目が覚めたらあべこべってた   作:紺南

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第20話

怪我をしたので、障碍者用トイレで傷を見てもらってた。

駅員についた嘘だ。駅員は疑わしそうな顔をしていたが、それ以上詮索はしてこなかった。

むしろ、駅員室で治療するかと好意を見せてきた。そんなに酷くないしいいですと断ったが。

 

一しきり謝罪の言葉を吐き、ホームのベンチで電車を待つ間、会長は俯いて何も言わなかった。

罪悪感がひしひし押し寄せているようなので、何か声を掛けようとは思ったのだが、かける言葉は何も見つからない。

 

その内電車が来て、手近な座席に座る。

重たい沈黙が漂う車内で吊り広告を見て暇を潰していたら、会長がおもむろに口を開いた。

 

「ごめんなさい。……私どうかしてたわ」

 

まったくその通りで、まさか本気でレイプされかけるとは夢にも思わなかった。

この先、ことあるごとにからかいたくて仕方がないのだが、そうするにはちょっと重いかなと言う気もする。

からかうたびに沈み込まれては本気で苛めてるみたいで気分が悪い。会長には笑っててほしい。

 

「怒りで我を忘れましたか?」

 

「それもあるのかも……。でも、それだけじゃない」

 

囁くような声音だったが、受け答えはしっかりしていた。

熱に浮かされた感じはもうない。

 

「今日、朝起きたとき、携帯に君のメッセージが入ってて……。土曜日の授業のことなんかすっかり忘れてたから、かなり慌てたの。君が一人で電車に乗って、もし何かあったらどうしようって不安で不安で仕方がなくて。何度連絡しても繋がらないし、追いかけようとも思ったけど、時計を見たら授業が始まってる時間で、どう考えても遅いし……。学校に行こうとしたら、今度は光から連絡があって会いたいって。もうどうしていいかわからなくなって……」

 

「会長案外テンパりますね」

 

「予想外のことに弱い。それと感情的になりやすいって言うのが私の短所。受験で必要とは言え、皮肉な自己分析よね」

 

まあ、今日一日で分かったことだ。

会長は案外短気だ。その割に懐が深くて、怒りを収めやすいから勘違いされるのかもしれないけど。もしくは、ただ単純に感情の発散が下手なだけなのかもしれない。溜めて溜めて、一気に爆発させる。今日みたいに。

 

「本当にごめんなさい。光にあなたのことを聞いて、不安になったの。私の知らないところで酷い目に遭ってるんじゃないか、大丈夫なのかって。それで試しに抱きしめたら、あなた全然抵抗しないんだもの。それで、あんなことを……」

 

「会長だから抵抗しなかったんですよ。滅茶苦茶信用してますから。他のやつなら取りあえず蹴ってます」

 

「その信用を私は失ったのね……」

 

全然失ってないけど。現在進行形でバリバリ信用してますけど。俺の会長への忠誠心は天井知らずなんですけど。

身振り手振りでそこら辺をいくら説明しても、会長の顔は晴れない。陰鬱に下を向いている。

 

「……今朝、本当に何もなかった?」

 

「……」

 

その問いかけに、どうしようかなあと思考を巡らせる。

あったと言えばあったわけだが、素直にそれを言うと会長がどういう反応をするか分からなくなった。最悪死んじゃう気がする。

今の会長にこれ以上心配をかけたくない。実際、今朝のあれはなんの実害もなかった。ただ怖かった。それも今思い返せば怒りの方が強い。

どうしようかなあ。

 

「あー……会長、素直に言いますね」

 

「……なに?」

 

「何かあったかと言えばありました」

 

会長の目が驚きで見開かれ、次いでくしゃっと泣きそうな感じに歪む。

「やっぱりあったんだ……」と言う呟きは、後悔やら懺悔やらの負の感情が乗っかって、聞いてるこっちが辛くなった。そんなに悲観することじゃないですよ。

 

「えー。まず、痴女には遭ってません」

 

「……」

 

「酷い目にもあってません」

 

「じゃあ……」

 

「会いたくない人に会いました」

 

疑問符の浮かんだ顔はどういうことかと訊ねている。

「どうでもいいことです」と前置きをする。

 

「二度と会いたくないぐらい嫌いな人がいて、その人に朝ホームでばったり会いました。おかげで朝から気分最悪で。でも会長の顔が見れてV字回復しました。ありがとうございます」

 

「……」

 

会長は少し考えている。

俺の言葉が嘘じゃないか疑っているようだ。

 

「……そんなに、嫌いな人がいるんだ」

 

「人間生きてれば色々あるでしょう。たかだか15年程度でも」

 

それから少し思い出して、

 

「俺は嫌だったのに、あっちは超笑顔だったのがムカつくんです。手なんか振ってきやがって、今度会ったら覚えてろって、今決意しました。覚悟してもらいましょうか」

 

「少し意外ね……。そんなに直截的に人の事嫌うなんて」

 

「まあ、小学校の頃は超いい子ちゃんでしたから、未だに人の悪口は言いにくいですけど」

 

もういなくなってしまったあの人のことを思い出す。

正しく生きなくてはいけない。間違ってはいけないと、呪いのような言葉が脳裏に蘇る。

今となってはぼんやりと霞んでしまったその人の顔を思い出して、ふっと笑う。

 

「偶には面と向かって言ってやらないといけない奴もいると思います。世の中、正しいことばかりじゃ生きていけませんから」

 

「……」

 

再び俯いてしまった会長を横目に見て、慰めの言葉をかける。

 

「人間誰しも間違うことはありますよ。個人個人、それが大きいか小さいかで運不運があって、会長はたまたま大きい方だったんじゃないですか?」

 

「間違ったなんて私が言って良い言葉じゃない。そんなの都合のいい言い訳でしかないじゃない……。私は、本気で君を――――」

 

少なからず乗客の居る車内で、レイプなんて単語を出されては嫌な注目を集めるだけだった。その光景を想像するだけで背中に変な汗をかいてしまう。

だから、その単語を口に出される前に掌で会長の口を抑えた。

 

「ん……っ」

 

「そこから先は分かってるので言わなくていいですけども」

 

会長は沈んだ目で俺を見ている。

今にも泣きそうだった。本気で後悔しているのはその顔を見れば分かる。

開き直っていたり、全く反省していないのであれば俺も何か言ったかもしれないが、この顔を見ればその必要はないと思う。

むしろそんな細かいことは気にせず元気出してくださいと励ましたかった。

 

「俺は別に気にしてません。むしろウェルカムです。またいつでもどうぞって言っておきますね」

 

「……」

 

掌の中で会長は一度口を開いた。けれど何も言わずにすぐ閉じる。

会長は口では何も言わなかったが、その目は何かを訴えている。

目は口程に物を言うなんて言葉がある。それはまったくその通りだが、伝わらないことの方がずっと多いとも思う。

心で分かりあえていれば、俺も会長も、何なら北村も、こんなに拗れていないだろう。

胸の内をもっと素直な言葉にすれば、人生楽に生きれるだろうか。

 

「俺、会長のこと大好きですから」

 

掌を退けながら、冗談めかしてそう言った。

会長は頬を染めて伏目がちに目を逸らした。それに胸をときめかせながら話を戻す。

 

「と、言うわけで会長の不安を一つ解消したと思うんですけど、まだ何かありますか?」

 

「……あなたがいくら気にしないって言っても、犯しそうになった事実は消えないわ。あなたに対する根本的な不安も残ってる」

 

「まあ、その罪悪感は少しずつ消していただくとして、不安の方はどうにかしたいですね。また爆発したら、傷つくの会長ですし」

 

とは言え、どうにか出来るかと言うとどうにも出来そうにない。

不安を取り除くのに一番手っ取り早いのは、俺がきちんとすることだ。

この世界の男子のように、ガードをもっと固くできれば何の問題もない。

けれどそれは無理だと結論が出ている。

 

俺の場合は、越えさせてはいけない一線が他の男子よりも手前にある。

無意識で引いている線だ。一朝一夕でどうにかなるものじゃない。

どうしたものかと腕を組む。世界が変わってまだ一週間経ってないんだもんなぁ。

 

「……指切りでもしますか?」

 

「え?」

 

「今後、何かあったら絶対に会長に教える。もちろん、一人で勝手に登校するのは無し。話を誤魔化したり、嘘をつくのも無し」

 

考える間を繋ぐためのおためごかしだった。本気で言ったわけじゃない。

けれど、思いのほか会長は乗ってきた。琴線に触れる何かがあったらしい。

 

「……もし約束を破ったら、何をしてくれる?」

 

「なんでもいいですよ。何なら針千本飲みましょうか?」

 

「痛いのは、見てるこっちが辛くなるからイヤ」

 

「じゃあ、他に……」

 

真面目に解決策を練る片手間で考える。

なんか適当なの。笑えるようなの。

頭半分で考えてる分、中々妙案は浮かんで来ない。普段バラエティを見ているのだから、それが少しは役立っても良いだろうに。

 

「思いつかない?」

 

「うーん。そうですねえ……」

 

「――――本当に、なんでもしてくれる?」

 

囁くような声。他の乗客に聞こえないように配慮したのだろうか。

なんでもと言う部分に淫靡な気配を感じてしまう。悲しい男の性だ。

横目にチラッと会長を見る。俯いていてその表情は窺えない。

 

「良いですよ」

 

「……いいの?」

 

「俺、嘘つきませんからね」

 

「……嘘つき」

 

「さあ、どうでしょう」

 

小指を立てる。

会長も同じようにした。

小指同士を絡ませ、リズムを取って上下に揺すった。

 

「ゆびきりげんまん」

 

「うそついたらはりせんぼんのーます」

 

「指切った」

 

これを終えるのに、時間は十秒もかかってはいなかっただろうけど、それでも周囲の視線は感じた。

乗っている人が少なくて助かったと思う反面、見せつけてやろうかとヤケクソ染みたことも考える。

この年で指切りは中々恥ずかしい。

 

「約束守らなきゃ、本当にどんなことでもしてもらうわよ」

 

「男に二言はありません。任せてください」

 

俺の安請け合いに会長は眉をひそめ、「可笑しな言葉を使うわね」と首を傾げた。

 

「ちなみに聞きますけど、どんなことを?」

 

「死にたくなるようなこと」

 

「絶対守りますんで。安心してください」

 

その一言で、ようやく会長は笑ってくれた。

相変わらず表情に陰はあるし、微笑むぐらいの小さな笑みだったが、笑ってくれたことには変わりない。

俯くことで少し丸くなっていた姿勢も、来るときの様に真っ直ぐになった。

まだ内心整理しきれたわけではないのだろうけど、少し前向きになってくれたようで嬉しい限りだ。

人生前向きが一番だ。辛いことばっかりなんだから。考えてもしょうがないことは山ほどある。

この前向きさを崩さないように、俺も約束は守らないといけない。取りあえずは北村にノートを貸す約束からきっちり守っていくことにしよう。

 

携帯を見ると、時間は一時を過ぎていた。途端に腹の虫が気になった。

授業を受けていた時からずっと腹は空いていたのだが、色々あって今まで忘れていた。

 

窓を流れる景色に目を向けながら、昼飯は何を食べようかと、そんなことに思いをはせた。

 




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