蘭と朧は、水族館直通のバスを待っていた。
今のところさっきの騒動を起こした二人とはバレていない。
朧がいつも持ち歩いているマスクが案外効果を発揮し、二人はなるべく帽子を深く被りバレないように努力する。
「…このまま何事も無ければいいんですけどね。」
「多分大丈夫と思うけどなぁ…。バスが来るまであと5分か……長く感じちまう…。」
キョロキョロと辺りを見回す朧の横顔を、蘭は無意識に見つめていた。
こう見ると普通の人なのに、いざ楽器を持つとまるで別人になる。
…先生の顔をしっかりと見たことなかったけど、まつ毛が長くて鼻もスラッとしてて…俗に言うイケメンってやつかな。
身長も高くて、手も大きくて……凄く男の人の手って感じがした。
あの時……男の人達から逃げる時、手を握られた瞬間に思った。
この人は本当に努力家なんだなって。
掌はマメが何回も潰れたんだろう……とても固くて、ガッチリしてた。
それに比べて私の手はどうだろう…。多少マメはあるけど、先生に遠く及ばない……。
この人は、どこまで高みを目指してたんだろ…。
もっと先生の事を知りたい。どうやったら…そんなに強くなれるんですか…。
「…ん?蘭…どうかしたか?強くなるってなんだ?」
はっ、と正気を取り戻す蘭。どうやら最後の方の言葉だけ無意識に発していたらしい。
「えっ…あ!!別に何でも無いです!もっと身体を鍛えなきゃなーと思ってただけです…!」
慌てて弁解を図る蘭。この言い訳は流石に苦しいか…。
「お、いい心掛けだ!健全な肉体には健全な心が宿る。音楽をするにあたってとても大事な事だ。蘭が筋トレ嫌いなのは知っていたけど、最近ちゃんとやってるみたいで安心したよ!」
なにも疑わずにすんなりと受け入れられた。こういう所は鈍いんだな…と、蘭は苦笑を浮かべる。
…そう、本当に鈍い。
「お、蘭。バスが来たぞ!やべぇ…こんな所なのにもうドキドキしてるぜ…。」
この人でも分かる様に、いつか私の気持ちを届けよう。音楽で…。
「…先生、まだ着いてもないのに早いですよ。」
クスッと微笑み先にバスへ乗る蘭。そして朧の方へ振り返り
「私も楽しみですよ。」
と、満面の笑みで朧に笑いかけるのであった。
無事にバスに乗れた二人は、バスの中で色々な雑談をした。
話している内に、蘭は朧の意外な面を知る事が出来た。
8歳で音楽を辞めたこと。その理由は聞かせてくれなかったが、家庭の事情と述べられた。
めちゃくちゃ頭がいいと言うこと。特に15歳でTOEIC満点と聞いた時は、流石にこの人は人間じゃないと思い始めてしまった。
しかし、1番印象に残ったのは……今まで恋愛経験がないと言うこと。
朧曰く、「俺はまだこの人って人と出会えてないし、人を好きになったこともない。だから、多分俺は恋愛に向いていないと思うんだよ。」らしい。
朧ほどの人間なら、何回告白されて来たのだろう。しかし、それを全部断って音楽や勉強に没頭していたと考えれば、確かに向いてないのかも知れない……。でも、それは「好きじゃない」という前提の元だ。
朧がもしこの人と思う人と出会った時、きっとその人に没頭してしまうんだろうな…と蘭は心の中で小さく笑った。
そうしている内に、窓の外には綺麗な海が広がっており、その先には巨大な水族館が姿を現す。
「おぉ〜…!!蘭、見てみろ!めちゃくちゃデカイな…!!」
相変わらず子供のようにはしゃぐ朧に、バスに乗っている人の視線が集まる。
こっちまで恥ずかしくなった蘭は、「もう少し落ち着いて下さい…!」と、朧を落ち着かせる。
そして、その数分後。バスは水族館前の停留所に停止し、人がゾロゾロと降りていく。
「着きましたよ先生……って、何してるんですか?」
「え?あ〜、思い出に写真と取っとこうと思ってな!これT〇itterに載せよっと。」
「まだバスの中ですけど…てか、バスの座席の写真みて誰が水族館って分かるんですか。」
「…あ、それもそうだな。じゃあ、降りたら水族館の前で写真を撮ろう!」
「好きなだけ撮って下さいよ…。」
蘭は苦笑を浮かべながら、運賃を支払い朧と共にバスを降りる。
バスを降りた2人を待っていたのは、"Welcome!"と書かれた大きな看板であり、その先は沢山の人で賑わっていた。
「ほら、写真撮るんでしょ先生。この看板とかいいと思いますけど。」
「そうだな!じゃあ撮ろう……。あ、すいません!ちょっといいですか…?」
朧は他の人に写真を撮ってもらおうと、見るからにカップルであろう二人に声をかける。
「ちょっと先生…!看板なら一人でも撮れますよ?」
「バカ。俺と蘭を写して貰うんだよ。あ、いいですか?ありがとうございます!」
「えっ……わ、私も…!?」
「ほら蘭!俺の隣に立って一緒に撮って貰おうぜ?」
「いや……それはちょっと…!!」
「つべこべ言わずに、ほら!」
朧は蘭の手をとると、看板の前まで引っ張り込む。
そして蘭の右肩に手を回し、ニッコリと微笑む。
はいチーズの掛け声と共に写真を撮って貰うと、朧は写真を確認する。
「…んー、蘭がちょっと俯いてるけどいっか!ありがとうございます。」
写真を撮って貰ったカップルにお礼を言うと、蘭の元へと戻る。
「記念すべき一枚目だな〜!これをT〇itterに……」
「絶対に載せないで下さい!!」
蘭は帽子を深く被ったまま早足で中へと入っていってしまった。
「ちょ、蘭!?そんな怒らなくても〜……。」
情けない表情を浮かべながら、朧は蘭の後を追うのであった。
淡い青の証明と水の色がとても心地よく混ざり合う空間にある受付に、二人は並んでいた。
蘭はさっきの事があってから全然口を聞いてくれなくなったが、朧はそれよりも早く中に入りたいという興奮が意識を巡っていた。
「もうちょっとですから。」
やっと話しかけてくれたからと思うと、ぷいっと再び反対側を向いてしまった。朧は、5のダメージを受けた。
そして二人の番が回ってくる。受付の人がこの水族館のことを軽く説明した後、こんなサービスがあると伝えてきた。
「カップル割り?」
「はい。今なら3割引きさせていただいておりますが……。」
「…蘭、ここはカップルを装う方がいいんじゃないか?」
朧は蘭に上記を耳打ちする。
「し……仕方ないですね。割引きされるなら…。」
蘭もOKしてくれたので、二人は通常よりも30%安く入る事が出来た。
入場券を手にし、いざ水族館へ!と歩みを進める二人。
水族館の中は、入口から壮大な景色が広がっていた。
天井や壁は一面ガラス張りで、そこを優雅に魚達が泳いでいる。
何回か来たことのある蘭は感動が少し薄めであるものの、無意識に笑みが浮かぶ程であった。
朧に関しては、開いた口が塞がらない状態だった。壁を、天井を魚が泳いでいるというなんとも摩訶不思議な世界に、どっぷりと魅力されていった。
その先には、種類別に分けられた魚の部屋が幾つもあり、その中でも朧は"ハダカハオコゼ"という全然動かない魚とにらめっこをしていた。
そしてハダカハオコゼが少し動くと、「よっしゃ俺の勝ち!」などとくだらない遊びをしていた。
蘭は朧の隣で呆れたような表情を浮かべるものの、純粋に楽しそうな朧を見て自分もなんだか楽しくなってきた様であった。
そしてそのスペースを抜けると、次は深海の生き物が展示されている部屋へと通じていた。
仄暗いブルーライトに照らされながら、不気味だがどこか神秘的な魚や蟹、貝など様々な深海生物を見る事が出来た。
そこを抜けると、この水族館一の人気を誇る場所。直径50mにも及ぶ筒型の巨大な水槽が現れる。
ここは一番人気だけあって人がごった返していたものの、僅かなスペースに入り込み二人はいい位置で水槽を眺めることが出来た。
…朧は身長が高い為、場所等はほとんど関係無いが。
「…凄いな、蘭。これを人が造ったって考えたら……俺は感動するよ。どんな努力をしてこんな物を造れたんだ…。」
朧の瞳が僅かに潤んでいる様な気がした。
蘭はその瞳から目を逸らすと、同じ様に水槽を眺める。
……考えた事も無かった。これが人が造り上げた努力の結晶などと言うことは。
先生は普段からそういう事を考えているからこそ、何事にも貪欲になれたのだろうか…。
蘭にはまだ全然分からない。しかし、今はそれでいい。
焦っても仕方がないから、今はこの人について行けばいい。
この人と居れば、きっとその答えも見つかるだろうから。
「……先生。」
「ん?」
「私……先生の事………。」
蘭の表情に、思わず朧は鼓動を早くする。
僅かに潤んだ緋色の瞳に、綺麗な肌色をした頬に浮かぶ朱色。
およそ16歳とは思えない艶やかな表情でこちらを見られては、朧も生唾を飲む。
「……信頼、してますから。」
その言葉に、朧は何も言わず…ただ小さく微笑み相槌を返す。
信頼……か。そんな言葉、本心で誰にも言われた事なかった。
俺は、教師をしてて良かったのか。音楽を続けていて良かったのか。
それを今全て肯定された。これ程嬉しくて安心できるものは無い。
何があっても、俺は教える事を辞めない。例え自分から音楽が失われても、俺は音楽を教え続ける事だろう。
こんな経験してしまったら、誰だってそう思うさ。
二人は力強く自由に泳ぐ魚達を見ながら、一言も言葉を発さずに今の時間を楽しむのであった。
今回でお出かけ編は終了です!
因みにAfterglowの他の4人は、まさかそんなに早く水族館には行くと思っておらず、ショッピングモールから水族館へ行った時には既に二人は帰ったあとだったとさ。チャンチャン。
次回からはハロー、ハッピーワールド!の話を書いて行きたいと思いますので、そちらも宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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