ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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幕間 ─『戦争』の幕開け─
変化していく人間関係


 

 一学期中間テストが完了し、その試験結果が各クラスの担任から発表された。

 

 一位──一年Cクラス

 二位──一年Dクラス

 三位──一年Aクラス

 四位──一年Bクラス

 

 その驚愕(きょうがく)的な結果は渦中(かちゅう)の一年生だけでなく、二年生、そして三年生までをも巻き込み、高度育成高等学校は(しば)し、いつも以上の喧騒さに包まれた。

 何度も告げるが、学校側は新入生が入学する際、『優秀な人材』はAクラス寄りに、逆に『不出来な人材』はDクラス寄りに配属した。

 その根底(こんてい)を覆す程の結果──すなわち、下位クラスの下克上に(みな)、驚きを隠せないでいる。

 各クラスのリーダー格の生徒は当然、何が起こったのかを確かめようと躍起になっているだろうし、水面下(すいめんか)では火花をバチバチと飛ばし合っていることは想像に難くない。

 とはいえ、交友関係が比較的狭いオレでは、蔓延(まんえん)し緊張した雰囲気を感じ取ることは出来ても、これといった情報が得られないのだから特に何かを感じるわけでもない。

 

 ただ確実に言えることは──このままのDクラスでは、他所のクラスとは戦うことすら出来ない事実がある、ということ。

 

 というのもひとえに、団結力の無さが全てに直結するだろう。

 現段階では平田(ひらた)洋介(ようすけ)がクラスの(まと)め役を担っている。だが、クラス一丸となってAクラスを目指しているわけではない。ポテンシャルだけでならDクラスがAクラスを目指すことだけは出来そうなものだが、個性が強過ぎる生徒が多過ぎて、先導者が制御出来ていないのが実情だ。

 それに今回好成績を残すことには成功したが、他の三クラスとのポイントは未だに絶望的だ。A、Bクラスとは少しばかり縮められただろうが、一番近くにいるCクラスには逆に離されてしまう形となった。

 そろそろ本格的に、クラス間での戦争──クラス闘争が始まる頃合だろう。

 まあ、オレには関係のないことだ。これからも平穏な学生生活を送れればそれで良い。

 

 

 

 中間テストから一夜明けた早朝、オレは学校指定のジャージに着替え、必要最低限の装備を整えてから一階のロビーに降りた。

 テスト週間から須藤(すどう)と始めたジョギングをするために、彼と合流するためだ。雨天時以外はほぼほぼ毎朝走っており、もはや習慣となりつつある。青春を謳歌(おうか)しているのが実感出来るな。

 ロビーのソファには既に彼が座っていて、オレを待っていた。近寄る足音に気付き、こちらに軽く手を挙げてくる。

 

「おっす、綾小路(あやのこうじ)

 

「おはよう、須藤。今日はいつもより早いな 」

 

「テスト乗り越えたからな、昨日の夜は喜びで興奮しちまってよ。中々寝付けなかったんだ」

 

『三バカトリオ』と、不名誉極まりない渾名が付けられている須藤(けん)が中間テストを乗り越えたことには、多くの生徒が驚いていた。

 無理もない。

 小テストでは(ある意味で)驚異の十四点を取り、遅刻に居眠りを繰り返してきた彼が赤点を取らないなんて、驚かない要素がないからな。

 確か中間テストの彼の平均点は六十七、八点だった気がする。これで一般的なテストだったら高成績だったが、こと今回のテストにおいては学年平均を下回る成績だ。それでも誇るべきことだと、オレは思う。

 準備体操を二人で入念に行ってから、事前に決めていたコースを走る。最初はジョギングだから、彼と話す余裕が多少はある。

 

「今日から部活に参加するのか?」

 

「ああ。結構な日数を休んじまったからな、少しでも多く練習しないとならねえ。けどこうして毎日運動してたから、そこまでの心配はしてないけどな」

 

「なら良かった。明日からはどうする? もともと、テスト期間中の体力の衰えを緩和するために走っていたから、終わった今、やる必要は余りないけど……」

 

「綾小路さえ良ければこれからも続けていきてえ。駄目か?」

 

「もちろん構わない。健康にも良いしな。だけど須藤、授業中に寝るなよ?」

 

 一応釘を指す。

 部活が今日から再開されるのだとしたら、疲労はこれまで以上に溜まるだろう。

 この学校のバスケットボール部がどれだけ厳しく激しい練習をしているのかは、部員ではないオレでは分からない。

 だが、バスケットボールは球技の中でも特に体力を使うスポーツだと以前耳にしたことがある。しかも須藤は本気でプロになろうとしている。どんな練習でも真剣に、真摯(しんし)に、そして全力で打ち込んでいるはずだ。

 これに朝のジョギングを加え、さらに学生の本分である学業が付随してくる。身体を壊さないのか友人として心配だ。

 彼はオレの危惧に一言礼を告げてから、しかし、大丈夫だとばかりに力強く頷いた。

 

「気遣ってくれてサンキューな。けどよ、本気でバスケのプロになろうとしたらもっと力を付けなくちゃな」

 

「……なんかお前、ちょっと変わったな」

 

 オレの率直な感想に、須藤は照れくさそうにガリガリと後頭部を掻いた。

 四月、入学当初あった猛々(たけだけ)しい覇気(はき)は心做しか鎮まっているし、何より──素直に人に礼を告げるところとか特にそうだ。

 

「何かあったのか?」

 

「……笑わねぇか……?」

 

「笑うはずがないだろ。人が変わる、変わろうとしている。それだけでも凄いのに、その理由を聞いて、笑うはずがない」

 

 本心を告げる。

 友人が変わろうとしている。それが良いか悪いかは本人にしか分からない。だが、その『変化』はとても大切なことだと、オレは思う。

 それに、オレ自身興味があった。何も変われないオレが、どうしたら変われるのか。そのヒントが得られるかもしれない。

 

「俺……堀北(ほりきた)に惚れたんだ」

 

 須藤は西空に顔を見せつつある朝日を眩しそうに眺めながら、ふとした拍子にそう言った。

 脳が数秒フリーズし、稼働するまでこれまた数秒必要とした。

 須藤健が堀北鈴音(すずね)に惚れた。その過程が全然想像出来ない。

 

「……悪い。もうちょっと詳しく教えてくれないか」

 

「勉強会に俺や(いけ)たちは参加しただろ? 俺と沖谷(おきたに)は堀北に(おも)に教えて貰ったんだけどよ。……ここまでは綾小路も居たから知っているよな?」

 

「ああ」

 

 池と山内(やまうち)櫛田(くしだ)にぞっこんだから、堀北は敢えてそうやって組み分けたんだろうな。好きな人が勉強を教えてくれる、男が動くのには充分だと判断したんだろう。

 

「俺は馬鹿だ。小学生なみの学力だ。この数週間、痛感した。……正直、勉強が将来必要になるかは分かんねぇ。──けど、やっておいて損はないって今は思ってる」

 

 やっておいて損はない。勉強なんて無価値だと考えていたであろう須藤が、消極的にとはいえ、一歩歩き出した。

 その最大の理由が堀北の存在なのだろうと推測する。

 

「堀北はよ、馬鹿にしながらも俺に勉強を教えてくれた。生意気(なまいき)な口の悪さに何度も顔面を殴ってやろうと思った。バスケのプロを目指すことを否定された時は特にそうだ。俺は女は殴らない主義だが、あの時ばっかりは摑み掛かりそうになったぜ」

 

 須藤は当時のことを思い出しているのか、遠い目になりながら語り始めた。オレは彼の言うことは一理あると、内心、首を縦に振る。

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 相手を見下すその考えが、彼女が『不良品』の巣窟(そうくつ)であるDクラスに配属された理由だと、オレは考えている。

 彼女の兄、堀北(まなぶ)も彼女に対して言っていた。『孤高と孤独を履き違えている』と。『孤高』と『孤独』。一見それらの言葉は似ているようが──しかし、違う。

『孤高』とは能動的なこと。自分から独りで居ることを好み、(こころざし)を持つこと。

『孤独』とは受動的なこと。仲間や身寄りがおらず、最期(さいご)まで独りで居ること。

 堀北は中途半端なのだ。だからこそ、堀北の兄貴は妹に対してあんなにも冷たいのだろう。もしくは別の理由があるのかもしれないが、それは部外者のオレでは推し量ることは出来そうにない。

 須藤の告白は続く。

 

「あいつは勉強会最終日に、一人一人に声を掛けて言ったんだ──

 

『私は最初、バスケットボールについて何も知らず、あなたを否定した。スポーツでプロになる厳しさ、過酷さを勝手に想像して、無理だと、無謀だと勝手に評して愚かな人だと哀れんだ。けれど、本当に愚かな人だったのは私だった。本気で目指しているあなたが、それを知らないはずがないのにね。須藤くん、今回勉強会で培った努力や頑張りを忘れず、バスケットに活かして。そうすればあなたは、日本が誇る一流の選手になれるかもしれない。──今回あなたは人一倍努力したわ。醜い足掻(あが)きだと人は言うでしょうけれど、けど、その努力は本物よ。明日の中間テスト、ベストを尽くしなさい』

 

 ──あの時、本当に嬉しかったんだ。俺はよ、綾小路、自分で言うのもなんだけど、自分のことはクズだと思っている。バスケ以外取り柄がないクズだってな。けどそのクズを、堀北は認めてくれた。惚れちまったよ」

 

 気付けば俺と須藤は身体を動かすのを止めて、互いの顔を見つめていた。

 彼の表情はとても誠実で、真摯なものだった。どうやら本当に、彼は心の底から堀北に惚れたようだ。

 

 ────()()()()

 

 誰かを好きになるということ。誰かを嫌いになるということ。誰かを愛するということ。誰かを憎むということ。

 そんな感情がオレには湧かないからだ。だがもし、もしオレが誰かを想うとしたら、その時オレは────。

 

「長くなっちまったな。……変か?」

 

「いや、全然。友人として応援するよ。でもそうか、だから昨日、オレが以前、堀北に昼飯を奢られた時の話に食い付いてきたのか」

 

 納得する。

 好きな女がそこら辺の男に飯を奢っていたら邪推するというものだ。それに自惚れでなければ、堀北と一番仲が良いのはオレだしな。

 一人勝手に頷いていると、須藤が恐ろしい形相(ぎょうそう)で顔を近付けてきた。怖い、冗談抜きで怖い。

 

「俺の心の内を(さら)したんだ。その時の話を詳細に教えてくれ」

 

「その前に、まずはジョギングを再開させるか」

 

 同伴者の答えを聞かずに、足を動かす。いつもよりスピード上げ、冷たくて固いコンクリートを蹴る。流石と言うべきか、須藤はすぐに追い付いてきた。

 オレは彼が求めているだろう言葉を言った。

 

「堀北が勉強会を開くその前に、相談を受けていたんだ。そのお礼を込めて、昼食を奢られただけだ」

 

「本当か? 嘘じゃないよな」

 

「安心しろ。むしろオレは最初、喜ぶ前にあいつを疑ったしな」

 

「なら良いけどよ……。なぁ綾小路、どうしたら堀北を落とせると思う?」

 

「恋愛経験ゼロのオレに聞くか」

 

「それでも池や山内よりは頼りになるだろ」

 

 比較対象がその二人だと、頼られてもあまり嬉しくないな……。

 嫌そうな顔を向けたくなるが、仕方ないので真面目に考えてみよう。

 須藤健が堀北鈴音を落とせる方法。……何だろう、全然思い付かない。

 

「……今のお前じゃ無理だろうな」

 

「ンなことは分かってんだよ。その上で聞いてんだ」

 

「……まずだけど、もうちょっと落ち着いた方が良いだろうな。須藤はすぐに『暴力』で物事を解決しようとするだろ? それは止めた方が良いんじゃないか? 少なくとも一般的な女子はそんな男は嫌いなはずだ」

 

 まぁでも、堀北がその一般的な女子に当てはまるかと尋ねられたら閉口するしかないが。

 というかそもそもの話、彼女は異性と付き合いたいとか思うのだろうか。仮に須藤が『良い男』に成長したとしても、彼女自身が恋愛に興味がなければ意味のない気がする。

 

「もし堀北が誰とも付き合わない腹積もりならどうするんだ?」

 

 オレの質問に、須藤は間髪入れず即答した。

 

「あ? そん時はそん時だ。あいつが首を縦に振るまで何度もアタックするだけだぜ。──おっ、そろそろ飛ばすか。先に行ってるぜ!」

 

 聞いているこっちが恥ずかしくなるような言葉を言い残し、須藤は一気に加速する。たちまち彼の後ろ姿が離れ、距離が開いた。

 オレはそんな彼を呆然と眺める。数秒後、ハッと我に返り、彼を追うべく、オレも朝空の下を駆けた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 朝の日課を終わらせて須藤と別れた後は、シャワーを浴びたり、洗濯物を干したり、朝食を済ませたりと忙しい。

 社会人にとっても学生にとっても朝の時間はあっという間に過ぎ去っていく。一秒たりとも無駄には出来ない。

 寮生活の弊害(へいがい)と言えるだろうな。普通なら家族に頼むことも、自分でやらなくてはならない。この前池と山内が面倒臭いと愚痴(ぐち)を零していたが、それも分かるというもの。

 

絨毯(じゅうたん)でも買った方が良いか……?」

 

 朝食のトーストを口に運び、今日の天気予報をテレビの液晶画面越しに観ていると、ふと、そんなことを思い立った。

 以前椎名(しいな)が我が家を訪ねてくれた際、オレは日本人として、『おもてなし』の心が欠けていたように思える。彼女には寮に予め用意されていた座り心地があまり宜しくない座布団に座らせてしまった。彼女は特に文句を言ってきたわけではなかったが、どうしても気にしてしまう。

 しかしこの先の寮生活で、いったい、どれだけの数の友人が遊びに来てくれるんだろう。その考えに至ると、どうしても二の足を踏んでしまうのだ。

 自分で言うのもなんだが、オレは友達が少ない。高校に入学してからもう少しで二ヶ月が経とうとしているが、部屋に通したのは椎名一人だけだ。

 …………悲しくなってきた。これ以上考えるのはやめよう。虚しくなる一方だ。

 濁った目でトーストを齧っていると、部屋のチャイムが鳴った。ロビーからではなく、玄関側だ。

 一瞬居留守(いるす)を使うことを考えたが、後が怖いからやめた。とはいえ、これで相手が接点のない生徒で、遊びで鳴らしたのならオレにも考えがある。

 

「はい」

 

 万が一に備え、脳内で四百二十五の対処法を考えながら玄関に向かうと、訪ね人の正体が判明する。

 

「おはよう、綾小路くん。朝早くから押しかけてごめん。今、時間良いかな?」

 

 聞き馴染みのあるクラスメイトの声だった。

 爽やかなイケメンボイスを出す同級生を、オレは一人しか知らない。

 

「どうした平田」

 

「改めておはよう、綾小路くん」

 

 扉を解錠し開け放つと、そこには一年Dクラスの人格者、平田洋介が申し訳なさそうな顔をして立っていた。彼が制服姿であること、そして右肩に担がれているスクールバッグから、登校中にオレの部屋を尋ねたことが窺える。

 外で放置することは簡単だが、流石にそれは相手に対して失礼極まりないことだ。

 

「中に入るか?」

 

「うん、お邪魔させて貰うよ。本当にごめんね」

 

 本日二度目の謝罪を口にする平田を安心させるために、オレは慣れない笑顔を浮かべて彼を我が家に招き入れた。

 おめでとう平田。オレの家に来たのはお前で二人目だぞ……!

 彼は子どものようにはしゃぎながら廊下を進んで行った。普段の彼はクラスではクラスを纏めるためだけに行動していると言っても過言ではないから、彼の歳相応な様子はとても珍しい。これで彼女の軽井沢(かるいざわ)にでも動画を送ったらどうなるだろうか。……怖いからやめておこう。

 しかしそんな様子もリビングに行く頃には収まり、やがて困ったように彼は片頬を掻いた。

 この流れは知っている。椎名の時と同じ展開だ。オレは先を越される前に予防線を張った。

 

「悪いな、何も無い部屋で」

 

「う、ううん。……ただ入学した時のことを思い出しちゃったよ。でも意外……でもないかな。綾小路くん、無駄なことはしないイメージがあるから」

 

 この二ヶ月でオレの性質をある程度は理解しているようだ。

 平田はテーブルの上に置かれているトーストやミルクに視線を送る。

 

「朝ご飯の途中だったんだね」

 

「ちょっと待ってくれると助かる。すぐに食べ終わるから」

 

「綾小路くんのペースで食べて良いよ。僕は押しかけた身だからね」

 

 ならその言葉に甘えさせて貰おう。オレは平田にテレビのリモコンを託してから、出来るだけ朝食を早く終わらせるため、口の運動をいつもより早くした。

 

 ──数分後。

 

 オレと平田は床に腰を下ろして向かい合っていた。

 椎名にも使って貰った例の座布団は座り心地が悪そうだ。これで池や山内だったら文句を言うんだろうが、目の前に居るのは、彼らとは一線を画す我らがDクラスのリーダーだ。

 彼はいつも浮かべている柔和な微笑みをオレに向けながら、話を切り出すタイミングを見計らっているようだ。こちらから仕掛けるとしよう。

 

「それで、用件はなんだ?」

 

「綾小路くんと、どうしても二人きりで話がしたかったんだ。ほら、学校だとその……軽井沢さんや他の女の子たちがいるからね」

 

「モテる男は自由な時間が少ないな」

 

「あははは……」

 

 オレのちょっとした嫌味に、けれど平田は怒ることはせず気まずそうに苦笑いを浮かべるだけだ。

 これがモテる男の力なのか。平田洋介、本当に恐ろしい男……!

 彼はこほんと咳払いをしてから、深々とオレに頭を下げてくる。突然の出来事にオレが慌てている中、彼は言った。

 

「まずは綾小路くん、過去問を僕に渡してくれて本当にありがとう。きみのおかげでDクラスからは退学者が出なかった」

 

「そこまでお礼を言われることじゃないと思うけどな。それにオレが過去問を入手していなくても、平田や堀北だったら退学者を出させなかったと思うぞ」

 

「それな……無理だったと思う……」

 

 弱々しく首を横に振る平田に、オレは何も言うことが出来なかった。

 下手な(なぐさ)めはかえって相手を傷付けるだけだと判断し、何故そのように考察したかを尋ねる。

 

「理由を聞いても良いか?」

 

「……これはあくまでも僕の想像だ、その点は予め了承して欲しい。──何もアクシデントがなかったら、皆クリア出来たと思う。多分だけどね。けど……」

 

「唐突なテスト範囲の変更で、確率は一気に下降した」

 

「特に須藤くんや池くん、山内くんたちはギリギリだったと思う。いいや、彼らだけじゃない。クラスの過半数は『赤点』の二文字が迫っていた」

 

 平田のその考えは正しい。事実、堀北もオレのしつこい追及によって、渋々ながらも認めたのだから。

 さらには茶柱(ちゃばしら)先生の伝達ミス。オレたち一年Dクラスは途轍もない数の不幸に襲われていた。

 死神の鎌は首筋に当てられていたってことだ。

 

「綾小路くんのおかげだ。きみの働きがあって、僕たちは中間テストを乗り越えられた。その『結果』は変わらない。それに今回、僕たちは学年二位の成績を残せた。来月はポイントが支給されるんじゃないかな」

 

 素晴らしい慧眼(けいがん)だと、オレは内心舌を巻いていた。

 平田洋介は、こと現在のDクラス内でなら、総合的には首位に位置するだろう。

 確かに彼の言う通り、オレが裏で働いた影響はとても大きかっただろう。しかし、効果を発揮出来たのは彼がこの二ヶ月でしっかりとした土台を作ってきたからだ。

 例えばもし、オレが誰にも過去問を渡さずに、自分の手でクラスメイトに流そうとしたら。当然彼らは疑うだろう。

『どうしてお前が……?』と、そのように評価され、過去問の価値が大きく下落してしまう可能性が高かった。

 女だったら見惚れるであろう笑顔を見せる少年。彼がオレに感謝しているのは本当だろう。

 しかしそれだけじゃない。彼は礼を告げること以外にもう一つ、明確な目的があってここに来た。

 

「何も言わないんだ?」

 

「言うって、何をだい?」

 

()()()()()()()()? オレがDクラスだけじゃなくて、Cクラスにも過去問を流したことを」

 

「困ったな……。まさか綾小路くんの方から言ってくるとは思わなかったよ」

 

 平田は短く嘆息(たんそく)した。彼ほど優秀な人間が、オレが暗躍したことを察せられないはずがない。もちろん、情報が何もなかったら気付かないだろうが……。

 一呼吸置いてから、彼は言う。

 

「少なくとも僕に分かることは、綾小路くん、きみがDクラス、そしてCクラスに過去問を流したことだけだ。そして多分、この前言っていた椎名ひよりさんが関係しているんだよね?」

 

「その解釈で合っている」

 

 Dクラスで平田だけが、オレと椎名のクラスを越えた付き合いをより詳細に認知している。

 数週間前、オレは彼から遊びに誘われ、そして放課後を使い時間を共有した。遊んだと言っても、実際は取り巻きの女子生徒たちのせいで、ぼっちと化したオレからすれば男としての差を見せ付けられて内心滝の涙を流すはめになり、お世辞にも楽しいとは言えなかったが……。

 とはいえ、ほんの数分なら彼と二人きりになる時間が必ず訪れる。オレはその貴重な瞬間を使用し、彼にオレと椎名の事情を話した。

 クラス闘争には、クラスメイトとしては必要最低限協力するが、率先しては動かないこと。Cクラスの椎名ひよりとこれから先も付き合いを継続すること、だが、互いのクラスの内情は決して触れないこと。

 

「正直言うとね、僕は綾小路くんのことをもっと冷めた人だと思っていたよ。気分を害したらごめんね」

 

「いや、それは大丈夫だけどな……。それより教えてくれ。『冷めた人』って、どういうことだ?」

 

「うーん、なんて言ったら良いのかな……。きみはクラス内で、堀北さんや須藤くんたちと最も仲が良いと思うんだけど、関係性が薄いように思えるんだ」

 

 関係性が薄い、か。

 

「もっと悪く言うと、上辺だけの付き合いって言うのかな。相手からの好意は受け取るけど、自分からは好意を投げないっていうか……」

 

 なるほど。言われてみれば確かにそうだな。

 流石はDクラスの先導者。自分のクラスメイトのことを良く観察している。

 

「ここからは何も確証がない憶測だよ。──多分、椎名ひよりさんが危機的状況にあったんじゃないかな。この前までCクラスはちょっとした内紛状態だったからね。彼女はそれに巻き込まれてしまった。綾小路くんは彼女を助けるために作戦を決行した。違うかい?」

 

「八割がた合ってる」

 

「つまり、きみはあくまでも椎名ひよりさんを救うために動いたってことだよね。……嫌な質問をするけど、もしこれで何もなかったら、きみはクラスのために過去問を手に入れようと動いた?」

 

 嘘は許さない、そんな意思が平田の瞳から伝わる。オレは彼の瞳を真正面から受け止め考えてみた。

 もし、もし龍園(りゅうえん)(かける)が取引を持ち込まなかったら……オレは須藤や池たちのために動いただろうか。

 

「……どうだろうな。その時にならないと分からない、そう答えるしかない」

 

 不誠実極まりない解答に、平田は声を荒らげるわけでも、胸倉を摑むわけでもなく、ただ優しく微笑んだ。真意が読めない純粋な微笑。

 彼は窓から覗き見える雲を見つめながらふいに……。

 

「僕はね、綾小路くん。()()()()()()()()()()()()()

 

「……辛いと思わないのか?」

 

 オレの質問に、平田はキョトンとした顔になった。まるでそんな考えに至らなかったかのように。

 

「辛い? あはは、そんなこと思ったこともないよ。全部、僕が願ったことだからね。そんな感情、湧き出したことは一度もないかな」

 

 無邪気に笑う少年の顔を見て、オレは逆に顔を強張らせてしまった。彼が抱えている『闇』の一端を垣間見た気がした為だ。

 平田洋介は善人だ。善行を尊ぶ人間だ。困っている人が居たら率先して声を掛け、そして助けるだろう。既知だろうと未知だろうと関係なく、彼は身体を張って助けるだろう。

 しかし同時に、壊れているとも思う。彼が『苦痛』を感じた時──何が起こるか見当もつかない。

 

「ごめん、話が長くなっちゃったね。僕としては綾小路くん、きみが他のクラスの人とどう付き合おうと口出しはする気はないよ。そもそもこの学校が特殊なだけで、普通ならもっと他クラスとも交友があっても良いしね」

 

「オレとしたら願ったり叶ったりだけど、本当に良いのか?」

 

「うん。けど代わりに、それとは別に一つだけお願いを聞いて貰っても良いかな。──綾小路くん、出来ればきみには、個人的に僕に協力して欲しいんだ」

 

「……それはつまり、Dクラスの一員としてじゃなくて、平田洋介という人間の仲間になれってことか?」

 

「その解釈で間違ってないよ。きみは敢えてその聡明さを隠しているんだと、僕は考えているんだ」

 

「過大評価はやめてくれ。ちょっとだけ悪知恵が働くだけだ」

 

 オレの返答に、平田は無言の微笑を浮かべるだけだった。

 どうやら彼はある程度の確信を持って事を進めようとしている。

 先導者が求めているもの、それは絶対的な『協力者』。裏切らない『駒』と言うべき存在を彼は渇望している。

 今のDクラスではAクラスを目指すことなど夢のまた夢。このまま『変化』が何もなく『不良品』のままだったら日々のお小遣いを稼ぐことだけで精一杯だろう。

 だからこそ彼は求める必要がある。自身を裏切らない、いや、裏切れない者を。

 

「具体的にはどうすれば良い?」

 

「これから先、Dクラスは内輪揉(うちわも)めが高い確率で起こると僕は視ている。その時誰かが諌める必要がある。そしてその役割は──傲慢かもしれないけど──僕しか担えないとも視ているんだ」

 

「少なくとも現状はそうだろ。……なるほど、その時オレはお前に賛同すれば良いんだな」

 

「うん。僕のグループは軽井沢さんをはじめとした女の子たちが多くて、代わりに男の子は少ないからね。この前の一件で池くんや山内くん、何よりも須藤くんとの開いていた仲を縮められたのは良かったけど、それでもあと一歩足りないのが僕の見解だ。特に、須藤くんとは仲良くしていきたい」

 

 運動能力に大きな偏りがあるDクラスで、須藤は必要だからな。

 それに何より、彼と最も仲が良いのはオレだ。オレが平田を推せば、彼も高確率で付いてくるだろう。

 彼からしたら一石二鳥だな。

 

「綾小路くんには僕が意見を言った時、僕を支持して欲しいんだ。もちろん、きみの意思を捻じ曲げろとまでは言わない。考えが合わなかったら反対してくれて構わない。なるべくで良いんだ。……代わりに僕は、きみと椎名ひよりさんの味方をするよ。クラス闘争が始まってなお、友達付き合いをしているきみたち二人には、遠からず厄介事が降り掛かると思うから。その時僕は全面的にきみたちの味方をする。約束する」

 

「分かった。その提案を呑む。平田はオレを、オレは平田を利用するってことだな」

 

「言葉はちょっと悪いけどね」

 

 平田は苦笑いしながら、右手をオレの方に差し出す。オレは彼の自身の右手で摑み、結ばれた糸を二、三回上下に揺らした。

 お互いにデメリットはなく、メリットしかない契約。

 こうなることは正直予想出来なった。しかし平田洋介という男とこうして協力体制を作れたのはかなり良かったと思う。絶対的な信頼関係を築くより、今回のようなケースの方が莫大な効果を生み出すこともある。

 

「それじゃあ()()、そろそろ時間だから行こう」

 

「……!?」

 

 これ以上は本格的に遅刻のピンチだ。クローゼットからハンガーに掛けられている学校のブレザーを取り出し身に纏う。

 忘れ物がないか最終チェックをしていると、横から恐る恐ると言った具合に……。

 

「あ、綾小路くん? さっき、僕のことを『洋介』って……」

 

「悪かったか? 名前呼びをしている間柄なら、お前をいつも支持したとしても問題ないと思うんだが」

 

「ううん、何も問題ないよ。それじゃあ今から、僕も清隆(きよたか)くんと呼ぶね」

 

「ああ」

 

 洋介は無垢なる笑顔を浮かべて、嬉しそうに一度頷いた。

 寮から出て通学路を彼と並行しながらやや小走りに移動していると、ふと思い出したように話を振ってくる。

 

「そうだ清隆くん。今日の昼休み空いているかな。軽井沢さんたちと一緒に打ち上げを開く予定なんだけど、もし良かったらどうだい?」

 

「オレが参加したら、お前の彼女が怒りそうで怖いけどな」

 

「あはは。大丈夫だよ、軽井沢さんはそんなことで怒りはしないから。それにきみは一緒に勉強した仲間だからね、反対はしないはずだよ」

 

 オレのような人間からしたら、軽井沢のようなイケイケギャルは『敵』に分類される側の人間だ。

 いわゆる陽キャラVS陰キャラ、みたいな? まぁ結果は語る必要はなく、轟沈(ごうちん)することは容易に想像出来る。

 数秒迷う。平田の先程の様子から、オレを誘う予定ではなかったのは一目瞭然。

 しかしオレたちは協力関係になった。

 突然オレたちが下の名前で呼び合うような間柄になれば、誰もが訝しむ。だから彼はカモフラージュのために、今回の祝勝会を通して仲良くなったことにする算段なのだろう。

 

「悪いな、それじゃあお言葉に甘えて参加させて貰う」

 

「ありがとう。昼休みは一次会で、放課後二次会が開かれるんだけど、これにはどうする?」

 

「悪いな、放課後は先約で埋まっている」

 

「椎名ひよりさんかい?」

 

「いや、須藤や池たちと買い物に行く予定なんだ。それに今日、椎名は部活があるそうだから、彼女は関係ない」

 

「もし良かったら、何を買いに行くか教えてくれないかな」

 

「堀北と櫛田宛のプレゼント。ほら、オレは兎も角としてあいつらは彼女たちに教えて貰ってたからな。そのお礼がしたいんだろう。オレはその付き添いだな」

 

 池の提案の元、今日の夜は中間テストの打ち上げが開催される。

 参加者は堀北、櫛田、須藤、池、山内、沖谷、そして最後にオレだ。

 オレは別段、勉強会に参加して彼らと一緒に苦楽を共にしてはいないのだが、彼らから誘われたのだ。

 場所は未定、集合時間も未定、色々と不安はあるが、今どきの高校生はこれくらいの無計画さの方が気楽で良いのかもしれない。

 校舎に入り、洋介と一緒に教室にへと足を踏み入れると、多種多様な表情のクラスメイトがオレたちを出迎える。殆どは困惑が圧倒的に多かった。無理もないかもしれない。

 これまであまり接点がなかった二人が、楽しそうに? 談笑しながら登校してきたのだ。

 

「平田くんと綾小路くんがなんで……?」

 

「偶然だろ、偶然」

 

「でも綾小路くん……はイマイチ分からないけど、平田くん、とても楽しそうだよ。ってことは、一緒に登校してきたんじゃないの?」

 

「あの二人、あんなに仲が良かったのか?」

 

「平田くん主催の勉強会に途中から参加してきたんだけど、多分その時に仲良くなったんじゃないかな」

 

 クラスメイトたちのヒソヒソ話をなるべく耳に入れないように注意しながら、オレは洋介と別れて自分の席にへと向かう。

 朝のSHRまでにはまだ時間があったが、オレたちが最後の組のようで、殆どの生徒が着席しているようだった。

 テーブルの留め具にスクールバッグを掛けていると、右隣から挨拶が出された。

 

「おはよう、綾小路くん」

 

「おはよう。……どうした堀北、お前から挨拶をしてくるなんて、明日は雪でも降るのか?」

 

「そんなわけないでしょう。それよりあなた、どうして平田くんと一緒に……?」

 

「勉強会を通して仲良くなったんだ。あいつは良い奴だからな」

 

「……そう、ならそれで良いわ。話は変わるけれど、打ち上げはどこで開かれるのかしら」

 

「さぁな。カフェやレストラン……に行くのが妥当なんだろうけど、池や山内たちはポイントに余裕がなさそうだ。おおかた、誰かの寮の部屋じゃないか」

 

「池くん、山内くん、須藤くん、そして私の部屋だったら参加は辞退するからそのつもりで」

 

「オレに言われても困る」

 

 まあ、堀北の気持ちは分かる。

 自分の部屋が会場に使われると後片付けが面倒臭いし、何より女性が異性を招きたくないのは当然だな。

 池、山内、須藤の三人は普段の日常生活から、彼らの寮の部屋がどうなっているかはある程度想像がつく。散らかっている様子が簡単に脳裏に思い浮かべられるが、けれど同じ男としてフォローさせて貰えば、男の部屋なんてそんなものだろう。

 兎に角、今日は人生で初めての打ち上げだ。楽しみに待っているとしよう。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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