日が
今日から一週間後までに
時を同じくして、オレと須藤の朝のジョギングもしばらくは休止することになった。これは彼からの申し出であり、オレは
とはいえ、朝早くから起床することはオレの日常生活に組み込まれてしまったのか、身体は自然と覚醒してしまった。
その為、一人で散歩をした。数奇なことに
いつもと同じ時間に寮を出たのだが、途中忘れ物をしたことに気付いて慌てて戻り、遅刻寸前の時間帯に校舎に入る。
そのまま一年Dクラスに早歩きで突入すると、室内は異様な雰囲気に包まれていた。
「おはよう、
「……すみません。忘れ物をしてしまいまして」
「それなら仕方がない……と言いたいが、遅刻は査定の対象になりかねないので気を付けるように。ほら、さっさと席に着け。お前以外は座っているぞ」
茶柱先生の言う通りだった。
教室を見渡せば、空いている席は一つだけ。もちろんそれはオレの席。
そそくさと教室の後ろを渡る中、オレは違和感を覚えた。いくら教師が居るとは言っても、今はまだ一応自由時間。
Dクラスの授業態度は大幅に改善されたが、それでもこの時間帯に囁き声一つないのはおかしい。
嫌な予感を覚えがら自分の席に座ると同時に、隣人が声を掛けてきた。
「おはよう、綾小路くん」
「おはよう、
「つい数分前に、ちょっと色々とあったのよ。すぐに分かるわ」
そう言われたら黙るしかないか。
一時限目の授業の準備をしていると、朝のSHRを告げる始業の鐘が校舎中に響いた。
教卓で目を閉じその時を待っていた茶柱先生が、出席簿片手に号令を掛ける。
「それでは朝のSHRを始める。欠席者及び、遅刻者無し。他のクラスでは夏風邪を引いた生徒が出始めているからな、先生はこの出席率を嬉しく思うぞ」
相変わらず心が込もってない賛辞だ。いや、これが茶柱先生の精一杯なのか?
益体の無いことを考えながら彼女の有難い言葉を聞く。そして、オレは再度違和感を覚えた。
いつもは話半分で話を聞く姿勢を取っていた
まあ、彼らの場合は昨日『先生』に命令されたからな。まだ納得が出来る。
問題はその堀北だ。いつも浮かべている仏頂面だと言われればその通りなのだが……表情が妙に張っているような気がする。
「さて──今日はお前たちに一つ報告がある。とはいえ、綾小路以外は
茶柱先生は浅く呼吸をしてから、おもむろに話し始めた。
「先週の金曜日の放課後、うちのクラスの須藤と、Cクラスの
刹那、教室内が震えた。とはいえ、それも一瞬。
なるほどとオレは一人納得していた。違和感の正体はこれだったのだ。
つまり、オレが登校する前に櫛田と須藤がクラスメイトへ報告したのだろう。当事者の須藤が動くことはあまり
その判断は正しいものだ。
DクラスとCクラスの間に
彼女は最初から最後まで淡々としていて、自分に課せられた義務を達成させることに専念していたようだった。
「──と、ここまでが、学校側……中立的立場からの報告だ。それでは今から質問を受け付けよう」
「先生、だとしたら何故学校側は結論を出していないのですか? 須藤くんから前もって僕たちは説明されましたが、それでも聞かせて下さい」
「今回最初に訴えてきたのはCクラスの方だ。彼ら曰く、『一方的に殴られた』とのこと。ところが、真相を確認したところ、須藤は『否』と言った。殴ったのは事実だが、最初に挑発……喧嘩を売ってきたのはCクラスだと。そうだな、須藤?」
「ああ……俺ももちろん悪いが、あくまでも最初に仕掛けてきたのは向こうだ」
茶柱先生の確認に、須藤は堂々と答える。
どうやらこの一夜で、彼なりに吹っ切ることが出来たようだ。
「この『暴力事件』の面倒なところは、どちらもが『被害者』だと主張しているところだ。今ある確かな証拠は、須藤が連中を殴ったことだけ。それ故に、須藤の無実を証明したければ、その証拠を私たち学校側へ提示して貰いたい。具体的には須藤が言っている目撃者だな。──念の為聞いておくが、一部始終を目撃した生徒はこのクラスに居るか?」
誰も挙手をしなかった。
それはつまり、XがこのDクラスの人間ではないということ。そのことにオレは内心
仮にXが居て、さらにDクラスだった場合、それこそ決定的な証拠でなければ
「目撃者については現在、各クラスの先生がこの時間を使って尋ねているはずだ。名乗り出てくれるのが一番だが、あまり期待しない方が賢明だと助言しよう」
「仮に目撃者が名乗り出なかった場合、学校側は期日を早めたりしませんよね?」
「無論だ。お前たちが須藤を救いたいのなら、常識の範囲内でなら自由に動いてくれて構わん。だが今回のこの一件、クラスメイトだからと言って無理に行動しなくて良いぞ。何故ならそれはあくまでも対岸の火事であり、クラスポイント云々はさておいて、基本的には自分には関係ないからだ」
ざわ、と教室はしばらくの間喧騒に包まれた。
茶柱先生が語ったことがそれだけ衝撃的だったからだ。
仮にも聖職者がそんな暴言を吐いて良いのかと疑問は尽きないが──極端だが、それも一つの選択だろう。
ほんと、何を考えているのやら。
動揺に包まれる中、
「……茶柱先生はどのような考えですか?」
「それは教師としてか? それとも茶柱
「後者です」
少し考え込んでから、茶柱佐枝は答えた。
「ふむ……私から言わせて貰えば、須藤は愚かにも程があるな。せっかく良い傾向だったのに残念に思う。まぁまだ、自分にも非があると認めているだけマシだがな。
「……はい、ありがとうございました」
「それでは朝のSHRはこれで終了だ。本日も頑張って授業を受けてくれ」
言うや否や、
一時限目が始まるまであと十五分はある。何かやるとしたら、今しかない。この機会を脱するわけにはいかないだろう。
そんな中、椅子を引く音がやけに大きく反響した。
須藤だ。
彼は無言でゆっくりと足を動かし、教卓へと静かに登った。
視線という視線が彼に収束し貫通する。困惑、怪訝、様々な色の矢が突き刺さる。
数秒後……彼は頭を深く下げた。
「クラスに迷惑を掛けて──本当に悪い」
顔を上げることなく、須藤は
誰もがこの突如舞い降りた出来事に何も言うことが出来ず、
入学当初、生徒が彼に抱いている心象は最悪だった。遅刻を何度も繰り返し、登校してきたと思えば居眠り。些細なことで苛立ち、暴言を吐き、自分の思うようにいかなかったら
しかしこの数ヶ月で、彼はゆっくりとした速度だったが『変化』の兆しを見せるようになった。
自分の罪を認めることは、口で言うのは簡単だが実際に行動出来る人間は数少ない。
何故ならそれは、自分という人間を保つための防衛装置。自我を証明させる手段なのだから。
「昨日の夜……俺なりに考えてみたんだ。今回の『喧嘩』は人為的なものだ。けどよ……原因は俺自身にあるんじゃねぇかって、考えたんだ。お世辞にも俺は平田や櫛田のような善人なんかじゃねえ。どうしようもないクズだ。そんなクズが自分勝手に助けを求めるのは最低だとも思うし、カッコ
驚き、目を見張り、息を呑む。
誇りを捨てて、須藤は願った。『助けて欲しい』と口にした。それがどれだけ難しいことか──。
クラスメイトたちが多種多様な反応を見せたまま、少なくない時間が過ぎ去っていく。
空白の時間の中で、先導者が颯爽と席を立ち、
「僕は須藤くんを助けるよ。何があろうとね」
須藤は差し出された手を摑まない。いや、摑めない。これまで独りで生きてきたから、そのやり方を知らない。
空に浮く手から視線を外し、恐る恐る尋ねる。
「……俺が嘘を吐いているって思わないのか……?」
「なら聞くけど嘘を吐いているのかい?」
「ンなわけねぇだろ……!」
「なら、僕は須藤くんを信じる。僕たちはクラスメイトで、この先一緒に戦う仲間だ」
改めて手が差し伸べられる。
先導者の瞳の中には確固たる覚悟の
叛逆者はゆっくりと自身の手を伸ばし、おずおずと握る。しかしそれはすぐにかたく結ばれ、須藤の目に光が灯った。
「──僕は須藤くんを何があろうと助ける」
先導者の決意表明。
その覇気に何人の生徒が呑まれただろう。自分を
『お人好し』なんてそんな生易しい言葉では言い表せない。もっと別の、正体が摑めない『何か』。
多くの生徒が
オレからしたら意外な人物だった。
「あたしも平田くんにさんせー」
洋介の交際相手、
「須藤くんは十分反省しているし、何より、
間延びた声の調子は最後まで変わらなかった。だが、最後の部分だけは他者を威圧するだけの力があった。
軽井沢は洋介の味方をすること以上に、自分が気に入らないからという理由で賛成するようだ。
女王の持つ影響力は絶大だ。
須藤が皆の前で謝罪し、洋介が手を差し伸べ、軽井沢が纏める。これで女子生徒は仲間に引き入れたのも同然だが、まだ男子生徒が残っている。
一致団結するまであと『一歩』足りない。その一歩を埋められるのは調停者だけだ。
すなわち──櫛田
「私も須藤くんを助けるよ。だってそれが友達だと思うから。池くんもそう思うよね?」
「櫛田ちゃんの言う通りだぜ。正直最初は須藤のバカさに呆れて何も言えなかったけどさ。けど……うん、俺たち友達だからな。須藤、貸しだからな!」
「ああ……! 借りを作らせてくれ!」
池の言葉に、須藤は即答する。
櫛田と池はDクラスの中で最もコミュニケーション能力に長けている。池は女子からの心象が良いとはお世辞にも言えない。それは常日頃からの生活態度に些か問題があるからだ。
そして何より、今回池は自分の意思で須藤を助けることを決めた。
須藤と同じく、彼もこの三ヶ月で変わり始めている。
今はまだ種は
「まずは目撃者を捜すことから始めよう。部活に所属している人は聞いてみて欲しい」
「私は所属していないけど、友達に聞いてみるね」
「あたしもー」
「『Dクラスが目撃者を捜している』っていう情報をなるべく多く拡散して欲しい」
先導者の指示の下、須藤救済のために動き始めるDクラス。以前彼が危惧していた、『Dクラスの崩壊』はこのままいけば起こらないだろう。
今回の一連の事件は彼らに任せるとしよう。
「……任せるつもりだったんだけどな……」
昼休みに突入した。
オレは何故か櫛田に堀北、須藤、池、
言い訳をすると、四時限目が終了した時点で教室から出てフェードアウトする予定だった。だがオレの完璧な計画を壊した人間が居た。
櫛田だ。
昨夜の会話で、彼女は前もってオレの計画を予期していたのだろう。実に恐ろしい……!
その彼女はと言えば、今は櫛田スマイルを浮かべて池や山内たちと談笑していた。
遠巻きに眺めると、周りの人間に悟られない程度にウィンクされる。まあ……これくらいだったらまだ『誤差』だ。
そろそろ頃合いだろうと思ったのか、皆が須藤をじっと見た。中には堀北も入っていて、何やら思案しているようだ。
「改めて頼む。俺を助けてくれ」
一人一人順番に顔を見て、須藤が深々と誠心誠意
堀北以外の友人が力強く頷く中、彼女だけは未だに神妙な面持ちで須藤を凝視していた。
「一つだけ聞かせて。須藤くん、あなたは何故この『暴力事件』が生まれたか理解している?」
質問の意図が分からないのか、沖谷が首を可愛らしく傾げた。これで女だったら櫛田とは違った意味でクラスの人気者になっていただろうな。
堀北は意味が無いことはやらない、しない主義の人間だ。無論、この質問には意味がある。
ここで須藤が間違った答えを口にしたら、堀北
頭を上げることなく、罪人は自らの『罪』を言う。
「……俺の日頃の態度が悪かったからだ。だから俺はCクラスの奴らに狙われた」
「ええ、そうよ。そのことが分かっていれば良い。……そして須藤くん、残念な報告がある。須藤健の無実は『奇跡』でも訪れない限り、獲得出来ない」
「ちょっと待てよ堀北。それってどういう──」
「『暴力事件』が成立した時点で、DクラスCクラス共に小さくない傷が付けられるってことよ」
流石と言うべきか、堀北は既に事件の本質を見抜いていた。恐らく、オレとほぼ同じ考えだろう。
彼女は三バカトリオにも理解出来るよう、出来るだけ噛み砕きながら説明する。
すっかり『先生』と認識されているようで、誰もが彼女の言葉に傾聴する。
「──分かった? つまりこれは、須藤くんの無実を証明するための戦いじゃない。
「……そのためにはどうすれば良いのかな?」
「目撃者を捜すしかない。彼──彼女かもしれないけど──を見付けることでようやく、戦いの
それでもやるべき事は山積みだ。
普通の方法では、期日の一週間後までに到底間に合わないだろう。だが諦めたらそこで試合終了──こちらの完全敗北。
深刻化している事態にようやく気付いたのか、誰もが口を噤んだ。
しかしそれも数秒で終わり、櫛田が席を立つ。
「ごめん皆。あそこに仲良くさせて貰っている先輩が居るから、ちょっと探ってみるね」
「悪いな櫛田」
「ううん、大丈夫だよ」
優しく微笑んでから、空のトレーを持ちオレたちから離れていった。
いつの間にかオレ以外の全員が食べ終えている。
待たせているのかなと思い箸を動かす速度を早める。
「おいおい、櫛田ちゃんが話し掛けている先輩って、男じゃないか!」
「なぁにぃ? ……う、嘘だろ……! ほ、本当だ……。しかも超絶イケメンじゃん!」
「良いなあ。僕もあれくらい男前に……」
「沖谷は筋肉がないんだよ。今度一緒にバスケやろうぜ」
「うんっ」
沖谷もすっかりこのメンバーに馴染んでいるようだ。
彼らが純粋に会話を楽しんでいる中、池と山内は絶望の表情を浮かべていた。
視線を辿った先には、櫛田が上級生だと思われる先輩と談笑している姿があった。なるほど、確かにイケメンだな。
その光景を目の当たりにした彼らの表情がそれはもう凄い。『櫛田エル親衛隊』隊長、副隊長の両名は突き付けられる現実に何も言えなかった……。
「失礼するわ」
「堀北さん?って、もう行っちゃった……。急にどうしたんだろう?」
堀北の突然の退去に、沖谷が戸惑う。池と山内は先の光景から目を背け、堀北に関心を向けるが分からないだろう。
そんな中オレと須藤だけは察していた。彼女と入れ替わるようにして、二人の男女が近付いている。
「席、座っても宜しいでしょうか?」
可愛らしい声が女子生徒から出された。
低い身長、鮮やかな紫色の髪といった容姿の彼女に、高度育成高等学校に在籍している生徒は必ず見覚えがあるだろう。
池が驚き声を出す。
「三年生の
周りの生徒が池の叫び声に反応し、こちらに顔を振り向かせてくる。辺り一帯がちょっとした喧騒に包まれた。
無理もないか。
何せどちらもこの学校では超がつく程の有名人。
生徒会長の堀北学は言わずもがな、彼にいつも連れ添っている橘先輩も有名だ。
彼女は生徒会書記で、当然と評するべきか三年Aクラス。
「そこのお前、席、座っても良いか」
堀北学がオレに声を掛けて聞いてくる。
彼と会うのは今朝以来だが、どうやら、初対面の振りを装うようだ。オレとしてもその方が有難い。
「オレに拒否する権利はありませんよ。どうぞご自由に」
「ちょちょちょ、綾小路、お前! 口に気を付けろよ! 相手は生徒会長だぞ! もっとこう……あるだろ!」
「そうなのか? 敬語は使っているから問題ないだろ」
「あーもう! す、すみません先輩……。こいつ時々、素でこんな態度をとっちゃうんですよ……」
大量の汗を流しながら何故か平謝りする池。
急にどうしたんだろう。いや割と本気で。
疑問に思い周囲の友人に助けを求めるが、彼らも池と同様に有り得ないものを見る目でオレを凝視していた。
これってオレが悪いのか?
「いえ、大丈夫ですよ。ここは食堂ですから、むしろ、そんな畏まった態度をとられるとこちらが戸惑ってしまいます。ですよね、堀北くん」
「橘の言う通りだ。それでだが、席、座っても良いか?」
「どどどどどうぞ! ──あっ、ヤバい!俺たちこの後用事があるんだった! そうだよな山内!」
「おおおおおおう! 五時限目の準備をしないとな! 須藤と沖谷もそうだったよな!?」
「「……?」」
「「そうだったよな!?」」
物凄い剣幕で同意を要求され、須藤と沖谷は機械的な動きで頷いた。
同意を得た池と山内はそのままオレに視線を流し……呑気に昼食を食べているオレになんとも言えないような顔付きになる。
「……先に教室に戻って良いぞ」
「悪いな綾小路〜。ごめんねごめんね〜。──行くぞお前ら! 遥か
「俺は一生付いていくぜ友よ!」
「「さらば!」」
茶番にも程があるやり取りを交わしたかと思ったら、池と山内は須藤と沖谷の手を強引に引っ張って食堂から姿を消した。
「面白い人たちですね……。そう思いませんか、堀北くん」
「ユニークなのは認めよう」
「では失礼しますね……えっと、きみは?」
「橘、人の名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀だ」
「あっ、そうでしたね。こほん。私は三年Aクラス、橘
「同じく三年Aクラス、堀北学だ」
池たちが居なくなったこの状態でも、堀北学はオレとの初対面を装いたいらしい。そのことを察知し、敬語を使う。
「はじめまして。一年Dクラス、綾小路清隆です」
俺の目の前に堀北学が、彼の隣に橘先輩が椅子に座り、昼食を食べ始める。
流石と言うべきか、どちらも所作がとても美しい。教育が行き届いている証拠だ。
それよりも……気になることがあった。女性故に少量の昼食ですぐに食べ終えた橘先輩に質問をする。池の忠言を元に言葉遣いを丁寧にすることを忘れない。
「先輩方はどうしてここに?」
「……? 食堂でお昼を過ごすのは普通だと思いますけど……」
「すみません、質問が悪かったですね。どうしてこんな中途半端な時間にやって来たんですか?」
食堂の壁に掛けられている時計を一瞥すると、時間はかなり差し迫っていた。あと二十分もすれば昼休みは終了し、五時限目が始まる。
堀北学たちが食堂に着いたのは恐らく四、五分前といったところだろう。
この時間帯に食堂を利用し始める生徒は少ない。大半の生徒はあっという間に昼食を食べ終え、時間ギリギリまで談笑するのが常だ。
純粋に気になって聞いたのだが、橘先輩は僅かに顔を
「実は先週末から、生徒会の仕事が増えていまして。というのも……」
「お前のクラスメイトが『暴力事件』を起こしたことは知っているだろう。その対処に追われている」
「それは……すみません」
「いえ、綾小路くんが問題を起こしたわけではありませんから」
気にしないで下さいと、安心させるかのように橘先輩は言ってくれた。
もっと堅苦しい人だと思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。多分、仕事の時は自分の中でオンオフをしっかりと区別しているのだろう。
「それにしても……生徒間での
「学校を巻き込んだものとなるとかなり久しいだろう」
「こういった問題事にも生徒会が介入するんですか?」
「そうですね。とはいえ、どれだけ深刻な問題なのかも関わってきますが。具体的には──」
「橘、それ以上は口にするな」
「ご、ごめんなさい……」
小さな肩を震わせ傅く橘先輩。当たり前と言うべきか、堀北学の方が立場は上なようだ。
「さっきから気になっていたんですけど……オレがDクラスだからといって、先輩方はオレを『不良品』だと馬鹿にしないんですね」
「私も堀北くんも、所属クラスがどこであろうとそのようなことはしません!」
とんでもない! と言った具合に口調を荒らげる橘先輩。
数秒後、落ち着きを取り戻した彼女は諭すように言った。
「A、B、C、D。この学校は実力至上主義の理念を掲げています。それに当て
橘先輩の言葉を『不良品』と言って馬鹿にしてくる一年の奴らに聞かせたい。
お手洗いに行ってきますね、そう言い残し、彼女はトイレの向かった。
いつしか食堂に残っている生徒はごく少数となっていた。昼休み終了も近い。
「橘先輩、良い
「彼女は俺が最も信頼出来る人間だ」
「付き合っているのか?」
冗談でそう言ったら無言で睨まれた。妹もそんな感じで相手を威圧するぞ……。
「それで、何でわざわざオレの所に来たんだ?」
朝の一件は偶然だが、流石に今回もそれとは思えない。
「俺が以前言ったことを覚えているか」
「近々学校中を巻き込む騒動が起こるって話か。あんたの言う通りだったな」
そのことを考えると、橘先輩に強くは言えないと思うんだが。とはいえ、もちろん口には出さないが。
テーブルを挟んで対峙している男は眼鏡のレンズをハンカチで拭きながら、こんなことを尋ねてくる。
「綾小路、お前はどうするつもりだ?」
「……どうする、とは?」
「中間試験のような策がないのかと聞いている」
「さぁな。けどある程度オレの事情を知っているあんたは知っているだろう? 今回オレは──」
「身動き出来ない、か……。いや、その必要性がないと言うべきか?」
「そんな所だ」
「今回の『暴力事件』、正攻法ではとてもじゃないが、Dクラスは完全勝利を摑めないだろう」
「そうでもない。あんたの妹がきっと活躍するだろうさ」
「それこそ有り得ない話だな。鈴音にどうこう対処出来る規模のそれではない。あいつも感じているはずだ」
相変わらず身内に対して厳しい。
「逆にオレからも聞くが、あんたは『答え』を出しているのか?」
「……さてな。仮に俺が『答え』の道筋を告げられると言ったら、綾小路、お前はどうする?」
視線が交錯する。
先に逸らしたのは堀北学の方だった。橘先輩が戻ってきたから、そちらに意識を
「お待たせしました。堀北くん、綾小路くん、授業がもう少しで始まりますから今日はお開きにしましょう」
「ええ。先輩方、今日はありがとうございました。有意義な時間を過ごすことが出来ました」
「私もきみのような後輩と話すことが出来て良かったです。ちょっとした夢だったんですよ」
「そう言えば、以前そのようなことを言っていたな。生徒会に所属していると後輩から畏れられる……だったか」
畏れられているのは生徒会長も同じだと思うから安心して欲しい。
「そうだ、せっかくですし連絡先の交換をしませんか? 何か困ったことがあったら先輩として助けますよ?」
不意に舞い降りた幸運に戸惑ってしまう。
まさかここで先輩の連絡先を貰える機会に恵まれるとは思わなかった。
上級生との接点は出来るだけ持っておいた方が良いだろう。生徒会の人間なら尚更だ。
「ぜひお願いします」
「はいっ。──登録終了です」
「そろそろ時間だ、行くぞ橘」
「あっ、待って下さい堀北くん。それでは綾小路くん、また機会があったら」
先に出口に向かう堀北学を追い掛ける橘先輩。
「堀北くんは綾小路くんと連絡先、交換しなくて良かったんですか?」
「必要ない」
あの二人仲が良いな。
正直に言うと、堀北学にあんなにも親しい異性が居るとは思わなかった。
どうやら兄は、交友関係の意味でも妹を軽々と
さて、オレも早く教室に戻るか。
五時限目は日本史で、担任の茶柱先生が教科担任だ。遅刻しようものなら朝の一件が蒸し返されてしまう。
眠気を我慢して戦いの場に赴くとしよう。
氏名 櫛田桔梗
クラス 一年D組
部活動 無所属
誕生日 一月二十三日
─評価─
学力 B
知性 B
判断力 B-
身体能力 B
協調性 A
─面接官からのコメント─
学力、身体能力共にBクラス相当。彼女が卒業した学校の教師からの心象評価も極めて高い。
同級生に限らず、上級生、下級生にも仲が良い友人が居たことから、ずば抜けたコミュニケーション能力の持ち主である。面接では満点を取り、度肝を抜かされた。
正直な気持ちを述べると、善意の塊としか思えなかった。
Bクラス配属予定だったが、別途資料による事実を憂慮し、Dクラスに配属する。担任はしっかりと見守るように。
─担任からのコメント─
入学するや否やクラスの人気者となり、男女共に好かれています。中には『櫛田エル親衛隊』といったものが出来るくらいであり、Dクラス内では女神として敬われています。
さぞかし楽しい学校生活を送っていることでしょう。
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
-
綾小路清隆
-
堀北鈴音
-
平田洋介
-
櫛田桔梗
-
須藤健
-
松下千秋
-
王美雨
-
池寛治
-
山内春樹
-
高円寺六助
-
軽井沢恵
-
佐倉愛里
-
上記以外の生徒