ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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地雷

 

 一年Dクラスの朝はいつも賑やかで、良く言うなら元気があり、悪く言うなら(やかま)しい。とはいえ、それも無理はない。何故なら基本的にDクラスの生徒は真面目(まじめ)とは縁遠いし、今日は土日を挟んだ月曜日。

 休日に自分が体験した出来事を友人に話すことに夢中になってしまうのは、学生なら当然のことと言える。

 オレは喧騒(けんそう)に包まれている教室の中、ひとり黙々と読書に勤しんでいた。オレが読書人間であることは既に周知の事実となっているのか、この時間帯に声を掛けてくる友人はまず居ない。せいぜいが朝の挨拶を交わす程度だ。

 隣人の堀北(ほりきた)も文庫本を手に取り、黙々(もくもく)と活字に目を通している。オレの席の周りだけ異様(いよう)な静寂に包まれ、俗世間とは完全に隔離していた。

 朝のSHRが十分後に控えた頃、一人の女子生徒がオレ……ではなく、堀北に近付く。

 

「おはよう、堀北さんっ」

 

「…………おはよう、櫛田(くしだ)さん」

 

 嫌々そうに挨拶を返す堀北。彼女と櫛田は一緒に勉強会を開いた同士なのだが、彼女たちの仲は全然縮まっていなかった。

 そんなに嫌いなら無視を決め込めば良いのに……と個人的には思うが、変に律儀(りちぎ)な堀北は、相手からの誠意には応える性質があった。

 

綾小路(あやのこうじ)くんも、おはようっ」

 

「………………おはよう、櫛田」

 

 視線を外すことなく、オレは櫛田に挨拶を返した。

 オレの態度に堀北は何か言いたそうにしていた気配があったが、面倒臭(めんどうくさ)く感じたのか、天敵の意識からフェードアウトしていき、自分の趣味に戻って行った。

 今度は代わりにオレが彼女の対応をすることになる。

 これが男友達だったら内心は荒れに荒れているが、目の前に居るのはDクラスの女神、櫛田桔梗(ききょう)だ。

 ここで彼女に対して失礼な態度を取ったら、最近創設された『櫛田エル親衛隊』に駆除されてしまう。いや、割と冗談抜きで。

 

「何を読んでいるの?」

 

「アガサ・クリスティ著の『ABC殺人事件』だ」

 

「あっ、私でも知ってるよ。かなり有名だよね〜」

 

 無難に返す櫛田は流石だった。さり気なく話題を作り、友人との距離を縮めようとする。

 しかも気負った風に見えないのだから恐ろしい。いったいどれだけの男が、彼女に骨抜きにされてきたのか……!

 

「でも私、どんな内容かはイマイチ分からないんだ。教えてくれないかな?」

 

「良く聞いてくれたな櫛田。『ABC殺人事件』は、さっきも言ったが、アガサ・クリスティの作品で──」

 

「具体的にはアガサ・クリスティが十八作目に著した長編推理小説。この作品の見所は題名の通り、“A”“B”“C”のアルファベット順に、人が殺されていくところかしら」

 

「「……」」

 

 オレと櫛田は黙るしかなかった。オレの台詞が取られたんだけど……。

 ……そう言えば、この前もこんなことがあったような気がする。堀北の性格上……絶対わざとだな。心做しかドヤ顔しているし。

 なんとも言えない沈黙の中、流石の櫛田も撤退(てったい)を決めたようだ。

 

「……あっ、もうこんな時間! 綾小路くん、また今度、本の話してね」

 

「あ、あぁ……」

 

 あれ程の苦笑いを浮かべた櫛田エルを見たのは初めてだな。(いけ)山内(やまうち)は新しい女神の一面に感涙の涙を流しているし……。

 

「ここ最近櫛田さん、やけにあなたに付き纏うわね」

 

「お前に付き纏っている、の間違いだろ」

 

「そんなわけないでしょ。綾小路くんだって感じているはず。違う?」

 

「まあ、な……」

 

 相変わらず、人付き合いに問題があるとは思えない鋭い指摘だ。

 堀北の言う通りだった。

 オレが櫛田桔梗という人間の『闇』を知ったその時から、彼女はさり気なくオレとの距離を精神的に縮めている。感付いているのはオレや堀北くらいだろう。

 理由は分かっている。上記に挙げたように、オレが彼女の秘密──『闇』を一方的に知っているからだ。あちらからしたら気が気じゃないだろう。

 オレがどれだけ『約束は守る』と訴えても意味は無い。だからオレは、直接的な被害が出なければ特に文句を言うつもりはない。彼女の好きなようにさせた方が波風(なみかぜ)立たないだろし……可愛い女の子との交流は大切だ。

 

「その本……よく読むわね」

 

 堀北が『ABC殺人事件』を目で()し、訝しげな表情をオレに向ける。

 

「そんなに好きなの? 確かに面白いとは思うけれど、何度も読み返そうとは思わなかったわね」

 

「同感だな」

 

「だったらどうして? 最低でも一ヶ月に一回は、『ABC殺人事件』を読んでいるわよね、綾小路くん」

 

「さあ……どうしてだろうな」

 

「答えるつもりはないと?」

 

「ああ」

 

 この時オレは初めて、堀北に対して明確(めいかく)な拒絶をした。彼女はオレの返答に一瞬言葉を失ったようだが、それ以上の詮索はしてこなかった。

 実に有難い。

 代わりに彼女は、別のことについて尋ねてきた。

 

「ポイント、振り込まれていると思う?」

 

「答えは既に出ているだろ」

 

「……それもそうね」

 

 オレは携帯端末を取り出し、プリインストールされているアプリを起動、そのまま『残高照会』のウィンドウを開いた。

 プライベートポイントは十五万と少し。

 クラスポイントは──。

 朝のSHR開始まで残り二分を切ると、Dクラスの喧騒さは次第に(しず)まっていき、全員が各々の席に着席し、始業のチャイムが鳴るのを静かに待っていた。

 

「おはよう諸君。今日も暑い中よく登校したな。遅刻や欠席届けは無し、先生は嬉しく思うぞ」

 

 校舎に始業の(かね)が響くと同時に、担任の茶柱(ちゃばしら)先生が入室してきた。片手には筒状(つつじょう)に丸められた紙が握られている。恐らく、今月のポイントがあそこに書かれているのだろう。

 真意が分からない笑みを浮かべる様は、見る人によっては恐怖を感じるかもしれない。だが流石に、この三ヶ月の付き合いで、オレたち生徒も彼女のことは何となくだが分かっている。

 オレたちDクラスの生徒は心を通わせ、一つの結論に至った。

『絶対なにかある!』と。

 緊迫とした空気がしだいに流れる中、堪えられなった池が悲鳴にも似た声を出した。

 

佐枝(さえ)ちゃん……じゃなかった、茶柱先生! 今月もオレたちは0clなんですか……!? 朝見たら振り込まれてなかったんですけど!」

 

「そう結論を早く出すな。確かにお前たちDクラスに、今はまだポイントは振り込まれていない。それは事実だ」

 

「そ、そんな……うん? 『今はまだ』? それっていったい……」

 

「これを見ろ……と言いたいが、担任の私から言うべきことがある。池、心中(しんちゅう)は察するが今は座れ」

 

 諭すように言われたら、池は黙って座るしかなかった。希望と絶望が半々に浮かんでいる様子が、ありありと想像出来る。

 茶柱先生はこほんと咳払いをしてから、おもむろに口を開ける。

 

「さて、ポイントの発表をする前に、学校側から、お前たちに対する評価を告げるとしよう。──はっきり言って、私たち教師陣は諸君らを『不良品の中の不良品』だと考えていた。当然だ。何せ当校が創立されて以来、最初の一ヶ月で1000clを使い切ったDクラスはなかったからな」

 

 告げられる正論に、オレたち生徒は反論することが出来ない。

 そんなオレたちを他所(よそ)に、茶柱先生は言葉を続ける。

 

「中間テストは何人の生徒が赤点を取るのか、職員室ではそれはもう議論が交わされた。ちなみに言うと、およそ半数の生徒が赤点を取ると予想していた」

 

「「「……」」」

 

「しかしお前たちは見事乗り越えてみせた。しかもB、Aクラスを押し退けてだ。Cクラスには一歩先を許してしまったが、そんなことは些細なこと。問題は、誰一人として欠けることなく試験を突破し、結果的には、Cクラスと共に『下克上』を果たしたことだ。正直に言おう。私は今でも感心している」

 

「「「…………」」」

 

「この『下克上』を称賛する声は少なくない。さらにまた、お前たちの授業態度の改心ぶりは凄まじく、四月とは大幅に違っていた。特に須藤(すどう)、お前の変化には度肝を抜かれたぞ」

 

「……」

 

 直々に褒められたのにも拘らず、須藤は無言だった。嬉しそうにも見えないし、照れ隠しをしているようにも見えない。

 

「ここまでが学校側からの総評だ。さて──お前たちが待ち侘びているポイントの発表を行おう」

 

 そこで初めて、茶柱先生は手にしていた紙を大きく広げた。ホワイトボードに貼り、後列に居る生徒たちに見えるよう、立ち位置をずらす。

 

 一年Aクラス──1000cl

 一年Bクラス──650cl

 一年Cクラス──500cl

 一年Dクラス──95cl

 

 

「「「よっしゃああああああ!」」」

 

 歓声の雨を降らすクラスメイトたち。そんな彼らを、茶柱先生にしては珍しく、薄いながらも本当の笑みを浮かべて見守っていた。

 

「……どういうこと?」

 

「なんだ堀北、嬉しくないのか? これで今月はゼロ円生活はなくなったぞ」

 

茶化(ちゃか)さないで。あなた、もしかして気付いてないの? 一学年全クラスが、ポイントを増やしている。異常よ。よく見なさい」

 

 言われた通りに凝望(ぎょうぼう)する。

 全てのクラスが先月の六月から、およそ100cl分上昇していた。

 Aクラスは初期ポイントの1000clに返り()いている。だが、差額は二番目に少ない。一番少ないのはBクラスだった。

 反対に一番大きいのは、オレたちDクラス。次にCクラスと言ったところで、多分これは、先程茶柱先生が言っていた、『下位クラスの下克上』が成立したからだと思われる。

 

「嬉しさのあまり飛び跳ねるのは結構だが、そうも言ってられない。今回の査定ではお前たちが一番ポイントを得たことに変わりはないが、それでも縮まった距離は極わずか」

 

「うっ……そ、それはそうですけどっ。ちょっとくらい喜んだって」

 

「喜び過ぎると、現実を直視した時に辛くなるから言っている。話を戻すとしよう。今月七月に、一学年全クラスにポイントが振り込まれているのにはちゃんとした理由がある。まぁ端的に言うと、中間テストを無事にクリアした、お前たちに対するご褒美のようなものだ。各クラスに最低、100clが与えられている」

 

「あれ? でも、それならおかしくないですか? だったら俺たちの保有ポイントは100clになるんじゃ……」

 

「安心しろ。その100clから査察のマイナス対象があっただけだ」

 

「な、なるほど──じゃない! あんだけ頑張ったのに減点があったとかマジかよ……」

 

 げんなりする池に、茶柱先生は苦笑するだけで慰めたりすることはしなかった。彼もそれは分かっているのか、愚痴を言うだけにとどめている。賢明な判断だな。

 だが、あの悲惨(ひさん)な状況からは考えられない程の成果だ。大半の生徒が笑顔を見せる中、ごく少数の生徒に限ってそれはなかった。

 先程から無言を貫いている須藤に、洋介(ようすけ)高円寺(こうえんじ)、最後に堀北だ。

 

「がっかりしたか堀北。まぁ無理もない。実質、現状維持のようなものだからな」

 

「そんなことはありません。得たものもありましたから」

 

 堀北の言葉に反応する池と山内。

 

「「堀北先生、教えて下さい!」」

 

「……自分でそれくらい考えなさい」

 

「「助けてホリえもーん!」」

 

 池と山内が、『助けてドラ〇もん』と言うように堀北に懇願(こんがん)する。他の生徒たちが突然の事態に奇異の眼差しを『先生』に向け、さしもの彼女もこれには羞恥(と怒り)で顔を真っ赤に染めるしかなかった。

 多分彼女は答える気はなかったに違いない。だが、ちょっと引き気味のクラスメイトたちの視線の数々、そしてなにより……数週間『先生』をやっていた名残りで、渋々ながらも答えるしかなかった。

 

「……あなたたちが積み重ねてきた負債(ふさい)は、マイナスポイントにならなかったってことよ。──そうですよね?」

 

「ふむ……まあ、それくらいなら答えよう。堀北の言う通り、目に見えないマイナスポイントは存在しない。少なくとも現段階ではな」

 

 またなんとも含みのある言い方だな。茶柱先生の言葉を信じるとするならば、『先』のことは彼女自身にも分からないってことか。

 やったああああ! と叫ぶ池と山内に、堀北は冷たい眼差しで命令する。

 

「先月まではゼロポイントだったから特に苦情は言わなかったけれど、SHRの最中も査定を受けていると思った方が良いわ。だから大袈裟に反応しないことね」

 

「「イエス、マム!」」

 

 舐めているとしか思えない返事に、『先生』は殺意を込めた視線を飛ばすことで黙らせた。

 そんな光景を部外者のオレたちは唖然(あぜん)とした様子で眺めていた。『勉強会で何があったんだろう』とは当然に思ったが、尋ねると命の保証は出来ないので、誰も尋ねることはしなかった。

 とここで、洋介が挙手をする。茶柱先生の許可を受け立ち上がると、彼は質問をした。

 

「今月のポイントについては理解しました。学校側の寛大(かんだい)な処置には感謝もします。でも先生、だとしたらどうして、プライベートポイントが振り込まれていないんですか?」

 

 脱線していた雰囲気を元に戻すその手腕は見事としか言い様がない。

 原点回帰する洋介の質問に、他の生徒たちもようやく、事の異常さを理解したようだった。

 

「実は少しトラブルがあってな。一年生のポイント支給が遅れている。悪いとは思うがもう少し待ってくれ」

 

「他クラスの奴らはポイントが有り余っているだろうから良いけど、俺たちは死活問題なんですけど! 雲泥の差ですよ!?」

 

「池お前……『雲泥の差』などと、よくそんな言葉を知っているな。先生はお前の向上心を嬉しく思うぞ」

 

 目を見張る茶柱先生。演技じゃなくて、本当に驚いているようだった。

 これには池も憤慨(ふんがい)する。

 

「中間テストの時も似たようなことを言ってましたけど、俺だってやれば出来るんですよ!?」

 

「その調子のまま期末テストを受けてくれ」

 

「茶柱先生、ポイントはいつ頃支給されるのでしょうか?」

 

「なかなかに良い質問だな、平田。現段階では何とも言えないのが正直なところだ。トラブルが解決されたら、残されているポイントがすぐに支給される手筈になっている……としか、今は答えようがない。──さて、朝の連絡事項は以上だ。今日は月曜日で怠いだろうが、頑張って授業を受けてくれ。解散」

 

 茶柱先生の言葉に違和感を感じたのは、ごく限られた生徒だけのようだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 週明けで皆、身体は重たいだろう。だが誰一人として集中力切れを起こすことなく、四時間の授業を受け──昼休みに突入した。

 張り詰めた空気は一気に霧散(むさん)し、殆どの生徒が携帯端末と学生証カードを持ち、食堂に向かうべく友人を誘っていた。

 Dクラスの生徒は貧乏生活を毎月送っているために、食堂で売られている無料の定食を食べることがすっかり板についている。最初は文句を言っていた生徒も、既に慣れてしまったのだろう。特に何かを言うこともなく、移動を開始していた。

 

「なんだか……頼もしくなっているな。もし節操な暮らしという点で査定されたら、ぶっちぎりで一位を獲れるんじゃないか?」

 

「自業自得だけれど……これは成長と思うべきかしら。それより綾小路くん、今日は須藤くんや池くんたちとお昼、一緒に食べないのね」

 

「基本的には、あっちから誘われたらだからな、仕方がない。それに……たまには一人で食べたい時もあるし」

 

 別に須藤や池たちが嫌いなわけではない。彼らは友人だと、少なくともオレは思っている。

 が、男同士で行動する時は疲れる時があるのも事実。

 

「あれだけ友達を作ろうと無駄な努力をしていたのに、出来たらその態度。付き合いが面倒臭くなったのかしら。だとしたら失笑ものね」

 

 相変わらず容赦がない。

 

「お前は……今日も独りか。すっかり孤独体質の哀れな少女になったな」

 

「構わないわ。だって私は独りが好きだもの」

 

 ささやかな仕返しすら出来ないこの状況……なんだろう、泣きたくなってきた。

 心に傷を付けていると、堀北は平均的な大きさの弁当箱をスクールバッグから取り外し、包みを広げる。

 

「材料費と手間、バカにならないんじゃないか?」

 

 堀北はここ最近食堂には足を向けず、寮で自炊した弁当を持ってくるようになった。

 彼女のような手作り派はとても少ない。例えば隣人。例えば──なんと驚くことに高円寺。

 中間テスト前までは食堂やカフェで、上級生の女子とランチを共にするという……(にわか)には信じられない所業に打って出ていたが、流石にポイントが尽きたのだろう。堀北のように弁当を持参するようになった。

 その弁当を持って食堂やカフェに行くのだと思っていたのだが……ずっと教室で食べている。別に、カフェは兎も角として、食堂で弁当を食べちゃ駄目なんて校則はないのだが……。

 高円寺コンツェルンという日本有数の大企業、その一人息子は学力や身体能力だけでなく、こう言った家事能力にも長けているようだ。彼が料理をする姿は全然想像出来ないが……遠目から見るに、弁当箱に収まっているおかずはとても美味しそうだ。

 そして決まって言うことが──

 

「ふっ、流石は私だ。今日も完璧だねえ。特にこの唐揚げは絶品だ。おっと、記念に写真を撮らなくては」

 

 自分で作った料理を自画自賛している。いや、本当に美味しそうなんだけどな。唯我独尊ここに極まり。

 これで他人との協調性を得たら完璧超人でAクラス配属だっただろうに……人間はやっぱり、何かしらの欠点があるんだな。

 と、他にも手作り派はいる。女子が圧倒的に多いのは必然と言うべきで、机を合わせておかずの交換をしている。例えば……みーちゃんや()(がしら)といった生徒。

 女子生徒の中で独りなのは隣人に……あとは、佐倉(さくら)だ。一応クラスメイトだから顔と名前は辛うじて覚えているが、接点は皆無。九割以上の生徒がそうだろう。

 彼女はみーちゃん以上にコミュニケーションが苦手で……クラスから浮いていた。みーちゃんや井の頭は彼女と仲良くなりたいようだが……なかなか話が切り出せないでいると、この前相談を受けた。

 

『佐倉さん……大丈夫かな? ……綾小路くんはどう思う?』

 

『何とも言えないな。無理に話をしようとしても警戒されるだろうし……まずは挨拶からするのが無難じゃないか?』

 

『それが良いねっ。ありがとう、綾小路くん!』

 

『ところでみーちゃん。どうしてオレに? 洋介には相談しなかったのか?』

 

『えぇっ!? ど、どうして平田(ひらた)くんが出てくるの!?』

 

『え?』

 

『……え?』

 

『……まぁその話は一旦置いといて。結局、洋介とは佐倉について話さなかったのか?』

 

『うん。平田くんは……その、優しいしカッコいいけどっ。でも──私たちの気持ちを完全には汲み取れないと思ったから…… 』

 

 みーちゃんとは時々だが、機会があれば話す間柄になっていた。先日の洋介主催の打ち上げの際、独りぼっちだったオレたちが出会い、惹かれ合ったのは当然と言えるだろう。

 ……と聞くと恋の予感がしないでもないが、彼女は洋介に惚れているから、悲しきかな、その可能性は絶無。

 堀北のように侮辱や嫌味を言うわけでもないから、椎名(しいな)の次に話していて苦を感じない。その次に堀北、最後に櫛田と言ったところか。

 話を戻すとしよう。佐倉は比較的大人しめの生徒。下世話だが、一時期胸が大きいと男子の間では(もっぱ)らの噂になり、一躍(いちやく)ときの人となった。

 自分に忠実な池や山内たちが騒いでいたが……地味故にすぐに忘れられた。今なお関心を持っているのはみーちゃんや井の頭、あとは洋介に櫛田くらいだろう。

 そんな彼女は今日も独りで昼を過ごすようだった。

 独りは独りでも、孤独を好むどこぞの隣人とは決定的に違う。

 そのどこぞの隣人はオレの視線を追って佐倉を目に留めたが、すぐに離した。

 

「質問に答えるけれど」

 

「……?」

 

「綾小路くんが聞いてきたんじゃない。『手間と材料費、バカにならないんじゃないか』って」

 

「あ、あぁそうだったな……。是非とも教えてくれ」

 

「答えを言うと、スーパーにも無料食品が売っているのよ。もちろん、一ヶ月につき何個とか決められているけれど」

 

「それで作っているのか……」

 

 寝耳に水だった。オレも寮の自室で朝食だけは作っているが──寮には学校のそれとは別に、食堂があるため夕食はそこで食べている──、必要な材料はコンビニで調達していたから、スーパーにそんなものが売っているとは思わなかった。

 それにしても……。

 

「文武両道に加えて料理の腕も良いのか。高円寺といい、お前といい……性格だけが残念──」

 

「いただきます」

 

 今度はスルーされた。どんどん対応がおざなりになっていく……。

 下手に刺激したら後が怖い。

 コンビニにでも行って、適当な弁当を買うことにしよう。幸いにもポイントは今朝の一件で潤っているから問題ない。

 オレは隣人から逃げるかのようにそそくさと教室から出て、最寄りのコンビニに行き昼食を調達したのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 放課後に入った。長い長い束縛から解放された生徒たちは自分にとっての『有意義な放課後』を過ごすために、昼休み同様、各々自由に動いていた。

 とはいえ、Dクラスのオレたちはポイントに余裕がないから、寮に帰るのが大半だ。

 今日、椎名は部活動があるために彼女と図書館で会うことは出来ない。別に図書館くらい、カラオケや焼肉とは違って一人で訪ねても恥ずかしくはないのだが、彼女が居なければ楽しくない。

 さてどうしたもんか。池や山内、沖谷(おきたに)たちは櫛田と遊ぶ約束を大声で取り付けていたから──沖谷は非常に居心地悪そうだったが──、彼らの予定が埋まっているのは知っている。

 須藤は部活で忙しいだろうし……と、そんな時だった。

 

「須藤。お前に話がある──どうした、やけに準備が早いな」

 

「分かってる。だから行こうぜ。まずは職員室で良いのか?」

 

「ああ。それでは行こう」

 

 一瞬の出来事だった。

 茶柱先生が須藤の名前を呼んだら、彼はすぐに呼応した。まるで、予めに放課後、先生から呼び出しをくらうことが分かっていたようだった。

 そうでなければ、あんなにも早く対応出来るはずがない。

 Dクラスの生徒たちは、今のやり取りをさして気にしていないようで、雑談に花を咲かせていた。

 オレも頭を切り替え、放課後の予定を脳内で計画する。

 とはいえ答えはすぐに、『帰宅』という二文字が浮かび上がったが……。

 スクールバッグを肩に担ぎ教室から出ようとするオレに、背後から声が投げられた。

 

清隆(きよたか)くん。放課後空いてるかな。もし良かったら一緒に遊ばないかい?」

 

 有難いことに洋介が誘ってくれた。いつも彼にベッタリな、交際相手の軽井沢(かるいざわ)の姿は見られず、周りの取り巻き女子たちも居ない。

 本当に珍しく、彼は一人だった。

 

「駄目だったかな?」

 

 返答を用意するのに時間が掛かりすぎてしまい、あらぬ誤解を与えてしまった。

 オレは慌てて首を横に振る。

 

「いや、大丈夫だ。けど洋介こそ部活に行かなくて大丈夫なのか?」

 

「うん。昨日は他校と練習試合があったからね、今日はその代休なんだ」

 

「なるほど。けど遊びに行くとしてもどこに行く? ポイントはあんまりないぞ」

 

 実際は違うが、ここは敢えて嘘を吐く。

 洋介個人になら、オレが膨大な額のポイントを所持していることを教えても構わないが、ここは公共の場だ。誰が聞いているか分からない場所で、不容易に発言はしない方が良い。

 

「あははは……もちろん僕だってそうだよ。ついこの前、プライベートポイントが一万切っちゃったからね。僕としてもあまり消費したくないかな」

 

「じゃあどこに?」

 

「遊ぶといっても、どこかに行くことだけじゃないと思うんだ。清隆くん、この前はきみの部屋を訪ねさせて貰ったから、今日は僕の部屋に来てくれないかな」

 

「分かった。是非行かせてくれっ」

 

 嬉しさのあまり、声が上擦ってしまった。

 この三ヶ月の寮生活、友人の部屋で遊ぶ経験が無かったオレからしたら、今回のこの誘いはとても魅力的だったから。

 堀北に隣人としての礼儀を尽くすべく、一応別れの挨拶を──しようとしたその時には隣席は空だった。あいつ、帰るの早すぎだろ。

 洋介と共に教室を出て、寮に向かう。思えば、彼とこうして二人きりで歩くのは『あの日』以来か。

 寮に帰る道中、オレは心の中でさめざめと泣いていた。

 というのも……分かっていたことだったが、平田洋介という人間は人気者だ。それはもう声を掛けられる。主に女子生徒に。

 中には、こいつ絶対洋介に惚れているだろ! と断定出来る程にアピールしてくる生徒も居たが、彼は笑顔で対応してみせた。

 …………やっぱりイケメン+サッカーは最強のカードだな。

 そして一番辛いのが──

 

「やっほー平田くん……と誰?」

 

 オレの知名度の低さにある。しかも男女関係なく。

 この差は正直いってキツい。

 いやまあ、彼ら彼女らの反応は至って普通のことだと思う。実際、オレだって顔おろか名前だって知らないし。

 ──…………別に気にしてないし。

 友人に嫉妬する自分に対して自己嫌悪していると、ようやく寮に辿り着く。

 エレベーターに搭乗し、五階で降りる。廊下を通って何部屋かの玄関扉を通過すると、先導した洋介がようやく止まった。

 

「狭い所だけど、(くつろ)いでくれたら嬉しいよ」

 

「狭いもなにも、間取りは同じだけどな」

 

 思わず口を挟んでしまう。洋介は何が面白いのか一度笑ってから、鍵穴にキーを差し入れ、ゆっくりと玄関扉を開けた。

 羨ましいか女子……! オレは今、お前たちのヒーローの部屋に居るぞ! ……興奮のあまり、変な気分になってしまった。

 たった今しがた彼に言ったばかりだが、寮の部屋は公平性を保つために間取りは同じだ、

 だから台所やベッドの位置は基本的には同じであり、そこにどう『自分らしさ』を出せるのかが重要になってくる。

 そのことを考慮すると、彼の部屋は見事と言うしかなかった。

 無駄な物が一切なく、日頃から掃除しているのだろう、部屋は心做しか輝いているようだ。

 本棚には学校の参考書やノート、サッカー関連の本がジャンルごとに並べられていて、綺麗に立てられている。ベッド傍には深緑色の絨毯(じゅうたん)が敷かれていて、リラックス効果が見るからにありそうだ。

 

「好きな所に座って良いよ」

 

 制服のブレザーをハンガーに掛け、クローゼットの中に押し込みながら言ってくる。オレは逡巡した後、絨毯の上に腰を下ろした。

 洋介は台所に移動してから冷蔵庫を開け、声だけを振り向かせて問い掛けてくる。

 

「緑茶か麦茶、それかインスタントコーヒーがあるけどどれが良い?」

 

「麦茶で頼む」

 

「うん」

 

 予め貯蔵されているのだろう、すぐに台所から現れた。両手にはお盆が持たれていて、二人分の空のグラスと、麦茶が入っている容器が置かれていた。

 キンキンに冷えた液体がグラスに注がれ、そのまま差し出される。

 少量飲むのを見届けてから、洋介は話を切り出した。

 

「もうすぐ一学期も終わるね」

 

「そうだな。まあ、その前に期末テストがあるけど。三バカトリオが乗り越えられるか不安だな」

 

「堀北さんに期待するしかないね。もちろん、僕も出来ることはやるけど……それでも彼らにとっては彼女の方が適任かな」

 

 違いないと首肯する。

 堀北なら彼らを長期休暇まで連れて行ってくれるだろう。櫛田も協力すれば盤石だ。

 とはいえ、いずれは自分から勉強するように仕向けなければならない。下手に助けると『先』で困るのは彼らだ。

 

「期末テストは試験範囲が変更されないと尚良いな」

 

「それは大丈夫じゃないかな。前回の中間テストは多分、学校側からしたら前哨戦(ぜんしょうせん)を設けたに過ぎないと思うんだ。そう考えると、今回クラスポイントを得ることが出来たのは大きいと思う」

 

「それでもAクラスとの差は905clか」

 

「せめて、今回以上に莫大なクラスポイントを獲得出来る機会があれば助かるんだけどね。そうなればクラスはもっと団結するから」

 

 クラス競争を誰もが望むわけではない。

 少なくともDクラスの生徒たちにとって、終着点は茨の先だ。殆どの生徒は日々の小遣いを稼げればそれで良いだろう。

 真剣にAクラスを目指そうとしているのは、堀北や幸村くらいなものだ。

 そして多分──洋介はどちらでもない。

 彼は『平和主義者』だ。

 今はまだクラスが『ポイントを得る』ことで一応は纏まっているが、『充分なポイントを得た』その先にどうなるのかは分からない。

 Aクラスを目指すのか。Dクラスのまま『不良品』の烙印を押されるのを良しとするのか。

 それに他にも気掛かりなことがある。でもこれについてはのちのち確認すれば良い。

 

「清隆くん。これはBクラスの友達から聞いたんだけどね……ここ最近、Cクラスが動いているそうなんだ」

 

「Cクラスが?」

 

「うん。Bクラスの生徒と、Cクラスの生徒がこの前ちょっとした騒動を起こしたようでね。幸い騒動そのものはBクラスのリーダーが鎮圧させたんだけど……気にならないかい?」

 

「今月のポイント支給が遅れていることと、何か関係があると?」

 

 先導者は確たる信念を持って頷いた。

 流石に考え過ぎだとオレが口を挟む前に、彼は言葉を続ける。

 

「僕は今回の件について、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「根拠を聞いても?」

 

「今朝の須藤くんは元気がなかった。あの場面なら誰もが喜びの感情を表に出すはずなのにね」

 

「それを言うなら、堀北だって特に嬉しそうじゃなかったし、洋介だってそうだろ」

 

「こんな言い方はあんまりしたくないけど……僕と堀北さんはDクラスの中じゃ『出来る』人間だから」

 

 珍しく高慢な言い方をする。

 なるほど、確かに洋介の言う通りだ。

 須藤は茶柱先生から褒められても破顔するわけでもなかったし、終始無言だったな。

 

「そして極め付きに……さっきの放課後。茶柱先生が呼ぶことを、須藤くんは予想していたみたいだった。あの反応の速さは異常だよ」

 

「つまり洋介は、須藤がCクラスの生徒と何らかの事件を起こしたと?」

 

「僕は喧嘩だと思っている」

 

 生徒間の諍いだったら、喧嘩が挙げられるのは普通のことか。流石だな。

 

「仮にお前の言う通りだとしたら……面倒だな」

 

「清隆くんもそう思う? 僕も賛成だ。Bクラスのそれとは大きく異なっている。事実、僕は友達から忠告されるその瞬間まで、BクラスとCクラスに確執(かくしつ)が走ったことを知らなかった。なのに今回は──学年、いや、学校を巻き込むかもしれない」

 

 それはつまり、Cクラスは確実な必殺の一撃があることを示している。

 

「もちろん、僕の勘違い──妄想(もうそう)の類だったらそれがベストだ」

 

 オレは脳内で嘆息してから、グラスに残っている麦茶を一気に呷る。

 

「仮に、仮に──洋介の主張が正しいものだとしてだ。今回オレは身動き出来ないな」

 

 何故なら『王』と交わした契約がある。個人的な行動は限りなく出来ないだろう。

 もし破れば契約は破綻。その時オレは龍園からしたら敵になり……色々と面倒臭いことになる。

 

「そうなると──詰みだね」

 

「オレをあまり買い被らないでくれ」

 

 堀北学といい、洋介といい……過大評価にも程がある。オレはそんな『出来た』人間じゃない。

 しかし先導者はオレの指摘に対して肯定も否定もしなかった。ただ真意が摑めない微笑みを浮かべる。

 しばらくの間、部屋は静寂に包まれた。

 そんな中、ピロン♪ 携帯のサウンド音が鳴った。オレの端末からだった。

 目で彼に謝罪してから電源を付ける。

 メッセージが一着届いていて、差出人は櫛田からだった。

 

『須藤くんがCクラスの生徒と暴力事件を起こしちゃったみたいなの。相談したいから、綾小路くんの部屋で集まれないかな?』

 

 オレは内容を確認した後、洋介にゆっくりと液晶画面を見せた。

 彼は突然のことに訝しんでいたが、すぐに顔を強張らせ、真剣な面持ちに変える。

 

「……最悪の展開だね……」

 

「取り敢えず、櫛田と……多分須藤も居るだろうから合流する。洋介はどうする、来るか?」

 

「いや、僕は行かないよ。助けを求められたのは僕じゃなくて清隆くんだから。けどもし良かったら、詳しい情報を後で教えてくれないかな」

 

「分かった」

 

 洋介に別れを告げ、オレは部屋から出る。

 エレベーターは使わず、階段で四階まで降りる。その時には須藤と櫛田は居た。

 恐らくメールした時には居たのだろう。部屋を尋ねたが留守で、あのメッセージを飛ばしたのだ。

 近くに入ればラッキーくらいの感覚だったに違いない。逆に言えば、事がそれだけ重大だと分かる。

 

「綾小路くん……!」

 

 櫛田が(かす)れた声を出してオレの名前を呼んだ。彼女は池や山内たちと遊んでいたはずだが……きっと、須藤に相談を受けて彼らとは別れたのだろう。

 

「……」

 

 須藤は怒ったような、悲しいような、悔しいような……様々な色が混ざった表情で顔を彩らせていた。唇は固く閉ざされ、作られている握り拳は小刻みに震えている。

 だが、オレが彼に掛ける言葉はない。

 オレは無言で部屋の玄関扉を開け、彼らを招き入れた。

 




氏名 平田洋介
クラス 一年Dクラス
部活動 サッカー部
誕生日 九月一日

─評価─

学力 B+
知性 B
判断力 B+
身体能力 B
協調性 A-

─面接官からのコメント─

中学時代はクラスの中心人物として、生徒、教師から絶大な信頼を得ていた。問題行動を起こすこともなく、定期テストもかなりの高点数を取り、非常に優秀な生徒である。
しかし、一部の証言から、彼が当時ニュースとして扱われたら事件への関与が発覚した。
このことから、Aクラス配属を見送り、Dクラスに配属する。

─担任からのコメント─

Dクラスの生徒だけでなく、他クラスの生徒とも交流があり、また短い期間で信頼を勝ち取っています。
学業では好成績を残し、所属しているサッカー部にも真面目に取り組んでいるようです。
交際相手の軽井沢恵とは清い付き合いをしており、彼らが間違った道を歩くことはまずないでしょう。
中間テストの際は自ら率先して勉強会を開き、クラスに貢献しました。
ここ最近は同じクラスの綾小路清隆と深い交流があるようで、教室内で会話しているのを度々見掛けます。
これからもDクラスを導いて欲しいです。

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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