生徒会室をあとにしたオレは、そのままDクラスの教室へ足を運んでいた。その最中、オレは大きな人集りを発見する。
そこは普段、学校からの掲示物が貼られているエリアだった。普段は人集りなど出来ないそこで、今日はAからDと、クラスを問わずして関心が寄せられているようだった。
「あっ、
遠くから眺めていると、一人の女子生徒が大きく手を振りながら挨拶をしてくる。
美しいストロベリーブロンドの長髪を持つその少女、
「あー……えっと──おはよう、帆波」
逡巡の後に、『一之瀬』ではなく『帆波』と呼ぶ。すると、周囲の生徒たちはあからさまに多種多様な視線を送ってきた。
この展開にはどこかデジャブを感じる。そうだ、
「何を見ていたんだ?」
好奇の眼差しを無視して尋ねると、帆波はオレの手を取ってグイグイと人集りの中へ誘っていく。
そしてオレは、人集りが出来ていた理由を察した。
掲示板には大きな模造紙が貼られており、以下の内容が黒文字で書かれていたのだ。
九月一日現時点での、各クラスの保有クラスポイントを発表する。
一年Aクラス──920cl
一年Bクラス──760cl
一年Cクラス──800cl
一年Dクラス──235cl
これに伴い、一年BクラスとCクラスの序列を入れ替え、本日付で以下の通りとする。
一年Aクラス──920cl
一年Dクラス──235cl
※尚、今後もクラス序列が変動する可能性はある。その為、入学時に説明した通り、クラスの序列が変わっても教室は変わらないものとする。
学校からの正式な通達。
これにより、帆波率いるBクラスはCクラスとなり、
もちろん、その差は僅か40cl。普段の学校生活の中で遅刻や居眠りと言った減点行為があれば容易に覆るだろう。
だが、順位を追い越されたという事実もまた覆らない。旧Bクラスの生徒は多少なりとも精神的苦痛を感じるだろう。
逆に龍園クラスは最も勢いがあると言える。この序列変動は、これまで不安視されていた『暴君』の策が成功した証拠であり、密かに眠っていた反乱分子さえ、この『結果』の前では何も出来ないだろう。
「これでオレたちの同盟も終わりだな」
場所を少し移し、オレたちは近くの渡り廊下へ来ていた。ここなら落ち着いて話が出来るだろう。
「うん、そうだね」と、帆波がオレの言葉に
「堀北さんからも説明があると思うけど、私たちが手を取り合う事は出来なくなってしまった」
オレの所属するDクラスと帆波のクラスはこれまで同盟関係を築いていた。だがこうして直近の敵になってしまった以上、協力は難しいと言わざるを得ない。
「とても短い間だったけど、Dクラスの人たちと同盟を結べて良かった。この経験は糧になる。私はそれを確信している」
「そうか。その言葉、クラスの皆にも伝えておく」
「うん、お願い。ありがとう──そして、これからもよろしくね」
感謝の言葉と共に
「私、頑張ってみる。少しずつ、今のクラスを壊していくよ。そして、清隆くんが私にしてくれたみたいに、もう一度立ち直るんだ」
「茨の道だぞ、それは」
「それは分かってる。ううん、分かってるつもり。だけどもし、私がまた泣いていたら──その時は私を『介錯』して欲しいの」
「お前が、それを心から望むなら」
「ありがとう」と帆波が柔らかい笑みを浮かべる。
昨日の悲壮さとは違った、別種の覚悟。それを、目の前に居る帆波は持っている。
「そう言えば、話を合わせてくれてありがとう。実はさっき副会長から呼び出しを受けていたんだが、帆波のおかげで助かった」
裏切るとは思っていなかったが、もし帆波がそうしていなければ、先程の南雲からの追及は躱せなかっただろう。
「南雲先輩から、何か言われた?」
「社会の常識を説かれたくらいだ」
南雲の言葉はなにも間違ってなかった為、そこは反省すべき点だな。その罰も甘んじて受け入れよう。
「私に出来る事があれば何でも言ってね。それが私の贖罪だから」
「分かった。その時は頼らせて貰う」
「約束だよ! 清隆くんも私と同じで、色々と溜め込んじゃうタイプだと思うから!」
そう言って帆波は自身の小指を差し出してきた。オレもそれに倣い、小指を出す。
そうして、二本の指が絡まった。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます!」
幼い子供が一度は行った事があるだろう、約束の誓い。
それを今、オレは初めて行った。その相手が帆波のような人間なのは、とても幸せな事だろう。
「そう言えば、生徒会の人事発令もされているよ。ほら、見て!」
照れ臭さを隠すように、帆波が指さす。あまり注目されていないが、そこには確かに、一之瀬帆波と葛城康平が生徒会入りした事が書かれていた。
「この後の始業式で、簡単だけど任命式があるみたい。緊張しちゃうな」
それなら、退屈な式も少しは面白くなりそうだ。
「草葉の陰から応援している」
「何言ってるの。次の任命式には、清隆くんも立つんだよ」
「そうなるよう、頑張るさ」
「うんっ」
そう言うと、帆波はオレに笑みを見せた。
帆波と別れたオレは、慣れ親しんだDクラスの教室、その扉の前に立っていた。中からは生徒の賑やかな話し声が聞こえてくる。
オレは呼吸を整えてから、扉を静かに開けた。
──これは、あからさまだな。
そんな事を胸中で呟く。それまでの騒々しさが嘘であるかのように、教室は一転して静寂に包まれていた。そして送られてくる、好奇の眼差しの数々。
夏休みという時間が解決すると期待していたが、それはどうやら違ったようだ。寧ろ時間を置いた事により、より大きくなっている。
「ちーっす! お前ら、二学期からも宜しくな!」
どうしたものかと悩んでいると、場にそぐわない明るく元気な声がオレの背後から出された。振り返ると、そこには友人の
「おっ、清隆じゃねえか! 相変わらずシケた顔してんな!」
そう言いながら、須藤がオレの肩に手を回してくる。オレはされるがままだった。
「ほら、早く中に入ろうぜ。他の奴が来たら邪魔になっちまう」
「あ、ああ……」
須藤に促され、オレは教室に入った。
そして須藤の登場により、視線はやんでいた。この気遣いには感謝しておこう。
教室を横切り、そのまま自分の席へ向かう。その途中で、ギリギリ聞こえるか聞こえないかの声量で声が掛けられた。
「あっ、おはよう……『清隆』くん……」
「ああ、おはよう──」
──
しかし、それは仕方のない事だった。そこに居たのは確かに佐倉だったが、同時に、佐倉ではなかった為だ。
「これは、驚いたな……」
思った事がそのまま口に出てしまう。
普段の佐倉は度の入っていない眼鏡を掛けているが、目の前に居る佐倉はそれをしていなかった。それどころか、俯きがちな顔を上げて人の目を見ようとしている。
分かりやすく言えば、美少女がそこに居た。今の佐倉はグラビアアイドルの『雫』そのものだった。
「ど、どうかな……?」
ぎこちなくも笑みを作り、佐倉がそう尋ねてくる。
「あー……そうだな、とても良いと思うぞ」
人の、ましてや異性を褒めるのは照れ臭い。それが化けた美少女なら尚更だ。
「そ、そっか……うん、頑張って良かった……」
そう言って、佐倉ははにかんだ。顔を朱色に染め、モジモジと身動ぎする。
その動作は控え目に言っても可愛らしかったが、オレとしてはそんな事よりも気になる事があった。
「何か心境の変化でもあったのか?」
「う、うん……実は色々とあって……。私、もっと頑張ろうと思ったんだ……」
「そうか」
「……変、かな……?」
「何も変じゃないさ。よく勇気を出したな、『
「……っ! うん!」
佐倉──愛里の『成長』には目を見張るものがある。
こんなにも早くその成果が出るとは思っていなかった。オレの想定を何度も超えてくるな、愛里は。
もちろん、それは良い事だ。だが背伸びして、そのまま前に転ぶ事も充分に起こり得る。その時、その状況に適した『目標』を持つ事が『成長』の鍵となる。その時に声を掛けるのがオレの役目だろう。
「おはようございます──って、愛里ちゃん!? どうしたんですか!?」
登校してきた
愛里はみーちゃんに「おはよう」と挨拶をしてから、少しだけドヤ顔を見せた。どうやら、ドッキリを仕掛けていたようだ。
「清隆くんはこの事、知っていたんですか?」
「いいや、全く。オレもみーちゃんと同じく驚いている所だ」
「そんな風には全く見えませんけど……」
愛里とみーちゃんとはまた後で話す事を約束し、今度こそオレは自分の席へ向かう。そして椅子に腰掛けたタイミングで、見計らったように声を掛けられた。
「……おはよう」
顔を横に向けると、そこには隣人の姿があった。予習か、あるいは復習でもしているのか。一学期は文庫本を読んでいた堀北だったが、今は参考書に目を落としている。
「おはよう。まさか声を掛けられるとは思っていなかったな」
本心を告げると、堀北は視線を寄越すことなくこう言ってきた。
「挨拶に私情を入れるほど、私は愚かではないわ」
初対面の時、オレの挨拶を無視し続けていたのはどこの誰だと言いたい。
だがしかし、それを言った所で意味はないだろう。
これが、今のオレと堀北の関係。オレたちは『隣人』であり、それ以上の発展もない。ある意味、最も気楽な関係だとも言える。
それ以降、堀北が話し掛けてくる様子はない。必要最低限の会話しかしないという意思表示なのか、参考書に集中したいのか。恐らくは両方だろうな。
「おはよう、清隆くん。久し振り」
次に話し掛けてきたのは
オレは軽く片手を上げて「まあな」と答える。
「そっちはどうだった?」
「私? 私はぼちぼちかな。一人で居る時間が増えたから、自分のペースで勉強も出来たしね」
「そうか、それは良かったな」
話に応じながら、オレは千秋の用意周到さに感心していた。教室という不特定多数が居るこの状況、オレたちの会話を誰かが聞いているという前提で話題を選んでいる。
勉強をしていたとアピールする事で、今後の布石を着実に打っている。
「おはよう、みんな! 久し振り! 二学期も宜しくね!」
喧騒に包まれている教室を
千秋との談笑を一度中止して顔を向ければ、そこでは桔梗がとても可愛らしい笑顔を浮かべてクラスメイトを見渡している。
そして、クラスメイト一人一人に話し掛けて教室を回っていく。同性の友人とはハグを交わし、異性の生徒とはさりげなくを装って軽いスキンシップを取っていた。
瞬く間に桔梗はクラスの空気を自分のものにする。
「おはよう、堀北さん、松下さん、綾小路くん!」
最後に、オレたちの所にやってくる。
堀北は仏頂面で、オレと千秋は普通に挨拶を返した。
「松下さんと綾小路くん、本当に仲良くなったんだね!」
にこにこと笑いながら、桔梗がそんな爆弾を飛ばしてきた。
桔梗によって、それまであった和やかな空気が変わった。クラス中から視線がオレたちに突き刺さる。
帆波に続き、これは今日二度目だ。流石に二度目になればため息を吐きたくなるというもの。
あの時もそうだったが、今回の事と良い──その笑顔の裏側でいったい何を考えているのか。
桔梗は千秋に身体を寄せつつ。
「夏休みの時も、二人、仲良く遊んでたもんね! 松下さん、綾小路くんとはいつ仲良くなったの?」
「無人島試験の時に、話す機会があったんだ。その時にね」
無難にそう答える千秋。
桔梗は「ふぅーん、そうなんだ」と言うと、寄せていた身体をゆっくりと離す。そして、にこりと満面の笑みを浮かべた。
「
そう言い残すと、桔梗は友人の女子生徒に合流していった。
教室の空気は元に戻り、喧騒を取り戻していく。夏休みの思い出を語り合うこの景色は、普通の高校生活の一幕だと言えるだろう。
「私、そろそろ席に座るね」
「ああ、また後でゆっくり話そう」
そろそろ始業のベルが鳴る。他の生徒たちも自分の席に着く中、オレは遅まきながらある事に気が付いた。
大多数の生徒とオレは挨拶を交わしているが、一人、まだそれをしていない人物が居る。
その人物の席に視線を向けるも、空席だった。スクールバッグもない為、まだ登校していないのだろう。
だがその人物の性格を考慮すれば、それは少し変な話だった。
他の生徒たちもその事に気が付いたようだった。ヒソヒソと囁き合う。
SHRが始まるまで、あと五分を切った。空席なのは三つ。
遅刻は理由にもよるがクラスポイントの減点対象となる。生徒たちの間に緊張が走る中、ついに、担任の茶柱先生がクリップボードと大量のプリントを抱えてやって来る。
「おはよう、諸君。こうしてお前たちと会うのは旅行以来か。夏休みはどうだった──」
台詞の途中で、茶柱先生は口を閉ざした。先生も三つの空席に気が付いたのだろう。
腕時計を一瞥すると、ハア、と露骨にため息を吐く。
「……あと二分だ。まさか二学期早々、遅刻をかます馬鹿が居るとはな」
そう言うと、茶柱先生は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
息が詰まる程の静寂。それを打ち破ったのは、複数の靴音だった。
「来たぜ!」
池が大きな声で、クラスメイトに周知する。
その直後、閉ざされていた後ろのドアが開けられた。
「すみません、遅くなりました!」
荒い呼吸を繰り返しながらそう言ったのは、クラスの中心人物である平田だった。その後ろには軽井沢の姿がある。
「おっせーぞ、平田! 何をしていたんだよ!?」
池の抗議に対して、平田は「ごめんね」と言うだけだった。
「……取り敢えず、早く座ると良い。こんな事でクラスポイントを失うのは馬鹿がやる事だ」
オレはそれを、他の生徒たちと同じく訝しげに眺めていた。
桔梗が以前言っていた、女王の玉座の崩壊。そして、オレが時々感じていた違和感の数々。
軽井沢がDクラスの『癌』になる未来が濃厚となってきたな。
軽井沢の対応は平田に一任しているが、『癌』は早々に切除するに限る。必要とあらば、動く必要があるだろう。
兎にも角にも、こうして、三つあるうちの二つの空席が埋まった。そしてオレは、Dクラスの全員が揃う事を確信する。
「Hey! Good morning!」
最後の空席の主が、流暢な英語を口にしながら教室に入ってくる。
「
男子生徒からの非難に対して、その男──高円寺はこう答える。
「いやなに、私も余裕を持って美しく登校していたのだがねえ。お気に入りの手鏡を忘れてしまった事に気が付いたのさ」
「は!? 手鏡!?」
「うむ、いかにも。身嗜みを確認する事は紳士たるもの当然の事。ボーイも私を真似ると良い。そうすればボーイも美しくなるだろうからね」
そう言うと、高円寺は白い歯をキラリと見せた。
「おっと、これ以上の長話は出来ないね。流石の私も、学校が始まって早々にティーチャーから小言を貰いたくないからねえ」
相も変わらずの自由人に、オレたちDクラスの生徒は何も言えないでいた。
何とも名状し難い雰囲気の中、校舎に始業を告げる放送が流れる。
「お前たちの緊張感の無さには呆れを通り越して尊敬の念を覚えるぞ」
茶柱先生はそう嘆息すると、「こほん」と咳払いした。
生徒たちが居住まいを正したのを見てから、茶柱先生は号令を掛けたのだった。
「──起立。それではこれより、二学期最初のSHRを始める」
こうして、一年Dクラスの二学期は始まったのだった。