二学期が始まってから、一週間が経った。
オレの所属するDクラスも、体育祭での基本的な方針を定め、週明けの今日から次の段階に移し始めている。
ここまではスムーズに進んでいると行って良いだろう。
体育祭当日まで、時間は有限だ。無駄には出来ない。
Dクラスは次に、ホームルームや体育の授業を活用して、各競技に対する適性を測定する事となった。
目的は体育祭の命運を握る鍵──『参加表』作成の為だ。参考資料として、体力測定の記録がある。
新リーダー
とはいえ、授業はともかく、このHRの参加を無理やり強いる事は出来ない為──罰則もないと学校から明言されている──一部の生徒は辞退してしまっている。それでも参加率が七十パーセントを超えているのは、生徒たちの意識が変わった証だろう。
現在は、放課後の自主練の時間となっている。一年生は第三グラウンドを使用するよう、学校から通達されており、各クラスは自然と四等分して利用していた。
これは特別な話し合いを設けた訳ではない。荒くれ者の多い
とはいえ、Bクラスは今日自主練をしていないようだった。
それどころか一之瀬率いるCクラスの姿も見られない。
その為放課後のこの時間は、A、Dクラスが実質的に占有していた。とはいえ互いに接触はまだしていない。遠くから眺めるに留まっている。
さて、オレは参加こそしているが、今の所は適当に流していた。自分の番にならないよう極力立ち回り、クラスメイトの能力の把握に努める。身体能力のアベレージが低いDクラスであるが、少人数ではあるが優れた能力を持つ生徒が居る。
その中の一人に、オレは視線を送った。運動場のトラック、そのうちの一つのレーンを使い試走している。
「タイムは!?」
100メートルを走りきった
「凄いよ須藤くん。11.9秒!」
その報告に、耳を傾けていた殆どの生徒が驚愕の表情を浮かべた。遠くから見ていたAクラスの生徒も愕然としている。
だが、それも無理はない。
陸上競技者でもないのにこの記録とは。改めて、
「お前本当、凄いよな……。今の所全部の競技で一位じゃん」
しかし須藤は山内から受け取ったタオルで顔の汗を拭うと、首を縦に振った。
「Dクラスの中じゃな。だが、油断は出来ねえよ。Cクラスには、
「マジかよ!?」
「ああ。
「それに」と、須藤は地面の砂粒を摘むと言った。
「やっぱり、体育館と外じゃ、全然違う。これに慣れるのにはちょっと時間が掛かるな」
「ま、マジかよ……まだ速くなるかもしれないのか?」
「そうなるよう、調整するって話だ。それに、俺より速い奴なんてそこら中に居るぞ」
そう言うと、須藤は
視線の先で、高円寺は鼻歌を歌いながらストレッチを行っていた。ちなみに、練習には一切参加していない。
だが、自主練には参加している。高円寺なりの理由があるのだろうか、あるいは、単なる気まぐれか。
「あいつにはまだ、届きそうにねえ……。本気を出したら、MVPはあいつだろうな……」
悔しさを滲ませながら、須藤がそう呟く。
彼我の実力差を感じ取れるのもまた、実力と言えるだろう。須藤も努力を重ねているが、高円寺にはまだ敵わない。このまま努力を重ね順調に成長すればあるいは、といったところだろうか。
「それに……──」
と、それから須藤は一瞬、オレに視線を寄越した。当事者のオレでなければ気付けなかっただろう、ほんの刹那の出来事。
──まあ、有り得ない話でもないか。
寧ろ、そうなるのは自然とも言える。
とはいえ、これで『理由付け』にはなるだろう。
オレはそう結論を出すと、場所を移動した。
ハードル走を練習している所では、
「こっちはどうだ?」
「あんまりかな。堀北さんも言っていたけど、やっぱり私たちのクラスは基本的な能力が低いからね。他クラスと真正面から渡り合える生徒は限られてくると思うよ」
「そうか」
オレが相槌を打ったタイミングで、次の走者の番となった。次の走者は、四人。全員、女子生徒だ。
見れば、その中には友人の
「
「そうだな。オレも驚いた」
それは何も、オレだけではないだろう。
事実、新学期が始まってから数日が経っているが、愛里は今、その可愛らしい容姿で注目の的となっている。みーちゃんや
「これもきみのお陰なのかな?」
「まさか。愛里が変わろうと思ったからだ。オレは何もしていない」
少なくとも愛里に関しては、オレはあまり干渉していない。
『成長』しやすいようにこそしたが、こんなにも早く芽が出るとは思っていなかった。あの夏の経験を糧にした愛里の頑張りが、形に出始めているのだ。
「位置について! よーい!」
記録係の生徒が、合図を出した。
三人の女子生徒が同時に走り始める。愛里はワンテンポ遅れた形となった。
熟練者なら話は変わってくるが──それでも巻き返すのは難しいだろう──、素人にとってこれは致命的だ。
Dクラスの中でも特に、愛里は運動を苦手としている。さらに、ハードルを倒さない事に集中し過ぎているのか、却って遅くなってしまっていた。その結果、ハードルこそ倒さなかったものの、三位から大幅に遅れてのゴールとなる。
見ていた周りの生徒が気まずそうにしている中、しかし本人はその顔に達成感を出していた。すぐに愛里の友人たちが近寄り、労いの声を掛ける。
弛緩した空気がそこから流れる中、千秋が言った。
「一応一学期の時よりは、勉学だけじゃなくて運動も真面目に取り組もうと思っているけど……どこまでやれば良い?」
「それは千秋自身の事か?」
「うん」
「一任する」
オレの返答に、千秋は苦笑を浮かべた。
「適当過ぎない?」
「まさか。至って真面目だ。この体育祭で実力を出してクラスに貢献し、発言権を強くするのも一つの手だ」
堀北がDクラスのリーダーとなったが、満場一致で決まった訳ではない。
快く思っていない生徒は居るだろう。特に、これまで平田を支持してきた生徒たちにとって、今のDクラスの状況は自身のクラスカーストが崩れる可能性がある。
だがこれを好機と捉え、自身のクラスカーストを上げるのも作戦としては有りだ。
「逆に実力を隠し過ぎると、いざという時に出せない状況に陥る可能性もある」
自分よりも実力のない生徒と一緒に戦い、足を引っ張られ、結果、敗北してしまう。
それを運が悪かったと嘆くのか、あるいは、自業自得だと思うか。
この体育祭は下手したら、夏休みに行われた二度にわたる特別試験よりも大きな意味を持つのかもしれない。
運動能力という、一つの大きな物差しでその人物の価値が測られる。それは今後のクラス闘争に於いて重要視されるだろう。
「一つ、もう一度だけ確認させて欲しい。今回の体育祭、目標は?」
「クラスの目標と同じだ」
即ち、赤組が勝ち学年別順位でも一位を獲る事。
「それならさ、
妙案を思い浮かべたのか、千秋がにやりと笑った。
「推薦競技の一つ、男女混合二人三脚。私と組もうよ」
「分かった」
「即答するんだ」
「一任すると言ったのはオレだからな」
「それじゃあ、決まりだね」と、嬉しそうに笑う千秋。
「だが他に希望者が沢山居た場合、出られるかは分からないぞ」
「出られるよ、私たちなら」
自信満々に、千秋は断言した。
それなら、とオレは正式に了承する。
「オレは男子の情報収集に努める」
「分かった。それなら私は、引き続き女子の情報収集に努める」
「難しい役割を任せて済まないな」
千秋の立場はオレよりはマシだろうが、それでも悪い事に変わりはない。
「さっきは一任すると言ったが、他の女子から何かされてないか? もし何かあるなら、教えて欲しい」
オレが尋ねると、千秋は意外そうに瞬きした。
「何もされてないけど……もしかして、心配してくれているの?」
「当然だ。それがオレの責任だと思っている」
そう言うと、千秋は「そっか」と相槌を打った。そして、思いもしなかった指摘をしてくる。
「きみって、そういう所あるよね」
「……? そういう所って、どういう事だ?」
「そのまんまの意味。『責任』だとか、『約束』だとか、そういうのをきみは結果的に遵守する」
他者からの、オレという人間への評価。
気になったオレは、視線でその先を促した。
「多分、きみはそういう風に思考回路が作られているんだと思う。それは機械的欠落でもあり、同時に、人間的魅力でもある」
「……なるほど」
「ごめんね。不愉快だったかな」
謝ってくる千秋に、オレは首を横に振ってから答えた。
「いや、勉強になった。改めて、自分という人間を見詰め直す事が出来たと思う」
「そっか。それなら良かった」
千秋はそう言うと、脱線していた話を戻す。
「さっきも言ったけど、私は大丈夫。陰口は沢山言われているだろうけど、直接何かはされてないよ」
「女子の世界なんてそんなもんだよ」と、千秋は軽く言った。確か、無人島試験でも似たような事を言っていたな。
本人の様子から察するしかないが、嘘や強がりではなさそうだ。
「そうか。それは良かった」
「それ、たった今言った私の言葉そのまんまだよ」
ジト目で千秋はそう突っ込みを入れると、微笑ましい物を見るような眼差しで、オレに言った。
「きみって、すぐに何かに影響を受けそうだよね」
「そう、なのかもしれないな……」
オレは曖昧に頷いた。
現状、同じ目的を持つ唯一の存在だからだろうか。
「私は問題ないけど──話は少し変わって、一つ、報告する事がある」
周囲を見回し誰も付近に居ない事を確認してから、千秋が小声でそう言った。
「
「正解。まあ、見れば分かる事だと思うけどね」
千秋の言う通りだった。
軽井沢恵は、自主練に参加していない。軽井沢だけでなく、軽井沢の友人たちも姿はなかった。
先にも述べた通りこの自主練は強制参加ではない。個人の自由だ。
とはいえ、これまでクラスの中心的役割を担ってきた人物の不在というのは、少なくない影響を与えるものだ。堀北が指示を出しているが、平田率いる男子のものに比べると女子は統率が足りていない。桔梗が間に入っているのがその証拠だろう。
オレたちは体育館裏に場所を移す。
「それで、軽井沢は何をしているんだ?」
答えはシンプルだった。
「寮に帰ってるみたい」
「寮に? 遊びに行ってる訳じゃないのか?」
「うん。この前気になって調べてみたら、軽井沢さんの居場所は分からなかったけど、篠原さんや佐藤さんのGPS上の位置情報は学生寮になっていたの。だから、グループの子たちは軽井沢さんの部屋に集まっているんだと思う」
これまでの軽井沢恵であったなら参加していただろうし、自分のグループを中心にDクラスの女子を纏め上げていただろう。
だが軽井沢は、あの日から目立った動きをしていない。授業こそ出席し表向きは真面目に受けているが、以前あった覇気は見られなくなっている。
口にこそ誰も出していないが、言いようのない不安は抱えているだろう。
「どうして軽井沢たちが自主練に参加しないと思う?」
「一つは、堀北さんへの反抗だと思う。軽井沢さんたちは、堀北さんがリーダーになった事を認めていないから。特に、
「なるほどな。そうなると……──
「へえ。知ってたんだ」
「まあな。とはいえ、そこまで詳しくはない。干支試験、オレは軽井沢と同じ『兎』グループに配属されていただろう? その時に真鍋たちが軽井沢に突っかかっていたのはこの目で見ている。その程度だ」
千秋が情報共有してくる。
「元々、軽井沢さんの『女王』という地位は私たちが行った弾劾で揺らいでいた。だけど、それはすぐに軽井沢さん自身がプライベートポイントを借りていた子たちに謝罪した事でなくなった」
「そうだな」
問題はそこで解決する筈だった。
しかし、別の問題が浮上した。
「軽井沢さんは他クラス──Bクラスの子たちとトラブルを起こしていた。それも、軽井沢さんが全面的に悪いトラブルだった。それは不必要な因縁を生み、今、軽井沢さんに跳ね返っている」
「見て」と言いながら、千秋はジャージのポケットから携帯端末を取り出す。操作し終えると、その画面をオレに見せてきた。
それは、チャットアプリだった。このアプリにはグループ機能という物があり、グループに所属していれば二人以上での大人数によるメッセージのやり取りが可能となっている。
グループ人数は、六十人を超えていた。
なるほど、とオレは合点した。以前、桔梗が教えてくれた『一年生の女子の殆どが所属しているグループがある』とは、正にこれの事だろう。
『軽井沢さん、いい加減何か言ったら? もう二学期始まってるんですけど?』
『リカに何か言う事あるんじゃないの?』
真鍋から複数のメッセージが軽井沢に対して送られていた。
最近の履歴では、真鍋とその友人だと思われる生徒たちによるメッセージで一杯になっている。
既読数もそれなりのものが付いているが、真鍋たちを諌めるメッセージは出ていない。それどころか、最近の履歴は真鍋たちのもののみとなっている。グループそのものを退会している生徒も数人だが居る。
自分が標的になる事を、他の生徒たちが恐れているのはあるだろう。
さらに、真鍋たちが軽井沢が悪いという主張を何度もしているのに対して、軽井沢が一度たりとも何も反応を示していない為、他の生徒たちも自然と『軽井沢恵が何か悪い事をした』という認識になっているようだった。
「学校はこの事を知っているのか?」
「……どうだろう。それに、もし仮に知っていたとしても、今の段階だと静観すると思うよ」
その推測は合っているだろう。
真鍋たちの主張は一貫して、『軽井沢が何か弁明をする事』であり、誹謗中傷している訳ではない。明確な暴言も見当たらない。
これでは学校も動かないだろう。事実、生徒会長も生徒同士の諍いは、基本的には生徒同士に決着を付けさせると『暴力事件』の際開かれた審議会の時にそう言っていた。
「清隆くん、平田くんと仲良いよね。平田くんはどう考えているか知っている?」
「この前聞いてみたが、曖昧だったな」
「……曖昧?」
オレの表現に、千秋が首を傾げる。
「問題は把握しているんだろう。だが、そこまでの重要視はしていない。そんな口振りだった」
「……なんか、平田くんらしくないね」
「千秋もそう思うか」
オレも同意見だった。
平田洋介という男は、『イジメ』もしくは『イジメ』に発展しそうな問題こそ毛嫌いし迅速に対処するとオレは思っていたし、他の生徒も同様だろう。
あるいは、平田も軽井沢が悪いと思っていての行動なのだろうか。
そうだとしても、オレたちの知っている平田なら仲介に入るだろう。
ましてや、平田と軽井沢の二人は交際関係にあるのだから。
──と、そこまで考えたオレは自分の価値観が少なからず変化している事を自覚した。
全くの他人事ではないから、オレは平田の対応に不満を抱いているのだろう。
四月のオレなら間違いなく抱かなかったであろうこの『感情』と、オレは今後も向き合い方を考えなければならない。
「堀北はこの事を知っているのか?」
「このグループに堀北さんは所属していないけど、知ってはいると思う。一学期とは違い、堀北さんを支持している女の子は一定数居るからね。そこから話は行っていると思う」
「そうか」
「どうする?」
オレは千秋の質問にすぐには答えず、思案に耽る。
考えるべき事、為すべき事が山ほどある。
その中で、自分の中での優先事項を改めて整理していく。
「軽井沢の件については、今後も変わらない」
「それじゃあ、様子見? 良いの?」
「ああ。オレたちが介入しても、メリットはそこまでないからな」
「それじゃあ、軽井沢さんを見捨てるって事?」
その質問に、オレはこう答えた。
「必要ならな」
千秋は複雑な表情を浮かべた後に、おもむろに頷いた。
「分かった。覚悟はしておく」
とはいえ。
軽井沢恵の処遇を決めるのは、少なくともオレではない。
それは交際相手の平田か。
Dクラスのリーダーとなった堀北か。
あるいは、別の第三者か。
何にせよ言えるのは、オレは直接的には関与しないという事だ。
「──ご機嫌よう、皆さん」
Dクラスが纏まっているエリアに、それまでなかった鈴の音が転がってくる。
見れば、そこにはAクラスの男女を率いている
校舎裏からオレたちが見守っていると、同盟相手の突然の来訪に気付いた堀北が単身で坂柳の元へ赴く。
「こんにちは、坂柳さん。何か用かしら?」
坂柳は真意の読めない微笑を浮かべて言った。
「一つ、提案しに来ました」
「……? 提案?」
「ええ、そうです。突然ではありますが、今から合同練習をしませんか?」
「合同練習ですって……?」
「ええ。私たちは同じ赤組ですから。親睦を深めましょう」
「……これも、あなたたちからの『奉仕』とでも言うつもりかしら?」
「ふふっ。さて、どうでしょう?」
堀北が疑念の眼差しを送る。
対して坂柳は、あくまでも体育祭で共に戦う同士として交流を深めたいという建前を崩さない。
「私たちからの『奉仕』──それは、『参加表』をあなた方Dクラスに開示する事にあります。しかしそれを最大限活用する為には、私たちAクラスの各生徒の能力を把握していなければなりません」
坂柳の言う事は尤もだ。
それが出来なければ、Aクラスからの『奉仕』に意味はない。
そしてAクラスは──否、坂柳有栖は自分からそれをしようとしている。
「……理解に苦しむわね。Aクラスにメリットはないように思えるけれど?」
「メリットはあります。Dクラスの生徒の中には、まだ『奉仕』を疑っている方がいらっしゃるでしょう?」
ぎくりと、Dクラスの生徒数名が分かりやすく反応を示してしまう。
坂柳は優雅に微笑を携えながら続けて言った。
「それは時間の無駄で、非効率的です。私はそれを好みません。私たちが『奉仕』する以上、Dクラスには万全を期して体育祭に臨んで欲しいのです」
「私たちは勝ちますが」と坂柳は絶対的な自信を口にする。
「堀北さん。これは忠告です。
「……何を言っているのかしら」
堀北が低い声音で強く睨むも、坂柳は涼しい顔で受け流す。
「良いんじゃないかな、堀北さん。合同練習、してみようよ」
堀北にそう言ったのは、桔梗だった。
「櫛田さん。でも……」
尚迷う素振りを見せる堀北に、桔梗は不安を払拭させるように明るく言う。
「お互いの事を知るのは悪い事ばかりじゃないよ。それに何も、全部の競技の練習をする必要はないんじゃないかな。……例えば、100メートル走とかどうかな? これならある程度情報も互いに知れてるし……それに、良い刺激にもなると思うんだよね」
前半は堀北へ。そして後半は事態を見守っているクラスメイトへ向けて、桔梗はそう提案した。
「良いじゃねえか、合同練習」
桔梗に続いて、須藤が意見を述べる。
「そんなに難しく考える必要はねえよ、堀北。情報が漏れる事を気にするんなら、櫛田の言う通り、何もこの場に居る全員が出る必要はねえ。──坂柳、だったか?」
須藤が坂柳に近付く。すぐにAクラスの生徒が坂柳の身の安全を守ろうと動こうとするが、坂柳はそれを手で制した。
「須藤健くん、でしたね? 貴方の事は存じ上げていますよ」
「へえ。そりゃ一体、どんな風にだ?」
「一年生の中でも優れた運動能力を持つ生徒。私のクラスの中でも、貴方と真正面から戦えるのはほんの数人でしょうね。この体育祭、貴方の活躍如何によって勝敗は大きく変わるでしょう」
坂柳は須藤の事を高く評価しているようだった。
「そりゃありがたい事だ」と須藤は言葉だけの礼を口にすると、堀北の横に並び、坂柳を見下ろす。
「合同練習だが、条件があるぜ」
「……ふむ。須藤くん、貴方からですか。しかしDクラスのリーダーは堀北さんでしょう? 貴方にその権限はないのではありませんか?」
「確かに堀北はリーダーだ。だが、Dクラスの中で勝負の世界を最もよく知っているのは俺だ。俺が話した方が良いだろう」
「と、須藤くんは仰っていますが?」
如何なさいますか、と坂柳が堀北に目で尋ねる。
堀北は須藤と一瞬見詰め合うと、一歩引いた姿勢を見せた。
「須藤くん。貴方に任せたいと思うわ。お願い出来るかしら」
「おう!」
須藤は頷くと、坂柳と話し合う。
「マジかよ……健、あのAクラスのリーダーと対等に交渉してるぜ……」
池が驚く。
オレは千秋とアイコンタクトを取ると、Dクラスに合流する。
「合同練習……どうなるの、かな……」
愛里が不安そうに呟く。
オレは近付くと、愛里と、その親友である
「愛里、さっきは頑張っていたな。みーちゃんの応援も立派だった」
「そ、そうかな……?」
「ああ。胸を張って良い事だと、オレは思う」
オレが褒めると、愛里とみーちゃんは照れ臭そうはにかんだ。
「それでは、合同練習は三十分後。よろしくお願いしますね」
坂柳がAクラス陣地に戻っていく。
思いの外、交渉は早く終わったな。
「合同練習、やる競技は100メートル走だ。参加はあくまでも任意だが、出来る限り参加して欲しい。他の奴と競走するという経験を積んで欲しいからだ」
須藤の説明に、堀北が頷く。
「分かったわ。他には何か話したかしら?」
「向こうから話を持ち掛けてきたから、Aクラスからは全員が参加するってよ」
「戦力の全力投下。余程、坂柳さんは『奉仕』をしたいようね……。他には?」
「あるぜ。参加する奴が決まったら、今回限りの『参加表』を作成し、各担任に提出するようになった」
「実践形式、という事ね。ありがとう須藤くん、分かったわ。──私は参加するけれど、他に参加したい人は居るかしら?」
堀北がクラスメイトを見回すも、挙手が挙がる事は中々ない。
意識の持ち方は変わりつつあるが、こういった所ではまだDクラスは弱い。それをオレは再認識する。
自主性を育むのはそれなりの時間と、成功体験が必要だ。
「僕、参加するよ」
「私も出てみようかな。走るのはあまり得意じゃないけど、頑張ってみる!」
やはりと言うか、続いたのはいつものメンバーだった。
平田、そして、桔梗。
その二人は仲の良い生徒に声を掛け、こうして、Dクラスからの代表者が決まっていく。
「ねっ、綾小路くんもどう?」
篠原を誘った後、桔梗がオレを誘ってくる。
「……悪い、あまり気乗りしないな」
「えーっ、でもでも、せっかくだからさっ。綾小路くん、運動不足だって、この前言っていたじゃない。一緒に頑張ろうよ!」
そんな事を言った覚えは一度もないのだが。
そんなオレの内心を察知したのだろう、桔梗は他の生徒からの死角の位置に立つと、恐ろしい形相で睨んできた。
『出ろ』
櫛田エル親衛隊が見たら卒倒するだろうな。
そんな事を思っていると、
「いや、ちょっと待ってくれ。櫛田、言っただろう。参加は任意だってよ」
須藤がオレを庇ってくれた。
天使の仮面を被り直した桔梗が「それはそうだけど」と可愛らしく唇を尖らせる。
「無理強いしても良い事は何一つねえ。無理に参加して、逆に、競技に対して苦手意識を持たれた方が困る」
「綾小路くんが? そう言うの、思わなさそうだけど」
「それはそうだろうが、一応、清隆は嫌がってんだ。それに、清隆って言う一例を作りたくないんだよ」
ナチュラルに毒を履かれている気がするが、須藤の主張は間違っていない。
参加する事に消極的なオレが説得によって参加した場合、他の消極的な生徒からしたら『本当は嫌だが自分も参加しないといけないのではないか』という意識が芽生えてしまう可能性がある。
それはやがて同調圧力となり、結果、クラスの士気の低下に繋がりかねない。須藤はそれを阻止したいのだろう。
「……よくよく考えてみれば、須藤くんの言う通りだね。ごめんね、綾小路くん。許してくれる?」
申し訳なさそうに桔梗が頭を下げる。
「何も気にしてないから大丈夫だ。誘ってくれた事じたいは嬉しいからな」
「ありがとうっ」
そう微笑むと、桔梗は「私、準備してくるね」と言い離れていった。
後が大変恐ろしいが、オレはそれを一旦忘れ、須藤に礼を告げる。
「助かった。ありがとう、健」
「気にすんなよ。俺とお前の仲だろ」
ニカッ、と須藤が笑いオレの背中を叩く。痛い。
『参加表』は須藤と堀北が主に作成した。参加人数が少ない為、問題なく提出が完了する。
そして、合同練習の開始時刻となり、参加者がグラウンドに集められた。
Aクラスからは坂柳を除く全員──坂柳は身体的ハンデがある為──。
Dクラスからは十名の生徒が参加する事になった。
合計、四十九名。1レース十人とし、Aクラスからは八名、Dクラスからは二名が各レースごとに選出される。
ただし、最終レースのみAクラスは九名となる。
「合図は俺が出そう。構わないか?」
「ええ、お願いします。
HRを見守っていたAクラスの担任教師、真嶋先生がそう名乗り出てくれた。
我らがDクラスの担任教師、
「それでは、A・Dクラスの合同練習を始める。レギュレーションは体育祭当日と同じにする。皆、励むように」
「「「はいっ!」」」
生徒たちの返事が、グランドに響いた。
そして始まる、合同練習。
やはりと言うか、Aクラスは強者が集っているとDクラスは痛感させられる形となった。
「嘘だろ、平田や
呆然と呟いたのは、山内だった。
たった今行われた第一レース。先陣を切って出場したのは平田と小野寺。
平田は言わずもがなDクラス有数の実力者であるが、小野寺という女子生徒も高い身体能力を持っている。
だが結果は芳しくなかった。
平田は二位、小野寺は四位。
「あの一位の奴、前から思ってたけど人相悪すぎだろ……」
平田に大差をつけて勝ったのは、鬼頭だった。
無人島試験で、オレは面識がある。とはいえ、話したのはそれきりだったが。
「ご苦労様でした、
まるで予定調整だとでも言うように、坂柳が鬼頭へ労いを言葉を掛ける。
「ごめん、みんな。一位を逃がしてしまった」
「私からも、ごめん。クラスに勢いをつけたかったんだけど……」
クラスに戻ってきた平田と小野寺が、悔しさを滲ませながら謝罪する。
「気にすんなよ。もっと気楽に行こーぜ」
そう言ったのは、池だった。
流れかけた重たい空気を吹き飛ばすように、楽観的に笑う。
「練習はまだまだ始まったばかりなんだ。なぁそうだろう、健?」
「当たり前だ!」
健が威勢よく吼えた事により、クラスは士気を取り戻す。
だが、Dクラスはそれからも苦戦を強いられる。一位走者には恵まれず、最下位にこそならないものの、中途半端な順位に甘んじる事となってしまった。
そして迎える、最終レース。
Dクラスからは健と堀北の二人が出る。
「ふふふ。最後はDクラスの最高戦力ですか」
坂柳が微笑を携えながら、値踏みする視線をレーンに向ける。
「
「はいよ、姫様」
Aクラスから出る生徒のうち、一人は橋本だった。
鬼頭と同様、無人島試験で関わりがある。恐らく、橋本はAクラスの中でも中心的な役割を果たしていると考えられる。
橋本は自然体の様子でスタートラインに立つと、余裕の表情を見せた。
「お手柔らかに頼むぜ、お二人さん。俺は走るのが苦手でな、姫様の命令の手前出るが、恥はかきたくないんだ。女の子からもモテないしな」
「そいつは出来ない相談だな。勝負の世界はいつだって本気だ」
「須藤くんと同意見よ。全力でやるわ」
「おー、怖い怖い」
須藤と堀北の二人に、慢心や油断の類がない事を知ると、橋本は真面目な表情でクラウチングスタートのポジションを取る。
「頑張って、須藤くん!」
「堀北さんも!」
Dクラスから送られる声援の声。
二人は凛々しく頷き返すと、位置についた。
「位置について──、用意」
──スタート!
真嶋先生の号令が、グラウンドに響く。
刹那、地を蹴る走者たち。
結果は数秒にも満たず出た。
「よっしゃあ! 健が一位! 堀北も二位だぜ!」
池が喝采の声を上げる。
ドッと湧く、Dクラス。
勝者の二人をクラスメイトたちはあたたかく出迎える。
「やっぱり二人とも凄いぜ! Aクラスに圧勝だ!」
「流石だよー!」
「これなら何とかなるんじゃないか!?」
大歓声がクラスから出続ける。
そんなDクラスに、坂柳率いるAクラスが近付いてくる。
坂柳がぱちぱちぱちと、拍手を送ってきた。
「お見事でした。須藤くん、そして堀北さん。まさか橋本くんが敗れるとは。彼は私たちのクラスの中でもかなりの実力者なのですが、まさかこのような結果になるとは」
しかしその称賛を、当事者の二人は受け取らなかった。
「よく言うぜ」と、須藤が表情を険しくして言う。
「そこの橋本以外は、てんで弱い奴らばかりだったじゃねえか」
「その言葉は頂けませんね、須藤くん。私たちのクラスが弱かった訳ではありません。貴方がたが強すぎたのです」
そんな、自尊心を高めてくるような言葉を須藤は鼻で笑って一蹴した。
「おいおい、俺の事馬鹿にするのは構わねえけどよ。それで堀北や平田たち……うちの中核を騙せるとでも思っているのか?」
「ふむ。それでは堀北さんにお聞きしましょう。一体、どういう事でしょうか?」
坂柳の質問に、堀北は渋面で答える。
「坂柳さん。あなたが作成した『参加表』は、第一レースと最終レース以外、適当だったんじゃないかしら」
「何故、そうお思いになられたのですか?」
「根拠はない。ただ、結果がそれを物語っている。あなたは、第一レースで鬼頭くんが一位を獲る事で私たちの勢いを削ぐ事に注力した」
「続きを伺いましょう」
「……そして、最終レース。あなたは私と須藤くんがこのレースに出ると予想し、敢えて、橋本くんをぶつけた。橋本くん以外は、身体能力が低い生徒で固めてね。私たち二人を煽らせて、手を抜かせないように仕向けたのよ」
違うかしら? 堀北の確認に──坂柳は変わらぬ微笑を携えて頷いた。
「素晴らしい。正解です。より厳密には、最終レース以外でも一位、もしくは二位にはなれるよう調整しました。その生徒たちには実力を出させましたが、あとは適当にくじ引きで決め本気では打ち込まないよう指示を出しました」
「一体、何の目的があってそんな事をしたんだい?」
堀北の代わりに、今度は平田が質問する。
「平田くん。貴方ならお分かりになられているのでは?」
「……まあね。つまり、坂柳さん。きみの目的は須藤くんと堀北さんの能力値を測る事だったんだね」
「ええ」と、坂柳は頷く。
「先日にもお伝えした通り、『情報収集』はとても大切です。私が合同練習を提案し、Dクラスが受け入れた場合。参加するのはDクラスの中でも指折りの実力者たち。私は体育祭の前に、そのデータが欲しかった」
「何故? あなたたちAクラスは私たちに『奉仕』をしてくれるのでしょう? 」
「ええ、『奉仕』は行わせて頂きます。『参加表』は提示します。そして、体育祭当日でも出来る限りの助力をしましょう。しかし──」
坂柳はそこで言葉を区切ると、こう言った。
「勝ちを譲る程、私は甘くありません」
言外に、坂柳は告げてくる。
Dクラスがそうであるように──否、全てのクラスがそうであるように、『自分の所属する組が勝ち学年別順位でも一位を獲る』事を最大の目標としている。
両クラスの間で緊迫とした空気が流れる中、HR終了を告げるチャイムが鳴った。
「合同練習、ありがとうございました。『参加表』は来週の月曜日にお渡しします。もしまた合同練習を行いたいようでしたら、声を掛けて下さいね」
そう言い残すと、Aクラスはグラウンドを出ていった。
「してやられたわね……」
重苦しい空気の中、堀北が悔しそうに呟く。
「やはり、Aクラスからの『奉仕』なんて受け入れるべきではなかったんだ」
そう言ったのは、幸村だった。
クラスメイトからの視線を一身に浴びながら、
「堀北、今からでも遅くない。坂柳は危険だ。渡してきた『参加表』は鵜呑みにせず、俺たちは俺たちに出来る戦略を取ろう」
「……いいえ。『奉仕』はそのまま、クラスの方針も変える気はないわ」
「ッ!? 何故だッ!?」
リーダーの表面に、幸村は猛抗議する。
「赤組が勝つ為には、私たちが協力する事は必要不可欠。学年別順位を争うという点では遅れをとってしまったけれど……もし赤組が負けてしまった場合、100clのマイナスよ」
堀北は敗北感に身を焦がしながらも、冷静さを維持しながら続ける。
「もしそうなって、さらにAクラスの学年別順位が振るわなかった場合……AクラスとBクラスの序列変動が起こる可能性がある。坂柳さんは私と同じで、リーダーになったばかり。それだけは絶対に防ぎたい筈よ」
現状のクラスポイントは以下の通りだ。
一年Aクラス──920cl
一年Bクラス──800cl
一年Cクラス──760cl
一年Dクラス──235cl
つまり、体育祭に於いて。
坂柳率いるAクラスの最低勝利条件は『赤組が勝ち且つ学年別順位で最低でも二位以上になる』という事。
これを満たさなかった場合、龍園率いるBクラスがAクラスの座に君臨する事となる。
「この前提条件がある以上、Aクラスは私たちに協力的な姿勢を取る必要があるわ」
それが、リーダーの出した結論。
幸村も冷静さを取り戻したのだろう。暫くして、「すまなかった」と謝罪の言葉を口にした。
「いいえ、寧ろ謝るべきは私の方よ」
堀北は被りを振ると、クラスメイトたちに頭を下げた。
驚愕する仲間たち。
堀北は敗因を分析し、それを共有する。
「私の力量不足だったわ。Aクラスに情報を渡してしまった。合同練習だからと甘く見ていた。もっと熟考して臨むべきだったわ」
「だけど」と、堀北は言う。
「Aクラスが私たちの情報を手に入れたように。私たちもまた、情報を手に入れたわ。一つは、鬼頭くんという、須藤くんに匹敵し得る身体能力の持ち主が居る事が分かった。そしてもう一つは、坂柳さんの戦略の取り方よ。この敗北を未来の勝利への糧にしましょう」
「──などと、仰っているのでしょうね」
下校中。
並木道を、坂柳は歩いていた。彼女を守るようにして、側近たちが周囲に立っている。
「姫様、今後はどうするおつもりで?」
「ふふっ。そう心配しなくても、Aクラスの勝利は磐石ですよ」
橋本からの質問に、坂柳は迷いなく即答する。
「しかし姫様よ、確かに須藤と堀北は脅威だ。だが、あんな面倒な事をする必要があったのか?」
「ええ。おかげで、Dクラスの状態がよく分かりました」
橋本は質問を続ける。
「それなら、龍園についてはどう考えているんだ? 奴が何を考えているのか、俺にはさっぱり読めないぜ」
橋本は懸念材料を話す。
たったの数ヶ月で下克上を果たしてみせた、龍園翔。今最も勢いのある男だ。
「『暴君』として好き勝手やってるって噂だ。臣下たちからの忠誠度もますます上がっている」
恐怖政治を行っていた、龍園翔。
その方法に意を唱えていた生徒も、早期でのクラスの序列変動という偉業を達成してみせた『暴君』には何も言えなくなってしまった。心変わりしている生徒も少なくない。
「だが、龍園は沈黙している。怖いくらいにな」
他の側近から、橋本を諌める声は上がらない。
それは側近たちも同様の疑問を持っている為だ。
「だが一番読めないのは一之瀬だ。賑やかだったあのクラスからあんな声が聞こえてくるだなんて、想像さえ出来なかった」
側近たちは思い出す。
隣のクラスという事もあり、それこそ休憩時間や放課後からは和やかな声が響いてきたものだ。その中心にはいつも、一之瀬帆波が居た。
だが今は、それとは真逆となっている。
「龍園くんも、一之瀬さんも。おおよその思惑は透けて見えます。龍園くんが取るのは『王道』。一之瀬さんが取るのは彼女らしからぬ『邪道』でしょう。──本当の懸念材料は、別の所にあります」
「……? それは一体?」
橋本からの質問に直接的には答えず、坂柳は笑みを浮かべて言った。
「あなたには期待していますよ、堀北鈴音さん」