町を出た後は、お約束の乗り物酔いに苦しみながらも無事に村に着くことができた。
戻ったのは夕方くらいだったけれど、頼まれた買物を村人たちに届け終わる頃には、辺りはすっかり暗くなっている。さて、二日ぶりの我が家だ。特に何をしたわけではないけれど、今日はよく眠れるわね。
「ただいまー」
鍵を差し込んでドアを開けると、しかめ面をしたエンスが叫ぶ。
「臭いニャン!」と。
* * *
「エンス、開口一番にそれは止めて。悲しくなるから」
たしなめてみるものの、エンスは止まらない。
「臭いニャン、臭いニャン、お酒臭いニャーン!」
走り出すと、家の窓を開け放つ。まぁ、猫は人より鼻が利くという話だから仕方がないか。実際に室内には、酒の匂いが充満しているし。
やれやれと、肩を竦めてから置いてあるランプに火をつける。目指すは匂いの元である厨房だ。
ハンカチを鼻に当てたエンスを連れて、鍋の前に立つ。出る前にした蓋はあるけれど、この匂いからして出たわね、アイツ。
「コラ! 部屋が酒臭くなるから大人しくしてろって言ったでしょ!」
「ブクブクブクブクブーーーー♪」
鍋の中から覗いている花をむんずと掴んで叱りつければ、酔っ払ってご機嫌状態のマンドラゴラが顔を出した。
* * *
「シーちゃん、エーくん、おかえんなさーーい!」
「臭いニャン!」
酔っ払い特有の無駄に高いテンションで挨拶をしてくるマンドラゴラ。口を開くと酒精の匂いが一層強くなる。
辺りに漂う酒の香りに、エンスはますます険しい顔をすると、口にしていたハンカチでマンドラゴラをぐるぐる巻にした。
「えー、エーくん。まだ浸かっていたいよー」
「もうお終いニャン! おやすみニャン!」
そのままゴロゴロと転がすようにして、拭き取れきれていなかったお酒を吸わせると、今度は棚からシルクの布を引っ張り出して包み、布が仕舞われていた棚に押し込むようにして仕舞う。
「来月のラッキーアイテムの発表ー。シーちゃんはトウモロコシ、エーくんは緑のチョークでーす。思わぬ高級アイテムが手に入るかも!」
それではまた次回、と叫ぶとマンドラゴラはぐうぐうとイビキをかいて寝始めた。わかっちゃいたけれど、疲れた。マンドラゴラはワインに浸すと未来を予言する、なんて言い伝えがあるけれど、あの様子を見ていると酔っ払いの戯言にしか聞こえない。ラッキーアイテムも微妙だし。トウモロコシ握りしめて手に入る高級アイテムって何よ。
「お手て汚れたニャーン」
そしてエンスは沈痛な表情で、白い毛に染みたワインを拭っていた。さっき手にしたハンカチではなく、何故か私が着ている上着で。
いや、この服はもう脱ぐだけだからいいんだけれどさ。洗濯はエンスがしてくれるから、いいんだけれどさ。
「とりあえず、この鍋は地下に置いておこうか。明日使うんだし」
「シルキちゃん、ここはお酒臭いから、一緒に上で寝てもいいかニャン?」
「いいけど、床でいい?」
「シルキちゃんに蹴っぽられるくらいなら、床の方が全然いいニャン!」
「うるさい!」
うー、余計なこと訊くんじゃなかったわ。
* * *
次の日、多少遅めの朝食を食べた後は、何時ものように仕事道具を抱えながら地下へ降りていく。ドサリと道具を机にのせてから、昨日置きっぱなしにしていた鍋の蓋を開けてみる。
「この量なら、頼まれていた枚数以上できそうね」
用意したのはバケツとザル、ミョウバン。そして手触りのいいシルクのハンカチ三十枚だ。
今回作る道具は、ワインで染めたシルクのハンカチ。来週、王都の大きなお屋敷で富裕層が集まるパーティがあるので、それに参加するお嬢様たちに向けた品だ。
もちろん、ただのワイン染めではない。マンドラゴラを三日間漬け込んでエキスをたっぷり含んだ特製のワイン染めだ。
* * *
先に媒染液を作って、その中にハンカチを漬け込んだら、マンドラゴラのワインを弱火で温め始める。
マンドラゴラ。理不尽に流された血や涙が染み込んだ大地にしか生えないと言われているこの植物は、別名不吉の花と呼ばれている。基本的に処刑場や古戦場等にしか生えないからだ。けれどダンジョン内でも(圧倒的なレベル差でボコボコにされた冒険者や魔物たちの)理不尽な血や涙が大量に流されているからか、あの町の道具屋ではポツポツと見かけたりする。
曰く付きの場所に生える事とその希少さから、マンドラゴラは引っこ抜く時におぞましい悲鳴を上げ、それを聞くと恐ろしさのあまり死んでしまうなんて伝説もあるけれど、コピアさんの話だと耳栓をつけていれば悲鳴は防げるらしい。万が一聞いても、一時的に気を失う程度だとか。噂に尾ひれがついたとは、おそらくこういうことを言うのだろう。
ワインが温まってきたので、今度はハンカチをワインに漬けて染め始める。
で、このマンドラゴラ。引き抜いた後は薬にするのだが、一番有名なのは惚れ薬だろう。
マンドラゴラを煎じたモノに興奮作用のあるチョコ、神話に『禁断の果実』として度々登場するリンゴ、精力剤としてダンジョンでも魔力回復薬としている活躍しているイモリの黒焼き等を混ぜ、仕上げに使用する人の血を数滴垂らす。それを飲み物なり食べ物なりに混ぜて、惚れさせたい相手の口に入れてしまえばあら不思議。たちまち夢中になってくれる。例え相手が自分に興味がない、嫌われている、他に好きな人がいたとしてもお構いなし。心を捻じ曲げてまで、相手を自分に振り向かせる。マンドラゴラの惚れ薬は、そういう、ちょっと怖い薬なのだ。
「んー……ちょっと色が薄いかな」
一度ハンカチを鍋から取り出し、軽く水洗いをしてから染まり具合を確認する。悪くはないんだろうけれど、何だか少し安っぽい。
なので、もう一度鍋に戻して染め直す事にする。この染めの良い所は、こうやってやり直しが出来るところだ。色を濃くしたいのなら、染め作業を繰り返すだけでいいし。
なんでそんな怖い薬の元になるマンドラゴラを買ったのか。単にお買得品だったからだ。コピアさんの棚に置かれていた割引価格のマンドラゴラ。どうも引っこ抜いた冒険者がうっかりして、武器や防具を入れた袋にマンドラゴラを突っ込んでしまったらしい。左脚は切れ、あちこちに切り傷をこさえていた姿を見て「うわ、痛そう」と呟いたのは覚えている。
そんな視線を向けていたら、勘違いしたコピアさんに「ご覧の通り傷だらけだけれど、本物なのに変わりないから。お買い得よ」と言われ。「ああ、それなら」と私もその気になって買ってしまった。村についてから惚れ薬を使いたい相手がいる訳でもなく、更にこんな小さな村では需要がないことにも気づいて、ちょっと落ち込んだけれど。
それでも、今はこうやってキチンと役に立ってくれている。意外な効能があるということが判明したのは、偶然だったけれど。
マンドラゴラを買って直ぐ、私はマンドラゴラをワインに浸してみた。持っていた本にマンドラゴラをワインに漬けると、未来を予言するなんて書いてあったから、惚れ薬が駄目なら予言で役に立ってもらおうと考えたのだ。
けれど結果は昨日を見れば判ると思うけれど、失敗だった。酔っ払ったマンドラゴラはラッキーアイテムがどうだとか、十二星座の今日の運勢はとか。「予言」というより「気休め程度の占い」のようなことしか喋らない。オマケに、運勢が最悪と言われて怒ったエンスが、片付けようとして躓き、頭からワインをかぶるハメに。
慌ててタオルで拭いてみるも、完全には取り切れず。
風呂に入れば? と勧めても水が大嫌いなエンスは嫌だとベソをかきながら突っぱね。結局紅白みたいな色になりながら、その日を過ごしたのだが。
「皆が哀れんで、オマケしてくれたニャン」
夕方、買物に出たエンスがカゴいっぱいに詰め込まれたパンやソーセージを持って帰ってきて、異変に気づいた。傍によると、ワインの匂いの他にクラクラする『何か』を感じる。これはひょっとして。
「エンス、このオマケは哀れみとかじゃないと思うわ」
「じゃあ何だニャン」
「今無性に、アンタの事モフモフしたいのよ。多分だけれどあのワインのせいで、テンプテーション状態なんじゃない?」
* * *
「よしっ! いい染まり具合!」
二回染めることによって、シルクのハンカチは綺麗なパープルピンクになった。
後はこの色になるよう、時間を調整しながら他のものも染めていくだけだ。
このハンカチの名前は誘惑のハンカチ。
使い方は簡単。気になる人の前で、さり気なく口元にハンカチを持っていくだけ。
すると、ワインに染み込んだマンドラゴラの魅了の効果が、相手の鼻腔に入る。ドキリとするのは一瞬だけれど、相手は彼女に魅力を感じたのだと勘違いし気になってしまう、という寸法だ。
効果はこれだけ。惚れ薬とは違い、あくまで相手に自分を意識させるだけの力しかもっていないが、ダンスパーティーや立食パーティーの場で使えば、そのまま会話やダンスへと持っていきやすいので、貴族のお嬢様方からは高評価をもらっている。
あちら様はお金に不自由しないぶん、家の都合で婚約者などを決められていて、恋愛の自由はあまりないとか。だから、せめてパーティーぐらいは憧れの人と踊りたいのだろう。
「間に合うように急げ急げ〜♪」
とりあえず、お客さんが来たらエンスに呼んでくれ、と頼んで私はひたすらワイン染めに専念することにする。
明日は五日に一度くるほうき便の日だ。
それに間に合うように頑張らないとね。