腕に抱きかかえている泣いている少女を刺激しないようにしながら、ロン・ベルクはゆっくりと歩を進める。ダイ達のいる小屋に戻る為に。
泣きじゃくり震えるティファに泣き止めとも言わず、時折背中を撫でて慰める。
あんな変態に目を付けられたら誰だって泣きたくもなる。ダイ達があそこまで警戒をした訳が分かった。
ぶっきらぼうで凡そ人の心を斟酌しない自分までもが哀れに思う程の目に遭ったのだ・・やっぱあいつだけでも叩き切ればよかったのだが、もう一人のせいで断念をした。
「どうして?」
「ん?」
「どうしてそんな酷い事を言うの?」
キルは敵、でもこんなに酷い人だと思わなかった。魔の森で出会ってしまった自分を見逃すような人だった。
「どうしてそんな酷い事が言えるの?」
自分も敵を倒す、でもこんなひどい事を思ったことは一度だって無い!
キルは自分がティファに対して持っていたイメージが当たっていた事に内心ほくそ笑み、瞳が赤い三日月を描く。
やっぱりこの子は僕が思っていた通りの子だ。
この子は確かに旅もどきで酷い目にあってきただろうが、ほとんど物理的な物で欲望を剥き出しにしたものに出会っていない。自分のようなどろどろの欲望を。
太陽の下ですくすくと育ち、醜い欲望を見ずに育ったティファのような者にこそ効果が発揮される。
今のティファは自分の欲に恐れ戦き混乱までしている。敵の自分に何故等聞いてくるのがその証だ。
さて、もう一押しが必要だ。
「お嬢ちゃんが悪い子だからだよ。」
体を引き離し、顔をしっかりと見つめながら断罪をする。この一連の出来事全てをこの子供に背負わせる一手。
魔王軍の邪魔をする、自分の実力をひた隠しにする、挙げればきりがないな~。そんな子は隔絶しないといけないよ♪
「・・・悪い子?」
私は・・悪い子?
その言葉は、キルが意図したよりも深くティファの心の中に突き刺さり毒をまき散らす。
キルは知らずにティファの心の傷のかさぶたを剥がし、抉ったのだ。
そうだ、自分はこの大戦を知っていた。オーザムが滅びるのを知っていた、親友のいる国がもしかしたら滅亡していたかもしれないのを知っていた、鬼岩城で沢山の人が死んでしまうのを知っていた!それでも自分は世に警告を発しなかったではないか!
それどころか心を通わせた人達をこの手で斬り殺したのだ!
ベンガーナのアキームが自分を称賛してきた時、本当は泣きたくなった。知っていたからこそ薬が用意でき、何かしらの警告を発していれば、あそこまでの被害は出なかったのだと。
自分は称賛に値する者ではない、穢れた醜き者だ。
ならばキルの言う通りだ。
「ティファは・・・・わるいこ・・・・」
静かに、ティファの心が軋み始めひびが入り、大きな黒い瞳からはらはらと涙をこぼすティファをキルはうっとりと見つめる。
漸く自分の言葉が少女の中に食い込み、今まさに自分の望み通りティファの心を壊せる。
早く心をカシャンと壊して。君がいれば僕はもう何もいらない、バーン様とミストと君がいればそれでいい。
十年でも二十年でも壊れたティファの心が治るのを待とう。今は兎にも角にもティファ自身が手に入ればいいのだから。
ミストもまさかここまでキルの思惑が当たりティファにここまでの心の傷をつけられるとは思っていなかったので驚きを隠せないが、一行の精神的支柱である料理人ティファを落とせることに喜びを隠せないでいる。それ程までにティファを危険視していただけに、キル同様に早く心を壊して堕ちる事を心の底から望む。
だからこそ森から泉に近づく人物の出現に心底驚きを隠せなかった。
「馬鹿か貴様等は。」
その人物は右手に抜身の剣を携え、開口一番に罵りの声を上げる。
「そのお嬢さんが悪い子な訳があるかよ、その手を放しやがれ!」
言葉がキルの耳に届くと同時に剣の一閃が自分を目掛けて上から振り下ろされた。咄嗟にティファも突き飛ばしながら自分も後ろに飛ばなければ、自分を真っ二つにしていたであろう斬撃は大地を深く切り裂いた。
ロン・・ベルクさん・・・
ロン・ベルクは人生でこれほど深く怒りを覚えたことはないと断言できるほど怒りが湧くのを感じながら、ティファをここまで傷つけた人物を視線だけで殺せそうな瞳で射貫く。
深夜に目が覚めた時、自分の体調に愕然とした。泥の中から這い上がるような重さが体にも思考にも纏わりつく。こんなことは一度としてない。不信感を覚えて女性たちが寝ている部屋に行ってみればマァムとメルルは眠っており、二人の間にいたであろうティファがいなかった。
二人を揺り起こしても起きず、表に行けばダイ達も同じように深い眠りについていた。森に行ったかとティファの気配を探ってみれば、不意に-声-が頭に響いた。早く来てと。
誰のどんな策略で連れ出されたか分からないが、ダイ達の警戒を見ていれば物凄く不味い状況だと馬鹿でも分かると剣を差して声のする方に駆けていけば、信じられないことが次から次へと耳に飛び込んできた。
ミストバーンがいるだのバーンの篩だの、挙句あの優し気なティファがした数々の事にたまげたが、そんなことはどうでもよくなった!なんだあの変態は!!
次々にティファに投気掛けられていく変態的な数々の言葉に、ティファの気配がどんどんと怯えていく。
挙句身勝手な物言いに、心がぶちぎれた。
「ふぅぅぅ・・」
剣を構え敵と対峙するロン・ベルクの後ろで泣きじゃくる声が響く。痛々しく、抱きしめて慰めなければならないと思う程に。
「君も、何も知らないのにその子に魅かれたのかい?」
「・・こいつは俺の大事な客人でな。手を出したからには相応の覚悟は出来てるんだよなミストバーン?」
冷え切って怒りに満ちた互いの声がその場を支配する。
キルはもう少しでティファの心を壊して手に入れられたのを邪魔しに来たロン・ベルクに。
ロン・ベルクは心優しいティファをここまで傷つけた、ふざけた格好の敵に。
だがキルの苛立ちはロン・ベルク以外にも向いていた。森から多数の気配と、上空からは音を響かせて突如舞い降りたガルーダに気が付いたからだ。
バサリと翼を畳みながら、ガルーダはティファの姿を認めて一息をついた。
近頃ティファの様子が心が沈みがちでずっと案じていた。いつでも優しい笑顔のティファが、争いの中に居るのは無理だ。大人や戦士たちに任せてずっとデルムリン島に居ればいい。そう言っても応じなかったティファに何があっても守れるように付かず離れずで小屋の外にいたのが不意に眠ってしまった。
幸いに毒や異常ステータスに耐性がある自分は直ぐに目が覚めたがティファの気配は小屋には最早なく、焦って来てみれば少し前に会った敵もいたが、ティファを庇っている男の後ろにいるのが上空から見てとれすぐさま降り立つ。
「・・・が・・る・・だ・・」
顔をくしゃくしゃに歪め、泣きじゃくるティファがいた。
これは・・・あ奴か?
数日前にティファを空間から攫った男が・・・
「-貴様が!ティファを傷つけたのか!!!!」
-ギシャアァァァァ!!!!-
ガルーダの凄まじい怒りの方向は夜の森に響き渡り、呼応するかの如く突如森から大勢のモンスター達と精霊達が飛び出し、ティファ達とキル達の間に躍り出た。
リリパットは弓をつがえ、バブルスライムは毒を沸騰させ、大サソリが尻尾を向ける。キル達に向けて。
この場にいるモンスターや精霊達は昼間ティファに関わり、美味しいものをくれて楽しいひと時を味わった者達。
昼間優しくしてくれた少女の気配が深夜の森にしたことに、人の常識を知る精霊達がまず驚き、つられるようにモンスター達にも精霊達の危惧がうつり共に来てみれば、優しい少女が涙を流しているではないか!
精霊達はすぐさま魔界の気配を纏わせたキルとミストを敵だと認識をしてモンスター達に伝えた結果、戦いの布陣がすぐ様に敷かれたのであった。
一体これはどういう事だ!精霊達が魔界の者である自分達を厭うのはまだしも、何故モンスター達が自分達に敵意を露にしている⁉
地上のモンスター達は本来争いの心を持たず、争うにしても生きていく上での戦いしか持たない生き物のはずだ。
それも自分達との力の差は本能で分かっているだろうに何故だ!
「・・・みんなお嬢ちゃんの為か・・その子の-正体-も知らない癖に、慕い-仕える-事だけは本能的にするか・・」
ふっくっくっく・・・
「はぁっはっはっはっは!!!」
不意にキルが狂ったように哄笑し始めた。
ティファの事を知りもせず、ただ本能だけで慕うモンスター達にも精霊にも、邪魔をしに来たロン・ベルクにもガルーダにも腹が立つ!
殺気と憎悪に塗れた自分の声に青褪めながらも踏みとどまるモンスター達を踏みにじってやりたい!
自分にバギ並みの突風を巻き起こさんと翼を広げたガルーダをティファの目の前でバラバラにしよう。
ロン・ベルクを惨殺すれば、ティファは手に・・・
「撃たないでガルーダ!!!!!」
戦いの火蓋がまさに切って落とされかけた時、ティファの悲痛な叫び声が怒りに満ちた場を切り裂いた。
「撃っちゃ駄目!ガルーダ止めて!!森の皆もこの場から離れて!!」
ガルーダの足にしがみつき、必死に戦を回避しようとする。
戦えば、キルとミストならばこの場にいる皆が殺されてしまう!ロン・ベルクさんがいても!
どうして・・・何でこんな事に・・答えは決まっている。
自分が悪い子だから、こんな事態を招いてしまったんだ。
「お願いだから・・戦わないでガルーダ・・」
こんな自分のせいで傷つかないでほしい
しがみついたガルーダの足に顔を埋めながらティファは請う。誰も傷つかないでほしいと。
その願いにガルーダは寸でのところで羽を止める。残念ながら相手と自分達との差がありすぎ、魔族の男と共闘をしたとしてもモンスター達が殺されてしまうのが目に浮かぶ。
それではティファの心が死んでしまう!
ティファを思い、敵を倒せないガルーダの苛立ちはロン・ベルクの心をも荒らした。
せめて赤と黒の道化男だけでも倒したい!もしもダイ達に出会う前に自分のあの技に堪え切れる武器が完成をしていたのならばそれが出来るのに!!
ガルーダ達の無念さを踏みにじるようにキルがティファに声を掛ける。
「君はそんなになっても周りに助けを求めないんだね。」
「・・・助け?」
何を言われたのか分からないティファは顔を上げてキルを見てみれば、可哀そうなものを見るような視線とぶつかった。
「いつでも君はボロボロになっているよね。なのに周りに助けを求めないのはどうして?」
キルの不思議そうな物言いはロン・ベルクの癇に障った。
「何を言ってやがる!手前のせいだろうが!!」
元凶がなにをほざくと再び剣をキルに向けるが、キルはロン・ベルクを無視して静かにティファだけを見つめる。
助けなんて・・・私が求めていいものじゃない・・・
罪悪感と心の痛みにぽろぽろと涙を流し、沈黙を続けるティファにキルは溜め息をつく。
こんな中途半端に心を傷つけたかったわけではなかったのに、儘ならないものだ。
不意にキルはくるりと向きを変えてミストに話しかける。
「ミストもういいよ帰ろう。」
「・・・・・いいのか?」
ロン・ベルクの手前、微かながらもキルに問う。ティファを連れて行かないことに対していいのかと。
「うん、こんなに邪魔が入った。興醒めもいいところだよ。」
連れ行くならば、ひっそりと音もなく。死神の自分の美学に反する事はしたくはない。
「お嬢ちゃん、明日必ずパプニカ城に行くんだよ?でないとあの国は酷い目に遭う。」
空間にミストを入れ、去り際にしっかりと伝える。
ティファの心を縛り付ける言葉を投げ、キルも主の待つ死の大地へと帰還をした。
・・・・いなく・・なった・・・
糸の切れた人形のように、キル達がいなくなって直ぐにティファは崩れ落ち地面に倒れる寸前にロン・ベルクが抱き上げる。
「-・・・ティファ・・・-」
なぜ、こんなに優しい娘がこんな目に遭い続けなければならないのか。
ガルーダもティファを思い涙を流す。周りに居るモンスター・精霊達も悲しげな瞳でティファを見つめる。
「俺がこいつを連れて帰る。」
「-・・頼む、我はこの者達を帰そう-」
ロン・ベルクはガルーダの言葉は分からずとも、ティファを思う心は伝わりダイ達の下へと連れ帰ることを告げて小屋へと歩を進め、途中で目を覚ましたティファを慰める。
小屋に着いてもマァム達のいるベッドではなく、土間に座り込み毛布を自分に巻き付けティファをしっかりと胸元に抱え込む。
「眠れお嬢さん。」
明日の為にも。
パプニカとやらが滅んでも自分は別にいいが、ティファは必ず行くだろう。
ならば体を休めるべきだと包み込む。
明日の為に、いつしかティファは眠りの底へと落ちていく。ひび割れた心を抱えながら。
今宵はここまで
次回は大魔王の篩編です