ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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第一章 ─実力至上主義の教室─
分岐点 Ⅰ


 

 突然だが、今からオレが出す問いについて真剣に考えてみて欲しい。

 

 問い・人間は平等であるか否か。

 

 現在、日本は──いいや、世界は。

 人間は平等であると(うた)ってやまない。平等であると訴えてやまない。

 男女の差をなくすべきだと大衆(たいしゅう)は強く叫び、それに応えようとする社会。

 その例として挙げるのなら、『男女雇用機会均等法』や、『女性優先車両』といったものだろうか。しかしそれは仮初のものでしかない。時には、名簿の順番にすらケチをつける現実がある。

『障害者』だと表現するのは差別の具現化であるとして『障がい者』に訂正したところで意味はなく、その()()が何かしらの障害を患っていることは残酷なまでに事実だ。

『障がい者』は『障碍者』であるとどんなに綺麗な字面を(つづ)ったところで社会は深層意識で認識していて、新聞やニュースでは『障害者』だと報道する。

 パートやアルバイトといった非正規雇用社員たちはどんなに仕事を頑張っても正社員に渡される給料には遠く及ばない。彼らはいつ首を切られるか分からない毎日をびくびくと怯えながら送っている。

 そんな嘘偽りだらけの欺瞞(ぎまん)の世の中で、オレは思う。

 

 ──この世界は、平等ではない。

 

 以前、国語辞典で『平等』の意味を調べてみたのだが、そこには『差別や偏りなくみな一様に等しいこと』と書かれていた。

 しかしオレは腑に落ちなかった。次の疑問が湧いたからだ。

 

 ──そもそもの話、どこでひとは『平等』であると判断するのだろう。

 

 大学進学したら平等であるのか。

 異性と結婚し、子どもを産み、最期の瞬間は大勢の人たちが見守る中で逝くのが平等であるのか。

 あるいは、この世に生を授かるだけで平等であるのか。

 

 あるいは、あるいは、()()()()────。

 

 いや、違うかもしれない。

『平等』なんて言葉がある時点で、ひとは決して『平等』ではないのだ。

 嘗ての偉人は『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』という立派な言葉を混沌(こんとん)とした世の中に生み出した。だがなにも、その偉人は皆が平等であると明記したわけではない。

 有名すぎるこの言葉の次にはまだ、まるで自らの論説を裏切るかのようなフレーズが記されているのだから。

 その続きは訳すとこうだ。

 産まれた時は皆平等だけれど、将来、仕事や身分で違いが出てくるのはどうしてかと訴えている。

 さらには、こうも続けている。

 差が生まれるのは学問に励んだのか励まなかったか否か。それで生まれると。

 それが、有名すぎる『学問のすゝめ』の著者、福沢諭吉(ふくざわゆきち)が語った言葉だ。

 つまり彼は、スタートラインはあくまでも同じであり、様々な可能性をその手で摑めるか否かは自分の手に掛かっており、他人や環境には左右されないと言ったのだ。

 その例として学問を挙げたにすぎない。

 また彼の他にも、似たような言葉を放っている偉人がいる。

 そのひとはこう言った。

 人間の運命は人間の手中にある、と。フランスの哲学者サルトルは奇しくも福沢諭吉とほぼ同じように考えたのだ。

 兎にも角にも、人間はこの地球上、唯一の意思ある生物だ。

 考えることが出来る人間は必ず気付く。

 

 ──嗚呼、人は決して平等ではない。

 

 だからこそひとはその現実を受け入れるわけにはいかず、様々な問題を自分で生み出していくのだ。

 環境問題しかり、戦争しかり。

 醜い欲望は際限なく湧き続け、やがてじわじわと世界に浸透していく。けれど不思議なことに、その欲望が同時に世界を前へ前へと進めていくのだから皮肉なものだ。

『平等』ではないからと、人は過ちを繰り返す。

 

 ただ──『平等』を目指すために。

 

 

 

§

 

 

 

 四月。入学式。

 この時期は世間一般では、『出会いと別れの季節』という共通認識として認知されているだろう。

 出会いとは、新しく出会う人を意味する。

 別れとは、その逆……別れる人を意味するそうだ。

 これまでの人生、そのような言葉とは無縁な道を歩いてきたオレは、期待に胸を膨らませていた。

 先の読めない学校生活に一抹の不安と、けれど沢山の希望を夢見ていたオレは昨夜なかなか寝付けず、予定より二本程早くのバスに乗ることに。厳密に言うと始発だ。

 まだ出発時間には程遠いのか、乗客はオレ以外見当たらず独り悲しい時間を過ごしていた。

 ……凄く居心地が悪い。

 視線を感じて前を見ると、運転席で飲料水を(あお)っていたバス運転手と目が合った。

 

「お客様、当バスの出発時間まで三十分はあります。それをご了承下さい」

 

「……大丈夫です。もともと、早く乗っているオレが悪いので」

 

「今日から高校生ですか?」

 

「ええ、はい……」

 

 男性バス運転手の気遣いがかなり痛い。

 オレが乗車したのがおよそ五分前だから、合計三十五分はこの場に居なくてはならないのか……。

 普通の人だったら退屈すぎて暇になるだろうが、オレにとっては見えるもの全てが新鮮だ。

 天気は雲一つない快晴。『碧空』と呼ぶのだろう。

 今日はオレの門出(かどで)に相応しい日と言えるだろう。新たな一歩目が無事に踏み出せそうで本当に良かった。

 落ちていく桜の花びらを一枚二枚と数えていると、徐々に人が乗り込んでくる。

 スーツ姿の社会人は言うまでもないが、車内は制服に身を包んだ高校生ですぐに一杯になった。

 皆、オレと同じ制服であり──つまりは、オレと同じ高校に通い始める新入生であることが窺える。

 そわそわとした落ち着きなさと真新しい服から一目瞭然で、勝手に親近感を抱いてしまう。

 前や後ろの席に乗客が思い思いに座っていく中、何故かオレの隣の席は埋まらない。

 なにも、我が物顔で唯一の荷物であるスクールバッグを隣のスペースに置いているわけではない。まして、ひと二人分のスペースを占領しているわけでもない。

 流石にそんな非常識な行動をオレはしないし──そんな度胸がないだけだが──、身体も精一杯窓際に寄せている。

 そしてとうとう、中には狭い幅の廊下に立つ人もぼちぼちと出始めた。

 空いているぞ! と念を込めて彼らに視線を向けるのだが……どうしてか怯えるように、あるいは気まずげに目を逸らされてしまう。

 これはもしかして、彼らの目にはオレが不良だと映っているのだろうか。

 だとしたら風評被害に甚だしく腹も立ってくるが、同時に悲しくなってくる。

 オレ自身、自分のことは活発そうな雰囲気を出しているとは到底言えないが、そんなになのか。

 ……仕方がない。ここは諦めるとして──

 

 

 

「ごめんなさい、お隣よろしいでしょうか?」

 

 

 

 ──女性特有の高いソプラノの声が、バス内に響いた。

 虚ろになっていた目を正常に戻してから声主に首を向けると、オレは思わず目を見開かせてしまう。

 彼女の特徴をあげるとするならば、まずはその髪色だろう。見る人の目を引き付けて止まない美しい銀色。

 その証拠に、ほとんどの乗客が彼女に魅入られていた。

 着ているのはオレと同じ制服。

 つまりは彼女も俺と同じ学校の生徒なのだ。

 

「駄目、でしょうか?」

 

「……いや、構わない。むしろ助かる」

 

 助かる云々のところで女性は不思議そうに首を傾けたが、オレの返答に一言礼を告げてから隣に座った。

 ふわりと女性特有の甘い香りが鼻腔(びこう)をくすぐって、内心ドキマギしてしまう。

 何せ、至近距離で異性と座ったことなど一度もないのだ。そうでなくとも、この状況は緊張するのが()()()()()()()()()()と言えるだろう。

 だが彼女はそうではないのか、膝に載せたスクールバッグのチャックを開き一冊の文庫本を取り出す。

 

「『ABC殺人事件』か……」

 

 思わず呟いてしまった。

 オレの漏らした独り言に少女は肩を少し上下してから、こちらに訝しげな視線を送ってくる。

 ──……もしかして違ったか? 

 いやでも、あの表紙は間違いなくアガサ・クリスティ著の『ABC殺人事件』で間違いない。

 数日前に同じ本を読んだばかりだから自信がある。

 そうなると考えられるのは、オレのことを気味悪く思っている線にしか考えられない。

 出会って数秒の赤の他人に、自分が読もうとしていた本の題名を口に出されたのだ。変質者だと思われても仕方がないかもしれない。

 訂正。オレの高校生活はどうやら前途多難になりそうだ。

 彼女と目が合う。

 次の瞬間には放たれる罵倒を予想し、思わず目を瞑ると。

 

「『ABC殺人事件』を知っているんですかっ?」

 

 放たれたのは、やや興奮気味な質問。思いもしない言葉、そして展開に面食らってしまった。

 呆気に取られながらオレは答える。

 

「……そうだが」

 

「面白いですよね、『ABC殺人事件』。アガサ・クリスティが十八作目に著した長編推理小説。キャラクター、ストーリー性など全てが良いです。正しく、文学史の名作中の名作と言えるでしょう」

 

「……そうだな。アガサ・クリスティが執筆した小説はどれもとても面白いと思う」

 

 オレの肯定に少女は目を輝かせた。

 彼女は空いていたスペースを詰めてオレに体を近付けてくる。

 どうやら余程本が好きなようだ。

 しかしこの距離は困る。

 彼女の整った顔が超至近距離にあって、大袈裟(おおげさ)な表現を使えば唇と唇とが触れ合いそうな、そんな距離だ。

 綺麗だな。

 そんな風にどきどきしていると、降り注ぐ矢の数々に身の危険を感じた。

 恐る恐る発信者の方に顔を向けると、そこからは奇異と、そして嫉妬の目が……。

 奇異の正体は社会人と女子高生から。嫉妬の正体は男子高生からだ。

 

「あー、悪い、その……」

 

「……ごめんなさい。興奮してしまいました」

 

 幸いにもオレの意図を汲み取ってくれた少女は申し訳なさそうに両目を伏せながら離れていく。

 それと同時に、放たれていた槍が止んだ。た、助かった……。

 ほっと安堵の息を吐いてから逃げるように外の景色を眺めると、先程まであった桜の木が消えていることに気付く。

 目まぐるしく変わっていく景色。

 どうやら知らぬ間にバスは出発していたようだ。

 

「改めてごめんなさい。その、本が好きな方は近年減少している傾向が私たちの年代では顕著に見られているので、つい……」

 

 隣で控えめな声で謝罪が出された。

 だが一言言わせて貰えば、オレは熱く語っている彼女のように、特別本が好きではない。

 

「オレはそんな、読書は趣味じゃないぞ。本はたまに読むくらいだからな。それにアガサ・クリスティは別段、マイナーな小説家じゃないだろ?」

 

「……そうでしょうか? 確かにアガサ・クリスティの本は世界的にも有名ですが、それでも読もうと思える高校生がどれだけ居るでしょう」

 

「かなり多いと思うが。実際、有名な本は映画化されているのが多い。本を最初にではなく、映画を最初にして、そこから本を読むパターンは多いんじゃないのか?」

 

「あなたの言う通りですが、そうでも無いんですよ。アガサ・クリスティは外国の人です。つまりは外国の本です」

 

 女性はそう言葉を締めくくった。

 ……これ以上の説明は不要とばかりに自信満々に。

 

「悪い、もうちょっと詳しく頼めるか?」

 

「ごめんなさい、それだけで分かると思ったのですが……」

 

 皮肉なのか、それとも天然なのか……。多分後者であろうと推測する。

 推理小説を読んでいる影響のせいなのか、脳内で物事を自己完結させてしまう癖があるようだ。

 

「話を戻しますね。先程も言いましたが、アガサ・クリスティは外国……イギリスで産まれました。そして当然、彼女が使う言語は外国語です。厳密には英語ですね。当然、日本で出版する場合、大半は日本語訳されてしまいます」

 

 ここまで聞けば流石に言いたいことが分かった。

 

「……なるほどな。翻訳するにあたって、原本を尊重するのは義務と言っても良い。原本から乖離しない程度に表現するのに苦労するんだろうな」

 

 それにしても、そこまで考えるとは。

 好きなことだからこそ、ここまで熱意を傾けられるのだろうか。だとしたらとても羨ましい。

 何も無いオレからしたら羨望の対象だな。

 

「話が脱線してしまいましたね。結局のところ私が言いたいのは、あなたはやっぱり本が好きだと思うんです。趣味かどうかはこの際置いといて、少なくとも興味は引かれるのでしょう?」

 

「……それは否定しないが」

 

「なら、どちらかというと好きなのではないでしょうか?」

 

「……」

 

「好きでもないことを、やらないと思いますしね」

 

 少女の真摯な瞳をオレは直視した。

 そして数秒熟考する。

 彼女の言葉を受け止め噛み砕く。

 

「……そうだな。どうやらオレは、読書が好きなようだ。それに趣味でもあるらしい。思い返してみれば、心動かされるのがこれくらいしか思い浮かばないしな」

 

「はいっ」

 

 女性は自分の事のように嬉しそうに、そして優しく微笑んだ。

 綺麗だなと、またも思ってしまう。

 無趣味でつまらない人間だと自分では思っていたのだが、存外、そうでもないようだ。

 いやまあ、たかが趣味が一つ出来ただけで大袈裟だとは思うが……。

 その後は周りに迷惑が掛からないように配慮しつつも、オレたちは互いの好きな本について語り合った。

 偶然にもオレと彼女の好きなものは似通っていて、話に花を咲かせることが出来たのは素直に嬉しかった。

 それから程なくしてバスは目的地に着き停車する。彼女と一緒にバスを降りると、そこには天然石を連結加工した門がオレたちを待ち構えていた。

 かなり立派なものだ。

 バスから降りた少年少女たちはぞろぞろと門の下を潜っていく。

 足運びは安定しておらず彼らの不安が窺える。

 無理もない。今日からここに通い始めるとはいえ、目の前に広がる景色は未知だ。

 

 東京都高度育成高等学校。

 

 日本政府が作り上げた、これから先の未来を支えていくであろう若者たちを育成する学校だ。

 ここに今日から通うのだ、オレは。

 

「何かのご縁ですし、途中まで一緒に行きませんか?」

 

 希望に通じるゲートを感慨深けに眺めているオレに、少女が誘ってきてくれた。

 

「寧ろオレも頼みたい。この学校の内部がどうなっているか分かっていないから、迷子の危険性も充分にあるからな」

 

「迷子、ですか? それは考えていませんでした」

 

「……迷子は冗談だ。新入生が迷わないように地図が配置されているなり、職員が居るだろうしな」

 

「ああ、確かにそうですね。それでは、行きましょうか」

 

 少女はそう言って先に歩き出す。

 ……なんと言うか、独特な雰囲気の持ち主だな。

 今どきの女子高校生はこういった人が多いのだろうか。

 そうだとしたら頭を抱えてしまうが……そうでないことを切に願おう。

 オレが小さくため息を零したタイミングで、数歩先の彼女が振り返る。

 も、もしかして聞かれたか……? 

 しかしオレの懸念は的外れだったらしい。

 

「そういえば、お互いに自己紹介をしていませんでしたね。私は椎名(しいな)ひよりと申します」

 

 言われてみれば確かにそうだった。

 椎名ひより、か。

 人の顔と名前を(おぼ)えるのはそこまで得意な方ではないが、彼女のことはまず間違いなく憶えるだろう。そんな確信があった。

 

「オレは綾小路清隆(あやのこうじきよたか)だ。あー、これからよろしく頼む」

 

 あまりにも単調な自己紹介をしながら、オレはそんな予兆を感じた。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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