ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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表裏一体

 

 四時限目の授業の終了を告げるチャイムが校舎に響き渡り、同時に、昼休みの開始を告げた。教科担当の英語教師、真嶋(ましま)先生が号令を掛ける。

 

「今回習った関係詞はとても大切な文法なので、復習をしっかりするように。本日はここまで」

 

「「「ありがとうございました」」」

 

 真嶋先生はオレたち生徒の挨拶に、特にこれと言った反応を返すことなく教室をあとにする。茶柱(ちゃばしら)先生と同様、彼は『冷たい先生』という印象を生徒たちに持たれていた。

 とはいえ、ひとえに『冷たい』と言っても様々だ。茶柱先生の場合は生徒に非協力的で冷淡(れいたん)、『どうして教師をやっているのか分からない』といった具合だが、真嶋先生は『話し掛けたら話してくれるし、分からなかった箇所があったら教えてくれる、けど積極的じゃない』といった具合で『フラット』……つまり、常に生徒たちとは一定の距離を保ち続けている。そしてそれは、自分が受け持っている一年Aクラスの生徒だろうと変わらない。

 ちなみに彼が受け持っている教科は先に述べた通り英語だが、少し前は別の教科担当としても勤めていたのだとか。そのことから、彼が教師として優れていることが窺える。

 一年Bクラス担任、星乃宮(ほしのみや)先生だけは彼女のフレンドリーな性格であるがために生徒たちから慕われている。いや、慕われているは誤用だな。あれは多分、『歳上の近所のお姉さん』と言ったものか。

 お姉さんとして扱うには些か無理があるけれど(実年齢的に)、総じて彼女は人気が高い。

 A、B、Dクラスの担任とは面識があるが、唯一Cクラスの担任とだけは無かった。名前だけは一応知っているが、これから先の学校生活で接点を持つとは到底考えられないから頭の隅にでも置いておこう。

 ()にも(かく)にも学生にとって至福のひとときである昼休みの突入だ。高度育成高等学校の昼休みは四十五分。『普通』とは縁遠いこの学校だが、そういった基本的なシステムは全国各地の学校と同じだ。

 

清隆(きよたか)くん、行こうか」

 

 洋介(ようすけ)がイケメンスマイルをいつものように浮かべながら誘ってくる。彼が教室の中を移動するだけで、彼に骨抜きにされている女子生徒たちは目をハートマークにする。そんな光景を怨嗟(えんさ)の目で見る男子生徒たち……というのが、Dクラスの昼休みの開始を意味していた。

 しかし今日に限っては、そのルーティンは行われなかった。

 

「ああ、今行くよ洋介」

 

「「「……!?」」」

 

 オレが平田(ひらた)の下の名前……『洋介』と呼び捨てにしただけで教室は騒然となる。須藤(すどう)(いけ)山内(やまうち)といったこのクラスで比較的仲良くしている男連中は驚愕的(きょうがくてき)な表情を浮かべて目を()いているしな。

 隣人の堀北(ほりきた)は流石と言うべきか、感情を顔に出すことはしなかったが、それでもテーブルの引き出しに参考書やノートをしまおうと動かしていた手を止めるくらいには驚いている。

 ……困ったな……。

 まさかここまで過剰に反応されるとは、正直思ってなかったんだが。ああ……胃が痛い。

 

「どこで打ち上げをするんだ?」

 

軽井沢(かるいざわ)さんや他の女の子と話したんだけど、カフェに行こうと思っているんだ」

 

「……カフェか……」

 

「あはは……清隆くんはカフェとか行かなさそうだもんね。無理強いはしないけど……どうかな?」

 

 数週間前の苦い記憶が頭の中でフラッシュバックする。高円寺(こうえんじ)に誘われ、肩身の狭い思いを味わったあの敵地。

 あの時はただただ目の前で繰り広がれていた光景に呆然(ぼうぜん)としていた。何せすぐ近くにはクラスメイトが歳上の女性を侍らせていたのだから。

 しかし、しかしだ。

 今回は洋介が居るし、打ち上げに参加する女子生徒たちともある程度は話すことが出来るようになっている。

 それに彼とは協力関係を築いたばかりだ。『これから先』のことを考えると、断るのは得策ではないか。

 

「分かった。カフェで構わない」

 

「うんっ。まずは軽井沢さんたちと合流して──」

 

「平田くーん、それと……綾小路(あやのこうじ)くんも。早く行こう?」

 

 女王軽井沢が下僕の女子たちを率いて催促(さいそく)してくる。洋介の名前を呼ぶ時と、オレの名前を呼ぶ時の温度差について言及したいところだが、後が怖いからやめておこう。

 女王は彼女としての特権を存分に振るい、彼氏の片腕に抱き着きどんどん引っ張っていく。

 おお……! 衆人環視がある中で堂々と……! 流石は今どきの花の女子高生。

 洋介は苦笑いこそ浮かべているが、苦痛ではなさそうだ。彼なりに楽しんでいるのだろう。

 ──だが、そうだとしたら、どうして彼らはあんなにも()()()()()()()()()()。彼氏彼女の関係である彼らの仲は安泰(あんたい)そのもので、破局を迎えるとは到底考えられない。だが違和感を覚えるのも事実。

 恋愛経験ゼロのオレが、恋愛エキスパートの彼らに何かを言う資格はない。男女の交際はオレが考えている以上に神経を使うのだろうし、難しいのだろう。ただ……『薄っぺらい』と、彼らの後ろ姿を見てそう思った。

 男女差が激しく偏る隊列の中、オレは出来るだけ後ろに位置した。

 こういう時困るよな、中途半端の付き合いをしていると何を話したらいいか思い付かない。それが異性だったら尚更だ。

 肩を落としながらため息を零してしまう。

 

「「ハア────」」

 

 オレだけではないもう一人の声。

 どうやら、一歩先を歩く女子生徒もオレと同じような心境のようだ。

 おっと、そんな風にコメントしている場合じゃない。

 オレと彼女は自然と瞳を合わせる。

 

「あっ、えっと、その……あのっ……」

 

 が、すぐに逸らされた。

 少女はオレが傷心したことに気付いたのか、おずおずとこちらに目を向けてきた。目と目が合うが、またすぐに逸らされてしまう。

 何とも言えない気まずさを抱えながら、オレは彼女が誰かを思い出していた。

 当然ながらクラスメイトだ。名前は確か──王美雨(ワンメイユイ)、だったか。呼びづらい名前のため、『みーちゃん』という愛称が生徒間では使われている。

 (ワン)と呼ぶべきか、それとも『みーちゃん』と呼ぶべきか。

 彼女もオレと同様、洋介主催の勉強会に参加していた勉強仲間だ。しかし残念なことに彼女と話したことは皆無。

 そんな状態の中で『みーちゃん』と呼ぶのは照れくさいと言うか……。

 

「あ、綾小路くん、だよね?」

 

「そうだけど……。王美雨(ワンメイユイ)、だよな?」

 

 お互い、名前は知っているのに確認するというおかしな事態に襲われる。

 オレは悟った。彼女も悟った。

『あっ、このひと同族だ……』と。すなわち──友達が少ない孤独さを共感出来る人間であると。

 

「わ、私のことは『みーちゃん』でいいよっ。本名だと呼びづらいだろうし。私も綾小路くんって呼ぶからっ」

 

「分かった。ならこれからは『みーちゃん』って呼ぶことにする」

 

「うん……」

 

 会話が不自然に途切れる。これがオレの限界か……。

 思い返してみれば、オレって女の子とまともな出会いを一切していない気がする。

 付き合いがある女性を思い浮かべてみよう。

 まずは椎名(しいな)ひより。今でこそ彼女の存在はオレの中でしだいに大きくなっていっているが、それでも入学式のあの日、バスの中で会わなかったら、絶対そうはならなかったはずだ。

 次に堀北鈴音(すずね)。隣人の彼女とは出会い的な瞬間でならまともだったが、初対面で事なかれ主義というオレの信条を全否定されたし、名乗っても最初は断られてしまった。

 最後に櫛田(くしだ)桔梗(ききょう)。彼女は堀北と仲良くなりたいがためにオレに近付いてきた。もちろん、それが悪いとは言わない。連絡先を交換してくれただけでオレのような人間からしたら幸運だ。

 オレって本当に友達少ないな……。いや待て、落ち着くんだ。一旦冷静になろう。

 これはいい機会じゃないか? せっかくだ、みーちゃんと仲良くなろう。

 相互理解が何よりも大切だ。

 

「みーちゃんはどうして『みーちゃん』って呼ばれているんだ?」

 

「さっきも言ったけど、私の名前って呼びづらいよね? 日本にやって来た私に、初めて出来た友達が付けてくれたの」

 

「ハーフじゃないんだな」

 

「うん。私の両親はどちらも中国人なんだ」

 

 中国、中国か……。つまり彼女は外国人というカテゴリーに区分されるのか。

 そんな彼女が話す日本語はとても見事なものだ。

 

「日本には留学しに来た──悪い、不謹慎(ふきんしん)な質問だったか」

 

「ううん、そんなことないよ。綾小路くんの予想通りかな。中学一年生の時、お父さんが仕事でね。私やお母さんもその流れで」

 

 家族そのまま引っ越してきたのか。

 さぞかし勇気がいる決断だっただろう。

 

「これは単純な興味なんだけどな。苦労はしなかったか?」

 

「苦労?」

 

「言葉の壁とか、文化の違いとか」

 

「うーん、カルチャーショックはかなりあったかも。例えば──餃子(ぎょうざ)とかかな」

 

「餃子?」

 

 思いもしなかった単語の出現に戸惑ってしまう。

 餃子とは中国料理の点心の一つ。小麦粉を練って伸ばした薄い皮で、豚のひき肉や細かく刻んだ野菜を包んで半月形にし、焼いたり、()したり、ゆでたりしたもの──だったはずだ。

 

「中国の一般的な餃子は水餃子(みずぎょうざ)なんだけど……ここまでは知ってる?」

 

「ああ。ニンニクを中に入れず、別皿ってところまでは一応知識としては知ってる」

 

 日本では肉の臭みを打ち消すためにニンニクを皮の中に入れるが、本場では違うと、以前耳にしたことがある。

 

「それならこれは知ってるかな。日本だと『餃子定食』ってあると思うんだけど、綾小路くんは食べたことある?」

 

「食堂で二、三回は」

 

「そうなんだ。けどね、中国だと、『餃子定食』っていう概念はないんだよ」

 

「……?」

 

「うん、それが日本人の普通の反応だよね。日本だと主食はお米だけど、中国だと餃子が主食なんだ。だから、ご飯と一緒に餃子を食べるっていう考え方がないんだよね」

 

 食文化の違い、か。

 言われてみればそうかもしれないな。

 餃子に限らず……例えばラーメンやそば、うどんなどの麺類。日本人や朝鮮人は麺を(すす)りながら食すが、欧米人はその行為を嫌うという。なんでも啜る音──ズルズルと言った音が不快になるのだとか。

 

「あの時は本当に驚いたよ。ほら、中学校までは給食があるよね。何度か『餃子定食』が出されたんだよ。皆美味しそうにご飯と餃子を交互に口に運んでいて……『え〜!?』って思ったかなあ」

 

「皆、好きなように席に座ってくれないかな」

 

 おっと、話し込んでいたら目当てのカフェ、パレットに到着していた。

 洋介の指示の元、各々好きな席に座る……わけがなく、皆のヒーローを奪い合う熾烈な戦いが始まる。

 男だったら楽なんだが、女が居ると面倒臭いよな、こういうの。『笑顔を浮かべているが目が全く笑っていない』と小説でよく使われる表現があるが、なるほど、確かに無言の圧力が掛けられている気がする。

 数少ない男の数の少なさを主張して洋介の近くに行くことは充分に可能だろう。が、そうすると後が怖い。苛めとは些細なことで起こるものなのだ。

 オレはそそくさと案内された長テーブル……その右端を陣取ることにする。

 対面に座ったのは奇遇にもみーちゃんだった。彼女は多分、人とのコミュニケーションが苦手なのだろう。オレみたいな同族だったらシンパシーを感じて会話を楽しむことが出来るが、逆に軽井沢みたいな強気なタイプだと思うように話せられない。

 そしてそれは、普段の生活から窺える。

 というのも彼女は、洋介のグループではないからだ。確か、()(がしら)といった比較的落ち着きのあるグループに属しているはずだ。

 彼女がこの場に居るのは、たんに付き合いの問題なんだろうな。先導者からの誘いを断れば、クラスの半分の女子を敵に回すだろうし、今後の学校生活に支障を来す可能性も高くなる。

 女子たちの長い戦いは終わった。

 オレの対面には先程も述べたがみーちゃん。左は篠原(しのはら)という、女王の従者。左斜め前は確か……松下(まつした)だったか。彼女は女王の完全な仲間ではないが、みーちゃんと同じく付き合いの問題だろう。

 

「今日の昼食は僕が全額負担するから、好きなものを頼んで欲しい」

 

「えっ? で、でも平田くん……それは流石に悪いよ。ポイント全額って、一体幾らになるか分かんないし」

 

 軽井沢の猫被りの声。ちなみに彼女は、彼氏彼女の特権を乱用し、見事に洋介の左隣を陣取っている。カーストトップに位置するDクラスの女王に敵はいないな。

 だがな軽井沢。オレは知っているぞ。五月一日のあの日、お前がクラス中の生徒たちからポイントを半ば強制的に貰っていたのを。どれだけの生徒が被害を被ったことか……。

 

「大丈夫だよ軽井沢さん。僕はあと三万ポイントは所持しているからね。むしろ払わせて欲しいんだ」

 

「平田くんっ……!」

 

 尊敬の眼差しを洋介に向ける軽井沢。いや、彼女だけじゃない。オレ以外の全員がそうだ。

 これで益々彼の株が高騰したな。

 

「清隆くんも安心して好きなものを頼んで良いよ」

 

「それじゃあ遠慮なく」

 

 カルボナーラを頼む。洋介は手馴れた手付きで店員を呼んだ後、人数分の料理を注文する。

 少しばかり訪れる空白の時間。

 やがて軽井沢が不意に、核心に迫る質問をした。

 

「なんか平田くんと綾小路くん、一気に仲良くなったよね?」

 

「勉強会を通して、清隆くんとは親交を深めたんだ。そうだよね?」

 

「今日だって、朝食の時間を一緒に過ごしたからな」

 

「「「ええ────!?」」」

 

 驚き声がパレット内に響いた。周りに居た生徒たちがオレたちを訝しんで一瞥(いちべつ)してきたが、すぐに興味をなくしたようにそれぞれの時間に戻っていく。

 有り得ないとばかりに軽井沢たちは仰天している。

 

「……綾小路くんが……?」

 

「良くよく見てみれば顔整っているよね……」

 

「わっ! イケメンランキング五位にランクインしてる!」

 

「ほ、本当だ……! で、でも根暗そうランキングにも載ってる……」

 

 もの凄く口を挟みたい。

 何だよその、なんとかランキングって。女子の闇は深いな……。

 いや待てよ。龍園(りゅうえん)と初めて会った時、奴はランキングについて知っている素振りを見せていたな。……どうやって知ったんだろう。

 嘆息(たんそく)してから正面を見ると、みーちゃんと視線が合う。ランキングについて尋ねてみたい衝動に駆られたが、なんとか踏みとどまる。

 

「そんなにオレと洋介が仲が良いことが意外か?」

 

「う、ううんっ! そんなことないよっ!」

 

 反応からして嘘をついているのが丸わかりだ。数秒後、みーちゃんは顔を俯かせて。

 

「平田くんが、男の子を下の名前で呼ぶなんて思わなかったから。Dクラスでも苗字呼びだし……」

 

「さっきも言ったけど、勉強会で仲良くなったんだ。もともと洋介とは時々だけど喋っていたからな、共有する時間が増えれば自ずと仲良くなる」

 

「確かに言われてみれば、勉強会だと平田くん、綾小路くんとよく話してたもんね」

 

「良く見てるんだな」

 

「えっ!? う、うん……」

 

 送られた称賛に、みーちゃんはやや過剰に肩をビクンと震わせる。褒め慣れていないのか?

 軽井沢たち女性陣はオレと洋介の仲に一定の理解を示したのか、すぐに別の話題で盛り上がる。内容はここ最近流行っている服についてだった。

 洋介は笑顔で的確な相槌(あいづち)を打ち、話を広げることに尽力していた。

 そしてオレとみーちゃんだけが隔離されてしまう。

 こちらもこちらで盛り上がるとしよう。

 

「さっきの話の続きをして良いか?」

 

「うん、大丈夫だよっ」

 

「食文化で躓いたことは分かった。他で苦労したことは無かったのか? さっきも聞いたけど言語の壁とか」

 

「言葉の壁かあ……。最初はやっぱり大変だったかな。でもそこまでじゃなかったよ。私が通うことになった中学校には英語が得意な人たちが多かったから、すぐに打ち解けられたんだ」

 

「そう言えばみーちゃんはこの前の中間テスト、英語は満点だったな」

 

 国語や数学、社会で多数の満点者を数多く輩出した一年D組だが、英語や理科となると一気に減少した。

 いくら過去問があるとはいえ、英語、そして理科は基礎が理解出来ていないと解けないからな。特に英語はそうだろう。ちなみに、須藤や池たちが最も苦しめられた教科でもある。

 Dクラスの英語の満点者、つまり同点首位は堀北鈴音、高円寺六助(ろくすけ)幸村(ゆきむら)輝彦(てるひこ)、平田洋介、そして最後に──王美雨(ワンメイユイ)の合計五人。

 

「英語で満点は凄いと思う」

 

「ううん。確かに私は英語が得意だけどね、平田くんが過去問を手に入れてくれなければ満点なんて取れなかったよ。茶柱先生から渡された時、嬉しさのあまり泣きそうになっちゃった」

 

 はにかんでから、みーちゃんは洋介をキラキラとした眼差しで盗み見る。その表情はさながら、『恋する乙女』そのものであった。

 なるほど、どうやらみーちゃんは洋介に惚れているらしい。流石はクラスのヒーロー、いったい、どれだけの女性を落とせば気が済むのか。

 とはいえ、残念なことに彼女の恋は叶いそうにない。平田洋介には軽井沢(けい)という交際相手が居るのだから。

 それは彼女も分かっているはずだ。自分の恋が成就しないことは、一ヶ月も前から分かっている。だが、誰かを想うこと、その気持ちを持つことを誰が責められるだろうか。

 王美雨(ワンメイユイ)の視線に、洋介は気付かない。軽井沢も気付かないし、他の女子たちもそうだ。

 彼女が勇気を振り絞ってこの打ち上げに居るその最大の理由。それは好きな人と──たとえ、距離が離れていても同じ空間に居たかったからなのだろう。

 

「……羨ましいな……」

 

 声に出して呟いてしまう。幸いにもオレの独り言は誰にも拾われなかった。

 須藤(けん)は堀北鈴音に惚れている。王美雨(ワンメイユイ)は平田洋介に惚れている。

 そして──平田洋介は軽井沢恵と交際している。

 人間とは『変化』を嫌う生き物だ。特にそれは、誰かとの繋がりが変わる時に顕著に現れる。

 同性だったら他人から友達に。友達から親友に。親友から旧友に。

 異性だったら他人から友達に。友達から想い人に。想い人から愛する人に。

 注文した料理が運ばれた。

 洋介が代表して、周りに迷惑が掛からないように配慮しながらもグラスを上空に掲げた。

 

「乾杯」

 

「「「乾杯!」」」

 

 

 

 

§

 

 

 

「かんぱーい!」

 

 池が喜びに満ち溢れた表情でグラスを掲げ叫ぶ。

 楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。気付けば学校は終わっていて、夜を迎えていた。昼休みの打ち上げとは違い、夜の打ち上げは男女比が逆転していた。オレ、須藤、池、山内、沖谷(おきたに)と男子が五人なのに対して、女子は堀北に櫛田と二人しかいない。

 皆、目標であった中間テストクリアを果たしたこと、勉強から解放されたことで笑顔だ。まあ、堀北は相変わらずの仏頂面だが。

 だが、池が以前言っていた、『苦楽を共にする仲間』に近付いているのかもしれない。

 昼も感じたが、友人と喜びを分かち合うということはとても意味があると思う。嗚呼……オレは今青春を味わっているな。

 とはいえ、たった一つだけ不満点がある。

 

「おいおい、どうしたんだよ綾小路。そんな暗い顔をしてさ」

 

「打ち上げを開くのは賛成だけどな。……どうして会場がオレの部屋なんだよ」

 

 そう、打ち上げ会場はオレの部屋だった。

 オレの咎めに池は飄々(ひょうひょう)とした様子で答える。

 

「俺、山内、須藤の部屋は散らかってんだよ。女子の部屋でやるわけにもいかないだろ?」

 

「だとしても他にも場所はあっただろ。ケヤキモールのレストランとか」

 

「そんなポイントが残ってると思うか?」

 

 恥ずべきことなのに胸を張る。なんだろう、悪いのは向こうの筈なのに、一瞬ながらもオレが悪いと錯覚(さっかく)してしまった。

 正直なところ、まったく予想しなかったわけではない。それでもなあ……。

 オレが黙っていると、沖谷と須藤が室内を見回しながら……。

 

「「……何も無い……」」

 

「悪かったな。オレだってそれは感じている」

 

「で、でも意外かな。綾小路くん、読書が趣味だって聞いていたから、本棚くらいはあると思ってたんだけど……」

 

「出来るだけ図書館で借りているからな。あそこは大抵の本はあるから、ポイントを支払ってまで買う必要性はない」

 

「あれっ? でも机の上に何冊か置かれてるね?」

 

 櫛田が興味深そうに本を手に取り、可愛らしく小首を傾げて尋ねる。池と山内はそんな彼女を見て(もだ)えている。

 

「『まるで天使のような』……? ねえ、綾小路くん。これって外国の本だよね?」

 

 ああ、と肯定の頷きを返す前に……。

 

「正確にはアメリカ合衆国の推理作家、マーガレット・ミラーが書いた作品よ」

 

 オレの台詞が横から取られた。今の今まで読書に勤しんでいた堀北が答えたのだ。

 せっかく答えようと思ったのに……。

 

「その天使のなんちゃらはどうでも良いけどさ。本当にこの部屋、なんにも無いよな。ある物と言えば本くらいだし……櫛田ちゃんはどう思う?」

 

 池、お前は今、オレと堀北を敵に回したぞ。

 まぁでも、本を読むことを率先としない人間からすれば、そんなものはやっぱりどうでも良いのかもしれないな。

 櫛田は『まるで天使のような』を元の場所に戻してから、先程の須藤や沖谷のように室内をゆっくりと見回す。オレという人間が勝手に評価されているようで、この時間は憂鬱(ゆううつ)だ……。

 

「うーん、確かに皆の言う通り何も無いけど……それでも、私的には充分に良いと思うよ。簡素だけど清潔感があるしね」

 

「「はははっ、良かったな綾小路!」」

 

 私怨(しえん)で思い切り背中を叩かれる。沖谷だけが背中を優しく摩ってくれた。どうして彼は男として生まれたんだろう。

 

「けど本当に、今回の中間テストで赤点取らなくて良かったよな。俺、絶対取ると思ってたもん」

 

「僕もかな。特にテスト範囲変更が茶柱先生から正式に告げられた時は、絶望で泣きそうになったよ」

 

「お前、間違ってもクラスの中で泣くなよ? 絶対黒歴史として残るからな」

 

「もちろんだよ。男がめそめそ泣くなんて、高円寺くんの言葉を借りるわけじゃないけど(みじ)めにも程があるし……」

 

 この時、この打ち上げに参加している全員が心を一つにして、同じことを思った。すなわち──『そういう意味じゃない』と。

 ほんと、どうして沖谷は男として生まれたんだろう。

 

「櫛田ちゃんと堀北には感謝感激雨あられだぜ!」

 

「ううん。私は堀北さんの手伝いをしただけだよ。実際、テスト週間の後半は堀北さんに任せっきりだったしね」

 

「そんなことはないわ。櫛田さん、あなたが居たからこそ、池くんと山内くんは勉強意欲が続いたし、効率も上がったのよ。だから──ありがとう」

 

 堀北が初めて、櫛田に面と向かってお礼を言った。

 櫛田は突然の出来事にしばらく呆然としていたが、ハッと我に返ると破顔する。彼女が浮かべた笑顔は、この二ヶ月で一番輝いているように見えた。

 

「それと、私はあなたたちのために勉強を教えたわけじゃないわ。私のために──退学者が出るとクラスの評価が下がると判断したから教えたに過ぎない」

 

「ここは嘘の一つでも言えよ」

 

「例えば?」

 

「『私、あなたたちのことを大切に思っているから!』とか? 好感度上がるぞー」

 

「要らないわよそんなもの。それと、その下手なモノマネはやめて貰えないかしら。不愉快だわ」

 

 渾身(こんしん)のモノマネが全否定された……。

 兎にも角にも、堀北はこの二ヶ月で少しは成長している。入学当初の彼女だったらこの場には絶対来なかっただろうしな。

 このまま成長を続けたら、彼女はどうなるのか。単純に気になるが、気楽に待っていよう。

 

「それと、中間テストを乗り越えたくらいで調子に乗らないことね。次に待っているのは期末テスト。今回は平田くんが過去問を入手してくれたおかげで突破出来たけれど、次もそうなるとは限らない。それに何よりも、ポイントを得る方法を模索する必要があるわ。とはいえ、これはある程度摑めたけれど」

 

「堀北さん、やっぱりそれって今回の?」

 

 櫛田が堀北に尋ねる。彼女が尋ねた事柄は、Dクラスが出した、『中間テストの結果如何では、ポイントが得られる可能性が高い』、このことだろう。

 他の皆も無駄話は止めて静聴するようだ。

 

「ええ。このまま行けば間違いなく、来月はポイントが振り込まれているでしょうね。私の見立てだと……多くて100ポイント、少なくて80ポイントと言ったところかしら」

 

「八千円相当か! よっしゃっ、これで来月は学んだことが活かせるなっ!」

 

 池が言っているのは恐らく、この前教えてくれた『一万円で一ヶ月を過ごすことが出来るのかプロジェクト』のことだろう。

 上手くいくかどうか大変興味がある。来月になったら聞いてみるとしよう。

 

「なあ堀北。お前はお前のために俺らに勉強を教えてくれたんだよな?」

 

「そうね」

 

「じゃあお前は──Aクラスを目指しているのか?」

 

「Aクラスを……目指す? え、マジで?」

 

「須藤くんの言う通りよ。私はAクラスを目指すわ」

 

「ややや、でもさ、いくら堀北でもそれは難しいんじゃない? 頭が良い連中ばっかなんだろ?」

 

 懸念は正しい。

 恐らく、堀北レベルの連中がゴロゴロ居るだろうな。今回勝てたのは策を(ろう)しただけに過ぎない。何もしなかったらまず負けていただろう。

 

「僕は……そうは思わないかな。多分だけど、勉強面だけでクラス分けはされていないと思う」

 

 沖谷も真実に近付きつつあるようだ。

 学校側の判断基準が何かを模索することが、この実力至上主義の世界で生き残り、そして勝ち上がる(すべ)

 

「沖谷くんの言う通り。けれど、勉強が出来なければ論外ね」

 

「あはは……」

 

「でもさ堀北さん。今はまだ無理かもしれないけど、一緒に頑張れば出来るよ。絶対に!」

 

「櫛田さん、その根拠は何かしら。言っておくけど精神論は要らないから」

 

「えーっと、ほらっ。一本じゃ折れる矢も複数あれば折れないでしょ?」

 

「その一本の矢が必要最低限の強度を保ってないと意味がないわ」

 

「ええーっと、ほらっ。一人より二人、二人より三人、三人より四人じゃないかなっ!」

 

「さっきと同じよ」

 

 必死に四人の良いところを探しては持ち上げる櫛田を、堀北は遠慮なく叩き落とす。

 タチが悪いのが、彼女が言っていることは正論なこと。櫛田は涙目になった。

 可哀想だから彼女をフォローする。

 

「でもま、対立するよりは仲良くするのが賢い一手だろうな。この先どんな困難が訪れるか皆目見当もつかない」

 

 その時自分独りなのかそうじゃないのか、その違いはとても大きいだろう。

 

「だから綾小路くん、あなたは平田くんと仲を縮めたと?」

 

 しまった、今度はこっちに飛び火した。

 洋介との協力関係を告げるわけにはいかない。適当な言い訳を考えていると、須藤が不満そうにオレを見る。

 

「俺は苗字なのに、平田は下の名前で呼び捨てなのかよ」

 

「あー、その、なんだ。須藤もそうするか?」

 

「綾小路は何も分かってねぇな。こういうのは自然となるもんなんだよ。なぁお前ら?」

 

「「同意ー」」

 

「僕もそう思うかな」

 

 まさかの男子一同の全否定。

 黙っている女性陣に助けを求めるが、堀北は自分から話を振っておきながら飽きたのか文字の羅列に意識を割いているし、櫛田は苦笑いを送ってくれるだけだ。

 

「オレと洋介のことは置いといて、だ。堀北、本気でAクラスに行こうと思うのなら、仲間は一人でも多い方がいいぞ。そこまではいかずとも、出来るだけ仲良くした方が懸命だ」

 

「……間違いではないわね」

 

 渋々ながらも、堀北は認めた。

 

「これからも仲良くしようねっ」

 

「「喜んで!」」「うんっ」「ああ」

 

 さて、そろそろ打ち上げも幕引きだ。

 男だけだったらまだやれるだろうが、女性をこれ以上拘留(こうりゅう)するのは世間体的にダメだろう。

 オレは池たちにモールス信号でさり気なくを装って合図を送った。どうしてモールス信号なんて覚えているのかというと、四月中に遊び半分で覚えたから、と言うしかない。

 その熱意を勉強に活かせればテスト勉強はもっと楽に出来ただろうに……まぁ、こうして役に立っているのだから良しとするか。

 ここ最近付き合いを始めた沖谷だけは修得していなかったが、それでも気付いてくれた。

 

「堀北、櫛田。池たちが話があるようなんだ。聞いてやってくれ」

 

「何かしら。もう帰りたいのだけれど」

 

「私は大丈夫だよ」

 

 お膳立てはした。後は池たちが頑張るだけ、オレは見守ることしか出来ない。

 池たちは横一列に正座で並んだ。それはもう綺麗な座り方だった。

 

「改めて堀北、櫛田ちゃん。俺たちに勉強を教えてくれて、ありがとうございました!」

 

「「「ありがとうございました!」」」

 

「これ、お礼に買ったんだ。もし良かったら受け取って欲しいな」

 

 池が代表してプレゼントが入った袋を堀北と櫛田、一人ずつに手渡す。彼の手は緊張で震えていた。無理もないか。断られた時のことを考えてしまうのは仕方がない。

 堀北は困惑の表情を浮かべた。

 櫛田は喜びの表情を浮かべた。

 最初に口を開いたのは櫛田だった。

 

「ありがとうっ! 本当に嬉しいよ! ここで中身を見ても良いかな?」

 

「もちろん」

 

「ほらっ、堀北さんもっ」

 

「え、えぇ……」

 

 対照的な表情を浮かべながらも、二人は袋を丁寧に、そしてゆっくりと開封する。

 中から出てきたのは、クマとウサギのぬいぐるみだった。クマが堀北、ウサギが櫛田だ。

 

「これ、どうやって……?」

 

「今日の放課後、こいつらとケヤキモールに行ってよ。そこでそのぬいぐるみを買ったんだよ」

 

 須藤が照れくさそうに後頭部を掻きながら答える。

 

「私が聞きたいのはそうじゃないわ。池くんや山内くんはポイントがゼロのはずでしょう? いくら全員で負担するとしても、ポイントそのものが無いんだから払えるはずが……」

 

「オレが四人にポイントを貸す形にしたんだ。そのぬいぐるみは一個2000ポイント、つまり二千円。二つ分だと四千円になる。堀北の言う通り、池と山内はポイントがゼロで、須藤と沖谷も似たような状況だ。だからオレが代替わりすることになったんだ」

 

 ポイントを貸して返されない心配はない。何故ならポイントの讓渡は学生証カードに履歴として残るからだ。

 彼らが渋る対応をするのならば、学校側に報告すればいい。そうすればポイントは返ってくるし、何らかの罰が与えられるだろう。

 

「とっても可愛いよっ。大事にするねっ」

 

 櫛田の反応は良好だった。貰ったウサギを抱き締め、にこりと微笑む。ウサギじゃ比にならないくらいに、彼女の方が何倍も可愛い。

 まあ、そんなことは思っても口には出せないのだが。

 とはいえ、ここまでは予想が出来た。天使の心を持つ櫛田なら喜んでくれるだろうと、それは確信していた。

 問題は堀北。果たして彼女はいったいどんな反応をするのか? もしこれで『要らない』なんて言われたら、彼女に惚れている須藤は首を吊るかもしれない。

 何を隠そう、クマのぬいぐるみを選んだのは他ならない彼なのだ。

 彼女は無表情だった。喜んでいるのか、悲しんでいるのか、それとも怒っているのか。

 静寂が室内を包み込んだ、その数分後──。

 

「あ、ありがとう…………」

 

 堀北は顔を俯かせてから、短くもその言葉を言った。

 そのままそそくさと帰り支度を素早く終わらせ、「おやすみなさい」と律儀(りちぎ)に告げてから玄関ドアを開け、俺の部屋から出ていった。

 再度訪れる静寂。

 不意にやがて、須藤がぽつりと漏らす。

 

「やっぱり、堀北は最高だぜ……!」

 

 

 

 

§

 

 

 

 打ち上げは終わった。

 ……終わったが、正確にはまだ問題が残っている。

 昼の打ち上げは良かったな……。何せ、昼食を食べる、それだけで済んだのだから。

 反対に夜の打ち上げには面倒なことが残っていた。そう……後片付けだ。

 堀北は帰ってしまい、須藤や池たちも帰ってしまい、後片付けなんて考えていなかったんだろうな。実際、部屋を提供したオレがそうだった。

 これが非常に面倒臭い。床に散らばっているゴミの数々。グラスも洗わないといけないしな。しかもその殆どがオレがやったことじゃないのだから、当然やる気はなかなか起こらないというもの。

 ……これからはオレの部屋で打ち上げはしないようにしよう。

 

「綾小路くん、これってプラスチックゴミかな?」

 

 もし櫛田が手伝いを申し出てくれなければ、四百二十五の手段を以て彼らに報復するところだった。

 それにしても……櫛田は凄いな。卓越したコミュニケーション能力は言わずもがな、嫌なことも率先して自分が動くことで対処している。どれだけの数の男を落としたんだろう。

 

「ねえ、綾小路くん。質問があるんだけど良いかな?」

 

「オレで答えられる範囲なら良いぞ」

 

「あはは、綾小路くんらしいや。──やっぱり、椎名さんや堀北さんみたいな女性(ひと)がタイプなの?」

 

「……悪い、質問の意図が分からないんだが」

 

「うーん、なんて言ったら良いのかなぁ。綾小路くん、クラスだと堀北さんと、放課後だと椎名さんといつも一緒に居るじゃない?」

 

「椎名については認めるが、堀北は全然違うぞ。あいつはただの隣人だからな、必然、話す機会が増えるだけだ」

 

「それでも、二人って根幹的な性格が似ていると思うんだっ」

 

「そうか?」

 

 全然そうは思えない。

 椎名だったら天然だし、堀北だったら毒舌だし。

 って言うか、櫛田は椎名と話したことがあるのか。この前は無いと言っていたのに……流石だな。

 

「同じ女の子として気になっちゃって。私、魅力ないのかな?」

 

「そんなことはないと思うぞ」

 

 櫛田で魅力がないなんて言ったら、九割以上の女子高生は彼氏が作れないと思う。

 

「コップ洗ったよ〜」

 

「ありがとう、櫛田。本当に助かった」

 

「どういたしましてっ。じゃあ私、部屋に戻るね。おやすみなさい」

 

「ああ、おやすみ」

 

 時刻は午後十時を回ろうとしていた。こんな夜遅くに女の子を出歩かせるわけには普通ならいかないが、幸いにもこの学校は寮生活。女子生徒の部屋は上層で、セキュリティも万全のはず。万が一の事態にはならないと見て良いだろう。

 欠伸をしながら制服のブレザーを脱ぎ掛けたその時、オレはベッドの上に置かれている携帯端末の存在に気付いた。

 恐らく櫛田のだろう。きっと忘れて行ったんだろうな。ちょっとドジなところも可愛い。

 明日学校で渡せば良いか……と思案したところで、ブブッと軽く振動し、軽快なサウンドが鳴る。その後すぐにまた同じ動作が。振動オンリーのオレとは違うが、設定を変更すればカスタマイズ可能だ。

 それにしても、流石は人気者。ひっきりなしにメールが来るなんて羨ましい。

 今からでも間に合うかどうかは甚だ疑問だったが、オレは櫛田を追い掛けることにした。出来るだけのことはやっておいた方が良いだろう。

 彼女の携帯端末を手に取り、部屋から飛び出してエレベーターに向かう。寮のエレベーターは二つあるのだが、一つは二階で停まっていて、もう一つは現在稼働していた。室内を映すモニターの中には櫛田の姿があった。

 

「間に合わなかったか……」

 

 仕方がない。諦めるとしよう。

 (きびす)を返そうとして……オレはある異常な点に気付く。櫛田が乗っているエレベーターは上昇……ではなく、下降していた。

 先程も述べたが女子生徒の部屋は上層に振り分けられている。となると、彼女が向かうべきは上だ。

 しかしながら、現実は正反対。エレベーターは下降を続け、遂に一階ロビーにまで到達する。彼女はそのままエレベーターから出て行ったようだ。

 こんな時間にどうして? そう、疑問に思う。

 男と密会しているのだろうか。だとしたら池や山内は血涙(けつるい)を流すだろうが……。

 夜の散歩だとしても少々怪しい。

 追い掛けるか、追い掛けないか。

 激しい葛藤に(さいな)まれ──オレは、追い掛けることにした。

 個人的に大変興味があった。櫛田がどこに行き、何をやるのかが。

 エレベーターではなく階段を使って一気に一階ロビーまで移動する。そのままロビーを通過して寮を出ると、漆黒の闇がオレを出迎えた。

 光源となるものは月と、計画的に立てられている街灯の頼りない光だけ。

 ────見失ったか?

 櫛田の姿を探す。男と逢引していようと散歩をしていようと、こんな夜遅くに遠出するとは考えられない。

 寮の敷地内から出て、五分程歩くと海が見える。彼女はそこに居た。暗闇の海を眺めているのか、鉄柵を両手で摑んでいるようにも見えた。地面のコンクリートには彼女のスクールバッグが置かれている。

 彼女に後ろから声を掛けて、忘れ物を届けることは簡単だ。

 だが何となく、そう、何となく近付き難い。

 こんな時一体どうやって声を掛ければ良いのか、それがオレには分からない。

 やっぱり明日、学校で渡すとしよう。その方が良い気がする。優しい彼女のことだ、怒ったりはしないはずだ。

 引き返そうとしたその時──。

 

「あ────ウザい」

 

 一瞬、誰の声か分からなかった。それ程までに冷たく、重い声。

 オレは慌てて、近くに佇んでいた一本の巨木に身を隠す。

 人の気配はオレと櫛田以外感じられない。オレが声を出したわけではない。

 導き出される結論は一つ。

 櫛田があの声を出したのだ。

 

「マジでウザい。本当にウザい。死ねばいいのに……」

 

 あの櫛田からは到底考えられないほどの暴言。今の彼女を見たら、池や山内、いや、Dクラスの生徒たちはどんな反応をするのだろうか。

 

「最悪。最悪最悪最悪最悪。堀北マジでウザい。アハハ、なにプレゼントを貰ったくらいであんなにも動転するんだか。やっぱりぼっちは違うわね。お高く止まってるからそうなるのよ」

 

 櫛田が言っているのは、堀北のことのようだった。

 

「何であんな奴がこの学校に居るのよ。何で、何で、何で──どうして……。退学してくれないかな? ううん、いっそのこと、退学させれば良いんだよ。アハハハハ」

 

 櫛田桔梗という人間は善人だ。洋介同様、困っている人を見掛けたら手を差し伸べ、誰の世話でも焼く優しい女の子。クラスだけじゃなく、学年を超えた人気者。

 

 そんな少女の──『闇』。

 

 以前感じた正体不明の違和感。その答えが、彼女の『闇』。

 人間とは仮面を被る生き物だ。常に自分を偽る生き物だ。表の顔と裏の顔を使い分ける生き物だ。

 脳が警戒音を鳴らす。これ以上ここに居るのは危険だと、下手したら命を取られかねないと、退避を指示する。

 だがここで疑問が生じる。

 櫛田には実は裏の顔があった……というのはさしたる問題ではない。問題は、どうして嫌っている──いや、憎んでいる堀北に対して積極的に近付いたのか。

 普通ならその逆で、距離を取ろうとするはずだ。

 だが彼女は何度もめげずに堀北をランチに誘ったり、放課後に遊ぼうと誘い続けた。そして勉強会に参加し、結果的に述べるのならば堀北を支えたことになる。

 矛盾だらけの行動。

 しかしここで、オレは一つだけ納得をしていた。

 堀北が最初期から櫛田を避けてきたその理由。彼女は向けられている『敵意』に気付いていたのだ。

 堀北鈴音という人間は対人能力に問題がある。すぐに相手を蔑むところや、高円寺とは違った『自分主義』の考えなど、それは多岐に渡る。

 そんな彼女だが、本質的には善人だともオレは思う。彼女は妥協はしない。けれど物事に真剣に向き合っている人間には譲歩をする。

 勉強会でそれは現れている。もし須藤や池たちがテスト勉強に欠片も意欲を見せなかったら、彼女はばっさりと、情け容赦なく彼らを切り捨てただろう。下手したら、『ポイントがゼロの状況の今なら、退学者が出た方がクラスのため』といった判断を降したかもしれない。

 ……櫛田はとうとう、鉄柵を足で蹴る所業にまで打って出た。見える限りでは監視カメラはない。恐らく、ストレスが爆発する直前にここを訪れ、解放しているのだろう。

 何度も何度も鉄柵を蹴り続ける。

 遅まきながらオレは、命令された撤退行動を全うすることにした。息を殺し、気配を殺す。

 後退している、その真っ只中の時だった。

 

 ピロン♪

 

 櫛田の携帯端末が鳴った。

 彼女は八つ当たりを一旦止めて、辺りを警戒する。

 

「誰」

 

「……」

 

「言っておくけど、そこに居るのは分かっているから」

 

 その言葉に嘘はないだろう。どこから音が漏れたのか、ある程度ながらも察知することは簡単だ。

 オレは寄り掛かっていた幹から背中を離し、要望通りに姿を現す。

 

「……ここで、何をしているの」

 

 櫛田はオレの出現に一瞬だけ目を見開かせたが、すぐにそう尋ねる。

 

「何をしているのかと聞かれたら、夜景を観ていたんだ。綺麗(きれい)だよな、海」

 

「私が聞きたいのはそんなことじゃない。──見たの?」

 

「見てないって言ったら納得するのか?」

 

「ううん、まさか」

 

 だろうな、とは思っても口には出さない。

 櫛田は十メートル程あった彼我(ひが)の距離をゆっくりと歩きながら詰めてくる。逃げること自体は簡単だが、オレの足は糊付けされたかのように動かなかった。

 代わりに手を動かし、彼女の携帯端末を見せる。

 

「櫛田、忘れ物──」

 

「もし誰かに話したら容赦しないから」

 

「…………もし話したら?」

 

「綾小路くん、レイプって知ってる?」

 

 脈絡の無い話題転換に、オレは訝しむよりも先に、その単語の意味を思い出していた。

 暴力、もしくは脅迫などによって、強制的に婦女を犯すこと。強姦(ごうかん)と言っても同じ意味だ。

 そこまで思考が至ったところで、櫛田が何をやろうとしているのかを察した。

 

「……オレにレイプされそうになったって、警察にでも突き出すつもりか」

 

「そうよ」

 

「櫛田。オレも質問したいが、冤罪(えんざい)って知ってるか?」

 

「もちろんだよ。けど安心して。()()()()()()()()

 

「何を言って──!?」

 

 俺の台詞を遮り、櫛田はオレの右手首を摑んだ。恐ろしい形相で獲物を睨み、その隙を的確について自身の胸元へと持っていく。

 オレの右手は今、櫛田の胸を揉む形になっていた。

 柔らかい感触──だが、それもすぐに消える。

 

「これであんたの指紋、服にべっとりと付着したから。もし誰かに話したら、私はこの制服を警察に持って行って、あんたを牢屋にぶち込んでやる」

 

「……本気なのか」

 

「本気よ。この制服は洗わずに保管するから。分かった?」

 

「…………分かった。だから手を離してくれ。そろそろ痛い」

 

 櫛田はもう一度強く睨んでからオレの訴えを叶えてくれた。

 

「約束よ」

 

 再三念を押してくる櫛田に、オレは無言で頷いた。

 

「……その生き方、辛くないか?」

 

「辛いよ。たとえ堀北……堀北さんのような嫌いな相手でも仲良くしないといけないんだから」

 

「だったらどうして」

 

「誰からも好かれたいと思い、行動することが悪いこと? まっ、あんたみたいな奴には分からないと思うけど」

 

「友達が少ないから分からないな」

 

 肩を(すく)めて答える。櫛田に優越感を与えるためにそう言ったのだが、彼女はそうは思わなかったようだ。

 瞳に宿る剣呑さが、さらに激しくなる。

 

「違う。あんたは基本的に人に無関心なだけでしょ。ねぇ綾小路くん。今度は私も聞きたいかな。椎名さんや堀北さん、須藤くん、それに平田くん。誰でも良いけど──友達だと思ってる?」

 

「思ってるぞ」

 

「嘘。あんたはいつも受動的で、率先して誰かを助けようとしていなかった。堀北さんから依頼を請けて須藤くんたちを勉強会に参加させようとしたんでしょうけど、それが無かったらあんたは何もしなかった。それに、堀北さんがAクラスを目指すことに皆が同調する中、あんただけは肯定も否定もしなかった。違う?」

 

「さあな」

 

「答えるつもりはないんだ」

 

「どう思おうとお前の勝手だ」

 

「……まっ、それならそれで良いよ。そうだ、この際言っておくけど。私、あんたみたいな地味で根暗い奴は嫌いだから」

 

「そうか」

 

「ほら、やっぱりショックを受けない。それってつまり、私に対して何も思ってなかったってことでしょ。だって普通なら何らかのリアクションをするからね。けどあんたにはそれが何もない。怖いくらいに」

 

 櫛田はしつこく言及してくる。彼女はどうやら確信を持っているようだった。

 彼女の追及に答えるとするなら、それは当然のことだ。人とは少なからず本音と建前を使い分ける醜い種族。

 口では『大好き』と言っていても、本当は『大嫌い』なのかもしれない。

 それこそ、今目の前に居る少女のように。

 

「でもそんな綾小路くんだからこそ、信じられるかな。他人に関して無関心なあんたなら信じられる」

 

「褒めているのか?」

 

「貶めているんだよ。そう言えば、椎名さんと仲良くしているのはどうして? どんなバカでも、この学校の異質さを踏まえれば、他クラスとの交友は難しいって分かるはずだよね。何か狙いがあるんじゃないの?」

 

「狙いなんて何もないさ」

 

「あぁそうか……ごめん。誤解してたよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私よりタチが悪いじゃん、それって」

 

「仮に櫛田の言う通りだとして……そうか?」

 

「そうだよ。確かに私は嫌な女だけどさ、それでも最初から誰かを嫌いになるわけじゃない。けど、あんたはその『最初』がないんだね。見向きもしない……それって残酷なことだよ」

 

「オレのことなんて今はどうでも良いだろ。違うか?」

 

「それもそうだね。最終確認だよ。──約束する?」

 

「ああ、約束するよ。今夜目にしたことは誰にも言わない」

 

「まっ、仮にあんたが誰かに私の本性を言ったとしても、誰も信じないと思うけど。あんたのクラス内での地位は良くも悪くもゼロ。たとえ平田くんと仲良くなろうと、それは変わらない。だって、人への根本的な認識は覆らないんだから」

 

 退路は塞がれている、か……。

 しかしここまで散々言われるのは釈然としない。せめて何か意趣返しを……。

 ────閃いた。

 

「なぁ櫛田。つまりお前は、オレが言いふらさないという考えを持つ自分に、かなりの自信があるんだよな」

 

「そうだけど、それがなに」

 

「そんなに自信があるのなら、わざわざ胸を触らせる必要はなかっただろ」

 

「うぐっ──それは──流石に焦っちゃって」

 

「焦りの中自分の胸を触らせる。それはつまり、櫛田はビッチ認定ってことで宜しい──ごめんなさい。冗談です。だから太ももを蹴らないで下さい」

 

「バカ言うからだよ!」

 

 女の子とは到底考えられない力強さだ。

 冗談でも嘘でもなく、とても痛い。

 人間、怒るとこんなにも力が増大するんだな……。

 櫛田の怒り顔に恐怖を感じていると、彼女は急に真顔になった。

 また怒鳴られるのかと身構えているオレを尻目に、彼女は海を眺める。

 そしてオレに向き直った。

 

「それじゃあ綾小路くん、今日はもう夜遅いから帰ろう? それと、携帯届けてくれてありがとうっ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 風が吹いて彼女の髪が揺れる。美しく佇む女性を見て、オレはついぞ言うことが出来なかった言葉を胸中で呟いた。

 

 ──櫛田。どっちが本当のお前なんだ?

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒
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