駅に着いた時、丁度タイミングの良いことに電車が来ていた。
急いで階段を駆け下りて、駆け込み乗車にはなるがそのまま飛び乗った。
ジリジリと発車を知らせるベルの音を聞きながら、乗り込んだ直後に扉が閉まり電車は発進する。
静かな車内。所々席が空いてるぐらいには乗客がいた。誰も飛び乗ってきた俺たちのことなど気にもしていない。
会長と俺はお互い肩で息をする。思ったよりも疲れた。
道中を思い返す。そこそこ距離はあった。けれど一度も止まらなかった。そりゃあ疲れもする。
不思議なことに今こうしている間、疲れだけでなく爽快感も湧き上がってきていた。久しぶりに運動して、身体の中に溜まっていた悪いものが全部発散されたようだった。
「どうして、走ったの……?」
「走りたくなったんです」
嘯く俺に、会長はじとっとした目で見てくる。その視線を躱しながら二人で座れる席を探した。
座席の真ん中らへんが空いている。座りましょうとそこを指さした。
「次からは一人で走って」
「次があるのは嬉しいですね」
会長の視線がさらにきつくなる。
これだけ睨まれてようやく気付いた。実はかなーり頭に来ていたらしい。走った事だけじゃない。一人で学校に行ったこともまだ尾を引いていたようだ。
その辺りの察しが悪すぎた結果、会長の出す警告音を聞き流し機嫌を再降下させてしまった。
あまり考え無しに行動する物じゃないと反省し、まったく同じことを反省したのを思い出す。ついさっきのことだ。まるで活かされていない。
会長はつっけどんな態度で紙袋を抱えるようにして席に座った。
「失礼しまーす」と小声で言いながらその隣に座る。何も言ってはくれなかった。
車内のどこからか、時おり小さな話し声が聞こえてくる。だと言うのに、俺たちの間には無言の沈黙があった。痛いぐらいの沈黙。痛みを受ける側には緊急事態だったが、電車はそんなこと気にもせず進む。
「……」
「……」
妙な緊張感だった。
紙袋を抱えた会長は背筋をピンと伸ばし、移り行く窓の外を見るとはなしに見ている。
今日すでに二度怒らせた相手に声をかけるのはかなりの勇気がいることだった。
けれど後回しにすればするほど、必要な勇気の量が多くなるだろうことは雰囲気で何となく察していた。
声をかけるなら今しかない。
「会長。謝罪と世間話どっちが良いですか?」
「謝罪するようなことを何かしたの?」
「無理矢理走らせました」
「その謝罪ならいらないわ」
拒絶された。
ならば世間話だと開き直ることはできなかった。
それでも何か言わなければいけないと、会話の取っ掛かりを探している内に一つ目の停車駅に止まる。
会長は立ち上がらなかったので、俺も座ったまま乗り降りする人たちを眺めていた。
やがて人の行き来がなくなり扉が閉まる。
心なしか乗客の数は少なくなったようだ。
何一つとして妥当な言葉を思いつかないまま、窓の外の町並みが見覚えのないものに変わっていくのを眺めていると、唐突に会長が口を開いた。
「静かね」
「電車ですから」
会話はそれだけだった。
終わってから、もう少し気の利いたことを言えたのではないかと反省する。
会長が美人さんだからみんな言葉が出ないんですよなんて下らないお世辞を思いつき、言わなくてよかったと胸をなでおろす。
二駅が過ぎ、三駅が過ぎても無難な第一声と言う物が思いつかない。
普段どんな会話をしていたのだったか。相手の機嫌が悪いと言うただそれだけのことでこうも口は回らなくなる。
人間素直が一番だろうか。空回った思考は開き直りにも近い、そんな結論に辿り着いていた。
「怒ってますか?」
「別に怒ってないわよ」
待ち構えていたように返事は素早かった。
「本当に?」
「機嫌の悪い時に走らされて、少しイラッとしただけ」
「怒ってるじゃないですか」
「もう怒ってない」
「すいませんでした」
「怒ってない」
頑なに怒ってないと繰り返す会長がとても可愛く見えるのはなぜだろう。
二歳年上のお姉さんのはずだが、目の前にいる会長は同い年ぐらいに感じる。
ここが学校の外で、会長の格好が普段目にする制服ではなく可愛らしい私服なのが大きい。そのせいで、いつもあるはずの上下関係が薄らいでいる。代わりに悪戯心がむくむくと膨れ上がってきた。
「どうしたら許してくれますか」
「怒ってないったら」
「なんだかとても申し訳ないです……」
声だけしおらしくしてみた。
会長はぴくっと反応して横目に様子を窺ってくる。
俺の表情がほとんどいつも通りなことを知り、ぷいっと視線を前に戻してしまった。
「年上をからかうのがそんなに楽しい?」
「葵先輩をからかってる時とは別の興奮がありますね」
「……」
口を真一文字に引き結び腕を組む。攻撃的な気配が滲む。臨戦態勢になった。
それは俺の全てを拒絶しているようで、状況はさらに絶望的になった。自業自得でしかない。
人間素直が一番だと言っても限度があるだろう。
「会長が怒ってる姿はなんか新鮮です」
「……」
「学校で怒るときは生徒会長の肩書で怒りますから、素で怒ってるところ見ると、年相応の女の子みたいで可愛い」
「……」
「さっき突然走り出した理由ですけど」
何も言ってはくれないが、隣だしまあ聞いてくれているだろうと信じて言葉を重ねる。
「瑠音先輩のイメージが滅茶苦茶になりそうだったんです。満点ばっかり取ってるとか、会長より頭が良いとか。そんなの全然イメージと違って、頭の中が整理しきれなくなって、がむしゃらに走りたくなりました。付き合わせちゃってすいません。一人で走ればよかったですね。次からは一人で走ります。どこまでも行ける気がする」
俺の言葉とは裏腹に、電車の速度が落ち始めた。次の停車駅が近い。
慣性で身体が会長の方へ傾きそうになるのを必死に耐える。
本格的にブレーキが効き始めた辺りで、会長が長い沈黙を破り言葉を発した。
「それはそれで困る」
短く端的で、それだけ聞けば我が儘を言っている子供のようだった。
実際我が儘言ってるのは俺の方だ。
「じゃあ付き合ってくれますか?」
「もし次があるなら予告して」
「わかりました。走りますって言ってから走ります」
それに意味があるかはさておき、俺たちの諍いは一先ずそんなところに落ち着いた。どう見ても会長の鬱憤は棚上げさせられている。
会長から発せられていた怒りの気配はだいぶ治まっているが、その顔は不満ありげに顰められていた。
当然だが表に出さないだけで燻ってる感情があるはずだ。今度こそ、逆撫でしないように気を付けなければ。
「どこまで行くんですか?」
「終点」
駅に着くたびに乗客は少なくなっていく。
終点ともなれば人数は数えるほどになるだろう。
「遠いですね」
「来たくなかった?」
「いえ、べつに」
案外遠いなと思ったのは確かだが、だからと言って来なければよかったとは思ってない。
どれだけ遠くても、北村に会いに行くかと誘われたなら何を後回しにしてでも来ただろう。
それこそ新幹線に乗る距離であったとしても頷いたはずだ。
「そう言えば、会長と北村って幼馴染なんですよね」
「ええ」
「その割には家遠くないですか?」
「引っ越したって言ったでしょう」
そう言えば言っていた。
確か家まで特定されていたから引っ越したと。
「じゃあ元々はあの辺住んでたんですか」
「私の家の右となり」
へえ、右隣。
会長の家に行くことがあればちょっと見てみよう。
今は違う人が住んでいるんだろうけど。
「家同士付き合いがあったんですか?」
「みたいね」
「家族公認じゃないですか。羨ましいなあ」
会長と幼馴染ってだけで人生楽しそう。
そんじょそこらのつまらない人生よりは世界が輝いて見えそうだ。
「年が近いから自然と遊ぶことも多かったけど、それだけよ。私の両親なんて何とも思ってなかったでしょうし」
「親としては子どもに友達が出来るだけで嬉しいんじゃないですか」
「どうかしら」
その声音には拒絶の色が含まれていた。
「普通の親じゃないのよ」と小さな呟きには、色々な感情が複雑に絡み合って詰まっている。
思わずどういうことかと聞きそうになって口をつぐんだ。
会長が俺の家の事情を聞いて来ないように、俺も会長の事情に足を踏み入れるべきではない。それだけの分別はある。
俺たちは学校の後輩と先輩に過ぎず、それ以上の仲ではない。お互い知らないことの方が多いのだ。
大体、他所の家の事情など聞いたところでどうしようと言うのか。適当な慰めの言葉をかけた所で、会長はそんなものは求めてない。俺が求めてないのと同じように。
なんだか急に胸の中がいっぱいになって、それから終点まで静かに過ごしていた。
話をする気分じゃなくなった。会長もそうだったのだろう。
どちらも何一つ言わず、電車は終着駅に辿り着いた。