生き残って役に立て 作:屑の鑑
この旧市街地はグリフィンの管轄から少し離れた場所に存在する。そうはいっても街一つを挟んだ程度の距離なのだが。下っ端如きにまさか管轄外の地域にまで乗り出さないだろうと見越してのことだ。隠れ蓑には丁度いい。
鉄血の司令部の資材を爆破してから、9A-91を拾ってから一ヶ月半が経過した。この旧市街地は相変わらずくたびれた様子で、完全なゴーストタウンだ。鉄血だってそうはいない。五日に一度、斥候なのか雑魚が数体見回りをして帰るだけだ。
今日だって、奥地に入ることなく表面上だけ警邏して、鉄血の雑魚は帰って行った。ビルの屋上からスコープで奴らの動向を覗いていた俺の口からため息が漏れる。呆気ない。張り合いがない。面倒がないに越したことは無いのだが、ぬるま湯につかり過ぎると体が鈍ってしまいそうで心配だ。だからといって、無駄な消耗をしようとも思わないが。
大方、この地域は緩衝地帯といったところか。さほど重要な拠点ではないが、取られたら癪に障るから敵の動向だけは確認しておく。見つかる心配はなさそうだが、油断はできない。グリフィンの奴らが乗り込めば、全面戦争だ。そうなる前に動きを察知して、トンズラこかなきゃならねぇ。
どちらにしても、一朝一夕でどうにかなる話でもねぇ。気長に奴らの動きを探って、逃げるタイミングを窺う。それだけだ。
俺はもう一度スコープを覗く。帰り道に敵がいないことを確認すると、さっさと地上に下りて、鼻歌まじりに帰路を踏みしめた。
とある日の朝の事だ。
拠点にしている空き家は住宅街の奥地にあり、設計ミスなのかほとんど日が差し込まない。そのせいもあってか、この住宅街をくまなく調べなければ見つからない、という利点があるわけだ。
さて、今日も物資を調達するかと意気込んで起き上がろうとすると、腕を掴まれていることに気付く。敵か、と全身が一瞬だけ粟立つが、手元を見てみれば幸せそうな「拾い物(9A-91)」の顔がある。衣は身に纏わず全裸だ。両足を折り畳んで身体を縮こまらせている姿は、どうにも小動物を思い起こさせる。小ぶりな胸に押し付けるように手を握られていたが、関係ない。引き剥がして起き上がる。
さて、今日は何処から資材を拝借しようかと。リュックの中から地図を取り出して考える。ふと飲み物が欲しくなり、インスタントコーヒーの粉末をコップの中に入れて水で溶く。お湯? そんな贅沢なモノがあるわきゃねぇだろ。ライフラインは死んでいる。火なんて起こせば煙が立ち、一発でお相手にモロバレよ。
敵さんの機密の地図は、面白いほど役に立つ。時期と情報を照らし合わせて偵察を行えば、動きが手に取るようにわかった。今日は東に三つほど進んだ街中でドンパチしてるだろう。ちょいと危ないが、まだ撤退する時期ではない。それに、まさか馬鹿正直にグリフィンへの撤退ルートを選択するわけもないだろう。先回りされていたら最悪なのだから。どうせ、北か南の四つ五つ先にある街で決戦するにきまっている。
なら、追撃を仕掛けようとする敵司令部へ空き巣に行くのがいいだろう。まさか、鉄血の奴らが私情を挟んで泥棒に構うわけもあるまい。司令部にいるエリアボスは、確実にお目当ての獲物を狙って追撃する筈だ。
ならば、今日は敵地のドンパチやらかしているど真ん中に行って、そこの司令部に忍び込むのが良いだろう。俺が到着する頃合いには、追撃戦に移行している。していなければ、そのタイミングを計って空き巣をすりゃいい。ただ、資材はこの前みたいに爆破はしない。要らぬことを起こして、奴らの優先順位を上げる必要はどこにもない。前のあれは相手からの追撃を受けないための措置だった。それだけだ。
粉末コーヒーの味? そんなもんゲロマズに決まってんだろド阿保。ただカフェインとってなきゃやってられねぇってだけの話だ。これだって、ここを漁っていたらたまたま手に入った代物だ。賞味期限? 知ったことか。風化して読めたもんじゃねぇ。
「指揮官」
泥水のような黒い水に口をつけていると、背後から思いっきり体重を掛けられ、首に腕を回される。一匹狼のときの俺なら即座に地面に叩きつけてやっていたが、今は一人じゃねぇ。甘ったるいこの声も、聞きなれちまって今じゃカフェインよりもよく働いてくれる。機械仕掛けだろうが、女の身体は柔らかいし、あったけぇ。存外、こいつのこういう行動は気分が悪くなるものでもない。
「起きたか。たく、俺より寝坊助たぁ、良い御身分だな」
皮肉交じりに言いながら振り返れば、「拾い物」は相変わらず全裸だった。ボサボサになった白い髪……というより銀髪(どうやら地毛らしい)が前に垂れて、胸やら股間やらを絶妙に隠している。
「万全を維持するためには、必要なことです」
「なら、俺の万全を維持するために朝食でも作ってくれないのかね」
「食材があれば喜んで」
こいつはとにかく、俺の傍に居れば上機嫌だ。むふふ、などと声に出すほどに。注意しなけりゃ俺の鼻歌をマネする始末だ。咎めたら捨てられた子犬のような顔をするから、やりづらいったらありゃしない。
「起きたなら、ベッドの上座れ」
「いやん。指揮官、まだ朝ですよ? ベッドに座った私を押し倒したいなんて……そんな……えへへ」
「昨日搾り取られて空っけつだド阿保」
どうしてこいつは、俺に好意を寄せるのかはわからない。今も心底幸せそうに、はにかんで照れ臭そうに「いやんいやん」と純情乙女の恥じらいっぷりを発揮している(そんな恥じらいがあるなら普段の痴女丸出しの服をどうにかしてほしいものだが)。もしも俺が、暗い鉄檻から姫を助け出したヒーローに映ったのなら……少しは、同情してやろうと思う。
こいつは何でもこなせた。物資を運ぶことはもちろん。昼の戦いも優秀でありながら。夜戦ともなれば鬼神の如き強さを発揮する。俺が逃げることに集中しようとも、夜のこいつの前ではどうなるか分からない。昼は俺の独壇場だが、夜はこいつの独壇場だ。お互いに補うような関係には笑いが込み上げてくる。
「俺の所有物なら、ちったぁ見た目気にしろ。小奇麗に作られてるんだ。そこらを整備するのは俺の役目だ」
俺は拾い物を引き剥がし、リュックから櫛を取り出した。それを見ると、「拾い物」はまた一段と頬を綻ばせて、踊るようにステップを踏みながらベッドの上にちょこんと座った。俺はその背後に座って、こいつのボサボサになった髪に櫛をいれる。
「指揮官」
一本一本、ほつれたところは手で丁寧に解いてやり、痛んだキューティクルには櫛を優しく通して伸ばしていく。一朝一夕では変化はわからないものだが、これを一ヶ月も続けていれば、くすんだ銀髪も輝きを取り戻しつつあった。
「なんだ?」
「後ろからぎゅーって、抱きしめていいんですよ?」
「なんだそれ」
女の身体というのは、どうにも扱いに困るところがある。少しでも力を込めて抱きしめれば、そのまま潰れてしまいそうなほど柔らかく、華奢なのだ。力加減がわからない。せっかくのモノを壊してしまっては台無しだと、ついつい割れ物を扱う要領になってしまう。それだけでも、こいつは身体を跳ねさせるものだから、俺としてはほとほと困った問題だった。
「大体、それじゃ櫛を通せないだろ」
「櫛は後で良いんです。後ろからぎゅって抱きしめてくれて、それから……ベッドの中に引きずり込んでくれたりして。くんずほぐれつ……」
こいつの戯言には、どうにも調子を崩される。嫌がらないというところが特にそうだ。積極的なところも、どうかしている。
「朝っぱらからヤってられるか。今日はこれから物資の調達だ。敵の司令部に空き巣するぞ」
「はい。それなら、帰って来てから……お願いします、ね?」
「拾い物」が振り返って、俺の目をまじまじと見つめて来た。コバルトブルーの瞳は、海よりも深く、深淵よりも澱んでいる。見つめれば見つめるほど、深みにはまりそうな妖しい魅力を内包していた。こちらを引きずり込もうとする魔力がある。見れば見るほど、底に堕ちていくような倦怠感が押し寄せてくる。
「成果に応じてやる」
そういうと、先ほどまでの深海のような瞳はどこにいったのか。水底にまで光を差したかのようなキラキラした瞳で、「拾い物」は「ふん」と鼻息を立てた。
「ハラショー! 指揮官、約束です。……えへへ、指揮官を好きにしていいだなんてぇ……」
「おまっ、そこまで言ってねぇ。おいこら、いや、お前、俺の話聞いてる? ねぇ?」
ダメだ。こいつ、一人で飲み込んだ後に勝手にトリップしやがった。俺が絡むと途端に暴走するこの癖はどうにかならないのか? ならないんだろうな。こいつが止まった試しなんて一度もないんだから。
思わず溜息が漏れると、それがこいつのうなじに当たったのか、ビクッと身体を痙攣させた。頬をほんのり赤くして息が荒くなる。しかし、相変わらずうわごとを呟きまくっているのだから、きっと大丈夫だろう。
「指揮官、ダメですよ、そんなところ……きゃっ!」
台詞はあるが、全て独り芝居なのだから。傍から見ている俺は頭を痛める他にない。もしかすれば俺は、ひどいポンコツを拾ったのかもしれないと、こいつの髪に櫛を通していくのだった。