タイムリミットまであと四日を切った、一週間の終わりを告げる金曜日。
明日から学校は二日間の休みに入る為、さらなる目撃者を捜すにしても今日が限界だろう。
ちなみにどうでも良いことだが、高度育成高等学校に建てられている寮は、合計四つだ。
そのうち三つは学生寮で、学年別に分けられている。なお、寮の部屋は学校のクラス替えがないのと同様に、三年間継続して使用することになる。オレたち一年生に割り当てられている寮は、去年の三年生が使用していたものだ。
残りの一つは教師たちやショッピングモールなどで働く、住み込みの従業員が暮らす寮だ。
朝、
「あの門の先には地獄が待っているのか……」
「あはは……
「苦手というか……どうにも慣れないな。ほら、学校には冷房が完備されているだろ? だから余計、ギャップにやられるというか」
「分かるよ。
洋介の共感を得られたことで嬉しくなる。
些細なことでも誰かに支持されるということは、なかなか、気分が
緩みそうになる頬を理性で堪えていると、ついこの前友人になった少女の声が聞こえてきた。
発生源は、寮の管理人が
「──ありがとうございます。よろしくお願いします」
声の主は、一年B組のリーダー、
彼女の美しいストロベリーブロンドのロングヘアーが窓から射し込む
堂々と背筋を伸ばして直立するその姿は、男女を問わず魅了していた。
朝から良いものを見たと、自分の幸運の高さに感謝していると、なんと、彼女はオレと洋介の元に近付いてきた。
「おっはよー、
くっ……! ま、
「おはよう、一之瀬さん」
さ、流石は平田洋介……! これくらいでは動揺しないのか……!?
ただただオレが圧倒されていると、一之瀬と洋介が
とはいえ、オレもここ最近は様々な人と関係を築いている。だから辛うじて普通に返せた。
「おはよう、一之瀬」
「うん、おはようっ。いやー、今日もあの先は暑いだろうねー」
一之瀬も暑さを想像したのか、苦笑いを
「ちょうど良かった。実は昨日、作戦通り、
「櫛田さんなら適役だよね。それで、どうだったのかな?」
「残念なことに──」
「平田くーん!」
洋介の台詞がどこからか飛ばされた声によって遮られる。この猫被りの無駄に可愛らしい
そこにはやはりというか、洋介の交際相手である
どうにもオレは、彼女のようなタイプが苦手だ。少なくとも、自分から積極的に交流を持とうとは思えない。
「おはよう、平田くん、一之瀬さん。あとついでに綾小路くんも」
まさか
貴重な体験を浴びていると、一之瀬が同情の眼差しをオレに送ってきた。泣きたくなるからやめて欲しい。
「ねぇねぇ、平田くん。一緒に学校行こうよ!」
「もちろんだよ軽井沢さん。けどちょっと待ってくれないかな。実は一之瀬さんとは協力関係にあってね、今は昨日の
流石は先導者。頼み方がとても上手い。
自分のクラスの問題に直結するのならばと、軽井沢は渋々ながらも頷いた──かのように思われた。
そこでDクラスの
「だったら綾小路くんでも出来るでしょ。一之瀬さんも問題ないよね?」
「私としては情報が入手出来たらそれで良いけど……」
「ほらね? いくら綾小路くんでも、このくらいなら出来るだろうしさ」
確かにその通りなんだが、もうちょっと言い方を良くして欲しい。
しかも軽井沢の言い分もある程度は正しいところがイヤらしい。もっとバカだと思っていたが、意外にも頭の回転は悪くないようだ。
「いや、でも……それは……」
心の中で
──……仕方ない。ここはオレが折れるとするか。
別に、女王の睨みが怖いわけじゃない。
「あー、オレに構わず、洋介は軽井沢との時間を大切にしてくれ」
「流石、分かってるー。綾小路くんもこう言ってくれていることだしさ。行こうよ平田くん」
洋介は数秒悩む素振りを見せてから、やがておもむろに頷いた。
「……それじゃあ清隆くん、お言葉に甘えさせて貰って良いかな」
「ああ」
「ごめんね。また学校で会おう」
「じゃあねー」
軽井沢は洋介の左腕に抱き付き、そのまま学校へと引っ張っていく。軽井沢洋介のカップルは誰から見ても
いつもはあんなにも頼り
彼らの去っていく背中をぼんやりと眺めていると、一之瀬がわざとらしく咳払いを一つした。
「えーと、それじゃあ私たちも行こうか?」
「……オレが居て良いのか?」
「もちろんだよ。話もあるし……何より、綾小路くん。きみ今、全身から負のオーラが出ているから……」
「…………そんなにか?」
「……うん」
言いづらそうに告げる一之瀬。
彼女の言う通り、人間不信一歩手前の状態だった。危ない危ない。
それにしても、良い奴にも程がある。
心の中で彼女を
オレは
寮から出て並木道を通る。やっぱり暑い。
オレは彼女の斜め後ろを歩きながら、佐倉について話すことに決めた。
「さて、半ば強制的に任されたとはいえ、使命は果たすか。どこから話したら──」
「おはよう一之瀬委員長〜」
悩んでいると、後方から二人の男子生徒が一之瀬に声を掛け、抜き去って行った。そのうち一人の男子はオレを睨み付けていった。
まぁ気持ちは分かるから怒ったりはしない。
それよりも気になることがあった。
「前々から思っていたんだが、どうして一之瀬は『委員長』って呼ばれているんだ?」
素朴な疑問に一之瀬はあっけらかんと答える。
「私学級委員長やってるからその関係かな。ちょっと恥ずかしいけどね。さっきはその仕事で、管理人さんに寮の部屋の要望を纏めた紙を提出していたの」
「なるほど……って、いや違う。『学級委員長』なんて役職があるのか? オレたちのクラスにはそんなもの……」
もしかして、Dクラス以外のクラスはそういったシステムがあるのかと
普通なら驚くべきことなのだろうが、うちの担任なら忘れていた、なんてことも充分に起こり得るだろう。
そんなオレの危惧を、一之瀬は「違う違う」と片手を横に振った。
「Bクラスが勝手に作っただけだよ。役職が予め決まっていると楽じゃない?」
「確かに、何かあった時は助かるな。他にもあるのか?」
「うん。『学級委員長』に『副学級委員長』、『書記』とかかなー。まぁやっぱり、あくまでも形式的なものだから、実際にやっているわけじゃないけどね」
それでも有事の際は、彼らは一之瀬に協力するだろう。
彼女は多分、全て理解しているのだ。
他者が自分に求めているその有様を。
そんな一之瀬帆波だからこそ、Bクラスの生徒は彼女を信頼しているのだろう。
「──さて。それじゃあ話してくれないかな? 昨日の顛末を」
一之瀬に説明する。
昨日の放課後、櫛田が佐倉に接触したこと。しかしやはりというか佐倉はコミュニケーションが苦手で、櫛田であっても説得に失敗し、逃げられてしまったこと。
全てを聞き終えた一之瀬は、淡々と事実を再確認してくる。
「ふーん……じゃあやっぱり、佐倉さんからの態度からして、彼女が目撃者なんだね」
「さぁどうだろうな。櫛田が怖くて逃げたって線もあるぞ」
「にゃはははー……確かに綾小路くんの推測も、完全には的外れじゃないよね。けどなあ、主観的にそれはないと思うよ」
だろうな、とは思っても口にはしない。
学校に近付けば近付く程、登校中の生徒も多くなる。彼ら彼女らは一之瀬の姿を視界に収めると、彼女に声を掛けていった。
Bクラスだけでなく、そこには他クラスの生徒や上級生だと思われる生徒もあった。
どこかデジャブ感を抱えながら、オレは黙々と一之瀬に付いていく。
一通り生徒の群れを
「
さっそく動いてくれたのか。
オレは一之瀬に感謝しつつフォローする。
「いや、最悪月曜日までに稼働してくれたら良い。むしろ早いな。てっきりもうちょっと掛かると思っていた」
「ううん、すぐに作れるよ。綾小路くん、機械に弱い?」
「あー……どうだろうな。一通りの操作は出来ると思うが」
「なら出来ると思うよ。けどきみのその気持ちも分かるかな。新しいことに挑戦するのは勇気がいるよね。それで悩むこともある」
ちょっと意外だ。
てっきり一之瀬はどんなことにも全力投球する女性だとばかり思っていた。
そこまで考え苦笑する。
会ってまだ数日の人間に、オレはどうして勝手な評価をしていたんだか。悪癖だな、これは。
「もし困ったことがあれば、オレで良ければ相談に乗るぞ。クラスメイトだと話せないこともあるだろうしな」
とはいえ、相談されるとは思ってない。一之瀬なら自分で対処するだろうしその能力があるだろう。
ところが、彼女はこう言った。
「ならさ、お言葉に甘えても良いかな? 実は聞きたいことがあるの」
まさかの展開だ。
自分から面倒事に首を突っ込むなんて……! 数秒前の自分を殴り飛ばしたい
「……力になれるかは分からないが、それでも良いなら」
「うん。綾小路くんって、どうやって
「……は?」
思わず聞き返したオレは悪くないだろう。
それだけ、一之瀬が尋ねてきたことは衝撃的だったのだ。いやいや、確かに相談に乗るとは言ったが、まさか恋愛相談なのか?
というかそれ以前に……。
「オレと椎名は付き合ってない」
「えっ、そうなの? あんなに仲が良いのに?」
「このやり取り何回目になるんだろうなあ……。兎も角、本当に付き合ってないから」
「そうなんだ……。じゃあ次の質問なんだけど、女の子に告白されたことってある?」
「…………は?」
またもや聞き返したオレは悪くないだろう。
どうにも話の本筋が摑めないというか……。
だが質問されたからには答える必要があるのも事実。
「いや、ないが……」
あれ、おかしいな。視界が
オレの全身から出る
ブレザーの袖で目元を拭ってから、今度はこちらから問い掛ける。
「もしかして、誰か好きな人が居て、告白したいのか? でもどうしてオレに……?」
とてもじゃないが、出会って数日の異性に相談することじゃない。
それこそクラスメイトなり親しい友人に相談するのが普通なんじゃ?
勝手に話を進めようとするオレを、一之瀬は慌てて止めた。
「違うの。確かに綾小路くんの想像通り、恋愛相談になるんだけどね。実は私、告白されるみたいなの」
『みたいなの』って随分と他人事のように言うな。
いや、それはオレの邪推か。
一之瀬も戸惑っているのだろう。そして多分、告白してくるであろう男は……。
「Bクラスの生徒か……」
「あちゃー、やっぱり分かっちゃうかー……」
「それで、一之瀬はどうしたいんだ?」
「……それは、その……」
顔を俯かせる一之瀬に、オレは強引にでも尋ねる。
「告白される日はいつなんだ?」
「今日の放課後、体育館裏って書かれてあったけど……」
かなり急だな。もし一之瀬に用事があったらその男はどうするつもりだったんだろう。
そんなことを疑問に思ったが、まぁそこはどうでも良い。
「──昼休み」
「えっ?」
「一之瀬がもし良ければ、本格的に相談に乗ろうと思う。時間、空いているか?」
「……良いの? 相談しておいてなんだけど、これってかなり面倒事だよ?」
「頼み事をしたからな、借りを返す……とまでは流石にいかないが。どうだ?」
一之瀬は迷っていたようだった。
しかし、自分が頼れる相手はオレ以外に居ないということに気付いたのか、顔を上げて言う。
「頼んでも良いかな」
「分かった。そうだな……教室や食堂じゃ目立つだろうから、昼食後、告白される場所の体育館裏に集合で良いか?」
「うん。詳しくはメールでやり取りするね」
校門を通過し、昇降口玄関で一之瀬と別れる。
オレは廊下を渡りながら、ひと知れずため息を吐いてしまう。まさか自分から面倒事を抱えるなんて……。
教室に入り自分の席に座ると、挨拶に来てくれた櫛田が心配そうに視線を送ってきた。
「綾小路くん、どうかしたの? 疲れた顔をしているけど……」
「……いや、何でもない……」
「なら良いけど……何かあったら相談してね」
にこやかに微笑んでから、櫛田は他の友達の所に行った。次に、当たり前というか、先に教室に着いていた洋介がオレに声を掛けてくる。
「さっきはごめん清隆くん──って、どうしたんだい? 随分と疲れた顔をしているけど……」
「……いや、何でもない……。それとさっきのことは気にしないでくれ」
「う、うん……。何かあったら相談してくれると嬉しい。僕たちは友達だからね」
にこやかに微笑んでから、洋介は自分の席に戻って行った。
櫛田といい、洋介といい……善人にも程があるだろ。
どうしたら自分からそのように言えるのか、凄いと言うより怖い。
「はあ──」
「うるさいわよ」
隣人から厳しい視線が飛んできた。
「はい、ごめんなさい」
すぐに謝る。隣人は最後にもうひと睨み利かせてから、読書へと意識を戻した。
悪いのはオレだからな、逆ギレなんてしない。
兎にも角にも、自分で言った言葉には責任を持たないといけないだろう。実際問題、恋愛なんてしたことがないオレが力になれるかは自分でも甚だ疑問だが、友人のためだ、ベストを尽くすとしよう。
「それでは本日の授業はここまで。週末となり明日は休みになるが、予習復習は忘れないように」
「「「ありがとうございました」」」
四時限目が終わった。
オレは昼食に誘いに来てくれた
「調子でも悪いのか? 顔色悪いぜ?」
「……まぁそんなものだ。悪いな」
「気にすんなよ」
須藤に申し訳なさを感じつつ、オレは一之瀬との待ち合わせ場所──体育館裏へと足を運ぶ。
別にオレが告白されるわけではないんだけどな。どうにもそわそわしてしまう。
──もしかして、これが恋?
そんな冗談はさておいて、オレはあることを
この学校には二つの体育館があるのだが、いったいどっちに行けば良いんだろう?
一之瀬に確認してみると、第二体育館とのことだった。連絡先を交換しておいて良かったとしみじみ思う。
綺麗な
ちょっとの角度で映る景色が様変わりする。
数回シャッター音を無人の体育館裏に響かせていると、遠くから人の気配を知覚した。
「綾小路くん。待った?」
ここは素直に事実を告げるべきところか? いやでも、小説だと別のことを言っていたような気が……。
直感に従い、オレは言う。
「いや、今来たところだ。それにしても、随分と早かったな。もう少し掛かると思っていた」
「あはは……ご飯が喉を通らなくてね。ごめんね、待たせちゃった」
これ以上、大丈夫だと告げてもこのやり取りはずっと続くかもしれない。
昼休みの時間は有限だ。
雑談するにしても、今は問題を片付けるべき。
一之瀬もそれは分かっているのか、懐から一枚の手紙を取り出すと見せてきた。
「見ても良いのか?」
「うん……。相手の子には申し訳なく思うけどね、実際に見て貰った方が良いと思うから」
そういうことならと、オレはしっかりと手紙を見る。
可愛いシールが貼られた、可愛らしいラブレターだ。これを男がと一瞬不思議に思ったが、人の価値観は千差万別。気を取り直し拝読する。
油性のボールペンで書かれたと思われる黒の軌跡を目で追う。
四月、入学してからずっと気になっていたこと。最近自身の想いに気付き、告白する勇気を持ったこと。
どこまでも
一之瀬に礼を言ってから、ラブレターを返す。
「私……恋愛には
「告白のことは秘密にしたいんだよな?」
「うん。同じクラスの子だからというのもあるけど、やっぱり当事者以外には知られたくないかな……」
自嘲する一之瀬。
オレはそんな彼女を見て、ふと疑問が湧いた。
「失礼かもしれないが、一之瀬は告白慣れしているんじゃないか?」
「えっ!? や、全然だよ! これまでの人生、そんな経験は一度もないよ。だからこうして綾小路くんに助けを求めているんだし」
衝撃の事実。
こうして一之瀬に相談されなかったら信じられなかっただろう。
ルックスは最高だし、性格も良い。
普通なら
「私なりに調べてみたんだけどね。『付き合っている人がいる』か、『好きな人がいる』って状況が一番良いんだって。そうすればあまり傷付けずに済むって、ネットに書いてあったんだけど……」
「後者は兎も角として、前者は嘘がバレたら最悪の展開になるだろうからやめた方が良いと思う」
「だ、だよね……」
互いに黙り込む。
ダメだな、さっきから一之瀬の意見を否定していて、相談役らしいことは何も出来ていない。
「悪いが、もう一度手紙、見せてくれないか?」
「えっ? うん、大丈だよ」
手紙を受け取り、改めて文章を読む。
これでも趣味が読書なのだ、相手の心情くらいは読み取れる……と思いたい。
何度も目を通す。
──あなたが好きです。
──付き合ってくれませんか。
分かることは、差出人の男性が一之瀬帆波という女性を好いていて、告白したこと。
そして、その想いは本物だということだ。
オレはしっかりと一之瀬の目を見て、静かに口を開いた。
「一之瀬。恋愛経験ゼロのオレが『何を偉そうなことを』と思うだろうし、何ならオレでもそう思う。だがやっぱり、断るならしっかりと断った方が良いと思うぞ。どんな理由を言ったところで、大なり小なり、相手を傷付けてしまうからな」
「で、でも──」
「それに、文面いっぱいまで書かれたこの文字。多分、お前に告白した相手は何度も何度も失敗しては、挑戦したんだと思う。今の時代、印刷だって出来る。これだけの文字数だ、書くのは面倒だろう。だがこいつは手書きで書いている。──告白って、とても勇気がいるものだと、オレは思う。『好き』って言葉がどれだけ言うのが難しいのか、それは一之瀬にだって分かるはずだ。敢えてキツい言い方をするが、お前はどこまでも真摯なこの想いに、正面から向き合わないのか?」
「……!」
オレの言葉に、一之瀬は息を呑んだ。
まさかオレがここまで言うとは思ってなかったんだろう。いやまあ、オレ自身そう思っているのだが。
ラブレターを彼女に返し、オレは続けて言った。
「もちろん、一之瀬がどんな対応をしようとそれは自由だし、責めるつもりも毛頭ない。さっき言ってた作戦も、仮初の意中の相手をオレにしてくれたって構わない。その上で聞く。──どうする?」
顔を俯かせ、一之瀬は悩み始める。
オレの言うべきこと……言いたいことは全て彼女に伝えた。彼女に言ったことは虚言ではない。
ベタな展開だが偽りのカップルを装っても構わないし、もしそうなっても、オレが一之瀬を振れば良い。
そうすれば彼女が受けるダメージは無いだろう。
まぁその場合、オレが悪目立ちをしてしまうが……彼女を助けると言ったのはオレ自身。これくらいなら甘んじて受け入れるべきだ。
昼休み終了まで七分を切った。そろそろ答えてくれないと五時限目に遅刻してしまう。
オレが一之瀬、と呼ぶより前に、彼女は俯かせていた顔を上げた。
そして言う。
「──私が間違ってた。
「傲慢は言い過ぎ──って、ちょっと待ってくれ。……なぁ一之瀬、差し支えなければ教えて欲しいんだが、千尋ってひとは男なんだよな?」
「……? 千尋ちゃんは女の子だよ。それがどうしたの?」
「いや、何でもない」
なるほど、全て理解した。
思えば、おかしい点は多々あった。可愛いシールに、可愛らしいラブレター。そして極め付きは、男にしてはやたら綺麗な字。もちろん男でも字を綺麗に書く人間は五万といるが、それを遥かに超えていた。
オレは同性愛者だろうと偏見の目では見たりしない。
だってそうだろう。
愛の形は人それぞれ。そこに間違いなどあるはずがないのだから。
「放課後の四時だったよな。もし良ければ近くで待っていようか?」
オレの申し出に、けれど一之瀬は軽く首を横に振る。
「ううん。これ以上綾小路くんを巻き込めないよ。それに、椎名さんとの時間を邪魔しちゃ悪いしね」
「いや、だからオレたちは付き合ってないんだが」
「もちろん分かってるよ。だけど本当に大丈夫だから」
「そっか」
ならばもう、オレの出る幕はない。
第二体育館裏から校舎に移動する。
「それじゃあ、私はここで別れるね」
「ああ。オレが言うのもなんだけど頑張ってくれ」
「うんっ」
一之瀬はオレに笑顔を見せてから、自分のクラスに向かった。
本当はもうちょっと感傷に浸りたかったが、そうも言ってられない。もうすぐ授業が始まる。
無人に等しい廊下を急いで渡り、自分の教室に駆け込む。五時限目の教科は英語だ。
教科担任の
代わりに、クラスメイトからの呆れた視線がオレに寄せられる。
「おっせーぞ、綾小路〜」
「ほらほら、早く座んないと授業始まるぞ〜」
池と山内が笑いながら言ってくる。
オレはぎこちなく笑い返してから、自分の席へと光の速さで移動した。
幸い、参考者やノートは机の引き出しに入れておいた為、準備は既にしてあるも同然。
時計を確認すると、授業開始三十秒前だった。
「あなた、何をしていたの?」
「保健室に行ってたんだ。体調が悪くてな」
「確かに、気分が優れなさそうだったものね」
朝からのオレの異変を、当然、隣人の
興味が尽きたのか、堀北は意識をオレから外したようだった。
次の瞬間、校舎に始業のチャイムが鳴り響く。
「起立」
「「「お願いします」」」
一礼してから席に座る。
一之瀬の依頼は解決したと判断しても問題ないだろう。
オレが出来ることはした。
あとの問題は彼女たちのもの。オレが出来ることはもう何も無い。
真嶋先生がホワイトボードに書き込んでいく英語の構文をノートに写していると、オレは強烈な空腹を覚えた。
「……腹減ったな……」
とはいえ、力尽きるわけにはいかない。
何故なら隣には、正義の
オレは五時限目、六時限目と断続的に襲い掛かる空腹感と戦い、なんとか勝つことに成功したのであった。
金曜日の夜とは学生だけに限らず、多くの人間の味方だ。
椅子の背もたれに体重を預けながら、携帯端末を操作する。プリインストールされているアプリを起動させ、目当てのウィンドウを開く。
それは、生徒なら誰もが利用出来る学校公認の掲示板だった。
そこには一件の書き込みがあった。
先週起こった『暴力事件』の目撃者及び情報提供を求めている。もちろん匿名で書き込むことも可能で、情報の質によってはポイントを支払うとも書かれている。
これこそが、オレが一之瀬帆波に依頼したことに他ならない。
もちろん、オレ独自でも作ることは可能だ。
だが大半の生徒は、Dクラスの生徒はプライベートポイントに枯渇しているものだと思っている。
そんな中で、ポイントが無いはずのDクラスの人間が、『情報によってはポイントを払います』なんて言っても意味は無い。気味悪がられるだけだ。
それに比べ、Bクラスが作ったらそのような感情は抱かないだろう。ましてや作ったのは一之瀬帆波。疑う余地は無い。
そして送られた情報は、オレと一之瀬の共通のボックスに送られる手筈になっている。
これが彼女に頼んだものの一つ。もう一つは、同じ内容が書かれた貼り紙を、校舎内の掲示板に貼ってもらうこと。
これには少々の時間が掛かってしまうが問題ない。月曜日までに用意して貰えればそれで良い。
今回、この方法を提案したのは一之瀬ではなくオレだ。ここで一つ、実験をしておきたい。
端末をぼんやりと眺めていると、電話が入った。
着信欄には、
困惑しながら、けれど通知をオンにする。
「もしもし──」
「も、もしもしっ」
一度聞いただけで分かる。緊張度合いが凄い。
まぁみーちゃんの性格を考えれば、異性相手に自分から電話するとはあんまり思えないからな。
「落ち着いてくれ、みーちゃん。どうしたんだ?」
「夜遅くにごめんなさい。その……綾小路くんに相談があって……」
思わず天井を仰ぎ見たオレは悪くない。
マジかよ……心の中で嘆息する。
沈黙していると、みーちゃんが泣きそうになっているのが息の調子から分かった。
「ダメだったかな……?」
「いや全然。それで相談って?」
「あっ、うん。えっと……私昨日、佐倉さんのデジカメを壊しちゃったから……。その責任を取りたいんです」
確かに、みーちゃんと佐倉がぶつかったのは紛れもない事実だし、その結果、デジカメは床に落下、故障してしまった。
「みーちゃんの気持ちは分からなくはない。だが、大事なものならもう修理に出しているんじゃないか?」
佐倉はそれはもうショックを受けていたからな。
自分の趣味を再開させるためにも、店に行って修理申請している可能性は高いだろう。
そんな予想はあっさりと打ち砕かれた。
「話を聞いてみたんですが……その、まだ行ってないみたいです。理由は──」
「確かにこう言っちゃ佐倉に悪いが、一人で行けるとは思えないな。あぁなるほど、それでみーちゃんが申し出たんだな?」
「うん。綾小路くんには前々から相談していましたが、佐倉さんとは友達になりたくて。これを機会にって思ったんです。櫛田さんも罪悪感は覚えていましたが、私が無理を言って代わって貰いました」
それなら納得もつく。
だが他に気になる点があった。
「それでどうしてオレにもその話を?」
「自分勝手なお願いをすると……綾小路くんにも同伴して貰えないかなと思って……」
「いや、それは構わないが……男のオレが居ても良いのか? 佐倉は人見知りだから、オレが居ても……」
「もちろん理由はあります。まずだけど、佐倉さんが綾小路くんを指名しました。この理由は教えて貰えなかったんですけどね。次にこれが一番重要なんですが──店員さんが怖いんだそうです」
店員が怖い?
何だそれはと聞きそうになって、冷静に考える。
佐倉愛里は大人しめの性格で、コミュニケーションも苦手な部類に入る女性なのはもう既に分かっている。
だが彼女はオレの見立てでは、何か切っ掛けがあれば変わり始めるだろうとも思っている。
オレがコールドリーディングを使ったから、というのもあるが、それでも彼女はある程度の会話は出来ていた。
ましてや、完全に人との接点を断つことは絶対に不可能だ。
いくらなんでも、一人での買い物くらいは出来るだろう。ましてや店員が怖いなんて──そこまで考え、オレは一つの考えに至った。
「その店員は男なのか?」
「そうみたいです。佐倉さんがデジカメを買いに行った時、対応した一人の男の店員さんが怖かったらしくて……」
「分かった。いつ行くことになっているんだ?」
「
となると日曜日か。
予定は特に無し。行けるだろう。
「行けるぞ」
「うんっ、本当にありがとうっ。あっ、それじゃあ切りますね。夜遅くにごめんなさい」
「気にしないでくれ。おやすみ」
「おやすみなさい」
通話が終了する。
佐倉がどうしてオレを指名したかは分からない。あの短い時間で、本当にオレのことを『無害』だと信じ込んでいるのかもしれないし、他の理由があるのかもしれない。
風呂の準備をしていると、本日二度目の電話が入った。
着信欄には、櫛田
「もしもし──」
「もしもし綾小路くん。今時間良い?」
「風呂の湯を沸かしているから、それまでだったら良いぞ」
「うん。みーちゃんから聞いたと思うけど、明後日お願いしても良いかな?」
「それは大丈夫だが……櫛田は来ないんだな」
不思議に思ったのでそう尋ねると、彼女は一度笑ってから言った。
「みーちゃんにどうしてもってお願いされたからね。それに応えるのは友達として当然だよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものだよ。──どう、綾小路くん。少しは他人に興味を持った?」
『表』から一転、『裏』の顔に切り替わる櫛田。
「さあ、自分だとイマイチよく分からないな。それより良いのか? 電話越しとはいえ、その顔をオレに見せて。いや、この場合はその声を聞かせての方が正しいか」
「部屋には私しか居ないしね。あっ、それともそっちには誰か居る?」
「逆に聞くが居ると思うか?」
「まさか」
容赦ない
櫛田は魔女のように笑ってから、『表』に戻して忠告してきた。
「みーちゃんと佐倉さんのことよろしくね? 二人ともコミュニケーションが苦手だから。綾小路くんから話題を振るんだよ?」
「……善処します」
「あはは、また今度話聞かせてね。それじゃあ綾小路くん、良い週末を。おやすみー」
おやすみ、と返す前に通話は途切れた。
ここ最近櫛田のオレに対する扱いが雑になっている気がする。気の所為か? ……気の所為だと思うことにしよう。
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
-
綾小路清隆
-
堀北鈴音
-
平田洋介
-
櫛田桔梗
-
須藤健
-
松下千秋
-
王美雨
-
池寛治
-
山内春樹
-
高円寺六助
-
軽井沢恵
-
佐倉愛里
-
上記以外の生徒