ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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干支試験──乱闘

 

 ──九匹の(けもの)咆哮(ほうこう)を上げたのは一瞬だった。

 

 

§

 

 

 

 一時間ほど仮眠を取っている間に、二件のメッセージが届いていた。佐倉(さくら)王美雨(みーちゃん)の親友コンビだ。二人からメールが来るのは珍しいな。

 佐倉からは試験そのものへの不安が述べられていた。千秋(ちあき)から既に伝えられていたが、彼女たちは同じ『牛』グループだ。ちなみに、『牛』グループの構成メンバーは──。

 

 

 

§

 

 

 

 Aクラス──沢田恭美(さわだやすみ)清水直樹(しみずなおき)西春香(にしはるか)吉田健太(よしだけんた)

 Bクラス──小橋夢(こばしゆめ)二宮唯(にのみやゆい)渡辺紀仁(わたなべのりひと)

 Cクラス──時任裕也(ときとうひろや)野村雄二(のむらゆうじ)矢島麻里子(やしままりこ)

 Dクラス──池寛治(いけかんじ)佐倉愛里(さくらあいり)須藤健(すどうけん)松下千秋(まつしたちあき)

 

 

 

§

 

 

 

 (いけ)須藤(すどう)は日頃から仲良くしているから問題ないが、それ以外となると駄目だな。

 人選を担任がやったと仮定して……茶柱(ちゃばしら)は完全にこのグループを捨てているな。

 人見知りで大人しい性格の佐倉から救難信号が来ても責めることは出来ないだろう。きっと、一回目は自分なりに頑張ったのだろう。だが悲しきかな、文面から察するに、努力は報われなかったようだ。

 千秋にフォローさせても良いが……これまで接点のなかった人間が急に話しかけて来たりしたら、佐倉は驚くだろうし、疑念を持つはずだ。

 オレと千秋の繋がりを知る者は今は極力控えたい。

 と、なると──。

 オレは電話帳から一人の人物に電話を掛けた。

 

「どうした清隆(きよたか)。お前からなんて珍しいな」

 

「実はちょっとした頼み事をしたくてな」

 

「それは別に構わねえが……」

 

「安心しろ。簡単なことだ。(けん)、お前、佐倉と同じグループだよな?」

 

「ああ、そうだけどよ」

 

「頼みというのはだな。少しで良い、試験中、佐倉に気を配って欲しいんだ」

 

 須藤が何らかの反応を示す前に、オレは言葉を畳み掛ける。

 

「頼めないか?」

 

「……分かった。佐倉にはこの前助けて貰ったからな、これで借りを返せるとは思わねえが……兎も角、引き受けたぜ。だが先に言っておくが清隆、あまり俺に期待するなよ」

 

 俺じゃなくて寛治の方が適任だろうに……と、須藤は独り言を言いながら通話を切った。

 彼の言う通りだろう。だがそれが出来ない『事情』があるのだ。

 オレは佐倉に、困ったことがあったらオレだけではなくクラスメイト……特に、同じグループの生徒に頼ってはどうかという旨のメールを送った。

 

「さて……次はみーちゃんか……」

 

 内容は以下の通りだった。すなわち──。

 

高円寺(こうえんじ)くん、ずっと鼻歌を歌って髪の毛を整えているんです。私、どうすれば良いんでしょう……?』

 

 ──というものだ。

 みーちゃんは『猿』グループに配属されたようで、その中には我らが自由人、高円寺も含まれていたようだ。もう一人は本堂(ほんどう)のようだ。

 何故オレに高円寺の対処法を聞いてくるのだろうかと考え、思い当たる節が数多くあることに気付く。

 何だかんだ、あいつとはそれなりの交流があるからな。

 そして彼女は、オレたちの仲が良いと錯覚したのだろう。だから救難信号を送ってきたわけだ。

 

『高円寺は勘定に入れない方が良いと思う。そして残念なことに、オレは応援しか出来ない。だから頑張ってくれ』

 

 済まないみーちゃん。これがオレの限界なんだ。

 彼女の慟哭の声が脳裏に浮かんだが、まあ、優秀な彼女のことだ何とかするだろう。

 

「そろそろ行くか……」

 

 グループディスカッションは一日に二回行われる。二回目のグループディスカッションが行われるのは夜の二十時からだ。

 規定時刻よりも三十分以上早い時間に部屋を出たオレは、一人、廊下を歩く。そこで大量の荷物を両手に抱えた友人の姿を見付けた。

 

一之瀬(いちのせ)

 

 声を掛けると、彼女は顔だけこちらに振り向かせた。

 

綾小路(あやのこうじ)くん! こんばんは!」

 

 にこりといつものように微笑んでいるが、額に流れる一筋の汗をオレは見逃さなかった。

 これが友人ではなく赤の他人だったら「大変そうだな」くらいの感想しか抱いているだけなのだが、流石に、友人の中でも殊更に仲良くしている──と、オレは思っている──相手を見捨てるのは良くない。

 オレは「こんばんは」と夜の挨拶を口にしてから、

 

「重たいだろう。貸してくれ、持つから」

 

「ええっ!? いやそれは綾小路くんに悪いよ」

 

 やはりというか、彼女はオレの申し出を断った。

 だがしかし、ここで折れるわけにはいかない。

 

「女だから、というのはあまり好きじゃないんだが。ここは男のオレを立ててくれると助かる」

 

「うーん、でもなあ……」

 

「こんなところを隣人にでも見られたら嫌味を言われそうなんだ。だから頼むよ」

 

 そう言うと、一之瀬は可笑しそうに笑った。

 彼女は逡巡した後、上目遣いで尋ねてくる。

 

「……じゃあ、お願いしても良いかな?」

 

「頼んでいるのはオレの方だぞ」

 

「うん。ありがとう!」

 

 そう言いながらも、彼女は全ての荷物を渡しはしなかった。

 どうやら一之瀬にも引けないものがあるようだ。

 オレがどれだけ言葉を尽くしても、これ以上の譲歩は望めないだろう。

 

「どこまで運べば良いんだ?」

 

「試験会場までお願い」

 

 そうなると、これは試験に使われるものなのだろうか。

 気になって視線を下げて荷物を良くよく見れば、そこに答えがあった。

 

「一之瀬、これは……」

 

「あれ、綾小路くん呆れてる?」

 

「いや、そういうわけじゃないが……」

 

 大量の荷物の正体、それは様々な遊び道具だった。

 目視しただけでも十種以上はある。

 

「これ、どこから調達したんだ?」

 

「地下三階から下は娯楽施設があるよね? 申請すれば借りられるんだ」

 

「……もしかしなくても試験中に、遊ぶのか……?」

 

「うん、そのつもりだよ」

 

 答えはシンプルで、また、即答だった。

 オレは胸中で「マジかー」とある意味で驚いていた。

 一之瀬は困ったように頬を掻いてから、しかし、真剣な顔でこのように言った。

 

「私たちのグループ……ううん、どこのグループでも討論は成立してないでしょ? Aクラスは口を閉ざしているし、Cクラスはさっきの『宣戦布告』があった。私たちB、Dクラスは対立こそしていないけれど、完全な仲間じゃない」

 

 真嶋(ましま)先生……ひいては、学校は、今回の干支試験に於いて、クラス闘争の概念は一度捨て去るべきだと試験の説明時に告げた。

 考えるまでもなく無理難題な話だ。

 試験結果に……ひいては、クラス闘争に直結するものがある以上、無条件での『和平』など有り得ない。

 

「だが、それとこれに何の繋がりがあるんだ?」

 

「いやー、みんなで一緒に遊ぶことによって、仲良くなったりしないかなあと思ってね」

 

 そう言うものだから、オレは一之瀬の顔が直視出来なかった。

 聞いているこちらが恥ずかしくなってしまう。

 

「誘いに乗ると良いな」

 

「うん!」

 

 二人並んで廊下を渡り、程なくして試験会場に辿り着く。部屋には誰もいなかった。試験開始までまだまだ余裕があるから、当たり前かもしれない。

 取り敢えず、部屋の隅に荷物を置き、オレたちは向かい合わせるようにして適当な椅子に座った。

 

「綾小路くんはお昼の龍園(りゅうえん)くんの『宣戦布告』を見た?」

 

「ああ、平田(ひらた)……洋介(ようすけ)からメールが来てな。思い切った行動をするものだと思った」

 

 オレの言葉に一之瀬は「うんうんっ」と何度も頷いた。

 

「いやー、本当にあれには驚いたよ。このタイミングでやるのかと思ったな。──綾小路くんはどう視る?」

 

「質問を質問で返すようで悪いが、一之瀬はどう視ているんだ?」

 

 オレの考えは口にしてもしなくても構わないが、まずは一之瀬の考えを知りたい。

 

「私はね……龍園くんのあの行動は『意味』があると思っているんだ」

 

「それはつまり、彼が『勝利』を確信しているということか?」

 

「中には私たちを混乱に(おちい)りさせたいという、彼の常套句(じょうとうく)の『嘘』だと思うひともいるかもしれないけどね」

 

「一之瀬は違うと?」

 

「うん、そうだよ。──龍園くんは仲間のCクラスのひとたちの目の前で宣誓した。これってとてもリスキーだよ。もしCクラスが大敗したら、龍園くんの支持は完全に無くなる。そうなったら彼は『王』では居られなくなる」

 

「その反面、もし仮にCクラスが他クラスを蹂躙した場合、Cクラスは──」

 

(とき)の声をあげるだろうね」

 

 そしてその進撃の被害は計り知れないだろう。

 四月からずっと続いているパワーバランスが崩れ──クラスの入れ替えが起こり得る。

 一之瀬たちBクラスはその餌食になるだろう。

 オレが所属しているDクラスは最下位なため被害は受けない……そんな都合が良い話はない。

『王』はあの時、確かに全勢力に対して『宣戦布告』したのだ。

 敵味方問わず、『波』は襲い掛かるだろう。

 

「オレも一之瀬の考えの通りだと思う。現段階で、いま最も干支試験の『根幹』に近いのは龍園(かける)だ」

 

 すると一之瀬は長くため息を吐いた。

 

「せめて自分のクラスだけでも『優待者』が誰なのか分かれば話は違うんだけどね」

 

「ならクラスメイトに呼びかければ良いだろう」

 

 Bクラスなら……いや、一之瀬帆波(ほなみ)ならそれが簡単に出来る。

 一之瀬はオレの言葉を苦笑で返した。

 聡い彼女のことだ、それが最善手だとはとうの昔に分かっている。

 だがしかし、彼女にはそれが出来ない、

 彼女は優しい人間だ。

 ところが今回のように『誰かを生贄にする可能性』があると、その優しさが呪いとなり、決断が出来なくなる。

 オレはBクラスの内情を知らない。

 友人と言えるのは一之瀬と神崎(かんざき)の二人くらいだ。

 しかし、これだけは言える。

 

 

 

 ──クラス闘争で最も『勝利』に遠いのは一年Bクラスだ。

 

 

 

§

 

 

 

『──これより二回目のグループディスカッションを開始します』

 

 そんなアナウンスが部屋に響いた。

 一回目の時と同じように、各クラスは一箇所に集まり、他クラスとは一定の距離を置いている。

 オレはゆっくりと室内を見渡した。一回目にあった、試験そのものへの不安や困惑といったものはそこにはなく、既に払拭されているようだ。

 ただしその分、敵対意識が増長されている。

 無言の睨み合いが続く中、一之瀬がおもむろに立ち上がり、Dクラス……いや、外村(そとむら)に視線を送る。

 

「まずは外村くんの自己紹介が必要だよね。外村くん、やって貰っても良い?」

 

「ひぃぃぃ……!」

 

 外村は完全に怯えていた。

 この殺伐(さつばつ)とした空気の中、発言するのは慣れていない大多数の人間からしたら恐怖だろう。

 懇願の目をオレや幸村(ゆきむら)に送ってくる。幸村は早々に目を逸らした。

 自業自得だと言いたいのだろう。オレも全面的に同意見だ。だがそれを言ったところで、彼の恐怖心が和らぐわけではない。その逆も充分に有り得るだろう。

 どうしたものかと思案していると、オレの右隣に座っている軽井沢(かるいざわ)が、

 

「早くやってくんない?」

 

 ぽつりと、けれど低い声でそう言った。

 

「はぃぃぃぃ!」

 

 すると、外村はすぐに立ち上がる。

 どうやら女王の言葉の方が彼にとっては余程に怖かったらしい。

 軽井沢にその気があったのかどうかは分からないが、どちらにせよ、ナイスプレーだ。

 

「拙者は一年Dクラス所属、外村秀雄(ひでお)(そうろ)う! 宜しくお願い致しますでござる!」

 

 いつもの変な日本語が、さらに変になっているが……まあ、良いか。

 って言うか、外村の自己紹介を聞いているのがDクラスとBクラスだけなのだから憐れんでしまう。

 ぱちぱちぱちと形式的に拍手が贈られ、外村は光の速度で席に戻った。

 

「外村くん、ありがとう! それじゃあ、グループディスカッションを始めようと思うんだけど──」

 

「待て」

 

「……? どうかしたのかな、町田(まちだ)くん?」

 

 司会者の言葉を遮った町田は、一之瀬の問いに答えることなく、無言でCクラスを見つめる。

 最初は無視をしていたが数秒間にも渡って見られたら、Cクラスも反応せざるを得なかった。

 

「なに……?」

 

 真鍋(まなべ)が代表して口を開けるが、町田は彼女には目もくれなかった。

 

伊吹(いぶき)、お前に聞きたいことがある」

 

「は──? どうして伊吹……さんなの!?」

 

 ぎりぎりのところで敬称を付けたのは伊吹の怒りを買うと思ったからなのか。

 そしてオレたち他クラスは確信する。

 このCクラスの面子(めんつ)の中で最も発言権があるのは真鍋たちではなく、伊吹なのだと。

 その伊吹は面倒臭さを隠そうともせず、

 

「私に何か用?」

 

「ああ。とはいっても、お前にではなく、龍園にだと言った方が適切だろう」

 

「なら私じゃなくて、龍園に聞けば良いでしょ」

 

 尤もな指摘だ。

 だが町田はそれを無視する。

 

「単刀直入に聞く。──龍園は何を考えているんだ?」

 

 先程のオレと一之瀬の会話の巻き戻しに等しかった。

 葛城(かつらぎ)の命令……ではない。恐らくこの質問は町田の独断だろう。

 伊吹は嘆息してから、

 

「私が知っているとでも?」

 

「どうだろうな。だがその可能性は極めて高いだろう。何せお前は限りなく龍園の近くにいることを許されている。真鍋たちのような雑兵とは違う。お前や石崎(いしざき)、アルベルトらには話してても何ら可笑しくはない」

 

 するとここで初めて、伊吹は笑った。

 そして彼女は呆れたようにこのように言う。

 

「あのね、仮に私が知っていても、教えるわけないでしょ。町田、あんたのような馬鹿が居るとは、Aクラスも底が知れているわね」

 

「……そうか。だが忘れるな。お前たち三クラスは、その馬鹿が所属しているクラスに負けているのだとな」

 

 互いに挑発する。

 オレはやはりと胸中でため息を吐いた。

 些細なことでこのように争うのだ。

 話し合いなど不可能。

『和平』を望むのならば、どこかで『落とし所』を見付け、尚且つ、それが納得出来るものでなければならない。

 

「えーっと、じゃあ改めて──グループディスカッションを始めたいと思います。みんなの姿勢は変わらない?」

 

 司会者の視線の先にはAクラス。

 

「当然だ。俺たちAクラスは黙秘をする」

 

「さっきは伊吹さんに質問したのに? それは可笑しいんじゃないかな?」

 

「全員が疑問に思っていることを代弁しただけに過ぎない。俺が質問しなくても、一之瀬、お前や他の奴がそうしただろう」

 

 随分と勝手なことを言うものだ。

 Aクラスは取り付く島もない。意固地になっているとも言えるが……かなり面倒だ。

 一之瀬もこれ以上の進展は望めないと判断したのだろう。隅に置いていた例のものを取り出す。

 

「一之瀬さん、さっきから気になっていましたが……それは何でしょうか?」

 

「見ての通りだよ、浜口(はまぐち)くん。今からみんなで遊ぼうと思ってね」

 

 浜口は、一瞬、表情を引き()らせ、

 

「そ、そうですか……」

 

 と、曖昧に頷いた。もう一人のBクラスの生徒、別府も似たようなものだ。

 

「一之瀬さん、本気か?」

 

 幸村が我慢ならないように、語尾をやや強くして問い掛けた。

 それは他のみんなも同じで、特にAクラスの町田たちは冷ややかな目で一之瀬を見ている。

 

「もちろん、強制はしないよ? ただ一時間ずっと(だんま)りなのは建設的じゃないと思うんだよね。ほら、この試験で初めて会ったひとも居るわけだし。せっかくの機会だから仲良く……とまではいかなくても、ある程度の仲にはなりたいかなと思って」

 

「それは表の理由だろう。裏の理由は何だ?」

 

「疑い過ぎだよ。うーん、ならこうしよっかな。今から試験終了まで、試験に関する話題は一切しない。これならどう?」

 

 参加するひとは挙手をしてねと、一之瀬は言った。

 浜口と別府(べっぷ)の二人は当然として、他の生徒は……と思ったその時、名乗り出る猛者が現れた。

 

「拙者、やるでござる!」

 

 その男の名前は外村秀雄。Dクラスを代表する()タクだ。様々なゲームを制覇(自称)している彼が参加するのはある意味当然だろう。

 

「綾小路殿もどうでござるか?」

 

「……そうだな。確かに暇だしな」

 

 博士のおかげで、自分から挙手をする必要がなくなった。心の中で礼を言っておく。

 

「おいお前たち──」

 

 幸村が顔を険しくして、何か言おうとしたが、それよりも前に。

 

「じゃあ、あたしもやるー」

 

 軽井沢が呑気そうに間延びた声を出した。

 とうとう幸村の顔は露骨なまでに崩れた。

 

「お前たち本気か!?」

 

「参加したくないなら、幸村くんだけ参加しなきゃ良いじゃん」

 

「そういう問題じゃない! 俺たちはこの干支試験で協力すると約束しただろうが! なのに──」

 

 すると我らが女王は呆れたように言った。

 

「いやいや、もちろん、それはそうだけどさ。たかが遊び一つで試験結果が変わるとは思えないし。それに試験に関する話題はしちゃいけないってルールがあるんだからさ、大丈夫だって」

 

「……勝手にしろ。俺は参加しないからな」

 

「はいはい、どうぞご自由にー。一之瀬さん、見ての通りだから」

 

「にゃはははー、うん、分かったよ。ありがとう」

 

 言葉の歯切れが悪いのは、オレたちDクラスのチームワークのなさにだろうな。

 オレを含めて、Dクラスの生徒は良くも悪くも個性的な生徒が多い。

 

「他にやるひとは居る?」

 

 気を取り直したように一之瀬が問い掛けると、Cクラスの生徒全員が手を挙げた。

 伊吹が参加表明をするとは思わなかった。真鍋たちもぎょっと目を剥いているし。何か理由でもあるのだろうか。

 

「町田くんたちは──」

 

 どうかな? と聞くよりも早く。

 

「無論、辞退させて貰う」

 

 町田はそう言い、Aクラス陣営は揃って携帯端末を弄り出した。

 不用意に声を掛けたり、近付いたりしたら怒りを買いそうだ。

 一之瀬は彼らに視線を送ってから、

 

「それじゃあ、まずはみんなでやれるトランプからやろっか。ババ抜きで良い?」

 

 実に楽しそうに、そう、声を掛けたのだった。

 オレたちは円を作り、それぞれ配置に着く。席の位置はくじ引きで決め、オレの左隣が伊吹、右隣が浜口となった。

 ババ抜きのルールは実にシンプルだ。最後にジョーカーを持っているひとが負ける。上がりゲームとも言われるこれは、そのシンプルさ故に、プレイヤーのスキルが表れる。

 

「これがババかなぁ〜……」

 

「フフフフ、さてなぁ……」

 

「うん、これに決めた! ──わっ、ババかぁ!」

 

 そして既に、一之瀬がその突出した弱さを出していた。

 いや、本当に弱いのだ。

 既に三戦目となるが、一之瀬は毎回負けている。というのも、感情がそのまま出てしまっているのだ。

 ポーカーフェイスがきっと苦手なのだろう。天真爛漫な一之瀬らしいと言えばらしい。

 そして逆にトップを独走する者も居る。

 この状況を心から楽しんでいるであろう博士だ。これがまた実に強い。ポーカーフェイスはさることながら、いわゆる、『勝負運』があると考えられる。

 あながち、様々なゲームを制覇したというのも──何を以て『制覇』とするかは分からないが──嘘ではないかもしれないな。

 リーダーの惨敗する姿をこれ以上見たくなかったのだろう。浜口が提案をした。

 

「席位置を変えませんか?」

 

 くじ引きをして、オレたちは各々の席に着く。

 右隣にCクラスの山下(やました)。そして左隣には──

 

「またお前か……」

 

 またもや伊吹だった。

 何ていう確率を引き当てているのだろう、互いに。

 

「今度はさっきとは違う回りでやってみよう」

 

 オレが伊吹からカードを引くということになる。

 そして四戦目が始まる。

 早々に抜けたのはやはり博士だった。その次に浜口、(やぶ)と続いていく。

 順調に各々が手札を減らしていく。同時に、ジョーカーも移動しているはずだ。

 

「はい、上がりねー」

 

「やった! 初めて上がれた!」

 

「おめでとうございます、一之瀬さん」

 

 ついに残ったのは伊吹とオレだけになった。

 

「一騎打ちでござるな」

 

 博士がぽつりと呟く。

 伊吹の手札は二枚。対するオレの手札は一枚。つまり、彼女がジョーカーを所持しているということになる。

 ジョーカーを引かなければオレの勝ちとなる。しかしジョーカーを引いた場合、勝負は続き、形成は逆転し、オレが不利になるのだ。

 

「どっちが勝つのかなぁ……。ね、浜口くんと別府くんはどう思う?」

 

「そうですね……。僕は伊吹さんだと思います」

 

「別府くんは?」

 

「俺は……綾小路だと思う」

 

「拙者は当然、綾小路殿でござる!」

 

 外野が好き勝手に言っていた。

 って言うか、博士、Bクラスと仲良くなり過ぎだろ。()タクの順応性って凄いよな……。

 そんなことを考えていると、伊吹とばっちり目が合った。いや、それは言い方が悪かっただろう。

 彼女はずっとオレだけを見ていたのだ。

 

「さあ、早く引きなさいよ」

 

「そう()かすな。どっちを選ぶか迷っているんだ」

 

 この勝負、勝っても負けても正直どちらでも良い。

 伊吹は何やらオレとのこの勝負に拘っているようだが、オレがそれに乗る理由はない。

 それに彼女にはある程度オレの情報が知られている。この干支試験を契機にクラス闘争から身を引きたいオレからすれば、無駄な騒動は起こさないのが堅実な一手だ。

 

「こっちの右はどうだろうな」

 

「……」

 

「左はどうだろうな」

 

「……」

 

 反応は特にどちらもなし。

 確実に勝てる方法をオレは所持しているが、やはり、ここは適当に済ませよう。

 

「よし、右にしよう」

 

 わざとらしく言葉を言い、オレはカードを引いた。

 手元に来たカートは、ニタリと気持ち悪く笑っている道化師。

 オレたちの様子から勝負はまだ終わってないことを察知したのだろう。外村が「綾小路どのおおおぉぉぉぉッッ!?」と悲痛な声を出した。

 結局、オレはそのまま負けた。

 ぱちぱちぱちと白熱な? 勝負を行ったオレたちに拍手が贈られる。

 

「ありがとうございました」

 

 場の雰囲気的にオレがそう言うと、伊吹は無言で頷く。だが口角の僅かな上がりをオレは見逃さなかった。どうやら勝てて嬉しいようだ。

 グループディスカッションの残り時間がとうとう十分を切り、流石にもう一戦やるのは厳しいということで、あとは各々好きに過ごすこととなった。

 

「ただいまでござる、幸村殿」

 

「ああ……」

 

 笑顔の博士とは対比的に、幸村は渋面だ。きっと『兎』グループの『優待者』を考えていたのだろうが、難しかったのだろう。

 

「明日もグループディスカッションが上手く行かなければ遊ぶようですしおすし。幸村殿もどうでござるか?」

 

「いや、俺は辞退する。勝手にやっていてくれ」

 

 残念でござるぅ〜と博士は言った。もしかしたら、幸村と仲良くなりたいのかもしれない。

 そんなことを呑気にオレが考えていると、『それ』は脈絡もなく、唐突にやって来た。

 

 

 

「──ねえ、軽井沢さん」

 

 

 

 真鍋が軽井沢に話し掛けたのだ。ただ話し掛けたのではなく、真剣な顔で、そして低く重たい声で。

 突然のことに軽井沢は戸惑う様子を見せる。しかしそれは一瞬で、いつもの強気な女王の顔になった。

 

「なに? 真鍋さん」

 

「聞きたいことがあるんだけど」

 

「聞きたいこと……?」

 

 首を傾げる軽井沢に焦れたのだろう、真鍋はさらに言った。

 

「私の勘違いじゃなかったから良いんだけど……リカと夏休み前に揉めた?」

 

「は? 何それ。って言うか、リカって誰よ」

 

「私と同じCクラスの女の子。眼鏡を掛けていて、お団子頭なの。覚えてない?」

 

 軽井沢だけでなく、外野のオレたちも戸惑う。 

 先程までの和気藹々とした楽しい空気から一転、どんよりとした空気に満ちていく。

 我関せずの態度を取り続けていたAクラスも、携帯から目を離し、事態を眺める。

 

「私……ううん、ナナミとサキも確かに聞いたんだよね。Dクラスの軽井沢って女子に意地悪されたって。カフェで順番を待っていたら割り込まれて、挙句の果てには突き飛ばされたって。この前、そんなことを聞いたんだけど」

 

 これはまた……面倒臭いことになりそうだ。

 みんなの視線が軽井沢に集中する。

 いつもの彼女ならそれに対抗出来るだけの力があったのだが、動揺しているようで、それどころではないようだ。

 

「それで? 覚えてないの?」

 

「……知らない。ってか何? あたしに文句でもあんの?」

 

「文句あるに決まってるでしょ。最初は気の所為かとも思ったんだけどね、ここに来る前にリカに確認したから」

 

「確認って……どうやって……」

 

「SNS。軽井沢さん、平田くんや友達と撮った写真をよく投稿してるでしょ」

 

 ソーシャルネットワークの利便性は述べるまでもないだろう。

 オレたちはインターネットを通じて様々な情報を世界中に送信出来るようになった。反面、迂闊に発言をすると自分の情報が筒抜けになってしまうことも少なくない。名前や性別、年齢、住所など、世の中には『プロ』が潜んでいて、虎視眈々(こしたんたん)と機会を窺っている。

 基本的に、メリットにはデメリットも付随するものだ。

 そのデメリットが軽井沢に襲い掛かっている。

 

「私は軽井沢さんが写っている写真をリカに見せたの。そしたら彼女は頷いた。──ねえ、本当に覚えてないの?」 

 

「……ッ!?」

 

「私たちも……そしてリカも大事(おおごと)にしようとは思ってない。この前の『暴力事件』のようにはなりたくないから。でもね、謝って欲しいの。リカって自分で全部抱え込んじゃうタイプだから、私たちが何とかしてあげないといけないから」

 

 それは彼女たちの最大限の譲歩であり──同時に、死刑宣告でもあった。

 この場に於ける最善は軽井沢が『誠意』を見せることだ。すなわち、自分の非を認めること。

 もちろん、これは第三者が聞いたものでしかない。真鍋はリカなる女子生徒から聞いたと言っている。つまり、リカが嘘を吐いている可能性も多少はある。

 だがしかし、その可能性はやはり可能性でしなく、実際に起こった出来事だと推察出来る。

 これまでに軽井沢恵という生徒は小規模ながらも問題行動をしているのだから。

 問題にならなかったのは自分が統治しているDクラスだったから。何よりも、問題行動をしていても、彼女はDクラスに貢献していたから。

 だからこそ見逃されていた。

 しかしそれは内輪(うちわ)の問題でしかなく、一歩でも外に出れば話は変わってくる。

 

「それでどうするの?」

 

 約束することは簡単だ。

 しかし女王気質の少女である軽井沢恵にそれが出来るのかと言われれば、それは否だろう。

 そしてオレは、一回目の試験から感じていた違和感の正体を突き詰めた。

 軽井沢の行動が、全て、『らしくない』のだ。

 オレや幸村、博士にはいつものように女王らしく振る舞っているが、他クラスの生徒には『圧力』を掛けていない。

 それどころかあまり発言してもいない。

 受動的に、聞かれたら答える、というスタンスを取り続けている。まるで何かに恐れているように。

 

「軽井沢さん、私の話聞いてる?」

 

「……聞いてるわよ」  

 

「なら答えて。どうするの?」  

 

『いつもの』軽井沢なら言い返しているはずだ。

 しかし彼女は、『いつもの』とは程遠い姿を見せている。

『いつもの』彼女は偽物なのか? そんな錯覚を抱かせるほどの普段との『ズレ』。

 そしてオレにはこの体験を既にしていた。忘れもしない。忘れることなど出来ない。

『表』と『裏』を使い分ける魔女。桔梗(ききょう)の正体を見破った時と同じだ。

 

「ねえ、早く何か言って」

 

 時間の経過と共に、真鍋が苛立って行くのがわかった。

 それはリカという友人を思っての義憤か、あるいは、ただの自己満足なのか。

 どちらにせよ言えることは、この状況が危機的な一歩手前であること。

 お人好しの一之瀬も今回ばかりは静観している。

 これは当人たちの問題であり、オレたち外野の人間が無遠慮に口を挟んではならないからだ。それに、下手すれば事態はさらに深刻なものになりかねない。

 張り詰めた空気の中、不意に、ザザッというノイズが走った。

 

『──以上をもちまして、二回目のグループディスカッションを終了します。生徒の皆さんは引き続き、クルージングを楽しんで下さい。また前回申したように、各部屋に残って『話し合い』をして頂いても構いません』

 

「……仕方ないから、明日まで待ってあげる。それじゃあね」

 

 そう言って、真鍋は取り巻きの二人を連れて部屋をあとにした。

 軽井沢の態度に苛立ちこそあれ、彼女たちからしたらそれすらも余興に変換出来るのだろう。

 残された軽井沢は俯いていたが、やがて顔を上げると、外野に激情の視線を浴びせた。

 

「誰かに言ったら容赦しないから」

 

 最後にひと睨みすると、彼女は部屋を出ていった。

 軽井沢はオレ、幸村、そして博士の三人に特に言ったのだろうことは想像に難くない。

 

「ああ、クソッ! 軽井沢のやつ……また問題を!」

 

「しかし幸村殿、仕方ない側面もあると思うでござるよ」

 

「仕方ない? 話を聞いて、そして何よりもあの軽井沢の様子を見れば、そんな余地はどこにもないだろ」

 

「幸村殿はクラスカーストにはまるで興味がないでござるからなあ……」 

 

 博士はそう言うと、のそのそと緩慢な動きで退出した。

 Aクラス、Bクラス、伊吹とそれに続いていく。一之瀬は何か言いたげにしていたが、結局、最後まで何も言わなかった。

 残ったのはオレと幸村の二人のみ。オレも出ようとすると、彼に呼び止められる。

 

「綾小路。お前は外村が言ったことが分かったか?」

 

「まあ、何となくは……」

 

「……そうか。ありがとう」

 

 幸村も姿を消す。

 オレは部屋に残った。廊下に出ても良いが今はまだ『兎』グループの生徒が近くに居るかもしれない。もう一度会うのは避けたいところだ。

 

「一応、平田に知らせておくか」

 

 流石に平田になら報告しても良いだろう。彼らは交際しているのだから。

 すぐに既読は付いたが、返信が来るのには二分ほど時間が掛かった。

 軽井沢に関しては彼に任せるとしよう。正直、彼女に構っている時間がない。

 彼女を懐柔し『駒』にすることも考えたが、これ以上の『駒』は必要ないし、率先していつ爆破するか分からない爆弾を背負うのはリスキーだ。

 そしてオレは一人の人物に電話を掛けた。

 

『様子見は終わったの?』

 

「まあ、そんなところだ。ちなみに今どこにいる?」

 

 場所によっては込み入った話が出来なくなる。

 千秋もそれは分かっているので、

 

『一階の『ブルーオーシャン』っていうカフェ』

 

「驚いたな……。オレの行き付けの店だ」

 

『あっ、そうなんだ。奇遇だね』

 

「一応確認するが、一人か?」

 

『それはもちろん。あっ、そうだ。私、あのグループから脱退したから』

 

「…………そうか」

 

 さらりと言われたので、反応するのに時間が掛かってしまった。

 千秋は可笑しそうにこう言う。

 

『清隆くんがそうなるように仕向けたのにね。……もしかして罪悪感とか抱いている?』

 

「いや、それはないな」

 

『なら良いよ。私が言うのも何だけど、将来、私は抜けていたと思うから。早いか遅いかの違いでしかない。だから気にしないで』

 

 つくづく思うが、千秋の処世術は恐ろしい。

 

「話を戻すか」

 

『うん』

 

「単刀直入に聞くが──今回の干支試験、お前は勝ちたいか?」 

 

『……つまり、きみは既に、この試験を攻略したと?』

 

「そう思ってくれて構わない」

 

 堀北が聞いたら強烈な視線を飛ばしてきそうだな。

 千秋は軽く笑ってからこのように言った。

 

『ポイントは欲しいけど、今回はパス』

 

「それはまたどうしてだ?」

 

『私が真っ先に疑われるから。『誰が』裏切り者なのかは分からないかもしれない。けれど、試験結果から『どこのクラスのどのグループが』までは分かると思う。そして私が所属しているグループに於いて、私以外の三人はお世辞にもそんな離れ業は出来ない』

 

「それはまた、随分な自己評価だな。池や須藤、佐倉にだって可能性はあるぞ」

 

『だとしても、私が一番注目されるのは避けられないよね。──って言うか、清隆くん。私は約束したはずだよ。きみに協力するって』

 

 責め立てるように彼女はそう言った。

 

「試すようなことをして悪かった」

 

『別にそれは良いよ。私がきみでも、同じようなことをしていたしね』

 

 千秋はオレの意図を全て理解していた。

 ここで彼女がオレの甘言に惑わされているようなら、彼女の価値はかなり落ちていた。

 

『それで? 試験は終わったでしょ? 攻略方法を教えてくれない?』

 

「悪い。それは嘘だ。少なくとも現段階では何も分かっていない」

 

『は────ッ!?』  

 

 怒気がひしひしと伝わってくる。

 それから数十分を掛けてオレは怒り狂う千秋に謝り、何とか許しを得た。

 その代わりに、代償は高くついた。具体的には、ケヤキモールの高級レストランを奢らされることになった。

 ……自業自得だから何も言えないな。

 

「日にちはそっちに合わせる」

 

『わあ、楽しみだなあ……。それじゃあ、またね』

 

「ああ、また連絡する」  

 

 プライベートポイントの心配をしながら寝室に戻ると、扉越しから怒号が聞こえてきた。

 慌てて部屋に入る。

 

「おい高円寺! お前少しは真面目にしてくれないか!」

 

「真面目? 私はいつだって大真面目だよ、幸村ボーイ」

 

「ふ、二人とも……落ち着いて……」

 

 ルームメイトである、幸村、高円寺、平田の三人が言い争いをしていた。

 

「あー……、ただいま」

 

 一応、声を掛ける。

 すると幸村は気まずそうに顔を逸らし、高円寺は腕立て伏せを行ない、そして平田はオレと目が合うと安心したように息を吐いた。

 

「何があったのか……は聞くまでもないが、一応、聞いておく。洋介、何があった?」

 

「えっと、実は──」

 

 平田曰く、二回目のグループディスカッションが終わったので、彼は幸村と互いの状況を報告し合っていたらしい。高円寺も誘ったのだが、彼は肉体美の追求で忙しいと断ったようだ。

 とはいえ、二人も高円寺の参加を期待していたわけではないだろう。

 幸村はまず、Dクラスの『優待者』を探すことが試験の『根幹』に直結すると考えたようで、平田に心当たりがないか聞いた。

 しかし今回の干支試験、Dクラスは基本的に各自の判断に任せている。『優待者』の生徒が名乗り出るのも自由だ。

 

「平田は知っているのか?」

 

 誰が『優待者』なのか、という言葉は隠してオレが聞くと、先導者は首を振った。

 

「僕は本当に知らないんだ。見当もつかない。だから幸村くんの期待には応えられないって言ったんだ」

 

「……それは分かっている。だが平田、お前ならと思ったんだ」

 

 幸村の言う通り、平田に告白する生徒が居ても可笑しくないだろう。

 しかしそれならば、彼は分かっていたはずだ。

 たとえ先導者が『優待者』が誰なのかを知っていたとしても、彼は決して教えないと。

 それが分からないほど幸村は愚かではない。

 あるいは、そんなことが眼中に入らないほど、焦っているのか。

 兎にも角にも、幸村は平田の答えに一応は納得し、引き下がろうとしたらしい。

 だがこの時、彼は聞いてしまったのだ。

 自分たちは真剣に試験について話しているのに、高円寺が呑気に鼻歌を歌っているのを。

 

「どうしても我慢ならなかった。こいつは高い能力を保持していながら、それをクラスのために使おうとしない。僅かでも腰を上げてくれれば、Dクラスにどれだけの利益が出るか……」

 

 自然とオレたちの視線が高円寺に寄る。

 彼はタオルで汗を拭き取りながら、にこやかに笑う。

 

「幸村ボーイ。ボーイが私に期待してくれているのは分かったよ。ふふっ、きみも随分と素直になったじゃあないか」

 

「……俺が素直になったところで、お前はその尊大な態度を変えないだろうが」

 

「何故自分のありのままの形を変える必要がある? 私は私だ。そしてきみはきみさ」

 

 高円寺は言葉を続けて言った。

 

「きみだけじゃない。多くのクラスメイトが、私の参戦を期待しているのだろう。前回の無人島試験、私の貢献は非常に大きかったようだからねえ」

 

 実際はプラスマイナスゼロに等しいけどな、という突っ込みは抑える。

 

「──だが。それは自分への甘さじゃないかね」

 

「なに……?」

 

「人間には出来ることと出来ないことがある。それが『凡人』と『天才』なら尚更だ。ゆえに、きみたち才能がない人間は一度堕落すると、とことん堕ちるのさ。私は寛容だ。出来ないことをやれとは言わないさ。効率的ではないからねえ」

 

 と、ここで平田が話に加わった。

 

「……でも高円寺くん。それは矛盾してないかな。きみの話をそのまま鵜呑みにすると、つまり、きみたち『天才』は『凡人』が困っていたら助ける義務が生じるんじゃないかい? きみの言葉をそのまま使うなら、その方が効率的だろう?」

 

「如何にも。無論、私とてそのようにするさ。だがしかし、それは足掻きをしている者のみにだよ、平田ボーイ」

 

 高円寺は笑みを消し、すっと目を細めた。

 

「全く呆れてしまうねえ。きみたち『凡人』は私のような『天才』を恐れ、忌避している。『才能』に妬み、そして恐怖している。だが少しでも自分に嫌なことがあると『天才』に押し付けるのさ。自分たち(『凡人』)には何も出来ないと、お前(『天才』)なら出来ると、きみたち(『凡人』)は当然のように殺す」

 

 それは今まで明かされることがなかった、高円寺六助という人間の根底にあるものなのだろう。

 彼は大企業の跡取り息子だ。つまり、彼の人生には既にレールが敷かれている。そんな彼だからこそ、幼少期の頃から『社会』に出ていても可笑しくない。

 ご高説を垂れてくる教師とは言葉の重みが違った。

 

「自己紹介した時にも言ったが、私は美しくないもの──醜いものが嫌いだ。他人に頼る前に、もっと限界まで自分を追い詰めてみたらどうかね?」

 

「だが高円寺。お前の行動に迷惑を被っている者もいる」

 

「ほう、それは誰かね。綾小路ボーイ、きみは知っているのかい?」

 

「ああ。みーちゃん……王美雨(ワンメイユイ)だ。お前、彼女の懇願に耳を貸さなかったそうじゃないか」

 

「ふふふ、それは当然さ。耳を貸す必要がないからねえ。私は私のやりたいようにやる。事実、私はルールに何も抵触していない。私は考えた結果、グループディスカッションには参加しないと決めたのさ」

 

「そうか。それならそれでも良い」

 

 オレは話を終わらせ、幸村を軽く見た。

 これで幸村も、高円寺には何も期待出来ないと分かってくれるだろう。

 

「今日はもう休もうか。大丈夫だよ、幸村くん。試験はあと休息日も入れて三日ある。落ち着いて、冷静に考えれば攻略の糸口が見付かるはずだよ」

 

「ああ、そうだな──」

 

 と、幸村が頷いたところで、高円寺が携帯端末を手に取った。

 そして「ふむ……」と呟く。

 無論、オレたちはそれに関与しない。各々就寝の準備を始める。

 

「しかしあと三日も続くとはただただ面倒だ。あのガールは意外にも強いようだしねえ。──おめでとう、ボーイたち」

 

 高円寺はオレたちにそう言った。

 声を掛けられるとは思っていなかったので、全員、反応するのに時間が掛かってしまう。

 そして、その数秒の間に、彼は鼻歌を歌いながら、携帯を操作する方の手を素早く動かした。

 

「高円寺くん、いったい何を──」

 

「ふふふ、なに、試験を終わらせようと思ってね。嘘吐きを発見するなど、私の手に掛かれば造作もないさ」

 

 "Mission complete"とネイティブに発音された直後、部屋に甲高い音が走り抜ける。

 

「おい高円寺、お前……ッ!」

 

「メールを確認したらどうかね?」

 

「……!」

 

 オレたちは一斉に運営からの確定事項を告げる文面に目を通す。 

 

『猿グループの試験が終了致しました。猿グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

 予期していた通りの内容が淡々と書かれていた。

『猿』グループに誰が配属されているのか、その全員をオレは知らない。知っているのはDクラスの生徒のみ。そしてその中には高円寺が含まれている。

 不審な言動と、この状況。

 つまり、犯人は目の前の男だ。

 

「これで私は自由の身になったわけだね。アデュー」 

 

 オレたちはただただ唖然とするしかない。

 その間にも高円寺は携帯端末を放り投げ、タオルと着替えを手に持ち、バスルームに姿を消す。

 運営からの通達は参加者全員に送られ、高円寺の突発的行動はすぐに知れ渡ることになった。それに伴い、平田に携帯端末が何度も震える。

 

「ごめん、ちょっと対応してくるよ。みんなは先に寝てて良いから……」

 

『裏切り者』の登場に混乱するのは分かるが……これは流石に先導者が可哀想だ。

 そんな風に同情していると、オレの携帯端末も彼ほどではないが、何回か震えた。

 千秋、堀北(ほりきた)、須藤、佐倉、みーちゃんといった友人たちだ。

 

「高円寺の奴! 結局、自分が楽をしたいだけじゃないかっ」

 

「だがあいつの洞察力や観察力には目を見張るものがある。もし宣言通り『優待者』を暴いていたら……」 

 

「そういう問題じゃないっ。俺が言うのも何だが、協調性がなさすぎる!」

 

 幸村の怒りは限界を突き抜けてしまったようだ。

 千秋たち全員に返信をしている最中、またもやキーンという甲高い音が鳴る。

 

「ちっ、今度は何だ!?」

 

 幸村はその言葉を境に口を閉ざした。

 文字を打つ手を一旦停止させ、オレはメールアプリを開く。

 そしてオレは目を見開いた。

 運営からのメールが、同時刻に八件届いている。それらは全て未読のものだった。

 

『鼠グループの試験が終了致しました。鼠グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『牛グループの試験が終了致しました。牛グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『兎グループの試験が終了致しました。兎グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『竜グループの試験が終了致しました。竜グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『馬グループの試験が終了致しました。馬グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『羊グループの試験が終了致しました。羊グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『鳥グループの試験が終了致しました。鳥グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

『猪グループの試験が終了致しました。猪グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気を付けて行動して下さい』

 

 八月十一日。

 二十二時五十二分。

 それは、獲物を喰らう獣たちが咆哮の刻だった。

 

 

 

§ ─同時刻:豪華客船:地下三階─

 

 

 

 豪華客船、地下三階のカラオケのパーティールーム。

 そこには総勢三十九名の人間が居た。

 暗がりの室内の中、龍園は獰猛(どうもう)に嗤う。

 

「──お前たち、よく聞け。この干支試験、俺たちCクラスの『勝利』だ」

 

「「「うおおおおおおおお────!」」」

 

『王』の勝利宣言により、部屋は歓喜に包まれた。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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