ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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椎名ひよりの分岐点 Ⅰ

 

「ポイントが入らないって、これからどうすんだよ!」

 

「私昨日、残りのポイント全部使っちゃった……」

 

 放課後に椎名(しいな)と会うことを約束し、携帯端末から目を離す。その先では、Dクラスの生徒が絶望に染まった表情で悲嘆(ひたん)に暮れていた。

 酷い荒れようだと思うと同時にゾッとする。オレの残りのポイントは八万と少し。

 節約していなければオレも彼らの仲間入りを果たしていたかもしれない。

 ポイントに余裕がありそうな生徒は……堀北(ほりきた)平田(ひらた)櫛田(くしだ)といった人種か。

 

「ポイントよりもクラスの方が問題だ……! どうして俺がこのクラスに……!」

 

 幸村(ゆきむら)が憤怒の色に顔を染めて憤る。彼は眼鏡を掛けているだが、レンズ越しに窺える目はいつも以上に細められていた。残存ポイントには余裕がありそうだが、精神的にはなさそうだ。

 

「って言うか、Aクラスじゃないと望む所に行けないってマジ? そんなの聞いてないよ!」

 

「そうだよな! それに佐枝(さえ)ちゃんセンセーのあの変わり様……俺たちのこと、実は嫌いなんじゃ……」

 

 他の生徒たちも一様に混乱を隠せない。

 他のクラスだったらどのような景色が広がっているのだろうか。阿鼻叫喚(あびきょうかん)と化している教室内をぼんやりと眺めながら、そんなことを考える。

 とはいえ、絶対に起こる事は決まっている。

 それは集団である限り必ず起こる現象。

 即ち──先導者の登場だ。

 そしてことDクラスでは、その役割を果たせるのは一人しか居ない。

 

「皆、まずはいったん落ち着こう。いつまでも混乱してちゃダメだ」

 

 平田洋介(ようすけ)。現段階でクラスの纏め役を担えるのは彼だけだ。

 席から立ち上がり場の混乱を収めようとする先導者に、皆、期待の眼差しを向ける──()()()()()

 

「落ち着くってなんだよ。俺たちは茶柱(ちゃばしら)先生から『不良品』って真正面から言われたんだぞ! 悔しくないのかよ!?」

 

「もちろん悔しいさ。だけど今はそう言われても、クラス一丸となって上のクラスに上がれば、そんな誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)は消えると思う。先生もそう言っていただろう?」

 

 茶柱先生の言葉を信じるのなら、この学校は実力至上主義を掲げているそうだ。そして、クラスの順位が上のクラスほど高く評価される事になる。それは幸村も分かっている。

 

「はぁ? 平田、お前本気で言ってるのか? 先生が言ってただろ、優秀な生徒程Aクラスに配属されるって! その逆のDクラスがどう頑張っても、そんなの無理に決まってるだろ! そもそもの話、俺はこのクラス分けに納得していないんだ」

 

「気持ちは分かる。けど僕には、このクラスの生徒がそんな落ちこぼれだなんて……まして、『不良品』だとは到底思えないんだ。それに幸村くん。愚痴を吐いていたって仕方がないだろう?」

 

「なんだと!」

 

 駄目だな、あれは。

 幸村は平田の言葉に耳を貸さず、一方的に突っかかる。

 きっと彼も、頭の中では理解しているはずだ。これから学校で起こる闘争に、何が必要なのかが。

 だがオレたちはまだ高校一年生。たった十五年弱生きてきた人間が、そんな簡単に非常時に対応出来るわけがない、か……。

 ここまでは正に予定調和と言える展開だ。

 先導者が生まれた次の瞬間には、叛逆者(はんぎゃくしゃ)が生まれる。

 表では平田に従うだろうが、裏では彼のことを好まない人間もいるはずだ。幸村が顕著に表れているだけで、このクラスの一人か二人、あるいはそれ以上の人間が『気に食わない』と思っているだろう。

 先導者、叛逆者。そして次、舞台に上がるのは──

 

「落ち着いてよ。ね? 幸村くん、平田くんを庇うわけじゃないんだけど、今は争っている場合じゃないと思うな」

 

 次に舞台に上がるのは、調停者だ。場を制する発言力を持つ者。あるいは、諍いを事前に食い止めることが出来る者。

 そしてその役割は、櫛田が必然的に担うことになる。彼女はコミュニケーション能力がとても高く、男女共に信頼されているためだ。

 怒りのボルテージのあまり、平田の胸倉を摑みそうになっていた幸村だったが、流石に櫛田がとめれば手を収めざるを得ない。

 

「上手いな……」

 

「そうね。私は彼女のことは好きではないけれど、あの能力は素直に称賛出来る」

 

 オレの独り言を堀北が拾い、そんなことを口に出した。

 前で繰り広げられている騒動から一瞬目を離し、横で座っている彼女を一瞥する。

 

「お前も人を褒める事があるんだな」

 

「私だって凄いと思ったら素直にそう言うわよ。その機会は少ないけれど」

 

「ちなみに堀北は、櫛田のどこが凄いと思う?」

 

「……それ、答える必要があるとは思えないけれど」

 

「そう言うな。単純な好奇心だ」

 

 堀北は珍しく逡巡(しゅんじゅん)する素振りを見せてから、軽く嘆息(たんそく)する。彼女は視線を櫛田に送りながら、淡々と口を動かした。

 

「まずだけれど……平田くんと幸村くんの間に入っている、これだけでも大したものだわ。あくまでも中立の姿勢を取っている、そのことを伝えているのよ。そしてさり気なく幸村くんの手に自分の手を添えている。こうすれば彼が引き下がると、彼女には分かっているのね」

 

「……随分と櫛田のことを持ち上げるんだな。答えてくれたこともそうだが、そこまで詳細に教えてくれるとは正直思っていなかった」

 

「あなたが聞いてきたんじゃない」

 

「だとしても、だ。堀北お前、実は櫛田のことが好き──」

 

「そんなわけないでしょう。そもそもの話──いいえ、なんでもないわ」

 

 櫛田、お前の歩む道は前途多難(ぜんとたなん)だぞ。

 オレと堀北が今しがたの出来事を呑気に批評している間に、櫛田は争いを見事に収めてみせた。

 彼女の功績によって叛逆者の謀叛(むほん)は終わり、幸村は平田に謝罪し、先導者は何も罰することはせず受け入れる。

 オレは再び携帯端末に意識を戻し、カメラモードを起動させた。ホワイトボードに貼られている全クラスの残存ポイント、及び小テストの結果を記録として残す。

 

「何をしているの?」

 

「どうにかポイントの詳細が分からないかと思ってな。お前だってさっき、茶柱先生が話している間メモってただろ」

 

 せめて遅刻何ポイント、雑談何ポイントかが分かれば対策のしようがあるんだが。

 

「あの紙だけじゃそれは無理じゃないかしら? それにそんなことしなくても結果は見えている。このクラスは遅刻と雑談をしすぎたのよ」

 

「あとは小テストの結果だな」

 

「そうね。けれど綾小路(あやのこうじ)くん、その点に関してだけはあなたもある程度の責任はある。なによ、五十点って。あんな簡単なテストで……」

 

「そこまで言わなくても良いだろ。別に、赤点の点数じゃないんだから」

 

「だとしても問題よ。特に、赤点者七人は論外ね。どうしてこの学校に入学出来たのかしら」

 

「さあな」

 

「先生たちも私たちDクラスにはほとほと呆れているでしょうね」

 

 堀北の言う通りだと、オレも思う。

 生徒のオレですら、この一ヶ月間クラスメイトの悪行(あくぎょう)にはある意味感心させられていたのだ、教師はそれ以上だっただろう。

 教育者に対する冒涜。

 所持金の散財。

 そして怠惰。

 学校側の言葉を借りるのなら、オレたちDクラスは『不良品』。そして不良品は英語で“Defective Product”。奇しくも──“D”から始まる言葉だ。

 それにしても、今日の堀北は随分と饒舌(じょうぜつ)だな。いつもならとっくに話は打ち切られているのだが……彼女も焦りを感じているのだろうか。

 

「なあ、堀北。これはさっきも言ったが、単純な好奇心なんだが」

 

「なに? あなた、今日は随分と饒舌ね」

 

 それはオレの台詞だ、という言葉を呑み込む。

 

「お前、進学組か?」

 

「……どうしてそんなことを」

 

「いや、気分を害すなら答えなくて良いんだけどな。茶柱先生がAクラスとDクラスの差を言った時、随分と先生を睨んでいただろう」

 

「……大なり小なり、殆どの生徒がそうでしょう。入学前に説明があったなら兎も角ね。それに──現代日本で高卒で就職なんて、無謀にも程がある。この学校だったらそれは話が違うでしょうけれど、それでも高校卒業者と大学卒業者に賃金や身分に差があるのは事実だわ。それなら、進学したいと普通の人なら思うのではなくて?」

 

 ご高説ご尤も。

 堀北の主張を汲むわけではないが、この状況にどれだけの生徒が不平不満を訴えているのだろう。

 唯一違うとすればトップのAクラス。

 B、C、DクラスはAクラスに花を持たせる踏み台、そんなところだろうか。

 ただ非常にイヤらしいのが、一応の救済措置……いや、()()()()とでも言えるものがある所か。だがセカンドのBクラスですら、ファーストのAクラスには290ポイント以上の差がある。

 そして茶柱先生の言葉を信じるのならば、日常生活の態度を改心したところで、意味はあまりない。それは当たり前の事であり、マイナスにはなってもプラスにはなりえないだろうからだ。

 それ故に、平田に皮肉(ひにく)なアドバイスを施した。

 

「オレとしてはまず、ポイントの確保に努めたいところだな」

 

「あなた、ポイントには余裕があるじゃない。そんな急ぐことでもないと思うけれど」

 

「無いよりはあった方が良いだろう」

 

「それはそうだけれど。けど、ポイントなんて所詮副産物でしかないわ。現に、この学校にはあらゆる無料施設がある。無料商品もね」

 

「堀北……それはお前が異常なだけだ。普通の高校生が、貧しく暮らせと言われて『はいそうですか』と頷けるわけがないだろ」

 

 学校側は生きていくための必要最低限のものしか、無料施設、もしくは無料商品を用意していないはずだ。

 例えば、娯楽。一度甘い(みつ)を吸ってしまったら、人間は歯止(はど)めが効かなくなる。

 

「……そうかしら?」

 

「そうだ。まあ、たったひと月で十万円を使い切ったことを考えれば自業自得だと思わなくもないが……」

 

「あなた、かなり厳しいことを言うのね」

 

「そうか? オレから言わせれば、堀北の方が──」

 

「皆、聞いて欲しい。特に須藤(すどう)くん」

 

 慌てて口を閉ざす。

 前方を見ると、教壇に平田が立って皆の注目を集めているようだった。

 名指しで呼ばれた須藤は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「チッ。なんだよ」

 

 相変わらず度胸があるな。

 先程は幸村のことを叛逆者と表したが、本当の叛逆者は彼だろう。とはいえ、流石の須藤も平田の言葉を全く聞かないという訳ではないようだった。

 平田はその事に安堵すると、おもむろに話し始める。

 

「今月、僕たちはゼロポイントだった。これは非常に大きな問題だと僕は思う。卒業までゼロポイントのままだなんて……皆も嫌だろう?」

 

「そんなの絶対嫌!」「私も! 女の子は大変なんだから……!」「俺もだぜ!」

 

 クラスメイトの同調の声に、平田は優しく頷き返す。

 

「だからこそ、来月からはポイントを得よう。そのためにはクラス皆で団結する必要がある。授業中の私語や遅刻、携帯の使用禁止。まずはこれを徹底して──」

 

「は? 何でお前に指示されなきゃならないんだよ! それにだ、ポイントが増えるなら兎も角、変わりはしないんだろ。なら、意味は無いじゃねぇか」

 

「でも、マイナス要素であることに変わりはない。そうだろう?」

 

 しかし、須藤は首を縦に振らなかった。

 

()()()()、平田。俺から言わせれば、真面目に授業受けてもポイントが増えないことに納得いかねーんだよ」

 

「茶柱先生が言っていたじゃないか。それは当たり前のことだと。これは僕の想像だけど、学校側からしたら当然のことなんだと思う」

 

「私も平田くんに賛成かな」

 

 櫛田の援護。だがそれでもなお、須藤の不満はとまらない。そして爆発する。

 

「それはお前らの勝手な解釈だろうが。仮にお前らの言う通りだとして、どうすればポイントが増えるんだよ? それが分からない限り、協力する気にはなれないぜ」

 

 須藤の言うことは一理ある。

 明確な手段が分かってない現状の中、確かにそれは無駄……とまでは言わないが、意味はあまり無いだろう。

 

「でも須藤くん。きみの……いや、皆の協力がないとポイントは取得出来ないんだ。それもれっきとした事実だよ」

 

「……勝手にしろ。けど俺を巻き込むな。じゃあな」

 

 平田の真摯(しんし)な言葉は須藤に響かなかった。別れの挨拶を一方的にして、教室から姿を消す。今日はこのまま全ての授業をサボる気なのだろう。そして予想は的中し、オレの携帯端末でバックれる旨のメールが送られてきた。

 適当に返しておく。

 

「須藤くんってほんとに空気読めないよね。あ〜ぁ、最悪。須藤くんがこのクラスに居なかったら、少しくらいはポイント残ってたんじゃない?」

 

「あれでバスケのプロを目指してんでしょ? なれるわけないのにね」

 

「何であんな奴と同じクラスに……」

 

 ──言いたい放題にも程があるなー。

 皆さっきのSHRまで、各々自由にスクールライフをエンジョイしていたと思うんだが……。

 クラス中のヘイトが須藤に集まりつつある。最悪、苛めにまで発展するかもな……。まあ、屈服するとは到底思えないが。

 

「綾小路くん。堀北さん。ちょっと良いかな」

 

 教壇から降りた平田が、オレと堀北の席の前にやってきた。珍しいことがあるものだと内心訝しんでいると、それは的中する。

 

「放課後、ポイントをどのように増やしていけば良いのか考える会議を開きたいと考えているんだ。二人には参加して貰いたい。どうかな?」

 

「質問良いか?」

 

「もちろんだよ」

 

「どうしてオレたちなんだ?」

 

「皆に声を掛けるつもりだよ。でも、ああいった場で皆に呼び掛けても意味は無いからね」

 

 だから個別で頼んでいるのか。

 オレ個人としては正直出たくない。オレが出たところで良案が思い浮かぶとは思えないし、なにより……。

 

「悪いな」「ごめんなさい」

 

 オレと堀北の声が被る。

 揃って出された拒否に、平田は呆然とせざるを得なかった。断られるとは思っていなかったのだろう。

 

「えっと、理由を聞いても良いかな?」

 

 堀北が先に答える。

 

「平田くん。薄々気付いているだろうけれど、私は話し合いは得意じゃないの。他を当たって貰える?」

 

「無理に発言しなくて良いんだ。ただその場で居るだけでも十分だから」

 

「申し訳ないけれど、意味が無いことに付き合う理由がないわ」

 

「で、でも、これは僕たちDクラスにとって最初の試練だと思う。だから──」

 

「言ったはずよ、私は参加しない」

 

 ぴしゃりと言い放つ。取り付く島もないな。

 平田が哀れで仕方がない。

 それでもめげずに彼は堀北に気が変わったら参加してくれて構わない旨を告げた後、今度はオレに顔を向けた。

 

「あー、悪いな。今日の放課後は先約があるんだ。流石にそれを破るのは……」

 

「……そっか。ごめんね二人とも。綾小路くん、堀北さん。次は参加してくれると嬉しいよ」

 

 オレと堀北から距離を取った平田は、次の生徒に会議の参加を促していく。

 

「……平田は偉いな……」

 

「そうでもないわよ。確かに彼の行動力の高さには私も称賛したいと思う。けれど、だからといってそれが正しいとも限らない」

 

「会議が上手くいくか分からないと言いたいのか?」

 

「……ええ。現状を完全に理解している生徒が話し合うのなら話は別だけれど、このクラスの生徒の何人が出来ていると思う? 泥沼にハマって、余計に混乱するだけよ。──それより綾小路くん」

 

「うん? どうかしたか」

 

「あなた、見え透いた嘘を吐くのね。放課後予定があるだなんて、誰にも分かる嘘よ」

 

 これは堀北なりのアドバイスなんだろうか? 

 ただ、オレの放課後が埋まっているのは本当のこと。

 それを伝えて彼女の反応を見たい、そんな欲求に駆られなくもなかったが、オレはやがて短く。

 

「そうだな」

 

 そう答えた。

 

 

 

§

 

 

 

 放課後直前のSHR。

 チャイムが鳴ると同時、茶柱先生が教室へやって来て登壇した。

 今朝の一件で、殆どの生徒が彼女に対して苦手意識を持ったことだろう。

 

「それではSHRを始める、と言いたいところだが。どうしたお前たち、やけに元気がないな?」

 

 それを本気で言っているのなら性格が悪すぎる。茶柱先生は嘆息すると、SHRを始めた。

 

「さて、この一日でお前たちは自分の無能さを痛感したことだろう。平田、違うか?」

 

「……もちろんです。まずは放課後、対策会議を開きます」

 

「ほう。その対策会議で何か希望の光を見付けられることを、私も陰ながら祈ろうじゃないか」

 

「佐枝ちゃん先生! 祈ってくれるだけなんですか!? なんかこう、救いの手とか出してくれたり……!」

 

 (いけ)が縋り付いた。

 茶柱先生はしばらく黙考していたが、やがておもむろに口を開けた。

 

「……それでは私からヒントを与えよう。私は小テストの際、こう言ったはずだ。『成績には一切反映されない』と。この言葉を噛み砕けば、自ずと答えは出る。──さて、連絡事項は特にない。明日も元気に登校するように。解散」

 

 茶柱先生は真意の摑めない微笑みを一度浮かべると、教室をあとにした。

 すると平田がすぐに登壇し、クラスメイトに呼び掛けた。

 彼の判断は正しい。SHRが終わってすぐのこの状況なら、全員が耳を傾けることになる。

 

「皆、聞いて欲しい。さっきの茶柱先生のヒントについてだ」

 

「あれって、どういう意味なのかな?」「訳わかんねーよ」「あれってヒントなのか?」

 

 自分が感じたこと、あるいは思ったことをそれぞれ言い合うDクラスの生徒たち。

 だが中には退席する者も当然居る。高円寺(こうえんじ)は鼻歌を歌いながら、長谷部(はせべ)や幸村、佐倉(さくら)といった群れることを拒む生徒は教室から立ち去っていった。

 オレも帰り支度を急ぐ。

 

「これは僕の意見だ。違うかもしれない。その上で言わせて欲しい──」

 

 オレはスクールバッグを肩に担いだところで、堀北がまだ残っていることに遅まきながら気付いた。

 教科書やノートを鞄にしまう様子も見られない。

 

「残るんだな。意味が無いんじゃなかったのか?」

 

「ええ。……けれど、こうなったら話は別よ。どうせすぐに帰るでしょうけれど、参加する意義が多少は生まれたわ。ヒントの答え合わせだけはしておきたいもの。あなたは帰るのね」

 

「ああ。予定があるからな」

 

「……そう。それじゃあ、また明日」

 

「じゃあな」

 

 別れの挨拶を済ませ、オレは目立たぬよう足早に移動する。幸い、殆どの生徒は平田の演説に意識が寄せられていたため、オレの消失に気付いた生徒は少なさそうだった。

 昇降口に着くと、そこでは椎名が既に居た。読書中だ。オレの気配に気付き、文字の羅列から目を上げる。

 

「こんにちは、綾小路くん。朝はごめんなさい、急な連絡をしてしまって……」

 

「気にしなくても良いぞ。早速だけど、寮に行こう──」

 

『一年D組綾小路くん。担任の茶柱先生がお呼びです。職員室に来て下さい』

 

 穏やかな効果音の後、無機質の声がオレを(いざな)った。

 

「先生からの呼び出しのようですね」

 

「ちょっと行ってくる。……悪いがここで待っていてくれないか? それとも話はまた今度にするか?」

 

「ここで待っています」

 

「分かった。出来るだけすぐに終わらせる」

 

 椎名に申し訳なさを感じながら、職員室に向かう。

 放課後教師が生徒を呼び出す。真っ先に思い浮かぶのが、先生からのありがたいお叱りだろうか。

 いやでも、入学以来、怒られるような事は一切していないはずだ。

 

「ここか……」

 

 職員室前の扉に辿り着いたオレは、なけなしの勇気を振り絞ってそっと扉を開け放つ。

 気の所為か、やけに視線を多く感じるな。

 これはあれか。もしかしてあいつ、何か悪さしたんじゃ……? とか思われているんだろうか。

 そうでは無いことを切に願いつつ茶柱先生の姿を捜すが……呼び出した張本人は居なさそうだ。

 仕方がないので、鏡の前で自分の顔をチェックしている女教師に声を掛ける。

 

「あの、すみません。茶柱先生に呼ばれてきたんですが……どこにいらっしゃるか分かりますか?」

 

「え? サエちゃん? んー、さっきまでは居たんだけど……」

 

 振り返った先生は、セミロングで軽くウェーブの掛かった大人の女性だった。

 ちなみにどうでも良いが、現代日本では、ここ最近こういった女性が人気なのだとか。

 親しそうに茶柱先生の名前を言っているから、友人なのかもしれない。茶柱先生も彼女のことを親しげに呼ぶ……いや、呼ばないな。全然想像出来ない。

 

「ちょっと席を外してるみたい。応接間で待ってる? お茶くらいは出すわよ?」

 

「いえ。廊下で待っています」

 

 さり気なくお茶を出すと言えるあたり、コミュニケーション能力の高さを感じる。

 櫛田とどっちが上だろうかと廊下に出て暇潰しをしていると、さっきの先生がひょっこりと廊下に出てきた。

 

「私は一年Bクラスの担任、星乃宮(ほしのみや)知恵(ちえ)っていうの。佐枝とは高校からの親友でね。『サエちゃん』、『チエちゃん』って呼び合う仲なんだ〜。凄いでしょ〜」

 

 聞いてもいないのに、至極どうでも良いことを教えてくれた。

 でもそうか、あの堅物そうな茶柱先生が星乃宮先生を『チエちゃん』って呼ぶのか。

 全然想像出来ない。

 このネタを使って、今度……いや、この後会ったらサエちゃんと呼んでみる手も……ないな。オレも命は惜しいし、やめておこう。

 

「ねぇねぇ、どうしてサエちゃんに呼ばれたの? 彼女、面倒事はかなり嫌いだから、生徒を職員室に呼ぶなんて珍しいんだ〜。ねぇねぇ、どうして?」

 

「いえ、オレも詳しくは知らないんです。それと星乃宮先生、ちょっと近いです」

 

「私のことは『チエちゃん』で良いわよ〜? Bクラスの子はみんなそう呼ぶし~」

 

「星乃宮先生、やめてください」

 

 非常に対応に困る。この学校に入学してから初めて、人と話すことに対して疲れを感じているかもしれない。

 

「ふーん。あっ、そうだ。君の名前は?」

 

「……綾小路、ですけど」

 

「うーん、下の名前も教えてくれないかな〜?」

 

清隆(きよたか)、ですけど」

 

「うんうん、教えてくれてありがとう。綾小路くん、かぁ〜。何て言うかぁ〜、かなり格好良いじゃない〜。モテるでしょ〜」

 

 軽いノリにも程がある。

 高校時代は男子から人気がとても高かっただろうな。反対に女子からは不人気だっただろうが。

 

「綾小路くん。大事な話があるの」

 

 それまでのふわふわな空気を消して、星乃宮先生は真剣な顔付きでそう切り出した。

 突然の変化にオレは戸惑いつつも話を聞く姿勢を取る。

 

「……大事な話ですか?」

 

「うん。──彼女はもう出来た〜?」

 

「…………」

 

「あれ、その反応はもしかして居ないの? でも意外かな〜、私が学生だったら綾小路くんは放っておかないのに〜」

 

 げんなりする。

 しまいには人差し指で「つんつんっ」とオレの頬を突くしまつだ。これで星乃宮先生の指を(くわ)えてみればこの絡みも終わるだろうが、職員会議でオレの名前が挙がり退学処分されてしまう可能性が高いか……。

 

「何やってるんだ、星乃宮」

 

 茶柱先生が突然現れ、クリップボードの角で星乃宮先生の頭をしばいた。小気味の良い音が鳴り、ちょっとだけ担任に感謝する。

 それにしても、お互いに下の名前で気安く呼んでいる親友なのではなかったのか。

 

「いったぁ! 何するのサエちゃん!?」

 

「お前がうちの生徒に絡んでいるからだろ。悪いな綾小路、こいつはこういう奴なんだ、諦めてくれ」

 

「なによ。サエちゃんが不在の間、応対していただけじゃない」

 

「放っておけば良いだろ。もう高校生だ、独りが寂しい年頃でもないだろうに」

 

「それには同意ですね。ところで茶柱先生、用件は何でしょうか?」

 

「ああ、悪いな。ここではなんだから、生徒指導室にまで来て貰おうか」

 

「何なに〜? もしかして綾小路くん、問題行動起こしたり〜?」

 

「はあ……付いてこい」

 

 茶柱先生も苦労しているんだな……。初めて彼女の人間らしいところを見た気がする。

 哀愁(あいしゅう)漂う背中を追い掛けていくと、笑顔の星乃宮先生が横に並んできた。茶柱先生は当然すぐそれに気付き、女性がしてはいけない表情で振り返る。

 

「お前は付いてくるな」

 

「冷たいこと言わないでよ〜。昔からの付き合いじゃない〜」

 

「それなら星乃宮。親しき中にも礼儀ありという言葉を知っているだろう。帰れ」

 

「ケチ〜。さっき綾小路くんにも言ったんだけど〜、サエちゃんって個別指導とか絶対しないタイプじゃない〜? 特に自分からはね〜。何か企んでいるのかなぁって〜。それに〜、保険担当として生徒の悩みに応じるのは当然じゃない? あとはね〜、綾小路くんを守るためかな〜」

 

「お前は私が綾小路に暴力を振るうと思っているのか」

 

「まさか〜」

 

 中々に踏み込むな。

 星乃宮先生はオレの背後に回って両肩に手を置いているために表情は窺えないが、茶柱先生の冷たい顔からある程度は察しが付く。

 

「もしかしてサエちゃん、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「バカ言うな。そんな無謀なことを、私がすると思うか?」

 

「ううん、全然〜。だってサエちゃんには無理だもんね〜」

 

 ……帰りたい。切実に帰りたい。

 それにしても……下克上?

 いやその前に、()()()()()()()()()? 親友に対して、随分とキッパリ否定するな。

 

「……いつまで付いてくるつもりだ」

 

「え? 一緒に生徒指導室までだけど? 真面目な話をするとね、サエちゃんにそういった悩み相談は無理だと思うんだ〜」

 

「おい。お前はさっきから私に喧嘩を売っているのか」

 

「まさか〜。でもそうじゃない?」

 

「……」

 

 黙り込む茶柱先生。そこは否定して欲しかった。

 活路を見出した星乃宮先生がなおも付いてこようとしたその時、一人の生徒が立ちはだかった。

 見たことのない、薄ピンク色の美人だ。

 

「星乃宮先生。少しお時間宜しいでしょうか? 生徒会についてお話があります」

 

 一瞬目が合う。が、すぐに逸らされた。まあ、初対面だし、互いに興味はないから当然か。そのまま星乃宮先生に向き直る。

 茶柱先生がこれ幸いと言わんばかりに星之宮先生に言った。

 

「ほら、客だぞ? 保険担当として、生徒の悩みに応えるんだろう? 良かったな、その能力を思う存分に発揮出来るぞ」

 

「ちぇっ。でもま、これ以上からかうとあとが怖いから……まぁいっか。それじゃあね綾小路くんっ。──お待たせ、一之瀬(いちのせ)さん。職員室にでも行きましょうか」

 

 星乃宮先生は一之瀬と呼ばれた美人と連れ立って、職員室へと戻って行った。

 オレと茶柱先生は彼女たちを見送った後、ちょうど近くにあった生徒指導室に入る。

 

「それで結局、用件は何ですか? この後オレ、用事があるんで早く済ませたいんですが」

 

「そうなのか。それは悪いことをした……と言いたいところだが、ちょっとこっちに来てくれ」

 

 茶柱先生はちらちらと壁に掛けられている丸時計を確認しながら、オレを給湯室(きゅうとうしつ)に通した。コンロの上にはヤカンが置かれている。

 指導室の中に給湯室があるなんて、ちょっと驚きものだ。

 

「ほうじ茶で良いんですか?」

 

「いや違う。黙ってここに入っているんだ。物音一つ立てず、私が良いと言うまで静かにしてろ。もし破ったら……」

 

「破ったら?」

 

「お前を退学にする」

 

 そんな行為が認められるとは到底思えないが。

 一方的にそう言われ、満足な説明すら受けさせて貰えず、給湯室の扉は閉められた。

 これは意外に長くなりそうだ。

 携帯端末を制服のポケットから取り出し、椎名にメールで謝罪文を送信。同時に、先に帰ってくれて構わない旨を伝える。

 返事はすぐに帰ってきた。

 どうやら彼女は、オレを待ち続けてくれるらしい。余程大事な話なのか……。まあ、内容はある程度予想出来る。

 仕方がないので手頃の椅子に腰掛け、オレはぼんやりと虚空を眺めた。

 数分後。指導室の扉の開閉音が響いた。

 

「入ってくれと言いたいが……少し遅刻だぞ堀北。社会ではこうもいかないから、注意するように」

 

 入ってきたのは堀北のようだ。でもどうして彼女がここに? 

 

「すみません。対策会議に出席していました」

 

「……ほう。お前がか? 正直に言うと意外だな」

 

「出席と言っても、ただの確認です」

 

「確認、か。では時間が押しているからな、率直に要件を聞こう」

 

「何故私がDクラスに配属されたのでしょうか?」

 

「私から言っておいてなんだが、本当に率直だな」

 

「先生は本日、優秀な生徒はAクラスに、不出来な生徒……『不良品』はDクラスに配属されると仰いました」

 

「何だ、不服か? お前は自分のことが優秀であると思っているんだな」

 

「当然です」

 

 迷いのない即答だった。

 高円寺に勝るとも劣らない自己顕示欲。これで池や山内(やまうち)、須藤がやろうものなら失笑ものだが、堀北のそれは決して自意識過剰ではないだろう。

 

「実際、入試テストの際も殆どの問題を解けたと自負しています」

 

「殆どの問題を解けた、か。本来なら入試結果など個人には見せないが、お前には特別に見せてやろう。ありがたく思え、私が直々に用意しておいた。こうなることは予想出来たからな」

 

「……遅れたことについては重ね重ね非礼を申し上げます」

 

「責めてるわけではない。さて、それでは照会の時間だ。──堀北鈴音。お前は入試結果……ペーパーテストでは同率三位の成績を収めている。一位、二位も僅差の点数。十分に優秀だ」

 

「……では、面接が悪かったのだと?」

 

「いいや? 面接でも特別問題視されてはいない。むしろ今どきの若者にしては将来設計図を描いていて、かなりの高評価だったと担当面接官から話は聞いている」

 

「ありがとうございます。では──何故?」

 

「何故、か。お前はこと学力においてはやっぱり優秀だな。今朝私が言った、『何故疑問を疑問で残しておく?』……それがお前には当てはまらないようで嬉しいぞ」

 

「良いから答えて下さい」

 

「そう急かすな。時に堀北。質問を質問で返すよう悪いが、どうしてお前はDクラスであることに不服(ふふく)なんだ?」

 

「正当に評価されていないことに喜ぶ人が居ると思いますか?」

 

「はははっ。──お前は随分と、自己評価が高いようだな」

 

 それは今朝聞いた嗤い声。

 星乃宮先生の指摘が早くも的中したな。

 

「正当に評価されていない、か。では聞くが堀北。その正当な評価とやらの基準は何だ?」

 

「そ、それは……」

 

「分かったようだな。そう、私は……いや、学校側はその基準値については一言も明言すらしていない。お前は学力で測っていると推測したようだがな」

 

「……しかし茶柱先生。普通ならそれが常識なのでは?」

 

「それを本気で言っているのなら浅はかにも程があるぞ。主観的な『常識』を、他者に押し付けるな。そもそもおかしな話だとは思わないか? 勉強が出来る=偉い。その方程式がいつの間にか現代日本では成り立っている。はははっ──バカバカしい。堀北。お前の学力が高く、またそれがステータスになるのも認めよう。が、よく考えろ。仮にお前の言う通り学力だけでこの学校に入学できるのなら、須藤や池たちが何故当校に入学している?」

 

 今朝考えたことはやはり間違いでは無かった。

 この学校は日本屈指の進学校であることを謳いながら、あらゆる観点──実力で生徒を測っている。

 

「それに、だ。正当に評価を受けていない。だから喜ぶ者はいない。そう決め付けるのも早計だな。この世には様々な人種が居る。殆どの人間がお前の考えに賛同するだろう。だが中には、その反対を望む者もいる、そういうことだ」

 

 息を呑む。

 それはまるで、オレに語り掛けているようだった。

 

「冗談はやめてください。そんな人間、居るはずが……」

 

「高円寺六助(ろくすけ)を思い出してみろ。あいつは将来が確約されている、だからDクラスであろうと特別問題視していなかった。違うか?」

 

「……質問の答えになっていません。私が聞きたいのは、私がDクラスに配属されたのかが事実だろうか、学校側の判断に間違いはなかったのか。それだけです」

 

「ふむ。確かに少々無駄話がすぎたな。それでは質問に答えよう。──こちらに不手際は一切ない。お前はDクラスになるべくしてなった」

 

「…………そうですか。なら改めて、学校側に聞いてみます」

 

 諦めたわけではないだろう。

 堀北のことだ、茶柱先生では相手にならないと判断したに違いない。

 

「上に何度掛け合っても答えは同じだぞ。無駄なことはしない方が懸命だ。それに……そう悲観するな。確かに今はDクラスだが、卒業する時はAクラスに(のぼ)っているかもしれんぞ?」

 

「それこそ冗談言わないで下さい。散々Dクラスのことを『不良品』だと言った先生がそう仰ると不快になります」

 

「そうか。それは悪いことをした」

 

 心が込もっていない謝罪。

 堀北が茶柱先生を強く睨んでいるのが容易に想像出来る。

 

「それにAクラスとの差は歴然です。940ポイント。差がありすぎます」

 

「私に言われても困る。ポイントがゼロになったのはお前たちの自己責任だ。まあ、私も無理強いはしない。茨の道を歩き出すか否か、それは個人の自由だ。そうだ、私からも一つ質問をしよう。お前はやたら自分がAクラスであることに拘りをみせているが、何か理由でもあるのか?」

 

「……先生には関係のない話です。兎も角、私が納得していないのは覚えておいて下さい」

 

「分かった。覚えておこう。帰りは気を付けろよ。ここ最近は物騒だからな」

 

「はい。──失礼します」

 

 どうやら話は終わったらしい。

 ドアの開閉音が給湯室にまで届き、オレは思わず脱力する。

 

「綾小路。来い」

 

 短い命令。ここは意趣返しに無視を決め込むのも一興か──。

 

「声は聞こえているはずだ。すぐに来なければお前を退学とする」

 

 教師がそんな簡単に退学を口にして良いのだろうか。

 ……仕方がないか。

 給湯室から出ると、茶柱先生が椅子に腰掛けオレを待っていた。

 

「それで、今の話をオレに聞かせたのに理由はあるんですか?」

 

「いいや? ただ、堀北との個人的な話し合いにお前が居たら悪いだろう? 結果として偶然、お前は聞いただけにすぎない。あぁわかっているとは思うが、今の話は他言無用だからな。もし漏らしたら──」

 

「退学は嫌なんで、誰にも言いませんよ。……偶然なのは理解しました。それで先生、結局のところオレに対する用件は何ですか?」

 

「まぁ座れ。立ったままだと疲れてしまうからな」

 

 茶柱先生の親切な促しに応じ、オレは先生と対面するようにして椅子に座った。椅子はあたたかい。堀北の残滓だろうか。

 

「お前を呼んだ理由だが……まぁ簡単に言うと二者面談のようなものだ。お前の(せい)は綾小路。『あ』から始まるからな、当然早めになる」

 

「だとしたら先生。どうしてクラスの席位置がああなっているんですか?」

 

「ランダムだ。出席番号順だとお前たち生徒はうるさいだろう? でも良かったじゃないか、お前の席は窓際の一番後ろ。誰もが羨む場所だ」

 

「そうですね」

 

「では二者面談を始めるとしよう」

 

 そう言いながら茶柱先生はクリップボードに留めていたと思われる資料を用意する。

 二者面談、か。

 

 こんな単純な嘘に引っ掛かる生徒がどこに居る?

 

 前もって生徒に、これこれこういった日に二者面談をするから、予定を空けておけと言うのが普通のはずだ。

 

「学生生活はどうだ? ()()()()()()()、新しいことだらけで苦労しているだろうことは想像に難くないが」

 

 この学校は普通じゃない。そしてそれは教師も同様のようだ。

 目の前で愉快そうに笑っている先生は、もしかしたら受け持っている生徒全員の『秘密』を握っているのかもしれない。

 動揺を見せてはならない。カマをかけられている可能性が捨てきれないからだ。両肩を軽く上下させてから、オレは答える。

 

「どうだ? と言われましても。そうですね……まあ、ボチボチと楽しんでいますよ」

 

「そうか。それはなによりだ。しかし正直意外だぞ? ──お前に友達がいるとはな」

 

「先生。それは流石に失礼ですよ。オレにだって友達の一人や二人はいます。須藤とか、池とか」

 

「堀北は違うのか?」

 

「どうでしょうね。ただの隣人じゃないですか? でもこれで、オレが孤独体質なぼっちじゃないことは分かったでしょう」

 

「はははははっ、綾小路。お前も冗談を言うんだな」

 

 何が面白いのか、純粋に笑う茶柱先生。

 オレから言わせて貰えば、その台詞はオレも言いたい。

 数秒後、一転して真顔になった先生は淡々と口を動かした。

 

「少なくともDクラスに、お前が気を許している生徒は一人もいない。違うか?」

 

「断言しますね」

 

「これでも教師だ。生徒の性格はある程度は理解していると自負している。そうだな……これは私の見立てだが、同性で一番仲が良いのは須藤といったところか。異性では堀北だが……まあ、お前に女子と接点があるのはあいつと櫛田だけだろうから、こちらに関して絞り込むのは容易だな」

 

「否定はしませんよ。肯定もしませんが」

 

「自分が所属しているDクラスですら、お前は常に一歩距離を取っている。とはいえ、これは普通のことだ。お前たちが入学してからまだ一ヶ月しか経っていないからな。それに表の付き合いも社会では必要だからな」

 

「さらりと社会の闇を言わないで下さいよ」

 

 オレの苦言を無視して、茶柱先生はここでますます笑みを深めた。

 

「が……他所のクラスでは対応が随分と違うようだな。なに、隠す必要はないぞ。──椎名ひより。Cクラスの生徒だな」

 

「先生も彼女のことをご存知で?」

 

「私はCクラスの日本史も受け持っているからな」

 

「そうなんですか、それは初耳ですね。確かにオレは彼女と過ごす時間が多いですが、何か問題でもありますか? 別におかしな話ではないでしょう」

 

「お前の言う通り、何も問題は無い。ただ少し気になっただけだ。もし良かったら、どうしてか教えて貰えるか?」

 

「彼女とは趣味嗜好が合うだけです。だから必然的に、共有する時間も増える。そうですね……先生の望む解答になるかは分かりませんが、彼女と居ると楽なんですよ」

 

「楽、か……。なるほどなるほど、よく理解した。先生はお前に、ある程度気が許せる友人が出来て嬉しいぞ」

 

 やけにオレの交友関係に口出しするな。

 茶柱先生は何度か意味深に頷いてから、話題を変える。

 

「さて、時間もあまりない。お前もこの後は予定があるようだし、次で最後にしよう。学業はどうだ。何か悩みはないか?」

 

「ありませんね。先生方の説明は丁寧でとても分かりやすいですし」

 

「そうか。中間テストが近いが、その様子なら赤点は取りそうにないな」

 

「ええ。──これで終わりですか?」

 

「ああ、ご苦労だった。私はまだここに残るから、もう帰ってくれて良いぞ」

 

「はい。それじゃあ先生、また明日」

 

「また明日。堀北にも言ったが、帰りは気を付けるように」

 

 オレは、軽く会釈してから生徒指導室から退出した。

 携帯端末で現在時刻を確認すると、椎名と別れてから三十分が経過していた。

 メールで今終わったことを送信したいが……そんな時間はなさそうだな。

 注意されない程度の速度で廊下を渡り、昇降口まで戻る。

 椎名は相も変わらず読書に勤しんでいて、少し躊躇ったが声を掛けた。

 

「今終わった。本当に悪いな、暇だったろ」

 

「いえいえ。ちょうどキリが良い所まで読めましたから。それとお疲れ様です。それでは行きましょう」

 

 

 

§

 

 

 

 突然だが、今からオレが出す問いについて真剣に考えてみて欲しい。

 

 問い・学生が寮生活で望むことは何か。

 

 最も挙げられるのは自由時間だろう。家に居たら家族の目があり、思春期に佳境が入っているオレたち子どもからしたら、好きに時間を使いたいと思うのは当然のことだ。

 一日中ダラダラしたり、一日中ゲームをしたり。あるいは、友達と買い物に行くことも良いだろう。

 そして次に挙げられるのが、友達の部屋に遊びに行くこと、ではないだろうか。

 同じスペースの部屋を、友達はどのように使っているのか気になる人は多いと思う。

 壁にはアイドルのポスターが貼っているのかな? とか。

 冷蔵庫の中身はどうなっているのかな? とか。

 

「まあ、入ってくれ」

 

「お邪魔しますね」

 

 入学してからひと月が経った今日、オレは初めて友達を家に招いていた。しかも異性だ。

 異性を呼べたことに喜べば良いのか、それとも同性の友達が少ないことに悲しめば良いのか……。

 

「……何もありませんね……」

 

 椎名が寂しそうに呟いた。

 とはいえ、無理も無いだろう。

 オレの部屋には最初から備え付けられていた物以外、特にこれといったものが置かれていないからだ。

 

「取り敢えず座ってくれ」

 

 物置棚から座布団を一枚取り出し、椎名に座るよう促す。彼女は「失礼します」と律儀に言ってから、座り心地があまりよろしく無い布の上に着陸した。

 それを見届けたオレは、彼女に罪悪感を感じつつも、制服のブレザーを脱いでハンガーに掛けた。そしてあぐらをかいて彼女と向き合う。

 

「先程も言いましたが……ごめんなさい」

 

「気にするな。それで、話ってなんだ?」

 

 無駄話は必要ない。仮にするとしても、それは後でいくらでも出来る。

 それは椎名も分かっていて、短く首肯した後に。

 

「綾小路くんは、これからどうしますか?」

 

 そう、切り出してきた。

 

「……それは、個人的な行動ってことか?」

 

「そうです。今日私たち一年生は、担任の先生からこの学校のシステムについて教えられました。これは私の予想ですが、今月から卒業まで、私たちはクラスとして競い合うと思います」

 

「そうだろうな。AからDまで、オレたちは学校からの恩恵を得るために互いに蹴落とし合うだろう。そして早速、手を打っている生徒もいるだろう」

 

「はい。実際今日、私のクラスでもリーダーに名乗り出た生徒が居ました。何人かの生徒は反抗していましたが……」

 

 やっぱりか。

 Dクラスなら平田洋介。

 だが、C、B、Aの先導者がどんな人か、そしてどれだけ頭が回るのか、まだ判明していない。

 

「私としては、不毛な争いはしたくありません。もちろん、時には闘争も必要だとは思いますけど……」

 

「……つまり椎名は、積極的に動くつもりはないと?」

 

 肯定の頷き。

 

「私と綾小路くんは違うクラスの人間です。先月までなら兎も角、私たちが時間を共有すると疑われてしまう可能性が高いでしょう」

 

「……スパイか」

 

 椎名の懸念に間違いは無い。

 その上で、オレと彼女は今後どういった付き合いをするべきなのか。それを考えるべきだと、椎名は言っている。

 

「綾小路くんが上のクラスを目指すのなら、今後、会うのは止めるべきです。違う、でしょうか……?」

 

 茶柱先生が椎名との付き合いに首を突っ込んだ理由が、ようやく理解出来た。

 いや、本当は気付いていた。今朝彼女がこの学校の理念を説明したその時に。

 椎名の言う通りだ。オレがDクラスから脱却したいと思うのなら、彼女との縁は断ち切る……とまでは流石にいかないが、それでもある程度は距離を取るべきだろう。

 

 

 

 しかしオレは、上のクラスを目指すことに興味が微塵もない。

 

 

 

「オレも椎名と同じ……とまではいかないが、Aクラスに特別な拘りはない。積極的に行動をしようとも思わない。クラス間の競争には必要最低限だけ参加するつもりだ」

 

「それって……」

 

「ああ、お前の想像通りだ。オレとしては、これからも付き合いは変わりなく続けたいと思っている。どうだろう?」

 

「はいっ、喜んでっ」

 

 少し前も似たようなやり取りを交わした気がするが、あの時と今では状況が違いすぎる。

 椎名に語ったことは全て本心。

 事なかれ主義のオレからしたら、厄介事には直面したくないものだ。

 それに──そうでなくてはならない。そのためにオレはこの学校に入学したのだから。

 ただそうは言っても、オレと椎名の間にある程度のルールは作った方が良いだろう。

 話し合いの結果、以下のようになった。

 

 ・互いのクラスの動向については話題にしない。

 ・互いのクラスリーダーに予め事情を説明する。

 

 Aクラスを目指すか否か、それを決めるのはあくまでも個人の自由だ。

 堀北はAクラスであることに執着しているみたいだから、多分、何かしらの行動を起こすだろう。

 平田、櫛田もAクラスを目指すだろうな。

 波乱の幕開けを感じる。

 そしてこれから先の未来は、何が起こるか不透明だ。

 

 だが、そんなものオレにとってはいつもの事に過ぎない。

 

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒

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