第一体育館には総勢四百名を超える教師と生徒が集まっていた。
全校生徒が集まる機会が全くなかった訳ではないが、その殆どは全校集会といった厳粛な場だった。
そういう意味ではオレたち一年生は今日初めて、上級生と顔を合わせる事となる。
「この時間、私たち教員は何も口出ししない。話し合いするのも良し、不要だと判断したら帰宅するのも良し。お前たち生徒の自主性に一任する。それに伴い、今日のSHRは中止するので注意するように。あとは好きにしろ」
そう言うと、茶柱先生は他の教師と同じように体育館の隅へと行ってしまった。星乃宮先生のちょっかいを軽く受け流している。相変わらずの関係だな。
いきなりの放置にオレたちDクラスが戸惑っていると、一人の男子生徒が近付いてくる。一年生ではない。二年生、もしくは三年生だろうか。
その生徒は幸村へ声を掛けた。
「お前たちは、一年Dクラスだな?」
「は、はい。そうですが……」
「そうか。それなら、お前たちはこっちだ。付いてこい」
オレたちDクラスは言われるがまま指示された場所に移動し、大人しく待機する。実力至上主義を理念として掲げるこの学校に於いて、オレたち一年Dクラスは最も立場が弱い。
周りを見ると、どうやら、赤組と白組に分かれているようだった。
率先して指示を出しているのは、恐らく三年生だろう。
数分後、集められた生徒たちが床に座ると数名の生徒が前へ出てきた。その中には、オレたちDクラスに声を掛けてきた生徒が居た。
全員の視線が集まる中、一人の男子生徒がさらに前へ出る。
「俺は三年Aクラスの
淡々とした自己紹介。
それに反して、赤組の生徒の間には動揺が広がっていた。
まさかの、現生徒会長が総指揮を執るというのだ。動揺が特に見られるのは、二年生。ヒソヒソと囁き声を交わす。
その中で、一人の男子生徒が立ち上がった。堀北学へ近付くと、薄く笑う。
「これは驚きました、堀北生徒会長。まさか生徒会長自ら総指揮を執るとはね。昨日遊んでいるんですから、その時に教えてくれたって良いじゃないですか」
「不服か、
「いえいえ、とんでもない! 言ったでしょう、俺は純粋に驚いているだけですよ」
「ただ」と南雲は意味深に言葉を続けた。
「てっきり俺は、総指揮は
そう言うと、南雲は堀北学の後ろに控えている男子生徒を見る。オレたちDクラスを案内した生徒だ。
南雲がそう発言する事だけはある、恵まれた体格の持ち主だ。ザ・体育系だな。
藤巻先輩は南雲に話し掛けられても沈黙を貫き、事態を見守っていた。
「最初はお前の言う通り、総指揮は藤巻が執る予定だった。だが話し合いの結果、俺に代わった」
「……へえ。それはまた、堀北生徒会長らしくないですね。あなたは優れた御人だが、適材適所も弁えている。そのあなたが、らしくない決断をした。何か理由でも? あるいは、心境の変化でしょうか?」
「それをお前に言う必要はない。藤巻は快く俺と代わってくれた、その結果がこれだ」
「なるほど。確かに生徒会長の仰る通りです。総指揮は代々最上級生が執るのが通年となっています。ぶっちゃけ俺たち下級生は『誰が総指揮官なのか』なんてどうでも良いですからね」
堀北学と南雲の視線が交錯する。
本当に同じ赤組で仲間なのかと疑ってしまう程の、緊迫した空気が流れる。
「……まっ、良いでしょう。堀北生徒会長自ら総指揮を執るのが心強い事に変わりはない。我々の士気は高まるでしょうしね。俺も余分な事は考えず、体育祭に臨みましょう」
「話は終わりか、南雲」
「ええ、貴重な時間を割いて頂きありがとうございました。しかし総指揮官、最後にこれだけは聞かせて欲しい」
「南雲、いい加減にしろ。お前の自分勝手な行動で、赤組の和が乱れてしまう。それが分からないお前じゃないだろう」
そう言って二人の会話に口を挟んだのは、今まで沈黙を貫いていた藤巻先輩だった。鋭い視線を送るも、南雲は態度を直さない。
「これは失礼しました、藤巻先輩。しかし先輩、俺は総指揮官から激励の言葉を貰いたいだけなんですよ」
「……何?」と、眉を顰める藤巻先輩。
南雲は薄く笑ったまま、堀北学に尋ねていた。
「どのような経緯があったかは分かりませんが、堀北生徒会長は今回の体育祭に於いて指揮官となった。その事実が、ここにある。俺はね、その覚悟があるのかと問いたいんですよ」
「ならばお前の言う覚悟とは、何だ?」
「無論、赤組の勝利ですよ」
即答する南雲。
赤組の間で新たな波紋が生まれる中で、堀北学──否、総指揮官は冷静だった。
「お前に言われるまでもない。勝ちに行くのは当然の事だろう」
「その言葉が聞けて良かった。それならば我々赤組は、全力で総指揮の期待に応えましょう」
そう大仰に一礼すると、南雲は床に座った。これ以上発言する気はないらしく、大人しくしている。
今のやり取りに何の意味があるのかと、事情を知らない生徒は思うだろう。
だが事情を知っている一部の生徒からしたら、今の一幕は嵐の前の静けさに等しいものだった。
正しく、一触即発だな。
「今年の体育祭は、赤組と白組に分かれてこそいるが組として協力出来る事は殆どない。説明にあった通り、全学年が関わっての種目は最終種目の1200メートルリレーのみであり、他は学年別種目だからだ」
総指揮官の言葉を、オレたちは聞いていた。
無機質とすら思える、余分な感情が含まれない機械的な説明。だがここに居る赤組の生徒全員が、決して聞き逃してはならないと真剣に耳を傾けている。
『歴代最高の生徒会長』と評価されるだけの事はある、カリスマ。
「現段階に於いて、総指揮官の俺から指示を出す事は一つもない。各学年ごとに集まって話し合うのも、そうしないのも好きにするが良い。基本的には各々の判断に任せるが体育祭当日、状況によっては指示を出す可能性がある。それは忘れるな」
総指揮官はそう言うと、体育館の空いたスペースへ向かっていった。自然と、他の三年生たちも例外なく後を追って行く。
「それじゃあ、二年生はこっちだ。とはいえ、話し合う事は殆どないがな」
次に移動を始めたのは二年生だった。
南雲の指示に従い、別のスペースへ向かっていく。
堀北学と南雲雅。性質こそ違うが、両者とも高いカリスマ性を保持している。
それを改めて確認出来ただけでも価値はあったとしよう。
「おい、俺たちはどうする? 先輩たちに出遅れちゃったぜ!?」
焦り声をあげる池。他のDクラスの生徒も、その大多数は同様の表情を見せていた。
無人島試験に於いて、オレたちDクラスは試験が開始してから中々動けなかったという苦い経験をしている。その時の反省を活かし、何か少しでも動きたいのだろう。
「落ち着きなさい、まずはAクラスと合流を──」
クラスが混乱に陥る前に、堀北が諌めていく。
そんなDクラスに、近付いてくる複数の気配。オレたちDクラスが顔を向けると、そこには一年Aクラスが居た。
こうしてクラス単位で向き合った事は今まで一度もなかったが、いざそうするとAクラスの質の高さがよく分かる。
生徒一人ひとりの身に纏っている雰囲気が、オレたちDクラスとはまるで違うのだ。
無人島試験では、オレたちDクラスは二位という好成績を収めAクラスを下している。しかしそれはマジックの類であり、タネの分かっている生徒は殆ど居ない。
干支試験ではCクラスの完全勝利を防ぐ為に協力こそしたが、それは堀北鈴音の執念があったから出来たに過ぎない。
そう、何度も述べるがクラス闘争はあくまでも団体戦。
DクラスとAクラスには、まだ天と地ほどの差がある。
そして互いに牽制し合う中、突如、空気が震えた。
カツン。
それは小さな音だったが、体育館に大きく反響した。
すると、それまで固まっていたAクラスの一部に異変が生じる。左右に分かれ、人工的な道を作ったのだ。整然と作られた道、その奥から、一人の女子生徒が姿を見せる。
「ご機嫌よう、Dクラスの皆さん。こうして挨拶をするのは初めてでしょうか?」
音の正体。それは、杖によるものだった。足が不自由なのだろう、T字杖の為歩行状態はそこまで悪くはないのだろうが、どうしても目を引いてしまう。
銀髪のその少女はまるで御伽噺から出てきたような出で立ちであり、学校の制服がどこかミスマッチだった。
誰も動けない中、その少女は女王の如く悠然と歩いていた。小さな身体から出されているとは思えない、他者を寄せ付けない絶対的な強者の雰囲気。
だが何よりも特徴的なのは、その大きな瞳にある強烈な意思の光だろう。
堀北学、そして、南雲雅がそうしていたように。
今この場は完全に、この少女が支配している。
「初めまして、私は一年Aクラスの
礼儀正しい口調と共に、
無垢とすら思わせる攻撃的な笑みを浮かべ、その少女──坂柳有栖は、そう、名乗った。