ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

32 / 87
佐倉愛里の決意

 

 これまでの人生に於いて、私に『友達』は居なかった。ううん、この表現は正しくないよね。居なかったんじゃない。私が勝手に怖がって、作ることを拒絶していただけ。

 誰かとの繋がりがなければ人は生きていけない。そんな当たり前のことが頭では分かっていても、私は恐怖心に支配されたままだった。

 けれど高度育成高等学校に入学してから、私は変わることが出来た……と思う。相変わらず臆病だけど、少しだけ……けれど私にとってはその少しがとても大きな意味があって──『勇気』を持つことが出来るようになった。

 

「すぅー……はぁー……」

 

 昨日から高度育成高等学校の生徒は夏休みに入った。そして二日目を迎えた今晩、私は携帯端末の前で深呼吸をしていた。

 

「ど、どうしよう……緊張する……!」

 

 意味もなく髪の毛を(いじ)り、とうとう手鏡を取り出した。鏡に映っている私は、想像通りの顔をしている。全体が(ほの)かに赤らみ、耳まで侵食している。そんな自分が見ていられなくて、あわあわと両手を振ってしまった。

 

「出来るできる私は出来る。大丈夫だいじょうぶ……」

 

 最後にもう一度深呼吸してから、私は携帯端末を勢いよく摑む。そしてPINコードを打ち、そのままチャットアプリを開く。

 このチャットアプリは相手と友達申請をすることで、いつでもどこでも相手と話すことが出来る。無料で電話をすることも出来るし、最近はビデオ通話も実装された。若者の多くがこのアプリをインストールしている。

 私の『友達』に登録されているのは自慢じゃないけど少ない。つい数日前までは櫛田桔梗(くしだききょう)さんや平田洋介(ひらたようすけ)くんしか居なかった。二人とも、(ひと)りの私を心配して『友達』になろうと誘ってきたのだ。ここだけの話、当時は何とかやり過ごせないかと思ったりもしたけど……。

 一応、『一年Dクラス』というグループにも参加しているけれど、このグループに誰かの発言が投稿されることはあまりない。平田くんが明日の学校での用事について連絡することが時折(ときおり)あるくらいだ。

 

王美雨(みーちゃん)……綾小路(あやのこうじ)くん……」

 

 数日前、『友達』になった二人に思いを馳せる。

 王美雨(ワンメイユイ)さんと、綾小路清隆(きよたか)くん。

 この二人が、高校で初めて出来た私の友達の名前だ。

 突然だけれど、臆病な私には一つだけ他人に誇れることがある。その人の目を()たら、ある程度その人のことが分かる、ということ。

 もちろん、あくまでも()()()()だから外れることもある。けれど私はこの『目』を大切にしていた。

 何故、この『目』が私にあるのか。それが私の『秘密』に関係しているのは間違いないだろう。

 王美雨(ワンメイユイ)さんが私と似たような人種なのは『目』を使うまでもなくすぐに分かった。コミュニケーションが苦手な私たち。私と違うのは、彼女には行動に移せる『勇気』があるということ。

 けれど──綾小路清隆くん。彼の『目』を視た時、私は嘗てない衝撃に(おそ)われた。未知(みち)に対する興奮か、それとも未知に対する恐怖なのか。どちらにせよこれまで視たことがない(ひとみ)の『色』だった。私はあんな『色』を持つ人を見たことがない。全てを照らす純白の輝きと、全てを覆う暗黒。相克(そうこく)している二つの『色』は私の『目』を()き付けた。

 

「よしっ!」

 

 先に王美雨(ワンメイユイ)の名前をタップし、チャット画面に飛ぶ。私から言葉を(おく)ったことはまだ一度もない。これまでの履歴(りれき)を見ると、『分かりました』『はい』『うん』など、全てが事務的な対応をしてしまっている。

 愛想がないにも程があるし、あまりにも失礼だ。けれど(ワン)さんは何度も何度も私に言葉を(おく)ってくれた。

 

「今の私なら……出来る……!」

 

 予め頭の中で考えていた文章を(つく)っていく。何度も打ち間違え、短い文章なのに何分も時間が掛かってしまった。それがあまりにも私らしくて苦笑い。

 と、視界の隅に現在時刻を示すデジタル時計があった。

 

「ど、どうしよう……!? 今から送ったら迷惑じゃないかな!?」

 

 時計は残酷にも『22:34』を表示していた。

 あわあわと震える私を誰かが見ていたら、さぞかしその誰かは呆れ返るだろう。

 

「あっ」

 

 漏れた声が自分のものだと気付くのにそこそこの時間を要した。

 携帯端末を持つ両手が震える。そこには、誤タップで送った文章が新しく表示されていた。

 

『明日、もし良かったら遊びませんか?』

 

 私は無性に泣きたくなった。あまりにも自分が惨めだと思ったのだ。

 

 ──そ、そうだ……今ならまだ投稿を取り消せる……! 

 

 そうだ、そうしよう。それで気にしないで下さい、と謝罪コメントを()えれば良い。コメントを消すために必要な操作をしようと──して、私は硬直する。

『既読』というマークが付いたのだ。つまり、(ワン)さんは私の遊びの誘いメールを読んだということになる。

 

「……」

 

 気付けば私は目を見開いて、彼女の返信を待っていた。その瞬間を見逃さないよう、神経を()()める。

 ごくりと生唾(なまつば)を呑み込んだ、その時──携帯端末が振動した。画面が切り替わり、中央には『王美雨(ワンメイユイ)』の名前が。

 

「どどどどど、どうしよう!?」

 

 まさかの展開にわたわたと慌てる。

 と、取り敢えず電話に出ないと……! 

 手を一度止めてから、勢いよくコールボタンをスワイプした。

 

「も、もしもし……」

 

『もちろん良いですよ! どこに行きますか!?』

 

 興奮した様子の(ワン)さんは、矢継ぎ早にそう尋ねてきたので、却って私は落ち着きを取り戻した。自分よりも動揺している人を見ると、自分は冷静さを取り戻すといつよくある話は、本当だったらしい。

 そして自分でも分かるほどに口元を綻ばせる。

 

「こんばんは、みーちゃん」

 

 すると(ワン)さんも冷静になったようだった。

 

『〜〜〜〜〜ッ!?』

 

 声にならない悲鳴を上げているのが伝わってくる。私も彼女の立場だったらそうなる謎の自信があった。

 

「あ、あのね……まずはごめん。急に誘っちゃって……」

 

『そんなことないですよ! 私こそ、ごめんなさい。愛里(あいり)ちゃんが誘ってくれたのが嬉しくて……』

 

「う、ううん……そんな、全然……」

 

『う、うん……』

 

「「…………」」

 

 コミュニケーションが苦手な人間同士が話すと、自然と会話が途切れちゃう。そしてこの微妙な沈黙が私たちにとっては何よりも辛いんだよね……。

 いつもの私だったらここで向こうが話してくれるのを待っている。

 けれど。

 私は意を決して口を開けた。

 

「あ、あのね、みーちゃん」

 

『……うん』

 

「改めて言うね。明日、私と遊ばない?」

 

『もちろんだよ!』

 

 喜びの感情が全身に駆け巡る。

 何だか無性に泣きたくなってくるなぁ……。

 でも、私の話はまだ終わってない。だから、泣くとしても、もうちょっと我慢しないと。

 

「あのね、みーちゃん。遊ぶにあたって、お願いがあるんだけど……」

 

『……?』

 

「明日なんだけど、もし良かったらなんだけどね。綾小路くんも誘いたいんだ」

 

『名案だと思います。だけど綾小路くん、予定空いてるでしょうか』

 

「そ、そうだよね……急だもんね……」

 

 しかも前日の深夜に誘うだなんて、非常識だと怒られても仕方がない。……次は時間帯にも注意しよう。

 しかし(ワン)さんが気になっている点は私とは違うようだった。 

 

『綾小路くん、夏休みは椎名(しいな)さんと殆ど一緒に居るってこの前言っていたような気が……』

 

「ふぇ? 椎名さんって、Cクラスの?」

 

『うん。……あれ? もしかして愛里ちゃん、知らないんですか?』

 

「椎名さんは知ってるけど……綾小路くんと仲が良いのは初めて知った、かな……」

 

 外に関心を寄せてこなかったこれまでの自分を呪った。

 (ワン)さんは私に教えてくれた。

 綾小路くんと椎名さんの付き合いの長さを。何でも二人は入学した当初から親交があるらしく、それはクラス闘争がある中でも依然として続いているようだ。

 

『クラスの垣根を完全に越えているから、一年生のベストカップルと呼ぶ子も多いみたいですね』

 

 実際は交際していないのにね、と(ワン)さんは苦笑いした。

 

『ただやっぱり、綾小路くんの椎名さんに向ける感情は他の友達とは違うみたいです。男友達の平田くんや須藤(すどう)くんよりも大切にしていると思います』

 

「は、初めて知った……」

 

 思い返せば、私が『事件』に巻き込まれた時、椎名さんは綾小路くんの指示で助けに来たと言っていた気がするから、(ワン)さんの言う通り、やっぱり二人の関係は『特別』なのだろう。

 

『もし良かったら私から彼に連絡してみましょうか?』

 

「う、ううん……私から連絡する。これは、私がしないといけないから……」

 

『……?』

 

 私の言い回しが気になったのか、(ワン)さんからそのような雰囲気が伝わってきた。

 そんな彼女に私は言う。

 

「取り敢えず……綾小路くんにメッセージ送ってみるね……」

 

 話はそれからだ。

 通話を繋いだ状態のまま、私は携帯端末の『王美雨(ワンメイユイ)』の画面を切り替え、『綾小路清隆』の画面に移行する。

 男の子に自分からメッセージ、それも遊びの誘いの文面を送るのは初めての体験だ。

 けれど先程の(ワン)さんの経験が役に立ち、今回はすんなりと送れた。

 

「あっ……既読付いた……」

 

『綾小路くん、何だって?』

 

「えっと……」

 

 果たしてそこには、余分な情報を取り除いた文章が投稿されていた。

 

『午後からだったら構わない』

 

 彼らしい、簡素な文面に私は苦笑(くしょう)を一つ零す。

 そして私の返事を待っている友達二人に、一人には口頭で、もう一人には文章で「ありがとう」と送った。

 その後、話はとんとん拍子で進んでいき、翌日の十三時に学生寮の食堂で集まることになった。

 

『愛里ちゃん、また明日。おやすみなさい』

 

「う、うん……おやすみなさい。その……ありがとう……」

 

 (ワン)さんは『楽しみにしてるね』と笑ってから、通話を切った。

 賑やかさから一転、部屋に静寂が訪れる。無音なのはいつものことで慣れているけれど、今日は寂しいと感じる。

 綾小路くんには私の『秘密』が既に知られているけれど、私からはまだ直接言っていない。(ワン)さんは尚更だ。

 正直、反応が怖いという思いはある。けど二人とはこれからも友達でいたいから。隠し事はしたくないから。

 

 

 

 だから明日──私は自身の『秘密』を告白する。

 

 

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。