ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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無人島試験──六日目《堀北鈴音の変化》

 

 

 

 ──突然だけれど、今から私の話を聞いて欲しい。無人島生活が始まる前、具体的には、その二日前のことだ。

 

 

 

 その日、私は学校が用意したバカンスのため──結局、バカンスなんてものではなかったけれど──、学生寮の自室で二週間という長期旅行の準備をしていた。

 私自身、暇さえあれば遊んでいる(いけ)くんや山内(やまうち)くんのようなアウトドアなタイプではない。むしろ隣人の綾小路(あやのこうじ)くんのようなインドアなタイプだ。……まあ、これについては甚だ遺憾だけれど。

 

「……何冊くらい持って行こうかしら」

 

 荷物は多い。

 制服や学校指定のジャージ、私服、下着類と衣服だけでもかなりの量がある。これに勉強に使う参考書やノート、さらには暇潰し用の小説といった私物を含めれば、それを考えるだけでも憂鬱になりそうだ。

 

須藤(すどう)くんや池くんたち……しっかり持ってくるかしら」

 

 嫌な予感しかない。

 一学期中間試験以降、須藤くん、池くん、山内くん、沖谷(おきたに)くん、そして櫛田(くしだ)さんは私のことを何故か『先生』と敬称を付けて呼ぶようになった。

 特に、定期的に行っている勉強会の時はこれは絶対であり、変な癖がついてしまったのか、普段の学校生活に()いても使うしまつ。さらには、他の生徒たちもそう呼ぶようになっている。

 私は何回かやめてとこれまでに伝えてきたのだけれど、彼らは私の命令に従うことはなく──とうとう、私が折れることになった。

 

 ──堀北(ほりきた)先生! 

 

 (まぶた)を閉じると、彼らの純粋な瞳が浮かぶ。きらきらと輝いているそれは私に対しての絶対的な信頼を意味している……のだと思う。

 これまでの人生に()いて、このような経験は皆無だった。

 だからこそ私は狼狽(うろた)え、戸惑(とまど)い──彼らを突き放せないでいる。

 夏休みは時間が多い。

 それはつまり、他クラスとの基礎的な能力……具体的には、学力の差を詰めることが出来る絶好の機会だということだ。

 なので三日に一回は図書館で勉強会を(もよお)している。余程の理由がない限り欠席は認めていない。

 場合によっては出す課題を二倍にすると事前に脅していたお陰か、今のところは全員が無遅刻無欠席だ。皆、必死な形相で参考書と戦っている。特に須藤くんや池くんが素晴らしい。

 前者は部活動があって大変だろうに、よく付いてきてくれていると思う。そう言えば、バカンスが終わったら大きな大会があると言っていた。バカンスが息抜きになることを祈ろう。

 後者は、一学期期末試験の現代文の科目で好成績を残せたことにより、自信が付いたからかもしれない。私自身、彼のコミュニケーション能力には目を見張(みは)る部分があると思っていたけれど、まさか、少し解き方を教えるだけでああなるとは思っていなかった。とはいえ、他科目では赤点ギリギリの悲惨(ひさん)な結果なのだけれど……。

 明後日から二週間のバカンスに入るわけだけれど、勉強が出来る時間は多々あるはずだ。時間は有限なので、有効に使わなくてはならない。

 荷物をあらかた準備し終わったところで、机の上に置いていた携帯端末が軽やかな着信音を鳴らした。

 

「誰かしら……」

 

 一番有り得るのは櫛田さん。とはいえ、入学当初あった強引な絡みも、最近は減りつつある。

 私は、自分が彼女に嫌われていることを知っている。その理由は分からない。いや、違う。分かろうとしないだけね。

 何故嫌っている私の勉強会に参加して、私をサポートしてくれているのかは知らない。彼女に明確な目的があるのは確かだろうけれど、直近の問題ではないため、私は、暫くは静観することに決めていた。

 もちろん問題の先送りでしかないことは重々承知。

 だからこそ、櫛田さんとはいつか決着をつけるだろう。まあ、ここ最近の彼女の興味は私にではなくて、綾小路くんにあるようだけれど。

 兎にも角にも私の携帯端末に登録している友人は少ない。

 Dクラスで言えば櫛田桔梗(ききょう)さんに須藤(けん)くん、池寛治(かんじ)くんに山内春樹(はるき)くん、沖谷京介(きょうすけ)くん、平田(ひらた)洋介(ようすけ)くんに……綾小路清隆(きよたか)くんくらいだ。他クラスで言えば一之瀬(いちのせ)帆波(ほなみ)さん。

 多分、もしこれでランキングされたら、私はDクラスで堂々の頂点に位置するだろう。

 それ程までの少なさ。とはいえ、不満はない。友人が多く居たら居たで付き合いが面倒臭くなるだろうからだ。

 

 ──着信が来ていて、それをリアルタイムで知っている以上、応答しないわけにもいかないわね。

 

 五コール目で携帯端末の液晶画面を覗いて、私は思わず両目を見開かせてしまった。

 全く予想だにしなかった人物からの電話だったからだ。

 

茶柱(ちゃばしら)先生がどうして……」

 

 私が所属するDクラスの担任だ。

 クラス担任には、教え子の電話番号やメールアドレスが知られている。これは教師が生徒に、個別的な連絡が出来るようにという措置だ。

 戸惑いながら、私はボタンをタップした。

 

「こんにちは」

 

『……出ないかと思ったぞ』

 

「申し訳ございません。荷造りしていましたので」

 

『ほう。もう準備しているのか』

 

 感心したのか、薄く笑ったのが感じられた。

 間違いなく私の担任の茶柱佐枝(さえ)先生だ。

 無機質な冷徹な声を聞き間違えるはずがない。

 そう言えばこの前、勉強会の休み時間の時に池くんが、『茶柱先生ってクラス闘争に興味がないのかなあ』って、友人たちと話していたわね。

 私もそこは気になるところだ。

 客観的には、茶柱先生は生徒に無関心で放任主義。

 一時期は美人な先生だと──具体的には四月。学校側が楽園だった時──、多くの生徒から(した)われていたけれど、今では真逆の評価を与えられている。

 しかし今月の上旬に発生した『暴力事件』で、その認識は私の中では変えられつつあった。

 あの日、彼女との会話は今でも思い出せる。

 

 

 

 ──『実質これが、クラス闘争、その前哨戦となるだろう。まさか自分の担当するクラスが巻き込まれるとは思わなかったがな』

 

『……何を仰りたいのですか?』

 

『堀北。お前たちDクラスがAクラスに行きたいと願うのならば──この戦い、勝利してみせろ』──

 

 

 

 何故、生徒に無関心な茶柱先生があのような激励(げきれい)を飛ばしたのかは今でも分からない。

 仮に彼女がクラス闘争──下位クラスの下克上(げこくじょう)を狙っていたとしても、自らの教え子に告白しないのは矛盾している。

 思案していると、訝しげな声が届いた。

 

『……どうかしたか?』

 

 私は逡巡(しゅんじゅん)してから、臆することなく言った。

 

「率直に言いまして、何故、茶柱先生が私に電話を掛けているのか考えていました」

 

『なに、私なりのコミュニケーションという奴だ』

 

「冗談は程々にして下さい」

 

『おっと、すまないすまない。だがコミュニケーションというのは本当のことだ。明後日から二週間のバカンスにお前たちは行くわけだが、現在は生徒にとって待望の長期休暇、夏休みだ。これが学期中にあればこのような電話はしなくて済むのだがな、上から体調確認をしろと指示が来た』

 

「面倒臭さを隠そうともしていませんね」

 

『事実、面倒だからな』

 

「それでは簡潔に終わらせるとしましょう。私の体調は良好です。余程のことがなければ崩すことはないでしょう」

 

僥倖(ぎょうこう)だな──』

 

 何かを書き込む気配。

 恐らく、電話越しの茶柱先生は今頃、何らかの用紙に生徒の現時点での容態を書き込んでいるのだろう。

 

『これで終わりだ。協力感謝するぞ』

 

「いえ、当然のことです。それではこれで──」

 

 失礼します、と言ってから回線を切ろうする私を、彼女は慌てて止めた。

 

『待ってくれ。今回電話を掛けたのにはもう一つ理由がある』

 

 理由? 

 茶柱先生が私に、いったい、何の用件があるというのだろう。

 教師が生徒を呼ぶ。所感(しょかん)だが、個人的なものかしら。これで異性だったらもっと怪しんでいるけれど……。

 

「手短にお願いします」

 

 私の申し出に、けれど彼女は是としなかった。

 

『いや……今日、お前と直に会って話をしたい。学校に来れるか?』

 

「可能か不可能かと聞かれたら可能です。しかし、何のお話をするのでしょうか」

 

 言外に、先生の意図を教えろと伝える。

 ──答えてくれるとは思わないけれど……。

 ところが、彼女は意外にもこのように言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 一瞬の沈黙の後、私は気付けば、了承の返事をしていた。

 それから、場所と時間を向こうから指定される。

 

「それでは先生、また後程」

 

『ああ。気を付けて来いよ』

 

 声はそこで途切れた。

 私は真っ暗になった携帯端末の液晶画面を元の場所に置いてから、雨戸(あまど)を開けてベランダに出た。

 冷房が効いた部屋とは違い、外は熱気に覆われていた。空を見上げると、そこにはギラギラと照り輝く太陽が。

 

「夏服でも買おうかしら……」

 

 以前櫛田さんが、プライベートポイントを支払うことで夏服を買えることを教えてくれた。

 高校生活はまだまだ始まったばかり。長い目で見れば、購入することを視野に入れても良いかもしれない。

 

 

 

 夕暮れ時。

 私は一人で並木道を歩いていた。何人かの生徒たちとすれ違うが、彼らは私が通った道……すなわち、寮に帰っているのだろう。

 皆、友人……あるいは、恋人と思われるひとと連れ添っていた。

 上級生のカップルが横を通り過ぎたところで、私は、暇潰しも兼ねて『恋』とは何なのかを考えることにした。

 が、すぐにどうでも良くて思考を断ち切る。

 恋愛という概念そのものを否定するわけではない。ただ、自分とは縁遠いと思ったからだ。

 それにしても──

 

「教師という仕事も案外忙しいのね……」

 

 茶柱先生が指定した場所は、学校にある生徒指導室。指定時間は午後の六時頃だった。

 というのも、あの後、電話を切った後は他の生徒への連絡。そしてそれが終わったら会議が開かれるそうなのだとか。

 益体のないことを考えていると、二人の男女が歩いてきた。

 流石に何度もカップルを見ると辟易(へきえき)としてしまうものね。遊んでいる時間があればもう少し有意義に過ごせば良いのにと思ってしまう。

 顔が視認出来る距離まで近付いたところで、私は思わず絶句してしまった。

 

「堀北か。今からどこかに出掛けるのか?」

 

「……」

 

「……堀北?」

 

 私は彼の呼び掛けに反応することが出来なかった。

 さぞかし今の私は他者から見たら滑稽に映っていることだろう。

 言い訳をすれば、それだけ驚いている。

 暑さで渇きつつある喉を鳴らし、私は彼の名を呼んだ。

 

「あ、綾小路くん……」

 

 綾小路くんは呆然とする私を見て、珍しくも、いつもの無表情を崩して、怪訝そうに首を捻った。

 

「綾小路くん。そちらの方はお知り合いですか?」

 

 無様にも立ち尽くしていると、彼の真横にいた女子生徒が尋ねた。

 私はそこで初めて彼女に目線を向けた。まず、見るひとの目を惹き付けてやまないのは穢れ一つない綺麗な純白の髪だろう。夕陽に反射している影響からか白銀にきらきらと光っている。同性の私から見ても、彼女は美少女──

 そして私は彼女の顔を直視したところで益々驚いてしまった。

 普段の綾小路くん並みの無表情だったからだ。

 

 ──ど、どういうことかしら……。

 

 らしくもなく動揺してしまう。

 私が混乱しているのを知ってか知らずか、彼らは私を放置して会話を始めた。

 

「椎名は面識がなかったな。簡潔に言うとオレの隣人だ」

 

「綾小路くんの隣人さんですか。……ああそう言えば、何度かお話に挙がったことがありましたね。確か……授業中に寝そうになったら正義の鉄槌が下されるのだとか。思い出しました。堀方(ほりかた)さんでしたっけ」

 

「……()()だ、堀北。堀北鈴音(すずね)だな」

 

「……ごめんなさい。──ところで、どうしてひとの顔と名前は覚えづらいのでしょうか……。綾小路くんは何故だと思います?」

 

「何故って聞かれても……。オレも苦手だから何とも言えないな」

 

「おや、そうだったのですか。初耳です。なら私たちは仲間ですね。これからは同族として、一緒に頑張っていきましょう」

 

「お前なあ……」

 

 我を取り戻した時には遅く、彼らはへんてこな会話を続けていく。

 しかも恐ろしいことに、どちらも基本的には無表情、さらには言葉に感情が込められていない。

 この時程、櫛田さんや池くんのことが凄いと思ったことはない。

 

 ──……限定的で良いから二人のコミュニケーション能力を分けて欲しいわね。

 

 今の私を兄さんが見たらどう思うかしら……。考えるだけでもぞっとする。悪夢に等しいわね。

 だが、この混沌(こんとん)に満ちた空気を変えなければならないという使命感が、私を次の行動に(うつ)させた。

 

「あ、綾小路くん。そちらの女性は……?」

 

「あー……悪い。──堀北も名前は知っているだろうけど、オレの友人の椎名(しいな)ひよりだ」

 

「こんにちは? それともこんばんはでしょうか? どちらにせよ、はじめまして。椎名ひよりと申します」

 

「……堀北鈴音よ……」

 

 椎名さんは私が名乗り終えると、「会えて嬉しいです」と、少しだけ表情を崩して微笑(ほほえ)んだ。

 いつもの私だったら挨拶を交わしたらすぐに彼らと別れている。けれど、私の脳は厳暑(げんしょ)で負荷が掛かっているのか、その選択を選ばなかった。

 

「……二人はどこかで遊んでいたのかしら?」

 

「書店に行って本を何冊か購入して、その後はカフェで時間を潰していたな」

 

「今日は新刊の発売日だったんです。今月は豊作でして、思わず、沢山買ってしまいました」

 

「ですから荷物が重たいです」と椎名さんは言った。

 視線を下に下げれば、彼女はパンパンに膨らんだ黒色のビニール袋一つを両手で持っていた。分厚い本の背表紙が覗き見える。確かに重そうだ。

 性差別的な発言をするわけではないけれど、綾小路くんが持ってあげれば良いのにと思ってしまう。

 糾弾して気勢を取り戻そうとして──私はまたもや絶句した。

 

「……綾小路くん……」

 

「……? どうかしたか堀北。今日のお前、変だぞ」

 

「……自覚はあるわ。…………それより、差し支えなければ教えて欲しいのだけれど、あなたが持っているものは何かしら」

 

「…………?」

 

 私の質問の意図が分からないのか、綾小路くんは心底怪訝そうな顔になった。

 それから、彼は平坦な声を出して、

 

「何って、本が入ったビニール袋だが……これがどうかしたか?」

 

「……ちなみに、誰が買ったのかしら?」

 

「全部椎名だが」

 

「そ、そう…………」

 

 私は改めて綾小路くんが手に持っているものを見る。

 彼が述べたように、それは本が入った黒色のビニール袋だった。椎名さんと同じタイプのものだから、購入場所は同じだろう。

 ビニール袋は限界まで膨らんでいる。店員の努力が窺えた。びっしりと隙間なく詰められている。椎名さんのものはある程度ながら隙間があるのにも拘らず……。

 問題は……綾小路くんが持っている袋の数だった。片手でひと袋、つまり、合計二袋。

 思わず顔が引き攣る。

 

「椎名さん、あなた……沢山買ったのね……」

 

「今月は豊作でしたから」

 

 椎名さんはいたって真面目に同じことを口にした。

 

 ──豊作だからといって、こんなにも買うのは異常だと思うけれど……。

 

 そんな言葉が出そうになったが、私は意志力で強引に口をきつく閉ざした。

 

「堀北は制服を着ているが、学校にでも行くのか?」

 

「ええ、まあね。机の引き出しに大事な忘れ物があることを、今、気付いたのよ。今日の私は駄目ね。らしくないもの」

 

 私が作った咄嗟(とっさ)の嘘を、綾小路くんと椎名さんは信じたようだった。

 

「そうか。しかし……学校は開放されているのか?」

 

「茶柱先生には連絡済みよ」

 

「なら、ここで別れるとするか。また明後日会おう。引き留めると悪いしな」

 

「ご機嫌よう、堀北さん。また今度お話しましょうね」

 

「え、えぇ……」

 

 二人は別れの挨拶を交わすと、連れ添って寮に帰って行った。

 私は彼らの背中が離れていくのを眺めてしまう。

 綾小路くんが他クラス……一年Cクラスの椎名ひよりさんと仲が良いのは知っていた。

 友人関係が極端に少ない私でも、彼らの噂は度々耳に入ってきたからだ。ましてや、綾小路くんは私の隣人。知らないはずがなかった。

 だから、彼らが一緒に居ることそのものには最初こそ驚いたけれど、すぐに納得した。

 本人たちが言っていたように一日を過ごしていたのだろう。

 彼らは入学初日から意気投合して、現在に至っているのだとか。だがそれにしても──

 

「仲が良すぎじゃないかしら……」

 

 五分にも満たない会話だったけれど、すぐに理解した。

 Dクラスの綾小路清隆くんと、椎名さんと居る時の綾小路清隆くんは全然違う。

 何が、と聞かれると答えに窮するけれど……。強いて言うとするならば、雰囲気、だろうか。

 

「……」

 

 私はため息を吐いてから、再び足を動かし始めた。

 数分も歩くと高度育成高等学校の校舎が見えてくる。

 校門、玄関口を通り、私はそのまま生徒指導室に向かった。

 

 ──ここに来るのは随分と久し振りね。

 

 生徒指導室を訪ねた回数は、一回だけ。五月一日、私は学校の理念を説明された日、私はどうしても自分がDクラス配属であることを認められなかった。

 今でも私はこの考えを変える気はさらさらない。

 何故私が──堀北鈴音がAクラスでないのかと、学校側に訴えを起こしたい。

 しかし……そうも言ってられなくなってきた。

 子どもの癇癪(かんしゃく)を爆発させている時間はない。

 それに、私がAクラスに上がったら、学校の教師やDクラスだからと見下してきた生徒たちを今度は私たちが見下せば良いだけの話だ。

 茶柱先生は廊下の壁に体を預けさせて、私を待っていた。

 

「終業式以来だな、堀北」

 

「そうですね。お久し振りです、茶柱先生」

 

「挨拶はこのくらいにして、早速、中に入って貰おうか。話は中でも出来るからな」

 

 言いながら彼女は、生徒指導室のたった一つの出入り口を開けた。

 先に入れと目で催促してきたので、軽く頷いてから入室する。

 室内は以前訪れた時と同じ内装だった。

 

「珍しいものはないだろう。席に座れ」

 

「失礼します」

 

 私と茶柱先生と向き合った。

 お互いの瞳のレンズ越しに自らの姿を確認する。映っている私は愛想の欠けらもない無愛想なものだった。

 彼女から話を切り出してはくれないと判断し、私は体を身動ぎしてから、

 

「それで茶柱先生。今日はどのようなご用件でしょうか」

 

「おかしなことを言うな。予め伝えておいただろうに」

 

「ええ、そうですね。しかし先生、私は未だにあなたの言葉を受け入れられずにいます」

 

「だろうな。私がお前の立場だったら、私もそう思うだろう」

 

 茶柱先生が声を立てて笑うのに対して、私は表情を一切動かさなかった。

 

「先生のご用件はクラス闘争について。これで合っていますか?」

 

「だから何度も言っているだろう。お前が確認した通りだ」

 

「具体的には何を話すのでしょう?」

 

 ところが、彼女は私の問いに答えなかった。

 両目を伏せ、両腕を胸の上で組み、何やら思案している。

 やがて、彼女は唐突にこのように言った。

 

「堀北。お前は今のDクラスを視てどう思う?」

 

「……それが先生が求めているものですか」

 

「ああ、そうだ」

 

 私は口を閉ざし先程の彼女のように考え込む。

 今のDクラスを視てどう思うか。

 答えは既に脳内で出ていた。

 

「主観的にも、そして客観的にも、今のDクラスは過去──入学した当時のクラスとは別物です」

 

「ほう……。根拠を聞いても良いか」

 

「まずですが、生徒の『成長』が顕著に現れています。須藤健くんが最たる例でしょうか」

 

「そうだな。奴については担任の私も感心しているところだ。以前の『暴力事件』以降、度々起こっていた諍い事も一切ない。部活のバスケットを全力で臨んでいると、顧問からも話を聞いている」

 

 他には? 目で尋ねられ、私は先程思っていたことを伝える。

 三バカトリオと蔑まれていた生徒の急激な進化を。

 全てを聞き終えた茶柱先生は興味深そうに私を見つめてきた。

 

「すっかりと『先生』になっているな」

 

「……揶揄(からか)っているのでしょうか」

 

「本心だ。堀北、お前の言う通り、須藤、池、山内……は微妙なところだが、兎も角、お前が導いてきた『生徒』たちは日々成長している。だがな、私はお前も成長しているように見受けられるぞ」

 

「…………」

 

「自分では中々実感出来ないだろうがな」

 

 嘘を言っているようには見えない。

 私は吐息を零してから自分の『変化』と向き合った。

 四月、五月、六月、七月。

 茶柱先生の言う通りだろう。そう、確かに私は変わった。

 自分のことは自分が一番知っているし、理解している。

 

「そうですね」

 

 だからこそ、意外にもすんなりと認めることが出来た。

 

「戸惑っているようだな」

 

「正直なところ、先生の言う通りです。まさか、まさか私が──」

 

 普通の高校生活を送っているなんて……、私が漏らした言葉はとても小さかった。

 そしてここまでのやり取りで、見えてきたものがある。

 茶柱先生の不可解な行動、言葉が、一つの形になっていく。

 

「先生の使命が『それ』なんですか。すなわち、DクラスがAクラスに上り詰める──下克上」

 

「……」

 

有耶無耶(うやむや)にされては困ります」

 

 この機会を逃したら、目の前の大人は口を割ろうとしないだろう。

 確信があった。

 茶柱先生は目を逸らそうとするけれど、逃がすわけにはいかない。私は目を細め、彼女の瞳を直視し続ける。

 数分にも渡る攻防の末……、茶柱先生はおもむろに首を縦に振った。

 それは私の推測が正しいことを示していた。しかしだからといって、私は喜ぶ気にはなれなかった。

 

「だとしたら何故、先生はあのような感心されない態度を普段からとっているのですか。下克上を本心から狙っているのなら、もっとやりようはあるでしょう」

 

 矛盾を指摘しても、茶柱先生は表情を微塵も変えない。

 それどころか、このように言ってきた。

 

「下位クラスの下克上がどれ程困難なのか、堀北、お前はまだ理解していない」

 

前途多難(ぜんとたなん)なのは重々承知しているつもりですが」

 

「違うな。お前たちは絶望を味わっている気分なのだろうが、こんなのはまだ序の口だ」

 

「これ以上の苦難が待ち受けていると?」

 

「それもある」

 

 彼女はさらに言葉を続け、

 

「最初の一ヶ月で1000clを使い果たしたのはお前たちが初めてだと、私はあの日、お前たちに言ったな」

 

「良く覚えています。先生は仰いましたね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その言葉を撤回するつもりはない。だがしかし──お前たちは恵まれている」

 

「……恵まれている……?」

 

 意味が分からず、私は首を傾げてしまった。

 

 ──何が恵まれているのかしら。

 

 頂点に君臨するAクラスとは絶望的なまでにクラスポイントに差があり、三位のCクラスとだって、簡単には覆せない程の差がある。

 困惑する私を見て、茶柱先生は薄く笑った。

 

「分からないようだな」

 

「素直に申し上げますと。教えて下さい、茶柱先生。『不良品』として蔑まれ、疎まれている私たちのどこに恵まれている要素があるのでしょうか」

 

退()()()()()()()()()()()()()

 

「……ッ!」

 

「これは奇跡のようなものだ。お前も薄々察してはいるだろうが、当校のクラス配属は、高校入試の際に受けて貰ったテストよりも、面接の成績の方がより大きく反映されている。だからといって、テストそのものが無価値なわけではない」

 

 高度育成高等学校では、定期試験の際に一科目でも赤点を取れば、問答無用で退学処分──正確には、自主退学扱いのようだけれど──を言い渡される。

 理不尽だ……と言うつもりはない。私たちは学生で、学生の本分は学ぶことにある。学ぶと言っても様々だけれど、最低限修めなければならないのが勉学だろう。

 何もしないで自己本位な考えを口にする者はとても滑稽(こっけい)で、愚か者のすることだ。

 

「なるほど、順当ならDクラスの私たちの誰かから脱落者が出てもおかしくはないと、先生は仰りたいのですね」

 

「その通り。実際、これは過去に起こった出来事だから隠さずに言うが、一学期の課程が修了した時点で、何人かの生徒が赤点を出し、学校を去っている。二学期になると、学年で一人は名簿から消えているな。しかもその一人はDクラスの者だ」

 

「今後の参考にします」

 

 これは情報共有をしといた方が良いかもしれないわね。

 特に須藤くんや池くん、山内くんといった、成績が芳しくない生徒なら尚更だ。

 

「先程の発言の、『恵まれている』の意味が分かりました。クラスポイントにマイナスはありませんが、それが卒業まで続くとは思えません。そして退学者となると、必ずクラスポイントのマイナス査定の項目に該当するでしょう」

 

「私が野心を表に出さなかったのは、まず一番にこれが挙げられる。もし一学期終了時点で退学者なんてものを一人でも出してみろ、他クラスとのクラスポイントの差はまさに、『絶望』と言っても差し支えないだろう」

 

「しかし先生は、いち生徒である私に自分がひた隠しにしてきた野心をこうして話しています。それはつまり、あなたが希望を見出したから……違いますか?」

 

 だとしたら全て腑に落ちる。

 ところが、彼女は首を縦に振ることも、横に振ることもしなかった。

 

「どうだろうな。包み隠さず言うのなら半信半疑だ」

 

 全てを賭けるには至らない、ということだろうか。

 茶柱先生は言葉を続けて、

 

「今年のDクラスは近年稀に見る程の逸材が揃っている。堀北鈴音、平田洋介、櫛田桔梗、高円寺(こうえんじ)六助(ろくすけ)が真っ先に挙げられるだろう。さらには中間試験や先日の『暴力事件』。()()()()と考えてしまうのは仕方がないと思わないか」

 

 客観的にも、今年のDクラスは一定の戦果を叩き出している。

 希望に(すが)れない人間が希望を見出してしまうのも無理はないだろう。

 

「お話は良く分かりました。先生の心中もある程度は察せられます。しかしこれだけの会話をするために、私たちは、今、この場に居るのでしょうか」

 

 見たところ、監視カメラが設置されているようには見えない。

 それはつまり、内密な話が出来るということ。

 確かに今までの会話は、茶柱先生からしてみたら他人には聞かれたくないだろうけれど、今日この日に話す必要性は全くない。

 対峙(たいじ)している顔をじっと見つめていると、やがて、彼女は囁くようにして口を動かした。

 

「──お前は綾小路清隆をどう視る?」

 

 一瞬、質問の意味が分からなかった。どうして彼の名前が出るのかと疑ってしまう。

 私はすぐに言葉を返すことか出来なかった。そして確信する。

 

 ──これが茶柱先生の本題ね……。

 

 ややして、私は言った。

 

「不気味な存在です、綾小路くんは。何を考えているのか……、いいえ──彼の行動理念が分かりません」

 

 入学式の日、綾小路くんは『事なかれ主義者』だと自身のことを評した。

 最初聞いた時、私は彼の信条を真に受け、特に疑問に思うことはなかった。それどころか下らないものだと一蹴した。

 けれど────

 私の胸中の思いは茶柱先生も(かか)えているのか、彼女は深く頷いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それはお前たちも察しているだろう」

 

『不良品』と呼ばれる所以はそこにある。

 何かしらの欠陥があるから、私たちはDクラスに配属させられている。

 

「では聞こう。綾小路の『それ』は何だ?」

 

「……ッ」

 

「『暴力事件』を契機(けいき)に、綾小路は今や学年に問わず、様々な生徒から関心を寄せられている。断言しよう。今のあいつは台風の目だ」

 

「……台風の目、ですか……」

 

「お前がAクラスに上り詰めたいと心から思うのなら、留意しろ。これは私の憶測だが、綾小路は『暴力事件』が起こることを前もって知っていたのではないかと、私は考えている」

 

 それは私も一度は考えたことだった。

 綾小路くんがあの騒動が起こることを知っていたとするならば、彼のあの不可解な行動にも説明がつく。

 

 ──でも何の為に……? 

 

 (うず)く。答えはすぐそこなのに……辿り着けない。

 

「綾小路は必要とあらば躊躇(ためら)いなく仲間を切り捨てるだろう。いや、違うな。そもそもの話、お前たちDクラスの生徒のことを仲間と認識しているのかすらも怪しいところだ」

 

「……なら先生は椎名さんのことはどのようにお考えですか?」

 

「椎名というと……一年Cクラスの椎名ひよりのことか」

 

「ええ、そうです。実は先程、私は二人と会いました。傍目から見ていても、彼らの仲はとても良いように見受けられましたが……」

 

 尋ねると、茶柱先生は難しい顔になった。

 背凭(せもた)れに上肢(じょうし)を預け、数秒、沈黙する。

 数秒後、考えが纏まったのか、彼女は姿勢を正すとこのように言った。

 

「綾小路が、何故、椎名と未だに交流をしているのかは分からない。単に気の合う友人だからなのか……それとも、何か別の狙いがあるのか……。どちらにせよ、綾小路の取り扱いには気を付けろ。もし間違えたら──」

 

 ──あいつの闇に呑み込まれるぞ。

 全身の肌という肌が粟立(あわだ)つのを感じた。

 私は深く頷いた。

 長期休暇中、何かが起こる。

 私は、私が為すべきことを為せば良い。

 

「話はこれで終わりだ」

 

 その言葉を合図にして、私たちはどちらともなく立ち上がった。

 先に私が廊下に出て、茶柱先生を待つ。彼女はポケットから鍵を取り出すと施錠した。念の為に一、二回程ちゃんと閉まっているのか確認するのを忘れない。

 

「それでは堀北、もう日が暮れているから、気を付けて帰るように」

 

「はい。また明後日会いましょう」

 

 簡潔に別れを済ませると、茶柱先生はすぐ近くの職員室に向かっていった。背中に哀愁さが漂っていたのは気の所為だと思いたいわね。

 私も帰宅するため、昇降口に向かう。靴を地面に置き、足を通そうとした瞬間──

 

「──くしゅん」

 

 寒くないのに、私はくしゃみをしてしまった。

 周りに誰も居らず、聞かれなかったのは僥倖だけれど……。

 額に右手を持っていき当てるけれど、異常は感じられない。目眩や呼吸の乱れもない。

 

「今日は早めに寝ましょう……」

 

 そう呟いてから、私は靴を履き、今度こそ帰途についた。

 余程話し込んでいたのか、夕焼け色だった空は、既に、暗闇に覆われていた。

 

 

§

 

 

 

 意識が覚醒した。

 私は上半身をむくりと起き上がらせ、それから軽く伸びをした。

 

「特別試験も六日目になるのね……」

 

 実質的には、今日が無人島試験の最終日となる。

 明日は朝の点呼が終わりしだい、仮設テントや使った器具などを片付け、そこから、浜辺に集合する手筈(てはず)になっていた。

 

「全く……無様なものだわ……」

 

 ほんと、自分が嫌で嫌で仕方がない。

 綾小路くんが嘗て言った通りだった。

 独りでは何も出来ない。どうしようもなく、限界がある。

『スポット』の占有権を更新する時も、一人では行えない。女性である私には、男性のような屈強な力はない。

 豪華客船に搭乗した時から、私は体調が悪かった。その事を告げれば、リーダーの役割は与えられなかっただろう。でもどうしても私がやる必要があったし──これは綾小路くんには言わなかったけれど──何よりも、私がやりたかった。けれど結果はこのザマだ。綾小路くんが平田くんを説得し、四日目、クラス全体で休みを取らなければ──私はそうだと確信している。彼が認めるとは思えないけれど──、私は必ず体調を悪化させ、最悪、倒れていただろう。そうなれば試験脱落のペナルティが課せられ、クラスに迷惑を掛けてしまう。

 それだけじゃない。

 下着泥棒の容疑者として祭り上げられた池くんだって、完全に救うことは出来なかった。『暴力事件』の時もそうだ。須藤くんを完全に救うことは出来なかった。

 Dクラスの状態は最悪の一言に尽きる。

 クラスの女子生徒を纏めあげていた軽井沢(かるいざわ)さんは未だに意気消沈しているし、平田くんも、戦力とは到底言えないだろう。昨夜だって、軽井沢さんの傍に居たけれど、彼は何も出来ずにいた。

 かろうじてDクラスが原型を留めているのは、ひとえに、櫛田さんの奮闘のおかげだ。また、(ワン)さんや佐倉(さくら)さんといった尽力も大きい。

 彼女たちが居なければ、今頃、Dクラスは空中分解していただろう。

 

 ──だからこそ、『勝つ』必要がある。

 

 私は手の指で自身の髪を()きながら、昨夜、綾小路くんから提示された作戦を思い返した。

 ルールに沿ったその攻撃力は絶大だ。上手く行けば、Dクラスが首位に立つことすらも出来る。

 彼は別れる寸前、このように言ってきた。

 

『堀北、この作戦はお前が考え、そして実行したことにしてくれ』

 

『何故かしら』

 

『これ以上の悪目立ちは避けたい。それに──今のお前なら、Dクラスを導けると判断した。だからこそ、洋介ではなくお前に話した』

 

 集団を先導するためには必要なものがある。

 一つ、カリスマ性。

 そしてもう一つは、実績だ。

 

『分かった。あなたの思惑通りに動いてあげる』

 

 私の答えに満足したのか、綾小路くんは短く首肯してから去った。

 隣で熟睡している櫛田さんを一瞥してから、私は音を殺して寝室から出た。

 いつもだったら燦々と眩く太陽が出迎えるけれど……、空は、灰色に染まりつつあった。

 

「雨が降るかもしれないわね」

 

 雲行きが怪しい。

 私にはどうしても、私たちの行く末を暗示しているように見えて仕方がなかった。

 

 

 特別試験六日目の、八月六日──開幕。

 

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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