ようこそ事なかれ主義者の教室へ   作:Sakiru

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堀北鈴音の夏休み Ⅱ

 

 集合時間十分前に学生寮のエントランスに降りると、既に(いけ)くんたちは集まっていた。余程楽しみにしていたのか屈託ない笑顔を浮かべ、談笑している。

 

「あっ、堀北(ほりきた)さん! おはよう!」

 

 私に気が付いた櫛田(くしだ)さんが、可愛らしい笑みを浮かべながら挨拶してきた。池くんたち男子もそれに続く。

 

「おはよう。それじゃあ、行きましょうか」

 

 全員が揃った以上、ここに長居する意味もない。私が号令を掛けると、彼らは座っていたソファーから立ち上がり移動を始めた。

 男子たちを先頭にし、私と櫛田さんの二人がその後ろを数歩離れた距離から追う。

 

「あっちぃ!」

 

 学生寮から出た瞬間、凄まじい熱気が私たちを襲う。

 何もしてないのに汗が出てしまい、私は思わず顔を顰めた。このグループで唯一運動部に所属している須藤(すどう)くんは慣れたものなのか涼しい顔をしている。

 明日から九月に入るが、まだまだ夏は続きそうな予感だ。

 

沖谷(おきや)も来れたら良かったんだけどなぁー」

 

 プールがある特別水泳施設に向かう道中、池くんが残念そうに呟いた。沖谷くんは数日前から夏風邪を引いてしまっている為、勉強会を欠席していた。そして、今日も欠席するようだ。

 

「寛治くん、さっき沖谷くんのお見舞いに行ってくれたんだよね? 体調はどうだった?」

 

 櫛田さんが心配そうにそう質問すると、池くんは彼女を安心させるように笑いながらこう答えた。

 

「体調はすっかりと元通りだったよ、桔梗ちゃん。だけどまぁ、一応病み上がりだから今日はパスするって」

 

「そうだね。その方が良かったと思う」

 

「明日が始業式じゃなきゃ、話はまた変わってきたんだけどな」

 

 明日から私たちは二学期を迎える。学期が始まる初日に学校を休むのは色々とリスキーだと言える。

 沖谷くんの判断はとても正しい。

 

「そう考えるとさ、長いようで短かったよな。明日の今頃は教室に居るんだぜ?」

 

 山内くんの言葉に、須藤くんが「だな」と相槌(あいづち)を打つ。

 

「俺はずっと部活だったからよ、特にそう感じるぜ。休みの日は勉強してよ、一日があっという間だったな」

 

「健はほんとに凄いよな。俺なんて途中でぶっ倒れる自信があるよ」

 

「へへっ、体力には自信があるからな!」

 

 得意げに胸を張る須藤くん。そして、その言葉を証明するように全身の筋肉が膨張した。鍛え抜かれた身体は鋼のようだ。

 そんな風に冷静に分析していると、私の視線に気付いた須藤くんがドヤ顔を見せてくる。私はそれに、適当に返した。

 

「他の奴らも誘ったんだけどさ、みんな予定があるからって断られたんだよなー」

 

「ちなみに、誰を誘ったんだ?」

 

「博士とか本堂(ほんどう)とか、その辺の連中だな。あっ、あとは綾小路(あやのこうじ)も誘ったな」

 

 その言葉に、私はつい反応してしまう。

 

「池くん、綾小路くんも誘ったのかしら」

 

「……? お、おう。そうだけど……駄目だったか?」

 

「駄目という訳ではないけれど……」

 

 私らしくない、言葉を(にご)す返答。それに池くんたちは違和感を覚える。

 男子たちが不思議そうに顔を見合せている中、私は池くんに一歩近付いた。

 

「綾小路くんは、今日来るのかしら?」

 

「い、いや……今言った通り、誘ったんだけど断られたんだよ。別の奴に誘われていたみたいでさ」

 

「そう……」

 

 私はそう呟くと、それ以上質問を投げなかった。

 当然と言うべきか、違和感を確信に変えた池くんが恐る恐るといった様子で尋ねてきた。

 

「あー……もしかして堀北、綾小路と何かあったのか?」

 

「そんな事はないわ。ただ私は、このグループでプールに行くものだとばかりに思っていたから驚いただけよ」

 

「そ、そうか……それは悪かったな」

 

「怒っている訳ではないから大丈夫よ」

 

 私はそう一方的に話を断ち切ると、男子たちを追い越して施設へ足を進めた。

 慌てて追い掛けてくる彼らの気配を感じながら、私はため息を吐いた。我ながら、自分の未熟さに呆れと共に苛立ちが募ってしまう。

『綾小路』という名前が池くんの口から出た瞬間、私は、私の中の感情がぐちゃぐちゃになったのを感じた。

 

 ──正直な所、私は綾小路清隆(あやのこうじきよたか)という人間に底知れない不気味さを抱いている。

 

 それは、一部を除いたDクラスの生徒も同じだろう。

 だが私は彼ら以上に、綾小路くんと関わる機会があった。それは、クラスの隣人としてもそうだし、仲間としてもそうだったと思う。

 それ故に私は、彼の異質さに気が付いた──気が付いてしまった。

 彼は、私たちクラスメイトを『仲間』だと思ってない。その無機質な瞳に映っているのは、『道具』──『駒』なのではないか。私を含めた全ての人間が、彼を勝たせる為の『駒』でしかないのではないか。

 所詮、これは根拠のない憶測だ。だがそれから、私は綾小路くんが『怖い』と思うようになった。そして、今までの関係を断ち切った。

 彼の本性、その一端を少しでも知ってしまったから。もう戻れないと、思ってしまったからだ。

 この選択が正しいものかは分からない。多分、生涯かけても解けないと思う。そんな確信を、私は抱いている。

 それから私たちは無言で歩き、特別水泳施設に向かった。

 

「おっ、見えたぞ! あそこだ!」

 

 重苦しい雰囲気を吹き飛ばそうと、池くんが声を張り上げる。そこに申し訳なさを感じつつ顔を動かすと、大きな建造物が視界に映った。

 特別水泳施設。普段は水泳部の生徒のみ利用出来るこの施設は、一昨日(おととい)から今日までの三日間限定で、一般生徒に開放されていた。

 

「これは……凄い人集りだね……」

 

 櫛田さんがやや大袈裟(おおげさ)に驚き声を上げる。

 施設内は大勢の生徒で賑わいを見せていた。そして全員、プールバッグを持っている。

 そして、流石は日本政府が直接創立したというだけはあるのか、更衣室も男女別は当然の事、学年別に用意されていた。いったいいくらの税金が使われているのかと、私は考えずにはいられない。

 

「そんじゃあ、二十分後にここで集合で良いか?」

 

 プールへと通じる廊下を指さしながら、須藤くんがそう確認を取った。確かにここなら合流する事も容易いだろう。

 

「構わないわ。それじゃあ、また後で会いましょう」

 

 男女別に分かれる。

 私は櫛田さんと一緒に女子更衣室に入ると、部屋の隅にあるロッカーに向かった。ここなら視線もあまり多くは集まらないだろう。

 

「堀北さん、どんな水着を持ってきたの?」

 

「……あなたは何故さも当然のように、私の横のロッカーを使っているのかしら?」

 

「……? 一緒に来ているのに離れている方が逆に可笑しくない?」

 

 何を言っているんだと純粋な目で言われたら、私に断る術は無くなってしまう。

 仕方がないと割り切った私は、櫛田さんの存在を無視する事に決めた。ロッカーを開け、鞄を中に入れる。

 

「あっ、そう言えば堀北さんラッシュガード持ってきた? 学校の授業とは違って、着ても良いんだって!」

 

「……当然、持ってきているわ。男子たちの下卑(げび)た視線を不必要に集めたくないもの」

 

「あはは! 流石堀北さん! 自分の身体に自信がないと、今の発言は出来ないよ!」

 

 何が面白いのか、櫛田さんは声を立てて笑った。それから彼女は値踏みするように、私が着替えている所をジロジロと見てくる。

 

「うわぁ、肌白いね。お人形さんみたい」

 

「あなたね……さっきから一々何なのかしら。煽っているの?」

 

「えっ!? まさか!? ただ私は、思った事を言っているだけだよ!」

 

 心外だと言わんばかりに、櫛田さんは慌ててそう言った。男子たちが居ないからか、今の彼女は随分と調子に乗っている。

 周りから見たらいつもの櫛田さんに見えるのだから、本当に恐ろしいものね。

 

「あれ? 櫛田さん?」

 

 櫛田さんに声が掛けられる。人気者の彼女ならそれはいつもの事だけれど、その声主には私も聞き覚えがあった。私たちが揃って顔を向けると、そこにはクラスメイトの篠原(しのはら)さんと佐藤(さとう)さんが居た。

 

「あっ、堀北さんも居たんだ……」

 

 佐藤さんの失礼な発言は兎も角、こうして、Dクラスの女子生徒四人が集まった事になる。

 私は櫛田さんに会話を丸投げする事に決め、この間に着替えを終わらせる事にした。

 

「久し振りー! 最後に会ったのは、ケヤキモールで遊んだ時だったっけ?」

 

「うん、そうだね。私は元気だったけど、二人はどう? 体調とか崩してない?」

 

「うん、もちろん! 私も篠原さんも元気だよー!」

 

 きゃいきゃいと話を弾ませる櫛田さんと佐藤さん。篠原さんはその横で水着に着替え始めていた。

 そこで私は、篠原さんの纏っている雰囲気に違和感を覚える。私の記憶違いでなければ、彼女の性格を考えれば、話の輪に入っていても可笑しくない。

 

「櫛田さんは堀北さんとプール?」

 

「うん! あとは池くんと山内くん、須藤くんも居るよ!」

 

「うわぁ……三馬鹿トリオと一緒か……。変な事されないように気を付けてね」

 

「ご愁傷様(しゅうしょうさま)」と、佐藤さんが手を合わせた。それに櫛田さんは愛想笑いを浮かべる。

 その様子を見た私は苛立ちを覚えた。櫛田さんにではなく、佐藤さんにだ。

 久しく聞いてなかった、『三馬鹿トリオ』という言葉。これは入学当初に出来た渾名であり、池くん、山内くん、そして須藤くんの三人をさしている。

 確かにあの時の三人は、そんな蔑称を付けられても文句が言えない程に落ちぶれていた。彼らこそ正しく『不良品』に相応しい生徒だったと思う。

 しかし、あれから数ヶ月が経った今は違う。彼らの『先生』として間近で視てきた私だからこそ、それは違うと主張出来る。

 

「ほ、堀北さんどうしたの? ちょっと怖いよ?」

 

 佐藤さんが怯えたように、一歩、後ろに下がった。

 そこでようやく、私は佐藤さんを睨んでいた事に気付く。

 

「……何でもないわ」

 

 私はそう言うと、着替えを再開した。

 気まずい空気が、私たちの間に流れる。私は自分の未熟さに再度自虐しながら、少しでもこの場から離脱する為に動いた。

 

「ごめんね、佐藤さんが何かした訳じゃないの。たださっき、私が怒らせちゃっただけだから……」

 

「そ、そうなんだ……。良かったぁ……私、怖くて泣きそうになっちゃったよ……」

 

「大丈夫だから安心してね。佐藤さんたちは、今日は二人? 他の子は?」

 

「あー……今日は私たちだけなんだ。ほら、今、クラスの間に変な空気流れてるじゃん? 誘おうとは思ったんだけど、気が引けちゃって……」

 

「そっか……そうだよね。明日からの二学期、どうなるのかな……」

 

「私、心配で仕方がないの。軽井沢(かるいざわ)さんなんて、旅行から帰ってから一度も部屋から出てないらしいし……」

 

 櫛田さんと佐藤さんの会話は、何とも気になる内容だった。

 クラスの間に、変な空気が流れている? 

 それはまた実に抽象的な言い方だ。そもそも、今は夏休み。生徒たちは各々の友人を除き、クラスメイトと会う事はしない。

 だが、ここで嘘を吐くメリットもない。それはつまり、彼女たちの言葉が真実であるという事。

 あとで櫛田さんに確認しようと思いつつ、私は着替えを終えた。

 

「それじゃあ、私は先に行っているから。あなたも早く着替えなさいよ」

 

 一応櫛田さんに声を掛け、私は更衣室を出る。

 集合場所では既に、男子たちが待っていた。彼らは私の登場に喜ぶも、ラッシュガードを着ているのを見ると露骨に落ち込む。

 

「待たせたわね」

 

「お、おぅ……いや、待ってないけどな! それより、櫛田はどうしたんだよ?」

 

 須藤くんが目を逸らしながらも、そう聞いてくる。

 私は事情を説明し、櫛田さんの着替えが遅れている事を伝える。

 

「ごめん、お待たせ!」

 

 櫛田さんが早歩きで、更衣室から出てきた。私とは違い、ラッシュガードはしていない。そのあられもない姿に男子たちが鼻をだらしなく伸ばす中、櫛田さんは私たちと合流を果たす。

 

「思ったよりも早かったわね。あと数分は掛かると思っていたわ」

 

「本当はもう少しお話していたかったんだけどね、今日はみんなと来ているから。あまり待たせるのも悪いし」

 

 櫛田さんは再度「ごめんなさい」と謝罪した。男子たちはそれに、やはり顔をだらしなく歪めながら受け取った。

 兎にも角にも、これで全員が揃った。私たちは廊下を渡り、プールに出る。

 

「うっひょー! すげー! 想像以上だな!」

 

 山内くんが興奮を隠しきれずにそう叫ぶ。周りの生徒に迷惑だからやめてほしいが、そう言ってしまう気持ちも分からなくはなかった。

 施設が、普段とはまるで違う様相を見せているからだ。生徒で賑わっているのは当然として、様々な売店が並んでいる。

 

「こりゃ、すげぇな。まるで夏祭りみたいだぜ……」

 

 須藤くんが、そう、呟いた。それに呼応するように、池くんと山内くんが前に出た。

 

「おい、あれは射的か!? あそこにあるのは金魚すくいか!?」

 

「見ろよ寛治、焼きそばが売られているぞ! たこ焼きもある!」

 

 すげー! と驚嘆を口にする男子たち。いつもだったら周りから白い目を向けられるけれど、今日に限っては違うようで、生徒たちは一様にハイテンションだった。

 様々な種類の売店。須藤くんが言った、『夏祭り』というのもあながち間違いではない。

 だが私はそれ以上に一つ、気になる事があった。

 

「どういう仕組みなのかしら……?」

 

 売店を運営しているのが教師や学校関係者ではなく、生徒なのだ。しかも、一部だけではなく全てである。

 一年生ではない。そうなると、上級生という事になる。

 浮かべている表情は喜怒哀楽様々だが、一つ共通しているのは、彼らがとても真剣に取り組んでいるという事だ。

 

「……ねえ、堀北さん。これってもしかして……」

 

 私同様、違和感を覚えた櫛田さんが小声で話し掛けてくる。

 

「……『特別試験』、なのかもしれないわね」

 

 私が答えると、櫛田さんは鋭く息を呑んだ。

『特別試験』。クラス闘争をより熾烈に、より加速化させる為の舞台だ。

 私たち一年生は、無人島試験、干支試験という二回の特別試験を行った。

 そして当たり前だが、上級生もそれなりの回数をこなしているだろう。

 この売店も、特別試験が関係しているのかもしれない。

 

「おい見ろ、お前ら! あそこに流れるプールがあるぞ! すっげー!」

 

 何も気付かない男子たちが少し羨ましかった。

 もちろん、私のこれはあくまでも推測に過ぎない。全く見当外れの可能性は十分にある。

 だがその可能性を考慮してしまった今、彼らのように純粋な気持ちで楽しむ事は出来そうになかった。

 

「ほら、早く行こうぜー! プールは待ってくれねぇぞー!」

 

「そうだぞー! 時間は有限だぞー!」

 

 池くんと山内くんが催促してくる。須藤くんにいたっては我先にと流れるプールに向かっていた。

 私はため息を吐くと、彼らの後を追った。

 プールは三種類あった。スタンダードなプール、流れるプール、そして競技用のプールだ。人気度合い的には、競技用、流れるプール、そしてスタンダードだろうか。

 特に競技用プールにいたっては、現在、試合が行われているのか歓声が聞こえてくる。

 

「おいおい、有名人でも居るのかよ?」

 

 須藤くんが首を傾げてしまうのも仕方がない。

 人集りが二重にも三重にも出来上がっている所為で、肝心の試合は先頭に居る観客の特権となっている状態だからだ。余程見応えがある試合内容なのか、あるいは須藤くんが言ったように有名人が試合に参加しているのか。

 それは恐らく、後者なのだろう。観客の殆どは女子生徒で占められており、俗に言う、黄色い歓声が飛ばされているからだ。

 

「堀北さん、顔! 顔に出ているよ!?」

 

 櫛田さんが何か言ってくる。私はそれを無視すると、競技用プールを背にして歩き始めた。

 男子たちが慌てて追い掛けてくるのを感じながら、スタンダードプールへ足を動かす。

 

「まずは準備運動をしましょう。足をつって溺れでもしたら大変だわ」

 

「えー! けど他の奴ら、そんなのしてないぜ?」

 

 嫌そうに山内くんがそう言う。

 確かに彼の言う通り、殆どの生徒はプールにやって来るや否や飛び込んでいる。

 だが私に言わせれば、それは自殺行為だ。

 

「あなたたちはニュースを見ないのかしら? 僅かな水深でも人は溺れるのよ?」

 

「あっ、私それ聞いた事がある。2.5センチの家庭用プールで溺れて死んじゃった子供も居るんだよね」

 

「その通り。僅かな油断、慢心が命取りとなるの」

 

 分かったかしら? 無言で圧力を掛けて尋ねると、山内くんはコクコクと首を縦に振った。

 

「池くんと須藤くんも異論はないわね?」

 

 二人も頷く。

 

「俺はボーイスカウトで教わったからな。準備運動の大切さは知っている」

 

「俺も、部活の時はまずアップからするからな。身体を解さねぇと、万が一の時に動けねぇ」

 

 その言葉を聞いて、山内くんが「マジかよ」と呟いた。それから、真剣な表情を浮かべる。今のどこにスイッチがあったのかは疑問だったが、真面目に取り組むようならそれで良いと判断する。

 

「それじゃあ、始めよっか。あっ、でも恥ずかしいから場所を移そうよ」

 

「……まあ、それくらいなら良いわ」

 

 施設の隅に移動し、私たちは準備運動を行う。周りから冷やかしの声が何度か飛んできたが、須藤くんが「あァ?」と睨むと退散していった。

 こういう時、須藤くんは頼りになる。高校生離れした体格の良い彼に睨まれたら、大半の生徒は今みたいになるからだ。

 

「よく堪えたわね」

 

「ハッ、耐えるも何もねぇよ。あんな奴ら、構うだけ時間の無駄だ」

 

 Dクラスの中で、精神的に最も大きく成長したのは須藤くんで間違いない。入学当初にあった暴力性は着実になくなりつつある。気に入らない事があってもすぐに実力行使はせず、『間』を作るようになった。そして何が正しいのかを考えるようになった。

 

「あなたが活躍する日も近いかもしれないわね」

 

「当たり前だ。そうじゃなきゃ、俺を信じてくれたお前たちに恩を返せねぇよ」

 

「……それなら、『期待』しているわよ」

 

「っ! おう!」

 

 私なりの激励の言葉を贈ると、須藤くんは一瞬目を見開いてから、力強く頷いた。

 準備運動を終え、私たちはプールに入る。他の生徒も居る為空いているスペースを陣取り、私たちは遊ぶ事になった。

 

「堀北さん、そぉれ!」

 

 櫛田さんが可愛らしく声を上げながら水を掛けてくる。だがその威力は本物であり、私を攻撃をする気満々だった。しかも男子たちが見ていない時を見計らっているのが余計に腹立たしい。

 私は何とかそれを避けると、彼女に問い掛けた。

 

「覚悟は出来ているんでしょうね、櫛田さん」

 

「あはは、何の事? 私はただ、堀北さんと仲良く遊びたいだけだよ?」

 

「その笑顔を剥がしてあげる。そうすれば男子たちも幻想を捨てるでしょう」

 

「あはっ、堀北さんは難しい事を言うね」

 

 プツン、と私の中で何かが切れる音がした。

 いい加減に我慢の限界だった。私は両手で水を掬うと、それを遠慮なく櫛田さんに浴びせる。

 しかし、流石は櫛田さんと言うべきか。彼女はすぐ近くに居た池くんを盾にして自身の身を守った。

 

「ごべぇ!? な、何だよ堀北!?」

 

「そこを退きなさい、池くん。櫛田さんを落とせないわ」

 

「何言っちゃってんの!?」と、悲鳴を上げる池くん。そんな彼に、櫛田さんは上目遣いで言った。

 

「お願い、私を守って! 寛治くん!」

 

「喜んで! 桔梗ちゃ──ん!」

 

 池くんはそう言うと、威勢の良い雄叫びを上げる。そして櫛田さんを守るように、私の目の前に立った。

 それを見た私は呆れてしまう。

 

「あ、あなた……冤罪を掛けられた時に何とも思わなかったの?」

 

 無人島試験の時、池くんには一つの冤罪が掛けられた。クラスメイトの軽井沢さんの下着を盗んだというものだ。それはスパイとしてDクラスに潜入してきた伊吹さんの仕業だった事が判明し、彼に対する疑いは晴れているが、あの時の池くんは相当深い傷を負っていたように思う。

 あれから数週間経っているとはいえ、たったそれだけで癒えるとは思えない。

 そんな風に私が考えていると、池くんが心外だと言わんばかりに叫んだ。

 

「そりゃあ、思ったさ! 何で俺がこんな目にと思ったし、泣きもした!」

 

「それなら、どうして……?」

 

「決まってんだろ! 堀北、俺は俺だ! 可愛い女の子が好きなのは、変わんねえ! ただそれだけの事だ!」

 

 そんな馬鹿みたいな事を、池くんは宣言する。

 

「俺は、桔梗ちゃんを守る! この誇りにかけて! 俺を敵に回すという事はそういう事だぞ、堀北!」

 

 私はあまり読まないけれど、もしこれが漫画なら『ドドン!』とか、そんな効果音がつくのだろうか。

 謎の敗北感を抱く私を見て、山内くんと須藤くんが良くやったと池くんを褒め称える。

 櫛田さんもこの展開は読めていなかったのか、その顔には困惑があった。

 それから気を取り直し、私たちは遊びを再開した。

 

「よっしゃ、俺の勝ちだな!」

 

 スタンダードプールにはレーンが何個かあり、そこを使って競泳をした。

 結果は言うまでもなく、須藤くんの単独勝ちとなった。その次に私、櫛田さん、池くんと山内くんと同じくらいのランキングだった。

 

「凄いね、須藤くん。これなら高円寺くんにも勝てるんじゃない?」

 

 一学期の授業の時、男女別にタイムを測る事があった。その時の結果は、高円寺くんが一位で、その次が須藤くんだった。

 あれから数ヶ月が経ち、成長した須藤くんなら勝てるのではと櫛田さんは思ったのだろう。

 しかし、須藤くんの反応は微妙だった。

 

「いや……多分、まだ負けるな。あの時は分かんなかったけど、今は少し、分かる。俺はまだ、あの領域まで辿り着いてねぇ」

 

 それが、彼我の実力差を分析した須藤くんの結論。

 それを聞いた櫛田さんは不思議そうに首を傾げていたが、武道を習っていた私にはそれが分かる気がした。

 

「そろそろ流れるプールに行こうぜー」

 

 池くんの提案に乗り、私たちはスタンダードから場所を移し、流れるプールに向かった。

 ドーナツ型のこのプールは人工的に流れを起こしており、水が循環するように作られている。

 私たちは緩やかな流れに身を任せて楽しむ。

 

「これ、思ったより楽しくないな」

 

「だな。飽きるっていうか」

 

 最初ははしゃいでいた池くんと山内くんだったが、ふと我に返るとそんな事を言い出した。

 

「子供の時はもっとワクワクしたんだけどなー」

 

「それだけ、寛治くんが大人になったって事だね」

 

「そうかもしれないな!」

 

 褒められたと勘違いした池くんが、上機嫌にドヤ顔を浮かべた。

 世の中には知らない方が幸せな事があると思い、私は敢えて訂正しなかった。

 

「そろそろお昼ご飯食べよっか?」

 

 櫛田さんが時計を見ながら、そんな提案をしてきた。

 現在時刻は十一時三十分。売店を見ると、既にちらほらと列が出来始めている所がある。

 

「そうね。少し早いけれど、混雑したら大変でしょうから今のうちに済ませましょう」

 

 男子たちも「賛成!」と了承を得る。私たちはプールから上がると、売店が並んでいるフードコートに足を運んだ。

 そして、大きめのテーブルを陣取るのに成功する。

 

「男の子たち、先にご飯買ってきて良いよ。私と堀北さん、ここで留守番してるから」

 

「えっ、良いのか?」

 

「うん! ねっ、堀北さん?」

 

 私はそれに無言で頷くと、男子たちにその意を視線で伝える。彼らは「悪いなー」と言いながら、売店に向かっていった。

 

「何にしようかなー。堀北さんはどうするの?」

 

「まだ決めてないわ。適当な物にするつもりよ」

 

「あはは、堀北さんらしいかも。記念に美味しい物を食べたいとは思わないの?」

 

「私はそうしたいけどなー」とにこにこと言う、櫛田さん。

 私は付近に誰も居ないのを確認してから、彼女に尋ねた。

 

「あなた、今日はやけに私を目の敵にしてくるわね」

 

「あはは、何の事?」

 

「言い逃れするつもりなら、それはそれで構わないわ。ただ、これ以上は気を付けなさい。池くんたちもそろそろ気付くんじゃないかしら」

 

 特に池くんはそう言った空気に敏感だ。このグループの潤滑油は一見、目の前の櫛田さんだと思うかもしれない。

 だが、それは違う。このグループが成り立っているのは、池くんがそうするように上手く調整してくれているからだ。

 

「ほんと、堀北さんのそういう所が私は嫌い」

 

 櫛田さんから『嫌い』と言われるのはこれで二回目だ。

 

「表情、微塵も動かないんだね。普通なら大なり小なり反応するんだけどな。どこかの誰かさんにそっくり」

 

「その誰かは知らない。けれど私は自分の性格が、人からあまり好かれるものではないと分かっているつもりよ」

 

「何それ、自虐? それとも自分は高潔な存在なんだって、自慢しているの?」

 

 そう言いながらも、櫛田さんは笑顔だ。その内心は荒れに荒れているだろうに、それを悟らせないように笑顔を浮かべ、偽りの自分を演じている。

 

「あなたの在り方を否定するつもりはないわ。社会に出たら、自分の個人的な感情は持ち込めないもの。私はあなたのそれを、素晴らしい能力だと思っている」

 

「それはどうもありがとう」

 

「だからこそ、疑問があるわ。あなたは何故、未だに勉強会に参加しているの?」

 

 櫛田さんは本来、勉強会に参加する必要はない。自己学習を怠らなければ赤点などまず取らないだろうし、それ相応の努力を彼女はしている。

 嫌いな相手が主催している勉強会に参加するのは、櫛田さんにとって百害あって一利なしの筈だ。

 

「今日のプールもそうだけど、あなたは強引に私をここに連れてきた。それは何故?」

 

「どうして、かぁ……。うーん、そうだね……嫌がらせ?」

 

「つまり、答える気はないという事ね」

 

「さっすが堀北さん。理解が早くて助かるよ」

 

 はあ、と私はため息を吐く。そんな私を、櫛田さんは笑いながら見ていた。

 

「それなら、他の事を教えて頂戴。あなたに関するものではないのだから、それくらいはいいでしょう?」

 

「えー。池くんたちは迷惑掛けても良いのに、私は駄目なんだ?」

 

 可愛らしく首を傾げる櫛田さんを、私は強く睨む。すると彼女は両肩を竦めながら、

 

「答えられる事なら、教えてあげる」

 

 と、心底嫌そうに言った。

 

「さっきあなたが佐藤さんと話していた事について教えて。クラスに流れている『変な空気』って、何の事かしら?」

 

「はあ? 堀北さん、それ本気で言ってる?」

 

「私はいたって真面目よ」

 

 櫛田さんは暫く胡乱げな眼差しを送ってきていたが、ふと、何かに気が付いたように「あっ」と声を上げた。

 

「そっか、そう言えば堀北さん……」

 

 そして何やらブツブツと呟くと、何故か可哀想なものを見る目で私を見てくる。

 いったい何なんだと私が思っていると、櫛田さんは面倒臭そうにしながらも口を開けた。

 

「今、Dクラスの女子の間には不穏な空気が流れているの」

 

「……それはどう言う意味かしら?」

 

「言葉の通りだよ。それ以上でもそれ以下でもない。まあ、よくある事だよ」

 

 そう言うと、櫛田さんは口を閉ざした。

 

「待ちなさい、それじゃあ答えになってないわ」

 

「……私が口で言っても、堀北さんが事態の深刻さを理解出来るとは思わない。どうせ明日、学校に行けば分かるよ」

 

「そうだとしても、私には知る権利がある筈よ。違う?」

 

 しかし私が強気になっても、櫛田さんの態度は変わらなかった。

 

「知る権利、か……。堀北さん、これから堀北さんはDクラスを率いていこうと思っているんだよね?」

 

「……ええ、そのつもりよ」

 

 思う所がない訳ではない。

 だが平田くんの夏休みの中の言動を考慮するに、恐らくはそうなるだろう。

 

「これは善意なんだけどさ──今の堀北さんに、集団を率いる事は出来ないよ」

 

「……何故、そう思うのかしら?」

 

「簡単な事だよ。堀北さんは確かに、入学した時とはまるで違う。池くんたちや他の子と関わった事で、生きていくには他人が必要なんだって分かったんだろうね」

 

 まるで、私という人間、その全てを知っているかのような言い方。

 その言葉を聞いて、私は一つの確信を得た。だが私はそれを表に出さないよう注意する。

 

「でもそれは、最初の一歩に過ぎないよ。堀北さん、もっと周りを視ないと駄目。そうしないと、それはあなたの独り善がりになっちゃう」

 

 それはあまりにも、抽象的な表現だった。

 

「干支試験の時、堀北さんはA、B、Dクラスの生徒を集めてあんな作戦に打って出たけど、あれはとてもリスクのあるものだった。それは分かっている?」

 

「……ええ」

 

「とはいえ、確かにあの場では、堀北さんの考えた作戦が最も有効だったのも事実だけど。まさか正体を隠している『優待者』に名乗り出るよう言うだなんてね」

 

 私は数週間前の出来事を振り返った。

 船上で行われた干支試験は、龍園(りゅうえん)くん率いるCクラスの無差別攻撃によって、そのまま行けばCクラスの単独勝ちとなる所だった。

 龍園くんたちは『優待者』の法則性を見破ったのだ。自分のクラス三人分だけでは、試験の根幹には辿り着けない。それはつまり、何処かのクラスに『本当の裏切り者』が居るという事だ。

 その方法を、私は真似る事にした。A、B、そしてDクラスの生徒を集めて説得を行い、一時的な同盟を結ぼうと提言した。元々の同盟相手であるBクラスはすぐに了承、これ以上の敗北は避けたかったAクラスも渋々ながら了承した。

 それから私は各クラスから代表者を一人ずつ選定し、『優待者』は代表者にメールで名乗り出るようにした。そこからは簡単だ。九人分の『優待者』の情報、これだけの情報があって答えに辿り着けない方が可笑しい。

 

「まさか、干支の順番と参加者の氏名の五十音順が連動しているだなんてね。思いもしなかったよ」

 

 それこそが干支試験の根幹だった。

 

「答えが分かるとかなり拍子抜けだったけど、その発想を試験中に得るのは至難だよね」

 

「……あなたには感謝しているわ、櫛田さん。あなたがみんなの前で名乗り出てくれたおかげで、他の『優待者』も名乗り出る勇気が持てた」

 

 九人いる『優待者』、そのうちの一人こそが櫛田さんだった。彼女は自分の言葉と、『優待者』の証たるメールを堂々と見せる事で、他の『優待者』が動きやすい空気を作ってくれた。

 彼女の協力がなければ、作戦は失敗していたかもしれない。

 

「まっ、精々頑張って」

 

「心にも思ってない事を言うのね」

 

「あははっ」

 

 それ以上、櫛田さんは私と話すつもりはないようだった。

 

「お待たせ──―って、あれ? どうしたんだ?」

 

 池くんが昼食を携えて戻ってきた。私と櫛田さんの間に空気を敏感に感じ取ったのだろう、不思議そうに首を傾げる。

 私は「何でもないわ」と言って、彼が手に持っている物に言及した。

 

「焼きそばにしたのね」

 

「おう! 夏と言えばやっぱり焼きそば! これに尽きるぜ!」

 

「そう……私も同じのにしようかしら」

 

「それなら、あっちにあるぞー」

 

 そう言って、池くんは焼きそばの売店がある方向を指さした。私は椅子から立つと、池くんと櫛田さんに声を掛ける。

 

「私も買ってくるわ」

 

「それじゃあ、私も行こうかな。寛治くん、留守番お願いしても良い?」

 

「おう!」

 

 池くんに見送られ、私と櫛田さんはテーブルを離れた。

 

「また後でね、堀北さん」

 

「……ええ」

 

 櫛田さんとも別れ、私は売店に向かう。池くんが言うだけはあり、焼きそばは人気なのか数人の列が出来ていた。店の回転率を確認し、問題がなさそうなのでそのまま最後尾につく。

 

「いやー、しかし誰も相手になりませんね先輩。相手が弱過ぎて話になりません」

 

「……そうか」

 

「先輩、もっと楽しんで下さいよ。可愛い後輩と遊んでいるんですから」

 

 私は自分の耳を疑った。今聞こえてきた会話、その声主の一人に思い当たりがあったからだ。

 まさかと思いつつ、私は恐る恐る顔を上げる。そこには、二人の男性が立っていた。私には気が付いてないようで、話を続ける。

 

「しかし正直、先輩が来てくれるとは思っていませんでしたよ。これまでいくら誘っても、中々乗ってくれませんでしたからね。俺、悲しかったんですよ?」

 

「冗談はよせ。『可愛い後輩』が先輩に虐められるのを防ぐ為だ。その為なら重い腰も上げよう」

 

「ははっ、これは一本取られました。でも先輩、安心して下さい。俺はあの一年を『敵』だと思ってないんで。虐めるも何もありません」

 

「……『敵』だと思ってない、か。それなら、お前は俺の事を『敵』だと思っているのか?」

 

「うーん……これはまた難しい質問ですね。先輩の事は尊敬していますよ」

 

「答えになってないな」

 

「おっと、怒らないで下さいよ先輩。──真面目な話をしますと、今はまだ『敵』だと思っていません。今日先輩を誘ったのは、純粋に思い出作りの為ですよ。今のうちですからね、先輩と遊べるのは」

 

「……そうか。それなら俺も、今日という日を楽しく過ごすとしよう」

 

「そう来なくっちゃ! それでこの後なんですが、帆波(ほなみ)たち一年と合流したら交流試合をしようと考えていまして──」

 

 そこで、会話が途切れる。

 私の視線に気が付いた、金髪の軽薄そうな男性がこちらを振り向いたからだ。

 

「どうした? 俺に何か用か?」

 

 私はそれに何も答えられなかった。

 金髪の男性は暫く私の様子を訝しんでいたが、私の目が自分を捉えていない事に気が付く。

 

「へえ、先輩も中々隅に置けませんね。まさかこんな可愛い後輩と接点があっただなんて。(たちばな)先輩が悲しみますよ」

 

 面白そうにニヤニヤと笑う、金髪男。

 私が慌てて勘違いを訂正する前に、それまで沈黙していた眼鏡を掛けた男性──否、実の兄は億劫そうに口を開けた。

 

「お前のそれは二重の意味で邪推だ」

 

「いやいや、そんな訳ないでしょ。だってこの一年、最初から俺じゃなくて先輩を見詰めていましたもん」

 

「家族なのだからそちらを優先するだろう」

 

「へえ、家族ですか……──って、え? こいつがですか?」

 

 金髪男は驚いたようにそう言うと、兄さんをまじまじと見詰めた。だがいつまで経っても言葉を撤回しない兄さんを見て、冗談の類ではないのだと理解したようだった。

 

「これは驚きました。先輩、妹が居たんですね。初めて聞きましたけど」

 

「……言ってないからな」

 

「教えてくれたって良かったでしょう。先輩の妹なら挨拶に行きたかったのに」

 

 金髪男の苦情を、兄さんは無視した。

 

「初めまして、俺は二年Aクラスの南雲雅(なぐもみやび)だ。堀北先輩──お兄さんには、生徒会でお世話になっている。宜しくな」

 

 そう言って、金髪男──南雲先輩は友好的な笑みを浮かべながら私に手を差し出してきた。

 断っても良いが、そうすると兄さんの顔に泥を塗る事となる。私は出来る限りの愛想笑いで、それに応じた。

 

「初めまして、堀北鈴音(すずね)です。宜しくお願いします、南雲先輩」

 

「ああ、宜しくな『鈴音』」

 

 いきなり名前で呼んでくるのに、私は不快感を抱く。これまでの私なら腹を立てて睨んでいただろう。

 だが、今の私は違う。私は内心を隠してそれを受け流す。

 

「ところで、鈴音はどこのクラスなんだ? いや、聞くまでもないか。先輩の妹なら当然Aクラスか」

 

 当たり前のように、南雲先輩はそう言った。

 それに私は胸が締め付けられる。久しく感じていなかった痛みに、私は顔を歪めてしまう。

 

「……私は、Aクラスではありません。Dクラスに配属されました」

 

「おいおい、冗談はよしてくれよ鈴音。そんな詰まらないジョーク、何も面白くないぜ?」

 

「……嘘じゃありません。私は、『不良品』のDクラスです」

 

 最初は有り得ないと言わんばかりの表情を浮かべていた南雲先輩だったが、程なくして、嘘ではないと分かったようだった。

 

「そうか、悪かったな鈴音。辛い思いをさせただろう」

 

「……いえ」

 

 気まずい沈黙が私たちの間に流れる。

 

「南雲、俺たちの番だ。早く注文するぞ」

 

 兄さんが南雲先輩に声を掛ける。見ると、次の順番は兄さんたちだった。

 

「それじゃあ鈴音、俺と先輩はもう行く。傷付けてしまった謝罪はまた今度させてくれ」

 

 南雲先輩はそう言うと、先に会計を済ませていた兄さんを慌てて追い掛けていった。

 私は遠ざかっていく彼らの背中を──兄さんを見送る事しか出来ない。

 

「……」

 

 兄さんと会うのは、これで二回目。そして二回目とも、私は兄さんとまともに口を利く事さえ出来なかった。

 私は、あの時よりも成長している筈だ。その実感は確かにある。

 だが成長しても、私は兄さんと目を合わす事すら出来なかった。私は何も言えなかったし、兄さんも私に何も言わなかった。

 

『ところで、鈴音はどこのクラスなんだ? いや、聞くまでもないか。先輩の妹なら当然Aクラスか』

 

 南雲先輩の悪意なき言葉が、私の精神を蝕む。

 

「……弱いわね、私は」

 

 

 

 

§

 

 

 

 それから私はみんなの所に戻り一日を過ごしたが、正直、午後の記憶はあまりない。競技用プールが午前よりも賑やかだった事は何となく覚えているが、それ以外は特筆すべき事はなかった気がする。

 帰宅した私は、靴を脱ぐとそのままベッドの端に腰掛けた。窓から覗き見える空は茜色。まだまだ夏は続くと言わんばかりだ。

 

「明日から、二学期が始まる……。もっと、頑張らないと……」

 

 そう、立ち止まっている時間はない。

 走り続けなければ、『勝つ』事は出来ないのだから。

 

読書の皆さんが思う、一学期の間に最も実力を示したDクラスの生徒は?

  • 綾小路清隆
  • 堀北鈴音
  • 平田洋介
  • 櫛田桔梗
  • 須藤健
  • 松下千秋
  • 王美雨
  • 池寛治
  • 山内春樹
  • 高円寺六助
  • 軽井沢恵
  • 佐倉愛里
  • 上記以外の生徒
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