明日で12月に入る、11月最後の今日。
夜空はすっきりと晴れていて、雲がなく澄んだ空には丸い月がぽかんと浮かんでいる。
時刻は午後11時を過ぎていて、この時間帯の寒さは骨身にまで染みてくる。
紺色の軍服の上にコートを着ているだけでは体が冷たく震えてしまう。
仕事で出かけ、夜の遅い時間に鎮守府へと戻ってくるのは提督になってからの10年でずいぶんと慣れた。
提督になった頃は人々が安心できる生活を、とそういう情熱が以前は身を包んでいたが今はそれもない。
本土で働く俺に周囲の人たちからは要望や文句ばかりが届く。
前線の提督たちからは装備や弾薬、艦娘をよこせと。上層部には資源をもっと運んでこいと言われる。
どちらも要求ばかりで、自分たちから何かをしようとはしない。
前線と上層部が辛いのはわかる。だが、その板挟みとなった俺も結構辛いと思ってもいいと思う。
頑張っても仕事をしても褒められることもせず、それが当然と言われる。ちょっとうまく行かないと助言もなく叱責だけがやってくる。
命をかけて戦い、輸送をする艦娘たちに仕事をしてもらうために。俺は弱音を吐いたりしない。艦娘たちに尊敬されるような、立派で紳士的な提督を演じるのに疲れるのも必要なことだ。
そんな忙しい日々だから恋人もできず、35歳になった今でも独身だ。
時々自分の人生が寂しく感じても、今までやってこれたのは日本で暮らす人たちの『安心できる生活』を得るために働いてきた。でも今日の会議ではその想いもなくなってしまいそうだ。
地域住民からはもっと地物の役に立て、提督や艦娘が日頃から何をしているか詳細にレポートをあげろ、艦娘たちを使って観光客や売り上げを増やしてくれという要望が来る。それでいて、本業はもっと頑張れと。
俺は頑張っているのに、もっと頑張れと言われる。
ただ人々のためにとの想いで仕事をしてきたが、その頑張りを認めてくれるどころか、さらなる要望を突きつけてくる。
褒められたいからというわけで仕事をしてきたのではないものの、頑張った分だけ周囲の人たちは部下の艦娘たちや提督である俺を褒めてもいいと思う。
文句があるなら言ってしまえと上司に言いかけたこともあるが、それで関係を悪化するよりはこっちが耐えて仕事を円滑にやるべきだと考えて言わずじまいだ。
そうやってストレスを体の内側に溜めては胃を痛めつつ、自然と少しだけ涙が出てしまう。
慌ててハンカチで目元拭い、周りを見て誰も泣いた姿を見ていないことを確認してから執務室へと帰ってくる
執務室の重い木の扉を開けて入ると部屋には明かりがついていて、暖炉からは薪が燃えて部屋は暖かい。
部屋にあるのは執務机に500冊ほどの本が入っている本棚に3人掛けのソファーとテーブルがある。
そのソファーにはビスマルクがいて、テーブルの前にはコーヒーが入っていたであろう空のマグカップを置き、背をソファーに預けながらリラックスして小説を読んでいた。
いつもかぶっている帽子は前にあるテーブルに置いてあり、足を組んでいるから制服姿であるために短いスカートからは太ももの付け根まで見えてしまっている。
ビスマルクの絹糸のようにサラサラな髪は見ているだけでも心を奪われるが、俺の秘書となって7年も経つのに今まで1度もさわらせてくれないのが悲しい。
身長は俺より少し低い170cmほどで、胸は豊かで大きく、体つきはアスリート選手みたいにすっきりと美しい体をしている。
肌は普段から海に出ているのに日焼けをしていなく、雪を思わせるような白い肌。
目は吸いこまれそうなほどの深い青の色。
顔つきは大学生ぐらいの年齢を感じ、美しく整っている。
そんな美人なビスマルクがだらけた姿で本を読んでいる姿はある種の色っぽさがある。
「今日も待っていてくれたのか」
「0時を過ぎるまでなら待つっていつも言っているでしょ。それにここは静かだから、アークにも邪魔されることなく―――」
入り口そばにあるポールハンガーに帽子とコートを掛けると、精神的疲れのために声をかけるのも一苦労だが待ってくれたビスマルクのために声をかけた。
するとビスマルクは本にしおりを挟んで俺へと振り向く。けれど俺の顔を見て何かに驚いたらしく、言葉を途中で止めて慌てて立ち上がると俺の方へと急ぎ足で歩いてくる。
そしてすぐ俺の目の前までやってくると、じっと顔を見つめてきた。
「なにかあったの?」
「別に。いつも通りだ」
艦娘たちの前では常に尊敬されていたい俺は、長年の秘書であるビスマルクにも弱みを見せないようにしていた。
いつもなら、この言葉でビスマルクはため息をついただけで諦めてくれる。でも今日は違った。
俺の返事を聞いても澄んだ目を向けたままで、その目を見ていると弱音を吐いてしまいそうな気がして目をそらした。
「目をそらさないで。泣いたのはわかっているのよ」
そう言って両手で俺の頬を抑えると、強引に顔の向きを変えられてビスマルクとまた見つめあう。
それが10秒ほど続くと、ビスマルクは深く大きなため息をつく。これで手を離してくれるかと思ったが予想とは違い、俺の顔はビスマルクによって胸元にそっと寄せられて優しく抱きしめられた。
感じるのは胸の柔らかさと暖かさ。ビスマルクの甘い匂いに包まれ、心が落ち着いてくる。俺が必要とされ、優しくしてくれる人がいたということに。
今までこんなことはなかった。ビスマルクとは仕事だけの関係で、信頼できる部下との関係だ。
なのに抱きしめてくるのはいったいどういうことなんだろう。
「辛いときは辛いって言っていいの。いつも立派であろうとするのはいいけど、そんなのばかりだと心が死んじゃうわ」
ビスマルクの匂いと優しさにずっと包まれていたいが、その言葉で正気を取り戻す。
もう遅いかもしれないが、立派な提督を演じ続けるためにビスマルクから離れようとする。でもビスマルクは離してくれない。
それどころか、俺の頭をそっと丁寧に撫でてくる。
「いつだって頑張っているのはわかっているわ。だから疲れたときは私に甘えなさい。ね?」
ビスマルクは抱きしめる腕の力を弱め、俺は胸の中から顔をあげる。
そのビスマルクの表情は慈愛に満ちた表情で、いつものかっこよくて凛々しい顔や甘いものを食べているときの緩んだ顔とは違う。
穏やかな声で何度も「大丈夫。私はあなたの味方よ」と言われるともう俺はダメになってしまう。
いつもの立派な提督の姿はなくなり、1人の男、いや今だけは子供のように甘えたい。そう思ってしまい、その通りに俺はビスマルクへと甘える。
胸へと顔をうずめ、頭を撫でられながら1分か2分ほどそうしていた。
そのあいだに疲れていた心は少し癒され、これ以上深みにはまらないうちにビスマルクから離れる。
「ありがとう。気持ちが楽になった」
「提督の助けになれてよかった。それじゃあ今日の仕事も終わったことだし、部屋まで送っていくわ」
「いや、その前にコーヒーを飲みたい。ビスマルクが淹れてくれたものを」
そう言うとビスマルクは困ったような笑みを浮かべた。
甘えすぎたか、と思ったがビスマルクは俺の顔を見て「違う」と言ってくれた。
「この時間にコーヒーを飲むと眠れなくなるから。ノンカフェインのドリップ式なら大丈夫だけど……」
「それでお願いするよ。今はビスマルクと一緒にコーヒーを味わいたい気分だったんだ」
「嬉しいわね。いつもこんなふうに素直だったら、私も嬉しいのに」
「迷惑じゃないか?」
「いいえ、ちっとも。むしろ、もっと私に頼ってちょうだい。迷惑をかけてくれていいの。私はあなたの助けになりたいんだから」
少し照れながら言う言葉に、俺も恥ずかしくなってしまう。
俺たちはお互いに照れながら、笑みを浮かべあうとビスマルクは恥ずかしそうに早足で部屋から出ていく。
「すぐに戻ってくるから、ソファーで休んでいて!」
ビスマルクが部屋から出ていくときに廊下から冷たい風が入ってくるが、俺の心はビスマルクのおかげで暖かいためにその冷たささえも心地よく感じてしまう。
こんなふうに優しく受け入れてもらえるなら、素直になるべきたったと考える。
そしてこれからは時々ビスマルクに甘えながら仕事を頑張っていこうと思った。ビスマルクを含めた艦娘たちのために。
急にこういう話を書きたくなって。