ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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王美雨の分岐点 Ⅰ

 

 生徒指導室をあとにしたオレはそのまま、急ぎ足で校舎裏に向かっていた。

 

「遅いぞ、綾小路(あやのこうじ)!」

 

 既に居た山内(やまうち)が文句を言ってくる。約束の時間にはまだかなりの余裕があったが、彼の精神状態を考慮すれば配慮に欠けていたと言えるだろう。

 

「悪い、どうしても外せない用事があったんだ」

 

「それなら仕方ないけどよ……ちなみに聞くけど、まさか女の子と会っていた訳じゃないよな?」

 

「……」

 

「おい、何だよその反応! 何で目を逸らすんだ! おい、何とか言えよ綾小路!」

 

 今にも殴り掛かってきそうな山内を、必死に宥める。だがやはりというか効果はまるでなく、寧ろ、逆効果だった。

 必死に謝り通すこと数分、ようやく、山内は機嫌を取り戻した。椎名(しいな)といい、今回の事といい、今日のオレは何度謝罪をすれば良いのか。今日は厄日かもしれないな。

 そんなことを思っていると、山内が徐々に狼狽え始める。

 

「ど、どうしよう綾小路!? 俺、いったいどうすれば良いんだ!?」

 

 約束の時間は十六時。佐倉(さくら)のことだ、その五分前にはきっと来るだろう。現在時刻は十五時四十三分な為、あと数分でその時はやってくる。

 秒単位で表情を大きく変える山内を、情けない男だと評価するのは簡単だ。だがオレは、少なくともオレだけはそれに共感しなければならない。

 

「落ち着け、佐倉に格好悪い所を見せるつもりか?」

 

「そ、そうだけどよぅ……」

 

「深呼吸をして呼吸を落ち着かせるんだ。オレも、時間ギリギリまでここに居るから」

 

 すると山内はオレの言葉に従い、何度も深呼吸を繰り返した。持参してきたペットボトルの蓋を開け、一気に呷る。何かしてないと気が済まないのだろう。

 それからさらに二分が経った。流石にこれ以上ここに居るのは危険だ。

 

「山内、オレは行くぞ──」

 

 顔を青くしている山内に声を掛け、オレなりに激励の言葉を送ろうとした、その時だった。

 頭部に、何か冷たい感触がした。手を当てるもそこには何もない。気の所為かと思ったが、それは何度も繰り返された。

 

「あ、雨だ! 綾小路、雨が降ってくるぞ!?」

 

 先に気付いた山内が、焦ったように声を上げる。そしてそれは、正解だった。

 つい数分前まで空は晴れ晴れとした夏空だったが、それが嘘であったかのように、気が付けば灰色が支配していた。今朝見た天気予報だとそのような事は言っていなかったが、それも百パーセントの確率ではない。

 盛大な音を立てながら、強い雨が降り始める。建物と床に当たる音に紛れて、運動部の生徒だろうか、どこからか悲鳴が聞こえた。

 

「山内、取り敢えず中に避難するぞ」

 

 一時的なものであるのを祈るが、まずは室内に入ってこの雨を凌がなくては。そう思い声を掛けるも、山内はなかなか動こうとしなかった。

 

「山内? どうかしたか?」

 

 再度声を掛けると、ようやく、山内はオレに顔を向けてこう言った。

 

「悪い、綾小路。俺、ここで佐倉を待ってるよ」

 

「本気か……? 下手したら風邪を引くぞ?」

 

「だとしても、俺は今日、佐倉とここで待ち合わせをしているんだ。男の俺が待たなくてどうするんだよ」

 

 その瞳には並々ならぬ決意が宿っていた。オレがどれだけ説得しても、山内は頷かないだろう。

 今日という一日が自分にとって大きな意味のある日になるのだと、山内は悟っているのだ。

 覚悟を決めている人間にどれだけ言葉を尽くしても、それは意味がない。寧ろそれはより強固なものとなる。

 

「……分かった。そこまで言うのなら、オレはお前を尊重しよう」

 

「サンキューな。あっ、だけど綾小路、俺には構わずお前は避難しろよ。お前が俺に付き合う義理はそもそもないんだからさ」

 

 自分に付き合わせてしまうばかりに、オレが体調を崩すのを山内は恐れている。

 

「……分かった。それじゃあ、オレは建物の中から見届ける」

 

「ああ、頼む」

 

 そう言うと、山内はキメ顔を見せてきた。オレは彼の両膝が震えているのに気付いていない演技をしつつ、軽く頷きを返すと校舎の中に避難する。

 オレが避難を終えた時には、雨はいよいよ本格的なものになっていた。ハンカチで出来る限り水分を取りながら、携帯端末を操作して天気予報を確認する。

 幸いにもこの雨は一過性のものであり、数分もすればやむとの事だった。この予報が的中しているのを願わずにはいられない。

 一階からでは佐倉に気付かれる可能性があると判断し、二階に移動する。廊下の窓から見下ろすと、約束の場所にはまだ山内しか居なかった。

 雨に打たれている山内は、しかしそんなのどうでも良いと言わんばかりに待ち人がやって来るであろう方向を見詰めている。

 しかし、いくら待てども佐倉は来なかった。約束の時間にはまだなっていないが、山内の心情を考えれば、それは地獄にも等しいだろう。

 そんな事を考えていると、不意に、背後に人の気配を感じた。

 

「……こんにちは、綾小路(あやのこうじ)くん」

 

 不安な表情を浮かべて挨拶してきたのは、王美雨だった。彼女もこの雨に濡れたのだろう、全身が濡れてしまっている。

 

()()()()、綾小路くんも来ていたんですね」

 

 そう言って、みーちゃんはオレの隣に立った。一歩も動くことなく佐倉を待ち続けている山内を一瞥すると、オレに視線を送った。

 

「……昨日綾小路くんには言ったと思いますが、私はここに来るつもりはありませんでした」

 

「だが、お前はここに居る。佐倉から相談をされたんだな?」

 

「……はい。昨晩、愛里(あいり)ちゃんから電話が掛かってきて……山内くんから告白をされたと言われました」

 

 沈痛な表情で、みーちゃんはそう答える。

 当然ながら、オレはみーちゃんと佐倉の間にどのような会話があったのかは知らない。だがその表情から、ある程度は察せられる。

 

「今、愛里ちゃんは最低限の身嗜みを整えています。この雨の所為で、濡れてしまいましたから……」

 

 学校からタオルを借りている、とみーちゃんは言った。それから彼女は口を閉ざし、視線を山内に戻す。

 それから数分が経ち、約束の時間になる。ここで山内の様子が変わった。まさか佐倉が来ないのではないか、そんな不安が募っているようだった。

 

「雨、やむな……」

 

 まるで、オレの呟きに反応するように。

 地面を強く打つ雨が弱くなり、瞬く間に雨はやんだ。曇天の隙間から陽の光が射し込む。

 

「──来ました。愛里ちゃんです」

 

 みーちゃんがそう報告してくる。

 果たしてそこには、佐倉が立っていた。急いで走ってきたのだろう、遠目からでも、その疲弊と焦燥が伝わってくる。

 山内も佐倉に気が付いたのか、安堵の表情をまずは浮かべた。しかし、それは一瞬。それはすぐに強張り、身体も硬直してしまう。

 窓を開ければ、今から行われるであろう出来事を全て把握出来るだろう。だがオレも、そしてみーちゃんもその気はなかった。

 オレたちが頭上で見守る中、遂に、状況は動き出す。全身がずぶ濡れになっている山内へ、佐倉が慌てて駆け寄った。

 

「──」

 

「──」

 

 分かりやすい二人は、その表情、仕草、行動からある程度何が話しているのか分かる。

 まず恐らく、佐倉は遅刻してしまったのを山内に謝罪した。通り雨というハプニングこそあったものの結果的に佐倉は約束の時間通りに来ることが出来ず、山内を待たせてしまった。自分がもっと早く来れば、山内は冷たい雨に打たれ続けなくて済んで良かったかもしれない。

 そう謝罪する佐倉に、山内は格好付けて気にするなと言っただろう。

 ここで会話は一旦途切れ、再び膠着(こうちゃく)が訪れた。

 

「私は、綾小路くん……昨日から、ある一つの疑問がありました」

 

 視線を友人とクラスメイトに向けながら、みーちゃんがそう言った。

 

「どうして綾小路くんは、山内くんに協力しているのか? という、疑問です」

 

「当然の疑問だな」

 

「はい、そうですよね。私と綾小路くんは、愛里ちゃんから何度も相談を受けています。山内くんからアプローチをされていること、そして、それに困っていることを」

 

 その事実の確認に、オレは無言で頷く。その気配を感じ取ったみーちゃんは、さらに続けた。

 

「他の人が山内くんに協力するのは、何も不思議ではありません。しかし、私と綾小路くんが協力するのはおかしいでしょう」

 

「山内に無理やり協力させられているかもしれないぞ」

 

「それはありません。綾小路くんは強い人ですから、山内くんに詰め寄られても首を横に振る事は出来る筈です」

 

「それはまた、随分な過剰評価だな」

 

 オレがそう言うと、みーちゃんは苦笑したようだった。

 

「以前にも似たようなことを言いましたよね。私は綾小路くん、あなたの強さが羨ましいんです」

 

「オレは強くなんかないさ」

 

 寧ろこの学校に来てからは弱くなっている。数値化し、折れ線グラフにでもすれば、それは一目瞭然だろう。

 だがそれを言う必要はない。みーちゃんは狙い通り、オレの言葉を謙遜と受け取ったようだった。

 

「綾小路くん、あなたは凄い人です。少なくとも、私はそう思っています」

 

「……」

 

「そんな綾小路くんが、理由もなしに山内くんに協力するとは思えないんです。最初は正直に言うと、愛里ちゃんの事を裏切ったのかと思ってしまいましたけど……」

 

 みーちゃん──王美雨という人間はその優れた頭脳を活かして論理的思考をする事が出来る。直感的思考をしがちな若者が多い中、この能力を保持しているというだけでも称賛に値するだろう。コミュニケーション能力こそ控え目な性格と口下手が災いして足を引っ張っているが、中国からの留学生である彼女は『外の世界』を知っている貴重な人材だ。

 

「みーちゃんの中で、答えは出ているのか?」

 

「確証はありませんが、一つだけ」

 

「そうか。それなら悪いが、『答え合わせ』は終わってからだ──いやもう、()()()()()

 

 オレたちの視線の先で、一つの決着が訪れていた。

 照り付ける太陽の下、深々と頭を下げる佐倉。そして、表情を今まで以上に強張らせる山内。

 二人はそれから二言(ふたこと)三言(みこと)話したようだった。最後にもう一度佐倉が頭を下げ、校舎裏をあとにする。

 その後ろ姿を、山内は呆然と見送っていた。

 一つの恋愛が、終わった。その結果は──わざわざ述べる必要もないだろう。

 

「『答え合わせ』をしようか、(ワン)

 

 愛称の『みーちゃん』ではなく『(ワン)』と呼ぶと、彼女は寂しそうにしながらも頷いた。

 そしてオレに身体を向けると、顔を上げて言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうですね?」

 

「その通りだ。オレは山内の佐倉への想いが実らないのを分かっていながら、敢えて、山内からの恋愛相談に真剣に応じた」

 

「それだけじゃありませんよね。愛里ちゃんから聞きました。ラブレターの文章が、とても心揺さぶられるものだったと。こう言っては失礼ですが、山内くんにそれだけの文章が書けるとはあまり思えません」

 

 その言葉に、オレはついつい苦笑いしてしまう。こじつけな暴論ではあるが、的を射ているからだ。

 

「みーちゃんの推測通りだ。今言った通り、オレは結末を予期しながらも、山内に全面的に協力した」

 

 それは、絶望的な確率を少しでも上げる為だ。

 

「私が分からないのは、そこです。綾小路くんは山内くんの恋が報われないのを分かっていながら、その上で全面的に協力しました。その目的は、何ですか?」

 

 オレの矛盾を指摘しつつ、(ワン)は尋ねてくる。

 

「二学期に入る前に、問題を解決したかった。まずはこれが第一に挙げられるな」

 

「クラス闘争がより激化するから、ですよね……?」

 

「その通りだ。山内の恋が成就するにしろそうではないにしろ、この夏休み中に何らかの『進展』が必要だと考えていた」

 

 今後、どのような『特別試験』がオレたちを待ち受けているかは分からない。だがその難易度は、先の『無人島試験』や『干支試験』と同等、あるいはそれ以上のものとなるだろう。

 そこに、『余分なもの』を持ち込む余裕は残念ながらない。山内と佐倉の問題はそれに該当する。不安定な恋愛は『毒』になり得る。それを誰よりも、オレが分かっている。

 

「綾小路くんにとって、山内くんの告白の成否はどうでも良かったんですね……」

 

「そうだな、否定はしない。ただ、山内が本気で佐倉に告白をするつもりなら、それに応えようと思ったのもまた、確かな事実だ」

 

 オレの執拗いくらいの確認に、山内は意志を曲げることはなかった。それ故にオレはラブレターの添削を行い、告白の練習にまで付き合った。

 だがそれも、椎名からの告白があったからだ。もしなかったら、オレは他の手段を取っていただろう。

 

「……それは、とても残酷な事ですね」

 

 とても悲しそうに、(ワン)は目を伏せる。彼女自身、想い人が居る身だ。その共感は言葉では表現出来ないだろう。

 (ワン)はおもむろに目を開けると、強い口調でオレに尋ねる。

 

「そうまでした目的は何ですか?」

 

「山内と佐倉、二人に新たな『切っ掛け』を与えたかった」

 

「……『切っ掛け』?」

 

「それは何ですか?」と聞いてくる(ワン)を残し、オレは階段を降りた。逡巡の後、追ってくる気配。

 階段に反響する靴音、それに混ぜ、オレは(ワン)に話し掛ける。

 

『今からオレは、山内に促進剤を投与する』

 

「……ッ!? えっ、何で!?」

 

 伝わってくる動揺、そして驚愕。

 それもその筈。オレは今、日本語ではなく中国語で(ワン)と話しているからだ。

 足をとめ狼狽している彼女へ、オレは顔を振り向かせてさらに言った。

 

『そんなに驚く事じゃないだろう。数こそ少ないが、外国語を話せる生徒は居る』

 

 中国語でそう指摘すると、(ワン)は唇を震わせた。目をあらん限りに見開かせ、立ち尽くす。

 

『山内が待っているから、オレは先に行っている。オレが今からする事を見れば、促進剤とは何かが分かる筈だ』

 

 最後にそう声を掛けると、オレは再び階段を降り始めた。二階から一階に降り、渡り廊下に移動する。

 山内はオレが近付いても反応を示さなかった。まるで石像のように、身体を硬直させている。その視線は、佐倉が去った方向から微塵も動いていなかった。

 

「山内」

 

 声を掛けると、ようやく、山内はオレの存在を認識したようだった。

 

「あ、綾小路……」

 

 声を震わせ、オレの名前を呼ぶ。

 そしてオレの来た意味を理解するとへなへなと脱力し、そのままコンクリートの上に尻もちをついた。

 

「そうか……俺、佐倉に振られたんだな……」

 

「……」

 

「振られ、たんだ……!」

 

 言葉にした、直後。山内は目尻から涙を流し、蹲る。

 校舎裏に暫く、男の嗚咽(おえつ)が響いた。

 オレはそんな彼を、黙って見守ることしか出来ない。このタイミングで慰めの言葉を掛けても意味はない。オレに出来るのは、ただそこに居るだけだ。

 

「──勝ち目がないのは分かっていたんだ」

 

 蹲った姿勢のまま、山内がおもむろにそう言った。オレは耳を傾け、彼の独白を待つ。

 

「脈がないのは、薄々察していた。それに、気付かない振りをしていたんだ」

 

「……」

 

「誰かと付き合いたかった。青春を送りたかった。佐倉ならもしかしたら俺でも行けるんじゃないかって、そう、思ったんだ。ほんと、俺って馬鹿だよなぁ……。何様だって思うよ……」

 

 独白は続く。

 

寛治(かんじ)も、(けん)も変わった。沖谷(おきたに)だってそうだ。なぁ綾小路、信じられるか? 三人とも、つい数ヶ月前までは俺と同じ場所に居たんだぜ? それが今じゃ、クラスに貢献するようになり始めているんだ」

 

「だから、それに並び立とうとしたんだな。お前は佐倉と付き合う事で、変わろうと思った」

 

「……ははっ、やっぱり、お前は凄いな。お前の言う通りだ。変われない俺が変われるとしたら、そこにあるんじゃないかって……そう、思ったんだ」

 

 一緒に馬鹿をやっていた友人は気が付けば、隣に居なかった。それどころか自分の数歩先を歩いていた。その背中は着実に遠くなっていき、そのうち、手の届かない場所に行ってしまうのではないか。

 自分が取り残される不安、そして、焦燥。それを抱いていたのだと、山内はその胸中を吐露する。

 

「佐倉がさ、聞いてきたんだ。『何で私を好きになったんですか?』ってさ。俺は、その質問に答えられなかった。ただ衝動のままに、佐倉が良いとしか言えなかった」

 

 独白は慟哭となり、続く。

 

「綾小路、お前の事もそうだったけどさ……俺は、佐倉の事もちゃんと視ていなかった。ただその身体的特徴に惹かれていただけだったんだよ……」

 

 懺悔をするように、山内は言った。

 

「それでも、好きだったんだろう?」

 

「……どうかな。それももう、分からない。ただ、お前と一緒にラブレターを作っている間は、好きだったんだと思うよ」

 

「それなら、お前の想いは尊いものだ。誰かを好きになること、誰かを嫌いになること。それはとても簡単なものなのだと、オレはついこの前、大切な人から教えて貰った」

 

 オレがそう言うと、山内は苦しそうに言葉を洩らした。

 

「嘘吐きの俺に出来ることなんて、何一つもないんだ……!」

 

 声を上げて泣く、山内。

 今、山内は自分が嫌いでしょうがないのだろう。友人は変わったのに、自分は何一つとして変わっていない。嘘を吐き続けてきた自分の人生に、後悔と、憎悪すら抱いているだろう。

 自己嫌悪に陥っている人間に、顔を上げさせ、前を向かせるのは非常に難しい。どのような優しい言葉を掛けて慰めても悲観的に捉えてしまうからだ。

 だが然るべきタイミングで、然るべき言葉を言えばそれは違ってくる。

 そしてそのタイミングは『今』であり、その言葉をオレは知っている。

 

「山内、今お前がすべき事はそれなのか?」

 

 問題提起を山内に投げ掛ける。

 だが山内はそれに反応しない。自分の殻に閉じこもり、考える事を放棄する。現実から目を逸らし、それに気付かない振りをしている。

 それでは、何も変わらない。それでは、何も『進展』しない。

 

「お前の自己評価は正しい。お前はいつも、自分をよく見せようとしてきた。格好付けようとしてきた。だからお前はいつも、誰にも分かる嘘を吐いてきた。それがお前にとってたった一つの『武器』であり、自尊心を満たすものだったからだ」

 

 徹底的に、残酷的なまでにオレは山内を否定する。

 

「クラスメイトはお前の言動に呆れていたな。まともに取り扱っていたのは入学当初か。それ以降はお調子者のお前に付き合っていたに過ぎない」

 

 嘘を重ねれば重ねるほど、嘘吐き者の信頼はなくなる。やがて、その前段階の信用もされなくなる。

 Dクラスの生徒からの心証が悪いと、オレは事実を突き付ける。言葉には感情を一切乗せず、機械的に告げる。

 

須藤健(すどうけん)は『暴力事件』を経て改心した。Dクラスに身体能力が秀でた人材は少ない。普通の学力さえあれば、須藤はDクラスの大きな『武器』となる。そしてその努力を、須藤はずっと重ねている」

 

「……っ」

 

池寛治(いけかんじ)は元来のコミュニケーション能力を活かし、クラスの緩衝材の役割を担う事が多くなった。そして『無人島試験』の際に起こった、軽井沢の下着盗難事件。冤罪を着せられた池は精神的な成長を大きく見せるだろう」

 

「……やめろ」

 

沖谷京介(おきたにきょうすけ)もそうだ。池と交流を重ねた沖谷は元々あった引っ込み思案な性格が改善傾向にある」

 

「…………やめてくれっ」

 

 顔を上げ、悲痛な表情で山内はそう訴える。

 だがオレはその叫びを無視し、言葉を続けた。

 

「入学してからの数ヶ月、多くの生徒がそれぞれの『成長』を示している。もちろん、その歩幅には差がある。だが着実に、一歩を踏み出している」

 

 耳を塞ごうとする山内の両手を摑み、退路を塞ぐ。目線を合わせ、その瞳を見詰める。

 

「だが山内春樹──お前はどうだ? この一学期、何をしていた?」

 

「お、俺は……ッ!」

 

「何もしていなかっただろう、お前は。精々が堀北主催の勉強会に参加しているくらいか」

 

 畳み掛けるように圧迫すると、山内は唇を悔しそうに噛み締めた。

 

「確か──『もっと深く考えなさい。すぐに思考を止めるのではなく、限界まで考え抜きなさい』だったか。堀北はいいことを言うな」

 

「……何が言いたいんだよ?」

 

「自分自身から目を逸らすな。お前が変わりたいと言うのなら、そう強く思うのなら、そうするしか方法はない」

 

 今の山内に必要なのは、己の弱さと向き合う事。これまでの自分を客観的に振り返り、何が良くて何が悪かったのかを分析する事。

 そしてそこから課題を見出し、一歩を踏み出す勇気を持つ事。

 

「俺、変われるのかな……?」

 

「それを決めるのは山内、お前自身だ」

 

 それが出来なければ、今後、山内春樹(やまうちはるき)がクラス闘争で戦い抜く事は出来ない。その果てに待っているのは自身の破滅。

 これ以上、オレに出来ることはない。ヒントは充分過ぎる程に与えた。このチャンスをものに出来るかは、全て山内次第だ。

 それを無意識でも分かっているのだろう、山内はこれまでとは違い、安直な答えを口にしなかった。堀北鈴音という教師から教わった言葉を胸に、彼なりの答えを見出そうと懸命に足掻く。

 

「──」

 

 そして、その時はきた。

 山内はおもむろに立ち上がると、オレを真正面から見詰める。真剣な表情を浮かべる彼は、微々たるものであったが、纏っている雰囲気を確かに変えていた。

 

「俺が、間違っていた……」

 

 硬い声音で、山内はそう言った。

 オレは黙って、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「綾小路、俺は間違っていたんだな。俺は寛治や健たちと比較して、勝手に嫉妬していたんだ。あいつらが成長出来たのは、あいつらが頑張っていたからなのにさ」

 

「……」

 

「頑張るのはダサい事だと思っていた。勉強も、運動だってそうだ。頑張ったって報われる筈がないと思っていた。必死になって何かに打ち込む奴らを、俺は馬鹿にして……同時に、憧れていたんだと思う。だから俺はそいつらになる為に嘘を吐いて、逃げてきたんだ。それをずっと、繰り返してきたんだな」

 

 自己覚知した山内は、そう、己の胸中を吐き出した。

 

「これから、どうするつもりだ?」

 

「しょうもない嘘を吐くことをやめる。まずは、それからさ。それが俺の、第一歩だ」

 

「道程は長く険しいぞ、山内。周りからの評価を覆すのは簡単な事じゃない。それは分かっているのか?」

 

「俺は馬鹿だから、分からない。でも、やらなきゃならないんだ。先を行っているあいつらに追い付くには、それをしなきゃならないんだ」

 

 決然と、山内は宣言した。

 その決意がこれからも続くかは分からない。少しすれば嘘吐きに戻るかもしれない。

 だが、それはまだ誰も知らない未来の話。未来はいくつにも枝分かれし、可能性が眠っている。

 そこに賭けてみる価値はある。それが人間という種族の唯一無二の強さなのだから。

 

「ありがとな、綾小路。お前に恋愛相談して良かったと、心から思うぜ」

 

 そう礼を言ってくれるが、それは大きな間違いだ。寧ろ山内には、オレを恨む権利がある。

 だがそれを説明した所で意味はない。山内が気付いていないのなら、その方が互いの為だろう。

 

「俺、寮に帰るわ。綾小路は?」

 

「悪い、この後別の用事があるから学校に残る」

 

「そうか。ははっ、お前は人気者だな」

 

 山内はそう笑うと、「じゃあな」と言ってオレに背を向けた。その背中が一回り大きく見えたのは、決して気の所為ではないだろう。

 渡り廊下に設置されているベンチに腰掛ける。数秒も経たずして、(ワン)が姿を見せた。ひと二人分の距離を置き、オレの隣に座る。

 

『あれが、促進剤ですか?』

 

 中国語で話し掛けてくる。オレはそれに中国語で「ああ、そうだ」と返した。

 

『綾小路くんは……やっぱり、凄いですね』

 

『そうか』

 

『……それでもやっぱり、残酷です。あんな方法をわざわざ用いなくても、山内くんは変われました。変われたと思います』

 

『そうかもしれない。だがそれは、いつの話だ?』

 

 オレが静かに問い掛けると、(ワン)はそれに答えられなかった。

 それは当然だ。未来を予測する事など、誰にも出来やしない。(ワン)の訴え通り、山内は自分で変わろうと奮起するかもしれない。実際その胸中を吐露もしていた為、可能性はあるだろう。

 だがそれは確定された話ではない。一つの仮定でしかない。

 

『どうしても、あの方法じゃなければ駄目だったんですか?』

 

『駄目だった。山内も、そして佐倉もだが──二人を救えるのは今しかない』

 

『……愛里ちゃんも?』

 

 佐倉の名前を出すと、(ワン)は想定外だったのか戸惑いの表情を浮かべた。

 オレは(ワン)に顔を向けると、一つの事実を伝える為口を開けた。

 

『はっきり言おうか。今のDクラスで最も足を引っ張っているのが、山内と佐倉だ』

 

『ッ!? そ、そんな事──ッ!?』

 

『ない、と言い切れるか? 悪いが、オレは出来ない。勉強も運動も、他の分野に於いても、二人の能力は他の生徒に比べて劣っている』

 

 オレがそう断言すると、(ワン)は怯んだ。オレはさらに畳み掛ける。

 

(ワン)も充分理解していると思うが、クラス闘争はその一回一回が重い意味を持つ。今はまだオレたちも一年生だから、学校も手心を加えているだろう。だがこの先、回数を重ねる毎に試験の難易度は増し、他クラスとの戦争は激化する』

 

『そ、それは……!』

 

『時には、犠牲者すら生まれるだろう。その時最も候補に挙がるのが、山内と佐倉の二人だ』

 

『それなら、犠牲者が生まれないよう皆で協力すれば良いじゃないですかっ』

 

『もちろん、それがベストだ。だがな、(ワン)。お前は本当に、犠牲者──退学者が出ないと考えているのか?』

 

 質問すると、(ワン)は目を逸らした。

 その反応が如実に語っている通り、退学者は必ず生まれる。それは上級生の在籍数を確認すればすぐに分かること。

 ましてやオレたちは『不良品』のDクラス。他クラスよりもそのリスクは高いと言わざるを得ない。

 

『それでも、愛里ちゃんは頑張っています! 確かにまだ結果は出ていませんが……努力はしています! 綾小路くんも、それはご存知の筈です!』

 

『そうだな。お前に勉強を見て貰っているのは知っている。他にも、入学当初は全くなかった主体性を持ちつつある。山内とは違い、佐倉は歩き始めていた。それは認めよう』

 

『それなら!』

 

『だが、遅い。今のペースじゃ追い付けない。佐倉がそこに到着した時、他の生徒はもっと先に居る』

 

 佐倉の努力は友人のオレたちだからこそ分かっている。それ故に、(ワン)は否定出来るだけの材料がないことを知っている。

 

『恋愛という、一つの契機。これは良くも悪くもその人に影響を与える。今ここで変わらなければ、変わろうとしなければ、二人が迎えるのは破滅だ』

 

『……山内くんは上手くいきましたけど、愛里ちゃんがどうなるかは分かりません』

 

『それは嘘だろう、(ワン)。もし佐倉が今までの佐倉なら、さっきの場所にはお前も居た筈だ。一人じゃ不安だからと、そう申し出ていた筈だ』

 

 他ならない(ワン)自身が、それを言っていた。佐倉に頼まれ、見届けにきたと。

 

『……本当に、何でもお見通しなんですね』

 

『何でもは無理だ。だがこれまでの会話から、推測出来るだけの材料はあった。それにオレも、佐倉が自分で克服出来ると見込んでいる』

 

 佐倉愛里という雛は既に孵っていた。自立はまだ無理でも、自律は可能だ。

 オレはそれを促そうとしただけ。

 

『オレが今回やったのは、確かに残酷な事だ。恋愛という、普通なら尊ぶべきものをオレの手で壊した。その自覚はある』

 

『……私が愛里ちゃんや山内くんに真実を話すと言ったら、綾小路くんはどうしますか?』

 

『どうもしない。言っただろう、自覚はしていると。お前がそうしたいのなら、そうすれば良い』

 

『そんな事──そんな事、出来ません。私が話せば、二人は傷つきます。山内くんの覚悟も、愛里ちゃんの勇気も、全て無かった事になってしまいます』

 

 そう言うと、(ワン)は顔を俯かせた。そして数分後、彼女は結論を出したようだった。

 顔を上げてオレに向き合うと、複雑な表情を浮かべながらこう言う。

 

『──……私は今日、綾小路くんとは会わなかった。友達が勇気を振り絞って告白の返事をする所を、遠くから見守っていた。そういう事にしておきます』

 

 心から納得している訳ではないだろう。思う所は依然としてある筈だ。だがしかし、(ワン)はそれを呑み込んでそう言った。

 それから彼女は逡巡の末に、こう尋ねてくる。

 

『綾小路くんは……これから、どうされるおつもりですか?』

 

『これから、か。これはまた、変な質問をするな』

 

『ご、ごめんなさい。でも、気になってしまって。今の綾小路くんと、学校での綾小路くんは違うように思えて仕方ないんです』

 

 それはそうだろう。そう思わせるようにオレが仕向けてきたのだから。中国語でわざわざ話しているのもその一環に過ぎない。

 

『取り敢えず、勝ちに行きたいと思う』

 

『──ッ!?』

 

『その為には、戦力の底上げが必要だ。固まりつつあった地盤も崩れようとしているみたいだしな。それなら、まずは個の戦力を上げる必要があるだろう』

 

 こう言えば、(ワン)はオレの話している事がクラス闘争についてだと考える。オレの今回の行動はクラスと二人の為だったのだと勘違いする。

 仮にそうではなくとも、オレの今後の行動指針が何かは分からない。

 九つの嘘に一つの真実を交ぜることにより、嘘の質は格段と上がり、看破されにくくなる。

 

「それじゃあ、オレは行く。またな、(ワン)

 

 中国語から日本語に切り替え、オレは別れを告げる。

 オレの話は終わった。しかしベンチから立ち上がろうとするオレを、(ワン)は「待って下さい!」と留めた。

 

「っ……!」

 

 目が合うと、(ワン)は狼狽えた。その瞳の奥底にあるのは、不安と、恐怖。

 これまでよき友人だと思っていたオレという人間が突然見せた特異性。それに彼女は戸惑い、そして慄いている。

 だが(ワン)はそれらを振り払うと、確かな意志を感じさせる瞳と言葉でこう言った。

 

「『(ワン)』だなんて、他人のように言わないで下さい。これまで通り、『みーちゃん』と呼んで下さい!」

 

「……あまり勧められないな。お前も今回の件で分かっただろう。オレが碌でもない人間だという事は」

 

「碌でもなくなんてありません! 確かに今の綾小路くんは怖いですけど……」

 

 それでも、と(ワン)は言葉を続ける。

 

「それでも、綾小路くんは私の憧れなんです!」

 

 オレに憧れていると、目の前の少女は確かにそう言った。

 (ワン)はオレを見上げながら、さらに続ける。

 

「最初は平田くんがそう言っているから、ただ漠然とそう思っていました。でも綾小路くんと友達になって、沢山の時間を過ごすうちに、本当にそう思うようになったんです」

 

 (ワン)との付き合いは一学期中間試験の頃から始まった。平田主催の勉強会に参加した際に、オレたちは知り合った。そこから縁は続き、彼女の言う通り、かなりの時間を共にしてきた。

 これまで何度か彼女が口にしてきた、『凄い』という評価。それはただの感想ではなかったのだと、彼女は訴える。

 

「私は、綾小路くんのように強くなりたいんです」

 

「オレと関わるという事は、戦いに身を投じる事と同義だ。それは分かっているか?」

 

「この学校に居る以上、それは必然です。綾小路くんが許してくれるのなら、これからも近くに居させて下さい」

 

 それはまるで、告白のようだった。

 オレという人間に憧れ、オレのような強さが欲しいのだと、(ワン)は言ってくる。

 

「分かった、お前がそこまで言うのなら認めよう」

 

「ほ、本当ですかっ!?」

 

「嘘は吐かないさ。──だが最初に言っておくが、オレはお前に何かを教えるつもりはない。今回の山内や佐倉のように、オレがお前に何か働き掛けることはしない」

 

 学ぶなら勝手に学べ、と暗に告げる。その果てに、(ワン)の求めた『強さ』が手に入れられるかは分からない。

 だがそこまで言ったにも関わらず、(ワン)は言葉を撤回しなかった。

 

 それを見たオレは──面白い、と思った。

 

 純粋な気持ちで憧憬を抱く目の前の少女の行き着く先、オレという人間を別の視点から間近で視た彼女がどのような『変化』を見せるのか。

 

「それじゃあ行こうか、『みーちゃん』」

 

「はい、『清隆(きよたか)くん』!」

 

 今日、一つの恋愛が終わった。それが今日という真夏の中で起きた、主な話。

 だがその裏側では新たに一つ、奇妙な関係が構築されていた。それを知る者は当事者を除き、今はまだ誰も居ない。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒
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