ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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幕間 ─理想の在処─
分岐点 Ⅱ


 

 一年Cクラスの訴えの取り下げにより、東京都高度育成高等学校、全学年を巻き込んだ『暴力事件』は一応の解決をみせ、再び平穏が訪れた──。

 と言いたいところだが、残念なことに一学期期末試験がオレたちを待ち受けていた。

 一科目でも赤点を取ったら即退学という罰を下されるので、渦中(かちゅう)のクラスであった一年Dクラスの生徒たちは休む(ひま)もなく新たな試練に臨むことになった。

 当初は赤点者が出ることが危惧(きぐ)されたが、幸いにもオレたちDクラス、そして一年生からも退学者は生まれなかった。

 Dクラスを導いたのはやはりと言うか平田(ひらた)洋介(ようすけ)だった。交際相手の軽井沢(かるいざわ)(けい)と協力して率先して勉強会を開き、彼、彼女の影響力はますます増大することになった。

 一番危険視されていた三バカトリオ、須藤(すどう)(けん)(いけ)寛治(かんじ)山内(やまうち)春樹(はるき)と言った問題児たちについては、堀北(ほりきた)鈴音(すずね)及び櫛田(くしだ)桔梗(ききょう)が洋介とは別に勉強会を開催することで難を凌ぐことに成功してみせた。

 特に今回最も試験結果で注目を浴びたのは池だろうか。彼は現代文の教科でトップファイブに堂々と到来したのだ。これにはクラス担任である茶柱(ちゃばしら)先生も素直に称賛しており、彼が照れ臭そうに後頭部をぽりぽりと()いていたのは印象的だった。

 とはいえ、別段驚くべきことでもないとオレは思っていた。彼はDクラスの中で櫛田と並ぶ高いコミュニケーション能力の持ち主だ。評論分野ではまだ躓くだろうが、小説分野ではほぼ満点の成績を残してみせた。

 三バカトリオ、なんて不名誉な渾名(あだな)からまず先に脱却するのは彼かもしれない。

『暴力事件』に巻き込まれた須藤は、とても落ち着いた学校生活を送っていた。勉強に関してはある程度の意欲をみせ、『先生』から褒められると嬉しそうにしていた。平日や休日はほぼほぼバスケットボールの練習に取り組み、バスケットのプロ選手になるという夢を叶えようとしている。

 山内は(あい)も変わらずDクラス筆頭の『ホラ吹き』として名前を馳せていた。最近は佐倉(さくら)愛里(あいり)に熱い視線──本人から相談された──を送っているようだ。もしかしなくても惚れたのだろう。

 と、ここまでが最近のDクラスに起こった出来事だ。

 

 視点を変え、今度はオレについて語りたいと思う。

 

『暴力事件』の審議会の際、オレは訴訟者である石崎(いしざき)小宮(こみや)近藤(こんどう)の三人に10万prを支払うことで結論を伸ばすことに成功した。

 学校側は『暴力事件』だと断定していたが──訴えを取り下げ事件そのものがなくなったため過去形だ──、オレを含めた極一部の人間は『偽りの暴力事件』と呼んでおり、事件そのものを意図的に起こしたのだ。

 結果を先に報告しよう。

 目的を果たすために行動したオレは、代償として、クラスから浮いた存在になった。『不良品』のDクラスの生徒が10万prという大金を躊躇(ちゅうちょ)なく捨てたことだけでも目立つ要因となるのに、その翌日にはCクラスが訴えを取り下げたのだ。

 当然、真相を何も知らない生徒からしたら訳が分からないだろうが、それでも、オレが何かをしたのではないかと憶測することは出来る。

 綾小路(あやのこうじ)清隆(きよたか)という、これまで注目されなかった生徒の突然的な台頭に、気味悪がるのは当然の帰結と言えるだろう。

 興味、困惑、恐怖、とだいたいこれらの感情が彼らを支配し──構築しつつあった友人関係が一部崩壊した。

 クラスで友人だと断言出来るのはごく限られている。

 平田洋介、櫛田桔梗、須藤健、佐倉愛里、(ワン)美雨(メイユイ)あたりが真っ先に挙がるだろうか。

 平田洋介とは『協力者』としてある種の契約を結び、櫛田桔梗とは『不可侵条約』を結んでいる。

 次点で軽井沢恵や堀北鈴音だろうか。前者は洋介繋がりで、後者は隣人として。

 池や山内、沖谷(おきたに)と言ったメンバーとは完全に疎遠となってしまった。同時に、彼らと仲が良い、友達の友達の生徒たちとも縁は絶たれた。

 他クラスとなると、Cクラスで椎名(しいな)ひより。Bクラスで一之瀬(いちのせ)帆波(ほなみ)が挙げられる──。

 

「さて、お前たちは念願の夏休みに突入するわけだが、どうだ、楽しみか?」

 

 思考を中断して、オレは質問を投げてきた茶柱先生を遠くから静かに見据えた。

 期末試験を無事に通過したオレたち生徒は只今絶賛、一学期最後の帰りのSHRを行っていた。

 池がもちろんとばかりに頷く。

 

「モチのロンです! 俺は信じていましたよ、佐枝ちゃんセンセーが約束を守ってくれるって!」

 

 瞳を輝かせているのがありありと想像出来る。

 嬉しさのあまり流れた感涙の涙をブレザーの袖で拭いながら、彼は嗚咽(おえつ)を漏らした。

 いちいちオーバーリアクションだなぁ……と普段なら思われるだろうしクラスメイトから一斉に突っ込まれるだろうが、今回に限ってはそんなことはなかった。

 皆、輝かしい未来に思いを馳せだらしなく頬を緩めている。

 

「夏のバカンス! 青い海、白い砂浜、そして──可愛い女の子の水着姿! あははははははははは! もう、笑いがとまりません! あははははははははははは!」

 

「そ、そうか……それは何よりだ……」

 

 教え子の醜態(しゅうたい)に教師は一歩後退った。心做しか顔が引き攣っているし、あれは絶対に引いているな。

 だが、まぁ気持ちは分かる。

 茶柱先生は一学期中間試験の際に、『もし今回の中間テストと七月に実施される期末テスト。どちらでも退学者を出さなかったら、お前たち全員夏休みにバカンスに連れて行ってやる』と言っていたが、それは本当のことだったのだ。

 しかしバカンスだけではないだろう。

 

 ──絶対に何か裏がある。

 

 それが各クラスのリーダーの出した結論だった。Cクラスの『王』あたりは水面下で動いていそうだ。前哨戦は終わり、本格的なクラス闘争の開幕となるだろう。

 とはいえオレ自身楽しみだ。

 高校生活初の長期休暇、夏休み。浮かれに浮かれて顔が綻ぶのも仕方がない。

 

「今更集合時間や注意事項は確認しない。お前たちも高校生だからな、そんな時間があるのなら早く解放されて遊びたいだろう。──只今を以て、一学期の全過程を終了する。解散」

 

 うおおおおおおお! 雄叫びを上げるクラスメイトたち。

 遊びの計画を立て始める者、寮に帰る者、運動部の宿命(しゅくめい)か部活動に(はげ)む者と様々だ。

 オレはそんな彼らを一瞥してから、音もなく席を立った。今日のところは帰るとしよう。

 明日は洋介と外で遊ぶ約束をしているから、寄り道して明日の体力を損なうわけにはいかない。

 明後日(あさって)は椎名とケヤキモールに行って、買い物の予定だ。バカンスの準備をするらしい。

 スクールバッグを肩に担いだところで、教室前方から茶柱先生がオレの名前を呼んだ。

 

「綾小路、佐倉。悪いが職員室に来て貰おうか。大事な話がある」

 

 言うや否や、彼女は足早に教室をあとにした。

 クラスの連中は一瞬怪訝(けげん)な視線をオレと佐倉に向けたが、すぐに興味が尽きたのか関心を外した。

 

「綾小路くん、今度は何をしたの?」

 

「お前な……朝の挨拶以降、一言も会話をしていなかったのに第一声がそれか」

 

「特に話すこともないじゃない。それにあなたもその方が都合が良いでしょう?」

 

 否定出来ないのが悔しいところだ。

 隣人の堀北と会話をするのは(やぶさ)かではないが、未だにオレに嫌な視線を送ってくる(やから)が居るのも事実だからな。

 

「……まっ、取り敢えず行ってみるとするさ」

 

 またな、と隣人に別れを告げてから、オレは佐倉の姿を捜す。

 彼女はみーちゃんと一緒に居た。『暴力事件』以来、彼女たちは急速に仲を深めており、言わば親友の域にまで昇華していた。普通に羨ましい。

 

「佐倉」

 

 声を掛けると、佐倉はそれはもう顔色を悪くしていた。

 

「あ、綾小路くんっ。わ、私先生に呼ばれて……何か怒られるようなことしちゃったのかな……?」

 

「だ、大丈夫だよ愛里ちゃん。綾小路くんも居るから」

 

 みーちゃんは佐倉の背中を擦りながら優しく諭す。

 彼女の言いたいことは分かる。一人より二人だ。

 

「それじゃあ行こうか」

 

「う、うん……」

 

「が、頑張ってね二人とも」

 

 ……何を頑張れば良いんだろう。

 疑問が湧いたが、オレは敢えてスルーした。おおかた精神論のようなものだろう。

 みーちゃんに別れを告げ、オレは佐倉を促した。

 彼女と連れ立って廊下を歩く。相も変わらず、好奇な視線がオレを待ち構えていた。

 良い加減沈静化してくれると助かるんだが、この調子だと最悪、二学期にも尾を引きそうだ。

 階段を降ったところでオレは、自分の軽率さに気付かされた。オレだけなら自業自得のため甘んじて受け入れるが……。

 歩きながら、隣の少女に謝罪する。

 

「悪い。迷惑を掛けるな」

 

 ところが佐倉は、不思議そうに首を傾げるだけだ。

 オレは言葉を続けて聞いた。

 

「視線、佐倉にも行ってないか?」

 

「ううん、大丈夫だよ。皆、綾小路くんだけを見ているからかな」

 

「……分かるのか?」

 

「うん。周りの視線ばかりを考えて生きてきたから……何となく、だけどね……」

 

 恥ずかしいけど、と自嘲の笑みを浮かべる。

 オレは言葉にこそしなかったが、佐倉に尊敬の念を覚えていた。

『悪意』を知覚出来る能力というものはとても稀有(けう)なものでかなり役に立つ。それが彼女のような女性、さらには美少女なら尚更だ。

 

「綾小路くんも大変だね。その、もし良かったら相談に乗るから……と、友達としてっ」

 

「そうだな、その時が来たら頼らせて貰う」

 

「うんっ」

 

 佐倉は嬉しそうに微笑んだ。

 職員室が間近になった所で、オレは二人の生徒が出入り口前で立っているのを視界に収めた。

 どちらとも良く知る人物だった。

 

「こんにちは、綾小路くんに佐倉さん」

 

 二人のうちの一人、椎名が軽く手を振って挨拶をしてくる。オレは手を挙げることで応え、佐倉はこわごわと会釈をすることで応えた。

 オレは最後の一人に視線を向ける。そこには一年Cクラス、龍園(りゅうえん)(かける)の姿があった。

 

「久し振りだな、龍園」

 

「ハッ、精々が数週間だろうが」

 

「龍園くん、挨拶は大事ですよ?」

 

 椎名が諭すと、龍園はあからさまに苦い顔を作った。

 

「……チッ」

 

 わざとらしく舌打ちする。

 オレは笑いを堪えるのに苦労した。薄々察していたが、龍園は椎名に苦手意識を持っているようだ。

 だがまぁその気持ちは分かる。オレも時々、彼女の行動には付いていけない時があるからな。

 二人が日頃から仲良く行動をするようには見えないから、何かしらの理由があったのだろう。

 そしてここまで来れば、ある程度は想像出来る。

 

「椎名たちも職員室に呼ばれているとみて良いんだよな?」

 

「はい。SHRが終わるや否や坂上(さかがみ)先生に半強制的に連行されまして……だから龍園くんは機嫌が悪いんです」

 

「確かに俺は今お世辞にも機嫌が良いとは言えないが、その殆どの原因はお前にあるんだが」

 

 怒りを通り越して疲れを感じている龍園。

 Cクラスの人間が今の彼の様子を見たらさぞかし驚くだろうな。『王』の風格は限定的ながらも完全になくなっていて、今の彼はごく普通の高校一年生男子だ。

 

「……取り敢えず、中に入るとするか」

 

 自然と二列の形になって、生徒たちは魔境にへと足を踏み入れた。

 前衛がオレと椎名、後衛が佐倉と龍園という……かなり変な陣営となってしまったが。

 職員室に入る機会は普通の生徒はあまりない。普通の高校なら各自、教科係や委員会に属しているものだが、この学校にそんなシステムは確立されていないからだ。

 厳粛な空気が流れている中、各自の担任を捜す。幸い、目当ての人物はすぐに見付かった。

 茶柱先生は坂上先生と何やら話をしていた。遠目から見ても仲が悪そうだ。数週間前の騒動を考慮するのならば仕方がないのかもしれないが。

 オレたち四人が近付くと、教師たちは何も無かったかのように装った。なんだろう、社会の闇を垣間見た気がする。

 

「良く来たな。まさか揃ってやって来るとは想定していなかったが」

 

「たまたま会っただけですよ」

 

 やや目を見開いて、茶柱先生は「驚いたぞ」と言った。

 オレは彼女から一旦視線を外し、Cクラス担任の坂上先生を軽く一瞥した。やはりと言うか、恨みがましい目で見られる。

 どうやら、まだオレが何かしたと疑っているらしい。教師は一つの物ごとにそこまで固執する程に暇なのかと邪推してしまう。

 このメンバーの中で誰が交渉に相応しいのかを検討する。いや、検討する必要はなかった。あまり気乗りしないがオレが代表者になるのが一番だろう。

 

「それで茶柱先生、ご用件は何でしょうか?」

 

「ああ、すぐに終わらせる……と言いたいところだが、お前たち四人には生徒指導室に来て貰おうか」

 

「だったら最初からそこを集合場所にしろよ」

 

「こ、こら龍園!」

 

「俺は正論を言っただけだ」

 

「すみません茶柱先生、日頃から彼の態度には注意しているのですが……」

 

 慌てて平謝りする坂上先生が、ただただ可哀想だ。

 どうやら彼は、自分の教え子にはかなり甘いらしい。あるいは別の意図があるかもしれないが。

 それでも問題児の龍園の面倒を見る事が大変なことに変わりはないだろう。

 同情していると、椎名がくいくいとブレザーの袖を引いた。どうしたと目で問うと、彼女は顔をオレの耳元に近付けて囁く。

 

「あのように仰っていますが、注意したのは最初の一回だけですけどね」

 

 同情心は綺麗(きれい)さっぱりどこかに吹き飛んだ。

 これもまた大人の付き合い、社会の闇なんだろうなあ。

 構いませんよ、と薄く嘲笑の笑みを坂上先生に向けた我が担任は、「付いてこい」と職員室をあとにする。後を追うのは坂上先生で、オレたちはその後方に位置しながら移動を開始した。

 とは言っても、生徒指導室は職員室のすぐ近くに用意されているのだが。

 

「な、何が起こるのかな……?」

 

 道中、佐倉が後ろから小声で尋ねてくる。

 オレはなんと答えたら良いか判断がつかなかった。

 正直、彼女以外の面々は何が起こるのか、何が話されるのかを察していた。

 そして渦中に居るのが佐倉愛里であることも確信している。

 オレは逡巡(しゅんじゅん)した。話すことは造作もないが、下手すると彼女に精神的な負荷を与えてしまいかねない。いや、どの道数分後には同じ運命を辿るのだが、果たして、オレの口から話すことが良いと言えるのか。

 

「着いたぞ。中に入れ」

 

 悩んでいたら生徒指導室に着いてしまった。

 室内の内装は以前訪れた時と全く以て同じだった。給湯室に通じる扉然り、置かれたテーブルに椅子然り。

 椅子が二人分足りないことに、椎名がまず先に気付く。

 

「椅子、給湯室から持ってきましょうか?」

 

「済まないな」

 

 女性に雑事を一方的にやらせるわけにもいかないだろう。

 

「オレも手伝ってきます」

 

 龍園と佐倉に先に座るよう言ってから、オレは椎名に追従した。

 扉を潜ると、生徒指導室同様、前と変わらない光景があった。当たり前だが、盗み聞きをする輩は居ないか。

 とそこで、一件のメールが届いた。差出人には『須藤健』の名前が。今度バスケットボールをやらないかという誘いだった。手加減してくれという旨を書き込んでから快諾する。

 その後携帯端末を操作して、制服のブレザーの右ポケットにしまった。

 椎名は既に折りたたみ椅子を畳み、持ち運ぼうとしていた。しまった、手伝いのつもりが手伝いになっていなかった。

 

「悪い。手伝わせて貰っても良いか?」

 

「もちろんですよ。それではお言葉に甘えさせて頂きますね」

 

 椎名はお礼を告げてから、一個の椅子をオレに渡した。欲しい数は二つなので、もう一つは彼女自身が持つことになる。

 一瞬、二つ持とうか迷った。オレの瞳が微かに揺らいだのを見たのだろう、彼女は「ありがとうございます。でも大丈夫ですから」と一言断りを入れた。

 本人がそう言っているのならオレがでしゃばるのは良くないだろうし、同時に傲慢(ごうまん)でもあるだろう。

 隣室に戻ると、茶柱先生たちは着席した状態でオレたちを待っていた。

 先程とは違い、前衛が佐倉と龍園、後衛がオレと椎名の陣営となる。オレたちから左側にDクラス担任が、右側にCクラス担任の図式となった。

 シンとした静寂が一瞬訪れ、すぐに、龍園が話を切り出した。

 

「それで、俺たちを呼び出していったい何の用だ? こちとら夏休みを一秒でも楽しむのに忙しいんだがな」

 

 流石は龍園。

 教師相手にも微塵も物怖じしない。まぁ茶柱先生は一年Cクラスの日本史も受け持っていると以前口にしていたから、彼らは初対面ではない。が、やはり凄いものだ。

 だが茶柱先生も負けていない。子どもの挑発に乗る程彼女は愚かではなかった。

 謝意が込められていない謝罪をしてから、さっそく本題に入る。

 

「佐倉愛里、椎名ひより、龍園翔、そして綾小路清隆。学校は特例としてお前たち四人にのみ、クラスポイントとは別に、個別的なプライベートポイントを振り込むことを先日決定した。今日集まって貰ったのはその通達のためだ」

 

「えっと、どうしてですか……? どうして私たち四人だけに?」

 

 佐倉が戸惑いの声を上げる。

 無理もないか。突然、脈絡もなくクラスポイントとは別にプライベートポイントが与えられると言われて、はいそうですかと喜べるわけがない。

 現時点で生徒がポイントを得る方法は二つ。

 一つ目は、毎月一日に行われるポイントの支給。例えばDクラスのクラスポイントは現在95cl。現金に換算するならば×100するので九千五百円。

 二つ目は、生徒間でやり取りされるポイントの『譲渡』だ。これについては学校側からは特に制限は掛けられておらず、自由に交渉することが出来る。現にオレも、この譲渡システムを利用し、多額のプライベートポイントを所持している。

 茶柱先生は佐倉の質問に、なかなか、答えようとしなかった。先程のオレと同じく、どのように言うか言葉を選んでいるのだろう。

 しばらくして、彼女はおもむろに重たそうな口を開いた。

 

「……嫌な記憶を思い出させるようで悪いが、佐倉、お前はついこの前、ケヤキモールの家電量販店に勤めていた男性店員から前々からストーカー被害を蒙っていて、そして強姦に遭いそうになったな?」

 

 瞬間、佐倉の両肩が震えた。

 彼女がどのような心情を抱えているか、全部分かるとは到底言えないが、ある程度は察せられる。

 やがてこくりと彼女の顔が上下する。

 

「綾小路を除いた三人には既に警察から事情聴取を受けて貰っており、これ以上、学生のお前たちがこの事件に関与することはないと思ってくれて構わない」

 

「先生方、質問をしても宜しいでしょうか?」

 

 挙手をしたのは椎名だ。

 担任の坂上先生が許可を出し、彼女は珍しくも強い口調で詰問する。

 

「何故、今回のような事件が起こったのでしょうか」

 

「椎名さん。それはどのような意味合いですか?」

 

「私と龍園くんは最初から最後まで全てを目撃しました。ですから、佐倉さんが芸能人であることも、犯罪者が行き過ぎたファンだったことも理解しています。その上で伺いますが、学校側は彼女の素性を知っていたのですか?」

 

「それは……私の口からは言えません。何故なら佐倉さんは一年Dクラスの生徒だ。生徒の個人情報を教師全員が知ってはなりません。茶柱先生、あなたはどうですか?」

 

「……無論、知っていた。理由は言わなくても分かるだろう。お前たちはまだ子どもだからな、故に、そのような活動をする際には学校側の許可がいる。まぁそうは言っても、ルールとして活動は極端に制限されるがな」

 

 間違いないな? と佐倉に確認を取った。彼女は首肯する。

 

「話を戻すとしましょう。学校は佐倉さんがグラビアアイドルであることを認めていました。であるならば、このような事態が起こり得る可能性を想定していなかったのですか?」

 

「「……」」

 

 茶柱先生と坂上先生は無言で返答に窮していた。

 椎名の追及が尤もなものであり、また正論だからだ。

 さらなる追い討ちをかけるべく、龍園がさも愉快そうに笑いながら言った。

 

「佐倉の寮の部屋には何通もの手紙が送られていたそうじゃなねえか。おかしいと思うべきだよなあ……何せこの学校は、外部との連絡が遮断されている。管理人は不思議に思わなかったのか? 不定期的ながらも郵送される膨大な脅迫文をよ」

 

「……管理人が、生徒のポストに郵便物が届けられていたのを知っていた……というのは否定出来ない。事実違和感を抱いていたようだ。だが、誰のポストに何が投函されたのかを知る術はないだろう」

 

「ククッ、そりゃそうだろうさ」

 

 笑みを深めているのが見なくても分かるな。

 しかしオレも椎名や龍園とほぼほぼ同じ意見だ。

 些細なことだが爆弾は埋められていた。管理人が違和感を放置せず然るべき場所に報告していたら、今回の事件は未然に防ぐことが可能だったかもしれない。

 茶柱先生と坂上先生はただただ目を伏せることしか出来なかった。

 子ども……しかも自身の教え子に言われるがままにされるのは大層屈辱的だろう。反論したいのだろうが……流石に相手が悪いか。

 しばらくして、茶柱先生が深々と頭を下げた。坂上先生も釣られて頭を下げる。

 

「──佐倉には辛い思いをさせてしまった。私も深く反省している。もっと気に掛けるべきだった」

 

「い、いえそんな……! 先生、顔を上げて下さい!」

 

 恐縮そうに首を小さくした佐倉が、この状況で不釣り合いで、少しばかり見ていて面白かった。なんて言うか……和むな。

 彼女は中途半端に顔を後方に振り向かせて、オレに救援信号を目で送った。

 

「本格的に話を戻しましょうか。学校側の誠意は分かりましたし、佐倉もそれを受け取りました」

 

 目で確認すると、物凄い勢いで顔が縦に振られた。

 この場所から早く解放されたくて仕方がなさそうだ。

 オレはこの事件に関わったとは言い難い。事実茶柱先生が口にしていた通り、オレは警察から事情聴取を受けていないから、この見解は間違っていないだろう。

 なのにこの場で一番の部外者であるオレが代表して話を進めるのは皮肉なものだ。

 

「それでポイントを振り込むのと、どう繋がるんですか?」

 

「簡単なことだ。教師として色々と叱りたいところはあるが、それでもお前たちは級友を助けるために、巨悪な犯罪者に立ち向かい、逮捕に貢献した。学校はこれを実力と認めたということだ」

 

「それでポイントを支給すると?」

 

「ああ」

 

 即答する茶柱先生。

 椎名が隣で表情を(くも)らせるのを知覚する。(さと)い彼女のことだ、学校の狙いには当然気付いているだろう。

 龍園も絶対に察しているだろうが、意外なことに、彼はその点を指摘しなかった。まぁ彼の現在のプライベートポイントは少ないからな。貰えるものは貰っておいて損はないという考えなのだろう。

 

「具体的な数値を教えて頂けますか」

 

「もちろんだ。まずは綾小路清隆。お前には7万prが贈られる」

 

 妥当なところだろう。

 オレが事件現場に現れたのは舞台の終盤の終盤。貰えるだけラッキーだと思うべきだ。

 

「次に椎名ひより及び龍園翔。きみたちには15万prが贈られます」

 

 15万pr……換算すると十五万円か。かなりの大金だ。

 坂上先生の言葉に、Cクラスの二人は文句を言うことはせず了承の頷きをした。

 最後に残されたのは佐倉だ。

 事件の一番の被害者である彼女はどれだけのプライベートポイントが捧げられるのだろうか。

 

「最後に佐倉愛里。お前には30万prが贈られる」

 

「さ、30万──!?」

 

 想像以上の額に、被害者は驚愕に満ちた叫び声を出した。普段の彼女なら絶対にしないだろうが、それだけ衝撃的だったのだろう。

 

「驚いているが少ないくらいだと、私個人では考えている。が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その考えのもと、30万prになった」

 

「そんな……多過ぎるくらいです。あ、ありがとうございます……」

 

 茶柱先生はきょとんとした後、声を立てて純粋に笑った。いつもの冷たいものではなく、素で笑っているのが感じられる。

 

「お前は面白いことを言うなあ。佐倉、お前は巻き込まれたんだぞ? 糾弾ではなく、まさか感謝を告げられるとは思ってなかったな」

 

 苦笑いを浮かべる茶柱先生に、佐倉は恥ずかしそうに顔を俯かせた。

 けれど数秒後には上げ、ぽつぽつと口を動かす気配が感じ取れた。

 

「もちろん、とても怖かったです。けど友達が居てくれたから……だから私は、悪い意味でも良い意味でも、この日々のことを忘れないと、そう、思います」

 

「そうか。須藤と同様、お前も『成長』したんだな」

 

 茶柱先生は感慨深げに吐息を漏らした。

 前々から薄々ながらも察していたが、やっぱり彼女は人間で、人情はあるらしい。

 平生は隠れている側面が(さら)される中、坂上先生がこほんと咳払いをした。

 

「先程茶柱先生が仰いましたが、今回のポイント配給は特例です。今回のことを知っているのは先生方、そして生徒会長だけに(とど)まっています」

 

 随分と含みがある言い方だ。

 それにしても……まさか生徒会長すらも知っているとは。この学校の生徒会にはどれだけの権力があるのか、まだまだ謎は深まるばかりだな。

 

「ク、クク。無償でポイントをやるから口外しないようにという口封じのつもりか」

 

「つもりか、ではない。そのようにして貰わないと困る。当校が日本有数の進学校であることは知っているだろう。日本政府が創立した学校の生徒が事件に巻き込まれたなんてニュースは極力流したくない」

 

 日本有数の進学校云々については全くの嘘だったわけだが。

 だが対外的にはそのように偽りの宣伝をしており、甘美な言葉に(まど)わされた純粋無垢な生徒がこの高度育成高等学校を受験するのだ。

 生徒たちから白けた視線が送られるが、日本政府の犬は無表情で、けれど朗々と語った。

 

「無論、これは私たち大人の自分本位な考えだ。佐倉が正式にあの犯罪者を訴えたいのならばそれでも構わないが……どうする?」

 

 ふるふると被害者は首を横に振った。

 汚いやり方だ。

 茶柱先生が言ったように、この提案は自分本位のものだ。故に佐倉は蹴ることが出来、あの犯罪者を裁判で訴えることが出来る。

 しかしそうなると彼女は『悲劇のヒロイン』となってしまうわけだ。おまけに彼女は芸能人。世間では『マスゴミ』と蔑称が付けられている彼らがここぞとばかりに騒ぎ立てるだろう。

 学校内の敷地内では基本的には外部との接触及び連絡は禁止されているが、このようなケースの場合は恐らく例外的に適用されないだろう。

 他人の視線にひと一倍敏感な佐倉だ、当然、オレ以上に起こり得る出来事を想像出来るだろう。

 

「……分かりました。先生たちの申し出を受けます」

 

「そうか。ポイント支給についてはお前たちお楽しみのバカンスに行く直前の前夜に振り込まれる予定となっている。それが嫌ならば、この後に行う手続きを取ろう。どうする?」

 

「俺は今すぐに欲しい」

 

 名乗り出たのは龍園だった。

 彼の狙いは分かった。分割払いで良いと言ったはずなんだが……意外にも彼は、こう言った約束事は早めに果たすようだ。

 いや違うか。

 先を見通しての判断だろう。実に賢明だな。

 

「話はこれで終わりだ。夏休みの貴重な時間を使ってしまい悪かったな。各自解散してくれて構わないぞ」

 

「龍園くんは私と職員室に来て下さい。手続きを済ませますから。椎名さんはどうしますか? ついでに行うことも可能ですよ?」

 

「それでは私もお願いします」

 

 Cクラスが先に生徒指導室をあとにする。

 オレと佐倉も椅子から臀部(でんぶ)を離そうとするが、待ったが掛けられた。

 

「綾小路、お前には悪いが残って貰う」

 

 先程の発言はどこに飛んだんだ。

 げんなりするが、ここで断ると、のちのち、面倒臭いことになりそうだ。そんな確信がオレにはあった。

 

「私、待ってるね」

 

 佐倉はそう言ってくれたが、茶柱先生はその誘いを断ち切った。

 

「悪いがかなりの長話になる。済まないが佐倉、今日のところは帰ってくれ」

 

「……だそうだ。悪いな」

 

「う、ううん……大丈夫だから。あ、あの綾小路くんっ」

 

「なんだ?」

 

「今度だけどね……。みーちゃんと綾小路くんと私で、ど、どこか遊びに行きませんか!?」

 

「……」

 

 オレは瞑目した。

 まさか向こうから遊びに誘ってくるとは考えもしなかったからだ。

 

「あぅ……だ、ダメ?」

 

「いや、大丈夫だ。遊ぼうか。日程や場所はチャットで決めるってことで良いか?」

 

「うんっ。茶柱先生……さ、さようなら」

 

「ああ。良い夏休みを過ごしてくれ」

 

「綾小路くんも」

 

「ああ、また今度な」

 

 一際大きく顔を綻ばせて、佐倉は生徒指導室から出ていった。

 部屋に残ったのはオレと茶柱先生の二人だけ。

 沈黙が降り注ぐ中、オレは椅子から立ち上がった。

 

「椅子、戻してきますね」

 

 返事を待たず、オレはさっさと両脇に折りたたみ椅子を挟んで給湯室に向かった。元の場所に戻す。

 これまでオレは茶柱先生と個人的に話す機会が少なくなかった。そしてその殆どが面倒臭い案件のもの。

 生徒と教師が話すようなものはあまりなく、今回の一件もそうだろうと軽々と想像出来る。

 嘆息してから移動し、彼女の真正面に座った。

 

「それで茶柱先生、オレにいったい何の用ですか?」

 

「綾小路、お前はこの部屋についてどう思う?」

 

 さっそく本題に入ろうとするオレに、彼女は話に全然関係ないことを言ってきた。

 理解に苦しむ質問だが、少し考えて答える。

 

「生徒が行きたくない場所トップスリーに入るんじゃないんですか」

 

「ほう。参考までに聞くが、そのトップスリーには何が入る?」

 

「上から順に、職員室、生徒指導室、生徒会室ですかね」

 

「さらに聞くが、何故そう思う?」

 

「何故って……」

 

 オレは答えに窮した。

 明確な言葉があるわけではないからだ。

 黙り込む生徒に、教師は薄く笑った。

 

「済まない、嫌な質問だったな。……そう、私もお前と同じ意見だ。おおかたお前が挙げた部屋が、ランクインするだろう。だがここで疑問が生じる。何故だ? どの部屋も生徒を害する部屋ではない。にも拘らず、お前たちは心の奥底で苦手意識を持っている。思春期とは難しいものだよ。そうは思わないか?」

 

「教師であるあなたがそう考えるのならば、そうなんじゃないんですか」

 

「だがこの苦手意識は生徒だけが持つものだ。特にこの部屋は良いぞ。何せ監視の目がない。個人のプライバシーに多く関わる話をするが故の配慮だな」

 

 確認すると、確かに言う通りだった。

 監視カメラが設置されていない。

 

「話とは私に関するものだ。教師になって以来誰にも言わなかった身の上話でもある。興味ないだろうが、戯言だと思って聞いて欲しい」

 

 茶柱先生の身の上話、か。

 彼女が言ったように、オレはそんなものに興味はないし、聞いたからと言って特に関心を示さないだろう。

 だがそれとは別に興味があることがある。

 これまで不明瞭だった彼女の輪郭がここで浮かび上がるかもしれない。

 

「突然で悪いが、お前たちDクラスには担任の茶柱佐枝(さえ)はどのように思っている?」

 

「そうですね……まずは美人だと思いますよ。実際、入学当初は殆どの男子が騒いでいましたからね。女子でも憧れを持つ生徒は多かったと思います。まぁ五月になってからの先生の豹変ぶりにはド肝を抜かれていましたが」

 

「それで?」

 

「他の先生と比較して構わないのなら、Dクラスの行く末に無関心、どうして教師をやっているんだろうと疑問に思っている生徒が多いようですね。先生はかなりの問題発言を何度か口にしていますし、まあ、妥当なところじゃないですか」

 

 あくまでもDクラスの生徒が持っている共通の印象を語った。

 茶柱先生はオレの言い回しに気付き、目を細めて尋ねてくる。

 

「まるで、お前は違うと言いたげだな」

 

「ええ。オレの印象は少しばかり彼らとは違います。先生は自分のことを冷酷な人間だと思っているようですが……あなたは、そこまで非情には徹することが出来ない人間だ」

 

 先入観を無くせば誰にも分かることだ。

 茶柱佐枝という人間は、大多数の人間から視れば『冷たい』『残酷』『薄情』と言った心象が持たれることだろう。

 だがそこまでの人間ではない。

 とはいえ──そこに弱点が見え隠れしているのだが。

 

「オレと先生は何度か、こうして二人きりで話す機会がありましたよね」

 

「ああ、そうだな」

 

「オレなりに考えてみました。何故──入学当初は生徒Aでしかなかったオレを、あんな嘘を()いてまで呼び出したのか。何故──オレを須藤健の判決を巡る審議会に参加させようとしたのか。何故──こうしてオレたちは話をしているのか。しかも茶柱佐枝という人間のプライバシーに関わるものですよ、考えないわけがない」

 

「……答えを聞かせて貰おうか」

 

 茶柱先生の雰囲気が一変する。

 殺意が込められた眼光は、見る人を恐怖で縛らせるだろう。

 しかしそんなものはオレには意味が無い。

 現にほら──唇が微かに震えている。

 オレは勿体ぶるようにして呼吸を繰り返した。

 殺気は高まるばかりで、同時に、唇の震えは大きくなる。

 そしてオレは自身の答えを口にする。

 

「茶柱先生、()()()()()()()()()()()()()。違いますか?」

 

 下克上──Aクラスになること。

 オレのこの考えを誰かに言ったら、茶柱先生を少しでも知っている人間は鼻で笑ってバカバカしいと一蹴するだろう。

 確たる証拠なんてものはない。オレがこの三ヶ月間で抱えてきた違和感に従ったが故の妄言の(たぐい)だ。

 だが──。

 相対する彼女は目を剥いていた。オレの妄言が事実に彩られていく。

 

「……何故、その答えに辿り着いた……?」

 

「最初に違和感を覚えたのは四月下旬に行われた小テストの時でした。あの時茶柱先生は監督官として教室を巡回していましたよね。そしてあなたは、オレの横を通る際に一度止まった。最初は偶然だと思っていましたよ」

 

 オレの席は窓際の一番後ろ。

 方向転換をするために一度立ち止まるのは不自然なことではない。

 だからあの時は疑問にこそ思ったが大して気にはしなかった。

 

「茶柱先生がオレのことを知っている……知りすぎているのは、こうして話す度に分かってきました。どうしてかは分かりませんが。恐らく、綾小路清隆という人間を推し量ろうとしていたんじゃないんですか?」

 

「……」

 

「沈黙は肯定と見なします。……あなたの過去に何があったのかは分かりませんが、兎にも角にも、あなたは下克上を狙う使命を負っていた。これまでの朝夕のSHRの際、あなたは生徒に告げるべき事柄を言ってこなかった。普通なら許されませんが、恐らく、これは各担任の判断に任されているのでしょう」

 

 実際、彼女は本当に告げるべき事柄は告げていた。

 もちろん知っていて損は無い情報はいくつかあった。が、知らなくても損は余りない。

 茶柱佐枝は『道化師』としてDクラスの担任を務めていた。

 

「オレはさらに考えました。何故、茶柱佐枝は必要以上に情報を与えなかったのか? それは──あなたが『優良品』に変わり得る可能性を持つ『不良品』なのか見極めるため。違いますか?」

 

「……」

 

 またもや沈黙。

 オレは嘆息してから言葉を続ける。

 

「先日の審議会の際。先生は佐倉が目撃者として場に躍り出た際、坂上先生の詰問から庇っていましたよね。あの時ではどちらが勝つかまだ分からなかった、だから咄嗟に言葉が口から出た。もちろん、これだけじゃありません。あなたが捨てた情報は、大半がプライベートポイントに関するものでした。その反面クラスポイントについてはちゃんと伝えています。あなたはクラスの意識がクラスポイント──クラス闘争に向くように誘導していた」

 

 矛盾だらけだった茶柱佐枝の言動が解明される。

 

「……お前は恐ろしい奴だな……」

 

「随分と話を折ってしまいましたね。それじゃあ教えて下さい。先生の身の上話を」

 

「ああ、聞いてくれ」

 

 茶柱先生曰く、彼女も数年前は高度育成高等学校に在籍していた生徒の一人だったようだ。それはつまり、一年クラスの担任、星之宮(ほしのみや)知恵(ちえ)も同期だと判断して良いだろう。

 茶柱佐枝は『不良品』の巣窟、Dクラスに選出された。もっと優秀だと思っていただけに、これに関しては素直に驚いた。

『不良品』と言っても、彼女が在籍していた当時は今程の圧倒的な差はなかったらしい。卒業する三年の三学期まで、AクラスとBクラスのクラスポイントの差は100cl。充分に巻き返せる数値だろう。

 些細なミスで戦況は一変する。

 その些細なミスを、茶柱佐枝が犯した。否、犯してしまったと表現した方が正しいだろうか。

 結果、Aクラスの夢は粉々に砕かれてしまった。

 過去を語る彼女の口から出た言葉のはしはしから、過去を悔いているのが感じられた。

 そして今、彼女は教師となった。薄々ながらも察していたが、教師も教師で実力至上主義のようだ。

 

「お前たちは『不良品』の烙印を押されているが、私は、()()()()()()()()と考えた。堀北鈴音、平田洋介、櫛田桔梗、高円寺(こうえんじ)六助(ろくすけ)と……潜在能力(ポテンシャル)の高い生徒が多い」

 

 当たり前だが、その中にオレの名前はなかった。

 

「それでは何故、先生はわざわざこの話を?」

 

 それこそ、今挙げた候補の中から誰かに告げれば良い。殆どの生徒が彼女に同情し、任せて下さい!と言うだろう。

 ところが彼女はこう言った。

 

「私は綾小路、お前こそがAクラスに上がるために必要不可欠な存在だと考えている。例えば中間試験や、つい先日の『暴力事件』──」

 

「先生、それは詮索はしないと約束したはずですが」

 

「……無論、約束は守る」

 

 言葉での約束なんて交わしても意味は無い。

 なのに人は約束を交わす。

 約束を守ることが信頼関係を築けると理解しているからだ。

 

「その件については良いでしょう。それより、オレが下克上に必要? なるほど、確かに茶柱先生、あなたならそう考えても仕方がないでしょう。だが察しているはずだ、オレが何を望んでいるのかを」

 

「ああ。お前が如何(いか)に平穏を望んでいるのかは分かっている」

 

「ならこれ以上の話は無駄ですね。あなたはオレが動くことを期待しているようですが、オレはそのつもりが微塵もない。話は平行線のままで、どちらも折れることはないでしょう」

 

 椅子から立ち上がる。

 スクールバッグを担ぎ、別れの挨拶を口にしようと顔だけ振り向かせると……そこには、ただならぬ気迫をもってしてオレを睨む茶柱先生の姿が。

 

「……まだ何かあるんですか?」

 

「──数日前、『ある男』が学校に接触してきた。彼はこう言った。綾小路清隆を退学させろ、とな」

 

 なるほど、まだ話はあるようだ。

 オレはわざとらしくため息を漏らしてから、聞く姿勢を一応は取った。だが椅子には座らない。

 ブレザーの左ポケットに片手を突っ込む。

 傲岸不遜(ごうがんふそん)なスタンスを取るオレに、茶柱先生は眉間に縦皺(たてしわ)を作る。

 

「退学させろ、ですか。その男はそれ以上何か言いましたか?」

 

「いいや、何も。彼はその言葉を言うなり電話を切ったからな」

 

「また奇怪な電話ですね。その男が何者かは知りませんが、本人の意思を無視して退学なんてさせられませんよ」

 

「当然だな。第三者がどう言おうと、退学になど出来るはずがない。この学校の生徒で居る限り、お前はルールによって守られている。これは絶対的なものだ。が、問題行動を起こせばその限りではない」

 

「問題行動、ですか」

 

「そうだ。飲酒、喫煙(きつえん)(いじ)め、盗み、カンニング。この学校はそう言った不祥事にはとても厳しい」

 

 彼女の言葉に嘘は含まれていないだろう。

 

「残念ですね。オレはそんな馬鹿げた行為をする程愚かじゃないんで」

 

「お前の意思は関係ない。私がそうだと判断すれば、全てが現実になるということだ。退学にはなりたくないだろう?」

 

「それ、本気で言ってますか? 確かに教師の言葉には一定の『力』がありますが、生徒にも同等の『力』があり、大きさで言えば生徒の方が大きいですよ」

 

 ところが茶柱先生は薄い笑みを浮かべてみせた。

 虚勢にはどうしても見えない。この女は多分、本気でやろうとするだろう──そう思わせるだけの力があった。

 

「脅迫ですか。随分と陳腐(ちんぷ)な手ですね」

 

「これは取引だ、綾小路。お前は私のためにAクラスを目指す。私はお前のために全力で綾小路清隆を守ろう。公私混同を私は好かないが、それすらも視野に入れている」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼女はあくまでも取引と言っているが、これは脅迫以外の何物でもない。

 そもそも取引とは同じ立場の者同士が交わすものだ。

 オレはこれを脅迫だと断定する。故にまずは、立場を対等にしなくてはならないだろう。

 オレはブレザーの左ポケットからある物を取り出した。

 それは小型の盗聴器だった。

 

「……盗聴器、か……」

 

「ええ、当然ですよ。あまりにも嫌な予感がしたものですからね」

 

「……ちなみに聞くが、どこから録音した?」

 

 オレは答えることはせず盗聴器を操作した。

 こちらの方が早いだろう。

 微かな駆動音と共に声が出される。

 

『──……まだ何かあるんですか?』

 

『──数日前、ある男が学校に接触してきた。彼はこう言った。綾小路清隆を退学させろ、とな』

 

『──退学させろ、ですか。その男はそれ以上何か言いましたか?』

 

『──いいや、何も。彼はその言葉を言うなり電話を切ったからな』

 

『──また奇怪な電話ですね。その男が何者かは知りませんが、本人の意思を無視して退学なんてさせられませんよ』

 

『──当然だな。第三者がどう言おうと、退学になど出来るはずがない。この学校の生徒で居る限り、お前はルールによって守られている。これは絶対的なものだ。が、問題行動を起こせばその限りではない』

 

『──問題行動、ですか』

 

『──そうだ。飲酒、喫煙、苛め、盗み、カンニング。この学校はそう言った不祥事にはとても厳しい』

 

『──残念ですね。オレはそんな馬鹿げた行為をする程愚かじゃないんで』

 

『──お前の意思は関係ない。私がそうだと判断すれば、全てが現実になるということだ。退学にはなりたくないだろう?』

 

『──それ、本気で言ってますか? 確かに教師の言葉には一定の『力』がありますが、生徒にも同等の『力』があり、大きさで言えば生徒の方が大きいですよ』

 

『──脅迫ですか。随分と陳腐な手ですね』

 

『──これは取引だ、綾小路。お前は私のためにAクラスを目指す。私はお前のために全力で綾小路清隆を守ろう。公私混同は私は好かないが、その分野すら視野に入れている』

 

 今しがたの会話が再生された。

 オレと茶柱の視線が交錯する。

 

「……これは問題行動だぞ、綾小路」

 

「ええ、でしょうね。茶柱先生が学校に訴えたらそのような判定が出るでしょう。ですが……それはあなたも同じこと」

 

「互いに武器を持ったか」

 

 これで良い。

 教師が生徒を訴えたら、生徒もまた教師を訴えれば良いだけだ。問題行動となるだろうが、退学処分には程遠いだろう。

 むしろ生徒を脅迫した彼女の方が痛手を蒙る。

 茶柱はどうでも良い。やろうと思えば辞職にだって追い込めることが出来るだろう。

 

「これは少し考えれば分かることですが、夏休みに行われるバカンス。二週間もの無償の善意。これは嘘ですよね。()()()()()()()()()()()?」

 

「……」

 

 茶柱は口を噤んだ。

 これは最重要事項のはずだから、彼女は決して口を割らないだろう。

 

「その際に何が起こるのかは分かりませんが……そうですね、こうしましょうか。夏のバカンス中に起こった出来事に対してはオレも全力で事に臨みます。クラスのためにベストを尽くしましょう。その代わり、先生はオレを卒業まで守って下さい。もちろん、今後一切の脅迫はなしです」

 

「一時的な協力と永続的な協力が認められると思っているのか?」

 

 無論、認められるわけがない。釣り合っていないことは誰の目にも明らかだ。

 逆に容認されたら疑って然るべきだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。あなたはオレの存在が必要不可欠だと言いましたが、なら、オレが居ない状態でもAクラスに行けるだけの戦力を持たせれば良い。そうなればオレは必要ないはずです」

 

「だが──」

 

「呑めないと言うならこの話はなかったことにしましょうか。それが互いの為になる。オレたちは夏休みについて談笑した、これで終わりです」

 

 静寂が室内を支配する。

 茶柱は数分に渡って思案していた。

 彼女が本当に下克上を狙っているのならば、取るべき行動は決まっている。

 おもむろに声が響いた。

 

「……分かった。取引に応じよう。まさか、脅迫のつもりが取引になるとはな……」

 

 その点については茶柱自身の失態だ。

 口振りから察するに、会話を録音することは想定していた。なら何故、その想定をもっと形にしないのか。

 あるいは、これこそが茶柱の狙いだったかもしれない。だとしたら評価を改める必要があるだろう。

 

「それじゃあ、オレはこれで」

 

「……ああ、良い夏休みを」

 

 送られた声は心做しか疲弊を帯びていた。

 生徒指導室を退室し、玄関口に辿り着いたところでオレは、ブレザーの右ポケットから携帯端末を出した。

 表示されているのは、『録音中』という文字。停止ボタンを押し、端末を元の場所に戻す。

 オレは盗聴器だけでなく、端末でも茶柱との会話を録音していた。

 盗聴器を使っていたのは、茶柱が『あの男』の話題を口にした時から。端末を使っていたのは、椎名と共に給湯室から折りたたみ椅子を持ち運んだ時からだった。

 これで茶柱への対策は出来た。

 

 問題は──『あの男』が本当に接触してきたかどうか、判断がつかないところだ。

 

 茶柱の嘘だという線、本当だという線はそれぞれ半々だ。

 真実を確かめる(すべ)がないオレは、彼女の取引を完全にとまではいかないもある程度は応じる必要があった。

『あの男』に一教師が役立つかと聞かれたら否だが、学校側からの助っ人はないよりはマシだろう。

 そのためにも『結果』を出さなくてはならない。

 脳内で様々な策謀が思い浮かぶ。実現不可能から実現可能なものまで千差万別。

 Dクラスが『勝つ』ために必要な方法。

 ()()()()()

 今回に限っては『勝つ』ことに専念する必要はない。

 Dクラスが充分に戦えるように仕向ければ良い。

 そのためにやるべきことは──ただ一つだけ。

 オレは並木道を通りながら、何となく空を見上げた。

 夏空。天高く昇った太陽が激しく照りつける。そのあまりの眩しさに目を細める。

 平穏を誰よりも望む人間は、その実、最も平穏から遠ざかる。

 厳夏が本格的に襲来する中、クラス闘争が今まさに開幕しようとしていた。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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