バカな後輩が俺に催眠アプリなんてものを使い始めたが、やはりバカはバカらしい   作:歌うたい

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深呼吸した日曜日

青空を閉ざした音楽室の黒いカーテン。

時々入り込む斜めの光の筋に誘われた気がして、おもむろに窓から見下ろしたグラウンドの隅。

 

カラカラに乾いた水道場の影に、何やらこそこそと隠れながらグラウンドの方をうかがってる変なやつが居て。

 

 

それを第一印象としていいのなら、やはり早苗は昔から今の今まで、おバカの一言に尽きると思う。

 

だから興味を惹いたんだろうし、だから今色々と苦労してる。

しかも、バカは伝染ると来たもんだ。

 

 

例えばあの時、声をかけなかったら。

そう考える度に出る結論は、多分今よりつまらないものになってただろうってのが恒例で。

 

毒されてるよ、結局。

 

『……そこで、なにやってんの?』

 

 

『……へ?』

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

明日暇かと聞いて、はいとアイツが答えたから。

その明日がやって来て、今は明日が過ぎ去る間際。

 

プカプカ浮いた丸い月が、退屈そうに傾いている。

 

 

「いやぁしかし……先輩が恋愛映画みたいって言い出した時はびっくりしましたよ。優香ちゃんから借りたってやつ、実写化してたんですねぇ、うむうむ」

 

 

「映画なりのアレンジが結構良かったな。でも、俺が恋愛映画見たがるの、そんな意外か?」

 

 

「そりゃ先輩あんまりそういう感じしませんし。ちょっと前までは早苗のクラスでもクールキャラで通ってましたし」

 

 

「元々有名だった風に言ってくれるとこ嬉しいけど、クールキャラって言われんのなんか嫌だな。こっぱすがしい。てかちょっと前までってことは、今は……」

 

 

「Mr.ツッコミスト」

 

 

「ですよねー」

 

 

午後3時過ぎに待ち合わせた街中から、並んだ映画館で食べたポップコーンのしつこいキャラメル味がまだ口の中に残ってる気がした。

 

緊張の味を甘いと思うのは余裕があるからか、逆に余裕がないからか。

 

 

「というか、俺としては早苗のボーリングの異常な上手さのがよっぽど意外だったけど。6ゲームの最高スコア220でアベレージ195ってなんだお前プロかよ」

 

 

「能ある早苗はブラを隠します」

 

 

「つまりさっきのボーリングはブラを見せちゃった事になるんですけど!? 変にボケなくっていいから」

 

 

「あう」

 

 

アスファルトを歩く足音はまばらで、もう遅い夜の時間帯では人通りなんてほとんどない。

 

そんな帰り道、いつもと違って一歩前を歩きたがる早苗の落ち着きのなさをいさめたのは、俺自身の心を落ち着かせたかったからってのもある。

 

 

そして小動物的な後輩は、そんな俺のいつもらしさの欠落を敏感に嗅ぎ付けて、切れのない言葉を空回す。

 

 

「……早苗、さ」

 

 

「は、はい」

 

 

『好きなら好きって言わないと意味ないよ』

 

 

スクリーンの向こうで主人公の男の子が(のたま)った格好の良い言葉。

甚だ同意だけれども、そんな事は誰だって分かってるよチクショウ。

 

 

「今日、楽しかったか?」

 

 

「……ぇ、ぁはい、ちょー楽しかったです! というか、ここのところ毎日楽しくてホント……楽しい、です、はい」

 

 

「そっか」

 

 

先輩とずっと一緒に居たい。

冗談半分に逃げ道を作りながらの後輩の本音は、聞こえてた。

 

だから今日誘った訳であり、だから昨日覚悟を決めた。

白状しようと、告白しようと。

 

 

だから、まずは。

 

 

 

「……早苗」

 

 

「はい?」

 

 

俺も恥をさらして、逃げ道を防ごう。

背水の陣ってほど格好良いもんじゃないし、元はといえばくだらない思い付きから始まったことだし。

 

 

 

「……催眠アプリ、アンインストールしない? 多分、もう必要ないし」

 

 

「……え? あの、それはどういう……?」

 

 

そういって差し出した手を、早苗は呆気に取られたように見つめてる。

 

結局こいつは最後まで気付いてなかったんだな。

いや、そもそもそうさせてしまったのは俺のせいか。

 

 

「……あのアプリをインストールする時、説明文をきちんと読んだ?」

 

 

「??? ……い、いえ。なんか面白そうだなぁって思いながら、ついインストールしちゃったっていうか……」

 

 

「じゃ、今読んでみな」

 

 

「ど、どうしたんです先輩……突然そんな事言って」

 

 

「読んだら分かるよ」

 

 

ひたすらに疑問符を浮かべてポチポチとスマホをいじる小さな爪の先が、仄光るライトを浴びて柔らかく光る。

 

早苗は、催眠アプリを魔法みたいだとはしゃいだけれど、実際そんなものではない。

 

 

 

「……えっと…………………あ、あの先輩。ここ……『使用者のことを好いている相手には、催眠アプリの効果は通用しません』……って」

 

 

「まぁ、月曜日には普通だったら本命の前に誰かしらで試すだろって言ったけどさ、お前が『普通じゃない』ってのは俺がよーく知ってたから」

 

 

「…………あ、はは、そっかそっか……やっぱり、先輩は早苗の事、別になんとも……」

 

 

つくづく人の話を最後まで聞かないおバカは、じわっと目尻に涙を浮かべて早とちり。

 

まぁ俺も早苗をバカとか言える立場じゃないくらい、馬鹿な真似をした訳だけど。

 

 

「……いや早苗、もっと気付くべきところがあるじゃん。なんで、俺が説明書のことについて知ってるかってこと」

 

 

「ズズ……すん……あざす…………ぇ、あ、ホントだ。なんでぇ……?」

 

 

ぐずぐすと鼻を啜る早苗にハンカチを差し出せば、涙ぐんだ目元を拭いながらようやくおかしな事に気付いたおバカが、不思議そうに目を丸めている。

 

 

「催眠アプリの名前、もっかい読んでみ?」

 

 

「……『催眠アプリ─改─』……」

 

 

「……改ってことは、改になる前の催眠アプリがあったってことだろ」

 

 

「……ぁ」

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

白状するとしよう。

 

俺が催眠アプリなんて胡散臭いものを目にしたのは、二週間前くらい。

暇潰しにネットサーフィンの途中、ブロック漏れしたつまらない広告の中にそれを見たからだ。

 

『催眠アプリ』

 

なんて馬鹿らしい、今どきそんなので釣れるやつがいるのかと鼻で笑い、そんな詐欺みたいなアプリをインストールしたやつがどれだけいるのかと、つい興味を惹かれた。

 

 

まぁ、案の定、アプリにそんな犯罪めいた効果はなく、評価欄は低評価ばかりで、詐欺だとか下らない悪戯だとか口汚く罵る言葉がコメントされていた。

 

けれど、みんな効果なんてあるわけないと分かった上での、悪ノリに悪ノリが重なっていくだけのしょうもなさ。

 

 

まぁそうだよな、『普通』の人間なら、こんなものに引っ掛かったりしない。

 

 

 

と、そこでふと思い至ったのがいけなかったんだろう。

 

 

『普通』じゃないおバカにこれを見せたら、アイツはどうするだろう。

 

普段からしてバカみたいに俺を巻き込んでやりたい放題のアイツは、常に付かず離れずの距離に居る。

しかも、明らかに俺を……意識している仕草も少なくないし、異性として見られている自覚はあったけれど。

 

あんだけの恥知らずの癖に、どこか最後の一線を踏み切ろうとしない臆病さだけは一丁前で。

そういう恋する乙女みたいな本音を早苗から聞いた事はなかった。

素敵とかは良く言われるけど、もっと欲しい言葉がある。

 

 

 

なら、聞いてみたいと思ってしまうよな。

 

そう閃いた、二週間前の月曜日。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

気付けば、俺と早苗は踏み切りの前に立ち止まっていた。

脇の足元に生えた雑草が、月光を浴びて柔らかくなびいてる。

 

 

「……いやホント、自分でもどうかしてた。ビビりの後輩の本音引き出す為にそこまでするかねって話だよな」

 

 

 

「……あ、あの。じゃあこの催眠アプリって……偽物なんです?」

 

 

「そうだよ。ってか俺が作ったんだよそれ。で、LINEの別アカウント取ってお前に送った……まぁ案の定、お前はブロックもせずインストールまでしちゃった訳だがな……ホント将来詐欺とかに引っ掛かんなよ」

 

 

「…………えっと……はい」

 

 

多分、頭ん中に急に情報がいっぱい入ってきて整理出来ないんだろう。

ほんのりと頬を染めつつアプリの画面をじっと見つめてる早苗に、俺は続ける。

 

後輩の本音を引き出す為の下らない思いつき、その誤算のせいですっかり狂ってしまった予定。

 

 

「……本当はさ、お前がそのアプリを使った時……何事もなくスルーするつもりだったんだよ。そしたらお前は、説明書のあの文を思い出してくれるだろうってな。『使用者のことを好いている相手には、催眠アプリの効果は通用しません』ってさ」

 

 

「…………そ、の。そそそれって、つまり……」

 

 

──あぁ、やっと気付いてくれたか。

 

そうだよ。そのつもりだったよ。

 

けど誤算というか、すっかり俺も見落としてしまっていたんだよ。

 

 

「……ま、お前がきちんと説明書を読んでくれるやつなら、そうなってただろうけど…………俺もバカだよ、ホント馬鹿過ぎて笑える。お前が説明書まできっちり読むタイプじゃないって気付いたのが、まさかお前に催眠アプリを持ち出された瞬間ってなぁ……遅すぎるわホント」

 

 

バカは伝染るものだって、痛いほど身に染みた。

いや、下らない思い付きで男らしさから逃げたビビり野郎に対して、罰が当たっただけかもしれない。

 

 

「で、とっさにかかったフリして……ま、あとはお前も知っての通りの一週間だよ。ネタバラシしようにも、"お前が催眠アプリ起動すんのは大体周りに目がある時"だったし」

 

 

火、水、木と続けざまに、あんな衆人環視の中でよくもやってくれやがって。

おかげで勘違いさせとくしかなくなったし、そのままずるずると今日に至って。

 

自業自得だけどさ。

 

 

「……けど、もうそれも終わりだよ。俺は腹を括った。そんなアプリなんかに頼ってみっともない姿を、これ以上お前に見られたくないし」

 

 

「え、えとえと……ですね。よ、よく話がわからなかったですけど……せ、先輩は!! みっともなくなんて……ないですよ!」

 

 

「はは、そうかよ。でもな、これは俺のしょぼいプライドの問題。だからな、早苗」

 

 

「え、ちょ先輩、それ早苗のスマホ──」

 

 

種明かしが終わったのなら、お楽しみいただけたでしょうか、なんて気取った一言が必要かもしれないけれど。

 

それは、これで幕を下ろすって合図だから。

 

そんなつもりは毛頭にない、むしろ──ここから始めたい訳だ。

 

付かず離れずを、互いに止めた関係を。

 

 

 

だから、下ろすのは(まぶた)だけで充分。

 

催眠アプリのスイッチを押して、あのよく分からない──早苗からの誕生日プレゼントの鳴き声が、スマホのスピーカーから鳴り響く。

 

 

 

それを聞き届けたなら、スマホを早苗に返して、そして。

 

あとは、選んで貰うだけ。

 

 

 

 

「……早苗。『この大馬鹿者の先輩は、早苗の事を好きかどうか』──聞いてみろよ、今。ずっと知りたかったんだろ?」

 

 

「────ぅ、あ、あの……」

 

 

「ビビりがビビりに頼んでんだよ。白黒ハッキリしとこうぜって」

 

 

「……う、ぅぅぅ……ず、ずるいですよこんなの……もう、先輩の……先輩のバカぁ……」

 

 

急過ぎるって?

 

そうでもないだろ。

 

お前だってはしゃいでたじゃんか。

 

"先輩から始めてどっか行こうって誘われた"って。

 

それで勘づかない、鈍感なやつが悪いんだよバーカ。

 

 

「……先輩」

 

 

 

 

──早苗の事、好きだったら……教えてください。

 

 

 

 

 

 

やっと言ったよこのバカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「──せんぱ、んぅ……っ、ぃ」

 

 

「────」

 

 

柔かな感触とか、鼻孔をくすぐる甘い匂いだとか。

一杯一杯な息遣いとかより、まず想うことがひとつ。

 

 

ムッチリムッツリだとか馬鹿にしたこともあった女の身体は、思った以上に、か細い。

腕の中で吐息をもらし、身動ぎしながらも俺の背中を掴む力を、強くしていく女は、こんなにも小さい。

 

とっくの昔に大切な人へと置き換わった女を腕の中に閉じ込めて、少し怖くなった。

 

 

欲しいと想うより、無くしたくないが先に来た。

意味わかんない、普通『もっと』って思うだろうに。

 

付かず離れずに我慢出来なくなって、卑怯な不意打ちまで使った馬鹿な男が抱く感想が。

 

 

このまま、ずっとこうしていたい。

 

 

心から停滞を願う、その矛盾が歯痒いけど、本音だった。

 

 

「──っ、ちゅ……は、ぁ」

 

 

「────…………」

 

 

ゆっくりと離れていく顔が、そう長いキスでもないのに酸素を求めて下を向く。

あぁ、いや違う。

顔を見られたくないのか、いじらしい真似しやがって。

 

 

息遣いと上下する胸が俺の腹をくすぐって、服の上からでも早苗の熱が不思議と伝わるのがどこかくすぐったくて。

口の中の甘い屑が、舌の上で転がった。

 

 

 

「……早苗」

 

 

「ひゃ……ひゃい。なん、ですか……」

 

 

「金曜日の仕返しだ。今のは『催眠アプリによる効果か』……それとも、『俺の本心』から来るものか」

 

 

あぁ、これまた下らない質問が口から転がり落ちる。

 

だってこれ、質問の意味ないよな。

 

 

 

「お前は、どっちが良い?」

 

 

 

効果だろうが、本心だろうが。

 

命令の内容からして、選んだ答えなどっちでも結局──俺が早苗を好きという証明になるんだから。

 

 

 

カンカンカンカン、踏み切りの音が鳴り始めた。

 

 

 

「ひぁ…………ぅ、そ、そんなの……選ぶまでもないっていうかですね……せ、先輩……ちゅーするならするって……」

 

 

「教えてくれっつったのお前だろ?」

 

 

「そですけど……そうですけど……うぅぅぅ……先輩のいじわる……早苗だって、早苗だって心の準備とか!! ふぁ、ファーストキッスの味、全然分からなかったじゃないですかぁー! もぉぉぉぉぉぉお!!!」

 

 

ゆっくりゆっくりと、黄色と黒の遮断棒が降り始める。

遠くの方から響く、線路を軋ませる車輪の唄。

 

それを掻き消すくらいの大声で、訳の分からない文句を言われて、何故だか笑ってしまって。

 

 

だから、一瞬遅れたのがアダとなった。

 

 

 

「先輩のバーカ! スケベ! ぶわァァァァァカァァッッッ!!!」

 

 

顔を面白いくらいに真っ赤に染めた一番の大馬鹿女は、そのまま遮断棒をくぐって、元陸上部なだけある俊足であっという間に踏み切りの向こう側へと渡ってしまった。

 

脱兎の如く、惚れ惚れするくらいの逃げ足。

 

 

「はやっ……」

 

 

大声の影響で若干息切れの中、トップスピードで駆け抜けたからか、別たれた向こう側の早苗は肩で息をしている。

 

そのまま、ゆっくりと息を整えて、曲げた背筋を整えて。

顔を上げ、振り向きながらアイツは。

 

 

「……うぇへへへへ」

 

 

左から来る電車のライトに浮かび上がったのは、今まで見たことのないだらしのない笑顔。

 

シルエットを掻き消すように、急行速度で最終電車が通り過ぎていく。

 

 

 

「……」

 

 

ガタンゴトンという優しいものじゃなくて、鉄を軋ませる轟音。

風景をちぎっていく鉄で出来たお邪魔虫は、俺の万感を冷ますようにうるさく走る。

 

 

でも、冷めやしないって。

 

耳を澄ますまでもなく、聞こえるバカの告白。

 

ずっと聞きたかった単語が、そこには確かにあった。

 

 

 

『せんぱぁぁぁぁぁぁい!!! 好きです!! めっちゃ好きです!! だぁい好きです!!!』

 

 

思う存分、近所迷惑も考えずに。

 

おバカな後輩が、ビビりな後輩が、避けてばかりだった告白は確かにあったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん。知ってるよ、早苗」

 

 

 

 

だからまぁ、電車が過ぎ去った後で。

 

 

もうそこに、早苗が居なくても不思議じゃなかった。

 

 

これが、あのバカの関の山。

 

 

恥ずかしさに負けた、恥知らずの逃避に、呆れたような笑い声が口から落っこちた。

 

 

 

 

──さて、この場から逃げやがったのはいいとして。

 

明日から学校だけど、どうするつもりなんだろうね、あのバカは。

 

 

 

「……明日は、先に帰るからな」

 

 

 

元意気地なしから、意気地なしへ。

俺は思う存分勇気出したんだから、次はそっちから来いよ。

 

で、この場を逃げ出した罰もかねて……明日は、ゆっくりと帰るとしよう。

 

早苗には、声をかけずにね。

 

 

 

 

 

 

 

気付けば、退屈そうな月にかかっていた濃い雲が晴れていた。

 

楽しみな月曜日までの、二分前。

胸一杯に吸い込んだ空気が、何故だか甘い日曜日のこと。

 

 

 


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