ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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無人島試験──各クラスのその後 Ⅰ

 

「みんな、集まってくれてありがとう」

 

 壇上に立つ平田(ひらた)が、まずはそのように挨拶をした。

 ここは豪華客船、二階層目の大部屋。オレたち一年Dクラスの生徒の殆どがこの集会に集まっていた。ちなみに欠席者は高円寺(こうえんじ)の一人だけだ。

 既に船は無人島から離岸している。海上はもっと揺れを感じると思っていたのだが、違和感はあまり覚えない。これは船の造りと、何よりも、操舵手がとても素晴らしいからだろう。

 予定では今から平田が特別試験の結果について話す段取りになっている。必要とあらばオレや堀北(ほりきた)も壇上に立たなければならない。

 人前に立つことは緊張する以前に憂鬱(ゆううつ)だが……、まあ、嘆いていても仕方がない。覚悟を決め、オレは先導者が話し始めるのを待った──。

 

 

 

§ ─同時刻:豪華客船:第一階層─

 

 

 

 Dクラスがそうしているように、他クラスもまた、特別試験の振り返りを行っていた。

 Dクラスが二階層目のひと部屋を借りているのに対して、Aクラスは一階層目のフロアの隅にある中部屋を学校に申請して借りていた。既にAクラスの生徒全員が席に着いている。

 

「どういうことだ、葛城! 納得が行く説明をしろ!」

 

「そうだぞ! どうしてあんな悲惨な結果になったのか、お前にはその義務があるはずだ!」

 

 Aクラスは未だにクラス闘争に向けてリーダーが選出されていない。

 葛城(かつらぎ)康平(こうへい)坂柳(さかやなぎ)有栖(ありす)が対立しており、また、同時に、クラス内でも葛城派と坂柳派と分裂していた。

 しかし今、その分裂は事実上消失していた。理由は簡単。特別試験の結果に於いて、Aクラスは最下位という成績を残してしまったからだ。

 いや、これがまだ接戦の末の最下位という結果なら、彼らはそこまで言わなかったかもしれない。葛城派の生徒も歯向かってくる敵に対して反論していただろう。

 だが結果は──残存ポイントが20ポイントという……、あまりにも凄惨(せいさん)なものだった。

 これには葛城派の生徒も坂柳派の生徒の反乱を諌めることは出来ない。

 むしろ彼らはこのように考えていた。すなわち──寝返るなら最初で最後のチャンスである、と。

 

「おい、どうなんだよ葛城!」

 

「……」

 

「黙ってないで何か言えよ!」

 

 葛城は無言を貫いていた。

 多くの生徒が評するように、葛城は冷静沈着な男だった。危ない橋は渡らず、一か八かの賭けはせず、彼はこれまでの人生を過ごしてきた。

 それはひとによっては『臆病』だと思うかもしれない。だがしかし、堅実な一手は普通の攻撃では破ることはとてもではないが出来ない。

 故に、葛城はあくまでも冷静に試験結果を受け止めていた。何故Aクラスが敗れたのか、最初こそ動揺は隠せなかったが、しかし、ある程度の時間が経った今なら分かる。

 目を伏せ佇む葛城を見て、坂柳派は好機だと判断し口撃を重ねていく。それはとてもではないがクラスメイトに向けるものではなかった。

 戸塚(とつか)が主を守ろうと、

 

「お前ら落ち着けよ! 葛城さんだってショックを受けているんだ!」

 

「うるせえ! 『腰巾着』は黙っていろよ!」

 

「な、何だと……!?」

 

「いつもいつも葛城の傍に居るお前が『腰巾着』じゃないのなら、他に何が『腰巾着』なのか聞きたいくらいだぜ!」

 

 標的が葛城から戸塚に移行するが、しかしだからといって、この荒れに荒れた状況が変わるわけではない。むしろ混沌はさらに深まる。

 葛城が唇をきつく真一文字に引き結んでいる中、不意に、雑音がやや混じった声が轟いた。

 

 

 

『葛城くん。他の皆さんの言う通り、あなたには事態の説明の義務があると思いますが』

 

 

 

 刹那──音が途切れた。

 葛城派も坂柳派も関係なく、この場に居る生徒全員が口を閉ざし、発生源に視線を送る。

 はたして、そこには一人の女子生徒が居た。紫色のサイドテールが特徴的な、落ち着いた雰囲気の持ち主。

 

神室(かむろ)……」

 

 戸塚が小さく呟く。声には敵意が存分に含まれていた。それもそのはず、神室は坂柳派──しかも、坂柳の『従者』としてAクラスの生徒たちには認識されていたからだ。

 しかしながら、戸塚の視線は彼女からすぐに離れることになる。否、方向は同じだ。ただ彼女が両手で持っている『物』に自然と向く。

 それは彼だけじゃない。全員がその『物』を凝視する。神室が居心地悪そうに身動ぎするが、そんなものは彼らにとってはどうでも良い。

 

『おやおや、皆さん、どうかされましたか。先程と同じように騒いでくれて構いませんよ』

 

 神室が両手で持っている『物』とは携帯端末だった。入学した際に支給された変哲もないもの。

『従者』は嘆息してから、おもむろに端末の液晶画面をクラスメイトに向けた。画面は起動中なのか眩く光っている。

 そして画面には『通話中』という文字と、『坂柳有栖』という文字が表示されていた。

 

『ご機嫌よう、みなさん』

 

「坂柳……」

 

 葛城の呟き声に、坂柳は敏感に反応する。

 ふふふっという上品な笑い声。しかし彼らは知っていた。画面の向こうで彼女は(わら)っているのだと。

 

真澄(ますみ)さんから話は伺っていますが……まずは謝罪させて下さい。今回の特別試験に於いて、私は何もすることが出来ませんでした。試験を欠席し、30ポイントもの多額なポイントを失わせてしまいました。本当に申し訳ございません』

 

「そんなことありません! 坂柳さんがこの旅行に来れないのは仕方がないことです!」

 

「そうですよ! みんな納得しています!」

 

 多くの生徒が──坂柳派が主だが──坂柳の欠席を慰める。

 そう、事情を知らない可能性がある他クラスの者なら兎も角として、Aクラスの者が坂柳の欠席を責めることは出来ない。その点については派閥を問わずして仕方がないと割り切っていた。

 

『……ありがとうございます。私はみなさんの優しいお言葉に涙が出そうです』

 

 すると葛城派の生徒が舌打ちを一つ小さく打った。「白々しい……!」と怒りを端末越しの坂柳に吐き捨てる。

 だがしかし、坂柳は気分を害したようではなかった。淑やかな微笑。

 

『──ですが、この結果には欠席者である私にも詳しい話を聞く権利があるはずです。違いますか、葛城くん?』

 

「そうだな……、お前の言う通りだ」

 

『ではお聞かせ下さい。嘘偽りなく、事実を』

 

 坂柳の言葉を契機に、自ずと、中部屋には二つの陣営が成立していた。言わずもがな、葛城派と坂柳派である。

 両勢力は数こそほぼ等しいが、しかし、どちらに勢いがあるのかは一目瞭然であり、坂柳派の方が優勢であった。

 

「分かった。長い話になるが、まずは聞いて欲しい」

 

『もちろんですとも。何せ時間はたっぷりあるのですから。いくらでもお付き合いします』

 

 坂柳は悠然とした姿勢を崩さない。

 程なくして、葛城は話し始めた。この七日間、自分が何をしたのか。その全てを一切合切話す。

 聞き終えた生徒の反応はお世辞にも良いとは言えなかった。葛城派は目を伏せ立ち尽くし、坂柳派は愚かな彼らに対して嘲笑する。

 

『……ふむ、話は理解しました。話を纏めさせて下さい。葛城くん、あなたはまず先に『洞窟』を占有し、そこをベースキャンプに定めることを早々に決めた』

 

「ああ、その通りだ」

 

『その点についてはあなたの判断は正しいと言えるでしょう。私も参加していたらそのようにしていましたから』

 

 ──ですが、と坂柳は語尾をやや強くして、言葉を続けた。

 

『葛城くん、あなたは一つ失敗しましたね。まず一つ目、同じことを考える生徒の出現の可能性に気付きながらも急いでしまった。事実、Dクラスの高円寺くんと遭遇してしまったのでしょう?』

 

「……ああ」

 

『しかしそこはまあ、運が悪かったとも言えますから仕方がない側面もあったでしょう。次に二つ目。話を聞くところ、戸塚くんがリーダーだったそうですが……、何故、リーダーとたった二人で行動したのですか? もっと大人数で動いていたら仮に他クラスと遭遇しても誤魔化しが利くというのに』

 

 葛城は何も言えなかった。

 坂柳の指摘は全て正しかったからだ。しかし葛城も自分の行動が相当にリスキーだったのは自覚していた。それでも尚行動したのは、ひとえに、自分が絶対的に信頼出来るのが戸塚しか居なかったからだ。

 

『失敗らしい失敗はこれくらいでしょうか。『洞窟』の出入口に垂れ幕という……個人的に面白くない手段をとったのも、まあ、良いでしょう』

 

「しかし坂柳さん! Cクラスとの『密約』はあまりにも!」

 

 坂柳派の生徒が坂柳に申し立てる。

 綾小路の推測通り、AクラスはCクラスと『密約』を交わしていた。

 坂柳は「ふむ」と言ってから、

 

『確かに私たちAクラスにとってはそこそこの痛手でしょう。ですが私は葛城くんを責めることは出来ません。()の『王』との『密約』は葛城派、坂柳派を問わず、みなさんが合意したものでしょう。ならそれはみなさんの責任です。葛城くん一人を糾弾することは道理ではないと思います』

 

 坂柳が敵対派閥を庇っている。だがしかし、当の本人である葛城は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 それを知ってか知らずか、坂柳は話を再開させた。

 

『さてそれでは、試験結果についてです。葛城くん、申し訳ございませんが、もう一度お願い出来ますか? どうやら電波が悪いようでして、実は上手く聞き取れませんでした』

 

 ごめんなさいね? と坂柳は嗤った。

 葛城は両手を力強く握りながら、けれど、顔に内面を見せることなく淡々と試験結果について述べる。

 先程とは違い、中部屋に響かせるよう、大きな声で。

 

「──……以上だ」

 

『ふむふむ……、よく分かりました。そうですか……20ポイントですか。なるほどなるほど……』

 

 面白おかしそうに言葉を反芻させる。

 坂柳派の生徒が神室に近付き、携帯端末に顔を近付けて尋ねた。

 

「坂柳さん! どうして俺たちが負けたのか、あなたなら分かるはずだ! 教えて下さい!」

 

『ふふふ……本来なら葛城くんの役割ですが、彼は未だにショックを受けているようですし、ここは私が答えることとします』

 

「お願いします!」

 

 生徒全員が耳を傾け、坂柳の言葉を聞き逃さないようにする。

 坂柳は美しい声で滔々(とうとう)と語り始めた。

 

『まずですが、Aクラスは朝の点呼の時点で270ポイントありました。これは記録として残っています。では何故、20ポイントにまで大幅に下がったのか。みなさんもおわかりかと思いますが、それは──我々が『攻撃』と『防衛』、どちらに於いても失敗したからです』

 

 Aクラスは総合的には高い能力の持ち主が多い。故に、それくらいのことは考えればすぐに理解した。

 だがしかし、何故失敗したのか、そこだけはいくら考えても答えを出せなかった。

 

『『攻撃』から私の推論を言いましょうか。B、Dクラスへの『攻撃』に失敗した最大の理由、それは彼らのリーダーが変えられていたからです』

 

「「「──は?」」」

 

『次に『防衛』に失敗した最大の理由、それはAクラスの生徒の誰かがリーダーの情報を流したからです』

 

「「「────は!?」」」

 

 爆弾を投下され、生徒たちは驚愕を顕にした。騒然となる中部屋。憶測の域を超えない持論のぶつけ合い。

 坂柳は部屋が静かになるのを待ってから、

 

『『攻撃』の失敗については、恐らく、向こう側に優れた生徒──Xと呼称しましょうか──が居たからなのでしょう。リーダーの変更が可能か不可能か、私はルールが書かれたマニュアルを読んでいないので何とも言えませんが……そうとしか考えられません。Xは私たちの『密約』にまで辿り着き、そして、土壇場になってリーダーを変更させたのでしょう。それがBかDクラスまでは分かりませんが、どちらにせよ、Xはその情報を同盟を結んでいるクラスに共有した』

 

 喉が渇きました……、坂柳は一言断りを入れてから、何かを飲んだようだった。『従者』である神室は普段の彼女を思い出し、紅茶なのだと当たりを附ける。

 

『次に『防衛』についてですが……私はこれも、Xの仕業だと考えます。XはAクラスの生徒の誰かに近付き、()()()()()()()。そう、それがたとえ仲間を裏切る行為だとしても──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あとは『攻撃』と同じです。同盟クラスと共有した……こんなところでしょうか。Cクラスも同様でしょう。つまりXが、陰で龍園くんとも繋がりがあるのだとしたら……、脅迫材料も共有されていてもおかしくはありません』

 

 坂柳の推論は、聞いた者をそうだと思い込ませるだけの説得力があった。事実、矛盾している点は表面上はない。

 葛城が異議を唱えないことも信憑性に繋がった。敵対派閥の生徒でも、彼の能力がAクラスの中でもトップクラスなのは認めている。その彼が何も言わないということは、つまり──。

 しんとした静寂が支配する中、ノイズが走った。

 

『みなさん、何を気落ちしているのでしょうか。確かに私たちは大敗を喫しました。しかし私はそこまでのものではないと考えます。以前から考えていたのですが、私たちAクラスは他クラスを多々見下してきました。その結果が今回の彼らの逆襲に繋がったのです。今回は良い意味での経験になったでしょう。直近の敵であるBクラスには差が詰められてしまいましたが──()()()()()()()()()()()()()()。私たちの優勢は変わりません。これからは一致団結して、クラス闘争に臨みましょう』

 

 刹那──歓声が部屋に響き渡る。

 坂柳の演説は坂柳派はもちろん、仮初の敵である葛城派の生徒の心にも届いたようだった。それはつまり、坂柳派に寝返った、ということ。

 そして彼らは確信する。

 坂柳有栖に従えばAクラスに『敗北』は有り得ないと。

 そこからは早かった。会議は瞬く間に終わり、一人、また一人と退席していく。彼らの顔は不安の色は一切なかった。あるのは約束された勝利に対する希望だけ。

 残ったのは葛城と、それでも尚、彼を見捨てない少数の生徒たち。

 戸塚が頭を深く下げた。

 

「葛城さん……すみませんでした! 坂柳の推測が正しいなら、俺の所為で──」

 

 坂柳派からは『腰巾着』と揶揄されていた戸塚だが、しかし彼もまた、Aクラスに配属されるだけの能力が確かにあった。

 彼は理解していた。

『防衛』に失敗したのは、裏切り者にキーカードを写真で撮られたということに。それは自分の失態に他ならない。

 頭を下げる戸塚に、ぽんと大きな掌が乗せられた。

 

「気にするな。お前はこの七日間、よくやってくれた。俺が動けない時は率先してクラスを纏めあげようとしてくれただろう。今回我々が負けたのは、ひとえに、俺の責任だ。お前たちも、今なら坂柳派に移籍出来るぞ」

 

 葛城は理解していた。坂柳という人間が、敵対する人間に対してどれだけ苛烈な手を打つのかを。

 今後も自分に付くと、彼女の手は彼らに向かう可能性がある。それは葛城の望むことではない。だからこそ、わずかでも迷っているのなら自分を切って欲しい──。

 しかし誰もその言葉に頷かなかった。

 

「俺は葛城さんに付いていきますから!」

 

 戸塚の言葉を皮切りに、彼らは葛城を慰めた。

 

「そうだよ! 私も戸塚くんと一緒!」

 

「坂柳は気に食わねえ……。あんたに付いた方が何倍もマシだ」

 

 普段は笑顔を見せない葛城も、折れ掛けていた心を直し、頼もしい仲間たちに顔を綻ばせて礼を言う。

 

「ありがとう。これからも宜しく頼む」

 

 腰を九十度曲げた最敬礼。

 大敗した葛城派の焔は、しかし、より一層激しく燃える。

 絆を確かめた彼らも、一人、また一人と退席していき、やがて葛城と戸塚の二人になった。

 

「葛城さん、俺たちも行きましょう」

 

「いや……、悪いが、少し一人にさせてくれ」

 

「葛城さん……。分かりました、先に失礼します」

 

 敬礼をしてから、戸塚もまた、部屋をあとにする。

 葛城は彼を見届けた後、両腕を組んで思考に耽ることにした。

 二、三分程、経っただろうか。物音一つなかった部屋に音が鳴り始める。それは電話の着信音だった。

 葛城はズボンの左ポケットから携帯端末を取り出し、わずかに眉を寄せたあと、応答ボタンをタップした。

 

「何か用か、坂柳」

 

『いえいえ、用という程のものではないのですが。葛城くんが何か私に言いたいのではないかと愚考しまして』

 

 だからこうして電話を掛けています、と坂柳は言った。葛城は長い沈黙の末、掠れた声を出した。

 

「坂柳……お前わざと、Aクラスを負けさせたな?」

 

『おやおやおや、何を言っているのでしょう。葛城くん。疲れが溜まっているのでは?』

 

「そうかもしれないな。だからこそ、嘘偽りなく教えてくれ。今回の最大の敗因、それはお前がそのように仕向けたからだ」

 

 坂柳は旅行を欠席している。

 だが葛城は確信していた。

 特別試験に直接参加していなくても、坂柳有栖なら充分に可能であることを。

 数秒経過したところで、ぱちぱちぱちと小さな拍手が葛城に送られた。

 

『正解です、葛城くん。私は旅行の存在を知ったその時から、Aクラスに敗北させることを決めていました。ええ、あなたの言う通りです。憐れな裏切り者はXに脅迫されていた? ふふふ、ご冗談を。私がそのように指示を出していただけですよ』

 

 坂柳は饒舌(じょうぜつ)に語った。

 まず当然として、坂柳は学校から豪華客船による旅行が行われることを知った時に、何かが起こることを察知した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 葛城が今回の特別試験で手柄を立てようと思うことも分かっていた。クラス内での派閥争いに終止符を打ちたいと考えるだろうとも予測していた。

 だがしかし──参加出来ないからと言って、坂柳に出来ることは何もないのか? 

 それは否である。

 坂柳は自身に忠誠を誓っている生徒の中から、より利用出来る『駒』を選出した。それがたとえ『道化師(ピエロ)』だと分かっていても、自分には制御出来る。

 そこからの話は簡単だ。彼女は『道化師』である橋本(はしもと)に、手段は問わないのでAクラスを裏切るように指示を出した。

 橋本は坂柳の指示に従い、綾小路と龍園に戸塚がリーダーであることを教えた。とても簡単な話。

 

『私を憎むのは言っておきますが筋が違いますよ。私はあなたに言いましたよね。有事の際の指揮権はあなたに一存すると。行動には責任が伴います。あなたは外の敵ばかりに気を取られ、内の敵を軽く見過ぎていた。試験結果に響くような裏切りをするとは考えないのが普通でしょう。が、しかし、その普通を勝手に納得したのはあなた自身。もっと周りを視るべきでしたね』

 

「分かっている。しかしこれだけは聞かせてくれ……。そこまでして……坂柳、お前はクラスを率いたいのか?」

 

 昂る感情を抑え、葛城は冷静を装って坂柳に問う。

 

『クラスを率いたい、ですか……。そうですね、あなたの言うことは何割かはあります。私は誰かの下になど絶対に付きたくありません。しかしそれ以上に──』

 

 そこで坂柳は言葉を区切った。

 葛城はその時連想してしまった。坂柳が悠然と椅子に腰掛け、歪に嗤っていることを。

 

『──()()()()()()()()()? ええ、面白くない。私はですね、葛城くん。クラス闘争には勝ちます。ですがそれが一方的な遊戯(ワンサイドゲーム)だとしたらどうでしょう? 微塵も楽しくないじゃないですか。私は敵が全力を尽くした上での完全勝利を望んでいるのです』

 

 そのためにAクラスをわざと負けさせた。たとえ不利になるとしても、その上で──『勝つ』。

 葛城は思わず絶句した。

 坂柳の残忍な攻撃性を、葛城は理解していたつもりだった。しかしそれは勘違いだった。

 彼女はクラス闘争になど興味は微塵もない。彼女からしたらそれはただの暇潰しにしか過ぎない。

 自分が楽しむために彼女は行動する。その枠組みの中にクラス闘争があるだけだ。

 そう、彼女にとってはクラス闘争に『勝利』することは目標なのではなく、確定された過程に過ぎない。

 

『葛城くん。今後、あなたが何をしようと私は何も言いません。私の派閥に入るのなら喜んで歓迎しましょう。敵対するならそれはそれで良し。ですがその場合、今回はあくまでも警告でしたが、次からは本格的に潰します』

 

 ──それではご機嫌よう、と坂柳は別れの挨拶を口にしてから電話を切った。

 葛城は携帯端末を元の場所に戻そうとして……はたと気付く。自分の右手が震えていることに。

 

「坂柳……お前にだけは負けるわけにはいかない」

 

 坂柳は危険だ。

 彼女の思想には狂気を(はら)んでいる。必要とあらば彼女は、使えなくなった用済みの『駒』を退学させる可能性が高い。

 それだけは防がなくては──。

 決意を胸に、葛城は中部屋をあとにした。

 

 

 

§ ─同時刻:図書館─

 

 

 

 夕陽が窓から射し込む図書館の四隅の一角。そこは普段、綾小路(あやのこうじ)椎名(しいな)が独占している場所であった。

 坂柳は椎名が座っている場所に腰掛け、微笑を浮かべながら花壇を眺めていた。

 

「ふふふ。ふふふふっ……」

 

 我慢しようと試みるが、どうしても笑ってしまう。

 それもそのはず、全てが坂柳の計画通りに行っているからだ。

 Aクラスの惨敗、敵対派閥である葛城の失脚──

 

 ──そんなものはどうでも良い。

 

 坂柳はクラスメイトの前ではXと呼称していたが、橋本から話を聞いていたのだ。つまりは、Xの正体を知っている。

 予想通りの正体。

 そうであって欲しいという願望。

 

「綾小路清隆くん……」

 

 憂いを帯びた吐息と共に、彼の名前が紡がれる。

 綾小路清隆(きよたか)。先月の『暴力事件』から台頭してきた謎の生徒。それが生徒たちの印象だろうが──坂柳はそんなものより深く、彼のことを知っていた。

 とはいえ、綾小路は坂柳のことは知らない。

 坂柳が一方的に綾小路のことを理解しているだけに過ぎない。

 頬杖をつきながら、願うことはただ一つ──。

 

「嗚呼……早く()いたいです……」

 

 坂柳は懸想(けそう)の相手を強く、強く想いながら、邂逅(かいこう)(とき)を今か今かと待ち侘びていた。

 それはさながら恋に落ちている乙女のようだった。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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