「……マリエ。少しは落ち着いたらどうですの?」
「えっ、何を言うとるんや、梅子。うちは落ち着いとるやんか」
決裁のサインをする手を止めて、そわそわと時計を気にするマリエールの言葉は、説得力というものがまるでない。
「ヘ・ン・リ・エッ・タですわ。プライベートはもう諦めましたから、せめて公の場ではそう呼びなさいと言っているでしょうが」
「ああっ、せやったな。ごめんな、梅子」
そう言って謝るマリエールに、ヘンリエッタは嘆息するしかなかった。
「それにしても、どうしたのでしょうか、今日は……」
ミノリとトウヤの二人のためのパーティーが終わり、もう一ヶ月が経とうとしている。リオンの一件も一応の決着がつき、<三日月同盟>にも以前と同じ日常が戻ってきた。
だが、今日に限ってはみんなの様子がおかしい。どこかみんな浮き足立っている。朝からずっとこんな調子だったが、午後に入りそれがより顕著になって来た気がする。
「そして、この疎外感はなんなんですの……」
ヘンリエッタは確信している。間違いなく、みんなが自分に内緒で何かを企てている。だが、誰にそれを尋ねても、誰もが惚けて教えてくれない。
「文句を言いたいところですが、悪意は全く感じられませんし……」
もう成るように成れといった気持ちで、ヘンリエッタは諦めて、素知らぬ顔で事が起こるのを待つことにした。
そして、そろそろ三時のティータイムの時間になろうかというころに、それは起こった。
「お待たせしました。お約束のケーキをお持ちしました」
それは突然の訪問者だった。
もっとも、人が尋ねて来ただけならヘンリエッタも驚きはしない。だが、<三日月同盟>のギルドホールにやって来たその人物は、リオンだった。
「……リオンさん……」
先日のパーティーでは気まずくて、結局、トウヤとミノリの二人を無理やり引き合わせてから、一度も顔を合わせていなかった人物が突然訪ねてきたのだ。ヘンリエッタが驚かないはずはない。
「おおっ、待っとったで、リオンさん」
自分とは対称的に、待ちわびた様子でリオンに声を掛けるマリエールの声に、ヘンリエッタは彼の訪問が、みんなの自分に内緒にしていた事だったと確信する。
「……ヘンリエッタさん。先日はありがとうございました。今日はあの時のお礼をさせて頂こうと思って来ました。もっとも、僕に出来るのは一つだけなので。お礼もケーキなんですが」
そう言って笑みを浮かべるリオン。それは以前とは全く違う、優しくて力強い笑顔だった。
「……おっ、お礼? 何をおっしゃっているんですの? 私は貴方に酷いことを……」
「まぁ、まぁ。せっかくリオンさんがケーキを作ってきてくれたんやから、まずはそれを見せてもらおうで、梅子」
事態が飲み込めないヘンリエッタ。しかし、そんなヘンリエッタをよそに、マリエール達は彼女を来客用の椅子に座らせ、リオンにその向かいの席を勧めた。
「…………」
リオンと向かい合い、しかしヘンリエッタは何を言えばいいのか分からない。あまりにもいきなりの事態の連続でどうしたらいいのか分からない。
「この場で切り分けることも考えたのですが、お待たせするのも悪いと思い、カットしたものを個別の箱に入れてきました。皆さんには後でお配りします。
ですが、ヘンリエッタさん。勝手なお願いですが、最初に召し上がって頂けませんか? 今回のケーキはヘンリエッタさんへのお礼として作らせて頂いたものですので」
「えっ? えっ、私のために……」
リオンの言葉とヘンリエッタの反応に、周りから黄色い声が上がる。
先日のパーティーの終了後、リオンがどうして、トウヤとミノリにケーキを食べている時に泣いていたのかが話題に上がった。そして、結局隠し続けることができなくなり、今回の事件の概要をみんなが知ることになってしまった。
そのため、ヘンリエッタとリオンの間で何があったのかも周知の事実となってしまったのだ。
辛い過去を引きずりながらも、自分が裏切ってしまった子どもたちへのケーキを模索し続ける男性と、その男性の過去の傷に触れてしまい、その事を後悔しながらも彼を助けるために力を尽くす女性の物語は、恋愛話が好きな女性陣の話の種にならないはずがなかった。
「どうぞ、召し上がって下さい」
いつの間にかリオンの隣にやって来たアシュリンが彼に皿を渡し、リオンは小さな箱からケーキを取り出し、皿と一緒にそのケーキとフォークをヘンリエッタの前に差し出した。
「……綺麗ですわ……」
そのケーキを一目見て思った感想を、ヘンリエッタは我知らずに呟いていた。
先日のイチゴのショートケーキとは異なる、角型の厚さ二センチほどのそのケーキは、白いチョコレートに紺色が入り混じったマーブル模様で、磨きぬかれた大理石を彷彿とさせる光沢を纏い、その上には淡いキャラメル色のブローチと藍色のリボンのような装飾が添えられている。
「ほら、ほら、梅子。さっそく食べて感想をきかせてや」
「ヘ・ン・リ・エッ・タですわ。それと、どうして貴方に急かされなければいけませんの」
そう文句をいったヘンリエッタだったが、リオンと目があい、彼もケーキの感想を待ちわびていることを理解し、小さく息を吐いた。
「……分かりました。頂きますわ」
皆の視線が集まる中、ヘンリエッタは覚悟を決め、そのケーキを一口分に切り分けて口に運び、絶句した。
「……実は、このケーキは……」
リオンがケーキの説明をし始めたことだけは分かったが、それ以降の言葉が聞こえない。周りのみんながなにか騒がしいことは分かっても、その内容が耳に入ってこない。
チョコレートの甘さは僅かに感じる程度。しっとりとした生地は甘く、洋酒の風味が効いた上品な味わい。この味を修辞するのであれば、『高貴』な味とでも言えばいいのだろうか? とヘンリエッタは自問する。けれど、その答えが出る前に、口の中からその味がなくなってしまった。
ヘンリエッタは無言でもう一口、ケーキを口に運ぶ。今度こそこの味わいを理解しようと努力する。けれど、再び口に運んだケーキは、一口目とは異なる味だった。
先程と同じ、上品な味わいに、優しい甘さのクリームの味が加わった。ケーキの下層部分にクリームの層があったのだろう。一口目でも十分に美味しいと思った。けれど、優しい甘さのクリームが加わったことで、このケーキの味は完成したのだとヘンリエッタは思った。
一口目に感じた『高貴』な味は、その気高さで食べた人を魅了する。けれど、それはどこかよそよそしい、冷たさを感じる味。けれど、その奥底に秘められた優しい甘さのクリームが全てをまとめると、その味わいが一変して優しく温かい味わいとなって広がる。
「……あっ……」
不意に、自分の目から一筋の涙がこぼれていることにヘンリエッタは気づいた。
そして、ヘンリエッタは自分がケーキの味に陶酔していたことを理解した。
「……初めてですわ。食べ物を食べて涙を流すなんて……」
あまりのことに言葉を失うヘンリエッタ。しばらく彼女は呆然としていたが、
「……こ。……う……め……。梅……。梅子!」
そんな聞き飽きるほど聞いた自分を呼ぶ声に、我に返った。
「こらぁ、梅子! 返事くらいしいや!」
「そんなに耳元で騒がなくても聞こえますわよ! それと、ヘンリエッタだと言っているでしょうが! ヘ・ン・リ・エッ・タですわ」
至福の時間を遮られ、ヘンリエッタは不機嫌にそうマリエールに言い返す。
「……えっ? ……あっ、それええな。……せやな。うん、せやせや。それ以外にないな」
しかし、ヘンリエッタに呼び方を改めるように言われたはずのマリエールは、何か訳の分からないことを口にして一人で納得している。
「ちょっ、ちょっとマリエ。あなたは何を一人で納得しているんですの?」
不安な空気を感じたヘンリエッタが説明を求めたが、時はすでに遅かった。
「よぉし、梅子がそれでええんならそれ以外ないな。リオンさん。このケーキの名前は、『ヘンリエッタ』に決定や!」
マリエールは声高々にそう宣言してしまった。
「……はい? マリエ、あなたは何を言っているんですの?」
事態が飲み込めないヘンリエッタに、マリエールはぷくぅっと頬を膨らませる。
「やっぱり聞こえてなかったんやんか! リオンさんが言うてたやろが。このケーキはリオンさんが梅子をイメージして作ったケーキなんやって!」
「……えっ? えっ……。私を、イメージ……」
ヘンリエッタはケーキに視線を戻す。そして、理解した。僅かに紺色が混じったチョコレートは自分の上着の色。淡いキャラメル色のブローチの色は自分の髪の色。そして、藍色のリボンは自分の胸元のそれと同じだ。
「ほんで、名前はまだ決めていない言うから、なんて名前がいいかと話とったんやないか」
マリエールの説明を聞き終え、その言葉の意味を理解し、ヘンリエッタの顔が真っ赤に染まった。
「どっ、どういうことですの! わっ、私をイメージしたケーキなんて、そんな……」
慌てるヘンリエッタに、リオンは苦笑し、
「すみません。僕を救ってくれた感謝を込めようとして、ヘンリエッタさんに贈るためのケーキを考えていたら、いつの間にかヘンリエッタさんをイメージしたケーキになってしまったんです。不快な思いをされたのであれば、すみません。
それと、名前の件も気にしないで下さい。このケーキを他のお客様のために作る事はありませんので、特段困ることはありませんから」
事も無げにそう言った。
「…………」
何かを言わなければいけないと思いながらも、ヘンリエッタは言葉が出てこない。熟練の職人に、異性に、ここまで心を込められた贈り物をされたことは無く、なんと言えばいいのか言葉にできない。
ヘンリエッタはやけくそ気味に、もう一口ケーキを口にする。リオンが自分をイメージして作ったと言うケーキを。
やはりそのケーキは、文句のつけようのない最高の味だった。そして、この素晴らしいケーキがリオンの自分に対しての思いだと理解し、ヘンリエッタは降参した。このケーキに自分の名を贈る事に不満を上げることができない。むしろ、嬉しくさえ思ってしまう、
「……いいんですの? こんなに素晴らしいケーキの名前が私と同じ名前で……」
「ええ。ヘンリエッタさんに許して頂けるのであれば、これ以上の名前はありません」
こちらは恥ずかしさを堪えてその言葉を口にしたのに、リオンはやはり事も無げに応えて微笑む。天然なのか職人バカなのかは分からないが、この人は異性に心を込めたものを贈る意味を少しは理解するべきだとヘンリエッタは思う。
「おっ、おおっ! こないにデレとる梅子は激レアやで」
マリエールは両手の人差し指と親指で、カメラのファインダーよろしくヘンリエッタを覗きこんでふざけたことを言う。そしてそれにつられてまた黄色い声があちこちで上がる。
「バカなことを言っているんじゃありませんわ! それと、ヘンリエッタだと言っているでしょうが!」
「え~。ケーキと同じ名前なのも言いにくいから、梅子でええやんか」
「いいわけないでしょう。私の名前がオリジナルでしょうが!」
そんなくだらないやりとりの後、<三日月同盟>のみんなにもリオンの作ったケーキを、『ヘンリエッタ』を味わってもらった。
やはりそのケーキは大好評で、みんなはその素晴らしい味わいに感動していた。
そして、ティータイムが終わり、みんながそれぞれの仕事に戻ったのだが、ヘンリエッタとマリエールはリオンに相談を持ちかけられ、部屋を変えて三人で話しあうこととなった。
「……どうか、許可をして頂けませんでしょうか。もちろん、これは<三日月同盟>に不利益を与える可能性もあることだとは理解しています。けれど、僕は……」
「……うん。うちは賛成や。ええやんか。それでこの<アキバ>の街でみんながケーキを食べられるようになるんやったら」
諸手を上げて賛成するマリエールを横目に、ヘンリエッタは音もなく嘆息する。
マリエールは分かっていないようだが、リオンの相談事は、至極単純な内容であり、デリケートな問題でもあった。
リオンは自分の培った技術を、他のギルドの<料理人>たちに教えて回りたいと相談してきたのだ。
先のケーキコンテストの出場者に、是非とも弟子にしてほしいと頼まれたのがその発端だったらしい。
当初はリオンも「自分もまだまだ修行中の身だから」と断っていたのだが、何度も自分のもとに足を運んで頼みに来る熱意に負けて、軽いアドバイス程度ならと彼らのケーキを作る様子を見に行って、リオンは愕然としたらしい。そのケーキの作る工程の効率の悪さに。
特にリオンに言わせると、オーブンの使い方に難があるらしい。もっとも、電気かガスのオーブンしか使ったことのない人間には薪のオーブンの管理は難しく、リオンもケーキ作りで一番苦労したところだと言っていた。
「僕の力でどの程度変える事ができるのかは分かりませんが、僕の経験を伝えられたら、今よりはケーキの供給量を増やすことが出来るのではないかと考えました。そうすれば、この街でも多くの人達がもっと気軽にケーキを口にできるようになると思うんです。
僕とケーキを作る皆さんの頑張り次第ですが、ひょっとすると元の世界にあったようなケーキバイキングを開催することも出来るかもしれません」
そう熱く語ると、リオンは苦笑した。
「……なんて偉そうなことをいいましたが、なにより僕自身が若い感性に触れるのが楽しくて勉強になった事も大きな理由の一つです。今回、皆さんに食べてもらったケーキもそれなしでは作れなかったものなんですよ。
僕の場合、どうしても保守的になりすぎて、この世界特有の果物などをあまり使用してこなかったんですが、若い子達は物怖じせずにそれを取り入れようとしていた。そして、僕が思いもしなかった様々なアイデアをケーキに取り入れようとしていた。
まだ技術的には拙くても、そんな熱意を持った子達に何かを伝えられたら、そして彼らから学ぶ事ができたらと思ったんです」
子供のような目で嬉しそうに言うリオンに、ヘンリエッタは苦笑し、
「……私ももちろん賛成しますわ。<アキバ>の街の食文化の発展にも大きく寄与する事を止める理由がありませんもの」
それに同意する。リオンの技術は大きな財産だ。もしもその技術を販売すれば大きな利益を上げることも出来るはず。だが、リオンはそれを行おうとはしない。しかしそれは、自分の技術の価値を知らないからではない。<三日月同盟>に不利益を与えるとリオンは言っていたのだから。
「ふふっ、本当にこの人はケーキ作りが大好きなんですわね。そして、それを食べるみんなが喜んでくれることが……」
利益だけを考えるのであれば、有償で技術を提供したほうが<三日月同盟>の財政は潤うはずだ。けれど、それでは得られない充足感と幸福感を、ヘンリエッタはリオンの笑顔から受け取った。
それはお金には変えられないもの。『心』が温まる気持ちに他ならなかった。
一礼をし、マリエールの部屋から笑顔で出てくるリオンの姿を確認し、アシュリンは彼に駆け寄る。
「リオンさん……」
心配そうなアシュリンに、リオンは微笑んで頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ。マリエさんとヘンリエッタさんから許可をもらえたよ」
「よかった。よかったです……」
ほっ、と胸を撫で下ろすアシュリンに、リオンは静かに片膝を付いて深々と頭を下げた。
「ありがとう、アシュリン……。全部、君のおかげだ。僕は君にどれほど感謝をすればいいのか分からない」
「…………」
突然のリオンの行動に、アシュリンは驚いて言葉が出ない。
「もしも、あの時、君に出会えなかったら、僕はずっと後悔し続けていた。逃げ続けることしかできなかった。君が、君が僕を救ってくれた……。ありがとう。本当にありがとう」
リオンはアシュリンに礼を言い、満面の笑顔を見せた。その笑顔はアシュリンが初めて見る笑顔。けれどアシュリンには分かった。この笑顔が自分の見たかったリオンの姿なのだと。
自分に向けてくれた感謝の言葉と心からの笑顔に、アシュリンはポロポロと涙をこぼし、跪くリオンに抱きついた。
そしてアシュリンは、ようやく先日のパーティーでのにゃん太の話を受け入れることができた。
「……アシュリン。こんなお話をご存知ですかにゃ?」
突然、にゃん太さんはそう言って話し始めた。
「とある田舎の農場に住む、一人の女の子がおりました。そしてその女の子は、ある日突然、大きな竜巻に巻き込まれてしまい、見たことのない国に飛ばされてしまったのですにゃ。
そして、その女の子は、何とか元の世界に帰りたいと思いましたが、帰るためには、エメラルドの都に住む魔法使いに会わなければいけないと魔女に教えられて、その女の子は旅の途中でであった、『勇気』が欲しい臆病なライオンと、『心』が欲しいブリキの木こりや、『知恵』が欲しいカカシと一緒に冒険をするのですにゃ」
にゃん太さんが突然話しだしたのは、私でも知っている有名なお伽話だった。
「……えっと、そのお話って……『オズの魔法使い』ですか?」
私が答えると、にゃん太さんは「正解ですにゃ」と言って微笑んだ。けれど、どうしてにゃん太さんがそんな話をするのか分からない。何故、突然そんな物語の内容を口にしたのだろう?
けれど、訳がわからない私を置いて、にゃん太さんは話を続ける。
「その女の子は、幾つもの困難を仲間と協力して乗り越えていき、そして、エメラルドの都に住む魔法使いが、女の子を家に帰す事の条件とした、悪い魔法使いを懲らしめることにも成功しますのにゃ。
そして、その女の子との冒険の中で、ライオンは少女を助けるために『勇気』を手に入れ、ブリキの木こりは仲間を思いやる『心』を手にし、カカシは仲間を助けるために懸命に考えて、『知恵』を得たのですにゃ。
しかし、ここまでは良かったのですが、実は、エメラルドの都に住む魔法使いは、本当は魔法使いなどではなく、ただ単に、事故でこの国に飛ばされてきただけの『気球乗り』のおじいさんだったのですにゃ」
話を聞いていて、私はふと思い出した。『気球乗り』と言う言葉を、以前、にゃん太さんが口にしていたことを。
「……その、前に、にゃん太さんが『気球乗り』って言っていたのは……」
私の言葉に、にゃん太さんは微笑む。
「ええ。そうですにゃ。このお話になぞらえていたのですにゃ。
つらい過去を背負い、その事で勇気がなかったと自分を責めるケーキ作りが得意なライオンと、相手の気持ちを思いやる心がないと嘆く会計士のブリキの木こり。……後は役者が足りなかったので、カカシの役はシロエちにお願いしましたのにゃ」
なるほどと、にゃん太の話に納得しながらも、アシュリンはふと、大事なことに気づいた。
「にゃん太さん、その、主人公の女の子は、ドロシーは……」
「ええ。それはもちろん貴女ですにゃ、アシュリン。貴女が今回のお話の主役なのですにゃ。ですから、自分が何もできなかったなどと考えるのはおかしな話ですにゃ。主役の貴女がいないことにはそもそもお話が始まりませんのにゃ」
私が主役? 言葉の意味が理解できずに私は困惑する。
「貴女の行動は、貴女自身が思っている以上に多くの人に影響を与えていたのですにゃ。この猫顔の気球乗りもその一人ですにゃ。貴女の懸命な姿に心を打たれて、微力ながら手を貸したくなってしまったのですにゃ」
にゃん太さんはそう言い、私に軽く会釈をした。
「……でも、私は、……私は何もできませんでした。ドロシーの様な行動力なんて私には……」
もしも、『オズの魔法使い』のドロシーと同じように、オズの国に飛ばされてしまっても、私はきっと何もできない。この<エルダー・テイル>の世界に閉じ込められてしまったあの時のように、きっと震えて泣いていることしかできないと思う。ドロシーの真似をすることなんてできない。
「……そうですか。貴女はあの少女の『行動力』に惹かれますか。……いいえ、吾輩も貴女と同じような年頃には同じように考えていたのかもしれませんにゃ。けれど、今の我輩は、あの少女の『純真さ』に心惹かれますのにゃ」
「純真さ、ですか?」
私が尋ねると、にゃん太さんは「ええ」と頷く。
「それは、大人から見ると『危うさ』と同じでもあるのですが、やはりそこに惹かれますのにゃ。ふふっ、子供の頃も、大人になってからも、あの少女はいつまでも憧憬の――憧れの存在なのかもしれませんにゃ……」
そう呟くと、にゃん太さんは少しの間どこか遠くを見るように目を細めた。
私には、にゃん太さんが何を見ているのかは分からない。それはきっと私の目には見えないものなのだろう。
「……アシュリン。人は大人になると色々とできることが増えますのにゃ。ですが、子供の頃にはできていたのに、できなくなってしまうこともあるのですにゃ。
もっとも、それは成長しているという事であり、経験を積んできたからこその事で、決して悪いことばかりではないのですが、自分が失くしてしまった物を目の当たりにしてしまうと、それが掛け替えのないものだったことに気付かされてしまうものなのですにゃ。……結局は、只の無い物ねだりなのかもしれませんがね……」
「……にゃん太さん」
やっぱり悲しい目をしてにゃん太さんは言う。けれど私には、にゃん太さんの言っていることが分からない。
「……失礼しましたにゃ。年寄りはついつい長話をしたくなってしまうものなのですにゃ」
にゃん太さんはそういって苦笑する。
「……アシュリン。貴女は自分にドロシーの様な行動力はないと仰っていましたが、貴女は十分行動力もありますのにゃ。
リオンさんの家に通い続けたり、リオンさんとヘンリエッタさんのために<アキバ>の街を歩き回って情報を集めたりしていたではないですかにゃ。それは決して容易にできることではありませんのにゃ」
にゃん太さんの言葉に、私は顔を俯ける。
「……でも、やっぱり、私は何もできませんでした。……リオンさんもヘンリエッタさんも凄い人たちだから、私が何もしなくても、きっと自分で解決することができたと思います……」
「……いいえ。それは違いますにゃ。貴女のその行動がみんなを救ったのですにゃ」
俯く私に、にゃん太さんはそう断言し、優しく頭を撫でてくれた。
「アシュリン。ライオンの『勇気』も、ブリキの木こりの『心』も、そしてカカシの『知恵』も、自身が、自らの内から引き出さねばいけないものだったと吾輩は思いますのにゃ。
そうであれば、それらははじめから彼らが持っていたものだったと考えられるのかもしれませんにゃ。ですが、それを引き出すためには、切っ掛けが必要だったのですにゃ。それがないことには、うちに秘めたものがどれほど凄いものであっても、それを活かすことができなかったのですにゃ」
「……切っ掛け……ですか?」
意味がわからずに、詳しい説明を求める意味で尋ねると、にゃん太さんは「ええ、そうですにゃ」と言い説明してくれた。
「その切っ掛けとは、一人の少女との出会いですにゃ。『オズの魔法使い』ではドロシーとの、今回の一件では、アシュリンとの出会いが必要だったのですにゃ」
「……私との出会い、ですか?」
「そうですにゃ。貴女と出会い、そして貴女が毎週家を訪ねて来てくれて、喜んで自分の作ったケーキを食べてくれることに、心に深い傷を負っていたリオンさんがどれほど癒されていたことでしょうか。きっと言葉では言い表せないほど深く、リオンさんは貴女に感謝をし、そして大切に想っていたはずですにゃ。
だからこそ、貴女が困っている姿を見て、ケーキコンテストで<ハーメルン>と闘うことを決意することが、『勇気』を出すことができたのですにゃ」
「…………」
にゃん太さんは呆然とする私に微笑みを向ける。
「ヘンリエッタさんもそうですにゃ。シロエちと我輩を熱心に説得しに来ましたのにゃ。シロエちから聞いているとは思いますが、当初のシロエちの計画は、リオンさんに、あの姉弟のためのケーキを作ってもらい、それを二人に食べてもらうところで終わりだったのですにゃ。ですが、それでは足りないと。責めは全て自分が受けるから、リオンさんとトウヤっちとミノリっちを話し合わせて欲しいと、熱心に頼んできましたのにゃ。
ヘンリエッタさんは言っていましたのにゃ。『アシュリンの優しい気持ちを裏切ってまでの結果が、そんな結末でいいはずがない』と。ヘンリエッタさんも貴女を大切に思っていたのですにゃ。だからこそ、少しでも貴女が喜んでくれる結果にしたいと、リオンさんとアシュリンのために『心』を砕いて頑張ってくれたのですにゃ」
「……ヘンリエッタさんが……」
想像だにしなかった話に、私はどう反応していいのかわからない。
「そして、シロエちもそうですにゃ。貴女の依頼を受けられてよかったと思っていますにゃ。もちろん、それは吾輩も同じですにゃ」
「……ごめんなさい。にゃん太さん。……やっぱり、やっぱり私には分かりません……」
にゃん太さんの言う、私にできたことがどれほどのことかわからない。それがどの程度みんなの役に立てたのかわからない。きっとそれは私が子供なのだからだと思う。
何もわからないことがやるせなくて泣きだしそうになる私に、にゃん太さんは穏やかに微笑み、また頭をなでてくれた。
「何も今直ぐに無理をして分かろうとしなくても良いのですにゃ。いつか貴女にも分かる時が来ますにゃ。ですが、どうか吾輩の言葉を覚えておいて下さいにゃ」
にゃん太さんは凛とした顔になり、私に断言した。
「アシュリン。貴女は素晴らしいことをしたのですにゃ。そしてそれは、吾輩も、ヘンリエッタさんでも、たとえシロエちでもできなかったことなのですにゃ。
自分が子供だからと後ろめたく思う必要などありませんのにゃ。子供の貴女が頑張ったからこそ、この結末を迎える事ができたのですにゃ」
「……子供の私だから、ですか?」
やっぱりにゃん太さんの言っていることは分からない。
そして、私はずっとその意味がわからないままだった。
「……リオンさ…ん、……私は、リオンさんの……役に…たてましたか? 手助けを……すること…が…できたんですか?」
私は不安で仕方がなかった。精一杯、一生懸命頑張っているつもりなのに、それが裏目になってばかりで、ただみんなに迷惑をかけているだけなんじゃないかと。けれど、リオンさんは言ってくれた。ありがとうと、君のおかげだと。
そして、私に笑顔を見せてくれた。それは私に向けられたもの。その笑顔は心からの笑顔で、私を気遣ってのものではなかった。
私はリオンさんの感謝の言葉と笑顔で、ようやく、自分もこの笑顔を取り戻す手助けができたのだと思えた。何かの役に立てたのだと理解できた。
けれど、私はそれでも不安で、リオンさんにもう一度、その言葉を言ってくれる様にねだってしまう。
「……アシュリン……。……そうか。ごめん。ごめんね、アシュリン。僕は誰よりも君に感謝している。言葉で言い尽くせないほどに、誰よりも、何よりも……」
私の気持ちを悟ってくれたのだろう。リオンさんは泣き止まない私を優しく抱きしめてくれた。
リオンさんの言葉に、自分が本当にリオンさんの役に立てたのだということを理解して、私は声を上げて泣いた。
「アシュリン。一つ、約束をさせてくれないかな?」
泣きじゃくる私をあやしてくれながら、リオンさんは不意に言った。
「君のためにケーキを送りたいんだ。この感謝の気持を込めて。でも、今の僕の腕では、この気持ちをケーキに込めることはできそうにないんだ。
だから、もっと腕を磨いて君のためのケーキを作って君に食べて貰いたい。それがいつになるかは分からないけど、必ず君のためのケーキを完成させる。そして、君を喜ばせる。絶対にね」
リオンさんの約束に、私は泣きながら何度も頷いた。そして私が泣き止むまでの間、ずっとリオンさんは私を抱きしめていてくれたんです。
こうして、リオンさんの一件は、解決することができました。
本当にたくさんの人に迷惑をかけてしまいました。けれど、皆さんのお陰で、リオンさんも、ヘンリエッタさんも、トウヤくんとミノリちゃん達も、みんな笑顔になる事が出来ました。
……にゃん太さんは、私が頑張ったからだと言ってくれましたが、やっぱり私には自分がそんな大きなことができたとは思えません。
私が少しでもリオンさん達のために何かができた事が分かり、嬉しく思いました。けれど、私にできたことは、やっぱり『当たり前のこと』だけだと思うんです。
そんな風にしか思えないのは、やっぱり私が子供だからなのでしょうか?
いくら考えても、今の私には、にゃん太さんが言っていた言葉の意味もきちんと理解することができません。
けれど、それは少しずつ私が大人になっていけば分かることなのだろうと考えることにしました。
……私はいつ頃、大人になれるのでしょうか? そして、大人になった私は、今回の事を振り返ってどう思うのでしょうか?
もちろん答えはまだ出ません。だから、私は今の子供の自分に出来る事を一生懸命頑張ろうと思います。
ライオンとブリキの木こりとカカシをお供に連れて頑張った、あの女の子に少しでも近づけるように。
お読み頂きありがとうございました。
少しでも気に入って頂ければ幸いです。
他にも小説(R-18もありますので注意)を投稿させていただいておりますので、そちらもお読み頂ければ幸いです。