目が覚めたらあべこべってた   作:紺南

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第10話

生徒会室の鍵を戻しに職員室へ向かう。

カツカツと響く足音が暗い廊下に反響してどこかへ向かい、どこからともなく返ってくる。聞える音はそれだけだった。

廊下から見える景色は、藍色の世界で街灯と家の明かりとが煌びやかに輝いていて、昼間見ているものと同じとは思えない。ちょっと視点が変わると受ける印象すらがらりと様変わりするのは不思議なことだった。

様変わり。その単語を口の中で呟き、自分の置かれている境遇を思い出す。苦笑した。

 

いつの間にかコーヒーの匂いが漂ってきていた。小学校も中学校も、職員室はいつもこの匂いで満たされていた。高校もそれは変わりない。世界が変わってもこういうところだけは変わらない。

 

もう外も暗いと言うのに職員室には教師がそこそこ残っている。

その中には担任も居て、俺を見るや否や「おや」と声をかけてきた。

 

「七瀬君は生徒会の仕事ですか。頑張りますね」

 

なんでだか不条理を感じた。

思い返せばこの人の命令で残業を強いられているんじゃなかったか。

 

「社畜の先生と変わらないですよ。給料は求めないんで代わりに内申点上げといてください」

 

「別にかまいませんが、中学校程重要な物でも無いですよ。それと先生は社畜ではなく公僕です」

 

律儀に訂正してくるあたり真面目な人だ。

この人が担任になってまだ日は浅いが、生徒の努力にはきちんと報いてくれるタイプなんだろう。働き甲斐がある。ボーナス出るならなんだってするみたいな労働意欲が湧いて出る。

だからこそ媚びる時に媚びておかなければいけない。ボーナスに色を付けてもらうためにも心象は大事だ。

 

「ま、推薦狙うなら大事ですねえ」

 

担任はそう呟いて会長を見た。会長は会釈で応じる。

 

「金折さん、勉強は順調ですか?」

 

「ええ」

 

「なによりです。分からないことがあれば、いくらでも聞いてください。応援してますよ」

 

「はい」

 

「で、七瀬君」

 

今度は俺に向き直る。

真正面から見つめられる。

 

「明日ちょっとお話があります」

 

「またですか」

 

「またです」

 

一体何の話だろうか。

事前に予告されると余計な不安を覚えてしまうのだが。身に覚えはないとは言え。

 

「今じゃダメなんですか?」

 

「もう遅いですし、明日話しましょう。また放送で呼びますよ」

 

天井のスピーカーを指さされる。

あれで名前を呼ばれるたびにクラスから注目を集める。視線が集中することの不快感ったら中々すごい。

行ったら行ったでこの人はカップラーメン食べてるし。

 

「食生活に気を付けないと腹出ますよ」

 

「突然なんですか。余計なお世話です」

 

「もう若くないでしょう。何歳ですか?」

 

「27ですが。まだ若いですよ。肥満はまだ早い。心配ご無用です」

 

「三十路ですね」

 

「それ以上言うなら内申点下げますよ」

 

俺の軽口はそれで止まった。

隣で俺たちのやり取りを見ていた会長がくすりと笑う。

担任は仏頂面のまま肩をすくめた。

 

「さあ、若者は家に帰って勉強でもしなさい。先生は仕事があります」

 

担任はノートパソコンで何かしているようだった。

もしかしたら宿題でも作っているのかもしれない。

 

「先生も早く帰って寝てください。小じわが増えますから」

 

「七瀬君。今減った分の内申点を取り返したくば、より一層勉学に励むことです」

 

しっしっと手で追い払われる。

笑いをこらえながら職員室を後にした。扉を閉める間際、担任が小さく手を振っていたのが見えて、結局笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

学校は人の気配が少なく閑散としていたが、駅まで来ると仕事帰りの会社員や部活動帰りの生徒たちで混雑している。

何の気なしにその顔ぶれを見回していると、やはり女子の割合が多いことに気が付いた。

そうなると引っくり返る前は男の方が多かったんだろうか。そんなこと一々気にしたこともない。

 

滑りこんでくる電車に乗り込む。

中はやっぱり混んでいた。今まで一度だって座れたことはない。座っている人たちはどの駅から乗っているのだろうと不思議に思う。

そのほとんどが疲れからか眠り込んでいる。

立っている人の中にもうつらうつらと舟を漕いでいる人がいた。偶にガクリと力が抜けて、その度に目を覚ましている。携帯を弄っている人が少ないのは珍しい。

 

殺到する人波にぐいぐいと押されて、気付かぬうちに隅っこの方にいた。目の前には会長が立っていて、さりげなく周囲からブロックしてくれている。

そのおかげかどうか。朝のように痴女に遭遇することはない。この状況で犯行に及ぶほど無謀な奴もそういないだろうが。

 

結果、俺は会長と向かい合って立っている。

会長は俺より背が高いから、自然と見上げる形になった。

会長は手すりにつかまり、焦点のあっていない目でどこを見るともなく窓の外を見ている。

俺は壁に体重を預けてじっと会長を見つめていた。

 

「……」

 

「……」

 

会話はない。

きまずい沈黙ではない。

お互いが側にいることに抵抗はなく、会話で場の空気をもたせようと気を遣う必要はなかった。

そもそも会長はそれほど喋る性質ではない。比べれば葵先輩の方が喋るし、それよりもデビルンが喋る。

生徒会でもしずしずと仕事をしていることが多い。

それなのに物静かな印象がないのは、やっぱりデビルンが関係するとどうしてもうるさくなるからだろう。

 

電車は時おり揺れながら静かに進んでいく。

目的地までは10分少々かかるのだが、気が付けばあっという間に過ぎ、目的駅に着いていた。

 

人の流れに乗って電車を降りて停留所へと向かう。

バス停にはすでに人が列をなしていた。恐らくバスでも座ることはできないだろう。

列の最後尾に並びながらそう思う。

 

「会長」

 

「なに?」

 

バスが来るまでの間、やはり無言で待っていたが、暇を耐えるにも限界があったのでなんとなく会長を呼ぶ。

 

「会長は進学ですよね」

 

「ええ」

 

「どこ受けるんですか?」

 

会長の口から出たのは、自称進学校の我が校と言えども難関と言われる大学だった。

年に何人その大学に合格できるのだろうか。

担任の言葉を思い出した。応援してますよとはそう言うことなのか。

 

「北村が会長は推薦だと言ってました」

 

「あの子もお喋りね」

 

「頑張ってください。応援してます」

 

「ありがとう」

 

会長は微笑んだ。

その表情には一片の気負いも浮かんでないように見える。

リラックス出来ているならそれに越したことはない。

 

「会長なら一般受験でも十分通用しそうですけど」

 

「そうかもしれないわね。でもまず推薦で受けてみる。挑戦できる回数は多い方がいいでしょう?」

 

まったくそのとおりだ。

推薦と一般で二度チャンスがあるならその分緊張もほぐれる。

もちろん、だからと言って慢心していいものでもないけど。

でもこの人なら多分推薦で受かるだろうな。

なんとなくそう思う。二年生から生徒会に入り、美術部では入賞したこともあるらしい。成績も優秀だそうだ。この人が受からないなら、今年はうちの学校からその大学への合格者は0にしていいと思う。

というか誰なら受かるんだと殴り込みに行きたい。もし不合格だった時はデビルンを矢面に立てて行ってやろう。

 

そんな話をしているとバスがやってきた。

空気の抜ける音と共に扉が開く。

列は順番にバスへと入って行き、空いている席から埋まっていった。

 

ノイズの多いアナウンスが「発車します」と一言述べてバスは発進した。

吊革に掴まりながら窓の外を見る。

車のヘッドライトや街灯が一瞬の間に通り過ぎ、瞼の裏に光の線を描いていく。

よく見知ったこの街では、このバスが次にどこへ向かいどこを通り過ぎるのか、鮮明に脳裏に思い浮かべることができる。

 

途中事故とか起きてなければ、20分ぐらいで着く。

バスはいつも通りの道をいつも通りに走っている。渋滞は起きていない。なら事故もないだろう。

いつもと違うのは、俺の周りには女性の乗客が多く、そのほとんどが眠りこけていることだ。

この時間であれば当たり前のように毎度いる年配のサラリーマンはいない。確かその人はいつも本を読んでいたはずだ。

横目に車内を見回して、やっぱりその人の姿は見つからなかった。

 

こっそりと溜息を吐く。

世界は引っくり返った。

北村はああなって、今俺は会長とこうして一緒に家へと帰っている。

 

北村の件を除けば、今のところ大きな違いは感じられない。

一昨日までの日常と大差ない。しかしやっぱり違うと感じるところがいくつもあった。

その細かな差異がやけに寂しく思えて、もう一度小さく溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前述べた通り、俺の家と会長の家は、歩いて5分程度しか離れていない。

もっと具体的に言うなら、俺が一本早く道を曲がり、会長はそのすぐ後の道を曲がる。

だからお互いの家の場所は何となく分かっていたのだが、詳しい位置までは把握していなかった。今日までは。

 

「ここ?」

 

「そうです」

 

俺の家を前にして、会長は立ち止まる。

表札にはしっかり七瀬と書かれていた。

それを認めて、会長は俺の家をつぶさに観察している。

脳裏に焼き留めようかというほど、じっくり見つめている。

 

「明かりが……」

 

ぼそっと呟かれた言葉。

俺も家を見上げる。玄関も窓も、どこにも明かりはついていなかった。

 

「ご両親は遅いの?」

 

「と、いうよりはいません」

 

腰ほどの門を開けながら答える。

会長は驚いた顔で「え?」と声を漏らした。

 

「いない……?」

 

「年に一回ぐらいは帰ってきます。けどまあほとんど一人暮らしですね」

 

会長はもう一度家を見る。

やはりどこにも明かりはついていない。人がいないんだから明かりなんてつけてるはずもない。もったいない。

 

「そうなんだ……一人……」

 

呟くその目に奇妙な光が宿った。

見飽きた同情や哀れみや憐憫ではなく、もっと違う種類の光。

なんだろうなあと思う。考えた所で思いつくものもない。

 

「良かったら寄って行きますか? 大したお構いもできないですけど」

 

鍵を開けながら訊ねる。家に紅茶はなかったはずだ。ペットボトルの緑茶ぐらいしか。

会長は俺の言葉にはっと我に返り、それから誤魔化す様に手を左右に振った。

 

「折角だけど遠慮するわ。もう遅いもの」

 

「俺の家には誰も居ないので遠慮する必要はないですよ」

 

ああ、でも会長には待ってる人がいるかもしれない。

母親か父親か、どちらかが家で夕飯を作って帰りを待っているかもしれない。

そう思うとこれ以上誘うのはためらわれた。

 

「男の子の家に上がると言うのもね。ごめんなさい」

 

「そうですか」

 

俺は機会があれば全力で会長の家に上がる所存だが。

それが朝であればなお良い。寝起きの顔を拝みたい。

 

「それじゃあ」

 

会長は手を振って来た道を戻っていく。

小走りに歩くその後ろ姿に声をかけた。

 

「会長。また明日」

 

「ええ。また明日。寝坊はしちゃダメよ」

 

「会長こそ。一分でも遅れたら家押しかけますからね」

 

「気を付けるわ」

 

最後に微笑んで、会長は薄暗い道に消えて行った。

その後ろ姿を見送り、家へと入る。

 

リビングは朝家を出たときと何も変わらない。

床に無造作に置いてある毛布をソファにかけた。

鞄をテーブルの上に置いてぐったり座り込む。

 

宿題がある。夕飯もまだだ。風呂にも入らないといけない。

やることが多すぎて、さっぱりやる気が出ない。

このまま寝てしまおうか。それはとても魅力的に思えた。

 

もしかしたら、目が覚めたときには世界が戻っているかもしれない。

寝て起きたら引っくり返っていたんだから、また寝れば元に戻るのではと何となく思っている。

 

世界が引っくり返って二日目。

案外その可能性は高いように思えるが、果たしてどうだろうか。

 

時計はもうすぐ8時になろうかとしていた。

こうしている間に時間は過ぎる。今はすべきことをしなければいけない。

堕落への一歩はまだ早い。一つ一つ片付けて行こう。膝を叩いてやる気を出す。

立ち上がって台所へ向かう。

 

家事をする間に夜は更けていく。

明日はどうなるだろうか。期待とも不安ともつかない気持ちを抱きながら、時計の針は刻一刻と進んで行った。

 

 

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