ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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魔女

 

 タイムリミットまであと二日を切った、休日二日目の日曜日。

 オレは一人、ケヤキモールへ足を運んでいた。休日は平生(へいぜい)、寮の部屋にこもり怠惰(たいだ)な日々を過ごしているオレからしたらこの場所はどうにも慣れない。

 まあ、友達付き合いで何回か来てはいるから、そこまで怯えているわけではないが。

 みーちゃんと佐倉(さくら)が指定した時間帯は午後だった。休日なのに早起きするのはなるべく控えたい性分だから助かる。

 集合場所に到着したのは良いが、ケヤキモールのどこで会うのかは決めていなかった。とはいえ、すれ違うことはまずないだろう。

 学校から支給されている携帯端末は、友達登録をしていると自分の位置情報や友達の位置情報を確認することが出来る機能がある。

 もちろん、非表示にすることも可能だが……どうしてこんな機能をと、首を傾げてしまう。下手したらストーカーが生まれてしまうだろう。

 実際、オレの友人がやっていたしな……。誰がとは言わないし、もちろんやめさせたが。

 まずはみーちゃんと合流するのがベストだろう。オレは佐倉の連絡先を知らないからな。

 待ちながら本でも読むかと思い、近くの、連なっているベンチに腰掛ける。片方はオレと同じように待ち合わせの約束でもしているのか埋まっていて、何やら携帯端末を操作していた。

 流石は現役高校生。

 結局、今日のこの時間に至るまで佐倉愛里(あいり)以外の目撃者Xは現れなかった。これだけ動いたのだ、恐らく、Xは彼女しか居ないのだろう。

 一之瀬(いちのせ)に作って貰った掲示板にも、Xの証言は無かった。だが有益な情報が投稿されなかったわけではない。

 結局のところはオレも現役高校生。文庫本を閉じ鞄に入れてから、オレは携帯端末を操作する。そして一之瀬帆波(ほなみ)と共有のボックスを開いた。

 そこには数々の情報があった。中にはポイントを支払っても良いと思える程のものも。

 例えば『暴力事件』に関わっている生徒の一人、Cクラスの石崎(いしざき)。彼は中学時代、学校を代表する不良だったらしく、喧嘩の腕も結構立つそうだ。地元じゃ恐れられていたのだろう。そして現在は『王』の下僕(げぼく)か。皮肉なもんだ。

 匿名での書き込みだったが、かなり質が良かったので、既にポイントは送金してある。名目上は一之瀬が送っているが、そのポイントの本当の持ち主だったのはオレだ。

 ベンチに腰を下ろすこと数分、みーちゃんが登場した。

 可愛らしい私服姿だ。オレが彼女の想い人だったら良かったんだが、済まないみーちゃん。オレは洋介(ようすけ)じゃない。

 急いで来たのか、彼女の呼吸は少し荒れていた。……いや、それだけじゃないな。恐らく、異性と休日に会うことに緊張しているのだろう。

 

「お、おはようっ!」

 

「おはよう、みーちゃん」

 

「ごめんなさい、待たせちゃいましたよね?」

 

 このやり取りは一昨日、一之瀬と行った。

 

「気にしないでくれ。佐倉だって来てないし……」

 

「えっ?」

 

「……えっ?」

 

 そう言うと、みーちゃんは不思議そうに首を傾げる。

 ……話が微妙に噛み合ってないな。

 彼女は自身の携帯端末を操作して、二秒程じっくりと見てから、オレに言った。

 

「佐倉さんなら、すぐそこに……」

 

 みーちゃんが指差したのは、オレ……ではもちろんなく、隣のベンチだった。

 まさかと思い慌ててそちらに顔を振り向かせると、隣で座っていた人物は、気まずそうに会釈(えしゃく)をしてくる。

 叫ばなかったのは奇跡に等しいだろう。自分を褒めたいところだ。

 

「ごめんね……影薄くて……。こんにちは……」

 

「いや、謝らないでくれ。謝るのは寧ろオレだ。悪いな、存在は認識していたんだが……」

 

「あ、綾小路(あやのこうじ)くん……それはフォローになってないです……」

 

 しまった、動揺しておかしなことを口走(くちばし)ってしまった。

 これは怒られても文句は言えないが、だが一つだけ言い訳をさせて欲しい。

 佐倉は帽子を目深(まぶか)に被っていて、しかも顔をすっぽりと覆う白マスクを装着していたのだ。彼女だと判別出来る要素といえば、鮮やかな桃色のツインテールのみ。仕方ない仕方ない。

 自己正当化していると、彼女はマスクを外してから自虐(じぎゃく)する。

 

「この恰好(かっこう)……不審者っぽいですよね……」

 

「不審者っていうか、なんて言うか……。風邪でも引いたのか?」

 

「だ、だったら今日は休んだ方が……」

 

 実際、佐倉の顔色はすこぶる悪い。

 血の気が引くなんて表現がよく使われるが、今の彼女の様子はまさにそれだった。

 心配してしまうオレとみーちゃんに、佐倉はわちゃわちゃと大きく手を振って言う。

 

「い、いえ違うんです……! ただその、こうすれば人の視線も集まらないかなと思って……」

 

「残酷なことを言うが、それだとますます集めると思うぞ……」

 

「ですよね……あはは……」

 

 引き()った愛想笑いを浮かべる佐倉。

 ヤバい、これは想像以上だ。先日の、写真について語っていたあの生き生きとした様子はどこにいったんだろうと思ってしまう。

 済まない櫛田(くしだ)。オレのような人間には率先して話題を振るような偉業は達成出来そうにない。

 これは『表』と『裏』両方で罵倒(ばとう)される気がする。そうなったら耐えられないぞ、主にオレの精神が。

 オレがだらだらと嫌な冷や汗を流していると、みーちゃんが意を決したように口を開いた。

 

「そ、それじゃあ行きましょう! ──えっと、デジカメの修理は電気屋さんで良いんですよね?」

 

「そのはずだ。そうだよな?」

 

「あっ、はい……。すみません、こんなことに付き合わせてしまって……」

 

「気しないで下さい。前から私、佐倉さんと友達になりたいと思っていましたから……その、不謹慎(ふきんしん)だけど嬉しいんです」

 

 はにかむみーちゃんに、佐倉は言葉を失ったようだった。躊躇(ためら)いながら、怖々(こわごわ)尋ねる。

 

「……私と、友達ですか……?」

 

「うんっ」

 

 笑顔で即答するみーちゃん。

 佐倉は露骨なまでに戸惑っていた。みーちゃんの言葉が本当か嘘か、判別しようとしているのだろう。

 恐らく佐倉愛里という人間は、これまでの人生において、特別親しい友人が一人も居なかったのではないか。

 だからこそ、差し出される手を摑めない。善意か悪意か、それを確かめる(すべ)を持たないからだ。

 故に、櫛田桔梗(ききょう)の申し出を断ってしまった。もちろん、櫛田が佐倉と友達になりたい気持ちに嘘はないだろう。だが彼女の『表』と『裏』の顔を知っているオレからすれば、どうしても打算的な行動がやや目立ってしまう。

 それが悪いとは言わない。人間とは大なり小なり自分の利益を優先せざるを得ないからだ。

 みーちゃんは言いたいことは言ったのか、ケヤキモールのパンフレットを見て、どこに電気屋があるのかを調べ始める。

 このショッピングモールはかなり大きい為、探すのに苦労しそうだ。案の定、(うな)り始まる。

 デジカメを買った張本人がここに居るのだから聞けば良いのに……と思ってしまうオレは駄目なのだろう。

 だからオレは何も指摘せず、その間に、顔を(うつむ)かせている佐倉に囁く。

 

「みーちゃんは本気で、佐倉と友達になりたいと思っているぞ」

 

「でも……どうして私なんかを……? 私は影が薄いですし、こんな性格です。こんな私と友達になっても、(ワン)さんに良いことなんか……」

 

「そうかな。この前佐倉と話した時、オレは楽しかったぞ。それに──友達になるのに、そんなこじつけの理由なんて欲しいのか?」

 

「……!」

 

「もちろんオレも、佐倉とは友達になりたいと思っている。別に今日答えを出さなくて良い。考えてみてくれ」

 

「うん……」

 

「見付けましたっ。綾小路くん、佐倉さん。こっちですっ!」

 

 パンフレット片手に先行するみーちゃん。

 いつもの大人しい性格はなりを潜めているようだ。もし洋介が軽井沢(かるいざわ)と交際していなかったら、いつもとは違う彼女の姿に悩殺されたのではなかろうか。

 兎にも角にも、まずは電気屋に行くことが任務だ。佐倉が恐れている男性店員がどんな奴なのか、それはまだ判明してないが、充分に注意するとしよう。

 

 

 

§

 

 

 

 ケヤキモールは高度育成高等学校に在籍している生徒が利用することを大前提に作られている。

 学校と提携(ていけい)しているのだろう、全国的にも有名な量販店が設けられている。オレでも知っている店がちらほら目に留まる。

 知らない店も中にはあり知的好奇心が(うず)くが、今はその衝動を抑えなくてはならない。

 

「ここか」

 

「うん、間違いないね。思ったより小さいかな」

 

「もともと、電気屋なんて使う頻度は少ないからな」

 

 それでも、生活するにあたって必要なものは揃えられていると思う。ちらりと商品の一つを一瞥すると、そこにはノートパソコンが売られていた。ポイントは……──Dクラスの生徒じゃ無理だな。

 

「えっと、どこで修理の受付をしているんでしょう?」

 

 みーちゃんがキョロキョロと店内を見渡す。大量に売られている商品の所為で、視界はかなり悪い。

 一番背の高いオレが背伸びして店内を探ると、それらしきカウンターが見えた。

 

「あれじゃないか?」

 

「……すぐに直るかな」

 

 デジカメを両手で握る佐倉は不安そうだった。

 気休め程度の言葉を彼女に言ったところで意味はないだろうと判断し、その代わり、歩く速度を早める。

 (くだん)の男性店員は、見たところ居ないな。居たら佐倉が何らかの反応をするだろうし……。

 勤務していないことを願いながら、カウンターに辿り着く。しかしカウンターには誰も居なかった。

 カウンターの上に置かれてあった呼び鈴をチリンと鳴らすが、店員はなかなかやって来なかった。

 

「──すみません」

 

 女の子が声を大きく出すのは恥ずかしいと思い、代表してオレが客の存在をアピールする。

 

「申し訳ございません、お客様。対応が遅くなり……」

 

 数秒後、裏に通じるであろうと扉から一人の男が現れる。

 みーちゃんが安堵(あんど)の息を吐く中、オレのやや後方に居た佐倉が鋭く息を吸ったのが気配で分かった。

 

 ──まさかこいつか? 

 

 いや、まだ断定は出来ない。

 

「すみません、デジカメが壊れてしまって。修理をお願いしたいんですが」

 

「えぇはい、もちろん承ります。しかしデジカメはどちらに?」

 

 オレがデジカメを持っていないことに、男性店員は怪訝そうな視線を送ってくる。

 オレの隣に立っているみーちゃんにも視線を送るが、彼女も当然持っていない。

 オレはひと一人分のスペースを作り、みーちゃんにアイコンタクトで指示する。

 

「佐倉さん」

 

「……」

 

「佐倉さん?」

 

「…………は、はい!」

 

「デジカメを出してくれって、店員さんが……」

 

「は、はい……。お願いします……」

 

 恐る恐ると言った具合に、両手に抱えていたデジカメを渡す佐倉。

 男性店員は特に気にした風もなく、デジカメを受け取る。その時、彼と彼女の手が一瞬触れてしまった。

 びくんと震える佐倉に男性店員は慌てて謝罪する。佐倉は大丈夫ですと弱々しく言った。

 だがオレは見ていた。男性店員はわざと手が触れるようにしていた。まず間違いないだろう。

 

「悪い、ちょっとトイレに行ってくる。実はさっきから腹が痛かったんだ。みーちゃん、あとは頼めるか?」

 

「え? う、うん大丈夫だけど……」

 

 それじゃあと言い残し、オレは彼らから離れていく。

 もちろん、腹痛なんて感じていないしトイレにも行かない。

 オレは店を一旦出てから、再度入店する。そして改めて彼らの近くに行き、バレないように物陰に身を潜めた。

 幸い、この店は商品が雑多(ざった)しているから視界が悪い。見付かる危険性はまずないと言えるだろう。

 耳を()ますと、彼らの会話が聞こえてくる。

 とはいえ、男性店員が一方的に話し掛けているだけだ。可愛い女の子だからハイテンションになっている。

 もともとコミュニケーションが苦手な部類に入るみーちゃんと佐倉だ。たじろぐしかない。

 男性店員は脈アリだと思ったのか──だとしたら滑稽(こっけい)だが──、とうとうデートに誘い始めた。

 仕事しろと突っ込みを入れたいが、まだだ。まだオレが出るわけにはいかない。

 どうやら彼はシアタールームで上演されている女性アイドルのコンサートに誘っているようだ。相当なアイドルオタクなのか、自身が所持している情報を使い、言葉巧みにアプローチを掛けている。

 どうやったら初対面の人間にそんな所行が出来るのか、呆れを通りこして尊敬してしまう。

 

「ね、ねぇどうかな? もちろん男の僕が奢るからさ」

 

「ご、ごめんなさい! えっと、デジカメはどうなんですか!?」

 

 みーちゃんは彼の気迫に呑まれそうになっていたが、なけなしの勇気を振り絞ってデートの誘いを拒否してみせた。

 今にも泣きそうだ。本当に悪いみーちゃん。だが、もう少しだけ我慢してくれ。

 店員は残念そうにしていたが、流石にマズいと判断したのか、デジカメの中を慣れた手付きで開いた。

 原因はすぐに分かった。

 なんでも、落ちた衝撃で一部のパーツが破損してしまい、上手く電源が入らないらしい。デジカメ自体はこの学校で買ったこと、そして保証書を保存していたために無償で修理して貰えるようだった。

 幸運にも、内部データは無傷で、佐倉はSDカードを受け取る。SDカードは小さいため、またもや肌が触れてしまう。

 

 ──そろそろ戻るか? いや、まだ決定的とは言えないか。

 

 あとは必要事項を紙に書けば正式に申請出来る。……ところが、佐倉はボールペンを走らせなかった。

 

「佐倉さん?」

 

「……」

 

「お客様、どうかなさいました?」

 

「………………」

 

 みーちゃんと男性店員が声を掛けるが、佐倉は黙り続け立ち竦む。よく見ると、彼女は微かに震えていた。

 何よりも──。

 男性店員は今までのハイテンションが幻だと思わせる程に、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 佐倉を──いや、申請用紙を凝視している。みーちゃんは佐倉に関心を寄せているから気付いてないが、男性店員は不気味な笑みを浮かべていた。

 

 ──決まりだな。

 

 緩慢な動きで佐倉が手を動かす……その前に、オレは彼女に近付き、そして無言でボールペンを奪った。

 

「あ、綾小路くん……?」

 

 困惑している佐倉を無視し、オレは申請用紙を見つめる。ある部分を見て、男性店員が狙っていたものを朧気ながら察した。

 そしてオレはすらすらとボールペンを走らせる。氏名、性別、住所など、電話番号など、多岐にわたる要項を埋めていく。

 

「ちょ、ちょっときみ。このカメラの所有者はそこの彼女だよね?」

 

「確かに店員さんの言う通り、これのもともとの所有者は彼女です。しかし実は、今度貸して貰う約束をしていたんですよ。直ったらすぐにカメラで写真を撮りたくて……。そうだよな?」

 

 これで佐倉が否定すれば面倒だが、幸い、彼女はオレの意図を()んでくれた。

 首を何度も上下に振る。

 

「いや、しかし──」

 

「メーカー保証は販売店も購入日もしっかりと書かれていますし、店員さんはそれを確認しました。法律上、問題はないですよ? それとも──彼女じゃなければならない理由があるんですか?」

 

 顔を上げることなく尋ねると、動揺した気配が出された。露骨過ぎる程に、男性店員は慌てていた。

 そんな彼にオレは、書き終わった申請用紙を手渡す。

 

「それではお願いします。いつ頃修理は終わりますか?」

 

「に、二週間程だと……」

 

「そうですか。いやー、直るのが楽しみですよ。それじゃあお願いしますね」

 

「……ご利用、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております……」

 

 男性店員に見送られて、店から出る。

 数分移動し、充分な距離を稼いだと判断。手頃のベンチに座るよう、みーちゃんと佐倉に勧めた。

 すぐにみーちゃんが質問してくる。

 

「綾小路くんっ。さっきのあれって、どういうこと?」

 

「ああ……と言う前に、確認すべきことがある。佐倉が怖がっていた男性店員は彼だよな?」

 

「うん……」

 

「それは私も気付いていました。佐倉さん、傍から見ていても分かる程に怯えていましたから……」

 

「みーちゃん、よく頑張ったな。必死に佐倉を庇ってた。凄いと思ったぞ」

 

「ありがとうございます……ってもしかして、綾小路くん、私たちの会話を見てたんですか?」

 

「ああ。腹痛なんて嘘だった」

 

 軽く首肯する。

 みーちゃんは「ええ!?」と驚き声を上げてから、周りのことを考えてから声を抑えてどうしてと尋ねてくる。

 

「その前に謝らせてくれ。みーちゃんと佐倉には辛い思いをさせてしまった」

 

「う、ううん……。それより教えてくれませんか? 綾小路くんは何がしたかったんですか?」

 

「佐倉があの男性店員に怯えていたのは早い段階から分かっていた。まぁとはいえ、みーちゃんと佐倉は女の子だからな、世の中にはああいった人間が居てもおかしくない」

 

「そ、そうですね……」

 

「そこまでだったら言い方は悪いが、みーちゃんたちには犠牲になって貰うつもりでいた。もちろん、みーちゃんがデートの誘いを上手く避けられなかったら助けるつもりだったけどな」

 

 だからこそ、みーちゃんがしっかりと拒絶したことには驚いた。実際のところ、流されるか心配だった。

 

「だがみーちゃんのおかげで、奴の狙いが分かった。それは、()()()()()()()()()()()()()

 

「ええっ!? ご、ごめんなさい……」

 

 周囲の人間にペコペコと謝罪するみーちゃん。何だか見ていてほっこりするな……。

 一方、佐倉は見るからに恐怖していた。無理もない。それだけ、オレが言ったことは理解の範疇(はんちゅう)外にあるだろう。

 

「佐倉。(こく)な質問をするが、あの店員と会うのは二回目なんだよな?」

 

「う、うんそうだけど……」

 

「……そうか」

 

 だとしたらおかしい。

 あの男性店員と佐倉が望まぬ邂逅(かいこう)を果たしたのは偶然だろう。それにしては……随分と佐倉に拘っていたような気がするのだ。

 隣にはみーちゃんも居た。本人を前にしては恥ずかしくて言えないが、彼女だって充分に可愛い。

 実際、奴はみーちゃんにもデートの誘いをしていた。

 だが佐倉に視線を向けた途端──雰囲気が一変したかのように感じたのだ。

 

「最初に会った時はどんな感じだったんだ?」

 

「デジカメを買いに行った時、声を掛けられて……。それもかなりしつこくて……気持ち悪くて……」

 

 当時を思い出しているのだろう、語尾を震わせながらも佐倉は教えてくれた。

 佐倉も充分に可愛い女の子だ。

 だが職を失うリスクを冒してまで、たまたま視界に映った女の子にナンパを行うか? 普通なら理性が本能を抑えるはずだ。

 その普通があの男性店員には通用しないのか? もしそうだとしたら非常に危険だ。

 

「もし次、あの電気屋に行くようなら、誰かに付き添いを頼むしかないだろうな」

 

「そうだよね……何かあったら危ないし……」

 

 一番良いのはあの店に二度と近付かないことだが、それは現実的ではない。

 佐倉は何やら考えていたようだった。

 そしてみーちゃんに振り向いて頭を下げる。彼女が突然の出来事に驚くより前に、佐倉は頼んだ。

 

(ワン)さん。もし良ければ、ですけど……。付き添い、お願い出来ますか?」

 

 みーちゃんはぽかんと呆然としたが、すぐに我を取り戻して笑顔を見せた。

 そして佐倉の両手を摑んで……。

 

「もちろんだよっ」

 

「ありがとう。本当にありがとう」

 

 この時初めて、佐倉はみーちゃんの瞳をしっかりと見た。視線が数秒交錯する。

 彼女は小さな声でもう一度「ありがとう」と言ってから、今度はオレに向き直った。

 

「綾小路くんも、今日は本当にありがとうございました。なんてお礼を言ったら……」

 

 いや、そこまで大袈裟(おおげさ)に言わなくてもと、つい思ってしまう。

 オレがやったことと言えば、申請用紙の紙を書いたくらいだ。みーちゃんの方が何倍も佐倉の助けになっていただろう。

 そうだ、そう言えば彼女に見せたいものがあったんだった。

 オレはズボンのポケットから携帯端末を取り出し、ギャラリーのアプリを起動。そして一枚の写真を選択し、彼女に見せた。

 

「これは……?」

 

「私も見て良いですか?」

 

「ああ」

 

 二人が見えやすいよう、ベンチの上に携帯端末を置く。

 

「わあっ。如何にも、夏って感じがしますねっ」

 

「昨日撮ってみたんだ。暇だったからというのもあったけど、面白そうだったからな」

 

「この写真……第二体育館ですか?」

 

「よく分かったな」

 

「私も時々ですけど、ここで写真を撮るんです。けど、一人で行くと目立っちゃうから、なかなか行けないんですけどね……」

 

「あはは」と自嘲する佐倉。

 しかしすぐに消し去り、真剣に画面を見つめた。

 

「どうしたらもっと良い写真を撮れると思う?」

 

「そうですね……この場合だと、もう少し下から撮った方が良いと思います。木と空、どちらも入れたいのなら、その方がインパクトがあると──どうかしましたか……?」

 

「いや、続けてくれ」

 

 佐倉は不思議そうに首を傾げたが、今は講評に集中したのか、すぐに意識を写真へと戻した。

 真剣な表情で写真について語る彼女は、本の内容について語る椎名と同じだった。

 だからつい笑みを零してしまった。それだけのこと。

 講評を終えた佐倉は羞恥心で顔を真っ赤に染めながらオレに携帯端末を返した。

 

「すみません……熱くなっちゃって……」

 

「いや、とても参考になった。ありがとう」

 

「い、いえそんな……」

 

「でも凄いですね、佐倉さん。私なんて普通の写真しか撮れないです。随分と長いんですか?」

 

「ううん……小さい頃はそうでもなかったんだけどね。あれは確か中学生の時かな。お父さんにカメラを買って貰って……この世界に惹かれていったの。カメラについては全然知らないけどね」

 

「それとこれとは別だと思います。綾小路くんはどう思いますか?」

 

「みーちゃんと同感だな。そう言えば、佐倉は風景専門なのか? 人物とかは撮らないのか?」

 

「えええっ!?」

 

 ずさっと兎のように反応し、ベンチの上をスライドする佐倉。オレとみーちゃんは顔を見合わせて、揃って首を傾げてしまう。

 ごくごく普通の質問をしたと思うんだが……。

 

「ひ、秘密……その、恥ずかしいから……」

 

 恥ずかしいものを撮っているのかと邪推してしまう。

 佐倉は頬を赤らめ、もじもじしていた。櫛田とはまた違った可愛い威力だ。危ない危ない。池や山内のように叫び出すところだった。

 

「お、お手洗いに行ってきても良いかな……」

 

 こちらもまた、もじもじとしていた。女の子だからな、心中は察する。

 オレは頷いた。佐倉も了承する。

 佐倉と二人きりになったオレは、この時間を利用することにした。

 

「みーちゃんとは友達になれそうか?」

 

 一拍置いてから、佐倉は頷いた。

 

「……(ワン)さんは凄いですね。私にはあんなこと、出来ない……」

 

「これはオレの友人が言っていたんだけどな。『新しいことに挑戦するのは勇気がいる。そして悩むこともある』……これって、当たり前のことなんだと思う。けど、なんて言ったら良いのかな……この当たり前のことが出来たら、そしたら、『成長』出来るんだとも思う」

 

「私は……『成長』出来るでしょうか?」

 

「さあ。それはオレには分からない。けどそうだな……まずはやっぱり、挑戦するのが大事なんじゃないか?」

 

「そう、ですね……」

 

 押し黙る佐倉。

 訪れる静寂。

 空白の時間を過ごし、みーちゃんが戻ってくるのを待つ。そんな時だった。

 

「あの、綾小路くんっ」

 

「どうかしたか?」

 

「れれれれれ、連絡先、交換して貰っても良いでしょうか……?」

 

 佐倉は小さな一歩を踏み出した。

 だからオレは、それに応えなければならない。

 

「もちろんだ。これからも写真について教えてくれると嬉しい」

 

「う、うん……!」

 

 連絡先を交換し合う。

『佐倉愛里』の名前をしっかりと登録したタイミングで、みーちゃんが帰ってきた。

 

「お、お待たせっ。この後はどうしましょう?」

 

「解散が無難なところじゃないか?」

 

 みーちゃんと佐倉は了承した。

 現地集合、現地解散。

 どうやら彼女たちはこの後も遊ぶようだが──みーちゃんが佐倉を誘っていた──、オレは帰るとしよう。

 何故なら、櫛田への報告があるからな。どっちの顔が出るか……想像するだけでも恐ろしい。

 ぶるりと体を震わせてから、オレは帰途についた。

 

 

 

§

 

 

 

「お邪魔しまーす」

 

「……好きな所に座ってくれ」

 

 夜。

 報告をするために櫛田に電話を掛けると、彼女は直接会って話を聞きたいと言い出し、オレの部屋にやって来ていた。

 正直に言うと、気乗りしなかったどころの騒ぎじゃない。断りたかった。割と本気で。

 だがチキンなオレにはそんな愚行をする勇気がなかった。佐倉には上から目線であれだけ言っておいてこの有様だ。笑われても文句は言えまい。

 

「ど、どうぞ……キンキンに冷えた麦茶です」

 

「うむ、苦しゅうない! って、綾小路くんどうしたの? そんなに怯えてさ」

 

 おかしそうに笑う櫛田。

 良かった、まだ『表』だ。

 彼女は美味しそうに麦茶を呷る。こんな些細な動作でも可愛いと思わせるあたり、流石だな。

 

「──それで、どうだったの?」

 

「さて、どこから話したら……」

 

「もちろん全部だよ?」

 

「……はい」

 

 オレは櫛田に全て言った。

 みーちゃんと佐倉と一緒に、予定通りケヤキモールの電気屋に行ったこと。佐倉が怖がっていた男性店員と遭遇してしまい、対応に追われたこと。そして彼女たちが友達になったこと。

 

「ふーん、なんだ。意外に上手くいったんだね」

 

 拍子抜けたように瞬きをする櫛田。

 そして何やら思案する様子を見せた。

 

「ううーん、結局、佐倉さんが目撃者だとは認めさせられなかったんだ」

 

「面目ない」

 

「あはは、大丈夫だよ。もともとその点に関しては期待してなかったしさ」

 

 櫛田は楽しそうに口撃してくる。

『表』の顔でそんな風に言われると、なかなか、受ける傷は半端じゃないな……。

 

「綾小路くんってさ、意外に繊細(せんさい)だよね」

 

「息を吸うかのようにそんな罵倒されたら、誰でも傷付くと思うぞ」

 

「違う違う、そういうことじゃなくってさ。随分と感情を出すようになったなって思っているんだよ」

 

「まるで表情筋が働いてなかったかのように言わないでくれ」

 

「だってそうだったし」

 

 至極真面目な顔で断定されたら、言葉を返すに返せなくなってしまう。

 

「でもさ綾小路くん。どっちにしろ綾小路くんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「どうしてそう思うんだ?」

 

「だってさ──()()()()()()()()()()()()()。だからかな」

 

 違う? と魔女は(あや)しく微笑む。

 

「ずっと不思議に思っていたんだよね。今は平田くんがいるから分からないけど、少なくとも『暴力事件』が起こった時、綾小路くんと最も仲が良かった同性の友達は須藤(すどう)くんだった。けど綾小路くんは、彼に頼られた時、特別、何も反応をしなかった。驚くことも、悲しむことも、怒ることも。最初は、須藤くんのことを友達じゃないと思っているんじゃないかと疑っていたんだけどさ、どうにも違う。口と態度では関わりたくないとアピールしていたのに、綾小路くんは受動的ながらも行動していた。これって変じゃない?」

 

「続けてくれ」

 

「じゃあ続けるね。綾小路くんは須藤くんを救うために行動していた……いや、今もしているのかな? これは事実だよ。少なくとも客観的には、ね。私はこの絶望的な状況をどうにかする(すべ)は思い付かないし、多分、堀北(ほりきた)……堀北さんもそうなんじゃないかなあ。だって、焦っているのが分かるもん。けど綾小路くんには一貫してその様子が見られない。例えば私が佐倉さんに接触した時も、酷く退屈そうだったよね。須藤くんの命運が掛かっていたのに。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どうして? ──そこまで考えて、私なりに答えを出したんだけどさ」

 

 にこにこと、魔女は笑みを絶やさない。

 今この瞬間を楽しんでいるのは間違いないだろう。

 だがそれはオレも同じ。

 果たして櫛田桔梗がオレと同じ景色を視れるか──それが楽しみだった。

 だからオレは彼女に尋ねる。

 

「それで、櫛田はどんな答えを出したんだ?」

 

「うん。それじゃあ言うね──綾小路くん『暴力事件』が起こるって知っていたんだよね?」

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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