ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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分岐点 Ⅲ

 

 干支試験、二日目が終わりを迎えようとしていた。

 龍園(りゅうえん)の率いるCクラスの攻撃の余波は、あれから二十四時間が経った今でも引いていない。

 一応の平穏こそ保たれているが、それは仮初(かりそめ)のもの。各クラスのリーダーたちが懸命に作り上げたものでしかない。

 

「これからどうなるんだろうな……」

 

「分かんないよ……。私たちももう、余裕はないかもね……」

 

「そんなことはない!」

 

「こえ、震えているよ……」

 

「ごめんな……情けなくて……」

 

「今はまだ退学者とか出てないけど……二学期になったら出るのかな……」

 

 豪華客船の一階の廊下を歩いていると、すれ違った二人の男女がそのように話していた。名前こそ知らないが顔には見覚えがある。どちらもAクラスの生徒だ。

 話にあったように、最も優秀なクラスに、これまでの余裕はあまりない。Aクラスは一学期の間、特にこれといった成果を出していないのが大きな要因だろう。とはいえ、それは仕方がない側面もある。彼らはこれまで部外者であり、クラス闘争に参加してきたのは先の無人島試験からなのだから。内輪揉めで時間を消費してしまったのが決定的だったということだろう。

 試験開始前まではこの時間、多くの生徒が廊下を行き交っていたのだが、今はそれはない。

 全体の九割は心折れ、部屋に引きこもっている。

 Dクラスでも、この絶望的状態で戦意を保てていられるのはごくわずかな者のみ。

 A、Bクラスも似たようなものだろう。

 では、何故オレが廊下を歩いているか。理由は至極簡単かつ明瞭で、天体観測をしたいと思ったからだ。

 部屋の窓からでも夜空は覗き見ることは可能だが、それだと少々味気ないと前々から思っていたのだ。屋上から仰ぐ景色は格別ということで、旅行が始まって以来、屋上は有名スポット……もとい、カップルに占有されていた。当然、オレに単身で乗り込む勇気などあるはずもない。数少ない友人を誘おうとも考えてはみたが、何となくそれは嫌だった。

 だがいまなら、オレのような独り身でも満喫出来るはずだ。

 さらに、天気予報によれば今夜は雲一つないそうで、これを逃すのは実に勿体ない。

 何か飲み物でも買おうと、意気揚々(いきようよう)と自販機に近付くと、オレは意外な組み合わせの三人組の背中を見付ける。

 一年Aクラス担任、真嶋(ましま)先生。Bクラス担任、星乃宮(ほしのみや)先生。そしてDクラス担任の茶柱(ちゃばしら)だ。

 三人は小さなバーに居た。ちらりと他を一瞥すれば、他にも何人か先生方が居る。そう言えばと……オレは一つ思い出していた。

 ここは大人たちが愛してやまない居酒屋やバーなどの施設が密集している区画だったな。

 とはいえ、別に生徒に入店が禁じられているわけではない。ただ学生であるオレたちにはまだ早いと思うのは自然なことで、ここはいつも閑散としていると、(いけ)がこの前教えてくれた。

 どうやら、自分でも気付かないほどオレは浮かれていて、この区画に迷い込んでしまったようだ。

 

「それにしても……珍しい組み合わせだな」

 

 いや、オレがそう思うだけで、実際は違うのかもしれない。同じ一年生を受け持つ教師。こうして飲みに行っている可能性は充分にある。まあ、そのように考えるとCクラス担当の坂上(さかがみ)先生が居ないのが気掛かりだが。ハブられていないのかとちょっと心配になってしまう。

 あるいは、もっとプライベートな関係かもしれない。茶柱と星乃宮先生が親友なのをオレは知っているし──正直なところ、あれから数ヶ月が経った今でも未だに半信半疑だが──真嶋先生も何らかの繋がりがあるのかもしれない。

 気になったオレは方向転換し、彼らに気付かれないよう細心の注意を払いながら、声量がぎりぎり届く所まで近付く。

 

「何かさー、久し振りだよね。この三人が同じ席にこうして腰を下ろすなんてさー。本当は昨夜の予定だったけど」

 

「仕方がないだろう。我々が緊急時に動くのは当然のことだ。──それにしても、因果なものだ。結局俺たちは教師という道を選んだんだからな」

 

「よせ。そんな話をしても何も意味がない」

 

「もう、サエちゃん。そんな釣れないことを言わないでよー」

 

 オレの想像は的中していたようだ。三人は知己の仲だと考えて良いだろう。

 先生たちはグラスを掲げ、

 

「「「乾杯」」」

 

 カツン、という音が小さく鳴った。

 遠目から覗いていると、グラスの中の液体の色が違うことに気付く。考えてみれば当たり前だが、自分が好きなものを頼むか。

 未成年のオレは何が何だかさっぱり分からないし、何故、大人たちが酒を愛するのか分からないが、取り敢えずあと数年は待とうと思う。

 未成年飲酒して退学、なんて嫌すぎる。

 先生たちは(あお)ると──星乃宮先生の飲みっぷりが凄まじい。女性とは思えない──ゆっくりと酔い始めていく。

 

「私たちももうかなりの歳かぁ〜」

 

「そうだな。月日の経過とは早いものだとここ最近は特に思う」

 

「真嶋くんは結婚とかしないの〜?」

 

「さて、な……」

 

「もう、誤魔化さなくても良いじゃない。私この前見ちゃったんだから。この前デートしてたでしょ? あれは新しい彼女?」

 

「驚いた……見ていたのか……」

 

 そう言った真嶋先生だが、驚いている風には見えなかった。とはいえ、こちらからでは表情が見えないため何とも言えないが。

 

「でも意外だよね。真嶋くんって、朴念仁っぽいのにさ、結構移り気だよね」

 

「……」

 

「あれ、黙っちゃう?」

 

 けらけらと星乃宮先生は笑った。

 すっかりと酒の肴にされている真嶋先生がちょっとばかり可哀想だと思わなくもない。

 真嶋先生は硬い声で、

 

「星乃宮、お前こそ前の男はどうした?」

 

「おっと、そう来たか〜。──あはは。二週間で別れちゃった」

 

「そうか……」

 

 すると、今まで無言だった茶柱が。

 

「こいつは深い関係になると一気に冷めるタイプだからな。その男も可哀想に」

 

「むっ、サエちゃんそれは言い過ぎだよ。ほら、こういう恋愛ってさ、過程こそが一番楽しいと思うんだよね〜。こう、どきどきしてさ〜……けど付き合ったらそのどきどきも無くなっちゃうでしょ?」

 

「ほんとうにお前はタチが悪いな……」

 

 呆れるように言った。

 好機とみた真嶋先生も茶柱に加勢する。

 

「茶柱の言う通りだ。そういう台詞は普通、男が言うことなんだがな」

 

「おっと、真嶋くんも敵になるか。残念、これだと真嶋くんとはやれないね〜。まあ、やる気ないけど〜。私たちはベストフレンドだし、関係悪くしたくないでしょ?」

 

「安心しろ、それだけはない。それに教員同士が付き合うなど問題以外の何物でもないだろう」

 

「相変わらず堅物だな〜」

 

 先生たちの飲み会は続く。

 自分たちの最近の出来事──茶柱は殆ど口を挟まず、聞き手に徹していた──を語り終えた後は、必然的に、勤め先に話題がシフトしていった。

 

「それにしてもさ、今年の一年生の子たちは曲者というか、特殊な子が多いわよね〜。坂柳(さかやなぎ)さんとかどうなの?」

 

「知っての通り非常に優秀だ。理事長の娘という色眼鏡(いろめがね)ではなるべく視たくないが……やはり、優秀さは引き継いでいるのだろう」  

 

「私時々、あの二人が本当に親娘(おやこ)かと時々疑ってるのよね。ほら、性格が真反対じゃない? 似ても似つかないっていうか」

 

「なら父君ではなく母君の遺伝子を多く引き継いでいるのだろう。──星乃宮のBクラスは安泰だな」 

 

「うん、みんな良い子。特に一之瀬(いちのせ)さんは素晴らしいわ。頭は良いし、性格は良いし、何より、とても可愛いもの!」

 

 星乃宮先生は、一之瀬のことをかなり気に入っているようで、その後も数分に渡って彼女の魅力を語った。

 聖職者といえど教師は人間。当然好き嫌いはあるし、どうしても比較してしまうもの。プライベートな場所だからこそ、このような会話がゆるされるのだろう。

 

「サエちゃんはどう? クラスの子とちゃんと仲良くしている?」

 

「私は……」

 

「あっ、ごめんね〜。サエちゃんには難しいかあ」

 

「喧嘩を売っているのか、お前は」   

 

「まっさかぁ〜? 別に、さっきの意趣返しだとか思ってないしぃ?」

 

「だが星乃宮が言っていることもあながち間違ってはないだろうな。あまり言いたくないが、茶柱、お前のクラスは問題行動を起こしすぎだ」

 

「そうそう。まだ一学期なのに、ある意味凄いよね。一点の分野だけ見れば光っているんだけど、それ以外がなあ……」

 

「……と、言われてもな。あいつらは私の言葉など聞かないさ。私は嫌われているからな」

 

 茶柱はグラスを持ち自嘲した。

 すると、星乃宮先生がくすくすと可笑しそうに笑う。 

 

「けど実際面白いよね。今年の一年生は良くも悪くも豊作と凶作のバランスが保たれているし。──真嶋くんのクラスが勝つのか。私のクラスが勝つのか。坂上先生のクラスが勝つのか。サエちゃんのクラスが勝つのか。正直言うとね、全然予想出来ないよ。今回の干支試験もそう。結果がどうなるのか楽しみ」

 

「……そうだな。だが俺たちに出来ることはない。教え子たちの奮闘を見守り、必要とあらば守る。これが俺たちの使命だ」

 

「うふふ。真嶋くんのそういう熱いところ、私嫌いじゃないよ」

 

「だから俺はお前に聞こう。星乃宮、どうして一之瀬帆波(ほなみ)を『竜』グループに入れなかった?」

 

「それは私も気になっていた。通例では『竜』グループは各クラスの代表を担任が選び、配属させる。だがBクラス代表の一之瀬は居ない」

 

 オレたち生徒の推測通り、『竜』グループの構成メンバーだけは意図的に成り立っていたようだ。

 真嶋先生と茶柱はじっと星乃宮先生を見つめる。観念したように、やがて彼女は言った。

 

「一応弁明するとね、巫山戯(ふざけ)ているわけじゃないのよ? 確かに二人の言う通り、生活態度や学業の成績だけを見れば、一之瀬さんはBクラスの中で一番で、他の子の追随を許していないわ」

 

「──だったら何故?」

 

「話は最後まで聞こうよ、サエちゃん。──いま言ったように、一之瀬さんは優秀よ。けれどそれだけで社会で活躍出来るとは限らない。むしろその逆、数値じゃ測れない『何か』に本質があると思うのよね。だから私は一之瀬さんを『竜』グループから外したの。驕ることなく学び、成長して欲しいと思ったのよね」

 

「なるほどな……一理ある」

 

 真嶋先生は納得したが、しかし、茶柱はそうは思わなかったようだ。

 

「尤もらしいことを言って誤魔化そうとしたって、そうはいかないぞ」

 

「目、目が怖いよサエちゃん!」

 

 笑顔笑顔! と星乃宮先生は言うが、茶柱は彼女の言葉を無視する。

 

「お前が一之瀬を外した理由、他に理由があるんじゃないのか」

 

「もう、何を言ってるの?」

 

 首を傾げる親友に、彼女はさらに言葉を続けた。

 

「率直に聞こう。チエ、お前は私への個人的恨みで判断を誤ったのではないのか?」

 

「あはは。サエちゃんのそういうところ、私好きだなあ。嘘を嫌い、単刀直入に聞くのって難しいもんね」

 

「……早く答えろ」

 

「十年前のあの事を言っているなら、見当違いにも程があるよ。とっくの昔に水に流したって〜」

 

 星乃宮先生の表情は終始変わらない。

 対して、覗いた茶柱の横顔は見たことがないくらいに張り詰めていた。

 

「……どうだかな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうだろう?」

 

 その質問に星乃宮先生は答えなかった。茶柱も畳み掛けるようなことはしない。

 オレが想像している以上に、彼女たちの関係はとても複雑なのだろう。

 そろそろと退散しようと思ったその時、星乃宮先生は追加のアルコールを注文し、そして一気に飲み干した。

 

「ぷはぁー。でも二人とも、確かに私の行動は良くないかもだけどさ、坂上先生も問題じゃない?」

 

「坂上先生がか?」

 

「うん。龍園くんは『竜』グループじゃないでしょ。ううん、龍園くんだけじゃない。他の子も『竜』グループにはとてもじゃないけど適していないと思うなあ……」

 

「だが龍園はCクラスを支配している。彼が選ばれても可笑しくはないだろう。それと、後者の発言は聞かなかったことにする」

 

 そして真嶋先生は厳しい口調で不満げな星乃宮先生を窘める。

 

「兎にも角にも、規則ではないがモラルは守ってくれないか。同期の失態を上に報告したくない」

 

「はーい、流石、学年主任の言葉は違う〜」

 

 反省しているようには露ほども見られないが、真嶋先生は諦めたのか、それ以上叱責することはなかった。

 そこからはまた取り留めのない雑談に戻っていく。

 今後こそオレは立ち去ることにした。短い時間のつもりだったが、すっかりと長居してしまった。

 だが三人の人柄を知ることが出来た。何より、一之瀬の『兎』グループへの配属の理由も分かった。堀北(ほりきた)の忠告通り、星乃宮先生はオレを警戒しているのだろう。それがクラス闘争を思ってのことか、あるいは、茶柱が言ったように私怨(しえん)なのかは分からないが……ともあれ、収穫はあった。

 気配を殺してオレは移動し、そのままエレベーターに直行。屋上に上る。

 外に出ると、満天の星空がオレを出迎えた。

 

「改めて見ると……凄いな……」

 

 フェンスに近付いたオレは、顔を見上げて星々を眺める。天の川が夜空を流れている。格別輝いているのはあれは夏の大三角形だろうか。

 船外のデッキは静寂に包まれていた。今日来て良かったとつくづく思う。

 懐から携帯端末を取りだし、ナイトモードで写真を数枚撮る。画質はやや悪いが、携帯ではこれが限界なのだと妥協する。佐倉(さくら)王美雨(みーちゃん)に後日送ろう。

 近くのベンチに腰を下ろし、ぼんやりと時間を過ごす。たまにはこんな日があっても良いだろう。

 どれだけの時間を過ごしただろうか。不意に視界が遮られた。

 

「こんばんは、綾小路くん」

 

 振り向けば、椎名(しいな)が微笑を浮かべてそこに居た。会う約束はしていない。だが彼女はここに居る。まず間違いなく、オレの端末が発信しているGPSから位置情報を割り出したのだろう。

 私服姿の彼女は純白のワンピースを着ていた。彼女にとても似合っている。月光も相まって、一瞬、妖精かと錯覚したほどだ。

 取り敢えず、オレも挨拶を返す。

 

「こんばんは、椎名」

 

「お隣、良いですか?」

 

「ああ、もちろん」

 

 ありがとうございますと言ってから、彼女はオレの左隣に座った。

 手を少し伸ばせば届く距離に居る。ちらりと横顔を見れば彼女の端正な顔がすぐ近くにある。

 オレは高鳴る胸の鼓動を抑えようと試みるが、むしろ、時間の経過とともに高まるばかりだ。

 オレが悶々としていることに彼女は気付かない。ぽつりと言葉を漏らす。

 

「……どうして()いに来たのか聞かないんですか?」

 

「……聞いて欲しいのか?」

 

「もう、質問を質問で返さないで下さい」

 

 反射的に謝ろうと口を開きかけるが、

 

「──あなたに無性に逢いたかったんです。だから逢いに来ました。どうしても誰も居ない二人きりの時間が欲しかったんです」

 

 発せられた言葉で半開きにしてしまう。

 

「ごめんなさい、迷惑でしたね。せっかくの天体観測を邪魔してしまって……」

 

「そんなことはない。オレも一人は寂しいと思っていたところだ」

 

「……そう言って頂けると嬉しいです」

 

 椎名は綺麗に微笑む。

 あまりにも美しいものだから()せられてしまう。

 彼女はオレから視線を外し、虚空を凝視した。目を細め、拳を強く握り締めている。

 何かを言おうと葛藤しているのが伝わってくる。

 オレはただじっと待っていた。

 程なくして、彼女はおもむろに言葉を紡ぐ。

 

「昨夜の騒動は龍園くんの暴走──多くのひとたちが、そう思っていると思います。ですが真実は違います。龍園くんではなく、私の暴走です」

 

 一言一言を噛み締めるように、ゆっくりと独白を続ける。自分の罪を受け入れるかのように。

 

「龍園くんや、噂に聞くと坂柳さんも、他者を傷付けることを(いと)いません。いいえ、彼らだけじゃありませんね。多くの方が、潜在的に持っていると思います」

 

「……そうだろうな」

 

「私は争い事が好きではありません。相手が傷付くのも嫌ですし、自分が傷付くのも嫌です。──しかし、自分の目的の為なら、手段を選ばず、卑劣な手を使っても構わないとも思っています」

 

「オレも同じだ」

 

 例えば龍園の常套手段である『暴力』。 

 有りか無しかと聞かれたら、オレは逡巡の後に『有り』だと答えるだろう。

 横に居る彼女も同じ考えの持ち主だったようだ。

 

「今回の干支試験、私は、龍園くんに力を貸しました。そして十二人の『優待者』を彼と共に暴きました。()()()()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()。たとえそれが、自分勝手なエゴなものだったとしても」

 

「そこまでしたお前の願いは何なんだ?」

 

「あなたです、綾小路くん」

 

 即答された。椎名は姿勢を変え、背筋を伸ばし、真っ直ぐとオレを見る。

 

「綾小路くんの事情はある程度知っています。担任の茶柱先生から脅迫されていること。そしてこの夏休みでの特別試験で『結果』を残さないといけないことも」

 

 長期休暇に入る前、彼女と『王』の二人だけにはオレの事情を伝えていた。

 

「だが椎名は事前にオレに教えてくれただろう。特別試験に参加し、龍園に協力することを」

 

 無人島試験が終わったその日の夜、彼女は確かにオレに教えてくれた。その必要はなかったのにも関わらずだ。

 ところが、椎名は首を横に振った。

 

「……打算的なものです。そうすれば罪悪感も薄くなると思いました」

 

「感じているのか?」

 

「……はい。でも今は違います。最初は罪悪感を感じました。でも、でもいまは……あなたに嫌われると思うと身体が、こころが震えるんです」

 

「…………」

 

「あなたの複雑な立場を知っていながら、私は、わたしは────」

 

「もう良い」

 

 これ以上の少女の慟哭を聞きたくなかった。いまにも泣きそうな彼女の顔を見ていたくなかった。

 だからオレはこの名前の知らない感情に従い、椎名を抱き締めた。華奢な身体をオレの身体で包み込む。

 

「あ、綾小路くん──」

 

「嫌うはずがないだろう」

 

「……ッ!?」

 

 びくんと震える。

 オレは少女を抱き締める力を強くした。彼女がどこかに行かないように、力強く。

 

「お前が謝ることは一つもない。むしろ謝るのはオレの方だ」

 

 ここまで椎名が思い詰めるとは思っていなかった。

 いや、これはただの醜い言い訳だな。

 

「オレの厄介事に巻き込んでしまって済まない。本当ならお前は平和な生活を送れたのにな……」

 

「……確かにそうかもしれません。本の虫の私は毎日のように図書室に通っていたでしょう」

 

 でも、と彼女は一度言葉を区切る。

 そして顔を仰がせて言った。

 

「でも私は独りでした。もしかしたらあなたと逢うこともなく、三年間を過ごしていたかもしれません。それは……、それは嫌です」

 

「……オレも嫌だな、そんな三年間は」

 

 とてもつまらないものだ──そこまで思ったところで、オレは胸中で苦笑を禁じ得なかった。

 平凡で、平和な生活を送ることがオレの望みだった。少なくとも入学当初は、そう、思っていたはずだ。だから仮初の自分を偽り、擬態(ぎたい)しようとした。偽りの都合の良い『綾小路清隆(キャラクター)』を創造し、集団に馴染もうとした。

 だがしかし、現在、この考えが変わりつつあるのをオレは自覚する。

 そしてその要因は一目瞭然だ。

 目を落とせば、少女はオレの胸板に縋り付いていた。

 この胸の中に居る彼女を手放したくないと。誰かに渡したくないと強く思う。

 

 ──それはオレが生まれて初めて手に入れた『感情』だった。

 

 数分、あるいは数時間。

 オレと椎名はずっと互いのぬくもりを感じていた。

 

 

 

§

 

 

 ──嗚呼。

 

 

 ────だが何故、オレは自分の顔を見たくないと思うのだろうか。

 

 

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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