「あー! ほんと最悪!」
四脚机を挟んだ向こう側で少女が突然叫び出した。
オレはノートの上で走らせていたシャープペンシルをぴたりと止める。
「……急にどうしたんだ?」
無視する訳にも行かず、オレが恐る恐る尋ねると、少女──
力の調整に失敗したのか、返ってきた痛みは思ったよりも大きかったらしく、すぐに涙目になる。
オレが無言で様子を見守っていると、彼女はぎろりと睨んできた。
「あんた、今私のこと馬鹿だと思ってるでしょ」
「あのな、被害妄想にも程があるぞ」
「なら違うって言うの?」
はあ、と内心でオレはため息を吐く。
下手に答えたら
そんなことはおくびにも出さず、
「馬鹿だとは思ってない。たださっきも言ったが、急にどうしたんだと思ったんだ」
「ようは馬鹿にしてるってことでしょ」
「……なら遠慮なく言わせて貰うが。今日の櫛田は随分と荒れているな」
クラスメイトが今の彼女を見たらさぞかし驚くだろう。いやその前に、自分の目が節穴なのではないかと疑うか。
それだけ今の櫛田と学校での櫛田には
「……
「何だ」
「私ってさ、ほら、人気者じゃない?」
オレは素で『こいつは何を言っているんだろう?』と思った。
「私ってさ、ほら、人気者じゃない?」
オレは内心を隠して首肯した。
櫛田桔梗がクラス、学年、学校の人気者なのは誰もが知る客観的事実だ。
なんでも『親衛隊』なる存在もあるらしい。……まあ、これについては本人は迷惑に感じているようだが。
「私って何で人気者だと思う?」
「……可愛いからだと思うが」
「あっ、今照れたね」
異性に『可愛い』だなんて、内心で思うことはあっても面と向かって言うのはとてもハードルが高い。
簡単に言えるのは優男か節操なしだろう。
羞恥心を抱きつつ、さらにオレは冷静に評価する。
「あとはそうだな……性格の良さじゃないか?」
「おっと、これは皮肉かな?」
「って言われてもな。なら何て答えたら良かったんだ?」
「いやいや、合ってるよ。そう、綾小路くんの言う通り。私は私のことを一番に理解している。櫛田桔梗は学校のマドンナであり、容姿は可愛くて性格は良い。それが私」
オレは思わず白けた目で見てしまう。
彼女の真実──魔女を認知しているのはオレだけだ。
「結局、それがさっきの発言にどう繋がるんだ?」
「ところで綾小路くん。今の期間は何?」
しかし、櫛田はまたもや話題を変えてきた。
こちらの質問には一向に答える気配がない。控え目に言ってとても疲れる。
だが櫛田は無駄なことはあまりしないタイプだ。それが魔女になれる一因でもあるのだが。
「それで? 今の期間は?」
「夏休みだな」
「今日は何日目?」
「四日目だな」
すると彼女はオレの答えに満足気に頷く。
にぱーっと笑う。刹那、笑顔は反転した。
「自由な時間が全然ないんだよね」
「そうか」
オレが曖昧に相槌を打つと、黒い笑顔が向けられた。気が弱い人なら下手したら一目見ただけで気絶するだろう。それだけの威力だ。
「……櫛田」
「何?」
「取り敢えず今日分の課題を終わらせないか?」
シャープペンシルの先をノートに何回か当てる。すると黒い跡が何個か出来た。
そう、俺たちは先程まで学生の最大の宿敵である課題と向き合っていたのだ。しかし、集中力が途切れたのか、櫛田が声を上げ──今に至る。
「綾小路くんは私の話がどうでも良いの?」
「そんなことはない。ただな、話を聞くにしてもこっちの都合も考えて欲しいって言っているんだ。そもそも事前のアポイントも無しに突撃してきたのはお前だろう」
そう、指摘すると彼女は気まずそうに視線を逸らした。
今朝突然、部屋に取り付けられているインターホンが鳴った時は驚いたものだ。何せ今日は、午後からはクラスメイトと約束をしているが午前は完全にフリーだったのである。そして来客が櫛田桔梗であると知った時の驚きは、とてもではないが言葉に出来なかった。
「普段のお前ならどんなに遅くても前日の夕ご飯前には連絡を寄越すのにな」
『表』と『裏』を使い分けている櫛田だが、元々、彼女の性質は善性だ。その歳にして一般常識を完璧に身に付けている。これは高校一年生ということを考えると凄いことだと思う。
「……ごめんなさい」
反省し、素直に頭を下げる友人にオレは「もう大丈夫だ」と声を掛けた。
「話は課題を終わらせてからきちんと聞かせて貰う。だからまずはさっさと終わらせよう」
「うんっ」
櫛田がオレの部屋を訪ねた用件は『一緒に課題をやろう?』というものだった。事実彼女が持ってきていた手提げ袋の中には分厚い教科書やノート、筆記用具がびっしりと入っていた。
それが建前だということには、もちろん、気付いていた。しかし先程述べたように、今日の午前中は暇だったこと、また、オレ自身そろそろ課題に手をつけ始めようと思っていた為、彼女が部屋に上がることを承諾した。
「頑張ろう!」
気合を入れ、オレたちは強大な敵と対峙するのだった。
──二時間後。
うーん、と櫛田が大きく伸びをする。服越しからでも分かる大きな双丘が震えた。
「お疲れ」
「綾小路くんもね」
「今、お茶を入れ直す」
「わぁー、ありがとう!」
空になっていたコップを持って立ち上がり、オレは一旦台所に向かった。
「氷は入れるか?」
「お願い!」
予め氷を数個入れる。冷蔵庫から麦茶が入った容器を取り出し、コップに注いだ。するとパチパチと氷の弾ける音が鳴る。
櫛田は律儀にもオレを待っていた。携帯端末を弄るなり好きにしてくれて構わないのだが、彼女のこういう所はとても好ましい。
「今日分の課題を片付けたことを祝って──乾杯!」
「か、乾杯」
コツン、とコップの縁がぶつかる。喉が渇いていたことも相まって、オレたちは一気に呷った。
「綾小路くんはさー、苦手な科目とかある?」
「……そうだな。数学や化学は苦手だと思う」
「やっぱり本好きだから文系なんだね」
「…………かもな」
「……? 何その不自然な間?」
「いや、何でもない」
ふぅーん、と櫛田は腑に落ちなさそうな顔をしながらも引き下がってくれた。
「櫛田はどうなんだ?」
「私も綾小路くんと同じかな。国語や英語は得意なんだけどね」
流石はコミニュケーションの塊だとオレは舌を巻く。
「ふと今思ったんだけどさ。私たちは来年、文理選択をするのかな?」
「ああ、確かに気になるな」
一般的な普通の高校なら、一年生は文系理系関係なく幅広い分野の科目を習い、二年生からは各々が将来進みたい分野のことを考えて文系科目か理系科目かを選ぶイメージがある。
だが、オレたちが通っている高度育成高等学校は
「オレはあまり詳しくないんだが、一般的にはどうなんだ?」
「うぅーん……学校にもよるけど、大抵は二年生からは文系、理系ごとにクラスを再編するみたい。その方が楽だもん。でも私たちは──」
「原則、クラスはこのままだよな」
クラス替えはないと、入学式の日に、確かに
それはひとえにこの学校独自のシステム──『クラス闘争』が理由だろう。クラス闘争は基本的には個人戦ではなく団体戦。いわば運命共同体だ。
だがしかし、学校側も一応『裏道』を用意している。それこそが──。
「2000万prかー。まだ誰も成し遂げることが出来ていないんだよね?」
──2000万prを学校に納め、自分が望むクラスに移籍するという方法だ。
いつ移籍するかの決定権もある為、卒業間近にAクラスに行くことも可能。
とはいえ、その時期には自分の歩く道が定まっていると思うので、あまり効果はないと思うが。
そう考えると、その辺りのことはどうなるのだろうかと疑問は絶えない。
具体的には大学入試や就職試験などだ。『進学率就職率ともに100パーセント』という謳い文句を学校は掲げているわけだが、この恩恵を受けられるのはAクラスのみ。
クラス闘争で何が起こるかは分からない。
最下位のDクラスが大逆転勝利しAクラスに上り詰めることも可能性では零じゃない。
その辺りの説明はまだ一度もされてないので、先を見据えている生徒にとっては不安材料になっているだろう。
「話が随分と脱線したな。結局櫛田は何を言いたかったんだ?」
そう尋ねると、櫛田は表情を歪めた。
「綾小路くん。さっきも言ったけど、今は夏休みだよね。学生にとっては至福の期間だよね」
「あ、ああ……」
「今日で四日目になるわけだけど。私はね、綾小路くん。まだ一日たりとも夏休みを満喫していないんだよ!」
櫛田は叫んだ。それは魂からの叫びであった。
だがしかし、それは
櫛田桔梗が夏休みを満喫出来ていないだなんて、そんなことが起こり得るのだろうか。
オレは思ったことをそのまま口にする。
「全然そんなことはないと思うが……」
すると櫛田は
そして厳しい口調でこう言う。
「なら、昨日までの三日間の出来事を教えてあげる。まず一日目、Aクラスの男子たちと──」
それから数分に渡って、彼女の回想は続いた。
一日目はAクラスの男子たちと遊び。二日目はCクラスの女子たちと遊び。そして昨日、Dクラスの女子たちと遊んでいたが、途中でAクラスの一日目とはまた違った男子たちと遭遇、そのまま合流して遊んだようだ。
「聞いた感想は?」
「……お疲れ様でした?」
首を傾げながらオレが告げると、櫛田はテーブルに突っ伏した。
名前を呼んでも身動ぎ一つせず、何ていうか、そう──まるで
「何でどうでも良い奴らと遊ばないと行けないの……。特に昨日は最悪。ただでさえ
「そこら辺、
「あー、もう……何で私があいつらと……!」
「何でって……櫛田が誘ったんじゃないのか?」
「そんなわけないじゃない。何でわざわざそこまで仲良くない奴らに私から遊びに誘わないといけないの?」
いやまあ、それはその通りだが。
「だったら断れば良かったじゃないか」
オレの考えだが、嫌なら嫌だとはっきり断れば良い。
その日は都合が悪いと、そしてまた今度遊ぼうと言えば相手は引き下がるだろう。
しかし、櫛田はオレとは違う考えのようだ。
恐ろしい形相でオレを睨んでくる。
「ハッ、これだから友達が少ない根暗男子は」
……美少女から真正面から罵倒されるとこんなにも堪えるんだな。
オレが傷心しているのにも関わらず、彼女は言葉を続ける。
「綾小路くんには分からないと思うけどね、こういうのは一度しか
「そんなことはないと思うが」
「……駄目だ、話が通じない」
諦めないでくれと思ったが、すぐに、面倒だからこれ以上続けるのはやめようとも思った。
「ましてや私はみんなのマドンナだよ? 断れるわけがないじゃない」
「……自分で言って恥ずかしくないのか?」
「…………恥ずかしいけど、それが何?」
今の櫛田は完全に開き直っている状態だと言えよう。
それだけ精神的負荷が掛かったのだと思われる。
理解は出来ないが、想像は出来る。
自分の時間をどうでも良いことに費やしているのだ。その心労はどれ程のものなのか。
「それで今日、オレに突撃しようと思ったのか」
オレが嫌がるとは思わないのだろうか。そこを尋ねると、彼女は何食わぬ顔で。
「うんそうだよ。もう今更綾小路くんに何を思われても良いし」
信頼してくれていると思えば嬉しいものだ。
櫛田が『仮面』を被っていることを知っているのはオレだけだ。だから、と言って良いかは分からないが、オレの存在は防波堤の役割を担っているのだろう。
先日『契約』を交わしたのも一因にあるだろうが。
「あー、私も青春を送りたいよ……」
「いやいやいやいや、何を言っているんだお前は」
はたから見たらリア充そのものだろうに。
と、ピロンとサウンドが鳴った。櫛田の携帯端末からだ。恐らく、チャットアプリの友達からのメッセージの着信を告げる通知音だろう。その後、二回、三回と連続して鳴った。
彼女は美少女に有るまじき死んだ目で携帯端末を一瞥してから、そのままポイとベッドの上に放り投げた。
「良いのか?」
「良いんだよ」
本人がそう言うのなら、良いのだろう。
「綾小路くん、これは私から善意の言葉なんだけどね。友達から連絡が来ても迂闊に見ちゃいけないよ。まずはステータスウィンドウで誰から着信が来たのかを確認するの。そしてどうでも良い相手からだったら後に回す。分かった?」
「でもそれは余計に疲れるんじゃないか?」
「……その一時を凌げればそれで良いんだよ」
その後も櫛田桔梗による処世術講座は続いた。
講座が終わると、彼女はこう聞いてきた。
「この後は綾小路くん、遊びに行くんだっけ?」
「ああ」
「
はあ、と櫛田は長いため息を吐いた。
「っていうか、綾小路くんこそ青春を謳歌しているよね」
じろりと見られる。それはまるで非難しているようだった。オレは散らばっていた筆記用具を纏めながら。
「……そうだな。今はかなり充実している」
そう、首肯した。
「へえー……まさか頷くなんて思わなかったな」
改めて自覚する。オレはこの高校生活を心から楽しんでいると。クラス闘争というものこそあるが、それを加味してもお釣りが出てくる程に。
だが──そうも言ってられなくなった。
オレは表情を変え、櫛田と向き合う。彼女も空気が変わったのを敏感に察知し真剣な顔付きに変えた。
「『契約』についてだが。前払いという形になって悪い」
「良いよ、それは。私もその方が気が楽だし。だけど、分かってるよね?」
「ああ。お前の邪魔は決してしない。オレに出来ることは何でも手伝おう」
彼女は笑った。そして言う。
「バカンス、楽しみだね」
櫛田は魅力的に笑う。
自分を偽る魔女の末路がどうなるのか。
オレはそれが気になって仕方がなかった。
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
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綾小路清隆
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堀北鈴音
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平田洋介
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櫛田桔梗
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須藤健
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松下千秋
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王美雨
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池寛治
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山内春樹
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高円寺六助
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軽井沢恵
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佐倉愛里
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上記以外の生徒