目が覚めたらあべこべってた   作:紺南

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第19話

腕を引っ張られる。

強い力で。ほとんど引きずられるように。

歩いている最中、突然そんなことをされたものだから、思わず目を丸くした。

 

「会長?」

 

「……」

 

呼んでも答えてくれない。

振り向くことすらしてくれなかった。

引っ張っておいて無視するってどういうことなのか。せめてこっち見てほしい。

 

「会長。あの、痛いです」

 

「……」

 

掴まれた腕にぎゅっと力が籠ってて少し痛い。

聞こえてないはずはないのだが、やっぱり答えてくれなかった。

 

偶に通りがかる人の視線が突き刺さる。まあ見るよね。俺だって人が引っ張られてたら見る。

あまり注目を浴びるのも嫌だが、会長はなにも言ってくれないし止めてくれる気配もない。俺と違って人の目は気にならないらしい。

小心者の俺は周囲の目を気にしながら、何度目かの呼び掛け。

 

「会長。これなんの罰ゲームですか」

 

「……」

 

「……なんか、怒ってるんですか?」

 

握る手に余計力が加わって、腕の痛みは増した。

それでとりあえず怒ってるらしいことは分かった。しかし何に怒っているのか。

勝手に登校したことと、突然走ったことは一先ず棚上げになったと思うのだが。

我慢出来なくなって怒りが再燃したとかだろうか。

北村の家にいる時から様子がおかしかったので、何か逆鱗に触れるようなことをしたのかとも思うのだが、思い当たる節はない。

 

「謝ったら許してくれますか」

 

その問いかけでようやく振り向いてくれる。

冷たい目。けれどその奥に悲しい感情が見え隠れしていて、それ以上何も言えなくなる。ただ怒ってるわけではない。

会長はすぐに前を向いて、また歩き出した。

黙って着いて行く。向かっているのは駅のようだ

 

駅に付き、改札口をくぐる。

それからまっすぐホームに向かうかと思ったが、会長の足は別の方向に向かった。

 

「そっち電車ないですけど」

 

「……」

 

「どこ行くんすか」

 

無言で歩を進めるその先にはトイレがある。

来るときに立ち寄ったトイレだ。

用を足したくてこんなに急かされたのかと一瞬思う。けれど、会長は女子トイレをスルーして、男子トイレとの間にある障碍者用のトイレを開けた。

 

「ここ障碍者……」

 

言い切る前に、トイレに入ってしまう。

もちろん手は握られたままなので、俺も一緒。

背後で閉じた扉を一瞥する。外からボタンを押せば開いたように、内側にもボタンがあって、それを押せば開くようだ。

鍵がかかる訳でも無し。出ようと思えば簡単に出れるのだが、何だか檻に入れられた気がする。

あっちこっちに手すりのあるトイレはかなり広い。人の二~三人は楽に横になれそうだった。こんなところで何をすると言うのか。まあ、本来の用途は一つしかないんだけど。

 

「会長。用を足すなら俺外に出てますよ」

 

「……」

 

「それとも、見られながらする趣味でもあるんです――――っ!?」

 

突然強く胸を押され、思わず後ずさる。

押されて、押されて、壁際に追い詰められる。

そんでもって両手で左右の壁にドンされた。壁ドンだ。逃げ場がなくなった。

 

「なんですか……」

 

「私の目を見なさい」

 

すぐ目の前に会長の顔がある。

綺麗な顔で、頑張ればまつ毛の数も数えれそうなほど近い。

見るとか見ないとか言う前に、勝手に視界に入ってくる距離だ。

こんなのドキドキしないわけがない。

 

「会長美人さんだから見つめたら照れますね」

 

「……」

 

視線を逸らしながらそう言う。

会長は返答がわりに短く息を吐いた。色々な感情が籠っていた。

それから、なぜか距離を詰めてくる。

既に限界一杯だった距離がさらに近くなる。自ずと体が密着し、会長の体温と呼吸を間近に感じる。この距離はやばい。間近に異性を感じる。変な気分になる。近すぎる。

 

「私の目を、見てなさい」

 

「照れます」

 

気を逸らすためにも口が回る。

そうしたら、ぐりっと足を踏まれた。

なりふり構っていない。ふざけるなということだろう。照れているのは本当なので、一応ふざけてはいないのだが。

 

「いたいいたい」

 

「次はもっと痛くするから」

 

「そんなこと言われるとむしろ痛くしてもらいたく痛いっ!」

 

体重が乗って痛みが増す。

これ以上の軽口は危険だ。最悪足が千切れてしまうかもしれない。そうなったら誰が責任とってくれるんだ。

 

「なんか近くないですか」

 

「こうしないとあなた逃げるでしょう」

 

「逃げないので、ちょっと離れましょう」

 

「あなた嘘つきだから、そう言う嘘をついて逃げるつもりでしょう?」

 

嘘つきだと断定されてるのが悲しい。

信用がないのはこの際良いとして、ここまでされる理由がちょっと思い浮かばない。

なんかしたのかな。強いていうなら今朝の痴女眼鏡の件が怪しいけど、今更あれに気付かれたのはちょっと釈然としない。もしかしたら最初から気づいてたという可能性もあるが、それなら今になって責められるのはもっと違う気がする。

 

「今まで嘘なんかついたことがありません」

 

「嘘つき」

 

「まあ、嘘ですけど」

 

「……」

 

足が痛い。視線も痛い。

そろそろ本当に黙った方がいいだろうか。

でも黙るとこの距離を意識して胸が苦しくなるのだが。

引けば地獄。行くも地獄。俺はどうすればいいのだろう。

 

「聞きたいことがあるの」

 

「わざわざそのためにこんなことを?」

 

「逃げられないように考えたのよ」

 

それで障碍者トイレはちょっと思考がぶっ飛びすぎじゃないか。

頭に血が上りすぎてて冷静じゃないのでは。

 

「分かりました。家に来てください。紅茶でも飲みながらゆっくり話しましょう」

 

「逃がさないって言わなかった?」

 

「謝るので許してください」

 

「何を謝るの?」

 

何を謝ればいいんだろう。

ちょっと思いつかない。

 

「えーっと……」

 

「もういい」

 

じっと見てくる会長の目は透き通ってて綺麗だった。吸い込まれそうな目だ。

瞳の奥に俺の顔が反射して映っている。もっと見ていたい。けど見ていたくない。矛盾する気持ちを抱えて会長の言葉を待つ。

 

「今朝、一人で電車に乗った時、何かあったでしょう」

 

「なにかってなんですか?」

 

「それが分からないから聞いてるのよ」

 

会長の目は不安そうに揺れている。言葉はたどたどしく、いつもの理論整然とした口調とは程遠い。

確証はないらしい。けれど何となく勘付いてしまったようだ。何たる不運だろう。俺にとって。

 

「痴女には遭ってません」

 

「痴女に『は』?」

 

「言葉の綾です。ていうか細かいっすね」

 

ちょっと油断するとこれだ。粗を見つけて突っ込まれる。

おかげで会長の疑念はさらに増してしまった。疑い深く見てくる。

 

「……」

 

「……」

 

見つめあう。

トイレの中で二人っきり。女の子に壁ドンされながら至近距離で。

これだけ聞くと卑猥な妄想が浮かび上がるが、中身は尋問に近いから妄想するだけ損だった。

その労力でエッチな動画でも見た方がずっと生産性がある。いや、ないけど。

 

「俺は嘘なんかついてませんが、ボディタッチされたら口が軽くなる可能性が少しあるので、その上でもう一度――――」

 

息を吐くように自然と口は回る。何を言っても足を踏まれて終わりだろうと思っていた。

痛みは思考を冷静にしてくれる。この状況ではむしろ望むところだった。

だと言うのに、待ち望んでいた痛みは訪れず、代わりに会長との距離がほとんどゼロになった。目の前をサラリと長い髪の毛が舞って、良い匂いが鼻孔を満たした。

思考は真っ白になって、いったい何がどうなっているのかわからなくなる。耳に息が吹きかかるのがこそばゆい。

 

「あの……」

 

「なに?」

 

「これはいったい……」

 

生唾を飲み込み、必死に言葉を探す。

俺たちは今抱き合う形になっている。

息を吐くたびに、会長の息が俺の耳にかかるのと同じように、俺の息も会長の耳にかかっている。

その耳は赤く染まっている。たぶん俺の耳も同じぐらい赤くなってる。

 

「……ボディタッチ」

 

「タッチどころか全身くっついてますよ」

 

「細かいこと気にするなって言ったのはあなたの方よ」

 

「この綾は全然細かくないと思うんですけど」

 

話をしている内に耳がむず痒くなって体をよじる。

それを逃げようとしていると勘違いしたのか、会長の身体はさらに密着して壁に押し付けるようにしてきた。色々なところが当たって辛抱堪らんのですが。

 

「男の子に適当言われたぐらいでこんなことするなんて、会長大胆ですね」

 

「……」

 

「もっと自分の体を大事にしてください。軽々しくこんなことしてたら、その内襲われちゃいますよ」

 

「……っ」

 

会長の身体が震えた。

我に返って離れてくれるかと思ったが、全然離れてはくれない。

むしろ俺の身体を掴む手に力が入ったようだった。

 

「……なんで」

 

「え?」

 

「なんで、そうなるの?」

 

最初は囁くような声音だったのが、段々大きくなってくる。

 

「今自分が何されてるか分かってないの?」

 

「会長と抱き合ってます」

 

「抱き締められてるのよ。私に、一方的に」

 

「光栄です。めっちゃ嬉しいです」

 

会長の身体がぎこちなく動く。無理矢理に理性を働かせたような感じで、一歩だけ離れてくれた。

正面から見つめあう。透き通った会長の目に確かな決意が垣間見える。

何の決意かと首を傾げながら、会長が口を開くのを見ていた。

 

「ねえ」

 

「はい?」

 

「レイプするから」

 

「……はい?」

 

耳を疑い、頭も疑う。

どうやら俺の頭がおかしくなったらしい。

会長の口から、女の子が言うとはとても思えない単語が出た気がした。

 

「すいません、もう一度お願いします」

 

「今から、君のことをレイプするから」

 

ゆっくり、自分自身に言い聞かせるようにはっきりと、会長は言葉を発し、一瞬の沈黙の後で抱きしめてくる。

 

背中に腕を回され、今までで一番密着した。

首筋に熱い吐息を感じる。ドクンドクンと激しい鼓動は、俺の心臓なのか、それとも会長の方なのか分からない。

その鼓動を聞きながら何をするでもなく状況に流されていると、背中に回れた手に力が籠り、耳元で歯ぎしりの音を聞いた気がした。

 

「どうして、抵抗しないのよ……」

 

「はあ……いえ、笑えない冗談だと思いまして」

 

「こんなこと、冗談なわけないでしょ。笑い事じゃないのよ」

 

「でも……」

 

「でもじゃない!」

 

床に引きずり倒されそうになる。

トイレの床は汚い。さすがにそれは嫌だと手すりを掴んで抵抗した。

 

「抵抗しなさい! もっともっと、抵抗して! じゃないと本当にレイプするわよ!」

 

俺を押し倒そうとして、歯を食いしばりながら会長はそう言った。

会長の言葉を聞いていると、どうやらレイプすると言うのは本気じゃないらしい。ほっとしたような、残念なような。

 

「なんなんですかいったい。床汚いんで、ちょっと勘弁してもらえますか」

 

「そんなことを気にする暇があるなら……っ!」

 

手すりを掴んでいた腕を叩かれる。思わず手を離し、床に尻もちついてしまった。

うえっ、汚いと心の中で思う。度が過ぎている。さすがに、こんなことをされれば止める気はないんだと察する。どこまでかは知らないが、とりあえず最後まで押し倒すつもりらしい。

それは嫌だから、仕方なく腕を伸ばす。それで会長を押し返そうとしたのだが、その腕を会長は絡めとってしまう。

じゃあ逆の腕をとやってみたところで同じだった。両腕を掴まれ抵抗を封じられる。

 

会長は膝を使って押し倒そうとしてきた。

上から圧し掛かってくる会長を、腹の力だけで押し返すのは無理な話だった。

 

「すいません降参! 降参します!」

 

俺の叫びに、会長は荒い息を吐くばかりで何も答えてくれない。

普段は理性の宿っている瞳が、今は獣のような怪しい光りを帯びている。

その目には見覚えがある。初めて会った時、あの痴女に感じた不安。あいつと同じ目だ。

あ、これやばいんじゃ……。

 

そう思った時には押し倒されていた。

腹に乗って覆いかぶさって来る会長の顔は興奮で紅潮している。

俺を組み伏せたことで支配欲が刺激されたらしい。これで終わりじゃないぞとその目が告げていた。

 

手は抑えつけられて動かせない。足をばたつかせても意味がない。

抵抗しろとしきりに言われて、その通り抵抗しているのだが、会長自身最早そんなこと頭に残っているかも疑わしい。

 

何を言うでもなく、少しずつゆっくりと会長の顔が近づいてくる。

その潤んだ瞳から目を離せなかった。赤く染まった頬からも、熱い吐息のもれる唇からも。

目の前のことが全て、まるで夢の世界のように思えてきて、現実味がなくなる。

気が付いたときには抵抗するのを止めていた。無力を悟ったわけではなく自然と力が抜けていた。

視界が会長の顔で一杯になる。何も考えられなくなる。完全に受け入れていた。

 

口と口が重なる寸前、トイレの扉がノックされた。

 

「駅員ですが、大丈夫ですか?」

 

そんな声がトイレの中に響き、意識は現実に帰還する。

我に返った会長は体を起こし扉を見た。

真っ青な顔でわなわなと震えている口から言葉は出てこない。

何も言えない間に、もう一度ノックの音が響く。

 

「大丈夫ですか?」

 

――――どうしよう。

 

その表情は不安でいっぱいだった。

自分がしようとしていたことを思い出し、罪悪感で押しつぶされそうになっている。

動揺しきっている会長にこの場を乗り切る知恵は出てこないだろう。

代わりに俺が返事をした。

 

「はい、すいません。大丈夫です!」

 

駅員から開けていいかと訊ねられる。

未だに腹の上に乗っていた会長を立たせ、扉に向かった。

こちらから扉を開き、駅員と対面する。

 

「すいません、本当に。ちょっと怪我しちゃって」

 

かしこまり頭を下げながら、一つ嘘をついたのだった。

 

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