自分の部屋に友人を招き入れるのは、中間テストの打ち上げ以来だ。
物置部屋に放置してあった
それを見届けてからベッドの上に腰を下ろすと、非常に居心地悪い空気が
「悪い、ちょっと待ってくれ」
黙り込んでいる二人の返事を待たず、オレは携帯端末を操作した。すぐに終わらせ、ベッドの上に放置する。
さて、話を聞く準備は出来た。あとは何かしらのアクションを待つだけだ。
そんな中堪えきれなくなったのか、
「わあっ、えっと、相変わらず
綺麗な部屋に見えるのは、ただ単に物が無いだけだ。
そう指摘したい衝動を、オレはなんとか踏みとどまって呑み込んた。
櫛田は悪手だと自覚しているのか、おろおろと視線を泳がすばかりだった。
仕方がない。ここはオレが話を切り出すか。
「それで、さっきのメッセージは本当なのか?」
「その……あのね、綾小路くん。これには──」
「悪いが櫛田には聞いていない。須藤、どうなんだ?」
言葉を挟んで黙らせる。
事実確認をするだけなら櫛田が答えても良かった。
口を
「……ああ、そうだ……」
今にも掻き消えそうな弱々しい声で、
その報告を聞き届けた時、オレは内心、Cクラスの『王』を素直に称賛していた。
「先週の金曜日、Cクラスの連中を思わず殴っちまってよ。今日の放課後、知ってるかもしんねぇが担任に呼び出されたんだ。そしたら──」
「下手したら停学処分になるかもしれないって、
学校側からしたらそれは当たり前か。
茶柱先生の呆れ顔が脳裏に浮かび上がるが、今はそんなことどうでも良い。
「須藤がCクラスの生徒と暴力事件を起こしたのは分かった。だがそれだけだと要領が摑めないから、もうちょっと詳しく話して貰えるか?」
「……俺も悪いのは分かってるつもりだ。殴ったのは俺だからな。けどよ、先に喧嘩を売ってきたのはCクラスの方なんだ。俺は連中を返り討ちにするために……!」
「須藤くん、落ち着いてね。ね?」
両肩を震わせる須藤の手に、優しく自分の手を添える櫛田。
一回空気を変えるべきだと判断し、二人分の麦茶を用意して、彼らに提供する。
オレの労力は無事に報われ、彼らの……特に須藤の呼吸を落ち着かせることに成功した。
「
覚えているよな? そんな意味が込められた視線がオレに送られ、オレは無言で頷き返す。
須藤のバスケットボールの才能が日を
一年生がこの時期、大会に出場する。
これは、部活に所属していない生徒でも分かる程の偉業だ。現に今、櫛田が目を見開いている。
「レギュラーって凄いじゃない須藤くん! おめでとう! 今度皆でお祝いするね!」
「サンキューな。けど別に、まだ可能性の話だ。まあ……一年の中じゃ俺だけだけどな」
「
何度も手を叩き、尊敬の眼差しを櫛田は須藤に送る。可愛い女の子から送られる賛辞に、彼は照れ臭そうに鼻を掻いた。
しかし、それは一瞬。表情をすぐに戻し、話を再開させる。
「レギュラー候補だけじゃねえ、絶対レギュラーにのし上がってみせると俺は奮起していた。ここ最近は部活終了後、先輩と自主練をやっていてよ。その準備をしてた──そんな時だった」
「Cクラスの人たちが須藤くんに絡み出したみたいなの。あれっ? でもそれだと、その人たちは同じバスケ部員ってことになるよね?」
「櫛田の言う通りだ。同じ部員の
ここまで聞けば、何故喧嘩が起こったのか、その理由がある程度察しは付く。
オレが気付いたのだ、櫛田も同様のようで、顔色をサッと変えた。いつも笑顔を絶やさない彼女だが、この時ばかりは
「もしかして小宮くんと近藤くんは、須藤くんがレギュラー候補に選ばれたのが気に食わなかったの? それって完全に嫉妬じゃない?」
「それなら話はまだ簡単だったんだけどな……。特別棟には小宮と近藤と……
「え? 石崎くんって同じCクラスの? けど話に関係ない部外者じゃ……?」
「なんでも石崎は小宮たちのダチらしくてよ。自分のダチを差し置いて、Dクラスの『不良品』の俺がレギュラー候補に選ばれたのに納得いかなかったんだと。最初は自分からレギュラー候補入りを辞退するよう俺に説得してきたんだけどな、そんな要求呑むわけがねえ。断ったらとうとう、部活を辞めろと言ってきてな。それも断ったら殴り掛かってきたから、やられる前にやったんだ」
「何だかそれ……彼らには悪いけど、
あまりの馬鹿馬鹿しさに、怒りを通り越して呆れてしまう櫛田。それにはオレも同意見だ。
須藤の語った内容を全て信じるとするならば、結構面倒臭い展開だ。
まずだが、最初に仕掛けてきたのはCクラス側。主犯は石崎と視て問題ないだろう。共犯が小宮に近藤。
彼らは須藤の
しかし須藤は彼らの要求を真っ向から拒否し、実力行使……つまり暴力行為に手を掛けた。だが彼らにとって誤算だったのは、須藤健の身体能力の高さを見誤っていたこと。
三対一なら勝てると思い込んでいたのだろうが、為す術もなく敗北。連中からしたら屈辱的で、自尊心が大きく削られただろう。
やられっぱなしでいられるわけもなく、須藤と別れた後すぐに学校に報告した。
だがオレはもっと濃い情報を多数所持している。それこそ──
「つまり、仕掛けてきたのは石崎くんたちってことだよね? じゃあ須藤くん、悪くないじゃん。先生には言わなかったの?」
「もちろん言ったぜ。あっちから脅迫紛いのことをしてきたことをよ。けどよ、俺、これまでがこれまでだったろ? だから信じて貰えなくて……」
「それは、そうだね……」
須藤がこれまで起こしてきた騒動が、全て裏目に出てしまっている。
例えばこれで須藤ではなく櫛田だったら。茶柱先生や他の教師も聞く耳を持ったはずだ。
日頃から悪行をしている人間と、日頃から善行をしている人間。
どちらを信じるのかと問われたら、後者の人間を信じるだろう。
だがそれは、何も無い状況ならの話だ。
「先生は何て言ったの?」
「来週の火曜日まで時間を与えるから、Cクラスが犯人であることを証明しろって……。もし出来なかったら俺は夏休みまで停学。あとは、
もし来週の火曜日までに須藤の無実を証明出来なければ、Dクラスが受ける傷は浅くない。
「そんなのおかしいよ! ……確かに須藤くんが殴っちゃったのは悪いけど、それでも、今までの『過去』があるから、そんな理由で判断するなんて……! 須藤くん、ここ最近は授業も真面目に受けていたし、バスケの練習だってより精を出していたのに──」
「だからこそ、なんだろうな」
「綾小路くん、それってどういう……?」
「須藤
「……ガッカリするよね……」
それに話は、どっちが良いか悪いかの簡単なものじゃないだろう。
須藤が石崎たちを殴ったとはいえ、一対三の状況を作ったCクラスにも過失はある。
だから須藤だけじゃなく彼らにも何らかの処罰が下されるはずだ。
それが意味することはたった一つ。
「罰の大きさは兎も角として、『喧嘩』に関わっている人間全員が
「……ッ!」
「で、でも! 正当防衛が当てはまるんじゃ!?」
オレは首を横に振ることで、櫛田の主張を否定した。さっきから彼女の言葉を尽く否定しているが、なにも、根拠がないわけじゃない。
正当防衛とは、急に乱暴を受けたときなどの不正な侵害に対し、自分や他人を守るため、やむを得ず相手に害を加える行為のこと。
そしてこれは、小説やドラマのように簡単には成立しない。
「須藤の話を聞く限り、石崎たちはあくまでも『言葉』で脅迫してきただけだ。刃物を所持していたなら兎も角、違うんだろ?」
須藤を一瞥して確認をとる。
「ああ……」
「片方だけの要求を一方的に聞くわけにもいかないから、約一週間の期間が設けられたんだと思う」
そして期日までに第三者が納得いく証拠が提示出来なければ、今ある証拠──『怪我』で判断するしかない。
その主旨を告げると、櫛田は沈痛な面持ちで言葉を漏らした。
「だから須藤くんの方に重い罰が与えるってこと?」
「先に訴えた方の強みだな。
「マジでどうすれば良いんだよ……。だって、だってこんなのあんまりだろ! 俺も悪いのは認める。謝罪だってする。けどだからといってこんなのって……! それに俺だけの問題じゃねえ、クラスにも迷惑を掛けちまう!」
顔を両手で抱え慟哭する須藤に櫛田が彼の背中に手を添えた。優しく摩り、自分が居ることを告げている。
そんな彼女は顔だけ振り向かせてオレに問い掛けた。
「綾小路くん、何か手はないかな?」
「……言葉で説明しても意味が無いなら、他の手段をとるしかない。例えば──目撃者の有無」
まあ、そんな都合が良い展開があったら苦労はしない。
事件現場は特別棟。放課後の時間に好き好んで訪れる訪問者などそうそう居るはずがないだろう……。
ところが、須藤は下げていた頭を勢いよく上げ、考え込む仕草を見せた。
「……誰かの気配を感じた気がする。そうだ──俺はあの時、傍に人の気配を知覚して……」
「須藤くん、勘違いの可能性は?」
「無い。間違いないぜ」
暗闇の中、突如どこからか射し込んだ希望の光。
櫛田がやった! とばかりに頬を緩ませる中、しかしオレは彼女に同調出来ない。
仮に須藤の言う通り、目撃者が居たとしよう。一部始終を見ていたのなら願ったり叶ったりだが……最悪の場合、さらに窮地に陥ることも覚悟しなければならない。
例えばその目撃者が──仮称としてXとする──須藤がCクラスの生徒を殴り飛ばした直後から見ていたら、こちら側にとっては最悪の判断材料として学校側に提示されるだろう。
それにもしXがD及びCクラスの生徒の場合。前者だったら証拠能力が大きく削がれるし、逆に後者の場合、自分のクラスメイトが不利になるような発言はしないはずだ。
「今取れる解決方法は、主に二つ。一つ目はCクラス側が自分の非を認めること。それが一番だよね」
「櫛田には悪いと思うけどよ……それは無理だぜ。バカな俺でも分かる。あいつらはそんなタマじゃねぇし、自分から訴えたのに取り下げるなんて──まして、自分の非を認めるなんて天地がひっくり返っても起きねぇよ」
「うん、私もそれは須藤くんの話を聞いて分かったつもり。二つあるって言ったけど、実質的には一つだけ。つまり──目撃者を捜すこと」
結局、それが無難なところか。
Xを捜すことに異論は無い。今回ばかりは櫛田の主張が正しいとも思う。
だがここで、さらなる問題が浮上する。
「目撃者を捜す。口で言うのは簡単だが、どうやって捜すんだ? 一年生だけでも百六十人。二、三年生を頭数に入れたら合計、四百八十人だぞ」
「一年生は一人一人地道に行くとして……上級生の場合はクラス単位で聞くしかないよね」
さらりと凄いことを言ってのけるな。
櫛田はクラスメイトとして……いや、須藤の友達として、全面的に協力するようだ。
気合を入れるためか、可愛らしく両拳を握る彼女を見て、須藤も元気が出たようだった。
オレと櫛田を順番に見て、彼は精一杯頭を下げる。そして願いを口にした。
「……本当に悪いな。何度も何度も迷惑を掛けてよ。けど頼む──助けてくれ」
「もちろんだよ、須藤くん! ね、綾小路くん?」
「……オレで出来ることならな」
嘘で塗り固まれた言葉を吐く。
自分でも思う、感情がこもってないと。
現に櫛田だって気付いているはずだ。だからこそ彼女はオレに同意を求めるようにして、問い掛けてきたのだから。
彼女が何かを言う前に、オレは須藤に頭を上げるように言った。
「取り敢えず須藤、お前は何もするな。当事者が動くと面倒になるからな」
「…………分かった。綾小路には借りを作ってばかりだな。お前が困っていたら絶対力になるから、その時は頼ってくれ。もちろん、櫛田もだぜ」
「うんっ」
「そんじゃあ俺は帰るわ。今日は悪かったな、いきなり押し掛けてよ」
「気にするな」
また明日なと別れの挨拶を口にしてから、須藤はオレの部屋から出て行く。
オレは彼の小さな背中を廊下で見届けてから、自分の部屋に戻った。
「……櫛田はまだ残っているんだな」
「あはは……ごめんね綾小路くん。けど聞きたいことがあったから。質問良い?」
「オレに答えられることなら」
ベッドの上に放置しておいた携帯端末を手に取り、液晶画面の上で指を走らせる。その片手間に聞くと、櫛田は──表情を一変させた。
それはオレが垣間見た彼女の『裏』の顔。この場に居るのはオレと彼女だけだから、限定的ながらさらけ出しているのだろう。
「ねえ。綾小路くんはさ。今回の一件、乗り気じゃないよね」
「どうしてそう思う?」
「だって必要以上に話に参加しなかったじゃない。慰めることも、励ますこともあんたは何一つしなかった。凄く淡々としてた。違う?」
「櫛田がそう思うならそうなんじゃないか」
「
「おかしなことを聞いてくるな。当然、櫛田も須藤も映っているさ」
携帯端末から視線を外すことなく答える。全く、変な質問だな。
しかし櫛田はオレの態度や言葉に強い
女子高生が飛ばせるものじゃないと思わせる程、鋭く、濃厚なもの。
「オレにその『裏』を見せて良いのか?」
「綾小路くんにはもう
「それは悪い事をしたな」
仕方なく櫛田を見る。入学当初あった彼女への好感度は、ここ最近どんどん減りつつある。
何も変わっていないオレという人間に対して呆れ、苦笑してしまう。
それが自分に向けられたものだと誤解したのか、より険しい顔付きになる彼女だった。
「やっぱり綾小路くんは冷たくて残酷だよね」
「そうは言ってもな、オレに出来ることなんて高が知れてるぞ。強いて言うなら須藤の話に
「だとしても──須藤くんはね、私や堀北さん、
「……」
「それだけあんたを友達だと思っているんだよ。助けが欲しい時、真っ先に頼るくらいにはね」
櫛田は『表』と『裏』の顔をごちゃごちゃに混ぜながらそう言い切った。
オレはそんな彼女に
確かにオレと須藤は仲が良い。
入学してからのこの短くない月日の中で、オレは様々な人と接点を持ってきた。
別に優劣を付けるわけではないが、自分にとっての大切な人も出来ている。
総合的な観点なら首位は
──それじゃあ須藤は?
オレは強引に思考を断ち切った。
時を同じくして、櫛田もいつもの『表』の顔に戻る。いつもの人懐こい柔和な笑みを浮かべてこう言った。
「綾小路くんはさ、もうちょっと他人に興味を持った方が良いんじゃないかな」
「この前も似たようなやり取りをした気がするが、別に、オレは他人に対して無関心なわけじゃない」
「うん、知ってるよ。だからさ、なんて言ったら良いのかな──視野を広く持つべきだと思うな」
「……そこまで言うなら、心掛けてみる」
「うんっ」
櫛田スマイルに当てられて目を離す。しまった、今の表情、撮っておけばよかったな。そしたら『櫛田エル親衛隊』に高く売れたのに……。
いや、流石に冗談だが。明日あたり池や山内にさり気なくを装って自慢するとしよう。
「話を戻すけど、綾小路くんはどうするの?」
「さっきも言ったろ。……オレに出来ることはするさ。まあ、出来ることは高が知れてるけど。オレが役立つとは思えないから、あまり当てにはしないでくれ」
「そんなことないよ。きっと役に立つよ。何かのっ」
明確な根拠は告げられなかった。悲しい。内心さめざめと泣いていると、櫛田は小首を傾げながら考え込む。
「うーん、やっぱり聞き込み調査が一番だよね。まずはDクラスの皆に事情を説明して、協力要請するのが無難かな?」
「だろうな。まずは賢人の力が欲しい。洋介や堀北、
「幸村くんと堀北さん、協力してくれるかな?」
「このままいけば最悪、せっかく得たクラスポイントは水の泡だ。彼らはAクラスを真剣に目指しているから、手を貸してくれるさ……多分」
幸村は兎も角として、堀北に関しては自信がない。だって堀北だからな……。
自分の部屋に帰る櫛田をエレベーターまで見送り、オレはベッドの上で仰向けに寝転がる。
照明の光をぼんやりと眺めながら、オレは思考の海にしばらく浸った。
期末テストと夏季休暇を目前に控えた七月上旬。
クラス競争の前哨戦の開幕。
Dクラス対Cクラスのこの図式。
他クラスの陣営も何かしらの動きを見せるだろう。
──と、そんな時だった。
携帯端末が振動し、軽やかなサウンドを響き渡らせながらメッセージが届いたことを告げる。
画面をつけて差出人を確認すると、登録していないメールアドレスだった。しかもフリーメールアドレスだからタチが悪い。
まあ、差出人は心当たりがあるが……。
そのメールアドレスには短くこう書かれていた。
『俺の勝ちだ』
その文面を目に通した瞬間、オレは
『王』がわざわざ勝利宣言をしてくるなんて、正直、思いもしなかった。
だからオレも彼に返そう。放たれた言葉は、部屋に小さく反響した。
「俺の勝ちだ──龍園」
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
-
綾小路清隆
-
堀北鈴音
-
平田洋介
-
櫛田桔梗
-
須藤健
-
松下千秋
-
王美雨
-
池寛治
-
山内春樹
-
高円寺六助
-
軽井沢恵
-
佐倉愛里
-
上記以外の生徒