夏休みも残り数日となり、二学期が着実に迫りつつあった。中には出された膨大な課題の数に絶望している生徒も居るだろうが、幸いな事にオレは既に終わらせている。それ故にオレは何も慌てることなくこの夏休みという期間を最大限に楽しんでいた。
今日は特にやる事もなかった為、一日を寮の自室で過ごしていた。最近は色々と慌ただしかった為、久し振りにゆっくり出来たと言えよう。とはいえ、それは自分一人で出来たものではない。
オレはちらりと、真横に座っている少女に視線を送る。読み始めてから既に二時間程が経っているが、相変わらず凄まじい集中力だ。まるで彫刻のように微塵も動かず、意識は本の世界へ向かっている。
最近は
出会った当時は別々の本を読んでいたが、最近は同じ本を読む事が増えてきていた。彼女が用意してくれた本を読んだあと、感想や解釈を語り合うのがすっかり日課になっていた。
「そろそろ晩御飯にしようか」
無音の室内に、オレの声が響く。しかし椎名には届かなかったようだった。それを証明するかのように、数秒後、本の
オレは小さく溜息を吐くと、彼女の左肩をゆっくりと揺さぶった。
「椎名、そろそろ戻ってきてくれ。御飯の時間だぞ」
そう声を掛けてようやく、彼女の意識は本の世界から現実へと戻ったようだった。ぱちくりと一、二回瞬きすると同時、徐々に瞳に光が灯る。
「……ごめんなさい、すっかりと没頭していました。今は何時でしょうか?」
無言で携帯端末を
現在時刻は十七時三十分を過ぎている。真夏の夜はまだ明るく夕方だと錯覚しそうだが、そろそろ夕食の準備をしても良い頃合だろう。
「もうこんな時間なんですね。てっきり十四時くらいだと思っていました……」
「いや、それはないからな。それに、お前が読み始めたのは十五時過ぎからだっただろう」
「……ふむ、確かにそうですね」
天然少女の発言に苦笑いしつつ、オレはゆっくりと立ち上がった。随分と長い間
「椎名、今日は何を作りたい?」
手を貸しながら尋ねると、彼女はそれを笑顔で受け取りながら「ふむ」と声を漏らした。
「確か卵はまだありましたよね。もしそうなら、玉子焼きを作りたいです」
「分かった。なら、そうしようか。ただ前回は一緒に作ったからな、今回は一人で作ってみると良い」
「……が、頑張ります」
「そんなに気負う必要はないさ。一人、と言ってもオレはすぐ近くに居るから何かあれば遠慮なく声を掛けてくれ」
そう言うと、椎名は安堵したようにほっと息を吐いた。
椎名は料理が得意ではない。この学校に入学するまでの料理経験は家庭科での調理実習しかなかったそうだ。果たして、それを経験値に数えて良いのかは甚だ疑問だが、大半の生徒はそうなのではないだろうか。何故なら家には料理を作ってくれる家族が居り、まだ子供である彼らは時間になれば料理が出されると甘えていたのだ。
だが、この学校に入学するにあたって、その甘えは一切通じなくなる。何故ならこの学校は寮制であり、生活には全て自分一人に責任が掛かるからだ。食事、洗濯、掃除にゴミ出しといったありとあらゆる所まで、自分一人で対応しなければならない。恐らく、殆どの生徒はこの現実に直面してから初めて親の有難みを実感しただろう。
椎名もその一人だった。これまでの人生に於いて、本にしか特に興味を示してこなかった彼女は生活能力が皆無に等しかった。とはいえ、生来の真面目さと勤勉さで殆どは自分一人で解決してみせた。
だが、その彼女でさえも難しいものがあった。それこそが料理である。聞く所によると、一学期の間はコンビニ弁当や食堂で済ませる事が大半だったのだそうだ。彼女だけでなく、料理が出来ない殆どの生徒はそのようにしていただろう。事実オレも昼食はそのようにしているから。だがしかし、それがほぼ毎食だと話は違ってくる。食堂ならまだしも、コンビニ弁当は化学調味料の塊と言っても過言ではない。その過剰摂取が身体に悪いのは少し考えれば分かる事だ。
その考えは彼女の友人の一人、
「それにしても、少々意外でした」
「何がだ?」
「失礼かもしれませんが──伊吹さんもそうですが──綾小路くんも私と同類だと思っていましたから」
台所に向かいながら、椎名がそんな事を言う。
そして、その推測は間違っていない。伊吹は知らないが、少なくともオレは、これまでの人生に於いて料理などした事なかった。
訂正すると、『知識』としては知っている。包丁の握り方や使い方、様々な調理方法も知ってはいる。だがそれはあくまでも『知識』であり、実体験に基づいた理論ではない。
とはいえ、それはあくまでもこの学校に入学するまでの話。クラスの隣人が毎日弁当を持ってきている為興味を持ったオレは、何度か料理をした事がある。そして人並みにまで料理が出来ると判断した時、オレは、『手間を掛けるくらいなら料理は積極的にしなくても良い』という結論を出していた。それ以降は気紛れで料理をしていたのだった。
それ故に、彼女の推測は何も間違っていない。だが今更真実を白状するのも格好悪い。
見栄を張った事を後悔しつつ、オレはクルージング旅行が終わった後、数日部屋にこもって料理の腕を磨いていた。その結果、自分で言うのも何だが、人並みレベルからは脱却していると思う。無論、クラスの隣人の腕には遠く及ばないが料理素人に教えるくらいなら出来るまでに成長したのだ。
「今日こそは
むんっ、と気合を入れる椎名。どうやら以前作った時に黒焦げとなってしまった事をまだ引き摺っているようだ。まだ数える程しかこの勉強会は開いていない為そんなに気にする事ではないと思うが、本人のやる気に水を差す必要もわざわざないだろう。
だが、ここで一つのアクシデントが発生した。
調理道具と具材を揃え、まずは手を洗おうと水道の蛇口を捻るも水が出ないのだ。
「どうしましょう、綾小路くん」
そう言って、椎名は不安な表情を浮かべる。彼女の代わりに今度はオレが蛇口を捻るも、いくら捻った所で何も出なかった。ますます表情を曇らせる彼女に「大丈夫だ」と声を掛けつつ、オレは原因を考えた。
最後に使ったのは昼過ぎだった筈だ。その時はいつもと同じように出ていたのを覚えている。確かに出ていたものが、今は出ていない。オレたちが壊してしまった可能性もあるが、それは限りなく低いだろう。
そうなると、原因はもっと別の所にある筈だ。オレは携帯端末を手に取ると、友人たちに片っ端からチャットを送った。その内容は、寮の水道がちゃんと出るのかというもの。
程なくして、オレのメールに気付き、確認出来る状況にあった数人の生徒から返信が来る。その答えはいずれも、オレの予想したものであった。
「今他の友人に確認したが、彼らも使えなかったみたいだ」
「そうですか……。あっ、私にも伊吹さんからメールが着ていますね。彼女も使えないようです」
不特定多数の生徒が使えない。一応他学年の生徒にもメールを送ると、すぐに
恐らく、水道局に何らかのトラブルがあったのだろう。
数分後、オレの予想は的中する事になる。オレと椎名の携帯端末が同時に鳴り、確認すると、学校から一件のメールが着信されていた。その内容を
「これは……困りましたね……」
そうだな、とオレは頷いた。
一応学校側もフォローはするつもりのようで、一度に2リットル以上の水が必要な場合は食堂で配って貰えるようだ。
しかし、注意事項も同時に記載されている。まず食堂での水の支給は早い者勝ちであるという事が書かれていた。これは仕方のない事だろう。学校としてもこの事態は突発的なもの。寧ろここまで迅速な対応をしてくれるだけで有難い。また、大混雑が予想されるコンビニエンスストアは余程の緊急時を除き一時利用不可となった。そして、ケヤキモールには無料で利用出来るミネラルウォーターが何台か設置されているが、通常利用は認めるもののボトルなどに入れて持ち帰る行為は禁止とされていた。
最大の問題点はトイレだろう。タンクに水が貯蔵されているとはいえ、使えるのはたったの一回のみ。頻回にトイレに行く習慣のある生徒がもし居たら、ゾッとしているのではないだろうか。
「どうしましょう、綾小路くん」
先程と同じ台詞を口にする、椎名。
「……そうだな。取り敢えず、椎名には悪いが今日の勉強会は中止だな。まずは食堂に降りて水を確保しよう」
「それには私も同じ意見です。メールにも書いてありましたが、早い者勝ちですからね。今こうして話している間にも誰かが押し掛けているかもしれません」
「それで肝心の晩御飯だが。ケヤキモールで適当に済ませようと思うが、それで良いか?」
「ええ……大丈夫です。私もそれが最善だと思いますから」
水の要らない料理は幾つかあるが、片付けが面倒になる。支給される水をその用途に使うのは勿体ないだろう。
用意した調理器具と具材を片付ける。椎名の表情が残念そうに見えるのは気の所為ではないだろう。それだけこの勉強会を楽しみにしてくれていると思えばオレとしても嬉しいものだ。
「また今度誘うから、その時に作ろう」
気が付けばオレの口はそう動いていた。
そしてどうやら、オレの咄嗟の判断は正しかったようだった。それまでの曇っていた顔が嘘だったかのように晴れ渡り、笑顔を見せてくれる。
どこか照れ臭くなりながら身支度を整え、オレたちは部屋を出た。エレベーターを使って一階に降り、食堂に足を進める。
「やっぱり、すぐに来て良かったですね」
食堂には既に数十人ほどの列が出来ていた。確実に手に入れる為に急いできたのだろうか、中には息を切らしながら並んでいる生徒も居る。
最後尾に行くと、見知った生徒の背中があった。
「やあ、
そう言って爽やかな笑みを浮かべるのは、オレの数少ない友人である
彼はオレの隣に居る椎名に軽く会釈をすると、それ以上話す事はせず前を向こうとしたが、その彼にオレは声を掛けた。
「さっきは急にメールして悪かったな」
オレが友人たちに一斉送信したメールの中には、当然ながら平田も入っていた。
軽く謝罪をすると、平田は「とんでもない」と言った。
「寧ろ助かったよ。きみがあのメールを送ってくれるまで、僕は全然気付いていなかったからね」
「そうだったのか。それならあのメールにも意味はあったのかもしれないな」
それにしても、平田と直接会話をするのは随分と久し振りだ。最後に会ったのはクルージング旅行での船内だったかもしれない。
メールのやり取りはしていて何回か遊ぼうとは話題になっていたのだが、それは中々出来ずにいる。サッカー部の活動もそうだが、ただでさえ人気者の彼は予定がぎっしりと埋まっているようでフリーな日を探す方が難しいのだ。
オレが一人だったらこの後飯でもどうかと誘っていたかもしれないが、ここには椎名が居る。流石のオレも、それが最低な行為なのは分かっている為、その機会は次回になりそうだ。
「僕たちの分は問題なくありそうだけど……メールにも書かれていた通り、全員分はなさそうだね」
「そうだな。早い者勝ちだから仕方ないが」
そんな話をしている間にも、列はどんどん長くなっていった。そしてとうとう、一人の男性職員が立て札を持って最後尾に近付く。
「申し訳ございません。これ以上は水を支給出来ません」
一人の女子生徒が列に並んだ所で、その男性職員が声を張り上げた。立て札を置き、自身もその場に留まる。すぐに新たな希望者が現れるが、立て札を見て落胆しながら自室に戻る。中には何とか出来ないかと交渉する生徒もいたが、男性職員は一貫して首を縦に振らなかった。一度認めたら際限がないし、そもそも許容量に達しているのだから当然か。
「そう言えば清隆くん、知っているかい? 最近ケヤキモールに、有名な占い師さんが来ているそうだよ」
「あー……そんな噂、何回か聞いた事あるな。でも確かプライベートポイントを支払わないといけないんだろう?」
「まぁね。向こうも慈善活動じゃないから仕方ないと思うよ。とはいえ、僕たちは躊躇してしまうよね」
一般的なDクラスの生徒は貧乏生活を送っている。毎月に支給されるプライベートポイントは食事や生活用品に使われる為、入学当初のような豪勢な生活はとてもではないが出来ない。
だがオレは現在、額にして25万程のプライベートポイントを所持している。これは個人的な活動で手に入れた物であり、平田は知らない。あと数日もすれば特別試験の結果が反映され、ある程度纏まったクラスポイント並びにプライベートポイントが支給される為、それまでは適当に話を合わせる必要があるだろう。
「綾小路くんは興味がありますか?」
平田と話をしていると、それまで人形のように黙っていた椎名がそう尋ねてきた。
「興味があるかないかと聞かれたら、どちらかと言うと無いな。ただ機会があれば行っても良いかもしれないとは思っている」
優柔不断な答えを口にすると、彼女は「そうですか」と言った。それからおずおずと続ける。
「もし綾小路くんが良ければ、今度一緒に行きませんか?」
オレは少々意外に思った。てっきり椎名は、オレと同じように占いなんてものはあまり信じないタイプだと考えていたからだ。
そんな事を考えていると、平田が何故かニコニコしながら。
「良いじゃないか、清隆くん。僕が話を聞いた限りだと、占いは二人一組で行かないとやって貰えないみたいだよ」
そうなのか、と相槌を打ちつつも疑問に思う。オレのイメージでは、占いは一対一でやって貰うものだと思っていたからだ。
「それなら、明日──は、悪い、用事があった。
誘い返すと、椎名は「はいっ」と笑顔を見せた。
それから数分後、とうとうオレたちの番がやってくる。
「それじゃあ清隆くん、また会おう」
「ああ、またな」
先に受け取った平田がそう別れの挨拶をしてくる。オレと椎名に見送られ、彼は食堂をあとにした。そしてすぐにオレたちの番となる。
水を受け取ったオレたちは一旦自室に戻る。流石に2リットルの水を持ち歩くのは疲れるからな。寮のロビーで合流したオレたちはそのままケヤキモールに向かった。
夕日は西に沈みつつあるものの、暑さはまだまだ続いている。これであと少しすれば季節としては秋になるのだから驚きだ。
ケヤキモールに到着したオレたちはそのまま適当な飲食店に入る。夕食を食べ終えたオレたちは、用事も特にない為すぐに帰路についた。
「もうすぐで二学期が始まりますね」
すぐ隣を歩く椎名が、ふと、そう呟いた。彼女は足を止めると、近くに設置されていたベンチに視線を送った。
「綾小路くん、もし良ければあそこでお話をしませんか」
「そうだな……たまにはそれも良いかもな。それにオレも、椎名には話があった所だ」
オレが了承の返事をすると、椎名は無言で微笑んだ。
しかしベンチに座っても、彼女は中々口を開けようとしなかった。沈黙と
夜空をぼんやりと眺め、過ぎ去る時間に身を委ねる。入学するまではたった一秒でさえ時間を浪費する事は許されなかったが、今ではこうして自分の好きなようにする事が出来る。その現実が、手に入れた自由が、あの真っ白な空間から出られてよかったと心を震わせる。
「椎名」
先に口を開けたのはオレだった。とはいえそれは、この時間に退屈を感じたからでも、彼女が中々話をしようとしなかったからではない。
ただオレから話をしたいと、そう思ったからだった。
「椎名」
今度は強く呼び掛ける。返事はなかったが、それに構わずオレは言葉を続けた。
「まだ確定じゃないが、オレは二学期から生徒会に入る予定だ。そして、副会長に就く」
長い沈黙の末、彼女はようやく口を開けた。
「そうですか……副会長になられるのですね。それにしても、かなり急に決まりましたね。驚きです」
「この前、堀北生徒会長から誘われたんだ。オレはその魅力的な提案に乗る事にした」
「なるほど。それはまた……他の皆さんも、大層驚くでしょうね。綾小路くん、人気者になれるかもしれませんよ」
面白そうに椎名はくすくすと笑った。
人気者になる
『暴力事件』の時以上に、オレという存在は他生徒から関心を集める事になるだろう。
その意味が分からない彼女ではない。
「私は……争い事が嫌いです」
「オレもだ」
「……そうですね。私も
どこか悲しそうに、椎名はそう言った。それから無言で満天の星空を見上げる。
「今から私が言う事は、貴方を縛り付ける事になるかもしれません。この言葉が呪いになって、貴方から『自由』を奪うかもしれません」
泣きそうな表情で、とても辛そうに少女は胸の内をさらけ出そうとしていた。
オレはそれを見詰めながら、場違いにも、それをどこか嬉しく思っていた。オレが彼女と出会った時は全く動かなかった顔が、今、様々な色を映している。
「それでも……それでも、私は──」
そしておもむろに、彼女はオレの方にふわりと風のように倒れ込んだ。オレの両膝に、彼女の頭が乗る。いつもオレがやって貰っている事を、今日はオレが彼女にそうしている。
「
椎名がオレの名前を呼ぶ。その言葉に込められた感情を、意味を、オレはまだ知らない。だがそれが何よりも純粋で、決して穢されてはならない尊い想いである事は伝わってきた。
そして、彼女は言った。
「私は貴方に──恋をしています」
生まれて初めて貰った、告白。生まれて初めて向けられた、愛情。
誰もが一度は、この儀式を想像するだろう。オレもそうだ。好きな相手と結ばれる事を夢想したのは一度や二度ではない。
オレはゆっくりと、静かに長く息を吐いた。先程までの彼女と同じように、どこまでも暗く、どこまでもあたたかい夜空を見詰める。雲一つない空に浮かぶ、とても綺麗な月。
「──」
徐々に上昇していく心拍数。視界は興奮によって
もし、もしも入学前のオレが今のオレを視たら何を思うのだろうか。羨望の眼差しを向けるのだろうか、それとも失望の眼差しを向けるのだろうか。この学校で得られたものは確かにあったのだと喜ぶのか、あるいは下らない一時の感情なのだと唾棄するのか。
それは、分からない。"IF"の話をしても時間の浪費でしかない。仮定の話だ。それは分かっている。それを分かっていながら、オレはそれを想像してしまう。
オレは瞬きを一回した。視界が鮮明になり、思考も正常になる。
そして、すぐ目の前に居る少女を見た。
美しい銀の長髪がカーテンとなり、互いの表情は見えない。
だが、それで良かったのかもしれない。オレも、そして彼女もそれを今は望んでいなかったからだ。
「──」
気が付けばオレは少女の頭に手を伸ばすと、ゆっくりと
「オレも、椎名の事は大事に思っている」
これが自分の声なのかと、一瞬、オレは自分自身を疑ってしまう。それだけ穏やかな声音だった。
機械のような冷たい『こころ』の持ち主でも、このように誰かを慈しむ事が出来るのかと、どこか他人事のように思う。
「薄々気付いているとは思うが、オレは少しばかり特殊な環境下で生まれて、そこで育ってきた」
この学校に来てから初めて明かす、オレの過去。その相手が彼女になるとは思いもしていなかった。
「家族や友達、人間ならあって然るべき人間関係と、オレは無縁だった。だから正直に言えば、困惑している」
びくりと、椎名は身体を震わせる。
だが──、とオレは手を止めることなく言葉を続けた。
「だがそれ以上に……そうだな──嬉しいとも思っている。すまない、この気持ちをどう表現すれば良いか分からない」
実に情けない話だが、オレは嘘偽ることなく本音を口にする。
「告白してくれて、ありがとう。多分、今日の事は生涯忘れないと思う。椎名が初めてで、本当に良かった」
そして、オレは言った。
「だが、すまない。返事はまだ出来そうにない。まだ、明確に答える訳には行かない」
それはきっと、とても残酷な言葉なのだと思う。
告白をしてくれた相手にする返事では断じてない。誠意を示せていない。あまりにも不誠実だ。
答えを態度では示しつつも、言葉では示さない最低な男。もし第三者がこの場に居れば、そのような感想を抱くのではないだろうか。
だが当事者であるオレの気持ちもまた、その第三者には分からないだろう。分かるのは自分自身と、彼女だけだ。
そうだ、第三者なんて関係ない。これはオレと彼女の物語だ。
「椎名が
オレはそれだけ言うと、口を閉ざした。瞳を閉ざし、その時を待つ。
どれだけの時が経ったのか、それは分からない。だが不意に、それまで膝に乗っていた重みが無くなった。
目を開けると、椎名は淡い微笑みをオレに向けていた。囁くように口を動かす。
「待っています。いつまでも、待っていますから。だからお願いです、綾小路くん。私はいつまでも貴方を待っていますから……どうか、どうか、居なくならないで下さい」
それが、椎名の望みならば──と、オレは短くもしっかりと首肯した。
「そろそろ、寮に戻ろうか」
オレがそう言うと、彼女は頷いた。
ベンチから立ち上がったオレは、寮のある方向へ身体を向けた。しかし足を動かす前に、「綾小路くん」と背中に声が掛かる。それはこれまでの中で、一番柔らかくて、優しい声だった。
まだ話し足りない事があるのかと、身体を振り向かせた、その時。
「──!」
オレは衝撃と驚愕のあまり、目を見開いた。
すぐ目の前には、椎名の美しい顔があった。だが、いつもよりも高い位置にある。恐らくは、いや、まず間違いなく背伸びをしているのだろう。何度も
そしてオレの唇は、彼女の柔らかい口で重ね合わされていた。
突然の出来事にオレは硬直するも、身体が拒否反応を示す事はなかった。それどころか気が付けば、両腕は彼女の背中に回っていて、彼女の華奢な身体を抱き寄せていたのだ。自然とオレの目は閉じ、この時間に身を委ねていた。
高校一年生、その真夏の夜。オレはこの日の出来事を絶対に忘れないだろう。
読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?
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綾小路清隆
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堀北鈴音
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平田洋介
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櫛田桔梗
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須藤健
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松下千秋
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王美雨
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池寛治
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山内春樹
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高円寺六助
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軽井沢恵
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佐倉愛里
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上記以外の生徒