昼過ぎの執務室。
今日は前線からの補給要望と各戦線への物資輸送調整に頭を悩ませ、輸送護衛については現場から苦情を言われた。
毎回苦労して調整をしているのに、感謝ではなく罵倒の言葉が多くて辛い日々だ。
そんなことを思い出してしまいながら、俺は窓越しに降り始めている雪を暗い気持ちで眺めていた。
曇り空の下、海の風で強く流されている雪はあまり積もる気配がなさそうで、艦娘たちがすべって転ぶ心配は少なそうだ。
精神的疲労で仕事を放棄している俺の後ろから聞こえるのは、心が安らぐ暖炉の薪が燃える音とソファーにいるビスマルクが過去の補給要請の書類をめくる音。
それらの音を聞きながら、ため息が4度は出た頃にビスマルクから心配そうな声をかけられた。
「ねぇ、そんなにため息をつくほど、嫌なことでもあったの?」
「俺がもっと優秀だったら、各方面からあまり苦情も言われず対処できたんだろうと思ってな」
5度目のため息をつきながら言うと、ビスマルクからの返事は何もなく、代わりに持っていた資料を机へと勢いよく叩きつける音が聞こえる。
その後は暖炉の薪が燃えていく音だけが聞こえる静かな時間がやってくる。
……辛い。ビスマルクなら励ましの言葉をかけてくれると思っていたが、これは俺の能力が低いから反論しないで無言の同意をしているんだろうか。
そう考えてしまい、ますます落ち込んでいるとビスマルクがソファーから立ち上がる音が聞こえ、振り向くと軍服を着ているビスマルクが俺へと迫力ある表情で足早に向かってきた。
何か文句を言われるのかと動けないでいると、俺の前にやってきたビスマルクは俺の手を力強く握ってソファーへと引っ張っていく。
ビスマルクにされるがままの俺はソファーへと連れられると、強引にまんなかへ肩を押されて座らされた。そして、そのすぐ左横に手を握ったままのビスマルクが勢いよく座ってくる。
「あなたはもっと自信を持てばいいと思うのよ」
「よく文句を言われているのにか」
ビスマルクと目を合わせていると、怒るように強い口調で言ってくるビスマルクに、俺は弱気な声が出てしまう。
1度落ち込んでしまうと、なかなか気持ちが浮上せずに自己否定気味になるのは仕方がないと思う。それに実際そうかもしれない。
他の人なら、もっとうまくやれるんじゃないかと。
そう落ち込んでいるとビスマルクは俺の手の感触を味わうように、優しく何度も握ったり離したりする。
そんな手の感触が気持ちよく、ほっそりとして、すべすべしている手にさわられているとちょっとだけ心が落ち着く気がする。
「あなたは充分に仕事を頑張っているわ。気を遣っているわけでもなく、本気で言っているのよ? あなたは本当に頑張っているわ」
「……そうか」
「そうよ。あなたがやってきていることは、すごいことだわ。私には物資輸送の調整だなんて面倒なことはぶん投げてしまうでしょうね。でも提督はきちんと仕事をやっている。これが立派でなくてなんというのよ」
優しい声で微笑んでくるビスマルクは、俺とのつないだ手を離すと頭をそっと優しく撫でてくる。
撫でられた瞬間、驚いて固まってしまうが段々となでられ続けているうちに、その手が気持ちよくなってきた。
「ごめんなさいね、突然こんなことして。でもあなたが悪いのよ? こうしないと私の言葉を素直に聞いてくれないから」
「いつも聞いていると思うが」
「それは仕事での助言でしょ? こうして褒めようとすると逃げちゃうじゃない。せっかくだから、今日は今まであなたに思っていたことを全部言ってしまうことにするわ」
「ああ、なんでも言ってくれ」
「なんでもね」
ビスマルクは撫でる手を離して俺から目を離す。そして、かわいらしく悩む声をあげたと思ったら、すぐに満面の笑みを向けてくる。
「あなたは立派だと言うことよ! そう、本当に立派なのよ? あなたの仕事内容を思い出してみなさい? 後方にいる階級が高い人たちや前線との間に挟まれているってことを。他の人が嫌がる仕事を投げ出さないという点だけでもすごいことなのよ?」
「……自分ではわからないな」
「じゃあ、私がわからせてあげる。色々な人がいう"インチ"という言葉でもイギリスとアメリカでは違うじゃない? その人たちがどっちのを求めているか調べ、聞くのは実に面倒ね。以前、提督の代わりに電話で私が聞いたときだって不満の声を向こうからぶつけられたもの」
昔を思い出したのか、不満な表情をしてソファーをバシバシと何度か叩きつけてため息をついた。
その後はまた笑みを俺へと見せてくれる。
「こういう面倒な仕事の他に、あなたは艦娘相手との仕事もよくやっているわ。国籍も年齢も艦種も違う艦娘たち相手と話をするのは大変だと思うの。なのに、1人1人丁寧に接し続けるのは褒めるに値することよ!」
そう言うと、またさっきと同じように頭を撫でてくれる。それは強く力を入れて頭全体をわしゃわしゃとかき混ぜるように。
けれど、そうしたあとには髪の乱れを直すように優しく、壊れ物を扱うかのように撫でてくれる。
「自分で思うより、ずっと頑張っていて、すごく立派で、とても素敵な提督よ? この場所に7年もいれるということが、私だけの言葉だけじゃなく実績で評価されていると思わない? 本当にダメな人だったら、今頃左遷されているに違いないわ」
「そう言われると、俺も悪くない能力かと思える」
「それでいいのよ。提督はもっと自分に自信を持つといいわ」
優しい声、優しい撫でる手つき。それらを感じながらソファーへ体を預け、さっきまで緊張していた体の力を抜いていく。
目をつむり、ビスマルクのことを感じていると「いい子、いい子」だなんて子供を甘やかすような声で言ってくる。
大人である俺をなんで子供扱いかと思うが、文句を言う気力は出ず、不思議とそうされることで心が癒されていくようだ。
甘い声を聞きながら撫でられ続けていると、疲れ切った心の隙間に入ってくる温かさが心地いい。
冬の季節なのに、この瞬間だけは春がやってきて桜の花を観賞しているかのような穏やかな気分だ。
……ずっとこうされていたい気分になってくる。
「今日も補給で悩んでいたんでしょう? あなたが前線の希望通りになるよう物資を調整しすぎるから要求ばかり増えてくるのよ。過去の要求書類では必要以上の物を要求しているようには感じなかったわ」
「だが、前線だぞ? 要求通りにしたいじゃないか」
「あなたは頑張りすぎなのよ。必要と思えない部分は上層部と相談してもいいのに。そうすれば、上がダメと言ったらっていう言い訳ができるのに」
「仕事には真面目にやりたいんだよ」
「それで体を壊すのは嫌よ、私」
小さなため息をついたビスマルクは俺の頭を撫でていた手を、耳へと移動し、そっとさわってくる。
そのくすぐったさと気持ちよさが一緒に来たせいで、つい感じてしまった声が漏れ出てしまう。
それを聞いたビスマルクは楽しそうに笑みを浮かべ、耳をさわってから、首筋を撫でてくる。
「あなたも休みを取ればいいのに。どこかに旅行いけるぐらいの休みをね」
「前線が安定してくれればなぁ……」
「そうは言っても安定してもどこかの戦線が攻勢に出ちゃうから、結局は1日2日程度じゃないの」
仕事をしすぎてストレスが溜まり、胃薬にはいつもお世話になっている。交代要員や他の場所でも補給物資所を増やしてくれと要望しているが、中継の補給拠点はちょくちょく潰されるから俺が中心で頑張ることになる。
以前は他にも俺より大規模に輸送担当がいたんだが、時間が経つにつれ、俺が重要視されてきている。
それは艦娘を指揮する提督だからということもあるが、俺のところにやってくる艦娘たちが頑張ってくれるから護送成功率が高いために頼られているのだろう。
うん、艦娘たちとの時間を取った甲斐があるというものだ。
「責任感があって、真面目で仕事を投げ出さないことができるあなたは本当に立派な提督よ」
と、また頭を撫で始めてくるビスマルク。
「だから、仕事が落ち着いた今は心を休めて欲しいの。そのための秘書であり、私がいるのよ?」
「お前には負担をかけたく―――」
その言葉の続きは、頭を撫でていた手で素早く口を抑えられたことで止められてしまった。
唇でビスマルクの指の気持ちよさに固まっていると、そっと俺から手を離して少し距離を開けて座りなおした。
「私はあなたの助けになりたいのよ」
俺から顔をそむけ、すねたように言うのは普段見ない姿でかわいい。いつも自信があり、かっこいい美女のビスマルクが女の子っぽい仕草を見せるのは新鮮だ。
感激して見ると、再び俺へと視線を合わせたビスマルクは俺の肩を掴むと強引に倒してきて、ビスマルクの膝の上へ頭を乗っける形になってしまう。
仰向けに倒れている今、すぐ目の前にはいたずらっぽい顔でいたビスマルクが頬を撫でたあと、頭をまた撫でてくる。
―――ふと、子供の頃を思い出す。昔、母親にもこうして同じように撫でられていたことを。
あの時と同じく、ビスマルクの膝で寝ている今はとても心がやすらぎ、ここ最近ではなかったぐらいに心地いい眠気がやってくる。
あぁ、眠い。もう寝てしまおうか、いや、もう少し仕事をやってからのほうがいいか?
「
母親を思い出すような、愛情を強く感じる声を言葉を聞いた瞬間、段々と俺の意識は閉じていった。
今は休んでいいんだな、と深く安心して。