昼前。
森の中を一つの集団が移動していた。足取りに迷いはない。理由は
「辺りをしっかりと見張って頂戴」
「もちろんだぜ、堀北」
Dクラスの生徒十五人が、この場には居た。これだけの部隊を編成するのにはもちろん理由がある。
言わずもがな、占有した『スポット』の更新をするためだ。Dクラスのリーダーは私であり、敵には絶対に
もし正体を当てられたら、敵に多大なクラスポイント──エクストラポイントを与え、こちらは逆に失うことになる。さらには、特別試験中、必死に積み上げてきたボーナスポイントもが全て
「今から更新するわ。改めて周囲の警戒を」
「「「了解!」」」
視覚で確認する。仲間たちと、深緑で生い茂る木々以外は何も映らない。
聴覚で確認する。聴こえるのは、風が通過する音だけ。
私は
幾重にも重なるバリケードを仲間たちが瞬く間に展開し、私の姿は外部から完全に見えなくなった。
そして私はジャージのズボンの左ポケットからキーカードを取り出し、目の前に鎮座している装置の上で翳す。赤外線が鮮やかな燐光を描いて漏れ出し、キーカードに刻まれている『ホリキタスズネ』本人であることと、埋蔵されていると思われるICチップの照合を開始する。
微かなサウンドともに、光線は消失し、機械の液晶画面に変化が起こる。そしてすぐに『Dクラス ─7時間59分─』という文字が表示された。
「終わったわ。ご苦労様」
尽力してくれた彼らを
私はジャージのズボンの右ポケットから無人島の地図を取り出した。これは
「良くもまあ……これだけ正確に……」
凄いを通り越して呆れてしまう。
これには綾小路くんが特別試験で見てきたものが細かく書かれていた。他クラスの拠点の位置や『スポット』の場所はもちろんのこと、『道』として活用出来る人工的なものに、休憩場所に適した場所など多岐に渡る。
彼が一人で行動をしていたのは知っていたけれど……まさかたった数日でここまで調査出来るなんて。
何故彼がクラス闘争に積極的な姿勢を見せているのかはどんなに考えても分からない。理由があるのは明白だけれど……。
だがしかし、これは二重の意味で
一つ目は、単純にDクラスの戦力が大幅に向上されるということ。この地図だけでも、綾小路
二つ目は、綾小路清隆という人間性を知る機会に恵まれているということ。『事なかれ主義』なんて矛盾した信条を何故彼が掲げているのか、その一端でも知ることが出来れば良い。
「
「そうね……次は──」
女子生徒からの質問に、私は地図を見た。
「次は北に行きましょう」
「北ってどっちー?」
「おいおい、馬鹿だな。北はあっちだぜ。な、堀北?」
「そっちは真反対の南よ」
私が間違いを指摘すると、格好付けようとした男子は羞恥で顔を真っ赤に染めた。
両手で顔を覆い、ぷるぷると震える。
その姿に多くの生徒が笑った。
「少し休憩しましょう。各自、しっかりと水分補給するように」
「「「はーい!」」」
私は気付かれないように安堵の吐息を静かに吐き出した。
──これなら大丈夫かしら……。
朝の
もちろん、そうじゃない生徒も中には居るはずだ。特に、朝の『あの出来事』を見た生徒なら特に。
何故、どうしてと疑問は絶えない。どうして『彼女』があのような行動を……? そしてこれからも『彼女』は彼に協力するのだろうか?
彼と彼女に接点なんてなかったはず。しかし彼女は彼に協力している……あるいは、無理矢理に協力させられている──?
──駄目ね……一旦、保留しましょう。
私は頭を振ってから思考を切り替えた。
綾小路くんの計画には相応のリスクがある。けれどそれは当たり前のこと。ノーリスクハイリターンなんてものは実現しない。
「まだ何か隠してるわね……」
「……? 堀北さん、何か言った?」
「いえ……
しれっと嘘を吐く。
と、私は気落ちした。
高校に入学する前まではこんな虚言は言わなかったのに……、これはあれね、絶対、隣人の悪影響を受けているわね……。
私の内心を知らず、彼女はぽんと合いの手を入れて、
「ああ! みーちゃん、辛そうだったもんね!」
「何がだよ?」
「何って……そりゃあ……。ねぇ……?」
「いやいや、『ねぇ……?』って言われても。そんなんじゃ分かんねーよ。お前は分かるか?」
「いんや、全然。もっとはっきり言って貰わないとなあ……」
「やれやれ……これだから男って奴は。そんなんじゃあ、生涯独身だぜ?」
「お前……何だよその謎のテンション」
うわぁ……と、男子たちは引いた。
私から言わせて貰えば、どっちもどっちだと思うけれど……、誤魔化すために話題を振ってしまった手前、責めることは出来ないわね。
うむむと
「分かった! 生理だな!」
「「「あぁ……なるほど!」」」
納得したとばかりに何度も首を縦に振る男子たちに、私たちは白けた視線を送る。
──どうしてこう……男って生き物はデリカシーに欠けるのかしら……。
思えば、池くんと
「けどなら助かったな」
「助かったって……何がだよ」
「つまりさ、生理は体調不良の審査に引っ掛からないってことだよ。もしそうなら、
「おっ、確かにそうだな。ラッキー!」
「休憩はお終いよ。行きましょう」
くるりと背を向け、私は先導するようにして前を歩き始める。
すると背中に力強い返事が届いた。
南西からはより分厚い積乱雲が時間の経過とともに接近している。時折
そんな予感──いや、確信があった。
特別試験も実質的にはあと半日。終盤は荒れそうだ。
『スポット』の更新を無事に終わらせ、私たちはベースキャンプに戻った。
私は付いてきてくれたクラスメイトたちにお礼を告げてから、解散を命じる。小休憩を要所要所で入れたとはいえ、みんな、体力を大きく削られたはず。体調管理を怠らないよう念を押した。自嘲してしまうけれど……。
すると慌ただしい雰囲気が全体に流れていることに気付く。
「
「どうしたんだよ、
「健くんの力が欲しくて。きみだけが頼りなんだ」
「ってことは力仕事か。任せてくれよ」
「うんっ、ありがとう!」
「あっ、堀北さん。平田くんたちが呼んでるよ。どうやら会議開いているみたい」
「伝令ありがとう、
拠点の中心部である
参加者は平田くん、軽井沢さん、櫛田さんにはじまり、各班のリーダーが顔を並べている。
「あっ! 堀北さん、お帰りなさい!」
真っ先に私の帰還に気付いた櫛田さんが、笑顔をこちらに向けてきた。
他のみんなも一様に歓迎の言葉を送ってくる。
私は一度敬礼をしてから、議会に足を踏み入れた。そのまま櫛田さんの隣に立つ。
「堀北さん、疲れているところ悪いけど、まずは報告をお願い出来るかな」
「もちろんよ。──私たちは今しがた、ベースキャンプのそこの大岩を含め、合計三つの『スポット』を更新、そして運良く帰りに見付けることが出来た箇所を一つ占有してきたわ」
「へえ! ラッキーじゃん!」
「軽井沢さんの言う通り朗報だね。移動中、何か気になる点はあったかい?」
「そうね……ベースキャンプからあまり離れなかった、というのもあるだろうけれど、他クラスの生徒の
地面がまだぬかるんでいるから、誰かしら通っていたら足跡が付くはずだ。
しかしながら、そのようなものはなかった。もちろん、見落としていた可能性があるし、単純に、占領地に誰も侵入していなかった線の方が何倍も高いけれど。
「脱落したCクラスは置いておくとして……AとBクラスは僕たちと同様に、雨に備えているのかもしれないね。だから動けないんじゃないのかな」
「けど平田くん、Bクラスはそうだろうけど、Aクラスは違うと思うな。『洞窟』を拠点に構えている以上、特別な準備は必要ないと思うんだ」
「櫛田さんの意見は尤もね。彼らが何をしているのか、その一切合切が分からないのは痛いわ」
Bクラス以外の情報が少な過ぎる。
最も警戒すべきなのはAクラスだと思っていた。しかし、綾小路くんからあの話を聞かされたからか、その思いは今では全くない。
それどころか、もし綾小路くんの予想が正しければ──同情を禁じ得ない。
「Aクラスの動向が気掛かりだけれど、そちらばかりに意識を割いていたら駄目だよね?」
「うん、その通りだ。やるべきことは沢山あるから、効率を重視しないとね。まずは仮設テントの移動だ。もともと木の下に設置していたけれど、もしものことを考えてもっと内地に移動する必要がある」
「まぁ、そこは男子たちに任せるしかないかー。私たち女子は夕ご飯の早めの準備と、その他雑事だよね?」
男性は力仕事を、女性はそれ以外の仕事で分担しているようね。
平田くんと軽井沢さんの報告によれば、現在の達成率は50%を少し超えたあたりだそうだ。一番時間が掛かっているのは夕ご飯の準備で、これは
「最後に、綾小路くんのBクラスへの訪問かな」
「あたしは賛成出来ないけどねー。同盟関係になったとはいえ、敵なんだからさ、別に率先して手を差し伸べる必要はなくない? 向こうから言われたら別だけどさ」
「軽井沢さんの意見も一理あるとは思う。けど、長い目で見れば僕たちに莫大な利益を
「あたしもそこは分かってるつもり。Bクラス……というより、
私は驚きを隠せなかった。
軽井沢さんの主張の正しさに──ではない。
これまで彼女は平田くんの言葉に全て賛同していた。
「Bクラスとの盟約を全否定するわけじゃないけど、もうちょっと待った方が良かったと思うんだけど」
「……うーん、難しいね。堀北さんはどう思う?」
櫛田さんはあくまでも中立の立場をとった。
私と彼女の間には不可視の確執が走っているけれど、今回は暗黙の了解で協力し合っている。
──全ては己の利のために。
私はわざと少し
「そうね……私としてはベストのタイミングだったと思うわ。軽井沢さんの危惧も尤もだけれど──この先も似たような試練が待ち受けているとしたら、そう、考えてみたらどうかしら」
「……例えば?」
「今回はクラス対抗戦の形式になっているわね。けれどそれが次回も当て嵌るとは限らない。クラスメイト──仲間と離れ離れになって戦う可能性も充分にあるわ」
「僕も堀北さんに賛成だ。Dクラスで言えば、櫛田さんや池くんの二人は学年を通して友達が多いけれど、みんながみんな、彼らのように友達が多いわけじゃない。他クラスとのある程度の繋がりは必要不可欠だと思う」
納得したのか、彼女はうんうんと首を縦に振った。
「そっか……、そうだよね。事前に何の説明もせずにあたしたちを無人島に放り込むくらいだもんね、それくらいは学校も
軽井沢さんの他者を引き連れるカリスマ性には目を見張るものがあるけれど、それは身内の中だけ。外に出たら求心力は何段階か下がってしまう。彼女自身、それが分かっているのだろう。それ以上は何も言わなかった。
その後も会議は続き、一段落ついたところで、私は声を小さくして一番気になっていたことを尋ねた。
「──ところで……
「今は山内くんが監視当番だね」
櫛田さんが簡易的に作られた当番表を見ながら答えた。
「不安ね……」
「同感ー。
「そ、そんなことはないと思うなっ。山内くんだって務めを立派に果たしてくれるはずだよ!」
「いやいやいや、はっきり言っておくけど、あたし、山内くんのことは全然信用してないから。正直、容疑者が池くんじゃなくて山内くんだったら、絶対に引かなかったと思うし」
と、これには皆も神妙な面持ちになる。
そして私は違和感を覚える。
思案して──気付いた。
平田くんが山内くんのことを庇わなかったからだ、この
この六日間、平田くんの行動に統一性がなさすぎる。
Dクラスを平生のように導くのかと思えば、放任主義のような構えをとり──彼が、いや、
私は思考を切り替え、さらに質問した。
「それで、伊吹さんに何か行動はあったのかしら」
「うーん……、何もないみたいだね。これまでと同様、トイレとシャワーを浴びる時以外は微塵も動かないみたい」
「っていうか、どうして堀北さんはそんなにも伊吹さんを気にするわけ?」
「他クラスの伊吹さんは不確定要素だもの。下着盗難事件とは関係なしに、彼女は見張るべきだわ」
「ふぅーん。もしかして堀北さんってさぁ、意外に繊細?」
イラッとしたけれど、大人な私は華麗に無視した。
「伊吹さんについては引き続きお願い」
「はいはい、分かってるって」
「会議中悪い。仮設テントの移設が終わったぜ」
「そう、助かるわ──須藤くん……、その
みんなの視線が彼に収束する。
櫛田さんが「きゃっ」と可愛らしく声を上げて、両手で目を塞ぎ、軽井沢さんは「うーわっ」と呆れた。
私も似たようなもので、片手をこめかみに当ててため息を零してしまう。
「おいおい、何だよお前ら……」
不思議そうに首を傾げる彼に、平田くんが苦笑しながら言った。
「須藤くん、どうして上半身が裸なんだい?」
「……? 単純に、蒸し暑いからだけどよ」
それがどうかしたか? と須藤くんは尋ねた。
さすがにこれは問題だと判断し、私は彼に軽く睨みを
「気持ちは分かるけれど、生活の場所である公共の場でその恰好は宜しくないわ」
「でもよ、暑いもんは暑いんだよ。特に今日は暑いぜ。熱中症で倒れちまいそうだ」
「それはあたしたちだってそうだから。けどあたしたち女子はその暑さを一生懸命我慢しているの」
「せめて下着だけでも着なさい」
私と軽井沢さんが結託して批難すると、須藤くんは渋々ながらも頷いた。
後頭部を掻きながら、
「……わーったよ。悪かったな」
謝罪してから、彼はすごすごと退席した。
「須藤くん、本当に変わったねえ……」
櫛田さんがしみじみと呟いた。
昔の彼なら真っ向から牙を立てていただろう。
実際のところ、男子生徒の中で最も活躍しているのは須藤健くんだ。Dクラスのリーダーである平田くんはクラスから外に出て動くことが出来ない。軽井沢さんも同様だ。
けれどそれが正しい。リーダーというものは常時冷静に物事を俯瞰的に視るためにも、腰を上げてはならないのだ。
その為にも各々の『力』が欲しくなる。櫛田さんや池くんなら『コミュニケーション力』、私や幸村くん、王さんといったものは『学力』、須藤くんなら『体力』のように、人間には必ず、『武器』となるものを所持している。
「──以上で会議を終わらせたいと思う。まずはみんなを呼び集めようか」
「みんなー、集合ー」
平田くんと軽井沢さんの招集によって、わずか数分でDクラスの生徒たちが集まった。
この場に居ないのは勝手に脱落した
「もうすぐ雨が降る。作業が一段落したらその前に一度は各々のタイミングで休憩して欲しい。堀北さんたちはお昼ご飯も欠かさずに食べてね。それと、早いうちにシャワーを浴びて欲しいかな」
「俺たち男は川で浴びて来ても良いか?」
「
連絡事項を平田くんが滔々と告げていく。
クラスメイトたちは真剣な面持ちで話を聞いていた。自分に何が出来るのか、クラスに少しでも良いから貢献しようという意志が感じ取れる。
「──以上だ。みんな、とうとう試験は一日を切った。必ず乗り越えよう」
「「「おお────!」」」
仲間たちが雄叫びの声を辺り一帯に響かせる。
勝ちたいという強い想いが具現化された咆哮は、真夏の熱気をも軽々と
「堀北さん、シャワー浴びに行こうよ!」
午後三時を八分程過ぎたところで、櫛田さんがにぱぱーっと明るい笑顔で──近くにいた男子が倒れた。全くもって理解出来ない──誘ってきた。
彼女の片手には着替えが入った手提げバッグがある。どうやら私を逃がしてくれそうにはないようね。
「駄目?」
口を開けないのを不安に思ったのか、櫛田さんは上半身を屈めて上目遣いで、そう、尋ねてきた。
私はこれ見よがしにため息を吐いてから、
「駄目、というわけではないけれど。シャワー室は一室一人用よ。一緒に行く必要性を感じないのだけれど」
「まあまあ、良いじゃん! それに無人島生活が入ってから、私、堀北さんと一度も楽しくお喋りしてないし!」
「……分かったわ。ただし、待ち時間の
「素直じゃないなぁ」
私は分かっているよとばかりに何度も首を縦に振る櫛田さんに無性に苛立ちを感じたけれど、私は無駄なエネルギーを消費することを避けるため、眉間に皺を寄せるだけにとどめた。
「少し時間を頂戴。準備してくるから」
「うん!」
待ってるね! 櫛田さんの声を背中で受け止めながら、私は女子生徒用仮設テントに向かった。
見張り番の生徒に「お疲れ様」と労ってから寝室に入る。
私たちが利用しているものは八人用テントなので、室内はそこそこの面積を誇る。けれどそのスペースも布団がびっしりと敷かれているため、どうしても窮屈に感じてしまう。男子生徒は私たちの比じゃないだろう──
「何で──あんなことを──!?」
「何でって──秘密──」
「誰に──命令──そんなことを──!?」
「それは──篠原さん──」
薄暗い室内に踏み入れると、そこには篠原さんや
荷物置き場のスペースには多くのスクールバッグが綺麗に整頓されて置かれていた。その中でも、一つだけ色が違うものがある。それは他クラス、一年Cクラスの伊吹さんのもの。彼女の荷物をここに収納するにあたって実は一悶着あったけれど、渋々ながらも合意してくれた。スパイ疑惑の目が彼女に向かっている中、下手に逆らうと形勢が悪くなると判断したのだろう。
兎に角にも、篠原さんたちとは話す間柄ではない。私は彼女たちを軽く一瞥してから、自分のスクールバッグから予め用意しておいた替えの服を取り出した。
ズボンのポケットに入っていた無人島の地図とキーカードを鞄の底にしまう。シャワーを浴びる際、着ていた服は皆の分を纏めてそのまま洗濯するため、中に入っていたら駄目だからだ。
──新しい火種、ね……。
私は胸中で呟いてから、息苦しい仮設テントを抜け出した。
櫛田さんを捜すと、彼女はすぐに見付かった。男子生徒と何やら話をしているようだ。顔を視認出来る所まで近付くと、私は足早に移動した。
「帰って来たのね」
「堀北……まるで帰って来て欲しくなかったような口調だな」
流石に傷付くぞ、と綾小路くんは両肩を竦めてみせたが、私はもう騙されない。彼は絶対にそんなことは思わないだろう。
「いつ帰って来たのかしら」
「ちょうど今しがただ」
「雨が降り始める前に戻って来れて良かったね」
心配だったんだ、と櫛田さんは両手を重ねたけれど、私は決して騙されない。彼女は絶対にそんなことは思っていないだろう。
私は後ろ髪を手で
「それで? 首尾はどうなのかしら?」
「先に言うと、Bクラスへの協力はやらなくて良いそうだ。自分たちの力で乗り越えると言われたよ。こちらは順調だ」
「……そう。私もちょうど今仕込んだところよ」
「なら、あとは任せる。オレは今から洋介と軽井沢に事の顛末を報告してくるから」
綾小路くんはそう言ってから、私たちに背を向けて行った。
私はにこにこと笑っている櫛田さんに声を掛けた。
「それじゃあ、私たちも行きましょう」
「うんっ」
ちょうど私たちが最後だったらしく、熱いシャワーを浴び、焚き火広場に戻ると、そこでは既に早めの夕食をとっているクラスメイトたちが居た。Bクラスに助太刀をしていたら確実に遅れていただろう。
沢山の物が置かれていた広場は景観が変わっていた。迫る雨に向けて片付けたためだ。今ではぼうぼうと灰色の煙を揚げている焚き火だけが残っていて、生徒たちはそれを円のようにして包んでいた。
「堀北さん、櫛田さん、ど、どうぞ……」
「「ありがとう」」
佐倉さんからトレーを受け取る。今日は釣りが出来なかったので、メニューは野菜や果物といったヘルシーなものばかりだった。男子生徒たち、特に須藤くんが絶望の表情で手を動かしている。明日の今頃は客船に戻っているので、それまでは我慢をして欲しい。
私たちは集団から少し離れた場所で腰を下ろした。自分のペースで食事を進める。
「綾小路くん、伊吹さんと何を話しているんだろうね」
櫛田さんの声に従って見てみると、彼らは私たちと同様、集団から少し離れた場所で腰を下ろしていて──真反対側だ──、何やら喋っていた。不気味な程にどちらも無表情だ。距離がある所為で内容は推し量ることしか出来そうにない。
不意に、隣の彼女が、
「綾小路くんってさあ、全然笑わないよね」
「急に何を言い出すのかしら」
視線を元に戻すと、櫛田さんは両腕を組んで唸っていた。そして、「あっ」と声を上げて私を見つめる。
「堀北さんも笑わないよね」
「あなた……だいぶ失礼なことを言っている自覚がある?」
「けどそれは、堀北さんがそういう性格だからだよね。この前池くんたちが教えてくれたんだけど、『ツンデレ』って言うんだって」
「……何を言っているか分からないわね」
けれど、揶揄われているのは分かった。
──今度出す宿題の量を二倍にしましょう。
決して忘れないように誓っていると、櫛田さんは私の表情から何かを察したのか、慌てて、
「兎に角! 堀北さんはさ、笑おうと思えば笑えると思うんだよね。そうでしょ?」
「……まぁ、そうね」
「だけどさ、綾小路くんからは何も感じ取れないんだよ。心から何かを想って笑っているところを一度も見たことがないなぁ……」
「一度も、ではないでしょう。いつだったか、私たちはこの目で目撃しているわ」
私の中で、一番印象に残っているのは、私が彼に食堂の中で最も価格が高いスペシャル定食を奢った時。あの時は感情が表出していたと思う。
「言われてみれば確かに。でもなぁ……、うーん……」
「何が言いたいのかしら」
「あっ、ごめん。つまりさ、綾小路くんって笑い方を知らないんじゃないのかな」
「……?」
思わず首を傾げてしまった。困惑してしまう。
訝しげな顔をする私を対照的に、櫛田さんは、むしろ、自身の言葉で答えを得たようだった。
「
私にも思い当たる節があった。
綾小路くんが感情のままに言葉を発したり、動いたりするところを、私は見たことがない。けれど私はそれ以上に気になることがあった。
「櫛田さん」
「何かな」
「あなたの『それ』を否定する気はないわ。けれど『それ』はいずれ身を滅ぼすわよ」
「……あははっ、もしかして忠告してくれているの?」
だったら嬉しいなぁ、と櫛田さんは屈託なく笑った。私はじっと彼女を凝視する。
すると──男子生徒たちから女神と持て
「私はね、堀北さん。
「……」
「やっぱり驚かないんだね」
「……いいえ。驚いているわ。ただそれは、あなたが私を嫌っているという事実ではなくて、いつ、誰が話を聞いているか分からないこの状況下でそのことを口に出したことよ」
「大丈夫だよ。誰も私たちに注目していないから」
櫛田さんは断言する。確かに彼女の言う通りで、耳を傾けている生徒は視界上では映らなかった。しかしそれは見える範囲での話のはず。
──なのに何故、彼女は断言出来るの?
私は知らずのうちに二の腕を
魔女は望んでいただろう私の醜態を見ても微笑みを崩さない。それが余計に恐怖心を煽る。
「櫛田さん、あなたは──」
私はそこで言葉を区切った。
頭に冷たい感触が生まれたからだ。違和感はすぐに収まったけれど──すぐに、二度、三度と連なっていく。
「雨、ね……」
とうとう恐れていた事態になった。
いや、むしろ、天気が良く持ったと言えるわね。
ぽつぽつとした小さな雨音は時間の経過とともに大きくなっていく。
「みんな、手筈通りに動くんだ!」
「「「了解!」」」
平田くんが素早く指示を飛ばすよりも早く、各々、自分の役割を果たすために行動していた。
特別試験、突発的に発生したその最後の試練を、彼らは声を掛け合い、手を取り合って超えていく。
「三宅、こっちを手伝ってくれ!」
「あれ!? 伊吹さんが居ないよ!? やっぱり彼女が──」
「ふぅー。やれやれ、この世界は残酷だね……」
「ヒャッハー! 俺は今、最高にフィーバーだぜ!」
私はその様子を目に焼き付けてから、ベースキャンプの僻地に向かう。雨の中でも絶えず燃える焔が遠ざかっていく。
はたして、そこには空を睨んでいる
彼女の瞳には何が映っているのだろう。
近付く気配に気付いたのか、彼女は視線を下げて私を視認した。
「どうした堀北。お前は動かないのか?」
茶柱先生が
私は濡れて垂れ下がってきた前髪を
「────」
聞き終えた彼女は両目を見開かせる。有り得ないとばかりに驚愕に満ちた目。
「堀北……お前はそれを本気で言っているのか?」
「はい、その通りです。まさか私の申し出を断りはしませんよね?」
畳み掛けると、茶柱先生は逡巡の後、短く首肯した。
「……分かった。ただし規定に則り──」
「覚悟の上です。先生、お願いします。既に限界です」
教師は物言いたげな表情を浮かべてから、仮設テントから純白のタオルを取り出した。
入れと促されたので、会釈してから入る。降り掛かる雫が消え失せ、頭部が冷えていくのを感じた。すると茶柱先生はタオルを頭に被せてきた。
「移動しながら拭け」
「……ありがとうございます……」
私たちは声が飛び交うベースキャンプに背を向け、森の中に入っていった。暗闇の中を照らすのは懐中電灯の光だけ。
木々の枝が揺れ、地面の草花が揺れ、ざあざあと雨が降り続ける。ぴかっと視界を点滅させる閃光に、遅れてやって来る轟音。稲妻が天から降り注ぎ、走り抜ける。
私は瞼を閉じ、この激動の六日間に思いを馳せる。
──悪いものではなかったわね……。
そして私たちは目的地に辿り着いた。制限時間内に到着出来て良かったと安堵の息を胸中で吐き出す。そこには大勢の大人が居た。Aクラス担任の
「茶柱先生、彼女は?」
しかしながら、彼女は答えなかった。
その代わり無言で私をじっと見つめる。真嶋先生も私に注視する。
私は息を吸ってから宣言した。
「体調を崩してしまいました。試験をリタイアしますので、静養させて下さい」
この選択に後悔はない。
いいえ、それは嘘。
──最後まで特別試験に臨みたかった。
手続きを簡潔に済ませ、私は不要になったキーカードを茶柱先生に渡した後、彼女の引率のもと自分の部屋に戻る。そして茶柱先生は何も言うことなく部屋をあとにした。バタンと扉が音を立てて閉ざされる。
窓越しに見える景色はどこまでも漆黒に覆われていた。私は時が経つのも忘れてただひたすらに凝望する。気分は嘗てない程に最悪だった。
高度育成高等学校、第一回特別試験、六日目の八月六日。
・各クラスの残存ポイント(但し、ボーナスポイントは含めない)。
Aクラス──?
Bクラス──?
Cクラス──?
Dクラス──?
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
-
綾小路清隆
-
堀北鈴音
-
平田洋介
-
櫛田桔梗
-
須藤健
-
松下千秋
-
王美雨
-
池寛治
-
山内春樹
-
高円寺六助
-
軽井沢恵
-
佐倉愛里
-
上記以外の生徒