ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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『暴力事件』の真相

 

 異例の審議会の延長。

 一年Dクラス綾小路(あやのこうじ)清隆(きよたか)が10万prを支払い、その権利を買った。

 その情報は瞬く間に広がった。

 何故、どうして、どうやって──。

 中間試験同様、一年生だけでなく二、三年生をも巻き込んだ騒動は、まだ終幕を迎えていない。

 当たり前というか、クラスメイトたちはオレを責めた。無理もない。Cクラスからの折衷案を呑むのがあの時の最善だった。

 そんなことは誰の目にも明らかだった。

 しかしオレの暴走によって、オレたちはまだ嵐の渦中で停滞している。

 朝のSHRで茶柱(ちゃばしら)先生がオレの暴走を事務的に告げて以来、Dクラスの教室は嫌な空気が流れていた。

 現在は三時限目と四時限目の間の休み時間。

 クラスメイトたちは遠巻きにオレを見てひそひそと話すだけ。陰口でも叩いているのだろうか。

 オレは反論することもせず、ただ黙々と甘んじてその糾弾を受け入れている。

 須藤(すどう)、みーちゃん、佐倉(さくら)といった生徒はオレに近付こうとしてきたが、オレから話し掛けないようにメールで指示を出しておいた。ここでオレを庇えば、彼らの立場がなくなってしまうだろう。

 

「あなた、どうする気?」

 

「……オレに話し掛けない方が良いぞ」

 

 その中で堀北(ほりきた)だけは、オレとの会話を試みていた。

 一応忠告するが、彼女はそれを鼻で笑った。もとから孤独少女の性質だからか、彼女には通用しないらしい。少しだけ羨ましいと思った。

 そんな彼女は真面目な声で言う。

 

「綾小路くん。正直、あなたは不気味な存在よ」

 

(やぶ)から(ぼう)になんだ、その言い草は。オレは極々一般的な生徒だぞ。小説だったら脇役の中の脇役だな」

 

「少なくとも大半の生徒にとっては、でしょうね」

 

「堀北は違うと?」

 

 文庫本から視線を上げ、堀北を見る。

 彼女は憮然の表情を浮かべていた。

 

「何故Dクラスのあなたに10万prがあるのか、そんなことは些細なことよ。問題は、その多額のプライベートポイントをどこから手に入れたのか。違う?」

 

「簡単なことを聞いてくるんだな」

 

「……良いから答えなさい」

 

「友人に譲渡して貰っただけだ」

 

 肩を竦めながら事実を言うが、堀北は納得してくれないようだ。

 無理もないか。いったいどこに、十万円を渡す奴がいるか。そいつは気が触れているか余程のお人好しだ。

 

「話を戻すと、やっぱりあなたは不気味な存在よ。あなたが何を考えているか、その考えが私には読めない」

 

「何も考えてないさ。ただあの時は……そうだな、あの時も言ったが、石倉(いしくら)先輩や佐倉、須藤を信じたいと思ったんだよ」

 

 精一杯感情を込めたが、呆れ顔で返された。

 お前がそんな虚言(きょげん)を言っても私は信じないと言われたようだった。

 

「策でもあるの?」

 

「さぁな。けど10万prを支払って延長出来たのはたった一日か。これってかなりのぼったくりだと思わないか?」

 

「兄さん……生徒会長の話を聞いていたでしょう。本来ならあそこで判決が出されていたのだから、これが妥当なところでしょうね。……やっぱりどう頭を(ひね)っても、たった一日……いいえ、あと半日で何か出来るとは思えない」

 

 堀北の指摘は正しいだろう。

 たった一日審議会が延長されたところで、意味は無いのかもしれない。過去を悔いるのかもしれない。

 それこそ『奇跡』でも起こらない限り、状況は何一つとして好転しない。

 

 それなら──『奇跡』を起こせば良い。ただそれだけのこと。

 

 

 

 

§

 

 

 

 昼休みに突入した。

 嫌な視線が降り注ぐ教室をあとにするため、椅子を引いて立ち上がった。荷物が入ったスクールバッグを肩に担ぐ。

 たったそれだけの動作でも、クラス中の視線を集めているのが嫌でも分かる。

 彼らの瞳の中には、嘲りと、猜疑(さいぎ)と、そして恐怖の色が浮かんでいた。

 それらを軽く流し、オレは教室から出て特別棟に向かった。道中あった自動販売機で、無料飲料水を購入することを忘れない。

 この一週間で何回足を運んでいるか分からないが、やるべきことがある。

 スクールバッグからある物を取り出したオレは、数少ない昼休みの時間を無駄にしないよう、迅速(じんそく)に準備を進めた。

 そして作業が無事に終わったところで、一人の生徒が姿を見せる。美しいストロベリーブロンドのロングヘアを持つ女子生徒は、オレの知る限り一人しか居ない。

 彼女は廊下を走りながらオレに近付いてきた。どこがとは言わないが、もの凄く揺れる。天然とは恐ろしいものだ。

 

「ごめん、ちょっと私用があって……遅れちゃった」

 

「いや、気にしないでくれ。暑いし疲れただろ。良かったら飲んでくれ」

 

 ありがとうと言いながら受け取る一之瀬(いちのせ)

 ただ飲むだけなのに、彼女の所作はとても美しかった。

 長話するつもりはないが、暑いものは暑い。

 オレは窓を開けて、新鮮な空気を入れる。もちろん前回の反省を活かし、開けた瞬間に退避するのを忘れない。

 人間とは学ぶことが出来る生き物だ。

 

「審議会のことは私のクラスにも届いているよ。計画通りだね」

 

「ああ。一之瀬にはほんと、頭が下がるよ。お前の信条に背く中、協力してくれて本当に助かる」

 

「信条っていうか……まぁ確かに、好ましくはないかな」

 

 けどね、と一之瀬はオレの目をしっかりと見て言う。

 

「それとこれとは別だよ。私情を優先したら、いつ負けるか分からないからね。私はしっかりと天秤(てんびん)に掛けて、綾小路くんに協力することを決めた。それだけのメリットがあると判断したからだよ」

 

「そうか」

 

「うん。……でも驚いたかなあ……まさかDクラスに、きみのような生徒が居るなんてね。完全にノーマークだったからさ」

 

 オレは苦笑を零した。

 他クラスからすれば、警戒するに値するDクラスの生徒は少ないだろう。精々が平田(ひらた)洋介(ようすけ)櫛田(くしだ)桔梗(ききょう)高円寺(こうえんじ)六助(ろくすけ)、堀北鈴音(すずね)くらいなものだ。

 

「綾小路くんはどうするの? これから先目立っちゃうんじゃない?」

 

「それならそれで好都合だ。オレはこれ以上動くつもりはないからな」

 

「あはは……まぁ確かにね。きみが暗中飛躍したことに気付けるのはどれだけいるんだろう」

 

「一之瀬は気付いたじゃないか」

 

 ところが彼女は手をひらひらと振る。

 

「まさか! 違和感は覚えていたけどね、それでも核心には至らなかったよ」

 

 謙遜(けんそん)するが、オレは確信している。

 必ず一之瀬帆波(ほなみ)はオレの元に辿り着いただろう。今回上手く()けたとしても、それは時間の問題だ。

 櫛田はオレが誘導することによって答えを得た。だが彼女は自分の足でオレの前に現れたのだ。現れてみせた。

 だからこうして、今回、オレは彼女に『協力者』として助けを求めた。

 

「いやー、一番可哀想なのはAクラスだよね。同じ一年生なのに蚊帳(かや)の外だもん」

 

「蚊帳の外っていうか……いや、あながち間違ってないか。Aクラスはどうなっているのか分からなかったからな。除外させて貰った」

 

 入学してからこの三ヶ月間、オレは様々な噂を耳にした。

 例を挙げるとするならば目の前に居る少女。聡明な彼女の噂はいまさら語る必要は無いだろう。

 Cクラスの実情も、知ろうと思えば知ることは出来る。オレにはCクラスの生徒である椎名が近くに居るし、詳細な情報は取得出来ないが、全体像は摑めた。

 しかしAクラスは調べても要領が摑めないものだらけだった。信憑性が薄いのだ。例えばAクラスは現在、二大勢力によってクラスが分けられているそうなのだが、片方の勢力のリーダーは分かったが、もう片方のリーダーは分からなかった。

 はっきり言って不気味だ。もっと踏み込めば分かるだろうが、下手に首を突っ込めば喧嘩を売られたと思われてしまう。

 

「Aクラスに関しては様子見だな」

 

「そうだね、それが正しいと思うよ。クラスの地盤が固まったとは言い難い現状だと尚更だよね」

 

「それでも一之瀬はオレに協力してくれるんだな」

 

「善意100%じゃないのが申し訳ないけどね」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一之瀬は微笑んでから、オレに手を差し出してきた。少し躊躇したが、ズボンで手汗を拭き取ってから彼女の手を摑む。

 今回限りの『契約』は交わされた。

 手を離し彼女と間合いを取ると、彼女は「あっ」と声を出し、首を傾げた。

 

「ところでさ、『協力者』は私以外にもう一人居るんだよね? いったい誰なの?」

 

「あぁそっか、言ってなかったな。悪い。洋介……平田だ。作戦決行前に集合してくれ」

 

「平田くんも関与しているのかー。意外かも」

 

「最初は渋い顔をされたけどな……未来を見据えてくれたってことだろうさ」

 

「なるほどねー。いやー、ちょっと私後悔しているよ。メリットもあるけど、デメリットもあるからさ。結果的にはきみたちDクラスが強くなる要因になるからね」

 

「その点については諦めてくれ」

 

「まっ、仕方ないか。それじゃあ、暑いから行こうよ」

 

 熱中症になっちゃうからねと、彼女はオレの手を引いて特別棟の廊下を渡る。

 女の子と本格的に手を繋いだのは初めてだ。しかもそれが一之瀬のような美人。絶対に忘れないようにしよう。

 

 

 

 

§

 

 

 

「それではこれで、帰りのSHRは終わりだ。解散」

 

 茶柱先生が号令を掛け、本日の学業は終わりを告げた。

 やっと水曜日の終わりか……まだ学校が二日もあると思うとげんなりしてしまうが、今は他のことに意識を割くべきだろう。

 

「行くぞ。須藤、堀北、綾小路」

 

 言うや否や、茶柱先生は先に生徒会室に向かい始める。

 須藤と堀北も裁判所に向かい、オレも続く。昨日とは一転、クラスメイトたちの声援は送られなかった。

 中には、須藤くん可哀想……と呟く生徒も。

 こりゃ完全に、クラスを敵に回したな。後ろから刺されないように注意するとしよう。

 廊下の窓から教室を一瞥すると、一瞬、洋介と目が合った。小さく頷き合う。

 生徒会室は校舎四階だ。階段を登っていると、下から声が投げられた。

 

「あ、綾小路くん……!」

 

 その音を聞いた瞬間、オレはまさかと思いつつも振り返る。茶柱先生たちも同様だ。

 そこには佐倉が荒い息遣いで立っていた。走ってきたのか、息遣いは荒く、顔を真っ赤に染めている。

 

「茶柱先生、時間に間に合えば良いんですよね?」

 

「ああ。開始は午後四時からだ。くれぐれも遅れるなよ」

 

 釘を刺してくる茶柱先生に、オレは頷き返した。

 堀北は興味がないのか、階段を登る動作を再開させる。須藤は訝しげな視線を佐倉に寄越したが、関わるべきではないと察したのか、彼女たちのあとを追った。

 居なくなったのを確認してから、オレは佐倉に近付くために階段を降りた。

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん……久し振りに全力で走ったよ……」

 

「運動しないとダメだね」と、佐倉は笑った。

 疲労困憊(ひろうこんぱい)なのは誰の目から見ても明らかだったが、彼女に気を遣う時間は余りない。

 彼女もそれは分かっている。息を整えてから、彼女は不安げな目をオレに見せた。

 

「今から……話し合いだね……」

 

「そうだな……って言うか、メールでオレに話し掛けるなって言ったろ?」

 

「ううん……私は良いの。クラス内での立場なんて、私にはないから」

 

 否定したいが否定出来ない……。

 目頭を押さえるオレを、佐倉は不思議そうに見ていた。

 

「みーちゃんも……私も、心配していたから。綾小路くんは……私たちを信じてプライベートポイントを払って話し合いを延長させてくれたのに……クラスの皆は(めん)と向かっては言ってないけど責めていて……」

 

「それが正常だ。坂上先生も仰っていただろ? 愚かにも程があるって。事実その通り──」

 

「そんなことないよっ!」

 

 大声を出して、佐倉は強く叫んだ。

 オレはそんな彼女を見て瞠目してしまう。何が彼女をそこまで駆り立てているのか分からない。

 

「あの……綾小路くんはどうして、石倉先輩や須藤くん、そして私を信じてくれるんですか?」

 

 どうして、か。

 結末を知っている身からすれば、これは信じるか信じないかの話ではない。

 しかしそれを言うわけにはいかない。

 オレは言葉を選んで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「友達を信じるのは当然だろ?」

 

「そっか……うん、そうだよね。ありがとう綾小路くん。綾小路くんには勇気を貰ってばかりだね」

 

「佐倉……?」

 

 どうにも様子がおかしい。

 こう言っては失礼だが、()()()()()()()

 何故廊下を走り、疲労困憊になりながらもオレを追い掛けてきたのか。

 何故彼女は(あわ)く微笑んでいるのか。

 

「私ね……綾小路くん。みーちゃんや綾小路くんに告白すべきことがあるんだ」

 

「告白?」

 

「うん。けどその前に、私が前に進むために……『成長』するために、やらなくちゃいけないことがあるから。また今度言うね。それじゃあ綾小路くん、話し合い、頑張ってね。私は、その……何があっても綾小路くんと友達で居るから。きっとみーちゃんも」

 

 さよなら、佐倉は別れの挨拶を口にして去っていく。

 嫌な予感がする。

 オレは彼女を追い掛けたい衝動に襲われた。今彼女をこのまま見送れば、彼女が消えるような錯覚さえ覚えた。

 思い過ごしならそれで良い。オレの妄想ならどんなに安心できるだろう。

 

 ──脳が警戒音(アラーム)を出し続けている。

 

 オレは携帯端末を素早く操作し、ある人物に連絡を取った。

 応答した人物が声を挟む、その前に、オレはそいつに言った。

 

「頼みがあるんだ──」

 

 頼み事を手早く告げると、電話相手は非常に面倒臭そうな声を出した。しかしそれも数秒で収まり、一言、分かったと了承した。

 過保護だなとバカにされたが、背に腹はかえられない。

 オレは改めて礼を告げてから、生徒会室に足を運んだ。

 

 

 

 

§ ─同日:特別棟:午後三時四十五分─

 

 

 

 放課後を迎えた特別棟は蒸し暑い。そんなことは分かり切っていたはずなのに、どうしても暑いと感じてしまう。

 スクールバッグから下敷きを取り出してパタパタと扇いでいると、タオルで汗を(ぬぐ)っている男の子の姿が視界に留まった。

 この学校に在籍している生徒は制服のブレザーの着用が義務付けられているから、夏は私たち女子生徒が有利だ。

 まぁ冬は立場が逆転しちゃうんだけど……。スカートだから仕方がないとはいえ、これは中々に問題だ。友達から聞いた話では、個別でプライベートポイントを支払うことでスクールコートが購入出来るそうだ。是非とも買うとしよう。

 

「平田くんは暑そうだねー」

 

「あはは……暑いよ、途轍(とてつ)もなくね。小宮(こみや)くんたちには文句の一つでも言いたいところかな」

 

「おお、良いね!」

 

「一之瀬さんは……見る限りだと涼しそうだね」

 

 いやいや、もの凄く暑いよ! そう叫びたい衝動に駆られたが、やめておいた。

 この暑さの中、エネルギーはなるべく消費したくない。その代わり、すぐ近くで買ったジュースで水分を補充する。Dクラスの平田くんはポイントに余裕がないからか無料飲料水だ。

 偽善だと思われるだろうけど、申し訳なさを感じてしまう。

 

「ごめんね、何か買ってくるべきだったかな」

 

「いいや、大丈夫だよ。この無料飲料水も、味わえばそこそこ美味しいからね」

 

 平田くんは噂で聞いた通りの人の良さだ。

 てっきり憎まれ口でも叩かれると最悪覚悟していたから、ちょっと拍子抜けしてしまう。

 これも友達から聞いた話だけど、一年生女子生徒の間には様々な種類のランキングがあり、男子生徒を格付けしているそうだ。

 例えばイケメンランキングや、お金持ちランキング、優しい人ランキング、将来結婚したら不倫しそうランキング、さらには気持ち悪いランキングなんてものもあるそうだ。

 ……私はそれを友達から聞いた時、同性ながら、『女子の闇』を垣間見たような気がした。同意を求めてくる友達に私は苦笑いしか出来なかった。

 平田くんは多くのランキングで上位に入っていて、女の子たちの憧れの元だ。彼とは少ししか接していないけど、なるほど、言われるだけはあるなぁって思う。

 イケメンランキングでは堂々の二位だ。外見と性格で大きく稼いでいるそうだとか……。後者は兎も角、前者はなぁ……。

 これもまた偽善だと思われるだろうけど、やっぱり人は、外じゃなくて内で視るべきだと思う。

 心の中で自嘲(じちょう)しながら、そう言えば『彼』もランキング上位者として名を載せていたなと思い出した。

 確かイケメンランキングでは四位だった気が……いやでも、根暗そうランキングでも上位者だったような気が……。

 良くも悪くも『彼』はプラスマイナスゼロだ。少なくとも第一印象はそんなものだろう。

 ところが『彼』を少しでも探ってみると中々、噂は絶えない。本人は知らないだろうけど……。

 曰く、『Cクラスの生徒と付き合っている』だとか、『自由人と唯一、同性で昼食を共にした英雄』だとか、『生徒会長に失礼な態度を取った』だとか、中には耳を疑うようなものもある。

 私と『彼』が出会ったのは偶然だったけれど、それでもすぐに『彼』が綾小路清隆くんだと分かった。椎名(しいな)さんとの噂が出回ってからは彼の写真は女子生徒の間であちらこちらに流れていたから。

 

「平田くんはどうして、綾小路くんのことを下の名前で呼んでいるの?」

 

「えっ?」

 

 ぱちくりと瞬きした。

 自分で聞いておいて笑ってしまった。答えを聞くまでもない。それだけ彼らが親しいだけだろう……。

 ところが平田くんは何やら思案し始めた。

 

「うーん……そうだね、一言では言えないかな。どうしてだい?」

 

「ううーん……どうしてだろう?」

 

 質問しておいて理由が分からない。

 平田くんはそんな私を見て苦笑いを零した。ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。

 

「いつまで続くかは分からないけど、清隆くんはこれから、一年生の中で台風の目となるだろうね。幸い、夏休みが入るからまだマシだけど……」

 

「……どこまで計算しているのかな?」

 

「それは僕にも分からないよ。何せ、計画を打ち明けられたのはついこの前だからね。より具体的に言うなら、一之瀬さんが僕たちに協力し始めてくれた次の日だよ」

 

 私よりも後だったのか……。綾小路くんにとって、順序はさほど問題ではないのだろう。

 

「責めなかったの?」

 

「責めようと思ったさ。けど残念なことに、長い目で見ればDクラスに大きな利益を(もたら)すからね。怒るに怒れなかったよ」

 

「本当、清隆くんは性格が悪いね」と平田くんは笑う。

 そう、綾小路くんの恐ろしいところはそこにある。

 彼の瞳に映っているのはどこまで先の景色なのか。一人だったら不可能に近いそれを、彼は『協力者』を募ることで達成させてしまう。

 

「絶対、注目を浴びることも考えていると思う」

 

「にゃはははー……だよねえ。彼に気取られていたら平田くんに喰われちゃうから、難しいよ」

 

 本当に恐ろしい。

 平田くんは優秀だ。意識が綾小路くんに割かれている他クラスを出し抜くなんてことは充分に可能だ。

 これが、Dクラスに纏まりがなかった頃だったらまだ良かった。しかし今のDクラスには徐々に仲間意識が生まれ始めている。

 平田洋介くん。軽井沢(かるいざわ)(けい)さん。櫛田桔梗さん。堀北鈴音さん。さらにこれに、綾小路清隆くんも加わるのか……。

 これで学校公認の『不良品』なんて、嘘にも程がある。

 今はまだ、500近いクラスポイントの差があるから余裕がある。

 けどこれも、夏休みの間に詰められるだろう。私の見立てでは、長期休暇中に『ボーナスポイント』を得る機会があるはずだ。

 尤も、これに勘付いているのは私だけじゃない。他クラスのリーダーたちも察し、水面下で動き始めているだろう。

 クラス争奪戦、その始まり。前哨戦(ぜんしょうせん)。それはついに、最終局面を迎えようとしている。

 時間を確認する。

 そろそろ待ち人が来る頃合いだろう。

 

「それじゃあ私は一旦隠れるね」

 

「うん。出るタイミングは一之瀬さんに一任するよ」

 

 Bクラスの私が最初から居たら不自然だ。

 私は平田くんから離れ、近くの角に隠れた。

 そして程なくして、三人組の男子が暑い暑いと愚痴を零しながら姿を現した。小宮くん、近藤(こんどう)くん、石崎(いしざき)くんのCクラスの生徒。

『暴力事件』の『被害者』だ。少なくとも現段階では。

 

「櫛田ちゃんが俺たちに何の用かな?」

 

「も、もしかして……告白!?」

 

「だとしたら三人はおかしくないか?」

 

「って言うか、このままだと審議会に遅刻するんじゃないか?」

 

「大丈夫だろ。体調を崩しましたとでも言えば良いさ」

 

 言葉を聞く限りだと、彼らは随分と楽観、嬉しそうな様子を窺わせた。

 無理もない。

 小宮くんたちを呼び出したのは、櫛田さんなのだから。同性の私から見ても彼女は可愛いから、彼らのテンションが上がるのは当然だろう。

 ところが彼らのその雰囲気はなくなった。十中八九、平田くんに気付いたからだろう。

 

「やあ。小宮くん、近藤くん、石崎くん」

 

「は? 確かお前は……平田だったか? どうしてお前が居るんだよ? 櫛田ちゃんはどこだよ?」

 

「まずはそのことについて謝らせて欲しい。櫛田さんはここには来ないよ。あれは嘘だったんだ。僕が強引に彼女にメールをさせたんだ。彼女には嫌われてしまったけどね」

 

 チッ──舌打ちが誰かの口から出された。この暑い中特別棟へ足を運んだのに、彼らの願った人は居なかった。その反応は当然だろう。

 

「おいおい、平田。だとしたら何の用だよ」

 

「決まっているだろう。話し合いがしたいのさ」

 

 はあ? ……この声は多分、石崎くんだろうか。何度か話したことがあるからまず間違いないだろう。

 

「話し合いだぁ? おいおい平田、俺たちにいまさら、そんなものは必要なのか?」

 

 それとも暑さでやられたか? バカにしたように笑う石崎くんたち。私は知っていたが、やっぱり彼がリーダー的な立ち位置なのだろう。

 平田くんは怒ることもせず、「勿論だよ」と言う。

 

「友人が身を削ってまで逆転の機会を作ってくれたんだ。何かしたいと思うのは当然じゃないかな?」

 

「はははは! 友人っていうのは綾小路のことか! 平田、ダチは選んだ方が良いぜ!」

 

「そうかな? 少なくとも僕は清隆くんのことを大事な友人だと思っているよ。──それよりいい加減、話し合いをしよう。時間もないしね」

 

「ハッ、これだから『不良品』は困るんだ。どう足掻いたって真実は隠せねーんだよ! 俺たちは須藤に殴られた!」

 

「そんなことは重々承知しているよ。議論するつもりも毛頭ない。僕たちDクラスも、きみたちCクラスも絶対に『被害者』だと言い張る。それは彼から聞いたさ」

 

「だったらどうする? 俺たちをここで足止めでもするか? それでも別に良いぜ?」

 

 挑発する石崎くん。しかし平田くんは取り合わない。

 石崎くんたちに脅しの類は通用しない。特に石崎くんは尚更だ。流石、中学時代は学校を代表した不良生徒だ。

 そこまで考え、私は一人自嘲した。人のことを私は言えないのに、何を偉そうに思っているんだろう。

 

「もう行こうぜ」

 

「そうだな。あ〜あ、櫛田ちゃんに会いたかったなあ……」

 

 立ち去る彼らを、平田くんはとめない。とめる必要がないからだ。

 そろそろ私も舞台に上がるとしよう。

 

「久し振りだね。特に石崎くんとは」

 

 私は石崎くんたちの進路を阻むようにして立ち塞がる。

 

「お、お前は……一之瀬!?」

 

 私の突然の登場に、彼らは目に見えて動揺した。彼らには借りがある。私のクラスメイトが以前、Cクラスに絡まれたのだ。

 その時は幸い、今回の『暴力事件』のようにはならなかったけれど……Cクラスの『王』は侮れない。

 けど不思議なものだ。因果なことに、私は今回、結果的には、Cクラスを助けることになるのだから。

 

「どうしてお前がここに居るんだ!?」

 

「どうしてって言われてもなー……きみたち、私が一枚噛んでいるのをまさか知らなかったの? あれだけ分かりやすく動いていたのに?」

 

「……Bクラスは関係ねぇだろ!」

 

「関係ない? 何を言っているのかな石崎くんは。関係なかったら私はここに居ないよ?」

 

「うぐっ……」

 

「まぁ私のことは置いといてさ。嘘で皆を巻き込むのは感心しないなあ」

 

 わざとらしくため息を吐く。

 

「『被害者』は俺たちなんだよ! 須藤に殴られたんだ、俺たちは! 話し合いをしようとしてな! あいつは将来DV夫になりそうで怖いぜ!」

 

「いやいや、それは流石に言い過ぎだよ。後で須藤くんに謝りなよ?」

 

「うるせえ!」

 

 ()える石崎くん。小宮くんと近藤くんも追随する。

 平田くんが視線を送ってきた。どうやら活躍の場を譲ってくれるらしい。

 

「最初に言っておくね。『退学』になりたくなかったら訴えを取り下げるべきだよ、今すぐにね」

 

「……は? 訴えを取り下げるだぁ? 何バカなことを言ってやがる」

 

「きみたちが嘘を吐いているのは残念だけどお見通しなんだよね、って言っても?」

 

「は、はぁ……?」

 

「ねぇ石崎くん、きみはこの学校がどうして創立されたのか知ってる?」

 

「確か……次世代の担い手となる人間の育成」

 

 近藤くんが呟いた。聞いたのは石崎くんなんだけど……まぁ良いか。

 私はそう! と相槌を打って、言葉を続ける。

 

「そしてそのために、学校側は実力至上主義を掲げている。最初はそうだね……入学試験の時かな?」

 

 とはいえ、その基準はまだ分かっていない。

 高度育成高等学校に『普通』なんて常識は通用しない。それはこの三ヶ月間で痛感している。

 

「何が言いたいんだよ、お前はっ」

 

「まぁまぁ、落ち着きなって。そう、この学校は実力至上主義を掲げている。例えば前回の中間試験。きみたちCクラスは見事、学年一位の好成績を残したよね」

 

「ハッ、ざまぁみやがれ。どうしてか分かるか? 特別に教えてやる──」

 

「過去問でしょ?」

 

「「「……ッ!?」」」

 

 当てられるとは思っていなかったのか、石崎くんたちは目を見開かせた。

 これを聞いた時は寝耳に水だった。

 

「学校側は過去問を黙認していた。これは紛れもない事実だよ。見抜いたきみたちの『王』は凄いね」

 

「当然だ! 俺は龍園さんに付いていく!」

 

 個人的には、それはやめた方が良いと思う。

 Cクラスの『王』……龍園(りゅうえん)くんは必要とあらば平然と仲間を切り捨てるだろう。一切の躊躇なくだ。そしてそれは多分──。

 とはいえ、忠告することはしない。私から言っても意味は無いだろう。

 

「さてさて……随分と回り道をしちゃった。何が言いたいかって言うと、学校側はあらゆる視点から私たち生徒の実力を測っているんだよ」

 

「……」

 

「おかしいと思わなかった? どうして学校側は、きみたちに訴えられた須藤くんをすぐに処分しなかったのかな?」

 

「そんなの決まっている。不公平になるからだ。訴えた者勝ちになるから、今回の場合は一週間の期間を設けたんだろ」

 

 石崎くんの考えは正解だ。

 だけど私は否定する。

 

「言ったでしょ? 『学校側はあらゆる視点から私たち生徒の実力を測っている』ってさ」

 

 勿体付けるようにして答えを()らす。

 石崎くんたちは暑そうに何度も何度も手で風を扇ぐ。窓を閉め切った特別棟に、新鮮な涼しい風はやってこない。さらに季節は夏。西の空に沈みつつはあるけれど、まだまだ陽の光は顕在だ。

 彼らは今、灼熱地獄(しゃくねつじごく)の刑に処せられている気分だろう。

 脳への負担は相当なもののはずだ。

 

「そろそろ答えを言おうかな。石崎くんたちも辛そうだし……私たちもかなり厳しいからね」

 

「だったらその答えとやらを──」

 

()()()()()()()()()()()()。これが答えだよ」

 

 ぽかんと、石崎くんは間抜けな表情を作った。

 意表を突くという意味でなら、充分な一撃だっただろう。彼らが思考を停滞しているその間に私は彼らの横を通り過ぎ、平田くんの横に移動した。

 ここからは彼の役目だろう。

 

「状況が理解出来たかな?」

 

 平田くんの問い掛けに、ようやく彼らは我を取り戻した。そして慌てて顔を見合わせる。

 一人より二人。二人より三人。仲間が居ること、そのことに安堵し、彼らは一つの結論を出した。

 

「お前たちのそれは有り得ない!」

 

「有り得ない、か……。うん確かに、石崎くんたちの言う通りだ。けど、あるのさ。たった一つだけ、学校側が事件の真相を知る方法がね」

 

「ハッ! そんなものあるわけ──」

 

「あれ、見えるかい?」

 

 言葉を遮り、平田くんはある部分を指さした。天井付近を指さしている。

 彼の指先を目で追うと、そこには──()()()()()

 廊下の隅から隅を映す監視カメラは、時折、左右に首を振っていた。まるで、たった一つの見落としすら(ゆる)さないと告げるかのように。

 平田くんはゆっくりと罪人に近付いた。それはさながら、処刑執行人のようだった。

 

「これで僕たちが言っていることが分かったかな?」

 

「ば──そんなバカなことがあるか! 俺たちは確かに確認した! 防犯カメラがないことを! そもそも廊下に防犯カメラなんてないはずだ!」

 

「口、滑らせたね」

 

 どこまでも平田くんは笑顔だった。

 怖いくらいに綺麗な笑顔だった。

 石崎くんは慌てて口を閉ざすが、もう遅い。彼は制服のブレザーから携帯端末を取り出し、画面を三人に見せた。カメラの動画モードが作動していた。音声は充分に拾われているだろう。

 

「これでもまだ、きみたちは認めないだろう。だから説明すると、確かにそれは正しい。だけど物事には必ず例外がある。さて、その例外とは何だろうね? 答えを言うと、一つ目は職員室。これは言わなくても理由が分かるはずだ。そしてもう一つは──」

 

「特別教室がある所だよ。ところで小宮くん、特別棟三階にある教室は何か分かるかな?」

 

「……?」

 

 分からなくても無理はない。

 私たち一年生が特別棟を利用した回数はまだ少ないから。私自身、今回の一件がなかったら、まだ覚えていなかった。

 

「私が答えを言うとね──理科室だよ。さて問題です、理科室では実験を行います。時には危険な実験もあるでしょう。当然、学校側はもしもの時のためにあることをしなくてはなりません。それは何でしょうか?」

 

「……防犯カメラの設置……」

 

「正解だよ。これで僕と一之瀬さんの言葉を信じて貰えるかな」

 

「う、嘘だろ……」

 

「夢だろ、これ……!」

 

 小宮くんと近藤くんは顔を真っ青に染めていた。

 そんな中石崎くんだけはまだ闘志を残していた。震えながらもあちらこちらに視線を動かす。

 

「無駄だよ。防犯カメラはここだけじゃなくて、この階層の各所にしっかりと設置されているからね」

 

 それでもなお、石崎くんの瞳の奥には戦意があった。

 素直になれば良いのにと思ってしまうけれど、それだけ龍園くんに心酔しているのだろう。

 

「防犯カメラは無いって、確かに龍園さんは言っていた! それにオレたちも前日に確認した! 龍園さんと一緒にだ!」

 

「それは絶対の自信があるのかい? 特別棟は知っての通りシンプルな造りになっている。これは災害時、円滑に避難出来るようにという学校側の意向だろう。そしてシンプル故に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。きみたちが確認したのは別の階だったんじゃないかな? この暑さだからね、勘違いしてもおかしくはないよ」

 

 彼は一回嘆息してから、言葉を続けた。

 

「よく思い返してみなよ、石崎くん。僕が清隆くんから聞いた話では、堀北生徒会長は、清隆くんが審議会の延長を申請した時、『必要ない、これ以上は進展しないからだ』って言ったそうだね。どうしてだと思う? ……そう、学校側が最初から僕たちの実力を測っていたとしたら? だとしたら納得いかないかい?」

 

 平田くんはさらに揺さぶりを掛ける。

 

「こんな悪質な嘘を吐いたんだ。きみたちには『退学』の罰が与えられるだろう。同情の余地はないね」

 

『退学』の二文字が、彼らに突き付けられる。

 恐怖に震える石崎くんたち。

 視界が闇で覆われる彼らに、平田くんは一筋の光を灯した。

 

「とはいえ、須藤くんがきみたちを殴ってしまったのもまた覆しようのない『事実』だ。──だから、訴えを取り下げてくれないかな。須藤くんはDクラスの『財産』だ。彼に『前科』があると、彼の夢……バスケットのプロも実現が難しくなるだろう。何せ今の時代、情報は瞬く間に拡散するからね。そしてこれは、きみたちにも言えるよ」

 

 平田くんは一歩、もう一歩と大罪人に近付いていく。

 私が言うのもなんだけど、彼もどうやら気分が高揚しているようだ。

 ……いや、私とは違うか。

 彼が今纏っている雰囲気は少しだけ……そう、本当に少しだけだけど綾小路くんに近い。

 彼と彼が仲が良いのは短い付き合いの私でも見ていて分かった。

 けど彼らは、ただ単に仲が良いんじゃだけない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんなことを、ふと、死神を視て思った。

 石崎くんはがくがくと震えながら、制服のズボンのポケットから携帯端末を取り出した。

 

「まっ、待ってくれ……! せめて電話を一本させてくれ……!」

 

「ダメだ──と言いたいところだけど良いよ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 何度も番号を押し間違え、石崎くんは電話を掛けた。

 九分九厘、龍園(かける)くんに掛けているのだろう。

 一コール、二コール、三コール……。

 結論を告げるのならば、龍園くんは電話に出なかった。

 最後の砦すらも壊され、石崎くんは床に尻餅を突いて項垂れる。小宮くんも、近藤くんも気付けば同じ様な有様だ。

 やがて特別棟三階の廊下に、小さな声が反響された。

 

「──分かった。訴えを取り下げる」

 

 

 

 

§ ─同日:ケヤキモール:午後四時十分─

 

 

 

 視線を感じる。

 嫌でも視線を感じる。

 (ねば)り付くような……気持ち悪い視線だ。

 ケヤキモールに一人でやって来た私は、つい先日利用したばかりの電気屋を訪ね、あの男性スタッフと話す決意をした。

 彼は私の『裏』を知っているから。別にそれは良い。覚悟はしていた。

 そういった目で視られることも覚悟の上で、私は、その世界に飛び込んだのだから。

 けれどそれは『裏』の時だけ。『表』の時は精々が時々で、一瞬で終わる。

 影が薄く、『自分』がない私になんて、誰も気に掛けてくれない。

 むしろそれを望んでいた。だって私は人と関わるのが苦手だから。

 どうしてもその人の瞳を見ると分かる。()()()()()()()。その人の『本質』が。

 電気屋さんに男性店員は居なかった。

 けれどケヤキモールの中を歩いている時に、視線を感じた。何度も感じている濁ったものだ。

 そして今私は、人気(ひとけ)のない場所にへと、怪物を誘おうとしている。

 それが実に愚かな考えか、ついぞ私は気付かなかった──。

 

 

 

 

§ ─同日:生徒会室前:午後四時十五分─

 

 

 

 生徒会室前廊下で、オレたちDクラス陣営はCクラス陣営を待ち侘びていた。

 再審議が開かれる予定時刻は昨日と同じく午後四時から。しかし彼らは約束の時間に間に合わなかったのだ。

 

「きみたちが何かしているんじゃないんですか!?」

 

 坂上先生が怒鳴り付けてくる。

 彼は生徒思いのようだ。それが本心かは分からないが。

 確かに状況を見れば、彼のように思うだろう。

 茶柱先生が不敵な笑みを浮かべ、堂々と迎え撃ってくれた。

 

「何か、とは? 私は何も知りませんよ。おおかた、手洗いにでも行っているのでしょう。彼らはかなりの重傷を負っていますから、苦労するでしょうしね」

 

「くっ……しかし! 綾小路くん、きみが友人に頼んで小宮くんたちを脅迫しているんじゃないのかね!?」

 

「残念なことに坂上先生、それは有り得ませんよ。実は昨日の暴走のせいで、友達が減ってしまい……頼れる友人はオレにはもう居ないんです。先生の仰った通りですよ、実に愚かな行動でしたね。只今絶賛、後悔しているところですよ」

 

 皮肉を返すと、坂上先生は悔しそうに唇を噛み締めた。

 堀北と須藤は何がどうなっているか分かっていない様子だ。いや、堀北だったらそのうち気付くだろう。

 

「生徒会長たちと少し話をしてきますね」

 

 返事を待たず、オレは生徒会室に足を踏み込んだ。

 生徒会長と書記の二人は酷く退屈そうだった。

 入室したオレに、(たちばな)書記が可愛らしく首を傾げた。オレ一人しか居ないことに疑問を持ったのだろう。

 

「小宮くんたち、まだ来ませんか?」

 

「はい」

 

「そうですか……困りましたね。生徒会長、どうしましょうか? 彼らが居ない状態で再審議を始めますか?」

 

「ああ……と言いたいが、今回の場合、再審議をいつ始めるかは綾小路が決める権利を持っているだろう。お前はどうしたい?」

 

「彼らが来るのを待ちますよ、もちろん」

 

 はあ……橘先輩からため息が漏れる。

 オレと堀北(まなぶ)は苦笑してしまう。気持ちは分かる。

 

「橘、席を外して貰えないか。この男と話すことがある」

 

「分かりました。綾小路くん、すぐそこにポットと紙コップがあるので、どうぞ飲んで下さいね」

 

 言われて見てみれば、確かに隅の方にそれらしき物がある。

 橘先輩は不満を何一つとして言うことなく、一礼してから生徒会室をあとにした。

 自分が関わってはならない領域だと察したからだろう。

 お言葉に甘え、オレはポットから紙コップに液体を注ぐ。この味は……緑茶か。平生は麦茶だから、新鮮な味だ。

 全部呷ったところで、堀北学が話を切り出した。

 

「さて綾小路。答え合わせをしよう」

 

「あんたがどこまで答えに迫れるか、楽しみにしている」

 

 洋介や一之瀬、『協力者』たちの報告はまだ届いていない。意外に時間が掛かっているが、それだけ石崎たちが抵抗しているのだろう。

 

 

 

「結論を先に出すとしよう。今回の『暴力事件』は──お前とCクラスが作った、人為的なものだな?」

 

 

 

 ぱちぱちと、オレは手を叩いた。

 それはつまり、堀北学の解答が正解だということ。

 彼の言う通りだ。

 今回の『暴力事件』、オレたちが仕組んだもの。

 もちろん、誤算もいくつかあった。例えば佐倉愛里(あいり)という、目撃者Xの出現。昨日、写真を見た時は内心、冷や汗を少しばかり流していたし、堀北の健闘ぶりには驚かされた。

 だが結局、須藤(けん)の『無実』は勝ち取れなかった。何故ならCクラスからすれば、彼を一日でも停学処分にさせれば良い。それだけのこと。

 そして須藤健が連中を殴った時点で、『無罪』は有り得ない。

 そしてオレたちの目的は二つある。

 

「お前たちの狙いは二つ。一つ目は、生徒間の諍いに、学校側がどこまで関与し、どのような判決を出すか。だがこれはあくまでも副産物。お前たちの真の狙いは──プライベートポイントがどこまで使えるか、その効果を実証すること」

 

 そう、それこそが今回、オレたちの最終目的だった。

 そのためだけにオレと龍園翔は計画を緻密に作り、実行してみせた。

 

「いつから考えていた?」

 

「五月上旬から」

 

 即答すると、堀北学は目を見張った。

 そして面白そうに喉を鳴らす。眼鏡のレンズ越しに見える瞳には、確かに、好奇心の色が映っていた。

 視線で尋ねてくる。

 オレは携帯端末を制服のブレザーから取り出した。小刻みに震えたからだ。メーセージが届けられた合図であり……『暴力事件』が消失した瞬間でもある。

 石崎たちが特別棟から校舎四階の生徒会室に移動するまで、どんなに急いでも十分は掛かるだろう。

 オレは目の前で答えを待つ彼に、全ての真実を話した。

 

 

 

 

§ ─五月上旬:和食店:夜─

 

 

 

 突然だが、五月上旬、オレと龍園がケヤキモール内にある和食店での出来事について聞いて欲しい。

 一緒に店を訪れていた椎名は既に居ない。本の発売日だと言って、本屋に行ってしまった。

 オレは龍園と向かい合うようにして座っていた。

 彼は意識の隙を突くようにして、誘惑してくる。

 

「単刀直入に言おう。──俺のスパイになれ」

 

 拒否するよりも先に、オレは呆れ顔を浮かべてしまった。

 龍園が何を言おうとしていたのかは察していたが、それでも、本当に言ってくるとは思わなかったからだ。

 

「オレが素直に頷くと本気で思っているのか?」

 

「ククッ、まさかな。逆にすぐ頷いていたらこの話はなかったことにしてたぜ。けど良いのか? 俺に協力しないということは、俺を敵に回すことだぜ?」

 

「Dクラスのオレなんかに時間を割いても良いことなんて何一つとしてないぞ」

 

 肩を竦めるが、龍園は静かに嗤い続ける。

 そして何やら言い始めた。

 

「綾小路清隆……ごく普通な一般生徒。お前のことを調べさせたが、そんな評価しか出なかった。すぐに調査が終わって驚いたくらいだぜ。──全てに於いて平凡な男」

 

「何を言い出すのかと思えば、そんなことか。言い返したいところだが、事実だからな。甘んじて受け入れるさ」

 

「ハッ──綾小路、嘘を吐くんじゃねぇよ」

 

「嘘? 何を言っているのかよく分からないな」

 

 とても愉しそうに、龍園は唇を歪める。

 それはつまり、何かを確信しているということ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、綾小路。学力でも、身体能力でもお前は、ちょうどクラスの真ん中に位置するだろう。恐らく学年でも変わらないだろうさ」

 

「何が言いたいんだ?」

 

()()()()()()()()()()

 

「断定するからには証拠があるのか?」

 

 犯人が言いそうなことを言うと、獰猛な目で、龍園翔はオレを見つめた。

 しかしオレが頷くわけがない。

 ……喉が渇いたな。オレは焙じ茶が入っているグラスを口元に近付ける。

 美味いなと呟いた、その瞬間だった。

 

「……ッ!?」

 

 龍園が素早い動作で殴りかかって来る。場所は顔。オレは首を傾けることで避けた。グラスに入っていた液体が僅かに溢れる。

 

「この距離で避けるか……!」

 

「この距離も何も、別に誰でも避けられるだろうさ。テーブルを挟んでいるから、一定以上離れている」

 

「クククッ、ジョークにもならないぜ。お前は飲み物を飲んでいた。当然、意識はそっちに割かれていたはず。が、お前は避けてみせた」

 

「偶然だ、偶然」

 

「まぁ良い。綾小路、お前が実力を隠していることが分かった、それだけで収穫はあった」

 

 ()()()()()()()()

 そう言ったところで、この男は考えを改めないだろう。

 

「話を戻すとしよう。スパイの話だったか。それはオレに、自分のクラスを裏切れと?」

 

「クラス闘争に興味が無いのなら、最悪、椎名が居れば良いだろ。事実今のお前に、特別親しい友人は居ない。違うか?」

 

「違うな。龍園、確かにお前の言う通り、事情があってオレは実力を隠している。それをこの短時間で察したのは素直に称賛しよう。だがお前は一つだけ読み違えていることがある」

 

「読み違えていることだと?」

 

 

 

「ああ、オレはいざとなったら椎名を切り捨てるだろう」

 

 何故多少無理をしてまで、他クラスの椎名ひよりと深い友人関係を築いているか?

 もちろん、オレ自身、彼女のことを好いているというのもある。女性として魅力的だとも思っている。これはオレの本心だ。

 だがしかし、同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女が『使える』人間なのは、入学してからの一ヶ月で分かっていた。

 とはいえ、そうなって欲しくはないとも思う。

 

「お前は面白いなあ、綾小路! 話せば話す程分かるぜ、俺とお前は同じだ」

 

「そうかもしれないな。否定する気はない。オレも……そしてお前も、()()()()()()()()()()()()()

 

 どうしても自分に利益があるのかを考えてしまう。

 これは呪いだ。呪縛が解ける日は来ないだろう。

 

「さて、スパイの話だったか。クラスを売るにしても、それ相応の対価が必要だ」

 

 言外で、用意してあるんだろうな? と問う。

『王』は当然とばかりに頷く。

 

「安心しろ、クラスを売ってもらうにしてもその話は今じゃない。オレの計画に『共犯者』として協力してくれればそれで良い。伝達役としてひよりを使う」

 

「それで、その計画とはやらは?」

 

「虚偽で満たされた『暴力事件』を起こす」

 

「……『暴力事件』か、一筋縄じゃいかないぞ。下手したら巻き込まれた生徒は『退学』になるかもしれないな」

 

 さらには尻尾を摑まれて、オレたちの元に辿り着く生徒も居るかもしれない。

 

「無論、計画は慎重に進める必要がある。Dクラスのお前と、Cクラスの俺とで管理するんだ」

 

 正気を疑いたくなるが、龍園翔は本気だ。

 冷静に思考する。

 実質不可能だが、不可能ではない。成功確率は半分すら超えないだろう。

 

「そこまでして実行するメリットは?」

 

「学校側の対応及び、プライベートポイントで出来ることの実験だ」

 

「一つ目は分かる。だが二つ目はいまいち要領が摑めないな」

 

 確かにプライベートポイントは出来るだけ所持しておいた方が良いだろう。

 しかしプライベートポイントはあくまでもクラスポイントの副産物だ。少なくともオレはそのように認識している。

 

「もしかして綾小路、お前……知らないのか?」

 

「知らないって、何をだ」

 

「Aクラスへの裏道に決まっているだろ。おいおい、まさか本当に知らないのか?」

 

「ああ。この一ヶ月間、そんな話は一度も耳に挟んでいない」

 

 必死に記憶を探るが、それらしき情報は見付からなかった。どうやら龍園の態度から察するに、一年生全体の共通認識らしい。

 オレは彼から教えて貰った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。裏を返せば、ポイントさえ払えばAクラスに昇ることが出来る、ということのようだ。

 とはいえ、対価はそれ相応に高く、2000万prが必要になること。

 さらに彼は教えてくれた。

 部活動や個人の活動で何らかの成績を残せば、クラスポイント及びプライベートポイントが振り込まれること。

 全部初耳だった。

 

「担任から言われなかったんだな。ククッ、お前らの担任は話に聞いていた以上の(くず)だな」

 

 嘲るように、龍園は茶柱先生を(おとし)めた。

 

「お前の狙いは分かった。やるだけの価値があると思う。特に二つ目はな。『共犯者』として手を貸すのも良いだろう。だが──弱いな」

 

「それは計画がか?」

 

「いいや、違う。龍園。もし『偽りの暴力事件』が成功したそのあかつきには、オレにプライベートポイントを譲渡してくれ」

 

「報酬が欲しいと?」

 

 面白そうに龍園は目を細める。

 聡い彼のことだ、現在の所持プライベートポイントは10万pr以上はあるだろう。五月分のCクラスのクラスポイントは490cl。

 その数値を基準にして計算する。

 

「ああ。オレは報酬として15万prを要求する。もちろん、今すぐに払って欲しいわけじゃない。分割払いでどうだ?」

 

「高いな。10万pr、これが上限だ」

 

「……分かった。遅くても今年中には譲渡してくれ。椎名経由で送ってくれればそれで良い」

 

『契約』が結ばれた。

 この決断が正しいか、それとも間違いなのは分からない。それでも後悔はしないだろう。

 

「綾小路、お前がもしクラス闘争に参加すると言うのなら、その時は相手になってやるよ。ひよりを使っても良いぜ」

 

「負ける未来は思い浮かべないのか?」

 

「負ける未来? そんなものはいつも思い浮かべている。俺はいつだって負けてきたからな。だが──最後に勝つのは俺だ。過程なんざどうでも良いんだよ」

 

 その言葉を瞬間、オレは今日初めて、心の底から笑みを浮かべた。

 

「2000万pr貯まったら、Cクラスに行くのも面白そうだな」

 

「その時は歓迎してやる。俺の片腕としてな」

 

「冗談よしてくれ。Dクラスに居ようと、Cクラスに居ようとオレは面倒事には巻き込まれたくないんだ。傍観させて貰う。平穏な学校生活を送れたらそれで良いのさ」

 

「ククッ、そう言う割には首を突っ込むけどな」

 

「今回だけだ」

 

 オレが今回手を貸すのは、何度も言うがそれだけの価値があるからだ。

 高度育成高等学校で生き抜いていくためにやるべきことは、学校の『システム』と『ルール』を理解すること。

 ()()()()()()()()()()()()

 例えば『プライベートポイントで買えないものはない』。学校側はこの言葉を公言しているが、限度がある。例えば生徒の人権なんてものは買えないだろう。本人の承認があれば話は別だろうが。

 兎にも角にも、その限度を見極めることが何よりも大切だ。

 

 

 

 

§ ─同日:生徒会室:午後四時二十二分─

 

 

「なるほど、よく分かった。およそ二ヶ月の準備期間の果てに、お前と龍園は『偽りの暴力事件』を起こしたというわけか」

 

「ああ。時期的にもちょうど良いと判断した。夏休みを目処に、クラス争奪戦が本格的に始まると視ているからだ」

 

 そうだろうと視線で問い掛けるが、堀北学は答えなかった。いいや、答えられなかったと言うべきか。

 

「時期を六月の下旬に決めたお前たちは、次に誰を『偽りの暴力事件』に巻き込むのかを考えた」

 

「Cクラスからは龍園の下僕の石崎は決定事項だった。そして不運にも選ばれたのが、須藤健だった。かなり早い段階から決まっていたよ」

 

「仮にも友人だろう。龍園をとめなかったのか?」

 

「いや、むしろ好都合だった。オレが当時関わりがあったのは須藤くらいだったからな。逆にやりやすかったくらいだ」

 

 オレが何故これまで須藤と朝の非生産的な行いに付き合ってきたのか。それはオレがこの時間を気に入ったから、というのもあるが、それはひとえに彼との信頼関係を築くため。

 彼が堀北鈴音に惚れたのは完全に計算外だったが、彼から恋愛相談を受けることでより一層、彼からは信頼されるようになった。

 彼の平生の行いを良く軌道修正させたのも、『偽りの暴力事件』が起こった時に、またこいつは面倒事を起こしたのかとDクラスのクラスメイトに思わせ、失望させるため。

 だが現実的に考えて、クラスメイトの助けがなければ須藤健は一方的に負ける。

 故に『成長』した彼が何らかの行動を起こすことは想像出来たし、そこに先導者が手を差し伸べることも想定内。そして一致団結……とまではいかないが、それに近いことが出来ればそれで良い。

 

「須藤健を標的にするにあたって、次は小宮と近藤を巻き込む必要があった。須藤の才能は入学当初から逸脱していた。嫉妬していた彼らは、あっさりと石崎に協力してくれたよ」

 

「あとは全て、龍園の策なのだろう?」

 

 正確には、龍園の策をオレと椎名が補完した形になる。

 彼女もまた、計画に関わった者の一人。争い事を好まない彼女は最初、『偽りの暴力事件』を起こすことに否定的だった。説得するのに時間を割いた。

 

「しかし運の要素が多分に含んでいたな。もし我々が権利を売らない、もしくは、10万prでは足りないと言ったらどうするつもりだった?」

 

「いや、確信していた。()()()()()()()()()()()()()()。学校側がそう、公言している以上、その言葉には意味を持たせないとならない。そして仮に学校側が請求額を決めるにしても、精々が10万pr辺りだろうと。その読みが外れても、オレは25万pr所持していたからな。それ以下だったら払えた」

 

「なに……25万prだと? そのうちの5万prはお前が元々所持していたもの、10万prは俺が譲渡したものだが……残りの10万prはどのようにして手に入れた?」

 

「龍園のプライベートポイントだ。だから今の彼の手持ちポイントは実質Dクラスの生徒とさほど変わらない状態だ」

 

「なるほど……と言いたいが、だとしたら何故、昨日の早朝に俺を呼び出した。確信していたのなら必要性は皆無だろう」

 

「生徒会がどこまで学校のルールを知っているのかを聞きたかったんだ。電話で話すようなことじゃないし、かと言って一年のオレが三年のあんたと話すのは話題となるだろう? だから敢えてあの場所にした」

 

 そのためだけに密会したと言っても過言ではない。

 この男は目立ってしまうから、人目を盗んで会うことに神経を使ってしまう。

 それにこの男はルールの中でオレの味方をしている。第三者に悟られない程度に、ひっそりとだ。それに応える必要があった。

 

「なるほどな……Cクラスから同席を認めるように申請させたのもお前たちの策略か」

 

「ああ。傍から見ていたら『不良品』を見下しているようにしか映らないだろう。学校の風潮を利用させて貰った。これで答え合わせは終わりだ」

 

「会長、綾小路くん。Cクラスの生徒がやって来ました」

 

 ノックし、橘書記が生徒会室に足を踏み入れる。

 困惑を隠せないでいる彼女に、生徒会長が声を掛ける。

 

「どうかしたか?」

 

「……小宮くんたちが、訴えを取り下げたいと言ってきています」

 

「ほう。……取り敢えず、全員着席させろ」

 

「分かりました」

 

 生徒会長の指示のもと、橘書記は一旦室内を退出し、関係者全員を呼びに行った。程なくして、Dクラス陣営の茶柱先生、堀北、須藤が、Cクラス陣営の坂上(さかがみ)先生、小宮、近藤、石崎が現れ、各々の席に座る。

 進行役の橘書記がまず先に口を開いた。

 

「それでは先程の話を生徒会長と綾小路くんに伝えて下さい」

 

 三人は尋常じゃない程の汗を掻いている。様子がおかしいのは誰の目から見ても明らかだった。

 代表して答えたのは石崎だった。

 

「この話し合い……無かったことにして欲しいんです」

 

「それはつまり、和解した、もしくは和解したいということか?」

 

 生徒会長が鋭い視線を浴びせる。

 露骨なまでに狼狽(うろた)えるが、それでも石崎は言った。

 

「ち、違うんです……。今回の件、僕たちは遅まきながらどちらが悪いという話じゃないことに気付いたんです。だから訴えを取り下げたいんです」

 

「訴えを取り下げる、か」

 

「何がおかしいんですか茶柱先生!」

 

 言葉を荒げる坂上先生に、茶柱先生は薄く笑みを浮かべて答えた。

 

「いや、失礼。てっきり私は今回、綾小路の暴走のせいで我々Dクラスが完全敗北するものと思っていたので。それがよもや訴えを取り下げるとは……意外な結末に驚いているだけですよ」

 

 歯軋りした彼は、次のターゲットとしてオレを定めた。

 

「綾小路くん! きみが何かしたのでしょう!? 小宮くんたちを脅すなりしたんじゃないんですか!?」

 

「坂上先生……僕たちはもう何があろうと訴えを取り下げます。考えは変えません」

 

 理解出来ないと、坂上先生は唖然とするしかなかった。

 頭を両手で抱える。

 その一方で、生徒会長と書記は小声でやり取りを交わしていた。どのように対処するか話し合っているのだろうか。

 やがて橘書記が生徒会の考えを口にした。

 

「訴えを取り下げると言うなら受理します。話し合いの最中に於いて、審議を取り消すケースは極稀にですが起こり得ますから。ただし規定に則り、小宮くんたちには諸経費として、プライベートポイントをいくつか徴収します。構いませんか?」

 

 初耳だとばかりに顔を見合わせるが、三人は頷いた。

 何があっても彼らは意志を変えないだろう。

 だがそこに待ったを掛ける人物が居た。

 

「待てよ。勝手に訴えて、勝手に取り下げる!? しかも大幅に遅刻して!? そんなの認められるわけがないだろうが!」

 

 須藤の不満は尤もだ。

 しかしそれでは困る。オレが彼を(いさ)める前に、生徒会長が何やら思案し始めた。

 

「須藤の主張も当然と言えよう。客観的に見れば、小宮たちの行動は自分本位のもの、自己中心的なものだ。よってポイントの徴収とは別に、綾小路にプライベートポイントを納入して貰おうか。一人につき1万prだ」

 

「ま、待ってくれないかね生徒会長! 生徒会に納めるのなら納得出来るが、どうして彼に……」

 

「小宮たちが時間に間に合っていたら、ポイントの徴収だけで済ませました。しかし坂上先生、彼らは開始時刻に大幅に遅刻している。どのような理由があるにせよ、これは紛れもない事実です。そして同時に、許されてはならないものです」

 

 生徒会長は冷静に言葉を続ける。

 

「判決を下すのは我々生徒会だ。これは絶対的なものであり、揺らぐことはない。しかし今回、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「どういうことだよ? 綾小路の方が強い権限を持つって?」

 

 話に付いていけない須藤が疑問の声を上げる。

 答えたのは茶柱先生だった。

 

「綾小路が昨日10万prで買ったのは、実質的には話し合いの場そのものだと言うことだ。例えば彼は、小宮たちを待たずに再審議会を開くことが出来た。しかし彼は待った。遅れてやって来たのにも拘らず身勝手に訴えを取り下げるなどと、許されるわけがないだろう?」

 

「そっか、そうだよな!」

 

 分かっているかは甚だ疑問だったが、本人が納得しているのならそれで良いか。

 

「その上で聞こう。訴えを取り下げるか?」

 

「は、はいもちろんです」

 

 一人につき1万pr。合計3万prがオレの手元に戻ってきた。ラッキーだと思うことにしよう。

 

「Dクラス側は認めるか?」

 

「……ええ、認めます」

 

「それではこれで『暴力事件』は終わりだ。解散してくれて構わない」

 

 学校中を巻き込んだ『暴力事件』は呆気なく幕を下ろした。

 Cクラス陣営は生徒は安堵の、教師は悔しそうな表情をそれぞれ浮かべながら生徒会室を出て行った。

 すぐに坂上先生の追及する声が聞こえてきたが、どうでも良いことだ。

 オレたちDクラス陣営も早々に立ち去ることを決める。扉を閉める直前、橘先輩が手を軽く振ってくれた。

 廊下に出ると、オレは茶柱先生に確認を取った。

 

「『暴力事件』は終わった。それはつまり、須藤は今日から部活に参加出来ますよね?」

 

「無論だ。青春を励むが良い。今だけだからな、思う存分に遊べるのは。それでは私は失礼する。仕事が山積みだからな」

 

 去っていく彼女の背中に哀愁さが漂っていたのは気の所為だと思いたい。

 残されたのはオレ、堀北、須藤の三人になった。

 どんな風に話を切り出したら良いかを考えていると、須藤に両肩を摑まれた。興奮しているのか、かなり痛い。

 

「綾小路、本当にサンキューな! お前にはいつも迷惑を掛けちまってよ……謝らせてくれ」

 

「謝るのはむしろオレの方だぞ。悪いな、勝手に行動して。今回は運が良かったよ。だからお前が謝って、感謝するのはオレじゃない。洋介や櫛田、そして堀北だ」

 

「もちろん堀北たちにも感謝している。けどよ……上手く言えないけどよ、俺は昨日、綾小路、お前があの行動を取ってくれた時嬉しかったんだ」

 

「そうか」

 

 須藤は照れているようだった。

 

「須藤くん。そろそろ部活に行ったらどう? 石倉先輩や顧問の先生が待ち侘びていると思うわ」

 

「ああ! そんじゃあまた明日な!」

 

 心の底から破顔(はがん)して、須藤は廊下を駆けて行った。走ると危ないが……今日は無礼講か。

 一週間強、彼は大好きなバスケットを禁じられた。是非とも部活を楽しんで貰いたい。

 これで残されたのはオレと堀北の二人。

 静寂は不意に切られた。

 

「──あなた、何をしたの?」

 

「何をしたとは?」

 

「Cクラスの三人が理由なく訴えを取り下げたとは思えない。なら答えは決まっている。あなたが昨日10万prを躊躇なく支払ったのは、昨日の時点で……いいえ、それよりも早い段階で解決策を思い浮かべていたから。違う?」

 

「想像に任せる」

 

「あくまでも答えるつもりは無いと」

 

 睨んでくるが、オレは見つめるだけに専念する。

 堀北鈴音に『偽りの暴力事件』を告げる気持ちはない。彼女は洋介とは違って、利用価値が感じられないからだ。

 もちろん、優秀だとは思う。

 しかしそれだけだ。

 現時点での彼女は、ただ優秀な生徒でしかない。

 

「それじゃあ、オレは帰る。また明日」

 

 一応挨拶をしたが、返事は返されなかった。

 予め分かっていたことだが、今回の一件でオレは、他の生徒からある程度警戒されるだろう。だが一応、布石は打っておいた。

 充分に機能するとは思えないが、無いよりかはマシだろう。

 オレは今後、動くつもりはない。ごく普通な平穏の学校生活を送るつもりだ。

 それにオレが動かなくても、変わりつつあるDクラスならある程度は戦えるだろう。

 オレが今回、『表』とは別に『裏』で狙っていたことは三つ。

 

 一つ目は、櫛田桔梗に『契約』を持ち掛けること。

 

 二つ目は、Dクラスの結束力を限りなく高めること。

 

 三つ目は、須藤健をDクラスの『財産』にすること。

 

 これら全ては計画当初には無かったもの。準備期間中、湧き上がったものだった。

 特に一つ目はオレにとっては真っ先に片付けたい問題だった。櫛田桔梗の存在如何(いかん)によっては、オレの高校生活に支障を来す可能性が高い。だからこそ、両者の立場を限りなく平等にすることによって、『契約』を結ぶ必要があった。

 二つ目、三つ目は、平田洋介を本格的な『協力者』に仕立て上げるもの。計画を打ち明けた際彼は当然ながら良い顔をしなかったが、Dクラスには何も被害が(こうむ)らないこと、そして長い目で見れば莫大な利益を齎すことを告げたら一応は納得してくれた。

 一之瀬帆波がDクラスに近付いてきたのは完全に想定外だった。そして彼女だけが、朧気(おぼろげ)ながらも『暴力事件』の本質を見抜き、オレに接触してきたただ一人の生徒だった。

 敵に回すよりかは、味方にした方が遥かに良い。嘘を嫌う彼女が、頷いてくれるとはあまり思っていなかった。

 しかしオレが偶然得てしまった情報、中間試験の下位クラスの下克上のカラクリ、そして今回の『表』の狙いを教えたら『協力者』として虚偽で満ちている筋書(シナリオ)に登場してくれた。

 今回の『偽りの暴力事件』、最大の被害者は言わずもがな須藤健だろう。怨まれても文句は言えない。

 玄関口で靴を履き替え、校門を通過しかけたところで、電話が一本入った。

 画面には、『椎名ひより』の名前が載っていた。

 

「もしもし」

 

「もしもし、全部終わりましたか?」

 

「ああ、丁度今終わったところだ」

 

「では、今すぐにケヤキモールに来て頂けますか? 綾小路くんの読み通り、佐倉さんが──」

 

「すぐに行く」

 

 通話を切り、オレは地を蹴った。

 すぐに椎名の位置情報が送られてくる。どうして彼女がと疑問は湧いたが、すぐに解消された。おおかた、巻き込まれたのだろう。

 示したのはケヤキモール内にある家電量販店の搬入口だった。

 

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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