、私が酔っぱらって部屋を間違えたというだけである。
うぅ、とても恥ずかしい……。一方、笹島さんは笹島さんでびっくりしたような表情を浮かべる。
「えっ、じゃあ本当に俺の部屋の隣に住んでいるんですか?」
「はい、引っ越してきたのは3か月ほど前ですけど、アイドルをやっている以上、不用意にご挨拶をするとトラブルを招きやすいので、挨拶はしていなかったんです」
「あー、だから俺も知らなかったんですね」
アイドル三船美優を知らない人ならともかく、知っている人だと色々面倒なので挨拶は控えるようにとプロデューサーさんに言われていたのだ。
最近は引っ越してきて挨拶をする人も少なくなりつつあるので、現在の状況は都合がよかったともいえる。アイドルをやってると、帰ってくる時間も不規則だし、変装もしていたので顔バレしなかったのかもしれない。
まぁ、今回は挨拶をしなかったことがマイナスに働いた形になってしまったのだけど……。
その後は笹島さんが好意で作ってくれた朝ご飯を食べたり、世間話をしつつ過ごしていたのだが、気付くと恐怖の出会いから一時間以上が経過していた。
「あっ、もうこんな時間ですか。すいません、すっかり長居をさせてしまったみたいで」
「い、いえ、こちらこそ。ご迷惑をかけた上に朝ご飯までいただいてしまって」
お互いぺこぺこと頭を下げる。5分くらいぺこぺこした後、改めて笹島さんが顔を上げた。
「朝ご飯については全然大丈夫ですよ。俺が勝手に作っただけですし。それに三船さんと話すことができて嬉しかったです」
「そ、そんなで、でも、流石に何もしないのは私の良心が許さないので、是非ご都合がつく日にお礼をさせてください。えっと、私の連絡先は……」
スマホを出そうと鞄を漁っているところで、彼がある意味予想外のセリフを口にした。
「お礼は大丈夫です。もちろん、連絡先も結構ですから。そして……これから三船さんを目にしても俺は無視しますから」
「……えっ?」
私と笹島さんはこうして出会い……こうして終わった? のだった。
いきなりとんでもない展開ですが、二次創作ということで許していただきたいです。