ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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干支試験

 

 無人島で行われた特別試験が終了してから、早くも三日が経過していた。オレたち、高度育成高等学校、一年生を乗せた豪華客船は、何事もなく、太平洋上での航海を続けていた。嵐に遭遇することもなく、まさしく、平穏と言って差し支えないだろう。

 無人島での一週間のサバイバルは、これまで、何不自由なく青春を謳歌してきた若者には苦行以外の何物でもなかった。これが一週間ではなく、二週間だったら、生徒たちは試験なんてものはお構いなく、学校に暴動を起こしていたかもしれない。

 しかし、地獄は終わった。

 基本、男という……ましてや、十代の子どもは野獣であり、性に()えた肉食動物だ。地獄から解放された反動か、男子生徒たちの瞳は普段よりもぎらつき……互いに牽制しながら意中の女を巡っているらしい。だがそれは女子生徒たちも同様のようだ。みんな、運命的な何かを渇望(かつぼう)している。とはいえ、それは仕方がないのかもしれない。ここは全てが揃った豪華客船。さらには、船の中にあるものは全て無料(ただ)ときた。(ぜい)の限りを尽くしたこの旅行で、『何か』を期待するなと言う方が無理な話だ。

 実際、何組かのカップルが誕生しているらしい。「羨ましい!」と(いけ)が言っていたな。しかし、そう言った彼からは言うほどのものは感じられなかった。どうやら、先の『あの一件』を経て、また一段階成長したようだ。

 そんな友人と言えば、今は堀北(ほりきた)先生による夏期講習なるものが開かれているらしく、そこに参加している。まさかこの旅行でも勉強会が開かれるとは。死んだ顔で集合場所に向かう彼に、オレは思わず同情してしまった。だが──。

 

桔梗(ききょう)は参加しないのか?」

 

「うん? 何のこと?」

 

 櫛田はオレの質問に可愛いらしく首を傾げた。

 オレたちは、今、船の屋上、その端にあるカフェに居て、共に昼食を取っていた。エレベータの中で偶然遭遇し、流れでそのまま現在に至る。クラス、いや、学年のマドンナと二人きりの状況、入学した当初のオレなら萎縮していただろうが、流石(さすが)に今なら問題ない。

 目でどういうことなのかと尋ねられたので、今度は省略せずに尋ねた。

 

「夏期講習、堀北の手伝いをしないのかと思ってな」

 

 すると櫛田(くしだ)は合点がいったようだった。

 

「ああ、そのこと? うん、問題ないよ。今は先生と生徒のマンツーマンだからね。私がすることは何もないんだ」

 

「マンツーマンって……。それは凄いな……」

 

 オレは思ったことをそのまま口にした。

 まさかその段階にまで至っていたとは……。これはもう、生徒が開く勉強会の範疇を優に超えているだろう。

 心配なことがあるとしたら……、

 

「……襲われないと良いが」

 

「襲われるって、堀北さんが?」

 

「ああ、特に(けん)が心配だな」

 

「ああ……いくら堀北さんでも、須藤(すどう)くんは厳しいかもしれないねえ」

 

 堀北は過去武術を嗜んでいたようで、そこら辺の男なら彼女には到底太刀打ち出来ないだろう。教え子である、池、沖谷(おきたに)山内(やまうち)程度なら仮に襲われても問題なく対処出来るはずだ。

 だがしかし、そんな彼女も鍛えられた屈強な男が相手では厳しいだろう。バスケットで日々身体を鍛えている須藤では、流石の彼女でも分が悪いだろうな。

 ところが、櫛田はオレの懸念を否定した。

 

「大丈夫だよ。前の須藤くんだったら危険性はあったかもしれないけど、いまの彼なら大丈夫」

 

「……それもそうだな」

 

「堀北さんもそれが分かっているからやっているんじゃないかな」

 

 けどまあ、須藤くんの恋路(こいじ)は前途多難だけど……と、櫛田は言った。

 

「いまさらだけど、気付いていたんだな」

 

「もちろん。須藤くんは顕著だから、私だけじゃなくて、みんな気付いているよ。今時あそこまで純粋(ピュア)なのも珍しいんじゃないかなあ」

 

「ちなみに、桔梗は上手くいくと思うか?」

 

 純粋に気になったので尋ねると、櫛田は微妙な顔になった。

 それだけでオレは察してしまった。

 彼女は視線を逸らしながら、

 

「須藤くんの勝率は絶望的だね」

 

「そ、そうか……。健は絶望的か……」

 

 オレは友人を思って合掌した。

 櫛田はそんなオレを見て一度笑ってから、このように言う。

 

「ううーん、何ていうのかな。私見(しけん)だけどね、須藤くんそのものには、多分、問題ないと思う」

 

「どういうことだ?」

 

 すると櫛田は脈絡もなく、このように言う。

 

「いま最も注目を浴びているのは、清隆(きよたか)くん、きみだよ。良くも悪くも、だけどね」

 

「そうなのか」

 

「うーわっ、興味なさげな反応」

 

「……オレのことは置いといて、話を続けてくれ」

 

 櫛田はオレをつまらなそうに見てから、

 

「男子生徒で清隆くんの次に注目を浴びているのは、なんと、須藤くんなのです!」

 

 わざとらしく、そのように言った。

 どうにも彼女にはナレーション気質があるような気がする。

 

「最初は不良少年として名を馳せていたけど、須藤くん、変わったでしょ?」

 

「そうだな」

 

 入学当初のことを考えれば、別人と言っても過言ではないだろう。

 

「テストの成績は良くないけど、須藤くんが池くんたちと一緒に頑張っているのは結構広まっていてね。彼、身体能力は学年でも最上位の部類に入っているし、意外にも、かなり友達想いだからさ、『良いなっ』っていう女の子が急上昇中なんだ」

 

「それはまた……池や山内たちが聞いたら荒れそうだな」

 

「あははっ、そうかもね」

 

 だがここまで聞けば、櫛田の言っていることにも頷けるな。

 確かに、いざ、考えてみれば須藤本人にはそこまでの問題が感じられない。

 となると、問題は……そこまで考え、オレは思わずため息を吐いてしまった。

 

「清隆くんも分かったようだね」

 

「まあな。問題は堀北にあるってことだろ?」

 

「だいせいかいっ!」

 

 ぱちぱちぱちと櫛田は満面の笑みで拍手した。

 それを目の当たりにしたオレは頭を抱えてしまう。そんなオレに構うことなく、櫛田は遠慮なく残酷な言葉を言った。

 

「多分……というか、絶対に、堀北さん、須藤くんの好意に微塵も気付いていないよ」

 

「……やっぱりか」

 

「うん。これは私の推測だけど、あれは初恋もまだだね」

 

「そ、そこまで分かるのか……」

 

 断言する櫛田に、オレは畏敬の念を覚えた。

 尊敬の眼差しで見ると得意げに胸を張る。

 さらに彼女は続けて、

 

「堀北さんは多分、昔から他者を寄せ付けない孤高(笑)気質のひとだったんだと思うんだよね」

 

「……まあ、否定はしない。それより、言い方に悪意を感じたんだが……」

 

「気のせい気のせいっ」

 

 本人がそう言うのならとオレは無理やり納得した。

 彼女に話を促す。

 

「つまりさ、堀北さんはひとからの好意がいまいち分からないんじゃないかな。面と向かって須藤くんから『好き』って言われない限り、下手したら永遠に気付かないと思うよ」

 

「なるほどな……充分にあり得るか」

 

 ということは、須藤の恋はやはり前途多難ということだ。少なくとも、堀北から須藤に告白する、というパターンはなさそうだしな……。

 堀北目線に立って須藤のことを視てみると……、オレは思考を断念した。

 哀れ、須藤。頑張れ。オレは心の中で応援しているぞ……。

 オレが数少ない友人にエールを送っていると。

 

「清隆くんはどうなの?」

 

「どうって……何がだ?」

 

「またまた、とぼけちゃって~」

 

 このこの~と、櫛田が頬を突いてくる。

 普通なら面倒臭く感じるのだろうが、そうさせないのは彼女だからこそ出来る『(わざ)』なのだろうか。

 

「もちろん、椎名(しいな)さんのことだよ」

 

「……お前が望んでいるようなことは何もないぞ」

 

「またまた~、ご冗談を!」

 

「ほんとうだ」

 

 良い加減しつこいぞと非難の眼差しを送れば、櫛田はつまらなそうにしてから、それ以上の追及をやめた。

 ジュースで唇を湿らせてから、彼女はごめんねと一言謝罪してきた。

 オレはそれを受け入れてから、再度、同じことを口にする。

 

「オレと椎名の間には何もないぞ」

 

「そう言うわりには、この太平洋上でも大半は一緒にいるみたいだけど?」

 

「何でそれを……って、いまさらか」

 

「二人は有名だからねえ。自然ときみたちの情報は女子の間で出回るんだよ」

 

 そう言うと、コミュニケーションの化身は机の上に置いていた自身の携帯端末を取り出した。素早く動かし、画面を見せてくる。

 オレは嫌な予感を(たずさ)えながらも、しかし、好奇心に逆らえず、恐々と覗いた。

 それはグループチャットのようで、『スクープ!』という文字のもと、一枚の写真が投稿されていた。オレが彼女に膝枕して貰っている写真だ。熟睡しているオレに、読書している彼女。

 どうやら『あの時』のもののようで、なんと、既読数が三桁を超えている。オレはそこで見るのをやめて、彼女に返した。

 

「いつの間に……」

 

「だから言ってるじゃん、二人は有名だって。『一年生ベストカップルランキング』で毎回上位にくるからねー」

 

「……ちなみに、一位はどこなんだ?」

 

平田(ひらた)くんと軽井沢(かるいざわ)さんのカップルだね。ちなみに、きみたちは今回、惜しくも二位でしたっ」

 

 おめでとう! 櫛田は先程と同じように拍手を送る。

 肖像権の侵害だとか、ランキングなんてつけているのだとか、色々と突っ込みたいところはあった。しかしそれらを訴えても意味はないだろう。

 だからオレは答えてくれそうな質問をした。

 

「えーっと、どうしてオレと椎名がそのランキングに載っているんだ?」

 

「……?」

 

「いや、そんな不思議そうに首を傾げないでくれ、頼むから」

 

「あはははっ、冗談冗談。うん、清隆くんの言いたいことはわかるよ? どうして交際していない二人が載っているのか? ってことだよね?」

 

「ああ」

 

 ふざけた名前のランキングだが、オレたちはそれに適していない。なのに何故? 

 

「うーん、実際、これは女子の間でもかなり荒れた論争なんだよね」

 

 そう語る櫛田はとても真剣だったので、オレは「そ、そうか……」と曖昧に頷くしかなかった。

 

「これが突発的なものだったら、条件を満たしてないから、それで話は終わりだったんだけど……」

 

「まあ、オレたちは入学当初から付き合いが続いているからな」

 

「いえーす! っというわけで、特別措置が施されたんだ!」

 

 もはや何も言うまい……。

 オレはどうしたもんかと悩み、考えることをやめた。

 こればかりは仕方がないと諦めよう。

 だが、これだけは一応言っておく。

 

「勝手に噂するのは構わないが、写真だけはやめてくれ」

 

「もちろん。私も、勝手に写真を撮らないよう言ってあるから」

 

 ほら、これ証拠だよと言われて画面を見てみれば、櫛田がやんわりと投稿者に注意していた。他の生徒からも言われているようだ。

 これなら一応は安心だな。櫛田には頭が上がらない。

 

「ありがとう、助かる」

 

「どういたしまして、流石にこれは良くないと思ったしね」

 

 その後も、オレたちは昼食を進めた。

 ここ最近改めて思っているが、櫛田といるのは楽だ。互いの闇を握っていて、変に取り繕う必要がないからだろう。それは彼女も同じなのだろう。それが伝わってくる。

 友達が多いと、自然と話題も増える。共通の話題が一番盛り上がるものだが、そこは櫛田の話術によって何とでもなるのだから凄いものだ。

 正直、椎名の次に、一緒に居て楽しい。

 

「──いやー、もうすぐで夏休みも終わりだねえ」

 

「あと二週間とちょっとはあるけどな」

 

「いやいや、あとそれしかないからね!」

 

 楽しい時間はあっという間だよと、櫛田は言った。

 確かに彼女の言う通りだろう。オレ自身、それは感じていた。

 自由に過ごせる長期休暇は学生にとってまさしくパラダイスだ。

 

「このまま何も起こらないと良いけど……」

 

 彼女が案じているのは、いわずもがな、特別試験のことだろう。

 

「いまのところは平穏だけどな……」

 

 無人島試験が終わり、三日が経っている。その直後は、大半の生徒は新たな特別試験に身構えていた。それもそのはず、この学校は生徒の意表をつくのに拘りがあるようだからだ。しかし、一日、二日、三日と、段々、生徒たちは身構えることそのものに疲れ始め、いまはこのひと時を楽しもう! と考えている。まあ、こればかりは仕方がないことだ。生徒たちの対応は適していると言えよう。

 

「仮にこのまま旅行が終ったら、クラスポイントはどうなるのかな」

 

「いい機会だし、計算してみるか」

 

 オレは携帯端末を取り出し、無料でインストール出来るメモ帳アプリを開いた。

 先日の特別試験でA~Dクラス、全てが大小の差はあれどポイントを得ている。現在のそれぞれのクラスポイントは計算してみたところ、以下の通りだ。

 

 ・一年Aクラス──1020cl

 ・一年Bクラス──860cl

 ・一年Cクラス──550cl

 ・一年Dクラス──285cl

 

 画面を見た櫛田が「ううーん」と悩ましげな声を上げた。

 とはいえ、それはオレも似たような心境だ。

 

「やっぱり、他クラスとの差は絶望的だね」

 

「こればかりは自業自得だからな」

 

「ほんと、この前は勝ててよかったよ。もし最下位だったらと思うと……ぞっとする」

 

 無人島試験に於いて、DクラスはBクラスに続いて二位という好成績を残すことに成功していた。しかしそれでも、彼女の言うようにクラスポイントの差は絶望的だ。初期ポイントが0clだということを考えれば、大躍進だとは思うが……。

 

「クラスメイトたちの様子はどうだ?」

 

「そうだねえ……何ともいえないかな。警戒はしている、けれどそれだけって感じ」

 

「軽井沢はどうだ?」

 

「いつもと同じだよ。不自然なくらいにね」

 

「桔梗もそう思うか?」

 

「もちろん」

 

 話に挙がっている軽井沢という生徒は、Dクラス女子のスクールカーストに於いて頂点に位置する。

 性格は、まあ、良く言うならば我儘といったところか。それだけなら却って虐めの対象にでもされそうだが、彼女にはひとを従えるカリスマ性があり、それがあるからこそ、女王としてDクラスを纏めている。またそれに拍車をかけるのが、クラスの先導者である平田という生徒の交際相手という点だ。影響力は圧倒的に強い。

 そんな彼女だが、先日の試験に於いて、彼女はCクラスの伊吹(いぶき)という女子生徒に下着を盗まれている。伊吹本人が認めてこそいないが、Dクラスでは周知の事実だ。犯人の目的も、堀北が立証している。

 

「だからこそ、伊吹に突撃するとばかりに思っていたんだが」

 

「私もそう思っていたんだけど……。軽井沢さんの中では、もう、触れたくない事柄なんじゃないかな」

 

 確かに、その線は充分にあり得るか。忘れたいことなど、人間には何個もあるからな。

 

「軽井沢さんのこと、気になるの?」

 

「いや、クラスメイトとしての興味の範疇内だ」

 

「あー……、清隆くん、彼女のこと嫌っているもんねー」

 

「……苦手なだけだ」

 

 訂正を試みたが、意味はなさなかった。

 まあ、遠からぬことなのでそこまで食い下がることはしない。

 時計を何となく見ると、丁度良い頃合だった。

 

「そろそろ出るか」

 

「うん」

 

「あっ、桔梗ちゃん!」

 

 カフェから出ると、他クラスの女子生徒が櫛田に声を掛けた。流石、人気者は凄い。櫛田に目で別れを告げてから、オレは彼女と別方向に歩き始めた。

 

「ねえねえ、あれって綾小路(あやのこうじ)くんだよね!」

 

「うん、そうだよー」

 

「桔梗ちゃんって、彼と仲が良いの?」

 

「うん。クラスの男の子の中だと一番かな」

 

「……もしかして、好きだったり?」

 

「あははは、それは未来永劫ないよー」

 

「お、おう……。かなりきっぱりと言うんだね。あたし、思わず言葉につまちゃったよ」

 

 背後でそんな会話が繰り広げられていた。

 この後は椎名と会う予定になっている。図書エリアでまったりと過ごすのだ。約束の時間まで三十分はあるので、一旦、自室に戻ることを決める。エレベータを使おうと思ったのだが、真昼間の時間の所為か、長蛇の列になっていた。そこまでの拘りもないため、階段を使う。三階に下り、廊下に出ると、オレは点々としている染みを見付けた。

 見たところ、オレの部屋がある方向に繋がっているようだ。

 ……嫌な予感がする。

 そして跡を追うようにして歩いていくと、オレは元凶にまで辿り着いた、いや、辿り着いてしまった。果たして、そこには二人の人間が居た。そのうち一人は同級生で、さらには、ルームメイトだ。見なかったことにしてスルーするのが最善なのだろうが……この男には借りがある。

 

「……どうかしたか、高円寺(こうえんじ)。っていうか、その恰好はなんだ?」

 

 一応、尋ねる。

 高円寺はいつものように高笑いしながら、

 

「ふはははは! おや、綾小路ボーイではないか! 見ればわかるだろう? クエスチョンの意味がわからないのだが?」

 

 オレはこめかみを押さえた。

 だが現実逃避していても仕方がない。改めて高円寺の姿を直視する。

 彼は上半身が裸で、下に海水パンツを穿いていた。そして床に現在進行形で落ちていく透明な液体。もしかしなくても、オレが今しがた居た一階にあるプールでひと泳ぎしてきたのだろう。

 

「お客様は……こちらのお客様のご友人でしょうか?」

 

 今までオレたちのやり取りを黙って見ていたもう一人の人物……従業員が涙目で聞いてきた。

 と、オレは返答に窮してしまう。オレと高円寺の関係は『友人』というカテゴリーに含まれるか、判断に迷ったからだ。これが平田なら即答していたのだろうが……こればかりはいつまで経っても成長しない気がする。

 とはいえ、ここはオレが思っていることを言えば良いだろう。彼らの視線を感じながら、

 

「ええはい、そうですよ」

 

 そう、答える。

 すると従業員は助かった! という表情を浮かべた。高円寺は真意が読めない笑みだ。

 

「それで従業員さん、どうかしたんですか?」

 

「実はですね、お客様──」

 

「こちらのボーイが私に何度も話し掛けてきてねえ。やれやれ、人気者は困ってしまうよ」

 

 従業員──いや、ボーイではなく、高円寺がオレの質問に答える。

 絶対に悪意があるなとオレは確信したが、もう少し頑張るか……主にボーイのために。

 

「あー……それでボーイさんはどうして彼に何度も話し掛けているんですか?」

 

 今度は高円寺が割り込む前に、ボーイは早口で答えた。

 

「こちらのお客様にお伝えするのは四回目なのですが、プールから上がられた後にお体を拭いてから、出て欲しいのです。他のお客様に迷惑ですから」

 

 当たり前のことすぎて反応に困った。

 って言うか四回目って……薄々察していたとはいえ、まさか常習犯だったとは。オレはたまらずにボーイを憐れんでしまう。

 

「高円寺、ボーイさんはこう言っているが」

 

「申し訳ございません、私は『サトウ』と申します。ボーイはやめて頂ければ……」

 

「ふふ、しかしだね綾小路ボーイ、私は一度たりとも迷惑だとは言われていないのだよ」

 

「そうなのか」

 

「そうなのだよ。それにだ、こうも言うだろう? ──水も滴る良い男とねえ!」

 

 その水も滴る良い男は、一度笑ってから、ふさあっと髪の毛を掻き揚げた。同時に、水が廊下と壁に付着する。それをサトウボーイが慌てて痕跡を残さないようにしながら拭いた。流石はプロだ。

 

「……お前に羞恥心はないのか」

 

「羞恥心? 私のこの美しい肉体のどこに恥ずかしがる場所があるというのかな?」

 

「……いやでも、服を着ないと風邪をひくぞ」

 

「ノープロブレム。私には何も関係ないねえ。それにだ、綾小路ボーイ。私は物心ついたときから身体を拭かないようにしているのだよ」

 

「……」

 

 もはや何も言うまい。

 人間には出来ることと出来ないことがある。出来ないことに挑むのは無謀ってものだ。

 オレはわざとらしく「あっ」と声を上げ、

 

「おっと、もうすぐ約束の時間だ。すみません、それじゃあ、オレはこれで失礼します」

 

「お客様!?」

 

「おや、そうなのかい。それでは綾小路ボーイ、See you」

 

「See you」

 

 すまない、サトウボーイ、オレはあなたのことを忘れない。内心、涙を流しながら、オレは戦線離脱するのであった。

 

 

 

§

 

 

 

 豪華客船に搭乗してまで本を読もうとする人間は少ないのか、図書エリアはオレと椎名以外、誰も利用していないようだった。他に居るのは妙齢の女性スタッフだけだ。

 

「ところで綾小路くん」

 

 読書をしていると、不意に、向かい合わせに座っている彼女が声を掛けてきた。一瞥するが、椎名は分厚い本から視線をあげていない。つまり、そこまで重要な話ではないということだ。

 

「うん? どうかしたか?」

 

 オレも彼女と同じようにして、話を促す。

 椎名はぺらりとページを捲ってから、

 

「旅行は楽しんでますか?」

 

「普通だな」

 

「普通と言いますと?」

 

「最初はそこそこ楽しめたが、今ははっきり言って退屈だ」

 

「なるほど……」

 

「椎名は?」

 

「私も綾小路くんと同じです。海の景色は見飽きてしまいましたし、興味が引かれるものがあまりないですね。あっ、でも……」

 

「でも?」

 

「ご飯は美味しいです。私、普段はコンビニで済ませてしまいますので、そこは幸せですね」

 

 互いにテンポ良く話が続く。

 しかし、椎名のコンビニ癖は何とかならないものか。

 

「コンビニ弁当ばかり食べていると身体に良くないぞ」

 

「それ、伊吹さんにも言われました。えっと、彼女いわく『あんた早死にするからやめなさい!』とのことです。綾小路くんはどう思います?」

 

「全面的に同意だな」

 

 本を置き、重々しくオレは頷いた。

 椎名も本を置き、オレたちは暫し見つめあう。

 ややして、彼女は真顔で、

 

「確か、学校にはお弁当の持参が出来ましたよね」

 

「そうだな。オレの友人にも何人かいる。でもそうしなくても、学食を使えば良いんじゃないか?」

 

「いえ、それはあまり気乗りしません。人ごみは好みませんから」

 

「なら、弁当になるな」

 

「なるほど……ですが綾小路くん、これには問題が一つありまして」

 

「何だ?」

 

「私、料理が苦手です」

 

 そして真顔のまま、椎名は言い切った。

 なのでオレも真顔で尋ねる。

 

「苦手なのか」

 

「はい。自慢ではありませんが、料理経験は皆無に等しいです」

 

「……それは苦手じゃなくて、出来ないって言ったほうが良いと思うんだが」

 

「ごめんなさい。見栄を張りました、出来ません」

 

 やはり真顔のまま、椎名は悪びれることなく言い切った。

 

「ちなみに他の家事は?」

 

「で、出来ますっ」

 

「そ、そうか。なら何で料理だけ……?」

 

「その……別にやらなくても、今の時代、そこまで困らないじゃないですか。お金……プライベートポイントさえあれば、飢え死にすることはないですし、聞くところによると、スーパーでは無料で商品が売られているのだとか」

 

 段々と尻すぼみになっていく。

 どうやら、自分でも醜く言い訳しているのは自覚しているようだ。

 オレは頭を抱えた。これは本気で何とかしないと……。

 

「あー、うん、良く分かった。戻ったら一緒に練習するか?」

 

「……ちなみに綾小路くん、料理に自信は?」

 

「人並みには出来る」

 

「おおっ」

 

 きらきらとした尊敬の眼差しで椎名はオレを見た。何だか、無性に悲しくなってくる……。

 と、そんなオレの気を知らず、

 

「ところで綾小路くん」

 

「……何だ?」

 

「先程のお話に関係してくるのですが……殺人事件とか、起きないものですね」

 

「…………は?」

 

 呆けてしまったオレは悪くないだろう。ぱちぱちと何度か瞬きしてしまう。

 しかし椎名はオレの様子がおかしく見えたのか、不思議そうに首を傾げた。

 オレは一呼吸してから、目の前の天然少女に言った。

 

「ちょっと何を言っているか分からないんだが」

 

「ふむ……。綾小路くんなら知っていると思いますが、この世の中には、『現実は小説よりも奇なり』という言葉があります」

 

「イギリスの詩人、バイロンの言葉だよな」

 

 世の中の実際の出来事は、虚構である小説よりも不思議であるという意味だ。人生に於いて何が起こるか予想が出来ないという意味でもある。

 それがどうかしたのかと目で尋ねると、

 

「私たちが乗っているこの客船は、それはもう、設備が整っています。維持費にどれだけのお金が必要か、予想もつきません」

 

「まあ、そうだな。とはいえ日本政府が造ったから、税金から補填されていると思うぞ」

 

「私も同意見です。そして現在、この船に乗っているのは学校関係者と、政府に雇われたスタッフだけでしょう」

 

 オレは黙って、彼女に話の続きを聞くことにした。

 

「綾小路くん、これだけの『条件』が揃っています。何か『事件』が起きてもおかしくないとは思いませんか?」

 

 いたって真面目な表情で、椎名はそう言った。

 オレはふむと思案してみる。

 確かに『条件』は揃っていなくもない気がする。だが──。

 

「そんな簡単に起こったら困る」

 

「ですね」

 

 オレたちは頷き合い、話を終わらせた。

 丁度近くを通り掛かったスタッフが、なにか物言いたげにしていたのは気の所為だろう。

 読書に戻ろうとしたその時だ──キーンという高い音がしたのは。これは学校からの指示であったり、行事の変更などがあった際に送られてくるメールの受信音だった。とはいえ、実際に送られてくるのはこれが初めてだったりする。

 オレと椎名は一瞬視線を交錯させてから、

 

「椎名の予感が当たったな」

 

「ええ。でも、当たって欲しくなかったです」

 

「違いない」

 

 だが、無視することは出来ない。

 オレたちは携帯端末を取り出し、メールを開く。と、ほぼ同時に船内放送が流れ、意識はそちらに流れた。

 

『生徒の皆さんにご連絡致します。先程、全ての生徒宛に学校から連絡事項を記載したメールを送信致しました。また、メールが届いていない場合には、お手数ですがお近くの教員、及び、スタッフにまで申し出て下さい。非常に重要な内容となっておりますので、確認漏れのないようお願い致します。もう一度繰り返します──』

 

 オレたちは今度こそメールに目を通した。そこには、以下の内容が書かれていた。

 

『間もなく特別試験を開始致します。各自指定された部屋に、指定された時間に集合して下さい。十分以上遅刻した生徒にはペナルティを課す場合があります。本日十八時までに、二階、204号室に集合して下さい。所要時間は二十分ほどですので、お手洗いなど済ませた上、携帯をマナーモードか電源をオフにしてお越し下さい』

 

「「特別試験……」」

 

 同じ呟き声が出る。そして同じように嘆息した。

 定期試験や体力測定のようなものではないと思いたい。だが、確実に言えることは、『特別』と銘打っている以上、通常の内容ではないだろう。

 気になる点はいくつかあるが……、オレは椎名に声を掛けた。

 

「互いに見せ合わないか?」

 

「もちろんです」

 

 オレはDクラス、椎名はCクラスと、本来ならオレたちは別々のクラスだ。クラス闘争のことを考慮するなら、平穏が崩れ落ちようとしているこの時点で早々に離れるべきだろう。ましてや、同じメールが届いていない可能性もある。だが、オレたちは自分たちの立ち位置を理解している。今の会話が成立したということは、互いに利があることを意味している。

 自分の携帯端末を手渡し、彼女を受け取る。

 

「これは……」

 

「場所と時間だけが違うようですね」

 

「あとの基本的な文章は同じみたいだな」

 

 端末を返し、しばし、静寂に包まれた。

 いま確実に分かっていることは、特別試験が行われること、その一点だけだ。疑問なのは、指定された場所、及び時間が椎名と違うということ。単純にクラスごとそうしているのか、あるいは、何か理由があるのか。

 

「前回の例に当てはめれば、恐らく、この召集は特別試験の説明だと思う」

 

「同意見です。試験なのですから、ルールや勝敗など、伝えることがあるはずです」

 

「となると、やっぱり、疑問になるな」

 

「ええ。何故運営は、一年生を纏めて集めなかったのでしょう」

 

 その方が遥かに効率的だ。船内で一年全員が集まれそうな場所は……映画館に、パーティ会場、ビュッフェレストランくらいか。数こそ少ないが、それでもある。それがまさか生徒を隔離、限定して、試験に突入させるとは……。

 とはいえ、やるべきことは変わらない。

 

「それでは綾小路くん、ご健闘を祈っています」

 

「ああ。椎名もな」

 

 その言葉を皮切りに、オレたちは腰を上げた。

 特別試験の開始が宣告されている以上、本来なら敵同士のオレと椎名が行動を共にしてはならない。

 図書エリアの出入り口で無言の挨拶を交わし、オレたちは別れた。

 三階の自室に戻ると、部屋は無人で、ルームメイトである、平田、高円寺、幸村は出かけているようだ。割り当てられているベッドの縁に座り、携帯端末を取り出すと、二人の少女からメールが届いていた。

 優先度が高いほうから応えることとする。電話を掛けると相手はすぐに出てくれた。

 

『もしもし?』

 

「オレだ」

 

『清隆くん……そのネタは古いよ』

 

 グサッと言葉の刃が深く刺さり、オレはちょっと傷付いた。こほんと咳払いし、

 

「いま一人か?」

 

『うん、もちろん。だから名前呼びしたわけだしね。きみのほうは?』

 

「こっちも大丈夫だ。用件はメールについてか?」

 

『うん。一応報告しとこうと思って』

 

 必要なかった? と千秋(ちあき)が聞いてきたので、オレは「助かる」と口にした。

 実に優秀だ、手間が省ける。

 互いにメールの内容を伝え合う。

 椎名のときと同様、場所と時間だけが違った。千秋は十九時、207号室に招集が掛かっているらしい。

 

「連絡助かる」

 

『何かすべきことはある? って、まだないか』

 

「ああ。取り敢えずは待機だ」

 

『了解』

 

 ブツン! とノイズが走り、電話は終了した。

 オレはそのまま指を走らせ、もう一人の少女に電話……ではなく、メッセージを送った。理由は簡単だ、罵倒されると思ったからだ。

 

『遅い。既読がついてから時間が経ったのはなぜかしら』

 

 悲しきかな、どうやらどちらにせよ、オレは罵倒される運命にあったようだ。

 

『悪い。ちょっと立て込んでてな』

 

『次はすぐに返すように。もし遅くなったら……分かるわね?』

 

 堀北は、そう、脅迫してきた。

 個人的には、既読つくのが数日後とか日常茶飯事のひとに言われたくない。だが、下手に返せば恐ろしいので『善処する』と返信する。

 次のメッセージはすぐに届いた。

 

『学校からのメールは見たわね?』

 

『ああ。こっちは十八時からで、204号室だ』

 

『そう。私は二十時四十分で206号室よ。やっぱり、違う生徒もいるようね』

 

『同じ生徒を見付けたのか?』

 

『ええ。池くんと須藤くんが同じみたい。けれど、沖谷くんと山内くんは違うようね。もちろん、あなたとも』

 

 どうやら、『生徒』たちはすぐさま『先生』に頼ったようだ。それだけ彼らの間には信頼関係が構築されているのだろう。

 

『私の知り合いではあなたが一番はやいわ。報告よろしく』

 

『了解』

 

 この言葉を最後にして、メッセージは途絶えた。

 少し意識を割けば、外からは生徒たちの喧騒が聞こえてくる。

 他クラスの動向が気になるが、まずは様子見に徹するか。自分に何が出来るのか、それを見極めなければならない。

 

 

 

§

 

 

 

 指定された十八時、その五分前にオレは204号室に来た。二階のこの層は客室で占められている。しかし少し視線を動かせば、あちらこちらに生徒が居て、所在無さげに立っていた。もしかしなくても、メールで呼び出されたからだろう。

 さて、これは部屋に入って良いのだろうか。一分待ち、突入することに決める。ノックを三回すると、「入りなさい」という声が。声音からして、男性だろうか。

 オレは深呼吸してから、ゆっくりと客室に足を踏み入れた。するとそこには、スーツを着こなす一年A組、真嶋(ましま)先生が椅子に腰掛けていた。テーブルの上に置かれている何らかの資料に目を落としていたが、オレの存在によって、軽く会釈をしてきた。それに返す。

 彼の前には二人の生徒が座っていた。

 

「もう一人は綾小路殿でござったか! 宜しくでござる!」

 

「綾小路か。朝振りだな」

 

 挨拶をしてきたのは、外村(そとむら)幸村(ゆきむら)だった。

 外村はいわゆる()タクというもので、それを誇りにしている生徒だ。男子生徒からは『博士』という渾名がつけられ、慕われている。そんな彼はコンピュータに詳しく、自分専用のものを組み上げるほどだ。Dクラスに於いてこの分野で右に出る者はいないだろう。ただ、普段から理解不能な口調で話しているため、女子からは引かれている。高校生にしては太っているのも起因しているのだろうが……。

 幸村は眼鏡を掛けた生徒で、こと学力に拘っては、学年でも最上位の部類に入る。ただ、他者と行動を共にすることを嫌い、普段は一人で居ることが多い。そんな彼も先日の特別試験で考えを変えるようになったのか、入学当初あった他者への蔑みはなくなりつつあるようだ。堀北の男性版と言えるかもしれない。そんな彼はこの旅行中、オレのルームメイトでもある。

 

「席に着け」

 

 真嶋先生から指示が下りた。オレは頷き、気になったことを質問する。

 

「先生、どちらの席に座れば良いですか?」

 

 そう、椅子は四つ並べられていた。オレがいまから座るにしても、空席が出来てしまう。それに、席は指定されているのかもしれない。だがそれはオレの懸念でしかなかったようだ。

 

「どちらでも構わない。好きなほうに座れ。もう一つはじきに埋まるだろう」

 

「分かりました」

 

 博士の隣に座る。

 そして時刻は十八時を迎えた。

 しかし空席は埋まらなかった。遅刻している生徒がいるのは誰の目にも明らかだが……はたして誰なのだろう? オレ、幸村、博士にこれまでそこまでの繋がりはない。法則性が仮にあるのだとした、『仲の良さ』だけはなさそうだ。となると、そこまで複雑に考える必要はなくなる。

 恐らく、この面子は同じクラスの生徒が集められているのだろう。そこから細かく何らかの『条件』でオレたちが選ばれた、この線が濃厚か。あるいは、それすらもランダムなのかもしれないが。

 二分経ったところで、真嶋先生はため息を吐いた。

 

「最悪、あと八分待つ。それまでは好きにしてくれ」

 

 お喋りの許可が出たわけだが、しかしだからといって、教師の前で楽しい時間が過ごせるとは思えない。ましてやそれが、ほぼほぼ接点がなかった相手だとなおさらだ。

 無言の時間が流れる。

 変化が起きたのは、十八時を五分過ぎたときだった。

 コンコンコンと、やや控えめなノックが響く。真嶋先生は嘆息してから、

 

「入りなさい」

 

 と言った。はたして、勇敢なる遅刻者の正体は──。

 

「失礼しまーす」

 

 オレ、幸村、博士の三人は絶句した。

 それだけ来訪者が意外すぎたのだ。

 いやまあ、性格から考えると遅刻するのも納得してしまうのだが。

 

「あれ? どうして幸村くんと綾小路くんと……ええと、外村くん? がいるわけ?」

 

「良いからまずは座りなさい。時間厳守だとメールで伝えていたはずだ」

 

「……すみません」

 

 真嶋先生がちょっと強めに威圧すると、軽井沢はうぐっと言葉に詰まりながら謝った。軽井沢は椅子の前に辿り着くと、ふむと考える仕草をする。そしてオレを一瞥すると、「まっ、綾小路くんなら良いか」と言い、オレの隣に座った。その言葉の意味は何なのだろう。

 

「一年Dクラス、綾小路、軽井沢、外村、そして幸村だな。改めて、俺は真嶋という」

 

「知っていまーす」

 

 軽井沢の言葉に、内心、オレも頷いていた。

 真嶋先生は苦笑いしてから、

 

「なに、通過儀礼だ。──それでは今から、第二回特別試験の説明を行う。質問は許可するまで受け付かないのでそのつもりで。逆に、こちらが質問したら、答えられる範囲で答えるように。分かったな?」

 

「「「「はい」」」」

 

 みんな、質問したいことは山ほどあるだろう、しかし先手を打たれた以上、従うしかない。

 

「それではまず質問だが、きみたちは十二支を知っているか?」

 

 脈絡もない質問に、オレたちは面食らった。

 戸惑い、クラスメイトと顔を見合わせる。

 だが問われた以上、答えるしかない。

 幸村が代表して言った。

 

()(うし)(とら)()(たつ)()(うま)(ひつじ)(さる)(とり)(いぬ)()のことですよね」

 

「その通りだ。今回の特別試験では、一年生全員を十二のグループ、つまり、干支(えと)に分けて行う。そして試験の目的はシンキング能力を問うものとなっている」

 

 シンキング……考える力? 

 まだまだ分からないことだらけだな。

 

「社会人に求められるのは多くあるが、しかし、基本的には大きく三つに分けられる。行動力(Active)思考力(Thinking)、そして協調性(Communication)だ。この前の無人島生活では、協調性に比重が置かれていた。それはきみたちが一週間で身をもって痛感しただろう。だが、今回は思考力だ」

 

「ちょっ、まっ、待って……下さい!」

 

 堪らずに、といった様子で軽井沢が声を上げる。

 質問ではないからか。真嶋先生が注意をすることはなかったが、それでも、ちょっと不機嫌そうだ。

 彼女は不服を申し立てようとして……相手にされないことを予見したのか、隣のオレに話し掛けて来る。

 

「綾小路くん、意味、分かる?」

 

「だいたいは」

 

「……外村くんと幸村くんは?」

 

「拙者はいまいちでござるなあ」

 

「俺は分かる。ようは、今回の試験は頭を働かせないとならないということだろう」 

 

「幸村の言う通りだ。思考力……考え抜く力とは現状を分析、課題を明らかにする力だ。問題の解決に向けたプロセスを明らかにし、準備する力。想像力を働かせ、新しい価値を生み出す力。それが今回は必要になってくる」

 

 真嶋先生の言うことは概ね賛同出来るな。

 

「察しているとは思うが、ここに居る四人は同じグループとなる。そして今この瞬間、別の部屋でも『きみたちと同じグループとなる』生徒たちに同じ説明がされている」

 

 なら何故、その『同じグループの生徒』を一箇所に纏めないのだろうか。

 その方が遥かに効率的だというものだろう。

 と、そこまで考えてオレは一つの回答に辿り着いた。

 

「なるほどな……」

 

 オレの呟き声を、両隣の二人が拾う。

 

「何かわかったわけ?」

 

「で、ござるか?」

 

「ほう。綾小路、分かったなら聞かせて貰おうか」

 

 真嶋先生が面白そうに口角を上げた。

 黙っている幸村も聞きたそうにしている。

 オレは先生を直視しながら答えた。

 

「もし仮にクラスを三グループずつに分けて行うのなら、ここに十二から十五人の生徒が居ないとおかしい。だが、それくらいの人数ならこんな小部屋を使わなくても、スペース自体はあるはずだ。その方が効率が良いからな。でもそれとは真反対のことを行っている」

 

「綾小路殿、もう少し簡潔に、分かりやすくお願い出来ますでござるか?」

 

 頭がこんがらがっているのか、日本語がおかしくなっている外村が、そう、懇願してきた。

 オレは要望に応えるため、簡潔に言う。

 

「先程の真島先生の『きみたちと同じグループとなる』発言。これは、他クラスの生徒が同じグループになる、ということだ。そして今回はA~D、全ての生徒が入り交じったうえで試験に臨む──違いますか?」

 

 真島先生の返答は、首を縦に振ることだった。

 呆然とする生徒に彼は説明する。

 

「正解だ。各グループは一つのクラスで構成されることなく、各クラスから三から五人ほどを集めて行われる。そして今回、きみたちの『仲間』になる。事前説明がなければ混乱するだろうからな。それでは試験が成立しない。なら、こちらの方が遥かに効率が良いだろう」

 

 とはいえ、それはあまり意味を為していないようだがな……先生はそう呟いた。

 真っ先に我を取り戻したのは幸村だった。

 

「先生! それはあまりにも理解に苦しみます」

 

「それは何故だ?」

 

「簡単なことです。俺たちはこれまで他クラスと競い合う形でクラス闘争に臨んで来ました。なのにこれは……」

 

「面白いことを言うな、幸村。学校生活はまだまだ始まったばかりだ。このような些事でそれでは先が思いやられるぞ」

 

「うっ……」

 

「そうだよ幸村くん」

 

「……どういう意味だ、軽井沢」

 

 思わぬところから援護射撃が飛ばされ、幸村は驚きながらも尋ねた。

 

「いやさ、他クラスと仲間になることって、よくよく考えればいまさらじゃない?」

 

「言われてみれば……女王陛下の仰る通りでござるなあ」

 

 オレたちDクラスは、無人島試験に於いて一年Bクラスと正式な同盟関係を結んでいる。それは半永久的なものであり、試験内容によっては、その条約が適応される可能性も存分にある。

 今回は規模こそ違うが、その延長上にあるのだと、軽井沢は言っているのだ。やがて、幸村は落ち着いていった。

 

「話を続けよう。今回、きみたちが配属されるのは『卯』のグループ。そしてここにメンバーリストがある。必要を感じるのであれば、メモをとってくれても構わない。退室時には返却してもらうので、そのつもりで」

 

 言いながら、ハガキサイズの紙が渡される。そこにはグループ名である『卯』の文字と──『兎』とかっこで書かれていた。これからは馴染み深いこちらで表記した方が良いだろう──メンバーの名前が記載されていた。

 

 一年Aクラス──竹本(たけもと)(しげる)町田(まちだ)浩二・森重(もりしげ)卓郎(たくろう)

 一年Bクラス──一之瀬(いちのせ)帆波(ほなみ)浜口(はまぐち)哲也(てつや)別府(べっぷ)良太(りょうた)

 一年Cクラス──伊吹(いぶき)(みお)真鍋(まなべ)志保(しほ)(やぶ)奈々美(ななみ)山下(やました)沙希(さき)

 一年Dクラス──綾小路(あやのこうじ)清隆(きよたか)軽井沢(かるいざわ)(けい)外村(そとむら)秀雄(ひでお)幸村(ゆきむら)輝彦(てるひこ)

 

 他クラスでオレが知っているのは、一之瀬と伊吹の二人だけだな。

 中でも、伊吹に会うのが少々恐ろしい。この前の試験でオレは彼女に嫌われているだろうからだ。その原因は明白にオレなので、これを機に謝罪しておこう。

 

「うわー。伊吹さんいるし……」

 

 横の軽井沢が憂鬱そうにため息を吐いた。彼女たちの関係はとても複雑だ。なんせ、下着を盗まれた被害者と犯人である。学校側が対処しないと茶柱によって伝えられている以上──本来ならこのような対応はありえないだろうが──伊吹にペナルティが課せられることはない。だからこそ、軽井沢には煮えきらない想いがあるはずだ。しかし、昼、櫛田と話したように、そういった行動が微塵も見受けられないのはどういうわけなのか……。気になるが、これは部外者が首を突っ込んでは駄目だろう。頭の片隅に入れるので留めるのが賢明だろう。

 今はそれよりも優先するべきことがある。

 真嶋先生が話を再開させるべく、喉を鳴らす。オレたちはすぐに聞く姿勢をとった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、Dクラスではなく、兎グループとして行動をした方が賢明と言えよう」

 

 そうは言うが、それはおかしな話だろう。

 試験結果はクラス闘争に於いて非常に関わってくるはず。そもそも、何を以て『勝利』とするのか、その定義すら定まっていないのに、運営は何を望むのだろう。

 

「特別試験の各グループに於ける結果は四通りしかない。例外は存在せず、必ずどれかに当て嵌る。これはそういった試験だ。これを見なさい」

 

 言いながら、一人ひとりに次の資料が配布される。

 少しくしゃくしゃになっているのは、前のグループの生徒の所為だろう。つまり、この資料も生徒に持ち帰らせる気はないようだ。

 オレたちは命じられるがままにその資料に目を通す。それはホッチキスでとめられていた。一枚捲ると、分かっていたことだが、特別試験の基本ルールについて記載されていた。

 

 

 

§

 

 

 

 ─夏季グループ別特別試験説明─

 

 本試験では各グループに割り当てられた『優待者』を基点とした課題となる。定められた方法で学校に答えを提出することで、四つの結果のうち一つを必ず得ることになる。

 基本的なルールは以下の通りである。

 

 ・試験開始当日、午前八時に学校から一学年全生徒に向けてメールを送る。『優待者』に選ばれた者には同時にその旨を伝える。

 

 ・試験の日程は明日から四日後の午後九時までとする。なお、一日の完全自由日を挟むとする。

 

 ・一日に二度、グループだけで所定の時間及び部屋に集まり、一時間の話し合いを行うこと。

 

 ・一時間の過ごし方は各グループの自由とする。話し合いが望ましいが、最悪、部屋から出なければそれで良い。

 

 ・試験の解答は試験終了後、午後九時三十分から午後十時までの三十分とする。

 

 ・解答は、一人につき一回までとする。二回以上行った場合、学校側は受け付けない。

 

 ・解答は自分の携帯端末を使い、貼られたメールアドレスに送信すること。それ以外は一切受け付けない。

 

 ・『優待者』にはメールにて答えを送る権利が無い。

 

 ・自分が所属するグループ以外への解答は無効とする。

 

 ・試験結果については、最終日の午後十一時、一学年全生徒に向けてメールにて知らせる。

 

 

 

§

 

 

 

 大まかなルールとしては以上の通りだが、さらにルールは細かく枝分かれし、禁則事項も多い。これは下手したら先の特別試験よりも多いのではないだろうか。

 両隣の博士と軽井沢が絶句している。気持ちは分かる。これを覚えるのは大変だからな……。

 オレは控えめに片手を挙げて、

 

「すみません。これ、写真で撮って良いですか?」

 

「……まあ、良いだろう。ただし、誰かに電話、メールなどはしないように」

 

「もちろんです」

 

 重く頷き、オレはパシャリと画像に残した。博士と軽井沢も追従する。

 撮り終えたのを確認してから、真嶋先生はページを捲るよう指示を出す。はたして、そこには特別試験の『結果』について記載されていた。

 

 

 

§

 

 

 

 ─試験結果─

 

 ・結果Ⅰ──グループ内で優待者及び優待者の所属するクラスメイトを除く全員の解答が正解していた場合。グループ全員に50万prを支給する。さらに、優待者にはその功績を称え、50万prが追加で支給される。

 

 ・結果Ⅱ──優待者及び所属するクラスメイトを除く全員の答えで、一人でも未回答や不正解があった場合、優待者には50万prを支給する。

 

※《pr》とは、プライベートポイントの単位のことである。

 

 

 

§

 

 

 

 これはまた……一癖も二癖もありそうな試験結果だな。

 オレはクラスメイトをさり気なく横目で見た。全員、驚愕の色で顔を染めている。

 無理もないだろう。

 何せ、100万prすら獲得可能なのだから。はっきり言って破格すぎる。

 そして試験の鍵を握るのは『優待者』の存在だ。

 

「それでは口頭で説明をする。まず今回の特別試験に於いて、『優待者』は非常に大きなアドバンテージを持っている。これは分かるか?」

 

 流石にこれは全員分かったようだった。

 先生は話を続ける。

 

「例えばそうだな……綾小路、お前が『優待者』だとしよう。その場合、『兎』グループの全員が解答に『綾小路清隆』とすれば、おめでとう、きみたち全員に漏れなく50万prが入る。綾小路はさらに50万prが追加される。逆に誰か一人でも解答を間違えた場合、その時は綾小路だけが50万pr獲得出来る」

 

「改めて聞くと理不尽じゃん! ……です」

 

 軽井沢が思わずといったように声を上げる。丁寧語をぎりぎり言えたのは偉いな。

 真嶋先生は軽井沢に何故そう思うのかと尋ねた。彼女は慣れない敬語を使いながら、

 

「だって『優待者』に選ばれるだけでプライベートポイントが手に入るんでしょう!? そんなの『優待者』の一人勝ちじゃないですか!」

 

「俺も軽井沢と同意見です。真嶋先生、これは特別試験として成立しているとは思えません」

 

 さらに幸村が援護する。

 軽井沢と幸村の仲はお世辞にも良いものではなかったはず。しかしこうしてやっている。やはり何か心境の変化があったのだろう。

 そして二人の抗議は正論だ。

 しかしそんな二人を博士が諌める。

 

「まあ、待ち給えよ幸村殿、女王陛下。数々のアニメを制覇し、ラノベを読破してきた拙者が断言するでござるが、これは残り二つの試験結果が重要ということでござる。そうでありますでしょう?」

 

「……外村の言う通りだ。──突然だが、きみたちは『人狼ゲーム』というものを知っているか?」

 

 この場にいる全員が頷いた。

 

「知ってる知ってる! 超楽しいよね!」

 

 ね! と軽井沢がオレにそう言ってくるが、オレは返答に困った。

 瞳が揺らいだのを見た彼女が有り得ないとばかりに追及してくる。

 

「え!? 綾小路くん、やったことないの!?」

 

「……まぁな」

 

「なのに知ってるんだ!?」

 

「人狼ゲームを題材にした本は何冊か出版されているから、それを読んだことがある。それだけだ」

 

「……あー、流石は読書人間。けどなんかゴメン」

 

 謝られても困る。あと、その生暖かい目をやめて欲しい。

 人狼ゲームとは、元々は『汝は人狼なりや?』というタイトルのもので、アメリカのゲームメーカーが発売したものだ。パーティーゲームであるこれは、会話、そして自身の推理力を使いプレイヤーはゲームに臨んでいく。

 ルールはいたってシンプル。

 プレイヤーは、『村人』──村人の中でも何らかの『役割』が与えられる場合がある──、もしくは村人に成りすました『人狼』に分けられる。そして村人陣営対人狼陣営の戦いになる。

 人狼は村人を襲って殺すため、村人は殺されないために人狼を探し、殺す必要がある。

 ゲームには二つの時間がある。『昼』と『夜』である。

『昼』の時間帯はプレイヤー間での話し合いになり、プレイヤーは村人に扮した人狼を探す。そして人狼だと思われるプレイヤーを絞り、処刑する。つまりは村人の攻撃と言えよう。

『夜』の時間帯は人狼が村人を一人喰う。喰われた村人は死んだ扱いになるので、ゲームから強制的に脱落する。

 こうしてプレイヤーはゲームの進行とともに減っていき……どちらが生き残るのかを勝負するわけだ。

 ゲームの勝敗条件は、以下の二つ。『人狼がすべて死亡した場合』と、『村人の数が、人狼の数と同数、またはそれ以下となった場合』である。前者の場合は村人陣営が勝ち、後者の場合は人狼陣営が勝つ。

 問題は、何故、『人狼ゲーム』というものを話に出してきたのか。結果ⅠとⅡだけを考えるならば、その例えは意味をなさないだろう。全員で結果Ⅰを目指せば良い。仮に優待者が結果Ⅰを望まなかったとしても、それはそれで選択肢としてある以上、責めることは出来ないだろう。

 となると、やはり、博士が言ったように、結果ⅢとⅣに『何か』があるのは明白だ。その『何か』に、人狼ゲームという例えが繋がっているのだろうか。

 

「裏を捲りなさい。そこに試験結果ⅢとⅣが書かれている」

 

 オレたちは一斉に手を動かした。

 そして文字の羅列を凝視する。

 そこにはこのように書かれていた。

 

 

 

§

 

 

 

 ─試験結果─

 

 以下の二つの結果に関してのみ、試験中、二十四時間いつでも解答を受け付けるものとする。また試験終了後三十分間も解答を受け付けるが、どちらの時間帯でも間違えばペナルティが発生する。

 

 ・結果Ⅲ──優待者以外の者が、試験終了を待たず答えを学校に告げ正解していた場合。答えた生徒の所属クラスは50clを得ると同時に、正解者に50万prを支給する。また、優待者を見抜かれたクラスは逆に50clのマイナスを罰として課す。及び、この時点でグループの試験は終了となる。なお、優待者と同じクラスメイトが正解していた場合、答えを無効とし、試験は続行する。

 

 ・結果Ⅳ──優待者以外の者が、試験終了を待たず答えを学校に告げ不正解だった場合。答えを間違えた生徒が所属するクラスは50clを失うペナルティ。優待者は50万prを得ると同時に、優待者の所属クラスは50clを獲得するものとする。答えを間違えた時点でグループの試験は終了となる。なお、優待者と同じクラスメイトが不正解した場合、答えを無効とし受け付けない。

 

 

 

§

 

 

 

 これで試験の全貌が明らかになった。

 結果ⅠとⅡだけだったら、試験の内容はとても簡単だった。何せ、全ては優待者の自由だ。どちらの結果になっても誰も損はしない。

 しかしここで、結果ⅢとⅣが特別試験を混沌なものに豹変させる。

 そこに(いざな)うのが『裏切り者』。

 これだと誰も自分が『優待者』だと名乗ることはないだろう。『裏切り者』に捕食されかねないからだ。

 プライベートポイントだけでなく、クラスポイントすらも獲得が可能なのだ、今後のクラス闘争のためにも、結果ⅠやⅡを待つことは出来ないだろう。

 無論、『裏切り者』にも相当の覚悟が必要ではある。もし誤った解答をしてしまった場合、自分の所属するクラスの足を引っ張るだけでなく、『優待者』のクラスにはポイントを与えてしまうのだから。

 だが『裏切り者』は確信を持ったら必ず、躊躇うことなく裏切るだろう。

 

「今回、学校側は匿名性についても充分に考慮している。試験終了後の結果発表では、各グループの結果と、クラス単位でのポイントの増減のみ発表する」

 

「つまり、『優待者』や『裏切り者』の名前は一切公表しないということですか?」

 

「ああ、これは非常に扱いが難しいからな。虐めが生まれる危険性も孕んでいる以上、当然の措置だ」

 

 匿名性ということで、様々なことを学校側に要求出来るようだ。ポイントを振り込んだ仮IDを発行して貰うことや、分割での支給などである。

 だがそこにも限界があるだろうが……指摘しても仕方がないか。

 この特別試験、『優待者』を見付けるのが勝利に繋がるのは間違いないが、それは果てしなく至難だろう。

 今回の特別試験のクリア方法を簡潔に纏めると以下の通りになる。

 

 ・グループ全体で『優待者』が誰なのかを共有し、クリアする、『全員』の勝利。

 ・最後の解答を誰かが間違え『優待者』が勝利する。

 ・『裏切り者』が『優待者』を見付け出す。『裏切り者』及び、その者が属するクラスの勝利。

 ・『裏切り者』が判断を誤る。『優待者』及び、その者が属するクラスの勝利。

 

 面白いのは、四つ全てに報酬が約束されていることだろう。

 そしてクラスポイントが絡む以上、上手く運べば、DクラスがAクラスに下克上をすることも不可能ではない。

 それだけの『可能性』がこの試験にはある。

 だからこそ禁則事項が細かくあるのだろう。

 

「この場で伝えておこう。きみたちにはプライベートポイントがある。原則的にはプライベートポイントで買えないものはない。それは事実だが──」

 

 と、そこで真嶋先生はちらりとオレを一瞥した。あの時のオレの行動を、彼も注意しているのだろうか。説明を続ける。

 

「この禁則事項を変更することは出来ない。これは絶対だ。仮に2000万pr出されても学校側は認めない」

 

 特別試験が成立しないのだから当然だな。

 オレは紙を捲り戻し、改めて禁則事項を見た。

 先程はさらっと流していたが、『退学』という文字が書かれていた。退学処罰を受ける行為としては、他人の携帯を盗む、脅迫行為によって『優待者』の情報を入手する、勝手に携帯を操作して解答を学校に送るなどといったものだった。さらに、最終試験終了後はすぐに解散しなければならないようで、一定時間、他クラスとの生徒同士での話し合いは禁じられるらしい。いざこざを未然に防ぐためだろう。ここにも『退学』の二文字が。

 明日の午前八時に学校から送られてくるメールには『優待者』の情報がある。このメールのコピー、削除、転送、改変などの行為も禁じられている。これは『退学』とまではいかないようだが、それでもかなりの重い罰が課せられる。逆に裏を返せば、このメールは絶対的な意味を持つ。情報の強奪は禁じられているが、許可する、あるいは、許可されれば何も問題ない。そういった共有の際には確実な信頼を得ることが出来るだろう。

 言葉に意味を持たせるためか、怪しい行為があった場合は運営による徹底した調査が行われるという旨が、ここだけ赤字で書かれていた。場合によっては、専門家すらも参加するらしい。

 そして特別試験の説明は最終段階に移っていく。

 

「きみたちは明日から、午後一時、午後八時の時間に、指定された部屋に向かって貰う。試験中は扉にグループの名前が印刷されたプリントが貼られている。間違った部屋に入ることはこれでないだろう。そして初日だけは、初顔合わせなので、自己紹介を必ずやって貰う。それさえ終われば、あとは好きにしてくれて構わない」

 

 自然とオレたちは顔を引き締めていく。

 真嶋先生は生徒一人ひとりを見渡してから、おもむろに口を開けた。

 

「これで特別試験の説明を完了する。きみたちの健闘を祈る」

 

「「「「はい」」」」

 

 この部屋はあと三十分は好きに使って構わない、という言葉を残して、真嶋先生は部屋をあとにした。

 部屋はしばらくの間無音だったが、不意に、「はあ」というため息が静寂を断ち切った。  

 軽井沢が両腕を組みながら、

 

「まっ、面倒臭いけどやるっきゃないかー。このメンバーだと色々と不安だけど……」

 

 そう言って、彼女はまたもやため息を吐く。

 次に言葉を発したのは幸村だった。

 

「俺もそれは同感だな。とはいえ、同じグループになった以上は協力するしかない」

 

「で、ござるねえ……」

 

「綾小路も異論はないな?」

 

「ああ」

 

 オレが頷くと、残りの一人に視線が集まる。軽井沢は億劫そうにしながらも頷く。

 幸村は眼鏡をくいっと上げながら、一つの提案をした。

 

「明日、学校からメールが送られてくる。もしかしたらこの四人の誰かが『優待者』に選ばれるかもしれない。もしそうなっても、不用意に集まるのはやめよう。しっかりと安全な場所で報告しあった方が良いだろう」

 

 その言葉を皮切りに、今度こそオレたちは解散した。

 さてと、まずは堀北に報告をするか。チャットアプリを開き、簡潔に作った文と、部屋で撮った写真を全て送る。

 自室に戻りながら、オレは今回の特別試験について思考を巡らせる。そして自分に何が出来るのか、何が出来ないのか、その境目を早々に区切った。

 この試験、間違いなく荒れるだろう。そんな確信を胸に、オレは廊下を歩き続けた。

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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