ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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一之瀬帆波の分岐点 Ⅰ

 

 とうとう、夏休みも残り一日を切ろうとしていた。

 今日は最終日の前日。明後日(あさって)から二学期が始まり、クラス闘争が再開する。

 いや、『再開』というのは正しくないだろう。各々この夏休みの間に、『勝つ』為の準備を整えている筈だ。約一ヶ月もの長期休暇、のほほんと過ごしている生徒の方が少ないだろう。

 

「世間の流行(はや)りはよく分からないな……」

 

 桔梗(ききょう)から教えて貰った若者で流行の音楽──曰く、円滑な人間関係構築の為には、こう言った事にも敏感でなければならない──を聴いていると、ブツッと、ノイズが突然走った。

 オレが携帯端末に視線を送ろうとすると、これまで流れていた音楽とは別の音楽が流れ始める。誰かからの電話を告げる着信音だ。

 誰だろうと思いつつ端末を手に取ると、そこには『一之瀬帆波(いちのせほなみ)』の文字が映っていた。珍しいな、とオレは率直な感想を抱く。

 連絡先こそ交換しているものの、他クラスの生徒という事もあり、これまであまり交流した事はなかった。その数少ない交流もチャットが殆どであり、向こうから電話を掛けてくるなど初めてである。

 

「もしもし?」

 

 試験中だったら訝しむ所だが、今はそうではない。また、断る理由も特にない為オレは素直に応じた。

 

『あ、綾小路(あやのこうじ)くん? これ、綾小路くんので合ってるよね?』

 

「ああ、合っているぞ」

 

『そっかー、良かったぁー! 初めて掛けるから、心配だったの!』

 

 そう言って、一之瀬は安堵の息を吐いたようだった。

 その気持ちはオレもよく分かる。特に入学当初は、初めて手にした携帯端末の操作に悪戦苦闘したものだ。世間ではこれが普及していると知識では知っていたが、百聞は一見にしかず、いざ自分が体験すると戸惑ってしまうものだ。

 電話を掛けるのもそうだ。わずか数桁の数字を入力するだけで遠く離れた相手と通話出来るなんて、昔の人間は想像すらしていなかった筈だ。それが今では当たり前のように出来るのだから、技術の進歩とは凄いものだろう。

 

『ごめんね、夜中に突然電話を掛けちゃって』

 

「謝るような事じゃないさ」

 

 電話に出られなければオレは出ないからな。それに夜中と一之瀬は言うが、今はまだ二十一時を少し過ぎた時間だ。あと二時間遅ければ話は変わってくるが、気にしなくて良いとオレは伝えてくる。

 

「それで、用件はなんだ?」

 

 先に述べた通り、オレは一之瀬と楽しく雑談をするような間柄ではない。『暴力事件』や『無人島試験』や『船上試験』でこそ協力していたが──船上試験では個人的な協力関係であった──クラス闘争という性質上、オレたちは基本的には敵対しているのだ。

 とはいえ、もちろん、オレは彼女のことを友人だと思っているし、それは彼女もきっとそう思ってくれているだろう。

 だが再三述べるが、オレと一之瀬との関係は、椎名(しいな)のような『深い』ものではないのだ。あるいは、龍園(りゅうえん)葛城(かつらぎ)のような特殊なものでもない。

 良くも悪くも普通の友人。それがオレと一之瀬の関係性である。

 一之瀬はオレの質問に、珍しくも言い淀んでいた。普段の快活さは控えられており、「えーっと……」と、らしくもなく言葉を選んでいる様子だった。

 それから一之瀬は口を開けるのに数秒を要した。そして、大きく息を吸ってからその言葉を言った。

 

『明日、綾小路くん予定空いているかな!?』

 

「空いているか空いてないかと聞かれたら、微妙な所だな。十六時からは予定があるから、それまでなら今の所暇だ」

 

『あっ、うん、それは知っているんだけどね!?』

 

 一之瀬はそう言うと、オレが口を挟む前に言葉を続けた。

 

『明日綾小路くん、南雲先輩に呼ばれているんだよね?』

 

「……ああ、そうだ」

 

『綾小路くんは知っていると思うんだけど、私この前、生徒会に入ったの。明日の十五時、特別水泳施設が集合場所だよね?』

 

「……なるほどな、そういう事か」

 

 一之瀬の言った通り、オレの明日の予定は、南雲からの呼び出しである。より正確には、生徒会副会長就任を希望しているオレと、それをあまりよく思っていない生徒会メンバーとの初顔合わせだ。

 一之瀬帆波はつい先日生徒会に入ったと、生徒会長から聞いている。オレの話を知っていたとしても何ら不思議ではない。

 つまり一之瀬は南雲から、オレが逃げないよう一緒に来いと命令を受けたのだろう。南雲の判断は正しい。実際、あまり気乗りしてないからな。

 だが同時に、南雲の心配は杞憂でもある。

 

「わざわざそんな事しなくても、オレはちゃんと行くぞ。副会長にはそう伝えてくれ」

 

 生徒会に入りたいと表明している以上、生徒会関係での面倒事は覚悟している。『南雲降ろし』もその一つだ。

 一之瀬に面倒を見て貰う必要はないと伝えるも、しかし、一之瀬は慌ててこう言った。

 

『ご、ごめんね。私の言い方が悪かったかな。先輩たちに会う前に、個人的に二人で話せないかな?』

 

 そこでようやく、オレは早とちりしていたのを悟った。

 どうやら一之瀬は、オレと話をしたいようだ。生徒会というワードを出したのは、話を切り出す為だろう。

 

『どう、かな……?』

 

 その声音には不安が含まれていた。たかだか会って話をするくらいオレは全然構わないのだが、それだけ、重要な話を一之瀬はしたいのかもしれない。

 もしそうだと仮定する。すると、次の疑問が生まれてくる。何故オレなのか、という疑問だ。

 一之瀬は学年でも屈指の人気者だ。わざわざオレを選ぶ理由は何処にもない。

 とはいえ、これはあくまでもまだ仮定の話。オレに断る理由はない。

 

「分かった、喜んで応じさせて貰う」

 

『ほんと!?』

 

「ああ、嘘は吐かないさ。ただ、時間と場所はこっちが指定しても良いか?」

 

『うん、もちろんだよ!』

 

「それじゃあ、十三時にオレの部屋でどうだ?」

 

 一之瀬が内密の話をしたいのなら、人の目がない場所の方が良い。一之瀬は人気者だし、オレも悪目立ちしているからな。そして話をしてからそのまま一緒に、南雲が待っている特別水泳施設に行けば良いだろう。

 我ながら良いプランだと思ったが、しかし、一之瀬からの反応はあまり芳しくなかった。

 

『どうかしたか?』

 

『あー、えーっと……。何て言えば良いのかな……』

 

「……?」

 

 再度言い淀む、一之瀬。

 オレが首を傾げていると、一之瀬はとても言いにくそうにこう言った。

 

『だ、大丈夫なのかなって思って……。ほ、ほら! 私が綾小路くんの部屋に行って、椎名さん怒らない?』

 

 そこでようやくオレは、一之瀬が何を不安視しているのかを察した。

 沈黙するオレに、一之瀬はさらに続ける。

 

『私は綾小路くんの部屋でも全然良いんだけど、変に誤解を招いちゃうかもしれないから』

 

 なるほど、とオレは腑に落ちる。

 すっかりと感覚が麻痺してしまっていたが、殆どの生徒はオレと椎名が交際関係にあると思っている。これまではそれが間違いだと訂正してきたが、これからは対応を考え直す必要があるだろう。

 山内(やまうち)が以前言っていた、女の匂いがする云々も真面目に考えなければならないのかもしれないな。

 オレの部屋に普段遊びに来る女子は、椎名と桔梗が主か。最近は千秋(ちあき)もそこに入りつつあるな。

 

「あー……うん、心配は有難いが大丈夫だ」

 

 多分、という言葉を脳内で付け足す。

 数週間前まではそこに絶対の自信があったが、今はどうか分からない。というのも、先日、南雲と朝比奈先輩と初めて会った時に椎名はオレに皮肉を言ってきたからだ。

 だがあの時と今回は状況がやや違う、と思う。うん、そうだな間違いない。

 

『い、一応椎名さんに確認を取ったらどうかな?』

 

「いや、それは寧ろ悪手な気がするな……」

 

 男としての勘が、そう告げてくる。

 オレは頭をブンブンと振ると、ゴホン、と咳払いした。

 

「兎に角、大丈夫だ。明日、オレの部屋に来てくれ」

 

『わ、分かった。──あっ、そうだ! 何なら綾小路くん、私の部屋はどう?』

 

「そっちの方が怒られるからオレの部屋で頼む」

 

 オレが早口で懇願すると、一之瀬は「う、うん」と言った。

 それからオレたちは少しだけ雑談をしていたが、時間も遅くなり始めていたので頃合を見て通話を終えた。

 

 

 そして、翌日。

 

 

 約束通り、オレの部屋には一之瀬が来ていた。部屋に通したオレは玄関の鍵を閉めると、事前に用意しておいたクッションに座るよう促した。

 

「部屋、かなり綺麗にしているんだね……」

 

「そうか……?」

 

「うん、私の部屋よりもよっぽど綺麗だよ。男の人の部屋だと言っても、信じる人はあまり居ないんじゃないかな」

 

 感心したように、一之瀬が息を吐く。

 これも桔梗による教育の賜物だな。曰く、誰がいつ遊びに来ても良いように一定の清潔さを維持するのは常識らしい。流石は桔梗だ、今度会ったら報告がてら何かお礼をしよう。

 そう思っていると、一之瀬が辺りをキョロキョロと見ている事に気が付いた。

 

「変な物でもあるか?」

 

 そう尋ねると、一之瀬は顔を赤くして「ご、ごめんね!」と謝ってくる。気にしてないと伝えると、彼女は赤くなった顔を戻しながらこう答えた。

 

「この前来た時よりも、かなりもの増えたなぁって思ったの。この絨毯もなかったよね」

 

 言いながら、床に敷いている絨毯を控えめに触る。来客者の多くが買えと訴えてきた為、平田と買ったものだ。

 

「そうだな……確かに、増えたかもしれないな」

 

 最初は我ながら味気ない物置同然の部屋だったが、その時と比べたら雲泥の差だろう。

 テーブルを挟んでオレたちは向かい合う。時間的にそろそろ本来の目的を済ませるべきだろう。雑談はその後からでも遅くない。実際、昨夜はそうしたからな。

 だが、今一之瀬が纏っている雰囲気はオレの目から見ても分かるほど普段とまるで違っていた。

 普段の明るいものとは程遠い、息が詰まるような重苦しいもの。まるで、何かに悩んでいるようだ。

 あと一分経ったら、オレから話そう。そう決めた、その時だった。

 

「正直……今でも迷ってる。でも、しないといけないと思うから。だから私は今、きみの目の前に居る」

 

 固く閉ざしていた口をおもむろに開け、一之瀬が沈黙を破る。その表情はとても張り詰めている。

 オレは姿勢を正し、お茶で唇を湿らせた。

 

「そんなに重要な話なんだな」

 

「うん、私にとってはとても大切な話。南雲先輩と会う前に、どうしても話をしたかったの。それが、これからきみに言う言葉への『誠意』だと思うから」

 

「南雲副会長と会う前に、か……」

 

 その言葉を反芻する。

 一之瀬はクラス闘争に臨んでいる時、否、それ以上に真剣な顔付きをオレに見せてくる。

 そしてついに覚悟を決めたのか、彼女はおもむろにこう言った。

 

 

 

「綾小路くん。これから私は、きみの『敵』になると思う」

 

 

 

 一之瀬(いちのせ)が、そう、言った。そして口をきつく結ぶと、オレの事をジッと見詰めてくる。

 シンとした静寂が部屋を支配する中、オレは一之瀬を見つめながらその発言の意味を考えていた。

 彼女が口にした、『敵』という言葉。それは今後、オレと敵対関係になるという意思を表しているのだろうか。

 オレは目を閉じると、思考をさらに深くする。

 オレと彼女はこれまでに何度か協力する事があった。

 一度目は、『暴力事件』の時。オレと龍園(りゅうえん)が画策した『暴力事件』の真相に、彼女だけが唯一自分の手で辿り着いてみせた。オレは『暴力事件』の目的を説明する事で、彼女を共犯者に加えた。

 二度目は、無人島試験の時。オレと桔梗(ききょう)の二人がDクラスを代表してBクラスに赴いた時、彼女は親身に対応してくれた。これがD・Bクラス間の同盟に繋がった。そしてAクラスに一緒に攻撃をしようと話を持ち掛けた時、彼女は否定から入るのではなく、オレの話に聞く耳を持ってくれた。その結果、Aクラスに大打撃を与える事に成功した。

 そして、三度目。干支試験の時にはクラスとは別に個人的な協力関係を築こうと彼女自ら提案してきた。オレは了承し、グループディスカッション中、アイコンタクトといった非言語コミュニケーションを用いる事により試験攻略をともに目指した。試験があのような形で終わっていなければ、オレは恐らく、最後まで一之瀬と協力していただろう。

 これまでオレたちは敵同士ながらも共に戦ってきた。もちろん、それは利害が一致していたからだ。

 だがその前提条件以上に、オレと一之瀬の間には確かな(えん)がいつの間にか出来ていた。

 売り言葉に買い言葉で対応するのは簡単だ。『敵』と話す事は何もないと一之瀬をこの部屋から追い出せば良い。そうすればオレたちの関係はリセットされるだろう。

 だがしかし、その選択が正しいとはオレには思えない。

 そもそも何故、一之瀬はわざわざオレに敵対宣言をしに来たのだろうか。これが一之瀬の『誠意』なのだとしたら、それは意味を履き違えていると酷評せねばならないだろう。

 一之瀬が口にした、『敵』という言葉。それは一般的な意味とはかけ離れた意味合いを持つのだとしたらどうだろうか。

 そうだとするならば、この時点で結論を出すのはあまりにも愚行で早計、短慮(たんりょ)というものだろう。

 

「取り敢えず、詳しい話を聞けると思って良いんだな?」

 

 オレが静かに尋ねると、一之瀬は張り詰めていた表情を僅かに緩めた。

 それを見たオレは正解を選んだのだと確信する。今のは、一之瀬からの『問題』だったのだ。この『問題』に気付けるか否かで、オレと一之瀬の関係は大きく変わっていたのだろう。少なくとも、一之瀬はそのつもりだった。

 

「ごめんね、回りくどい方法を取っちゃって。でも、どうしても確かめたかったの」

 

「謝る必要はない。お前が安心するというのなら、いくらでもオレを試してくれ」

 

「あはは、凄い自信だね」

 

 調子に乗ってみせたオレを見て、一之瀬は安堵(あんど)したようだった。それから、こう呟く。

 

「やっぱり、綾小路くんは凄いなぁ……」

 

 その称賛の言葉に、オレはどう反応したら良いか戸惑ってしまう。

 最近オレは、『凄い』という評価を周りの人間から受けている。それはきっと、とても有難い事なのだろう。この世界にはその評価を受けたくても能力が及ばずそれとは真逆の評価を受ける人間など星の数ほど居る。

 だがオレからすれば、オレのような人間は『凄い』とは程遠い人間なのだ。

 それは他でもない、オレ自身がよく知っている。

 

「綾小路くん。もし良ければ、本題に入る前に私の独白を聞いて欲しい」

 

「……分かった。是非、聞かせて欲しい」

 

「とても退屈でつまらないと思うけど、そこは許してね」

 

 一之瀬はそう言うと、微かに微笑んだ。窓から覗き見える夏空を見ながら、おもむろに話を始める。

 

「この学校に入って、もう五ヶ月が経った。多くの人が多少なりとも『成長』している。綾小路くんも、そう思わない?」

 

「……そうだな。それはきっと、クラス闘争が多分に関係しているんだと思う」

 

「うん、私もそう思う。クラス闘争という一つの大きな『切っ掛け』があるからこそ、私たちの間には競争意識が生まれ、自己変革が起こる」

 

 あまりにも『特殊』な『環境』。通常の高校生なら、このような出来事にはまず直面しない。

 つまり、クラス闘争とは言うなれば、オレたち子供が大人になってから少しずつ経験していく『社会』の『模擬練習』なのだ。

『特別試験』はそれを『実践する場所』と言えるだろう。

『実力至上主義』──この学校の理念が、それを物語っている。

 

「綾小路くん、私はこう思っているんだ。最も『成長』したのがきみたちDクラスなのだとしたら、その反対、最も『停滞』しているのはBクラスだとね」

 

「それどころか」と悔しそうに唇を噛みしめ言葉を続ける。

 

「私のクラスは、弱くなっている」

 

 初めて聞く、一之瀬の弱音。

 それが嘘や演技だとは、オレには思えなかった。

 一之瀬は心から、自分の率いているクラス──Bクラスが弱いと思っている。

 

「あはは、私に失望したよね?」

 

 言葉を何も返さないオレを見て、一之瀬がそう言う。その表情に浮かんでいるのは、自虐、自嘲といった彼女には似合わない負の物。

 

「仮にもクラスのリーダーがこんな事を考えちゃいけない、思っちゃいけないのは分かってるの。でも私はやっぱり、仮にもクラスのリーダーだから──だから、分かっちゃうんだ……」

 

 大多数の人間は、一之瀬帆波(ほなみ)という人間を『明るい』『優しい』『元気』といった印象を持っているだろう。そこにはオレも含まれている。

 否、含まれていた。

 オレも、大多数の人間も認識を間違えていたのだろう。

 オレがそんな確信を抱く中で、一之瀬の独白は続く。

 

「Aクラスは正真正銘の『天才』の集まり。坂柳(さかやなぎ)さんや葛城(かつらぎ)くんといった、あまりにも手強い人間が山ほど居る。内部分裂しているAクラスを落とせてないのが、それを証明している」

 

 今なお、Aクラスは内部分裂をしている。それは誰をクラスのリーダーにするかで揉めているからだ。

 この夏休みはAクラスを打破するのに最も適した時期だったと言える。だが結局、AクラスはAクラスのまま。クラスポイントを削ぎ落とす事は出来たが、約1000クラスポイントという優位性の所為で落とす事は出来なかった。

 

「Cクラスは龍園くんという絶対的象徴……『暴君』が即位したその時から『烏合の衆』から『独裁国家』に変わった。ううん、最近はそれにすら変化が生まれてきている」

 

 龍園(かける)は紛れもなく『暴君』だ。それは十人が十人、全員が首を縦に振る共通事項である。

『暴君』として即位した龍園がまず行った事は、秩序とは程遠いクラスを統治する事だった。その方法こそ問題視されるものだったが、結果として、龍園は見事にクラスを掌握した。

『暴君』か『賢王』か。果たしてどちらが優れた『王』なのか。これは、『王』という概念が生まれた時から今なお続いている問題だ。

 だが、確実に言える事がある。それは『暴君』の『政治』に、確かな『効果』があるということ。

 その証拠が、クラスの序列変動にある。龍園率いるCクラスは下克上に成功し、明日の九月からはBクラスとなる。

 もし仮に、『暴君』が最期の時まで『暴君』のまま君臨し続けられたとしよう。その末路が断頭台ではないとしよう。それは限りなく低い確率だが、それを成し遂げた者こそが『暴君』であり、『賢王』なのだ。

 つまり、『暴君』と『賢王』はコインの裏表のようなもの。それは後世の人間であるオレたちが様々な要素から解釈しているに過ぎない。

 

「Dクラスは、『原石』。磨けば光る、そんな人たちが集まっている。もちろん、取り扱いには注意しないといけない。でも結果として、確かな輝きを持つ人が続々と現れている」

 

 それが、一之瀬が分析した結果か。

 ここでオレは初めて、彼女に質問を投げる。

 

「それなら、Bクラスはどうなんだ?」

 

「っ……」

 

「お前がさっき言っただろう、仮にもクラスのリーダーだから分かると。それを聞かせて欲しい」

 

 一之瀬の瞳が、揺らぐ。その言葉を口にしたくないと、が震える。

 言いたくない事は言わなければ良い──そう、口にするのは簡単だ。

 だがそれをした所で意味はない。寧ろただの時間の浪費でしかない。それではこの時間に価値などない。

 何故なら、オレたちの話の本題はまだ始まってすらいないからだ。そして、悠長に話している時間も、残念ながらもう無い。

 それは、一之瀬自身がよく分かっている筈だ。

 

「Bクラスは……──()()()()()……!」

 

 これまで自分のクラスを『B』と呼んでいた一之瀬が、『C』と言う。その悲壮な覚悟を、その振り絞った勇気を、オレは尊重しよう。

 

「Cクラスは……クラスの皆が仲が良い。他クラスに散発的に見られる諍いは起こらないし、団結する事で真価を発揮する」

 

「そうだな、それで間違ってないだろう。クラス闘争は団体戦だ。つまりお前のクラスは最もクラス闘争に適しているんじゃないか」

 

「……それは、違うんだ。違うんだよ、綾小路くん」

 

 一之瀬は弱々しく首を横に振ると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。それはまるで、道に迷った子供のようだった。

 

「Cクラスは、仲が良い。互いが互いを尊重し、そこには平和がある。でもそれは、上辺(うわべ)だけの平和、そして仮初の秩序なの」

 

「……」

 

「互いが互いを尊重している──言葉にすると、とても素晴らしい事だと思う。私も、そう思ってた。Aクラスに配属されなかったのは残念だったけど、でも、このクラスに配属されて、こんなにも素敵な人たちと一緒に戦えるんだと思うとそれも無くなったの」

 

 だけど、と一之瀬はさらに続ける。

 

「私たちのクラスは、何も『発展』がなかった。互いが互いを尊重するばかりで、そこに『決断』がなかった。その結果、私たちのクラスは龍園くんたちに負けた」

 

「それは仕方のない側面もあるだろう。あれは、予測不可能な出来事だった」

 

「……そうだね、そうかもしれない。私も、そう思う。問題は、その後だった」

 

「夏休み中、クラスみんなで集まる機会を用意したの」と一之瀬は打ち明ける。

 そして一人の少女は項垂(うなだ)れながら、こう言った。

 

「大多数の人は、危機感なんてものは持っていなかった。まだ夏休みが終わったばかりだと言う人がいた。序列は変動したけど、その差はないも同然ですぐに逆転出来ると言う人がいた」

 

 それは批難ではなく、ただ、事実を並べているだけだった。一之瀬は淡々と機械のように、彼女が見た『異様な光景』を語る。

 

「それでね、最後にはみんな口を揃えてこう言うの。『うちには一之瀬さんが居るから大丈夫。一之瀬さんに付いていけば絶対勝てる』って、言うんだ……」

 

 それはあまりにも楽観的で、無責任で、残酷な言葉だと言わざるを得ない。

 言われた一之瀬の心中は想像すら難しい。いや、他者が想像をする事そのものが残酷な仕打ちだと言えるだろう。

 そこでオレは、茶柱(ちゃばしら)先生が言った言葉をふと思い出した。

 

 ──『あのクラスは一之瀬帆波が神格化されているからな』──

 

 なるほど、とオレは()に落ちる。

 茶柱先生も腐っては教師。他クラスとはいえ、そのクラスの問題が何かは把握していたという事か。

 

「私は、自分の意思でクラスのリーダーに名乗り出た。みんなでクラス闘争を戦い抜いて、最後にはAクラスで卒業したいと思ってた」

 

「……」

 

「クラスのみんなが、私は好き。でも私、どうしたら良いのか分からなくなっちゃって……私の存在がみんなを歪めているのなら、それを何とかしなくちゃいけなくて……」

 

 一之瀬は苦しそうに、胸のうちを吐露(とろ)した。そして項垂れたまま、こう呟く。

 

「だから私は、南雲先輩の手を取ったの……」

 

「……どうしてそこで、副会長の名前が出てくるんだ?」

 

 オレの質問に、一之瀬はなかなか答えない。

 時計の針が刻む音が部屋に大きく反響する中、オレは一之瀬が口を開けるのを待った。

 そしておもむろに、一之瀬はぽつぽつと話を再開する。

 

「私はかなり前から、生徒会に入りたいって、生徒会長に申し出ていたの。私の他には、葛城くんもそうだった」

 

「その話は聞いている。だが、生徒会長はそれを拒否していたんだろう?」

 

「うん、面談もやって好感触だったんだけどね……」

 

 まさか断られるとは思っていなかった、と一之瀬は言った。それだけの自信があったという事だ。

 

「葛城くんはそれで諦めちゃったんだけど、私は違った。面談は何回も出来るっていう話だったから、何回も足を運んだの」

 

 普通なら葛城のように諦めるだろう。だが、一之瀬はそれをしなかった。

 ここで疑問が生まれる。何故そうまでして、生徒会に拘るのかという疑問だ。

 はっきり言って、それは異常な執着だと言わざるを得ない。

 しかしその理由をオレに語る事なく、一之瀬は話を進める。

 

「……夏休み前だったかな。南雲(なぐも)先輩に声を掛けられたのは」

 

 その日は生徒会長だけでなく、副会長も面談官として席に着いていたという。

 通常合否の通達は後日携帯端末にメールで報せる事になっていたが、何度も面談に臨む一之瀬にはその場で生徒会長が結論を出していたそうだ。

 その日も生徒会長は変わらない結論を出した。一之瀬はそれに落胆しつつも、次こそはと意気込んでいたという。

 そして、退室しようとした時。いつもは無言で見送られるが、この日は違い、彼女に声を掛ける者が居た。

 

「南雲先輩は面談中一言も言葉を発していなかったんだけど、私に声を掛けてきたの。そして私と話をした後、堀北生徒会長に『これだけの逸材を生徒会を入れないのは勿体ない。彼女は、生徒会に相応しい人間だ』って言って、私の生徒会入りを支持してくれたの」

 

 そこからはあっという間の出来事だったそうだ。

 副会長直々の推薦(すいせん)によって、一之瀬の立場は一般生徒から変わった。彼女の挑戦を知っている他の生徒会役員も、副会長に賛同した。

 

「決め手だったのが、今年の新入生がまだ誰も生徒会入りをしていなかった事。例年なら二、三人入れているみたいなんだけど、生徒会長は今年に限ってそれをしなかった」

 

 南雲は生徒会の人員不足を強調した。学校の教師すらも巻き込み、生徒会長を説き伏せたらしい。

 その結果、これまでの苦労がまるで嘘だったかのように呆気なく、一之瀬は生徒会役員になった。

 

「それから南雲先輩は、私を気にかけてくれるようになったの。南雲先輩も私と同じで、最初はBクラスからのスタートだったみたいで、私の気持ちが分かるって言ってくれた。生徒会の仕事も、その殆どは南雲先輩が教えてくれた」

 

 それから一之瀬は南雲とよく話をするようになったと言う。最初は生徒会に関連するものが多かったが、次第にそれ以外、個人的な事も増えていったそうだ。

 そして一之瀬は南雲を慕うようになっていった。頼りになる先輩だと、彼女はごく自然にそう思うようになっていった。とても充実した日々だったと、一之瀬は語る。

 

「クルージング旅行から帰ってきてから暫く経った時、南雲先輩から大切な話があるって誘われた」

 

 その日、南雲は一之瀬を朝から晩まで連れ回したそうだ。南雲は一之瀬が知らなかった施設の遊び場に連れていき、一之瀬を楽しませたという。

 夕食は完全個室のレストランだった。密室を警戒する一之瀬に、南雲は大事な話があるからと訴え、半ば無理やり連れ込んだらしい。

 そして南雲はディナーもそこそこに切り上げると、一之瀬にこう言ってきたという。

 

「『俺と一緒に堀北生徒会長を倒さないか』──南雲先輩は私に、そう言ってきた」

 

 オレは無言で話を促す。一之瀬は自分のタイミングで、話を続けた。

 

「最初は訳が分からなかった。南雲先輩は堀北生徒会長を尊敬していたし、私に何度もその話をしてきたから。自分が唯一尊敬している偉大な先輩だって、そう、言っていたから」

 

 実際南雲はオレと出会った時も、同じような事を言っていた。

 

戸惑(とまど)う私を他所に、南雲先輩はその意気込みを語っていた。そしてもう一度、私に言ってきたの。一緒に堀北生徒会長を倒そう、一緒に、『革命』を起こそうって」

 

「……それで、一之瀬はそれに頷いたのか?」

 

 二度目の質問を投げる。

 一之瀬はそれに、首を小さく横に振る事で答えた。

 

「私はそれに……何も言えなかった。南雲先輩には恩義を感じているけど、その時の南雲先輩はいつもと違って怖かったから。先輩が言う、『革命』。それが恐ろしいもののような気がしたの」

 

 そして、一之瀬はさらにこう言った。

 

「沈黙する私に、南雲先輩は一つの『取引』を持ち掛けてきた」

 

「『取引』?」

 

「それは、私が南雲先輩の派閥に完全に入る事と引き換えに、二年生全体で私のクラスを支援するっていう内容だった」

 

 その話を聞いたオレは、南雲(みやび)という男の本性、その一端を垣間見たような気がした。

 一見すると一之瀬にしか利がないが、その実態はまるで違う。

 南雲は堀北学(ほりきたまなぶ)との戦い──その後まで見据え、布石を打っている。

 

「このままじゃ、私のクラスは負ける。でももし南雲先輩から支援を受ければ、話は変わってくる。南雲先輩が言ってたの、これから先の戦いはひと学年の枠内に収まらず学校全体を巻き込んだものになるって」

 

 自分を犠牲にすれば、勝ち星を拾えるかもしれない。その可能性を提示され、一之瀬は悩んでいる。

 いつもの一之瀬ならこんな話、聞く耳すら持たないだろう。自分と仲間を信じて突き進むと言い切った筈だ。

 だがBクラスからCクラスへの降格、仲間からの悪意ない言葉、クラスリーダーという重責がいつしか呪縛(じゅばく)となって、一之瀬の心を(むしば)むようになっていた。

 

「それからまた暫くして……この前、生徒会会議が開かれたの。その時堀北生徒会長は、綾小路くんと葛城くんの二人を生徒会に入れたいと言った。ましてや綾小路くんを副会長に推薦すると言ったの」

 

 そう言うと一之瀬は顔を僅かに上げ、薄く笑った。

 

「私はその話を聞いた時、素直に嬉しかった。他の人たちは懐疑的だったけど……綾小路くんと葛城くんの二人なら一緒に生徒会でやって行けるって、そう思えたから。でも、違ったんだね……──」

 

 会議が終わった後、一之瀬は南雲に呼び出された。『取引』について話をすると身構えていた彼女に、南雲は全く別の事を話したという。

 

「きみたち二人は、生徒会長が集めた南雲先輩への対抗策。堀北生徒会長はそうする事で、戦う覚悟がある事を南雲先輩に示したんだ……」

 

 一之瀬はそう言うと、オレをジッと見詰めた。そして唇を震わせながら、とても辛そうに言った。

 

「綾小路くん、私はどうすれば良いのかな……?」

 

「……」

 

「……どれだけ考えても、分からないの。クラスの事も、生徒会の事も、そして、これからの私の事も、全く分からない……」

 

 一之瀬帆波は『善人』か『悪人』か。そう聞かれた時、彼女を知る者は前者だと口にするだろう。

 それにはオレも含まれるが、それはどうやら間違いだったようだ。

 一之瀬帆波は『純粋』なのだ。彼女は特別な人間でもなんでもなく、ただの一人の少女だった。

 

「オレの考えを伝える前に、一つの聞かせてくれないか。どうしてこの話をオレにしてくれたんだ?」

 

 一之瀬は視線をややオレから逸らしながら、ボソボソと答えた。

 

「綾小路くんなら、最後まで私の話を聞いてくれると思ったから。ほら、私がクラスの子からラブレターを受け取って、綾小路くんに相談した事があったでしょ?」

 

「ああ……そんな事もあったな」

 

「あの時から綾小路くんは私にとって、『特別な友達』になったんだ」

 

「そうか……分かった。ありがとう、一之瀬」

 

 それならオレも、一之瀬の『誠意』に応えるべきだろう。

 オレはすっかりと温くなった麦茶を一気に呷ると、自身の考えを口にした。

 

「悩む事は何もないぞ、一之瀬」

 

「……ぇ?」

 

「お前は、お前のやりたいようにやれば良い。そう言っているんだ」

 

 ぱちくりと瞬きする一之瀬。ぽかんと口を半開きにしているその様は珍しく、可愛らしい。

 そんな場違いな感想を抱きながら、オレは言葉を続ける。

 

「クラスリーダーが嫌になったのならやめれば良い。生徒会長と副会長の戦いに巻き込まれるのが嫌なら、はっきりとそれを口に出したら良い。簡単な話だろう」

 

「……ちょっ、ちょっと待って綾小路くん! 綾小路くんはそう言うけど、そんな簡単な話じゃ──」

 

「いいや、とても簡単な話だ。そもそもどうして一之瀬、お前一人がそんなに抱え込む必要がある? お前の悩みはお前のクラスメイトが一緒に背負い、そして解決していくべきものの筈だ」

 

 オレがそう言うと、一之瀬は押し黙った。

 

「生徒会の件もそうだ。断言するが、副会長はお前の事なんてどうでも良いと思っている」

 

「そ、そんな事──」

 

「そんな事はある。副会長は最初からお前を自派閥に引き入れるつもりで、これまで面倒を見てきたに過ぎない。お前に恩を売る事で、お前という『駒』を手に入れる為だ。話を聞いていたオレがそう思うんだ。当事者のお前だって、不思議に思っていた。違うか?」

 

「そ、それは……──」

 

 そしてオレは、それが残酷だと知っていながら、その事実を突き付ける。

 

「ハッキリ言うが一之瀬、お前は戦いに向いていない。その優しさは長所であると同時に、弱点でもある。それはお前も自覚しているだろう」

 

「……」

 

「さらに言えば、クラスリーダーにも向いていない。普通の学校なら話は変わってくるが、少なくともクラス闘争があるこの学校では全く適性がない」

 

「……っ!」

 

「お前の優しさが、クラスメイトから考える力を無くしてしまった。その結果がこれだ。一之瀬帆波、お前という存在によって良くも悪くも傾いてしまう事態を招いた。今は悪く傾いている」

 

「…………っ!」

 

「そしてお前は、誰かに頼る事を知らない。お前がもっと誰かに悩みを打ち明けていれば、お前のクラスは今の悲惨な状態にはならなかっただろう。お前のクラスはみんなが仲が良い。だが円の中心に居るお前は、誰とも繋がりを持てなかった。『みんな』の中にお前という存在は入っていなかった。つまり、お前の頑張りが、努力が、却ってクラスを駄目にしたんだ」

 

 それからオレは淡々と、一之瀬に言葉のナイフを刺し続ける。

 それを一之瀬が望んでないのは分かっている。今一之瀬が望んでいるのは優しい言葉だろう。

 

『お前は何も間違ってない』

『お前はよく頑張っている』

『お前の努力は必ず報われる』

 

 そんな、慰めの言葉を一之瀬は欲している。

 だが、それをした所で意味は何もない。

 この場では良くとも、今後も一之瀬はこの苦しみを味わい続けるだろう。

 そしていつしか本当に、一之瀬が壊れる日が来る。それは予感でもなく、確定した未来だ。

 

 一之瀬はここに来た時、オレの『敵』になるかもしれないと言った。

 

 その言葉の意味を、オレは考えなくてはならない。

 一之瀬がどれだけの必死な想いを抱えて、オレの所に来たのか。

 その覚悟を、その勇気を無駄にしてはならない。

 一之瀬がオレの事を『特別な友達』だと言うのなら、オレもまた、そのように想おう。

 

 オレは今日、一之瀬帆波を壊す。

 

 オレの言葉を聞き終えた一之瀬は、その顔を絶望一色で染めていた。

 

「私は……クラスに不必要な存在……?」

 

 自分という存在の意義を自問自答する。

 

 再度、述べる。

 

 オレは今日、一之瀬帆波を壊す。

 そしてそのうえで、一之瀬帆波を、その在り方を再生させる。

 

 やがておもむろに、一之瀬はゆらゆらと立ち上がった。オレには目をくれず、玄関へ向かおうとする。それは歩行とはいえず、這っているに等しい。

 美しい髪もその輝きは()せてしまい、これが一之瀬帆波だと言っても信じる者は少ないだろう。

 

「どこに行くつもりだ?」

 

 声を掛けるも、一之瀬は振り向く事はしなかった。聞こえていなかったのか、あるいは聞こえていて無視をしたのか。

 それは別に、どちらでも良い。オレはのそのそと動く彼女の手を掴み、もう一度声を掛ける。

 

「一之瀬、話はまだ終わってないぞ」

 

「……」

 

「お前はもう終わったつもりでいるんだろうが、オレの話はまだ終わってない。一方的に話をして勝手に出ていくのは常識に欠ける行為だと思うが」

 

「…………」

 

「オレの知っている一之瀬帆波は、そんな非常識な人間じゃないんだけどな」

 

 そう言うと、一之瀬はガバッと顔を振り向かせた。長髪が宙を舞う。

 

「何で……なんで……! そんな事を……──!」

 

 一之瀬はそう声を震わせながら、オレを強く睨んだ。だがその行為を自覚した次の瞬間、自分自身が信じられないと言うように目を大きく見開き、そのまま膝から崩れ落ちる。

 オレは怪我しないよう、少女の身体を抱き留めた。重い衝撃が身体に掛かるが、それは彼女がここに居る証でもある。

 

「……()()()は、みんなが言うような『善人』じゃない……。そんな事を考えた事なんて一度もない……ただ、わたしは──」

 

 胸の中の一之瀬が、そう、言葉を吐き出す。

 一之瀬が今の一之瀬になったのは、過去に『何か』があったとみて間違いないだろう。その『何か』があり、一之瀬は背伸びしようと思った。そしてそれを出来るだけの能力が、少女にはあった。

 だが、そんなものに興味は微塵もない。詮索しようとも思わない。

 大事なのは、『過去』ではなく『現在(いま)』。少女が望み、そして苦しみながら悩んでいる『未来(これから)』の事だ。

 オレはずっと、少女の慟哭(どうこく)が終わるまで聞き続けた。

 

「ねえ、綾小路くん。これからわたし、どうすれば良いのかな……?」

 

 何度目になるか分からない、同じ問い。

 オレはそれに、同じ答えを返す。

 

「さっきも言ったと思うが、お前は、お前のやりたいようにやれば良い」

 

「やりたいように……?」

 

 言葉を繰り返す一之瀬に、今度はオレが質問する。

 

「今、お前は何をしたい?」

 

「それが、大事な事なの……?」

 

「ああ。お前が今心からやりたい事を、聞かせて欲しい」

 

 一之瀬は暫く悩んでいた。

 数分経って、少女は顔を上げてオレを見詰めながら口を小さく動かす。

 

「今日はもう、外に出たくないかな……。出来る事なら綾小路くんと、ずっと一緒に居たい」

 

「それをお前が望むなら」

 

「……うん。でも、駄目だよね。だってそろそろ、南雲先輩たちの所に行かないと……」

 

 時計を確認すると、十五時を少し回っていた。そろそろ身支度を整え、準備をしなければならないだろう。

 

「サボるか」

 

「えっ!? だ、駄目だよ綾小路くん。今日は綾小路くんと葛城くんが初めて生徒会役員と会う大切な時間なんだから……」

 

「葛城も呼ばれているなら、それで大丈夫だろう。オレもお前と同じで、行くのを面倒臭く思っていたんだ」

 

「で、でも私たちが行かなかったら、嘘だってすぐにバレちゃうよ」

 

 慌てる一之瀬とは対照的に、オレの心は決まっていた。

 そうと決まれば早い。オレは南雲に、今日は身体の調子が悪い為行く事が出来ない事を伝える。

 また、葛城にも同じ内容に加えて謝罪のメッセージを送った。針のむしろとなるだろうが、頑張れ葛城。鉄壁の心を持つお前なら大丈夫だ。

 オレはそのまま携帯端末の電源を迷いなく切り、音信不通の状態にする。

 

「ほら、一之瀬も」

 

「え? え?」

 

「良いから、早く」

 

 呆然とする一之瀬に声を掛け、オレは指示を出す。一之瀬は戸惑いながらも言われるがままに手を動かし、生徒会のグループチャットにメッセージを飛ばした。

 そして誰かが反応する前よりも先に、携帯端末の電源を切る。

 

「ど、どうしよう綾小路くん!? 私たち、何てことをしちゃったんだろう!?」

 

「落ち着くんだ一之瀬。今更過去は変えられないぞ。だからこのままサボろう。一蓮托生だ」

 

 渾身のドヤ顔を披露すると、一之瀬は暫くアワアワと混乱していた。

 そんな可愛らしい様子をオレは眺める。これがきっと、本来の一之瀬の姿なのだろう。

 

「どうだ、やりたい事をやってみた感想は?」

 

「凄くドキドキしたよ! 何だったら、今もしているよ!? 悪い意味で!」

 

「そうか、そうだろうな。オレも後悔しているところだ」

 

 肩を竦めてみせると、一之瀬は「うにゃあ!?」と奇妙な声を上げた。

 オレはコップにお茶を入れ直すと、一之瀬にそれを手渡した。一之瀬は小さくお礼を言うと、少し飲む。

 

「今のが、大事な事だったの……?」

 

 一之瀬は呼吸を落ち着かせると、そう、尋ねてきた。

 

「一之瀬、お前は優しい人間だ。お前がそうなったのにはそれ相応の理由があるんだろうが、その土台に善良な心があったからこそ、今のお前が出来たと思う」

 

「……」

 

「だからこそお前は、もっと我儘(わがまま)で良いんだ。もっと自分のやりたい事を、口に出して良いんだ。自分の想いを言う事は決して悪い事じゃない」

 

「……でもそれって、迷惑じゃないかな?」

 

 不安そうに首を傾げる、一之瀬。

 一之瀬は頼られる事には慣れている。だがその反面、誰かに頼るという事を知らない。

 その在り方を、オレは今日徹底的に壊す。

 

「言っただろう、自分の想いを言う事は決して悪い事じゃないと。一之瀬、お前は誰かから……そうだな、クラスメイトから悩みを打ち明けられた時、迷惑だと感じた事があるか?」

 

「ううん、一度もないよ」

 

「そうか。そして大多数の人間もそれを面倒だとは感じない。時と場合にもよるが、基本的には頼られて嬉しいと感じる。オレだってそうだ」

 

 自分の悩みを、どうでも良い相手には話さない。信頼している人間にのみ、人は『秘密』を共有する。

 そして受け手は、『自分が認められている』と思う。その解釈は正解であり、承認欲求が満たされる。

 友人の話をここでするなら、櫛田桔梗は『承認欲求の権化』と言える。彼女はそれを自覚しており、それ故に、彼女はコミュニケーション能力という側面では他者の追随を許さない。

 

「オレはさっき、一之瀬にクラスリーダーは向いてないと言った。その言葉を撤回する気はない。お前はサブリーダーとして初めて真価を発揮するタイプだ」

 

「……うん、それは自分でも分かってる。ううん、分かってたつもりだった。だけど今日、綾小路くんと話した事でそうだと自覚した」

 

「そのうえで、聞こう。お前は今後も、クラスを率いていきたいか? 他の生徒に委ねるつもりはあるか?」

 

 至近距離で見詰め合う。

 そして一之瀬は長い、長い沈黙の末に一つの答えを出した。

 

「わたしの所為で、クラスは一度負けた。でも、まだ完全には負けてない。クラス闘争はまだまだ続くから。だから、もし許されるなら──」

 

 そう言うと、一之瀬はオレからゆっくりと身体を離す。そしてオレを真正面から見定めると、自分の意思を口に出した。

 

「──今度は……今度こそ、()はクラスのみんなと勝ちに行く。自分の弱い所と向き合って、困ったり悩んだりしたらみんなと話し合う。そして、私のクラスがAクラスで卒業する」

 

 一之瀬は言葉を続ける。

 

「生徒会の事もそう。南雲先輩には恩義を感じているけど、私たちの為に『取引』は断わろうと思う。だから、副会長の派閥にも入らない。かと言って、生徒会長陣営にもつかない。私は、私が直接この目で見て、正しいと思った方に味方する」

 

 キッパリと、一之瀬はそう宣言した。

 それを見たオレは、『破壊』と『再生』が上手くいったのだと確信に至った。

 まだ『芯』には罅が入っているが、それも何れ時間の経過と共に無くなるだろう。むしろ以前より、より強固なものとなるに違いない。

 

「ど、どうかな……?」

 

 何も反応しないオレを見て、一之瀬が不安そうに尋ねてくる。それはまるで、親に回答の正否を尋ねる子供のようで……気が付けばオレは、少女の頭を撫でていた。

 

「あ、ああああああああ綾小路くん!?」

 

 気持ち悪いと手を払いのけられるかと思ったが、一之瀬は羞恥で顔を真っ赤で染めこそすれ、何もしなかった。

 

「オレたちは、似ている部分があるな」

 

 呟いた独り言に、一之瀬が反応する。

 

「私と、綾小路くんが……?」

 

「ああ」

 

 それ以上オレは答える気はなく、それを察した一之瀬も追及してくる事はなかった。

 それからオレたちは夏休み最後の一日を二人きりで過ごした。一之瀬は「これ以上は椎名(しいな)さんに悪いよ」と言っていたが、今の彼女に必要なのは気の置けない友人だ。それがたまたま異性のオレだったという話。

 

「今更聞くのもどうかと思うけど、良かったの? 綾小路くんからしたら、私はあのまま落ちぶれていた方が良かったんじゃない?」

 

 夕食前の暇つぶしで行っていた消しゴム落とし──机の上に配置された消しゴムを指で弾いて、相手の物を落とすゲーム──の最中、一之瀬がそう聞いてくる。

 オレは面白い遊びもあったものだと思いながら、その質問にこう答えた。

 

「クラス闘争の事を考えたら駄目なんだろう。だが一之瀬は今日、クラス闘争の事は何も考えずにオレの所に来たんだろ? 『特別な友達』として」

 

「う、うんそうだけど……改めて言葉にすると恥ずかしいね」

 

 そう言って、頬をかく一之瀬。

 オレは狙いを定めながら、話を続けた。

 

「それならオレも、それに応えるべきだと思った。それがオレなりの『誠意』だと思ったんだ」

 

「そっか……。ありがとう、綾小路くん」

 

「礼を言われるような事じゃない。寧ろ一之瀬は、オレを罵倒しても良いくらいだ。それだけ酷い言葉を言った自覚はあるからな」

 

 言いながら、オレは自分の消しゴムを指で弾く。コースは良かったが力が弱かったようで、一之瀬の消しゴムの目の前で止まってしまい攻撃は失敗してしまった。

 一之瀬は絶好のチャンスを無駄にしないよう張り切りながら、オレの言葉にこう答える。

 

「あはは、確かに驚いたかも。だって今日の綾小路くんと今までの綾小路くん、まるで別人みたい。今日の綾小路くんが、本当の綾小路くんなの?」

 

「どうかな。オレはいつだってオレのつもりだが」

 

「そっか、そうだよね」

 

 ジョハリの窓で言うところの『盲点の窓』だな。自分は気付いていないが、他者は知っている自己。一之瀬はそれを今日、発見したのかもしれない。

 だがそれは、オレも同じだ。一之瀬の本当の姿を、オレは見る事が出来た。それはきっと、とても幸運な事なのだと思う。

 

「綾小路くんはさ、これから本格的に表舞台に出るつもりなんだよね?」

 

「そうだな。お前には隠しても意味がないから言うが、勝ちに行こうと思ってる」

 

 副会長就任を希望している事を、一之瀬は知っている。そのような人間がクラス闘争とは無縁でいたいとは思わないだろう。

 

「困った……。これはまた、とんでもない強敵が現れたね……」

 

 オレのやり方の一つを、一之瀬は今日自身の身をもって知った。それ故に他クラスの誰よりも、そこに強い危機感を覚えるだろう。

 そういう意味では、『手札』が一つ割れてしまった事になるか。

 消しゴム落としは遂に最終局面を迎えていた。オレの消しゴムが机の端に追い詰められており、そして最悪な事に、次の番は一之瀬となる。

 当てさえすれば一之瀬の勝利は確実。だがもし外したら、一之瀬の消しゴムはそのまま落下し自滅。オレの勝利となる状況だ。

 

「綾小路くん。この勝負に勝ったら、二つ、お願いがあるんだけど……良いかな?」

 

「二つもか。それは強欲だな」

 

「そ、そうだよね……やっぱり、今の話はなかった事に……」

 

「嫌とは言ってない。ただし、オレが叶えられる範囲のものにしてくれ。それなら良いぞ」

 

 オレが了承すると、一之瀬は顔を輝かせた。

 

「もし一之瀬が負けたら、その時はどうする?」

 

「それはないよ。私、勝つから!」

 

 物凄い気合と自信だ。そして宣言通り、一之瀬はオレの消しゴムに自身の消しゴムを命中させ、勝利してみせる。

 敗北を受け入れたオレは、一之瀬のお願いとやらを尋ねた。

 

「一つ目は、もし私と戦うような事があったら、その時は全力で戦って欲しい」

 

「それはクラス闘争でか?」

 

「それも含めて、全ての勝負で。特別試験で私のクラスと戦う時も、遠慮はいらない。本気で来て欲しい」

 

「分かった……と、言いたい所だが。オレのクラスとお前のクラスは相互不可侵の条約を結んでいる同盟関係にある。その辺はどうするつもりだ?」

 

 そう確認を取ると、一之瀬は不思議そうに首を傾げた。

 

「あれ? もしかして堀北(ほりきた)さん、まだクラスの人たちに言ってないの?」

 

「……何も聞いてないぞ」

 

「そうなんだ。それなら、みんなに思い切り夏休みを過ごして欲しかったのかもしれないね」

 

 堀北の意図は分からないが、今更今聞いた話を無かった事には出来ない。

 一之瀬に話を進めるよう促す。

 

「私たちの同盟は二学期開始と同時に無くなることになったの。私たちはこれから、直近の敵になるから」

 

 Dクラスと元Bクラスが同盟を結べた一番の理由がそこだからな。今後DクラスはCクラスになった一之瀬クラスを追う事になる。

 

「分かった、お前がそれを望むならそうしよう。それで、もう一つのお願いは?」

 

 しかしここで、一之瀬は目を露骨に逸らした。モジモジと身体を動かし、中々口を開けようとしない。

 

「一之瀬?」

 

 オレが声を掛けると、一之瀬は覚悟を決めたようだった。パチン! と両手で両頬を強く叩くと、グイッとテーブルから身を乗り出して言う。

 

「これからは、な、名前で呼んで欲しいな!」

 

「……名前?」

 

 瞬きするオレに、一之瀬は頬を赤く染めながらも「うん!」と首を縦に振った。

 何だそんな事かとオレが思う中、少女は早口でこう言った。

 

「綾小路くんは『特別な友達』だからそう呼んで欲しいなって思ったのあっでも椎名さんが駄目って言うなら全然大丈夫だからどうかなお願い──」

 

「それならオレの事は『清隆(きよたか)』だな、『帆波』」

 

「──へぅあ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げる、一之瀬。否、帆波。

 感情表現がこの数時間で一気に大きくなったなと思いつつ、オレは言った。

 

「オレにとっても、『帆波』は『特別な友達』だからな。それなら、『清隆』と呼んで欲しい」

 

「……」

 

「あっ、でもこれだとオレのお願いにもなるか。それならやっぱりなしに──」

 

「ううん、それ、すっごく良いよ! そうしよう!」

 

 満面の笑みを浮かべ、帆波はそう言った。時々思うが、もう少し自分が可愛いことを自覚した方が良いな。

 椎名とは違った天然だな、これは。オレはそう結論付けると、夕食の準備をする為腰を上げた。

 

 それにしても、と帆波と一緒に料理しながら思う。

 

 この夏休みは様々な出来事があった。

 二度にわたる特別試験。それに伴って変化する人間関係。

 そして、オレの考えも大きく変わった。

 入学する前は平凡で平穏な学校生活を送れたらそれで良いと思っていたが、今のオレはそれとは真逆の行動指針を持っている。

 本当に、人生とは何が起こるか分からないな。だからこそ、面白いのだろう。

『あの男』が無駄だと切り捨てたもの、それをオレがそうだと判断するのはまだ早い。

 だが、オレの根幹にある考えは何も変わってない。

 

 ──この世界は『結果』が全て。『過程』は関係ない。最後に『オレ』が勝ってさえすれば、それで良い。

 

 この考えが変わることは、すなわち、オレの性質が変わることはきっと来ないだろう。

 それは諦観と言って良い。

 だがしかし──と、オレは同時に期待もしているのだ。きっと誰かが、この空虚な部屋からオレを出してくれるのではないか、と。

 その『誰か』を、オレは待っているのかもしれない。

 自分では何も出来ないからこそ、人は、人に期待するのだ。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒
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