Aクラスとの同盟を結ぶ事を方針としたが、考えるべき事、行うべき事はまだまだ山積みだ。
そして真っ先に挙げられるのが、『参加表』の作成だろう。
だが、『参加表』を作るのは簡単ではない。
誰がどの種目に出て、誰がどの順番で出場するのか。それを考えるのは一朝一夕では出来ないだろう。
「早速だけど、全員、体操服に着替えてちょうだい」
教壇に立つ堀北が仲間たちを見回しながらそう言った。
何故? と首を傾げる彼らに、
「Dクラスの方針は決まったわ。次は、戦略を練る為の準備が必要よ。その為にまず、体力測定を行う。互いのおおよその運動能力はこれまでの体育の授業や無人島試験で把握しているけれど、それも完全ではない。より詳細なデータが欲しいわ。嫌な人も居るかもしれないけれど、全員、全力で臨むように」
指揮官たる堀北が、次の指示を出した。
その指示内容は正しい。
『参加表』を作る目安の一つに、各個人の運動能力を改めて把握する事が上げられる。
運動能力と一括りにしても、俊敏性や柔軟性など様々だ。どの分野が得意なのか、それを知る事、知ろうとする事はとても大切だ。そこで新たな才能が開花する事はスポーツの世界では決して珍しくないと聞く。
「着替えたら第三体育館に集合して頂戴。今日は時間がないから、手短に掛からないものを行うわ」
堀北はそう言うと、いの一番に体操服を入れた袋を持って先陣を切った。向かう先は女子更衣室だろう。それに堀北を支持する女子生徒が続き、他の女子生徒も動き出す。
最後に動いたのは、軽井沢だった。
軽井沢の背中がとても小さく思えたのは、何もオレの気の所為ではないだろう。
「よっしゃ、オレたちも行こうぜ!」
男子生徒には
そこでオレは、意外な人物が大人しく従っている事に気が付く。オレの視線に気付いたのだろう、その男子生徒は顔を振り向かせると、普段のように尊大な態度で笑った。
「やあ、綾小路ボーイ。夏休み以来だねえ」
そう言って、Dクラスが誇る『自由人』こと
そのままオレに並ぶと、「どうかしたのかい?」と尋ねてきた。
「お前が素直に従うだなんて、意外だと思ってな」
「ふふ、おかしな事を言うねえ。私はいつだって自分の心に素直さ」
「そうか。ちなみに今回の体育祭、お前はどうするつもりだ?」
オレがそう質問すると、高円寺は少し驚いたようだった。そして、何が面白いのか謎の微笑を浮かべる。
「まさか、単刀直入に聞いてくるとはねえ」
「回りくどく聞いても、お前相手には意味がないからな」
「なるほど。そしてボーイ、きみの判断は正しい。"Time is money"と言うしねえ」
高円寺はアメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンの言葉を用いると、更衣室に着くまでの間なら付き合うと意思表示をしてきた。
オレたちは集団から少し離れつつ会話を続ける。
「協力する気はあるのか?」
「ふっ、さてね」
そう言うと、高円寺は意味深に笑う。
高円寺らしくない回答だな。それはつまり、彼の中で結論が出てないという事か。
「ところで、綾小路ボーイ。私からも一つ良いかい?」
「何だ?」
「ボーイは先程の多数決、どちらに投票したんだい?」
オレは立ち止まると、高円寺を真正面から見上げる。普段と同じ尊大な笑みを浮かべてこそいるが、その瞳の奥には別の色が宿っているように見えた。
「何の為に顔を伏せて多数決を行ったと思うんだ? そして、オレがその質問に答えるとでも思うのか?」
「そうだねえ、きみはきっと答えないだろう。何せきみは、意図して自分の意思を隠しているからねえ」
「高円寺、お前からオレはそう見えるのか」
その確認に、高円寺は無言の笑みで答えた。
「先程の多数決。ティーチャーは無投票が五名いたと言っていた。その中には綾小路ボーイ、きみも含まれている。私はそう推測しているのだが、違うかね?」
推測と表現していたが、高円寺は確信している素振りを見せている。
否定するのは簡単だが、この男はオレがどう答えた所で自分の出した回答に既に満足している。それなら、素直に答えても良いかもしれない。
「お前の推測通りだ、高円寺。オレは賛成でもなければ反対でもない。無投票にした」
「なるほどねえ。ちなみに、それには理由があるのかな?」
「そこまで答える義理はないと思うが」
「それもそうだねえ」
そう言って、高円寺は笑みを深める。今の状態なら答えると踏み、今度はオレが尋ねた。
「お前も、無投票にしたんだな」
「YES」
そうネイティブに発音すると、高円寺は頷いた。
「私にとって、クラスの方針なんてものは何も関係ないからねえ。興味もない」
「それだけでは、お前が動くには足らないと?」
「YES。私は、私のやりたいようにやる。それがこの私、高円寺六助だ」
あまりにも自分本位な考えだが、この男にはそれが可能な実力がある。
二学期になろうとも、この男の行動指針は何一つとして変わっていない。それを改めて確認出来ただけでも、この会話に意味はあったと言えよう。
「集まったわね」
第三体育館に、Dクラスの生徒全員が集まる。
ちなみに、堀北が集合場所を第三体育館に選んだのには理由がある。
第一体育館は最上級生の三年生が。第二体育館は二年生が。そして第三体育館は一年生が使うよう言われている為だ。
これは学校が設けているこのHRの時間帯のみという条件であり、このHRが終われば普段の学校生活通り、運動部が使う事となっている。
グラウンドも同様であり、体育祭はあくまでも学校行事の一つ。部活動や委員会の方が優先される。
ここまで説明すれば分かると思うが、このHRだけで体育祭の準備は出来ない。体育の授業は競技の練習が出来ると事前説明があったが、それはあくまでも自由時間の話であり、行進や競技の入場から退場までといった練習に割かれている。
そうなると授業合間の休憩時間や、昼休み、放課後などを活用する必要がある。
だがそれらの時間はあくまでもプライベートな時間な為、生徒全員の足並みを揃えるのは難しいだろう。
このHRはとても貴重な時間と言える。
準備運動を終え、良い感じに身体を
「まずは握力測定から行うわ。借りる事が出来たのは二個だったから、まずは男子から測定しましょう。次に女子ね」
時間も一分たりとも無駄にしないよう、堀北が次の指示を出す。その指示に、一人の女子生徒が挙手をして尋ねた。篠原だ。
「やるのは良いけどさ、それって記録をとるんだよね?」
「ええ、そうなるわね。誰がどの競技に出るのか、今回の体力測定は、それを考える材料になるわ。だから、出来れば全力で取り組んで欲しいのよ」
「それは良いんだけどさ。それってさ、他の人も自分の記録を見れるって事だよね?」
「まあ、そうなるわね」
「私は反対。運動が苦手な人とか、それは嫌なんじゃないの?」
良い成績なら兎も角、悪い成績を率先して他人に知られるのは、普通なら嫌がる。ましてやオレたちは思春期真っ只中の高校生だ、そう思うのは何も不思議じゃない。
「それにさ、記録をもとに『参加表』を作りたいって堀北さんは今言ったけど、それだと、運動神経が良い人を優遇するって事?」
「それは誤解よ、篠原さん。今回の体力測定は、あくまでも情報収集なの。『参加表』を作る為の材料の一つとして、客観的な情報が欲しいのよ」
堀北は自身の考えを口にする。
「仮に足の速い人が居たとして、その人にやる気がなかったら意味がないでしょう。一番は、その適正があって尚且つ、本人の意思がある事。私はこの体力測定で、あくまでもその適正を知りたいの」
「そうだとしても、嫌な人は嫌なんじゃないの」
堀北の説明に、篠原は中々納得しなかった。
堀北と篠原の間に、不穏な空気が流れ始める。
せっかく体操着に着替え集合したは良いものの、Dクラスは時間を浪費していた。
「さっきも思ったけど、堀北さん、自分の考えが全部正しいと思っているでしょ」
「そんな事はないわ」
「そんな事ある。Cクラスの同盟を、皆に相談せずに切った事がそうじゃん。違う?」
ここでその話をぶり返すのか。
殆どのクラスメイトはそう思っただろう。
だが誰も、それを指摘しない。
篠原の指摘は、あながち間違っていないからだ。
事実、堀北は一度クラスメイトへ確認するべきだった。
たとえ、元々の同盟の内容が『旧BクラスとDクラスの序列が密接になった時解消する』というものであったとしても。
そしてそれは、堀北も思っている事だろう。それを分かっていながらそうしなかったのは、堀北にそれを躊躇わせる何かがあったという事だ。
「何とか言ってよ、堀北さん」
押し黙る堀北に、篠原が詰問する。
殆どのクラスメイトが突然の事態に呆然とする中、一部の生徒はこのような疑問を抱いている事だろう。
何故、篠原さつきはこうまでして堀北
以前にも評したように、篠原さつきという生徒は自我が強い。それは良い意味でも悪い意味でもそうだが、この場に於いては悪いと言えるだろう。
限られている時間の中での篠原のこの行動は、ただの浪費でしかない。
「その質問に答えるのは、今じゃないわ」
長い沈黙の末、堀北はおもむろにそう言った。
その言い回しに、篠原は当然「はあ?」と声を上げた。
「何それ、どういう意味?」
「言葉の通りよ。あなた……いいえ、皆の質問に答えるのは今じゃない。今答える訳には行かないの」
「それで納得出来るとでも?」
「納得はしなくて結構よ。ただ私から今の段階で言えるのは、私が独断専行をしたのには明確な理由があり、それは今口に出す訳には行かないという事」
「……そ、それじゃあ、いつ答えるの?」
二人の会話に割って入ったのは、佐藤だった。クラスメイトからの数々の視線に怯えた表情を一瞬見せるも、友人の篠原を思ってか引き下がる事はしない。
「少なくとも、体育祭が終わるまでは無理ね」
「そ、その時が来たら、教えてくれるんだよね?」
「ええ、それは約束するわ」
堀北が力強く頷く。
それを見た佐藤は篠原にこう言った。
「篠原さん、そういう事みたいだから……」
それは懇願に近かった。
だが佐藤の思いは篠原に伝わったようで、渋々ながらも床に座る。
「改めて説明するけれど、これはあくまでも判断材料の一つでしかないわ。出来れば全力を出して欲しいけれど、強制はしない。苦手な種目があるのなら無理に取り組む必要もない。そして、公開したくないのならそれは私に一言言って頂戴。ただし、『参加表』を作るにあたって優先できなくなる。それで良いわね」
新リーダーの確認に、何人かの生徒が頷きを返した。
授業が始まってから実に十数分が過ぎているが、ともあれこうして、Dクラスは本格的に動き出した。
男女別になり、女子生徒を堀北が。男子生徒を
「よし、それじゃあ測ろうか」
クラスリーダーから座を降りたとはいえ、男子生徒のリーダーが平田なのは変わらない。
だが平田が声を掛けるも、名乗り出る生徒は中々現れなかった。無言で視線を交わし、互いの動向を伺う。誰から測定するのかという一種の駆け引きだ。互いの身体能力については互いに何となく分かっているが、この体力測定は記録として残る。運動が苦手で、それをコンプレックスに感じている生徒からしたら一番最初に測るのは避けたいだろう。
「よっしゃ、早速やろうぜ!」
須藤が微妙な空気を破って、そう名乗り出た。力自慢をしたいとかそういう訳ではなさそうだ。堀北に顔を向け、アイコンタクトを送っている。堀北が仏頂面で無言で頷くと、須藤は笑顔を見せた。
須藤は堀北の指示を直接受けているとみて問題なさそうだ。だが他の堀北グループの生徒、池や山内、沖谷は特別な反応を示してない為、恐らく堀北は須藤にのみ自分の考えを伝えている。
「まずは利き手から。その次に非利き手だね。本来なら時間を置いてからもう一度測りたい所だけど、他の測定もあるから今回は一回だけにしようか」
「分かったぜ」
「それと、測る前に握力計の調整を忘れないようにね。これをきちんとやらないと、正しいデータが取れないから」
そう言うと、平田は握力計を皆の前で調整してみせた。そしてそのまま測定に入る。
数秒後、平田は長く息を吐きながら測定を終えた。その結果は57.9kg。女子生徒たちから黄色い声が上がる。
「よし、次は俺がやるぜ」
平田に負けてられないとばかりに須藤が意気込み、測定を始める。デジタルの数値は瞬く間に平田の記録を越え、70kg、80kgと増えていく。
「す、すげえ……。86.4kg!」
池が感嘆の声を出すと同時、空気がザワついた。男女問わずして、須藤に畏怖の念が送られる。
「チッ、この前はもう少し上だったんだがよ」
どうやら須藤にとっては、この記録は不満だったようだ。悔しそうに舌打ちをする。
沸いた空気を見逃さず、堀北が声を掛ける。
「どんどんやって行きましょう。
「あまり気乗りしないが、これもクラスの為だ。仕方ないな……」
「
「うへえ!? 嫌だよ、お前の後にやるなんて!?」
平田が幸村に、須藤が嫌がる山内へやや強引に握力計を渡し、男子生徒が本格的に握力測定を開始した。二人一組でペアを組む。
その中で、オレは誰ともペアを組む事が出来ずにいた。友人と言える須藤は山内と組んでおり、平田もそのまま幸村と組むようだった。こういう時頼りになる池も、沖谷と組んでいる。
それならば高円寺と組もうかとも思ったが、彼は既に他のクラスメイトとペアを成立させていた。こういう時、高円寺は抜け目なく動いているのだ。
どうしたものかと悩んでいると、声を掛けられた。
「
顔を向けると、そこには握力計を持った
「それは助かるが……良いのか?」
非常に有難い申し出だが、オレのクラスの現在の立ち位置を考慮すると、三宅が必要以上にオレと関わるのは少々リスクがある。
しかし三宅は苦笑すると、心配は無用だと言わんばかりにこう言った。
「お前程じゃないが、俺もクラスでは浮いているからな」
それは事実だった。
三宅はクラス内で特に親しいクラスメイトは作っておらず、所謂、一匹狼な所がある。これは単に本人の性格によるもので、人付き合いをあまり重視していない為だろう。
学生生活を送る上で必要最低限の関係を築ければそれで良い、と三宅は思っているようだった。入学当初のオレの考えに似ているな。
「いつもは幸村とかとこういう時は組んでいるんだが……あいつは今日、平田と組むみたいだ。お前さえ良ければ、どうだ?」
「助かる。是非お願いしたい」
握力測定は自分一人でも出来るが、他の種目では一人では測れないものがある。例えば50メートル走や反復横跳びなのがそうだ。
オレは三宅からの申し出を快諾し、今回限りの話ではあるとは思うが、ペアを組む事にした。
「それじゃあ、測る。綾小路、記録を頼めるか?」
「ああ、もちろんだ。いつでも良いぞ」
「行くぞ──フッ!」
気合いを入れ、三宅が握力計のグリップを握る手に力を入れた。最初に右手、次に左手と測定していく。
「……これ以上はダメだな」
ふぅー、と長く息を吐く三宅。
オレは出た結果を伝える。
「54.6kgだ」
「ありがとう。自己ベスト更新だ」
「そうなのか、良かったな」
「ああ。弓道をやっているおかげかもしれないな」
そう言われて思い出す。
三宅は確か、弓道部に所属しているんだったか。寡黙な三宅に弓道はとても似合っているだろう。
「次は綾小路、お前だ。他の連中も終わっているのが居るから、手早く済ませよう」
「分かった」
オレは頷きながら、握力計を受け取る。オレは直立姿勢で、人差し指の第二関節が九十度になるよう調整しつつ、思考していた。
それ即ち、この体力測定でどの位の実力を出すか、という事だ。
握力測定についてはこれまで何百何千と行ってきた為、自己記録については記憶している。だが最後に測定したのがかなり前の為、現在はその記憶には遠く及ばないだろう。
念の為、男子高校生の一年生の平均値については調べてある。平均値を出す事は可能だが、今後の事を考えるとそうもいかないだろう。
そしてオレには、いくつかの課題がある。それが簡単な物なら良かったのだが、そうも行かない物ばかりだ。
「今から測る。三宅、頼めるか」
オレは三宅へ声を掛けながら、改めて、オレの方針を定める。
三宅が待機しているのを確認し、オレはゆっくりと、握力計のグリップを握る手に力を込めた。
誤解されがちだが、握力の高さは腕の太さに比例するものではない。もちろん無関係ではないが、より大切なのは前腕にある腕撓骨筋、橈側手根屈筋といった筋肉の束だ。
前腕の筋肉が収縮して腱を引っ張る事によって指は曲がる為、まずはこの仕組みを理解する事が大切だ。
つまり何が言いたいのかと言うと、ある程度の筋肉量があれば鍛え方次第で握力向上を図る事は出来る、という事だ。それこそ、100kgを超える事も夢ではない。
無論、その為には長い時間何かを握る必要がある訳だが──オレはその条件を満たしている。
「……! これは、すごいな……!」
三宅が目を見張り、思わずといったように声を漏らした。その反応が、オレの出している数値を物語っているだろう。
「80.1kg……」
驚愕の表情を浮かべている三宅は、握力計とオレを交互に見る。そして最終的に、オレの両腕を見詰めた。
「どこにそんな力があるんだ……?」
「昔から握力測定の時はクラスでも一番だったんだ。だが流石に、健には及ばなかったみたいだがな」
「いや、それでも充分凄いぞ……」
送られてくる称賛。
オレは適当に返しつつ、三宅と一緒に記録を書きにいった。
そして数分後、男女共に握力測定が終了した。
クラスリーダーが「お疲れ様」と声を掛けてから、次の指示を出す。
「次は上体起こしよ。ペアは今のままで良いわね」
マットが複数枚敷かれている一角に場所を移し、生徒たちは言われるがまま取り組んでいく。
数分後、上体起こしが終わった。
それから休む暇もなく、体育館で出来る種目を行っていく。
終業のチャイムが鳴る時には何とか、予定していた全ての種目を終える事が出来ていた。
「残すは50メートル走と100メートル走ね。とはいえ、これは今度の体育の授業で行うらしいから、実質的にはこれで終わりよ。皆、本当にお疲れ様」
堀北は労いの言葉を掛けると、続けて言った。
「皆の記録は私が責任をもって保管するわ。そして、今日の授業はこれで終わりよ。部活や寮に帰って貰って構わないわ。そうですよね、茶柱先生?」
「ああ、その通りだ。今はもう放課後になる。私は後片付けが残っているが、お前たちは好きにしろ」
「そういう事だから。解散」
クラスリーダーからの言葉を受け、生徒たちは体育館を後にする。オレもその中に交ざりつつ、更衣室へ向かった。
部活がある生徒はジャージのまますぐに更衣室を出ていき、オレのようなすぐに帰宅する生徒は制服に着替える。
「またな、綾小路。今日は助かった」
更衣室から出ると、三宅が声を掛けてくる。
「いや、オレの方が助かったから礼を言うのは寧ろオレだ。それよりも三宅、部活はないのか?」
弓道部に所属していると先程言っていた三宅だったが、着ているのはオレと同じ制服だった。
オレの質問に、三宅は「ああ、その事か」と言ってから答える。
「部活は休みだ。熱心な所ならまた違うんだろうが、ウチはその辺緩いからな」
なるほど、とオレは頷いて納得した。
「この後はすぐに帰るのか?」
「いや、一度校舎に戻る」
「……校舎に? 何か忘れ物でもしたのか?」
「まあ、そんな所だ」
濁らせて答え、これ以上の追及は望まない事を暗に伝える。
幸い、三宅はオレのメッセージを受け取ってくれたようだった。「そうか」と言うと、別れの挨拶をしてくる。
「それじゃあ、またな。もしまたペアを組むような事があれば宜しく頼む」
そう律儀に頭を下げると、三宅は校門がある方向へ足を進めて行った。
一匹狼だと思っていたが、弓道部に所属しているだけはあり、礼儀作法はしっかりしているようだ。
そんな事を思いながらオレはクラスメイトを見送り、その後言った通り、校舎へ向かう。
校舎、と言っても厳密には昇降口だ。休み時間に、
待ち合わせ場所にはまだ、椎名の姿はなかった。
すぐそこにあるベンチに座り、読書でもしようか──そう思案していると、ブレザーの右ポケットに入れていた携帯端末が震え始めた。電話の着信を告げるバイブだ。
端末をポケットから取り出し画面を見ると、そこには『
『体育祭の概要は理解しているな』
挨拶もない、いきなりの本題。
この男らしいと言えばらしい。
「ああ。だがそれよりも先に、話す事があるんじゃないのか?」
『話す事だと? まさか、 一昨日の事を言っているのか?』
「ああ。てっきりオレは、あんたから呼び出しを受けるものばかりだと思っていたんだけどな。あるいはこうして、電話かメールで話し合うと思っていた」
事実、
その事を堀北学が知っているのかは知らないが、堀北学は淡々とオレの疑問に答えた。
『話し合うも何も、既にお前から報告はメールで受けている。お前は生徒会メンバーとの初顔合わせよりも、
「そうか。あんたがそう言うのなら、それで良い。だが前から思っていたし何回も直接言っている事だが、あんたはオレを過大評価し過ぎだ」
この男は出会った当初からオレの事を高く買ってくれている。
それは有難い事ではあるが、盲目的になられても困る。
オレの訴えに、堀北学はこう答えた。
『それなら簡単だ。俺がお前を選んだ事を後悔させないよう、お前自身が証明してみせろ』
それしかないと、堀北学は断言する。
『今回の体育祭、俺、南雲、そしてお前のクラスは同じ赤組だ。お前が宣戦布告するにはもってこいの機会だと俺は思うがな』
宣戦布告。
それは俺という人間がクラス闘争に於いて、正式に参戦する事を意味する。
それはきっと、様々な方面に様々な影響を与える事になるだろう。
その一つが、これだ。
綾小路清隆という人間は、堀北学に自分の価値を示さなければならない。
「その事についてはオレも考えている。精々あんたの期待に応えられるようにするさ」
『そうか。それならそれで良い。俺からの話は以上だ』
そう言って、堀北学は電話を切ろうとする。
だがオレはそれに待ったをかけた。
「オレからも一つ聞きたい事がある」
『何だ』
「南雲の話が本当なら、総指揮官は元々別の生徒が執る筈だった。それは間違いないのか?」
『違いない。生徒会長が総指揮官も兼任するのはあまり好ましくないとされており、暗黙の了解となっている』
だがしかし、堀北学はそれを破った。
この男はオレに言った。
守るべき規律と、受け継がれてきた伝統の為に、南雲雅と戦うと。
『要らぬ波風を立ててしまったのは事実だ。その点については申し訳なかったと思っている』
それは本来総指揮官をやる予定だった生徒にというよりは、全校生徒にという意味合いの方が大きいだろう。
堀北学が先程口にした、『宣戦布告』。あれは南雲雅と徹底的に戦う事の意思表示だった。
両派閥に大きな緊張が走ったのは間違いない。事情を何も知らない一年生でさえ、困惑する者が後を絶たなかった。
『とはいえ、全校集会の時に言った事に変わりはない。俺が直接指揮を執る事は殆どないだろう。あるとしたら、それは──』
それは、この男が動かざるを得ない程の異常事態が発生した時だろう。
そうならない事を願っているが、その確率が低いのは考えるまでもない事だ。
そしてDクラスは屋外での体力測定も恙無く終え、『参加表』を作成していく事になる。
斯くして、体育祭は新たな局面に入る。