目が覚めたらあべこべってた   作:紺南

13 / 25
第13話

決戦は金曜日の昼休み。

そんな言葉を思いついたのは当日の朝だった。我ながら実にくだらないと思って、登校中にはすっかり忘れていた。決戦なんて微塵も思っていなかったのが分かる。

それで、次にそのことを思い出したのは件の昼休みに入ってからだった。チャイムが鳴って早々に携帯が震え、表示された文字に記憶が蘇った。

 

『美術室で食べよっか。待ってるね』

 

そのメッセージを見て「ああ、そう言えばそうだった」と一人呟く。

どっこいせって感じにホットドッグを持って立ち上がる。あと一瞬遅ければ袋を開けていた。

もし開けていたら行かなかったかもしれない。歩き食いは行儀が悪いし、何より面倒くさい。しけったら最悪だ。

もし行かなかったらどうなっていただろうか。それを考えると本当に間一髪だった。

 

教室を出て一歩目は軽やかに踏み出せた。廊下を進む足取りは迷いがないのに、頭の中では美術室はどこだろうとそんなことを考えている。

入学して三か月余り。美術の授業がなかった。

確か選択科目の一つにあったと思うが、そんなものは選んでない。だから美術室がどこにあるのかは今一わからない。一階にあるということだけは知っている。

 

廊下を歩く最中。階段を降りる途中。チリチリと首筋辺りに視線を感じる。

一連の騒ぎが爆速で拡散されているのは知っている。しかし見ず知らずの人間にじろじろ見られるのは気持ちの良いものじゃない。どいつもこいつも、好きに弄れる玩具程度にしか見ていないのだろう。気分は子供に乱暴に扱われるぬいぐるみだ。

 

好奇心や嫉妬の入り混じった視線と「付き合うのかな?」なんて微かに聞こえてきた声を背中で聞き流し一階へ降りる。

正面玄関口を通り過ぎて、ひと気のない廊下を進んだ。

後ろの方からパタパタと上履きの音が聞えてきて、間髪入れずに元気のいい話し声が聞えてくる。

きゃいきゃいと甲高い声が玄関を通り抜け外へと遠ざかって行った。

昼休みに元気いっぱいグラウンドで遊ぶのは女子生徒。男子生徒は教室でお喋りに興じている。

女子が外で遊び、男子が中で過ごす光景にはなんとなく物寂しさを感じる。

 

美術室と書かれた教室プレートを見つけたのは、それからすぐのこと。

日の照らさない薄暗い廊下。もう話し声すら聞こえてこない。昼休みと言う時間帯を考えれば、不思議というよりは不自然だった。学校と言えどもひと気のない空間もあるところにはあるということか。

美術室の隣には当然のように美術準備室があって、中に先生はいるのだろうかと少し気になった。

 

プレートを睨んで、扉の前で仁王立ちする。

耳を澄まして感覚を研ぎ澄ます。人の気配は感じられなかった。周囲を目で探る。やっぱり人が隠れているような気配はない。

そもそもこの廊下は一本道だし、隠れられるスペースもない。

昨日葵先輩に散々脅されたのだが、やっぱり考え過ぎだろうと結論に至る。

やれやれ、あの人も心配性だねと笑ったところでまた携帯が震えた。

葵先輩からだった。

 

『いまどこだ?』

 

短いメッセージは先輩の激情を現しているようで怖かった。

昨日のあれじゃやっぱり諦めなかったようだ。思い返すと、やってる方が楽しい以上の意味はなかったし。

後でイチゴパフェ奢りますと心の中で詫びて、扉に手をかける。

えいやと気合を入れて開けてみたら、すぐ目の前に菊池由香が待ち構えていた。

まさしく目と鼻の先。予想外に距離が近くて、思わず一歩下がる。

 

最初無表情だった菊池は、俺の顔を見てすぐに笑顔を作った。花が咲いたような華やかな笑みだった。

菊池は人好きのする笑顔はそのまま、何も言わず無言で俺を見ている。

ホストである菊池は何も言わない。招かれた客である俺はつばを飲み込んだ。

沈黙ばかりが過ぎていく。変な空気にあてられて、何か言わねばとあらぬ焦りを感じてしまい、口を衝いて出たのはこんな言葉だった。

 

「……待った?」

 

「待ってないよ。今来たところ」

 

思わず変なやり取りになった。

昼休みに入って10分と経ってない。待つはずなどないのは当たり前だ。

 

「さ、入って」

 

言われるがままに足を踏み入れる。

初めて見る美術室は、想像していたものと似通っていた。

天板の白い机が部屋の大部分に置かれ整然と並べられている。その机の上に四角く角ばった椅子が逆さまに置かれていた。

近づいてみると、遠目には白く映った机は至る所に汚れが付着して、所々剥げている。これではとても清潔とは言い難い。美術にそんなものを期待している人も居ないとは思うけれど。

 

教室の後方には誰かの書きかけの絵がいくつか無造作に置かれている。恐らく美術部員の物だろうと思う。壁には完成品と思われる作品がずらりと飾られていた。

 

そして、鼻を刺激する独特な匂い。

元の匂いは絵具だろうか。けれど他にも色々な物が入り混じって、なんとも言葉にしづらい匂いが部屋中に充満している。

決して良い匂いではないが、悪臭と言うわけでもない。

10分も居ればこの匂いも気にならなくなるのは経験で知っていた。中学も高校も場所は違えどこの匂いだけは変わらないようだ。

 

俺が部屋の中を観察している間、菊池は環境づくりに勤しんでいた。

窓を開け、椅子を降ろし、机をくっつける。

たったそれだけのことなのに、菊池は大仕事を終えたと言いたげに胸を張っていた。

 

「そこ座って」

 

「はいはい」

 

示された椅子に座ってから気が付く。

さっきから俺は一々指示を受けて行動している。まるで指示待ち人間になったようだ。

主導権握られてる。ちょっとこれはまずいんじゃないか。

ならどうすると言うプランもないのだけど。

 

「今日はいい天気。風がきもちいー」

 

ばたばたと風でカーテンが靡いている。もう7月だと言うのに、夏を全く感じさせない涼しさだった。

菊池は髪を押さえて笑顔のまま窓の外を見ていた。

肩ぐらいの長さの髪でも、風に煽られれば鬱陶しく感じないだろうか。

実際、俺は前髪が乱れて非常にうざったい。一々目の辺りをチクチクと刺激してくる。

 

「見て。サッカーしてる」

 

美術室の窓はグラウンドに面している。

菊池の言う通り、遠くでボールを蹴り合う女子の姿が見えた。

じっとそれを見ていた菊池からふっと息を吐く音が聞えた。

 

「元気だね」

 

頷く。

ここからでは豆粒大の大きさでしか見えないが、ちょこまかと動き回っている。

顔も分からなければ声も聞こえない。ただ何となく楽しそうに思える。

そんな彼女たちのことを見ていて、一つ気になった。

 

「あれ、スカートのままか?」

 

「そうじゃない? 一々ズボンに履き替えるのも面倒でしょ」

 

ふーんと相槌を打つ。

そんな俺を菊池は意味ありげに流し見た。

 

「なにか?」

 

「いやぁ、そうだねえ。……当ててあげよっか」

 

「なにを」

 

「パンツ、見えるかもね」

 

思わず言葉に詰まる。動揺してしまった。見事に内心を言い当てられたから。

むふふと笑う菊池はしてやったりと口端が吊り上がっている。

 

「女子のパンツなんて興味あるんだ? 男の子なのにいやらしいんだあ」

 

「なんの証拠があってそんなことを」

 

「まあ気持ちはわかるよ。私も七瀬のパンツ興味あるから」

 

視線が下に向いた。なんだかリアルな身の危険を感じる。

葵先輩の脅しが急に現実味を帯びてきた気がする。

 

「ご飯、食べよっか」

 

「おう」

 

心理的に距離を取りつつ、椅子を引いて物理的にも距離を取る。

菊池は青い包みで包まれた弁当箱を取りだした。俺はホットドッグの袋を開ける。

ぱかっとふたが開いたら、卵焼きやウインナーといった定番のおかずが詰まっていた。

 

「それなに。自分で作ったの?」

 

「まさか。私料理出来ないもん」

 

「威張んな」

 

じゃあ誰が作ったのだろう。

聞くとあっさり答えてくれた。

 

「弟」

 

「おとうと?」

 

「ブラザー」

 

「リアリー?」

 

「いえーす」

 

ああ、そう言えば弟がいたんだったか。

例の盲腸になったとか言う弟だろうか。いつだかそんなことを言っていたのを思い出した。

 

「お姉ちゃんも居るけどねえ。うちの家庭、女子はみんな料理出来ないから」

 

「珍しい家庭だな」

 

「今時は珍しいかもね。でも、別に困ってないし。よそはよそ。うちはうち」

 

最近、巷で男女平等なんて言葉がはやっている。男も女も家事は出来た方がいいし、仕事も平等に行きましょうってやつだ。

相対的平等とか絶対的平等とか、色々種類はあるのだろうけど、引っくり返っても平等は平等だった。

ただ平等の秤がどちらに傾いているのかということなのだろう。どれだけ突き進めても、やっぱりどこか偏ってる所はあるのだから。

 

「そう言う七瀬はパンばっかりだね。作ったりしないの?」

 

「めんどい」

 

「男なのに」

 

「それ差別」

 

「しってる」

 

それからは特に会話はせず無言で食べ進めた。

美術室で飯食べるなんてと最初は思ったが、いざ食べてみると案外悪くない。

人がいないと言うのが一番で、二番目は風が気持ちいいこと。

もっと清潔な場所だったらさらに良かっただろう。つまりわざわざ美術室である必要がない。

ここをチョイスした理由が謎だ。

 

「菊池って美術部?」

 

「え、違うよ」

 

「じゃあどうやってここ借りてんの?」

 

「友達が美術部なの」

 

「コネで鍵借りたのか」

 

「特別に横流ししてもらった」

 

そういうことを誤魔化すことなく白状する辺りにこいつの性格が伺える。

たぶんばれなきゃ犯罪じゃないって思ってそうだ。

 

「犯罪者め。共犯もろとも職員室に自首してこい」

 

「恩恵を受けてる七瀬も共犯じゃない? それにばれなきゃ犯罪じゃないよ。露見しない犯罪は完全犯罪だからね」

 

余計な文言をくっつけて、はっきりと言ってきた。

完全犯罪なんて単語は久しぶりに聞いた。有名な探偵アニメで聞いて以来だろうか。

 

「露見しないってことは、損した人がいないってことだよ。得した人はいるだろうけど」

 

「いやどっかにはいるんじゃないか。本人も周りも気づいてないだけで」

 

「自覚のない損は、果たして損なのか。なんて思っちゃったり」

 

自論を述べる菊池はテーブルの上で指を組み、その上に顎を乗せた。どっかで見たポーズだ。

 

「逆に言うなら、露見するような犯罪を犯す人って犯罪者として二流だって考えも一理あると思わない?」

 

「犯罪者に一流とか二流とか、やっちまった時点でただの犯罪者。それに優劣なんかつけたところで、ゴミとカスはどっちがましかって話にしかならない」

 

「団栗の背比べってね。でも犯罪の程度に差をつけるなら、犯罪者にも差をつけたっていいんじゃない? ほら、どんなものにもスペシャリストっているじゃない。そこから得られる有意義な情報ってあると思う」

 

「犯罪のスペシャリストって聞くだけでぞっとする」

 

「世界ではそれが当たり前だと思うんだよねえ」

 

にこにこと笑顔こそ浮かべているが、話している内容が恐ろしい。

犯罪をこれだけ肯定できる奴は将来100%やると思う。偏見とか差別とか、細かい主観は抜きにしてそう思う。

思えばこの場をセッティングされたのだって脅されて無理矢理だった。既に半ばそっちの世界に足を踏み入れていると言って過言なさそうだ。

例え俺がここを逃げ出そうとも、こんなこと言う奴とはなるべく関わりたくないって本音。まともな思考してる奴なら理解してくれるだろう。

 

「今回はご縁がなかったということで」

 

縁切りはお早めにということで早々に立ち去ろうとした。

けれど手を掴まれ引き留められる。

 

「ああ、待って。冗談冗談。ぜんぶ冗談。かるーい中二病話だってば」

 

今までの会話全部笑って済まそうとしている。

仮に言葉は冗談で済んでも、昨日の脅し文句は冗談じゃ済まない気がする。済ませちゃいけない気がする。

 

「出会って幾ばくもない相手に中二病話は、ハードル高すぎてむしろ潜る競技になってるぞ」

 

「リンボーダンスを競技って言って良いのかは微妙だけどね」

 

いくら振りほどこうとしても、掴んだ手を離してくれそうにないのでとりあえず椅子に座った。

窓の外は良く晴れている。それを背に座る菊池は中々映えるのだが、何だか得体のしれない雰囲気を感じてきてしまった。

 

「で、何が冗談だって?」

 

「ぜんぶ」

 

「つまりお付き合いどうのってところもか」

 

「行き過ぎ。さっきの犯罪がどうのこうのってところだけ」

 

多少菊池の語気が荒くなった気がした。

からかわれて自分のペースを乱されるのが嫌なのかもしれない。

だとするとこいつとんでもなく自己中なんだが。

 

「まあ、今言ったけど、私いま中二病なんだよねえ」

 

「いま?」

 

「ずっと」

 

そんなところを訂正されても困る。

 

「小学生の頃からかれこれ4年ぐらい」

 

「根深い」

 

「精神的な病気って、ゆっくり時間をかけて治療する物じゃない?」

 

「中二病なんてくしゃみ一つで治りそうなもんだ」

 

「そうはいかないから病気なんだよきっと」

 

言いながら人差し指で机をトントン叩き、その顔には張りつけたような笑顔が乗っかっている。

本人は無意識なんだろうが、こういう細かい仕草で気が付くことがある。こいつ実は短気っぽいなとか、表面上の友達づきあいは上手くても、それを掘り下げるのは苦手なんだろうとか。まだ入学したばかりだからそうでもないけど、その内一人ぼっちになりそうだとか。

こんなのあくまで推測でしかないが、それほど大きく外している気もしない。少し自信過剰かもしれない。

 

「で、さ。こういう話をする理由って言うのがね。やっぱり付き合ったら自然とばれちゃうものじゃない? 普段の言動色々」

 

「よくよく見ると性格歪んでるのは隠しようがないもんな」

 

「違くて。中二病ってところがね」

 

俺が指の動きを見ていることに気が付いて、菊池は机を叩くのを止めた。

代わりに身動ぎをして椅子に座りなおした。机の下のことだからはっきりとは分からないが、足を組んだようだ。

 

「中二病だから、他の人と違うことがやりたくなるの。告白にしても話題にしてもね」

 

「その格好も中二病の一環ってことか」

 

「あたり」

 

菊池はネクタイを引っ張ってワイシャツの胸元を見せた。

やっぱりボタンが二つばかり開いている。

 

「ここお堅いからさ、こういうのやってる人あんまいないし、夜遊びなんて言語道断だよねえ」

 

「そんなことまでやってるのか」

 

「昨日もナンパしちゃった」

 

「やはりご縁はなかったようで」

 

「冗談だってば」

 

机の向こうからぎゅっと腕を掴まれる。

さっき掴まれた時と違い、かなり力が籠っていた。

菊池の目にもはっきりとした意思が感じられる。まあ、逃がさないってところだろう。

 

「どこまで冗談?」

 

「昨日はナンパしてないよ」

 

「昨日は?」

 

「昨日も」

 

「それも冗談だったりしないだろうな」

 

「冗談に冗談は被せない主義なの。品がないでしょう」

 

「とか言っておいて冗談だったり」

 

「よくわかったね」

 

話すだけ無駄な気がしてきた。

無意味な脱力感を覚える。きっと、今までの会話にも嘘が山ほどあったのだろう。

例えば、付き合ってくださいって言葉も嘘だったのかもしれない。

 

「帰っていい?」

 

「本題にも入ってないのに」

 

「前提ぶっ壊したのお前だろ」

 

誠意ある告白なら、こっちも誠意をもってお断りしたのに、ケチをつけたのは菊池自身だ。

まさかこの短時間でこれだけ冗談を言っておきながら、俺が告白を受け入れられるなんて思ってないだろう。

 

「じゃあ好きです。付き合ってください」

 

「じゃあってなんだ。お断りします」

 

「友達からでも」

 

「嘘つきの友達はいりません」

 

「なら知り合いでどう?」

 

「それは俺が選べるもんじゃないんで」

 

「そっか。私たちもう知り合いだ」

 

やったーと心にもなさそうに言っている。

ポケットから携帯を取り出した。

 

「じゃあメッセージ送ってもいいよね」

 

「たまになら」

 

「一日10件ぐらい?」

 

「1年で一つぐらい」

 

「それなんかもうレアモンスターじゃん。正月に会う親戚みたいな」

 

「お前はテレビでちょくちょく見そうだから、それほどレアってもんでもないだろう」

 

「え? どういうこと?」

 

「いや、お前将来捕まりそうだから」

 

一瞬きょとんと目を丸くした菊池は、突然腹を抱えて笑い出した。

 

「私が犯罪者? なるにしても二流にはならないかな。目指すは超一流」

 

「ぞっとする。裏のドンがお好みか」

 

「闇に紛れて暗躍。響きが格好いいと思わない?」

 

「思う」

 

「まじか」

 

肯定したら驚かれた。「えー?」と疑り深い声。

笑ったり驚いたり、疑ったり。切り替えの早い奴だ。

 

じろじろと、靴先から頭のてっぺんまで見られながらパンを齧る。

 

「世の中色んな男の子がいるもんだねえ。こんな話、引かれたことしかないのに」

 

「多様性が保証されてる社会だからな」

 

「変わりもんだ」

 

俺にとっては世界の方がだ。

 

菊池は背もたれにもたれて、椅子の前脚を宙に浮かせた。

ぐらぐらと前後に揺らすのは見るからに不安定で、こっちの方がハラハラした。

 

「振られちゃったー」

 

天井を見上げながら呑気な声。

俺はパンを飲み込んで、空になった袋を雑に縛る。

 

「おっかしいなー。なんでかなー」

 

語尾を伸ばすのは間抜けに聞こえる。

さっきまでこんな喋り方じゃなかった。狙ってやってるのか。

何が目的で、何を引き出したいのやら。

 

「最初から脈なんかなかっただろ」

 

「どうかなー。私顔は良いから、案外告白通ることもあるんだよね」

 

「顔よりも性格を重視する性質なもんで」

 

「なら余計におかしいなー。性格も抜群に良いって評判なのに」

 

「表面だけな。その内化けの皮が剥がれるだろ」

 

「そっか。中二病がだめなのか」

 

バンっと凄い音を立てて椅子が元に戻った。

音の大きさから分かった通り、かなり勢いをつけたらしく、前かがみになっていた菊池はゆっくり顔を上げた。

 

無表情と目があう。一拍見つめあって、品なく舌を出された。

 

「なんて冗談」

 

「なにが?」

 

「中二病」

 

「告白は?」

 

「それはどうだろうね」

 

とぼけられる。

ほんとなんなのこいつ。生態がよく分からない。

 

「ついでだし、いくつか聞いていいかな」

 

「答えるとは限らないけど」

 

「年下と年上どっちが好み?」

 

「年上」

 

「何歳まで?」

 

「四~五歳」

 

「なるほど。じゃあ、最近誰かにいいことした?」

 

いいことってなんだろう。単語だけ聞けば浮かぶのは年頃ゆえのピンクな妄想。

絶対違うと分かってはいたが、頭の中にはそれ以外浮かび上がらなかった。

 

「してない」

 

「人助けは?」

 

「北村のことなら――――」

 

「それ以外」

 

少し考える。

やっぱり思い浮かぶものはなかった。

 

「ない」

 

「ふーん……。落とし物届けたりしなかった?」

 

「生まれて一度もない」

 

「ふーん」

 

菊池は顎に手を当てて考え込む。

少し待って、今度はこっちが質問した。

 

「この質問なに?」

 

「七瀬のこともっと知りたいと思って」

 

「他に隠された意図がありそうだけど」

 

「ないない」

 

手を振って否定しているが、最早それを信じることも出来ない。

すっとぼけるのは得意そうだ。嘘を隠すのが上手いんじゃなくて本音を喋らないのが上手いって方向に。

 

「昼飯食ったし、俺もう行くわ」

 

「えー、もうちょっとご一緒してかない?」

 

「用件は?」

 

「写真を撮ろう」

 

菊池が握るスマホからシャッター音が響いた。それは机に向けられていた。ちょっと安心する。

「はい、いま撮った」と言おうとして、読んでいたのか先んじられた。

 

「ツーショットを撮らない?」

 

「お前に写真を渡すと悪用される危険があるから断る」

 

「ツーショットだよ?」

 

「最近は写真の加工ぐらい簡単に出来るそうじゃないか」

 

「残念。私は頑張る必要がないので、やり方知らないの」

 

「じゃあプリントした写真を半分破るとか」

 

「それは簡単だ」

 

くすくすと笑う菊池。

目が笑ってないので、本気で笑ってるわけじゃない。

こういう顔してる奴って何するか分からない怖さがある。

 

「じゃあこうしない? 私の――――」

 

――――トントン。

 

菊池が何か言おうとして、それを遮って扉がノックされた。

二人で扉を見る。またトントンと聞こえた。軽い音だった。

 

「はい?」

 

「あ、こら」

 

思わず返事をしたら菊池に諌められた。

そう言えば、鍵は横流しされたのだった。

主犯は俺じゃないが、ランチを共にしている以上俺にも少しの罪はある。

こんなところを先生にでも見つかったら説教だ。最悪指導室行きになるかもしれない。

どうしようかと顔を見合わす俺たち。そんなこと知った事じゃないとノックは続き、その内扉の向こうから声が聞こえてきた。

 

「開けてくれる?」

 

聞き覚えのある声に、思わず身体が強張る。

菊池を見る。声の主が誰なのか分かっていないようで、しかたないと言う風に肩をすくめていた。

 

「どなたでしょう?」

 

「美術部の部長」

 

藁にもすがる思いでの確認。決定してしまった。

まじか。思わず天を仰いだ。

どうして会長が今ここに来るのだろう。

罪の意識が押し寄せる。悪いことをして現行犯逮捕されたような気分だ。

 

「いま開けます」

 

「はやく」

 

急かされ、慌てて鍵を開ける。

開けたそこにはやっぱり会長が立っていた。その眉根は吊り上がっている。

それに対して俺が出来ることと言えば愛想笑いしかなかった。

会長は大きな溜息を吐いた後、俺を押しのけて美術室へ入ってくる。

 

「こんにちは」

 

「あー……」

 

会長の顔を見て、ようやく事態を悟ったらしい。

やっちまったと表情が歪んでいた。

 

「生徒会の会長ですよね? 確か金折先輩。美術部だったんだ」

 

「ええ。部長なの」

 

会長は教室の隅に置かれた書きかけの絵を見た。

「触れてないわよね?」訊ねる声は問いただす様な口調だった。

 

「触ってません。見ただけです。それ以外は本当に指一本触ってません」

 

「そう。あなたも? 菊池さん」

 

「はい。それに興味ないので」

 

「みたいね」

 

つかつかと未だに椅子に座ったままの菊池に歩み寄ると、腕を組み上から見下ろす様にした。

後ろで立っているだけの俺にすら凄い威圧感を感じるのに、菊池は平然と会長を見上げている。凄い胆力だ。

 

「ここは昼食をとる場所じゃないの。悪いけど、出て行ってもらえるかしら」

 

「はい。もちろん」

 

菊池は素直に立ち上がった。

会長が手を差し出す。

 

「鍵を」

 

「はい」

 

白いネームタグがついた鍵が手渡された。

ネームタグを確かめる会長の横を菊池は通りすぎ、突っ立ったままの俺に笑顔を向けてくる。

 

「いこっか、七瀬」

 

「いや、俺は……」

 

「――――悪いけど」

 

会長の鋭い声が差しこまれる。

 

「副会長。あなたはここに残りなさい」

 

「はい」

 

直立不動で即答した。イエス以外の返事なんてありえない。

目の前で菊池が面白くなさそうな顔をしている。

 

「金折先輩。七瀬が残る理由ってなんでしょうか? もしお説教なら私の方を――――」

 

「用があるの」

 

「その用って――――」

 

「あなたには関係の無いことよ。それとも、鍵の件で職員室に行く? 一之瀬さんと一緒に」

 

菊池の表情が分かりやすく変化した。

迷うように視線が惑い、目が一瞬スッと細まったかと思うとニコッと笑顔になる。百面相だ。この場の空気と相まって、見てるこっちは怖くて仕方がない。

 

「わかりました。大人しくお暇します。――――じゃあね七瀬。また後で話そ」

 

「もう話したくない」

 

扉の向こうに消えた背中を見送ってその場に立ち尽くす。

会長と二人っきりになった空間で何を言えばいいのか逡巡し、やっぱり謝った方がいいだろうと口を開いた。

 

「あの、会長」

 

「なに?」

 

「美術室勝手に使っちゃってすいませんでした」

 

「そう」

 

素っ気なかった。

怒ったり悲しんだり、そう言う反応をしてくれればまだ救いがあったのだが、これほど素っ気ないといたたまれなくなる。なんだか失望させてしまったような気がして、何とか挽回する術はないかと頭を働かせる。

 

「そんなことより、こっちに来てくれる? 見せたいものがあるのよ」

 

教室の後方、書きかけの絵が置いてある場所に向かう会長。

その背を追いかけて訊ねた。

 

「……なんですか?」

 

「この絵。まだ途中なんだけど、どうかしら」

 

見せられたのは下書きだった。

女性らしき人の腕を掴んで、「この人痴女です」と男が周りに叫んでいる絵。

それだけなのになんだか面白い。思わず笑ってしまった。

 

「……なにかダメだった?」

 

「いえ、ダメなとこなんてないです。けど面白い絵ですね」

 

「そう……? 面白い?」

 

首を傾げ、絵をしげしげ眺める会長の横顔を盗み見る。

その表情は怒ってない。少なくとも表面上はそう見える。

 

「会長。美術室を勝手に使った件は怒ってないんですか?」

 

「それは怒ってないわ。私が知ってるだけでも、やってる子結構いるもの。わざわざ目くじら立てるのもね」

 

怒られないのはありがたかったが、理由についてはなんだそれと思った。

 

「こんなことやってる奴他にいるんですか?」

 

「空き教室で異性とご飯なんて素敵なシチュエーションじゃない。恋人がいる身なら憧れるみたいね」

 

夢のシチュエーションだから一度はやってみたい人がたくさんいるらしい。

正直分かる部分もあるが、実際やってみてトキメキなんて微塵も感じなかったので、その意見には異を唱えたい。

 

「そんな良いものじゃなかったですよ。引っ張りまわされて翻弄されただけでしたし、嫌なとこしか見えなかった」

 

「隣の芝生は青く見えるってことかしらね」

 

もしそうなら、見た奴は多分青が良く見えないんだろう。

ドス黒かった。何もかもが。

 

「そう言えば、あなたちどういう関係なの? 告白されたって聞いたけど?」

 

「なんか揶揄われただけっぽいです。告白も冗談でしたって感じで」

 

「全校で噂になってるのよ?」

 

「ああ、そうか。……あいつ俺のこと嫌いなんじゃないですかね。悪戯目的でやったとか」

 

「酷い子ね」

 

下書きの絵を、上下左右色々な角度から見ていた会長は、改めて正面から見据えて眉間にしわを寄せた。

面白いと言われたことが納得いかないと言う風体だった。

 

「この絵ね。痴女撲滅ポスターの絵なんだけど、笑ってしまうようなら書き直した方がいいかしら」

 

「これ見て笑う奴は世界で俺一人だけなんで書き直す必要はないですよ」

 

「どうして笑うの?」

 

「感性が変なんです」

 

「そう。なら仕方ないわね」

 

納得した会長は先ほどまで菊池が座っていた席まで行き腰かけた。

その前の空いている席を指さす。座れということだ。

俺が座ってすぐ「私がここに来た理由だけど」と何の前置きもなく切り出された。

 

「実はね、あなたを探していたのよ。葵に頼まれて」

 

「葵先輩が? どうして?」

 

「昨日話したんでしょう? あの子、意地でも一人にさせないつもりだったのね。前もって色々頼まれたわ」

 

「諦め悪い人ですね」

 

「くだらないことして煙に巻いたのはあなたよ。誰だって諦めぐらい悪くなるわ」

 

会長の語気が強いのは、あんまり調子に乗っているとしっぺ返し食らうぞって言う説教かもしれない。身に染みる。

 

「いちごパフェで機嫌治るかな」

 

「誘い方次第でしょう。デートしましょうって誘ってみればいいんじゃない?」

 

「遊びに行きましょうでなんとか」

 

「好きにしなさい」

 

会長は呆れたような溜息を吐いた後、ビッと指を突きつけてきた。

 

「葵のことは終わり。次は私」

 

「えっと……やっぱりなんか怒ってませんか?」

 

「ええ、もちろん、怒ってる」

 

「怒ってないって言ったじゃないですか」

 

「美術室の件は怒ってない。でも他のことを怒ってる。何を怒ってると思う?」

 

少し考える。ぱっと思いついたことを恐る恐る口にした。

 

「あー、女の子と二人っきりになったことですかね……?」

 

「もっと具体的に」

 

「……えー、レイプがどうとか、そう言うことですか?」

 

「そうね。そのことでちょっと怒ってる」

 

会長は一度目を瞑って大きく息を吸った。

次に目が開いたとき、そこに怒りの炎がぼうぼう燃えていた。

 

「私が頼んだこととは言え、何のために一緒に登下校してるか分かってると思っていたけれど?」

 

「もちろんわかってます。毎日ありがとうございます。足向けて眠れません。ほんとに感謝してます」

 

「感謝は別にいいのよ。私がやりたいからやってることだし、感謝されるのは違うと思う」

 

こんな時でもそこだけはきっちりしておくのは流石だ。もう常に頭を向けてたいぐらい。

とは言え、足向けたくないのでベッドの場所教えてくださいなんて言えそうな空気ではない。

 

「でも、葵が言っていた通り、危機感が足りないんじゃないかと思うわ」

 

「あります。バリバリあります。危険予測は自信があります。信号無視だってしたことありません」

 

「そんなこと言ってるんじゃない」

 

ちょっと怒られてしゅんとする俺に、「周りを見なさい」と周囲を指さした。

 

「扉には鍵がかかってて、密室で二人っきり。あなた閉じ込められてたのよ?」

 

「鍵は内鍵だし、隣には美術準備室ありましたよ」

 

「美術の先生は、昼休みにそこにはいないわ。加えて、ここは学校の外れだからひと気が全然ないの。つまり、本当にあなたはあの子と二人っきりだったわけね。どう? 身の危険感じた?」

 

「感じませんでした」

 

「本当に?」

 

「少しだけ感じました」

 

睨まれて素直なところを白状した。やっぱり人間素直が一番だ。

会長指摘は一々ごもっともで、俺自身美術室に入る前に一通り考えたことだ。

その上でのこのこ乗りこんだわけだが、それが気に食わないらしい。

 

「あなたが痴女に遭う理由が何となく分かってきたわ。無防備なのよ。傍から見て分かるほどに」

 

「まだ一度しか遭遇してませんが」

 

「きっと、これから何度も遭遇するわ。あなたがちゃんとした危機意識を持たないうちは、何度も何度も繰り返しね」

 

世界が変わり、世間が変わり、俺は変わらず。

この世界の常識と俺の常識は少しのズレがある。

そんな分かり切ったことはもう何度も考えた。仕方ないことだ。答えはそれしかない。危機意識なんて一朝一夕で身につけられることじゃない。

 

「これから、少しずつ身に着けて行きますよ」

 

「今更身につけられるの?」

 

「まだ高校生ですから」

 

探るようにじっと俺を見つめていた会長は、やがてふっと笑みを浮かべた。仕方ないと言うように眉尻が下がった。

 

「あなたって、やっぱり変わってる。年のわりに妙に達観しているし。本当にこの前まで中学生だったの?」

 

「昔は15歳で成人だったらしいですよ。俺は一人暮らし長いんで、周りより多少大人かもしれません」

 

「そうね。一人が長いと、やっぱり……」

 

同意する会長は目を伏せている。

その目が少し悲し気な瞳をしている気がして、どうしたのだろうと気になった。

 

「ご両親とは――――いえ、ごめんなさい。なんでもないわ」

 

「そうですか」

 

出過ぎたと思ったのか、途中で言葉を引っ込めてしまった。

別に聞いてもらっても構わない。母親のことなら笑いながら話せる。種違いの妹ができたんですよなんて、聞いたらきっと驚くだろう。

ああ、でも。父親のこととなると、まだ少し無理かもしれない。

今考えただけで少し胸が痛んだから。

 

「教室に、戻りましょうか。もう時間ですから」

 

「そうね。ちゃんと葵に謝るのよ」

 

「ちょっとやばかったですって言った方がいいですか?」

 

「言わない方がいいわ。ここだけの秘密にしましょう」

 

笑い合いながら美術室を後にする。

自分の教室に戻って行った会長と別れ、階段を上りながら少し考えた。

結局、俺と菊池の関係はどうなったのだろうか。

間違いなく恋人ではない。友達も違う。ならやはり知り合いってところだ。

全校に噂が拡散した割に、そんな曖昧な結果に落ち着いたと言うのは少し納得できないが。

 

とは言え、無理やりにでも納得しないとまたあらぬ噂が立つかもしれない。

その事を考えると、やっぱりあいつと話すのは、1年どころか10年に一度ぐらいで十分だ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告