小さな世界から抜け出し、どこまでも、それこそ地平線の
他者に縛られることなく、監視されることもなく、自由気ままに平凡な生活を送りたいと。
そう、思っていた。
──そして自由の翼を得たオレは、初めて、人生を
初めて体験すること。初めて見るもの。外界は『未知』で満ちていて、オレはその一つを知る度に喜びを感じていた。それはきっと、学習していることが実感出来るからだろう。
だが着実にタイムリミットは迫っている。刻々と、まるでいたぶるかのように。オレを壁に押し込み、逃げ道を塞いでいく。
茶柱のあの発言が嘘か誠か、それは重要じゃない。『あの男』なら、強引な手に出ても何ら可笑しくはないのだ。それこそ、直接学校に押し入り、オレを『あの場所』に戻そうとしてもオレは驚きはしない。とはいえ、こちらに関しては対策は出来ている。
入学当初のオレは、目立たず、普通の生活を送りたいと思っていた。
しかしこの考えは徐々に変わりつつある。入学したての頃は、平和で平凡な生活で満足していた。ところが、学校に通うようになってわずか数ヶ月で、オレは『平和で平凡な生活』では満足出来ないようになった。
もしかしたら、自分は変われるのではないかと。自分の抱えている深い『闇』が消滅し、『光』が射し込むのではないかと。
そうなれたらどんなに良いか。
この『闇』が消滅などすることはない。この虚無がなくなるなど有り得ない。何故ならそれは──。
「ひゃ……くっ!」
──大きな声が泥沼に陥ろうとしたオレの思考を中断させる。
オレは軽く
数少ない友人の一人、
干支試験、三日目の今日は休息日。とはいえ、殆どの生徒は試験が終了しているが。
指定場所は地下二階で、そこの一角には簡易的ながらもスポーツジムが備わっていた。もはや何でもありだと、須藤から聞かされた時は思ったものだが、日本政府が直接この豪華客船の制作に関わっているのだから、考えてみれば当然かもしれない。
そして現在、須藤は日課である筋力トレーニングを行っている。オレはベンチに座り、見学していた。
「百四十九! ひゃく……ごじゅうッ! ハア……ハァ……これで二セット目が終わりだぜ……」
脱力し、床に激突する。
オレは「ひんやりして気持ちいいぜ……」と言っている友人に労いの言葉を掛けた。
「お疲れ」
仰向きで肩を上下させている須藤に、用意していたスポーツドリンクを手渡す。
彼は「あんがとよ……」と言ってから、ペットボトルの蓋を外し一気に
「ぷはぁー! 美味え!」
「それは良かった」
「まじで生き返るぜ!」
もう一度、呷る。
ごくごくと喉を鳴らしながら勢いよく飲んでいき、とうとう、満タンだった容器はすぐになくなり空になった。
そこでようやく須藤は上半身を起こした。
「ほら、これを使え」
言いながら、純白のフェイスタオルを放る。
須藤は右手で難なくキャッチすると、そのまま顔全体に流れる汗を押し当てた。そしてごしごしと拭き取る。
しかし汗はいくら拭き取っても流れ出る。念の為用意しておいたもう一枚のタオルを放った。
「二枚目だ」
「悪いな、
「礼は良い。それよりもちゃんと拭き取れよ。風邪でも引いたら大変だ」
「わーってるよ」
全く、お前は俺の母親かよ……そんなことをぶつぶつ呟きながらも、須藤は素直に従った。
アスリートを目指す者としての意識が彼の中に芽生え始めているのだろう。少なくとも、昔の彼なら一言くらいは何か言いそうだ。
「よし、休憩するか」
近くに置いていた、学校指定のジャージ──赤と白の色で構成されている──の上着を
「悪いな、急に誘っちまってよ」
「全然大丈夫だ。特に予定もないしな」
「清隆……反応に困る自虐はやめてくれ」
と言われても、事実なのだから仕方がない。
友人が居ないわけではない。Dクラスだけでも、隣に居る須藤や平田、
少し考えただけでもこんなにも居るのだ。改めて考えてみても、オレは恵まれているだろう。
だがしかし、これとそれとでは些か話が変わってくる。
オレは葛藤の末、須藤に告白することにした。
「
「な、何だよ。急に神妙な顔になって」
「……お前、『神妙』なんて言葉を知っていたんだな」
「ぶっ飛ばすぞ」
引き
しまった、思ったことをそのまま口に出してしまった。
オレが謝罪すると彼は嘆息して、
「はぁ──。俺は時々、お前が怖い時があるぜ」
「……そうなのか。ちなみに、どこら辺か聞いても良いか?」
「変に恐れを知らないところだな」
千秋も似たようなことを言っていたな。
どうやら須藤に指摘されるほどのもののようだ。これからは気を付けよう。
「そんで? さっきの話に戻るが、何か悩みでもあるのか?」
「ああ……実はな、遊びの誘い方が分からないんだ」
「…………は?」
友人はオレの告白にぽかんと口を開け、文字通り固まった。
須藤がこのような反応をしていることから、普通の人間にとってはオレの悩みは『悩み』に該当しないのだろう。
だがしかし、もう一度言うが、それは普通の人間ならだ。生憎とこれまでの人生、オレは『普通』からは程遠い生活を送ってきた。
だからオレは分からないし、知らない。
これまでひとを呼べたのはそれが必要なことだったからだ。それは相手にとっても同じで、それを誘う口実にしてきたに過ぎない。
そんなことをある程度
「清隆……お前、俺以上に馬鹿だな」
そして再度ため息を吐く。呆れているのが表情から一目瞭然だ。
思うことがないわけではなかったが、オレは黙って彼の言葉を待つ。
「ダチを遊びに誘うのに理由なんて要らないだろ」
あっけらかんと須藤は言った。
「お前のことだ、どうせ、もし向こうに用事があったらどうしようかとか思ってんだろ?」
図星だった。
オレが言葉に詰まっていると、須藤はさらに続けてこのように言った。
「相手の事情なんて考えるなよ。もし都合が悪かったら何か言ってくるぜ」
「……でも急に誘ったら迷惑じゃないか?」
「だから、そうだったら言ってくるって言ってんだろ。……もしかしてお前、擦れ違いでダチが消えるのが怖いのか? もしそうなったら、そいつはお前とダチじゃなかったってことだ」
「そんな暴論な……」
「でもそうだろ?」
真っ直ぐな瞳がオレを射抜く。
「薄々感じていたけどよ、お前は対人能力に関しては俺以上に全然駄目だな。こんな俺にも、これまでの人生、ダチの一人や二人はいたぜ? なのにお前は、まるではじめてのようだ」
「はじめて、か……」
須藤は頷き、
「ああ、なんっつーのかな。そうだ、例えるとこれだぜ」
そう言って手で指したのは、首に掛けていたタオル。純白のそれは真っ白で、空白だ。
そしてオレは驚愕した。
須藤健の野性的な『勘』を甘く見ていたわけではない。だがここまでだとは、想像の遥か上だった。
「もうちょっと勇気を出しても良いんじゃねえのか?」
「……そうだな。自分でも考えてみる」
「おう! そんでもって、俺を誘ってくれ!」
バシン! と須藤は俺の背中を強く叩いた。そしてにかっと笑う。
ほんと、あの不良少年がここまで変わるなんてな。
「よし、再開するか。清隆も一緒にどうだ?」
「そうだな。悪いが──」
断ろうとし、オレは踏みとどまった。
刹那の思考の末、オレは返事を待っている友人に言う。
「……せっかくだ、オレもやる」
「おっ、そうか!」
「ちょっと待っててくれ。受付に行ってくる」
確か申請すれば、スポーツウェアの貸し出しが可能だったはずだ。ついでにタオルやスポーツドリンクも用意するとしよう。
ベンチから立ち上がり、オレは一旦須藤と別れる。
叩かれた背中は未だに痛んでいたが、どうしてか、決して嫌ではなかった。
氏名:須藤健
クラス:一年D組
部活動:バスケットボール部
誕生日:十月五日
─評価─
学力:E
知性:E
判断力 :D+
身体能力:A+
協調性:D
─面接官からのコメント─
学力、生活態度共に多々問題があり、入試結果では学年最下位を記録した。なお、この試験結果は当校設立以来のワーストであり、Dクラス配属以外に検討の余地はないだろう。ただし、スポーツ、特にバスケットボールの技量に於いては中学生の段階から高校生級と判断されており、身体の土台が作られているのを見た時は正直驚いた。当校は本年度よりスポーツ分野にさらなる力を入れていくが、彼の存在は生徒に大きな影響を与える……かもしれない。精神面での成長を強く求める。
─担任のコメント─
入学当初は一匹狼でした。特に生徒間でのトラブルは日常茶飯事であり、頭を悩ませていました。最初は池寛治、山内春樹、また、綾小路清隆とよく行動を共にしており、クラスの中心的人物である平田洋介と一方的ながらも対立していました。しかし、中間試験の際、クラスメイトである堀北鈴音の勉強会に参加し、心変わりがあったようです。見事中間試験を乗り越えたあとは、真面目に授業を受けるようになりました。
七月に起こった『暴力事件』では渦中の人物として騒ぎを起こします。しかし、自分の無実を証明するため、堀北鈴音、櫛田桔梗、平田洋介らクラスメイトと行動をすることにより、他者との協力が必要なことを学んだようです。結果、Cクラスの訴えの取り下げにより、事実上の勝利を獲得するに至りました。
無人島試験では、率先して自分が出来ることを行い、Dクラスに貢献していました。また意外にも、彼が争いを諌める場面もありました。
現在は将来の夢である、バスケットボールのプロを目指して部活動に熱心に励んでいます。生徒間のトラブルもなくなり、本当に良かったです。
この一学期、最も成長したのは間違いなく彼であると、私は確信しています。
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
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綾小路清隆
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堀北鈴音
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平田洋介
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櫛田桔梗
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須藤健
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松下千秋
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王美雨
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池寛治
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山内春樹
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高円寺六助
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軽井沢恵
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佐倉愛里
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上記以外の生徒